アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

精神生活のほうが幸福度が高い…

2009年09月30日 | Weblog
 ブータンでマグニチュード6.1地震があった。がけ崩れが発生、寺院や住宅が倒壊するなどの被害が出て、数十人が死傷した。
 M6.1で、家屋倒壊…家屋は石を積んだものが主体でしょう。犠牲者が数十人と聴いたとき、「?」と、思いました。少なくて不満だ、ということではありません。被害と、幸福度と関係があるのかなと考えたからです。どう考えても、地震の被害と、幸福度は相関がなさそう。このことのほうがむしろ不満かな。

 地震があったブータンは、GNH(国民幸福度=Gross National Happiness)で一躍有名になった国。
 「人間は物質的な富だけでは幸福にはなれない。充足感も満足感も得られない。経済発展と近代化は、人々の生活の質および伝統的価値を犠牲にするものであってはならない」
 つまり、「お金やモノが豊かだから幸福ということではないよ。生活の質、伝統的価値は、経済発展や、近代化より大切なものだよ」…極言すれば、「精神生活(物質的なものより精神的なものに人生の意義や価値を認める生活)」 私がブータンをうらやましく思う理由は、このような考え方の国だから。

 ブータン唯一の大学で教鞭を執る、ワンチュクさんからの情報をもとにブータンの現状(と、いってもほんの一部分にすぎないのですが)を…ワンチュクさんを仮名にしなくてもいいのかって?大丈夫、ワンチュクはブータンでもっともポピュラーな姓ですから。ベトナムなら、グエンさん。北朝鮮なら金さん…に相当しますね。

 人口は、70万人に満たない。
 公用語は、「ゾンカ語」と「英語」。私の考えとしては、まもなく、英語がブータンの第一言語になるはず。なぜなら…例えば、「おはよう」をゾンカ語で書くと、頑張っても40秒かかる。英語なら、6秒で書けます。(それでも、ゾンカ語のワープロがあるというところが驚きなのですが…電気が普及していない国なのに)

 ブータンの首都であり、最大都市である、「ティンプー」にも交通信号は、ないらしい(なぜ、「…らしい」と書いたか?信号が、一箇所できたという話を聞きましたが、ワンチュクさんには未確認なもので)。それもそのはず、休電の時間帯が長いので交通信号を設置したところで開店休業。休電のほか停電が頻繁なので、交通信号があることによる混乱が起こりそう。もっとも、混乱するほど車は走っていないそうですがね。都市部でも、電気は暗くなってからの3時間のみ通すというところが普通。これが、幸福か?日本人の多くは、「そりゃあ不幸だべ!」と言うと思いますが…。夜間頻尿者の場合(スミマセン、私のことです)、手探りでトイレへ行かなければなりません。落ちたらおしっこまみれです…。

 ブータンの男子は、丹前(たんぜん)のような民族衣装を着ています。「丹前」を知っている日本人は…ゴーゴーと、音を立てて減っています。ブータンでは、「ゴ」と呼ばれています。
 「あ!だから着物のことを、呉服(ゴフク)というのか!丹前も着物の一種だから」と、考えた人は、探求心・好奇心旺盛な人で素晴らしいです。しかし、BUT!ブータンの男子の民族衣装「ゴ」と、「呉」は違うようです。「ゴ」はチベットの影響を受けたもの。呉服は、呉の時代の繊維に由来する。女子の民族衣装は、「キラ」。「キラ」は、インドのサリーと同じようなもの。ブータン王国では、民族衣装の着用が法律で義務付けられていました(現在も義務かどうか…未確認。多分今も義務)。民族衣装着用の義務が幸福か?日本人の多くは、「服装は個人の自由だべ。義務で和服を着せられちゃあかなわない」と、言うと思いますが…。

 ブータンは原則として、「団体の観光客以外は入国させない」。鎖国状態政策、これって幸福か?日本の場合、外国人による犯罪が、非常に深刻な問題になっています。不幸ですよ、間違いなく。
 小学校から、「英語」を教える。年配者を除き、実にきれいな英語を話す。英語圏の植民地になったことがあるんじゃないかって?そんな歴史はありません。鎖国状態にしているが、「英語」はしっかり学ばせる。これって幸福?繰り返しになりますが、ゾンカ語は、世界で一番やっかい(難しいではなく、やっかい)な言語ではないかと思いますよ。文字の画数が膨大で、書くのがやっかい。

 カンボジアのアンコールワットで観光客になにやら執拗に売ろうとする幼い子たち、ホーチミン市の靴磨きの子、宝くじ売りの子。ブータンでは、子供が物売りをすることはない。

 ブータンの食文化は、トウガラシと乳製品に代表されます。そして驚くなかれ、納豆、どぶろく、焼酎、ソバ…あれあれ、日本と酷似。仏教国であり、漆器もある…漆器は英語で、「ジャパン(日本)」です。私がブータンに惹かれるのは、このブータン文化によるところも大きいのです。

