アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

ジャパンの高度な技術は縄文人が始祖

2015年07月31日 | Weblog
 縄文時代は、縄目の模様を付けて焼いた土器を使って暮らしていた時代…。と、ところが、縄文遺跡から漆塗りを施した土器や装飾品などが多数出土している…?
 縄文時代は、今からおよそ12,000年前~25,000年前まで…つまり、およそ10,000年間も続いた。1万年間あれば、「縄目模様の土器から漆塗りの装飾品」まで進化してもなにも不思議はないですね。今でも日本を代表する伝統工芸品の技術は縄文時代に出来上がっていたとは!

 で、また疑問が。「日本には漆が分布していなかった」というではないか!それが、1万2千年前にはあったのか?まあ、あったから、「漆塗り」が出来たわけですがね。つまり、縄文人は、大陸と交易していたということになる。縄文人凄い!。

 漆器は、英語で「ジャパン」。縄文時代には、「ジャパン」とは呼ばれていなかったでしょう。江戸時代には、ジャパンと呼ばれていた。いつ頃漆器がジャパンになったのか?ヨーロッパのオリエンタリズム華やかなりし頃ころからでしょう。16世紀の大航海時代以降ですね。

 なぜ、陶磁器が「チャイナ」で、漆器が「ジャパン」かって?縄文人が、漆を今の中国からもちこんできたわけで、漆の本場は、今の中国。と、いうことは、漆器を「チャイナ」にしてもよかった?
 東インド会社は、中国の陶磁器をヨーロッパへ輸出していたわけで…陶磁器を「チャイナ」と呼んでいた。17世紀なかごろに、清が中国の王朝となって海禁令を出した。東インド会社は、チャイナの代用品として、日本の陶磁器を買付けヨーロッパへ持って行った。もちろん、漆器も持って行った。そんなわけで漆器をジャパンと呼ぶようになった。まあ、こんなところでしょう。
 なぜ7月31日に、「漆器のはなし」なんだって?あ、朝ドラで、輪島塗の跡継ぎのことをやってたもんで…。市役所の部長から、塗り師に転身して五代目を継いだ。…ドラマとはいえ、そんな簡単なものなのかねえ?
 それにしても、縄文人、凄いわ!

酒好きには悲観主義がいい

2015年07月30日 | Weblog
 還暦までは悲観主義者でした。
 還暦を過ぎ…今や、楽観主義に宗旨替えをしなければならないことになっています。
 「どーゆーことか?」って?ワインのフルボトル(早い話750ml)を飲む過程の悲観、楽観の問題なんですがね。
 バーナード・ショーの性格判断法…。ショーは、グラスに入っているワインを見て、「まだ半分もある」と言うのは楽観主義者。「もう半分しかない」と思うのは悲観主義者。

 還暦までの私は、フルボトルのワインを前にして、「(もっと飲みたいのに)もう半分しかない(悲観主義)」と、思っていました。と、ところが、還暦を過ぎて…65歳頃からとみにアルコールに弱くなりました。フルボトルを空けるのがきつくなってきたのです。よって、「まだ半分もある。頑張って飲まなきゃ」…つまり、楽観主義者になったというわけ。えっ?バーナード・ショーの性格判断とは違うんじゃないかって?言葉上は、合っているような…。

 安全保障関連法案の審議時間…「100時間を超えたよ。PKO協力法の時よりも多い」…これ楽観主義者。「まだまだ、不十分」…これ悲観主義者。
 楽観主義と悲観主義、どっちがいいか?これは個人の受け止め方の問題。どっちでもいい。ただ、私としましては、悲観主義がいいですねえ。安全保障関連法案に関わるものではなく、「ワインを飲むこと」に関してですけどね。

 いまいち、安全保障関連法案に真剣になれない。なぜかって?「タラ、レバ、想像、推測、仮定、思い込み、誘導…」これじゃあ、楽観主義と悲観主義の「空虚な言い争い」。真理も審理どこかに行ってしまっている。

 バーナード・ショーならば、安全保障関連法案についてどう言うだろうか?
 「間違った知識には注意せよ。それは無知よりも危険である」…これは、一強多弱の一強を揶揄しているのか?
「すべての偉大な真理は、最初は冒涜の言葉として出発する」…これは、一強多弱の多弱側に立った言葉?
 バーナード・ショー、どっちの肩を持っか…よく分からん。ショーはナチス擁護なんですよ…。
 それにしても、フルボトルのワインを空けられないようになってきた…。私の体の安全保障関連?個別的自衛権?

しっかりしようよ!日本人!