 日本の幸福度は…
 2006年・・・90位(178カ国中)
 2007年・・・43位( 97カ国中)
 ブータンより、モノは豊富。交通信号も豊富。電気は点く。丹前を着なくても良い。黒船が来たので鎖国はやめた。英語が分からなくても逮捕されない。それなのに、幸福度は低い。政権が変わって、お金が(一部)国民に来るようになると幸福度が上がるかな?お金をバラ撒かれても幸福にはなるとは思えませんがね。

 「カンボジアには希望がないのでは…」希望の有る無しと、幸福か不幸かは別の問題。アンコールワットに、キティちゃんが付いた朽ち果てる寸前のサンダルを履いていた物売りの少女がおりました。彼女は、「私は、なんて不幸なんだ」と、思っているか?「私は、幸福だ」と思っているか?
 もっとも、「キティちゃんサンダル少女」の場合、幸福も不幸もな~んも関係なく、今日を生きているとは思うのですが。それが幸福なのかも?

御供物をたべる仏様

2009年09月29日 | Weblog
 アメリカからの留学生2人を、お寺の見学に連れて行った。特に有名な寺ではなく、ごく普通の町のお寺。寺の中に、お墓を建てていない人用の、納骨のローッカーがあった。お参りに来た人は、ロッカーを開けて仏壇にお花やら果物やらお菓子やらをお供えする。
 そのロッカーコーナーへも、留学生をつれて行きました。彼女らの真っ先の質問は、「(お供物を指さし)何のために、お菓子や果物を置くのか?」であった。当然の質問です。欧米のお墓参りには、供物の習慣は有りませんから。

 私は…「亡くなった人の生前の好物などをお供えするんだよ。死者が、食べるんだよ」と、まあ、ミステリアスに説明。
 どーせ、首をかしげるだろうと思ったら、意外にも大きくうなずき、理解した様子。しかも、かなり感動している。死者が供物を食う…それほど説得力のある説明とも思えないが・・・

 な、な、なんと。お供え物の横に灰皿があり、吸い殻が一本。2人のアメリカ人留学生は、「死んだ人が、好物のタバコを吸った」と思ったのでした。私の話に感動するはずです。仏壇に吸い殻があったのですから。

 ドイツとフランスのテレビ局が、「田の神」を取材したという。「田の神」の話、日本では全く話題にもなりませんでした(外国のテレビ取材で、ようやく話題になった)。
 どんな話だったか…
 「大黒天姿の田の神像(南九州市にある)」が盗難されそうになる騒ぎが起きた(5月)。住民は、盗まれちゃかなわないと、「像と台座を固定する」ことを協議した。しかし…ここからが素晴らしいのです…「像と台座を固定してしまっては、田の神様が夜中に田の見回りができない」と、固定を取りやめた。
 ドイツとフランスのテレビ局は、このことにおおいに関心をもった。そして、この度の取材とあいなった。「神話の芸術」という教養番組で、ドイツ、フランスのほか、ヨーロッパ数カ国で放送される(2010年1月)。

 「田の神の像が、夜中に田の見回りをする」日本人にとっては、「ああ、そーゆういい伝えね」で、やんわり終わりにする。もちろん内心は、「んなわけないべ!」。
 番組の監督さん(フランス人)は、「人々の、田の神への敬意に感動した」と話したという。こういう感性…本来、日本人のものだったのに。

 なお、日本での放送予定は…ない。放送しても、観る人が少ないでしょうねえ。

タコを川へ逃がしてどーする!死んじまったべ!

2009年09月28日 | Weblog
 映画「おくりびと」が、モントリオール映画祭でグランプリを受賞。さらに、米アカデミー賞を受賞した。しかし、野次馬の私なのに映画館へ足を運ぶことはなかった。なぜか?遺体を棺に納める「納棺師」の物語…納棺師になった、本木さんが、さまざまな死と向き合う中で成長していく…。「なんのために本木さんの姿を観に行かなきゃならないのか」…それが良く分からなかったので、映画館へは行かなかった。テーマにかかわるおおよその内容の見当はつきましたからね…「生と死」「家族愛」を描いた感動作でしょう!

 で…、なぜかシルバーウイークの「敬老の日」にTBS系のテレビで、「おくりびと」が放映された。「敬老会の皆さん、やがておくられますね。がんばって!」ということなのでしょうか。
 私としましては、「おくりびと」放映の時間帯…たまたま空いていたので、しょうがないので観ました(通常は勉強が忙しい…)。視聴率は21.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったという。こ、これは、私と同じ考えの人がいかに多かったかということを雄弁に物語っております。「納棺師の映画?観たくないよ、そんなもの。なにぃ!テレビで放映?だったらタダだし、しょうがないから観るか」
ともあれ、視聴率21.7%は、ものすごい数字だと思います。

 「おくりびと」を観た感想ですか?
 生きている人ならほとんど全員がお世話になる、「納棺師」。おくりびとで、地位が向上したという報道もありました。しかし、田舎へ行けば行くほど…「立派な仕事」として認められない傾向は、今後も続くと思います。これは、「死」に関わる学習が足りないからだと思います。都会ではその学習が進んでいるのかって?全く違います。都会では、「納棺師」がどこの誰だか知るよしもないということです。

 最大の感想は…
 山形へ引っ越してきた本木さんと、末広さん夫妻。御近所から、生きた「タコ」をいただきました。そのタコを、本木さんも末広さんも殺して食うことが出来なかった。このような挿話にも、「生と死」が盛り込まれているのですがね。
 それで、この夫婦、タコを逃がしに行った。どこへ?私の矯正視力「右1.2、左1.2」でしっかり観ました。川ですよ!川へタコを逃がしたのです!!
 あのね!タコは海に棲む動物なのです。川へ放流してドースル!なにぃ!「川へ逃がせば、やがて海へ出ることが出来る」だって?そんな言い訳が通用するか!

 結局、タコは川へ逃がされ…ではなく棄てられて、真水では生きていられず8本の手足をめいっぱい広げて…流されて行きました。
 テーマである、「生と死」のあしらいとして、「タコを殺して食わずに逃がした」ことを入れたかったのかも知れない。だったら、死んだタコを掬い上げ、棺(ダンボールでもよい)へ入れて、埋葬でも火葬(たこやきだね)でもしてあげればよかったのに。

 9月20日の空の日から、動物愛護週間。タコは食料ですから、愛護しないでよろしい。犬・猫を何とかしてくださいよ。どういう意味かって?
 飼い主の都合で、「動物愛護管理センター等」へ持ち込まれ、ガスで殺処分される犬・猫…その数、50万件を越えるのです(この数字は最低線。実際はこの倍かも知れません。白書を見つけられなかったので確実な線を書いておきました)。

 秋彼岸に墓参りへいって、見つけたものがあります。一家の墓に並べて、飼い犬の墓を建てているケース。死んでも愛犬と一緒に…。「おくりびと」ならぬ、「おくり犬(猫)」の職業…ありですね。だけど、「おくりタコ」は、ないぞ!

日本企業が人気ナンバーワン

2009年09月27日 | Weblog
 ベトナムへ進出しているアジアの四大国(の企業)・・・日本、台湾、韓国、中国さて、ベトナムにおけるこれらの国々の人気度は?これも、旅行ガイドブックには出ていません。

 台湾企業は、ベトナム人社員へのセクハラがひどいため嫌がられている。海外に進出している会社がセクハラというのは…驚きました。確かに台湾のセクハラは大変なもので、会社員の場合、男性は24%、女性は72%がセクハラを受けた経験がある(台湾の「1111人力銀行」の調査による。会社の名称が「…銀行」となっているが、人材銀行つまり人材派遣会社と思われます)。台湾ではどのようなセクハラが行われているか?
 第1位「ボディーへのタッチ」
 第2位「不快な言葉」
 第3位「露出や卑猥な動作」
 会社において、上司および同僚がセクハラをする。被害者の割合からして、頻繁に行われていると思われます。台湾では、あまりのセクハラの氾濫に、「セクハラ防止法」を施行しています。日本では、同様な法律はありません。
 台湾の企業で働くには、それなりの覚悟が必要です。30年前の日本も同じような状況でしたよ…。

 韓国は…南極の韓国基地内で暴力事件がありました。つい最近、映像が配信されてしまったので、世界中の人々がその暴力の様子を見ることとなりました。
 南極観測隊員の大男が、食堂でコックをやっつけたのですが…まず、椅子で殴った。椅子は木製でバラバラに壊れました。そのあと、倒れ込んでいるコックを殴る蹴る。大男なのに動きがいい(褒めてドースル)!さらに、背負い投げ!高い位置で力任せに投げた!綺麗な一本(褒めてドースル)!
 韓国人の中には、キレやすくすぐに暴力にうったえる人が(割合など誰も調査しないでしょうが)結構いると思います。アメリカでは、黒人と韓国人の抗争が目立ちました。今もあると思います。原因は、それまで黒人の仕事だった分野に韓国人が割り込みはじめたからです。
 会社で、上司が部下社員を殴るのは珍しいことではないという。ベトナム人社員へも暴行を加える。キムチと焼き肉を食べていますから強いですよ。

 中国は、「ずるい」「だます」ということで、不人気きわまりない。歴史的にも中国には辛酸を舐めさせられているということもあるのでしょう。

 さて、日本企業は?・・・「評価ナンバーワン!」いいぞ、日本!というわけで、「日本の企業=安心と、信頼」です。うなずけますよ。国際世論では、日本の場合、「企業は一流、政治は二流」と、いわれていますがホントその通り。海外へ進出している日本企業は素晴らしいです。

中国内戦を切望する…

2009年09月26日 | Weblog
 ベトナムでは、国旗(金星紅旗)の隣に、「旧ソ連邦の国旗」が掲げられている。それなのに、旧ソ連邦同様、ベトナム戦争の時に加勢してくれた中国の国旗(五星紅旗)は、掲げられていない。それはどうしてか?(実は至極簡単なことで、知ったかぶりして説明するまでもないのですが、流れで行ってしまいます)