2015年07月29日 | Weblog
 吹田市で臨時職員として働く知的障害者の男性が、父親の病気が重篤になったことを理由に、吹田市から成年後見制度に基づき保佐人をつけることを勧められた。 で、言われるがままに従ったら…「被保佐人は公務員になれない」という地方公務員法の規定で失職させられてしまった。2015年の日本の話ですよ!障害者への人権侵害を、「公」が行っている。厳密には、その後の話もある…。
 …被保佐人より症状が軽いとされ、欠格事項にも触れない被補助人となって復職できた。めでたしめでたし…かと思いきや、吹田市は九年間継続してきた臨時職員の契約を、期限切れとともに更新しようとしなかった。あらら、深い深い事情があったんだと思う。しかし、私ども庶民には、「障害者への人権侵害」としか映らない。

 明治以来の「禁治産・準禁治産制度」は、本人の基本的人権、自己決定権を無視して差別的だということで、成年後見制度に改められました。
 し、しかし、B,BUT!「地方公務員法」は、基本的人権の精神に配慮することなく、欠格事項の「禁治産者、準禁治産者」を「被後見人、被保佐人」に書き換えて維持してきたのです。
 そんなわけで、「障害者雇用率向上」→「財産保護のため後見人、保佐人をつける」→「(まってました!とばかりに)解雇」…こうゆうこと?

 仙台市では…仙台市議選(8月2日投開票)の立候補者が選挙カーの使用を地元警察署に事前申請したところ、法律に適合していたにもかかわらず不許可とされた。人権問題ではないが…警察!なにやってんの?「法律の規定を読み間違っていた」んだと!これひどいでしょ!
 
 で、その後の話もある。選挙カーが不許可になった立候補者は、大急ぎで別の車を用意した。し、しかし!2台目も不許可とされた。で、3台目を調達したという。警察による選挙妨害でしょ!「どうゆうことだ!?」不許可になった1台目は、別の選挙で問題なく使えていた。陣営が宮城県選管に確認したところ警察の間違いだったと分かった…。アジャッパー!(←古かったですね)
 この一件、「人権問題じゃない」としたことを撤回します。「人権問題です!」立候補者が2日間も選挙運動出来なかったんですよ。いじめなんてもんじゃない。さらに、選挙カーを3台も用意しなければならなかった。落選したら宮城県警が何らかの保障をしてくれるんでしょうか?

 障害者への人権侵害、選挙立候補者への人権侵害…しっかりしようよ!日本人!グライダーは落ちる。飛行機も落ちる…。しっかりしてくれよぉーーーっ。

セクシャルマイノリティ…微積分より難しい

2015年07月28日 | Weblog
 山下敏雅さんという弁護士さん…最近よく聞く名前です。で、山下弁護士さんの講演会に行ってきました。およそ2時間、パワーポイントの画像を見せながら、呼吸していないんじゃないかとさえ思われる早口で、しゃべりっぱなし。
 これまで聴いた講演のほとんどは、睡魔との戦い…「時間の経過がこれほど遅いとは~~~っ!」と思うものが多かった。しかし、山下さんの話には引き込まれました。歯槽膿漏の痛みも、鼓膜切開の痛みも、頻尿も忘れていました。

 講演題は、「性的少数者と人権」副題が、「クラスに一人はいるセクシャルマイノリティ」。おそらく、団塊の世代のみなさんには、もっとも敬遠したい分野ではないかと…自分がそうだからかな。思い起こせば、学生時代(半世紀前)の友人には、毎日、新宿2丁目へ行っていた人もおりました。私も何度かですが行きました。もちろん、「ゲイ」の街とも知らずに。お断りしておきますが、私は、「ストレート(ゲイではない人をその筋の用語ではこう呼んでいる)」です。

 この秋に、成人向けの講演を三回やることになっているのです。一回じゃなかったのかって?増えるんですよ…これからもっと増えるかも知れません。人権に関わる講演ですから、「セクシャルマイノリティへの人権問題」を避けて通るわけにはいかない。かといって、よく分かりもしない分野について、知ったかぶりして話したくない。そんなわけで、セクシャルマイノリティに関する日本の第一人者である山下弁護士の話を聞こうと考えたわけです。このように、私の講演には、膨大な時間(寿命)とお金が費やされているのです。聴衆に恩を着せるつもりはありません。講師の良心です。私ごときものの話を、「命を削ってまで聴いてくれる」わけです。聴衆が、「アンティークマンの話を聴くことに寿命を費やしてよかった!」と思ってくれるような講演にしなければね。

 前置きはさておき…(前置き長っ!)どの話も興味深かったのですが、「性別について」が印象的でした。
 1 身体的性別…これはハッキリしています。
 2 性自認(心の性別)…これが難しいところ。病気なのか、障がいなのか、正常か?
 3 性的指向(嗜好、志向ではない)…こ、これも。
 例として…「身体的には男で、心は女であると信じ、男が好き」もあれば、「身体的には女で、心は男で、男が好き」これもある。組み合わせ自在…。バイセクシュアルの分野もあって、男女どちらにも恋愛や性愛の対象が向く…あるいは、同性か異性かなどという問いそのものを拒否する…。

 講演前は、「同性同士」の結婚を認めたら、人口はますます減るだろう…ぐらいの野次馬の発想を持っておりました。そんな軽い問題ではなかった。講演を聴いた後は、「もう人口なんて減るにまかせときゃいいや。人権を尊重して、好きなようにすればいい…」と、思いましたね。正気かって?基本的人権を尊重したら、そう考えるほかないんじゃないの?
 私は決心しました。私の講演では、セクシャルマイノリティについては、軽~く触れるだけにしますワ。自分で、咀嚼できていないもん。