 1979年(ベトナム戦争が終わり3年ほど経過)、中国がベトナムへ攻め込んだのです。「中越戦争」と呼ばれているもの。およそ1か月で終結。
 何でそうなったかの前に、戦闘員の比較…
 中国側軍隊・・・20万人。(ベトナム側は、60万人いたと主張)
 ベトナム側・・・10万人
 戦死者・負傷者の人数については、双方言い分が違う・・・2万人~5.2万人。ベトナム側は、民間人が1万人殺されたと主張。猫(中国)が弱りかけたネズミをいたぶるような戦争だったわけです。このとき、世界中が、ベトナムを敵視しました。それは、中国の大義を支持したからです。

 中国は、カンボジアで大量虐殺を行っていた、ポル・ポト(クメール・ルージュ政権)を支持しておりました。ベトナムは、カンボジアへ侵攻しポル・ポトを追い落とした。この、「侵入と占領が悪い」と、中国は主張したわけです。「ベトナムは、恩を忘れた裏切り者」と、いうわけです。その後も、ベトナムは旧南ベトナムの経済を支配していた華僑を迫害しました。また、ベトナム難民(ボート・ピープル)の流入は、香港にとって深刻な問題でした。つまり、中国としては、「ベトナムは、どーしょーもない国」中越戦争後も、1989年まで、何度も(中越)国境紛争を起こしております。

 以心伝心、ベトナムにとっても、中国は脅威の国。青年実業家グエン氏は、「中国は、百年に一度の割で攻め込んでくる国」と、言ってました。
 このようなわけで、「誰が、五星紅旗など掲げるものか!」というわけです。

 グエン氏に、「中国で内戦が起こることを期待しています」という言葉がありました。ベトナムの実業界において、中国が手枷足枷、目の上のたんこぶになっている。だから、内戦が起こってくれると都合がいいというわけ。
 中国共産党中央委員会内部の勢力争いは何年か前から指摘されていましたが、「内戦」にまで発展するかどうか?

 中国共産党中央委員会は、胡錦涛派(北京閥)と江沢民派(上海閥)の勢力争いをしています。党中央の統制力は…もう、ないんじゃないかな。
 江沢民派は、胡錦涛を死に体と見ています。胡錦涛派としては、だまって引き下がれない。上海閥である地方政府幹部の、収賄を摘発して死刑にしたケースも伝えられています。収賄で死刑ですから、過激です。
 内戦というからには、軍隊も出動してこなければ…。軍隊といえば、人民解放軍。人民解放軍を動かすことが出来るのは、北京閥…。現状では形勢不利な北京閥が、窮鼠猫を噛むで人民解放軍を動かして上海閥に総攻撃を加える…考えられないことではないです。しかし、上海万博も近いですし…。

 あと、内戦としては・・・「広東独立」(今、笑いましたね!)。友人のジャンボ氏の拠点である広州市は、(メディアでの情報だけですが)ものすごい活気ですよ。そのうち上海をしのぐのではないかと思います。「広東省独立(経済の単位として)」という、突飛な話も出たことがある(広州日報)。孫文はすでにおりませんが、広東軍が組織されたりすると…日本から見ているぶんには、めちゃめちゃおもしろいのですが。これもないでしょう。グエン氏が熱望する、「中国内戦」…ないだろうなー。

「金星紅旗」の横には、「鎌と槌の紅旗」

2009年09月25日 | Weblog
 ベトナムの街を歩いていると、よく目につくのが、ベトナムの国旗。「金星紅旗」と呼ばれている、赤地の中央に黄色い星がついている。赤は、社会主義国によく見られる色…(独立の為に)人民が流した血を表すのだそうで。黄(金)は、革命を表す…なぜ、黄色が革命なのか良く分かりませんが…。中央の大きな星は、これまた社会主義の象徴なのだそうで…と、なるとアメリカの国旗「星条旗」など、社会主義を50も並べているわけだ!びっくりしたなあもう。星から出る五本の光は、「労働者、農民、兵士、青年、知識人」なのだそうで…このように「これこれは、何々を表す」というこじつけをよく見かけるが、そんなもん独りよがりだべ!大体やね、「農民は労働者じゃないのか?」「兵士に青年はおらんのか?」「青年に知識人はおらんのか?」…他国の国旗にケチはつけません。「これは、何々を表す」という、「こじつけフレーズ」に、ケチをつけているのです。「赤=社会主義国」ではもちろんありません。もしそうなら、NHKの紅白歌合戦の女子は、全員社会主義者でなければなりませんから。

 ベトナムの国旗の隣に、決まって「旧ソ連邦の国旗」が掲げられていました。どんな旗かって?赤地(赤旗)に黄色で鎌と槌、その上に目立たないが、黄色で縁取られた赤い星(五芒星)が描かれたもの。
 「今頃、旧ソ連邦はないだろう。ロシアの間違いじゃないか」って?いくら私でも、旗の区別はつきます。ロシアの国旗は「白、青、赤の横三色旗」、赤旗ではありません。

 ソ連邦は11(ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、モルドバ、アルメニア、アゼルバイジャン、グルジア、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギス)だったはず。ベトナムはソ連邦に加盟していたわけでもないのに、なぜ旧ソ連邦の旗を大切に掲げているか?

 ベトナム戦争(「ベトナム紛争」という方が的を射ているかも知れない)は、南北ベトナム間の戦争。しかし、その実態は、「ソビエト連邦…共産主義」VS「アメリカ…資本主義」。いわゆる、熱戦でしたね。(冷戦で殺し合うので、熱戦としましたが…あまりおもしろくないかぁ)
 ベトナム戦争当時、私など報道を信じて疑わないものですから、「南ベトナム解放民族戦線VS南ベトナム政府とアメリカ合衆国の連合軍」だと思っていました。しかし、その実態は…南ベトナム政府やアメリカ合衆国と戦った共産主義勢力の主体は北ベトナムとソビエト連邦そして中華人民共和国だったのです。知ってるって?当時は知らない人が多かったと思いますよ。「南ベトナム解放民族戦線」は…日本では元凶のような扱われ方でしたよ。一体あれは何だったんだ?
 ベトナムは、旧ソ連邦の支援を得て、ベトナム戦争に勝利した。だから40年経った今も、「旧ソ連邦の旗」を、大切にしている。義理堅い人達ですね、ベトナム人って!

 旧ソ連邦の国旗にも、「何は何を表す」という「だから、なんなんだ!」と言いたくなるような説明があります。赤は社会主義というか共産主義というかを表す。槌は労働者で、鎌は農民。やはり、農民と労働者は別らしい。「五芒星は何を意味するか?」…五大陸の労働者と共産党の団結なのだそうで…勝手に決めて喜んでいなさい!あ!もうなくなっている連邦ですね。

 そうゆうわけで、ベトナムは、旧ソ連邦を大切にしています。ロシアは大切にしていないのかって?私の考えでは、「ロシアは、な~んも関係ない!」ってところでしょう。
 「中国だって、北ベトナムと南ベトナム解放民族戦線に協力しただろう。義理堅いのなら、五星紅旗(中国の国旗)も掲げるべきじゃないか」って?それについては・・・明日書きます。

カンボジアに希望は…

2009年09月24日 | Weblog
ホーチミン市へ行って、「ベトナムは、希望が一杯。現在は、セコンドで走っているが、サード、トップへとつなげるだけの速度を感じさせる域に達している」と思いました。しかし、カンボジアでは、「希望があるのか?ローで走ってはいるが、ガス欠しそうだし、エンジンが焼けるのでは…」と、心配になりました。

 カンボジアの産業は、典型的な第一次産業(農業、漁業、林業)。そして、アンコール遺跡群に代表される観光産業。僅かではあるが、縫製産業も成長してきている。話題になったジーユー(ユニクロの子会社)の990円のジーンズは、カンボジア製です。
 何が良くないか・・・主産業である農業の労働生産性が低いのです。そのため、農産物は国内需要をも満たしきれない。これでは、外貨を稼ぐことが出来ない。
 いきおい、アンコール遺跡群に依存することになる。外国人観光客には、ビザを取得させ、一人20USドル徴収する。空港利用税として、一人25USドルを徴収する。アンコール遺跡群観光パスポートは、1日券が20USドル。観光客が一人来れば、最低65USドルの売り上げ。これは大きいです。アンコール遺跡群のお膝元のシェムリアップが、近い将来カンボジア第一の都市になるという話は、夢物語ではないでしょう。

 ソフトバンクの孫社長似のガイドさんが、「この国は、観光で大きくなるんだ」と目を輝かせていました。目を輝かせるのは勝手です。暴力団でも、チンピラでも澄んだ瞳を輝かせております。服役しておられる皆さんも、規則正しい生活のためか、澄んだ美しい瞳をしていますよ。目の輝きやら、澄んだ瞳とやらで、人を判断してはいけません。私など、充血して濁った目で、輝きなどありません。しかし、献身と倫理に裏打ちされた立派な人間です。法に触れることはしていません。

 この「観光」ですが、副食にはなっても主食にはならないと思います。福島県のある市で、観光に大幅な予算増が提案されました。市長は観光に反対で、「観光客なんて、小便して帰るだけだ」と、言い放ちました。この市長さん、見識が高いです。「観光で、地方公共団体が潤う」これは、ないでしょう。カンボジアも同じです。アンコール遺跡群に頼っているだけでは、希望がない。100年経っても、子供が学校へも行かず「物売り」をしているのではないか。

 では、どうすればカンボジアに、希望の明かりが灯るのか。まず、カンボジアが独自で出来ることは、「ない」ので、日本をはじめ世界中で支援しなければなりません。その前提の上で、どうするか?
1 農業 自給自足出来るまでに生産性を向上させる。換金作物はそのあとの話。
2 鉱業 眠っている、マンガンとリンを掘る。
3 教育 識者の中には、「どうして、三番目に書いた!教育が第一だろう」と、おっしゃる方がおられると思う。それは、理想。腹が減っては、勉強も出来ません。

 カンボジアの教育には、悲惨な歴史があります。20世紀の中ごろ、ようやく学校教育の形ができた。しかし、フランスに支配されていたため、学校ではフランス語でフランスの歴史や社会などが教えられた。植民地はどこでもそうだったように、カンボジアにいながら、カンボジアのことはが分からなかった。独立後、冷戦のあおりを食らっていいように振り回された。そして、ポル・ポト。3年間で、カンボジア人口の30%が殺害された。学校は破壊され、教師は殺された。ようやく形を整えようとしていた教育そのものが破壊されたわけです。

 そして、現状は、一日二交代制の授業形態(校舎、教員数の関係)。1日4時間程度の授業です。教員も、中学校を卒業して、小学生を教える。報酬では食っていけないので副業を持つ。副業といえば聞こえがいいが、「(観光客への)物売り」しかない。
 就学率は、小学校で約70%。中学校35%~40%。高校20%(高校自体、都市部にしかない)。文字の読み書きができるカンボジア人は約40%。その数字のほとんどが都市部であって、地方の識字率は非常に低い…。

 親の収入と子の学力の相関は、今や当たり前となっている。となると、国の収入と国民の学力も相関が。カンボジアに希望は…。

アンコールワット 「アンティークマンのカンボジア」第5話 

2009年09月23日 | Weblog
 アンコールワットへ行ってみたいなあと思ったのは、中学生のころ。
 19世紀後半に、フランスの博物学者(アンリ・ムオー)がジャングルの中で眠っていたアンコール遺跡群を見つけた、という話を聞いたときです。9世紀から、550年間にわたって建造された、都城や寺院。アユタヤに攻略されて、原生林におおいかくされた遺跡群。幼少時から、好奇心の塊というか野次馬最前線というか…だったので、「いつか見てみたい」と、思いました。あれから、50年。目の前に本物のアンコールワットがある。もうそれだけで十分なのですが、折角来たんだから一応中も見ることに…。

 アンコールワットを囲んでいる濠は、東西1.5km、南北1.3kmの正方形に近い長方形。濠の幅は、200m。通常観光客は、「西参道」の200mの橋を渡ってアンコールワットへ入る。北参道とか南参道とかは、ない。東参道もないが、東にも濠を渡る橋がある。
 西参道を渡ると、「象の門」が待ちかまえている。

 「西参道→象の門→西塔門→経蔵」の順に真っ直ぐ歩くと、「聖池」が見えてくる。よくみられるアンコールワットの写真には、尖塔(「祠堂」という表現も見られるが、よく意味が分からないので、尖塔と書きました。理由?先が尖っているので…そのまんま)は3塔、カンボジア国旗の中央にも3塔です。しかし、実際は5塔あります。真っ正面から見ると、後ろの2塔が隠れるのです。この、「聖池」は、中央の道の左右に分かれるため、水面に映るアンコールワットの尖塔は、5塔です。

 建物の中へはいると、アンコール・トムと同様、回廊には、見事なレリーフが。トムのレリーフは、「生活、儀式、戦争」なのに対し、ワットの方は、「神話や物語などが中心」。あちこちで、神様と悪魔の戦いが描かれておりました。

 アンコールワットには、数カ所「不思議なエリア」がありました。その部分に立って胸を叩くと、建物が共鳴するのです。石の遺跡がですよ!「ブオンブオン」と派手に共鳴します。手や足や荷物を叩いても、共鳴しません。胸だけです。12世紀の末に、何のために、どうやって共鳴の場所を造ったのか?「入る人が、健康か否かをチェックする場所」という説もある。タ・プローム寺院にも同じように「共鳴の場所」があるところから、偶然出来た場所とは思えません。

 個人的に興味深かったのは、プールです。東西南北、4つある。もちろん石作りの立派なプール。4つのプールは同じサイズで、タタミにして、1つのプールは、40畳ほど。水は、150cmほどの深さまで入れたと思われます。なぜ、寺院にプールが必要だったのか?お坊さんが、アクアウオーキングでもしていたのか?水が入っていなかったので、さすがの私もアクアウオーキングすることは出来ませんでしたが、アンコールワットの住人だった皆さんに急に親近感が湧きました。暑いところなので、沐浴を楽しんでいたのでしょう。人生、アクアウオーキングですよ。

 私より先に、日本人がアンコールワットへ行っていたんですよ。内部の中央(中央祠堂と呼ばれている)に、日本人の落書きがありました。と、思ったら落書きではなく、真面目に書いたもの。1632年に、日本人の森本右近太夫一房(名前が漢字8文字、こりゃあテストの時自分の名前を書いているうちに、他の人は第1問を終えてるね)なる人物が、アンコールワットを参拝した。その際、壁面に墨書を残した。「御堂を志し数千里の海上を渡り ここに仏四体を奉るものなり」と。それから、およそ230年間アンコールワットは眠りにつき、フランス人のアンリ・ムオーに再発見された。

 アンコールワット、30年かけて建造したという…重機がない時代ですから、手手作り。内部から、尖塔を見上げたとき、「岩が落ちてこないかどうか」心配でした。そういう問題じゃなくて、「人間」の力の素晴らしさを改めて確認させていただきました。世界遺産を見る度に、「凄いなあ人間って!」と思うのです。

 気になるのは…宿泊したシュムリアップナンバーワンのホテルには、日本人スタッフが3人おりました。あの人達の給料なのですが…まさか、カンボジア人並の月30USドルはないでしょう。日本円にして、月給3,000円たらず!これはない。しかし、十倍の30,000円。これもないでしょう。同じホテルの従業員で、「日本人だから超高給」…ないない。となると、日本人スタッフの待遇はどうなっているのか?
 え!「アンコールワットまで行って、そんな感想を持つなよ!」って?アンティークな人間の真骨頂(または、とりこし苦労)です。

樹木に破壊された遺跡 「アンティークマンのカンボジア」第4話 

2009年09月22日 | Weblog
 アンコール遺跡群は、強度に問題がある。石が、「ラテライト」であることと、すべての石が留め金もなくただ単に積まれているから。

 9.11の1か月後(8年ほど前)、「トゥームレイダー」という映画が公開されました。「それって、ゲームだろう」って?ゲームを映画化したものなんです。
 主人公は、トレジャー・ハンターの女性。この女性が、007の女性版…スパイダーウーマン…。古代の秘宝に関わる謎解きで、ロンドンの地下迷宮からアンコールの遺跡、アイスランド、ヴェネツィア、そしてシベリアにまで飛ぶ。世界中を駆け巡り、やがて謎を解き明かすのですけど…。

 この映画で、舞台になったアンコールの遺跡は、アンコール・トムでもアンコールワットでもなく、「タ・プローム寺院」。

 このタ・プローム寺院は、樹木に侵略され破壊されつつある遺跡なのです。どーゆう意味かって?聞いてびっくり、見てびっくりなんですが…
 アンコールワット遺跡群に繁る樹木は、30m級が多いのですが、その中に「スポアン(ガジュマルの種類)」という、樹皮が白い木があります。この木の根が、伸びて太ると地下で盛り上がり、地上に石を積み上げただけの遺跡を崩してしまうのです。私は思わず、「ポルポトの仕業か?」と、とんちんかんな質問をしてしまいました。爆撃のあとのようだったからです。木の根が石の建造物を、完膚無きまでにがれきの山にするなんてアンビリーバブルでした。

 スポアンの巨木は、その根で寺院の敷石を持ち上げ、寺院の壁に網をかけたように包みこんだ。石の建造物を絞め殺し、踏み台にして天高く伸びている。露出している根は、まるで大蛇です。しかも、直径数m、長さ数10mの超巨大な根。寺院内にいったい何本のスポアンの巨木があることか!
 昨年アユタヤで、仏頭が木の根に取り込まれたのを見ました。自然の力に感嘆させられたのですが…タ・プロームのスポアンには…アユタヤも降参です。

 タ・プローム寺院の見学は良かったのですが、遺跡と全く関係ないところで疑念が。我々は、アンコール遺跡群の観光ツアー(ホーチミン市~シェムリアップ)を、日本の代理店経由で予約しました。その内容には、タ・プローム寺院の観光は入っていませんでした。その日の朝、「トゥームレイダーの舞台になった遺跡へも行ってみたいね」という話をしました。話だけで、お願いはしておりません。しかし、ガイドの孫社長が案内してくれた。良かったじゃないかって?…1人、25USドルを別途徴収されたのです。回り道したわけでもない、道すがら立ち寄っただけ。4人の合計100USドルは、全て孫社長の懐に入ったんじゃないのか!?
 孫社長への疑惑はもう一つ。昼食のレストランですが、屋外の床屋の細い路地を右折して…畑の中を通ってたどり着いた薄汚いレストラン。昼食時なのに、客は我々4人のみ。従業員は、珍しそうに我々を見ている。異星人を見るように、遠慮会釈なく見ている人も。食器はかなり使い込んでおり、欠けたものまである。トイレへ行く途中の草むらには、3匹のトカゲがチョロチョロ遊んでいる…。料理?まれに見る質素なもの…。他の、アンコール遺跡群ツアー客は、「半ズボンで入ることがためらうような立派なレストランで、ビュッフェ形式の豪華な昼食をとった」と、言っていました。それが、普通ですよね。
 孫社長に、まんまとヤラレタかも知れません。

アンコール・トム 「アンティークマンのカンボジア」第3話 

2009年09月21日 | Weblog
世界遺産の敷地内は、人が住むことが出来ないことになっているのだそうですが…普通に住んでいるんです。世界遺産敷地内であるアンコール遺跡群周辺のジャングルに粗末な家を建てている。家とは呼べない代物ですがね。家の周囲には、少しの畑があり、熱帯の密林には果樹が実っていました。ガイドの孫社長によると、代々住んでいる人たちなので、世界遺産に指定されたあとも追い出すことが出来ないまま現在に至っているとのこと。世界遺産敷地内住人の子供達が、アンコールワットの濠で泳いでいました。

 そもそもアンコール遺跡群はいつ頃建てられたものなのか。9世紀に、当時一帯を支配していた、「ヤショーバルマン一世」が、4km四方の「大環濠都城」を建造し始めた。およそ、550年間にわたって都城と寺院が建設されていった。王都がアンコール・トム、そして12世紀に建てられた大寺院がアンコール・ワット。アンコール王朝は15世紀にアユタヤに攻略された。そして、原生林におおいかくされてしまったわけです。
 19世紀後半、フランスの博物学者(アンリ・ムオー)がジャングルの中でこの遺跡群を再発見。

 迎えの車で、アンコール・トムへ出発。ものの5分も経たないうちに、政府観光局のチェックポイントに到着。ここで、遺跡内に立ち入るためのパスポートを購入する。顔写真を撮影され、その写真付きのパスポートが発行される。入場料は、1日券が、20USドル(カンボジアの平均月収は約30USドル…)。3日券、1週間券もありました。このパスポートは、遺跡入場の都度提示を求められました。

 アンコール・トムは、王様の名前が、「トム」なのかと思ったら、クメール語で「大きな都市」という意味だという。アンコールワットの北に位置しています。
 濠と、ラテライトで作られた8mの高さの城壁で囲まれている。ラテライトというのは岩石なんですが、スポンジのような穴がたくさんある石。注意深く見ると実に多く使われていることが分かります。乾燥させると強度は出るらしいが、いかんせん穴あき石ですから割れやすい。採取しやすかったから使ったと思われます。アルミニウムや鉄分を多く含んでいるようで、赤い色が特徴。未舗装道路を走ると、「赤い埃」が舞うのですが、これはラテライトが砕けて砂状になったもの。

 アンコール・トム、12世紀末から13世紀初めにかけて建設された。外周は、南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門の5つの城門がある(各城門は塔になっており、東西南北の四面に観世音菩薩の彫刻が施されている)。
 私どもは南大門から入ったのですが、濠を渡って門へはいる橋の欄干がおもしろい。欄干では、神様と悪魔が綱引きをしているのです。その綱は、何とコブラ。綱引きならぬ、「コブラ引き」。コブラの直径は約20cm。巨大なコブラです。そして、そのコブラは、頭が7つある!おもしろいと思ったのはこれです。日本には、「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」という頭が8つあるヘビが神話に出てきます。アンコール・トムでは頭が7つのヘビです。「日本のヘビ、勝ったな!」という話ではなく、日本にあり、カンボジアにある、この「多頭蛇」の文化…。こういうのを「夢とロマン」という。感動しました。なお、コブラを、「ナーガ」と呼んでいる。長いからかな。

 中心にバイヨン(仏教寺院)が建っている。バイヨンのおよそ50の堂塔には、「クメールの微笑み」といわれている笑みをたたえた観世音菩薩が彫られている。それも、堂塔四面に、大きさは堂塔により違うが、顔の直径が3~4m、巨大なものです。どのように微笑んでいるか?口の両側を上げている。つまり、への字口の反対。
 壁面には、途切れることなくレリーフが彫られている。その全てに、物語がある。

 レリーフが彫られている石は、「砂岩」。80kmほど離れたクーレン山脈から切り出してきたといわれています。現在日本政府の支援で修復作業が進んでいますが、修復用砂岩は、やはりクーレン山脈から運んでいるとのこと。砂岩の採取も、地雷と、コブラと、サソリで大変だと思います。
 修復中ですが、(王宮を除き)見学にはおおきな支障なし。「日本の援助で行われている」と説明する真新しい看板も立てられていた。いいぞ、日本。このようなことにお金を使うのであれば、高額納税者の私としても、ますます税金を納めたくなります。高額納税者の基準?普通に納入しておれば高額納税者です。

 バイヨンは確かに素晴らしいが、シバの神殿跡、象のテラス、ライ王のテラスもいいですよ。王宮もいいらしいのですが、工事中で立ち入り禁止でした。ガイドに説明していただかなければ、何が何だか分からない。お金をかけても、ガイドを雇うべきですね。

 象のテラスで、物売りの少女に見込まれてしまった。見かけは、5~6歳だが、実際は10歳ぐらいなのかも知れない。明らかにクメール族。かぼそい声で、「マイマザー…」と、訴えている。「うるさい、あっちへ行け、シッシッ」と、追い払えないのが日本人のアンティークなオヤジの特徴。しかし、甘い顔は見せられない。服は、いつ着替えたか不明なほど汚れていた。シャワーも風呂も入ったことがないのではないか。振り切ろうとする私に追いすがっては、「マイマザー…」。
 翻訳すると、「マイマザーが病気だけど、食べるものがない。このお土産品買ってよ」であろう。または、「マイマザーは、コブラツイストが得意。お金を持って帰らなければコブラツイストの餌食にされる。だからお土産品を買って」。私が買わないと読むと、家内へターゲット変更。よせばいいのに家内は、「マイマザー…」に対して相づちを打っている。いつから、カンボジア語を話すようになったんじゃー!
 家内が、「キティちゃん」と、言ったら、少女がニコッと笑った。通じている!
少女は、キティちゃんがついているサンダルを履いていたのです。そのサンダルも…日本サンダル協会から表彰されるような代物。生まれて以来、洗ったことがないのではないかと思われるほど汚れた黒い足がのぞいていました。
 何も買ってやらなかったのかって?買いませんでした。1USドルをけちったのではありません。後進国の人々をスポイルさせてはならないからです。