 セクシャルマイノリティは、クラスに一人はいる…本人が気づかれないようにしているだけだ…。先生にカミングアウトしたら、「研修旅行楽しみましょうね」って言われる…。それは止めてくださいよ!とにかく、受容的態度、共感的理解…

78歳のばあちゃんと孫

2015年07月27日 | Weblog
 日本の最北端を目指すツアーの参加者に、78歳のばあちゃんと、30歳前後の孫のコンビがおりました。孫は、男性。
 ばあちゃんは、徳島市在住。じいちゃんに先立たれ、一人暮らし。孫は神戸の高校から、北海道の大学へ。北海道に就職して現在は札幌市在住。
 「ばあちゃん、最北端の離島を旅行しないか?」と、呼びかけた。
 ばあちゃんは、神戸の娘(孫の母親)へ電話した。娘は…
 「来年はないよ(来年は生きているかどうかも分からない。行ける状況の時に行ってきたらいいんじゃないか)」
 その言葉に背中を押され、ばあちゃんは孫と最北端を目指すこととした。

 ばあちゃんも偉いが、孫が素晴らしいね。徳島のばあちゃんと、最北端を二人旅…発想すら湧きませんよ。
 旅行中の様子は…仲のよい祖母と孫そのもの。夕食では2人ともビールを飲む。1キロメートル程度の道を散策する場面もありましたが、78歳のばあちゃんは何の問題もなくクリア。今時の78歳には、呆れます。強いっ!

 私が、78歳になったら、孫は14歳。一緒に旅行はぁ…微妙な線です…というか、ないですねえ。なにより、私の生存が危ぶまれます。「来年はないよ」という言葉にひっかかります。
 ツアーの人間模様…おもしろいワ。

認知症の父親と最北端を目指す兄弟

2015年07月26日 | Weblog
 80歳を超えた父親、60歳代の長男と二男夫婦。この取り合わせの四人組が日本の最北端へ向かっておりました。
 偉い息子たちだなあと思いました。父親は、要介護2程度の認知症。大柄で、足は丈夫。耳も普通に聞こえている様子。よって移動は問題がない。しかし、回路が断線しがち。道があれば道に沿って歩いていく。息子たちと嫁さんが付いていても、目を離した隙に別の道を20メートルも進んでいたり…。嫁さんの声が結構きつい…「おとうさん!どこ行くの!」。長男が慌てて父親を連れ戻す。そんなときの、長男、二男の顔が、なんともションボリ…。

 この息子さんたちが偉いと思うのは、認知症の父親を家に軟禁状態にして死ぬのを待とうというのではないところです。自分たちを育ててくれた父親、回路が怪しくなっているが、動けるうちはとにかく外へ連れだそう。立派だ!
 二男の嫁さんも、きつく叱ることもありましたが、「私は、お父さんの付き添いで最北端なんぞ行かないよ」ではなく、一緒に来た。偉いですよ。最高評価をあげたいです。言葉がとがるぐらいは、評価の参考にもなりません。認知症の介護は、泥まみれなんてもんじゃないのです。罵倒するならよくないが、「おとうさん!どこ行くの!」…何の問題もないです。介護は、決して綺麗事ではありませんよってに。

 どうして最北端を目指したんでしょうねえ。認知症になる前にこの父親が、「樺太はよかった。もう一回行きたい。無理なら最北端でいいや…」てなこと言ったのかなあ。
 
 息子たちにつれてきてもらって、幸福な父親です。だけど、子どもたちの気持ちなど、分からなくなってしまっている。誰しもが通る道。認知症の予防より、「認知症は必ず発症するもの」と覚悟し、意識がしっかりし体が動くうちに活動する…。これが一番幸せな人生の送り方かな。

正体不明のツアー客たち おもしろくも危うくも

2015年07月25日 | Weblog
 日本の最北端ツアー(稚内・利尻島・礼文島)に、5人組が参加しておりました。5人の内訳は、年齢順に…「70歳ぐらいの女性」「54歳ぐらいの女性」「38歳ぐらいの男性」「33歳ぐらいの女性」「11歳の女性」。
 11歳の女性は、子どもを見る目が確かな私には、小2ぐらい、つまり7~8歳に見えました。で、「何年生?」と尋ねたら、「5年生!」という。びっくりしました。世の中に、これほど幼い5年生がいるとは!
 その少女から、大人4人の関係を推測するに…両親と、おばあちゃん。そしておばあちゃんの妹…そんな感じ。そんな5人がなぜ最北端を目指したのでしょうか?
 誰かに追われて逃げている…そんな雰囲気もありました。5人全体を覆う悲壮感。普通の家族が小5の女の子を連れて最北端を目指すものか?なるべく近くに居るようにして、情報収集にこれ努めました。父親がとりわけ暗い…。ひょっとして無理心中?これは危ない…。なるべく密着するようにしておりましたが…不特定多数の前では心中は無理か。心中ではないにしろ、きっと何かあるはずだ。が…とうとうシッポを出しませんでした。…まったくぅ!

 気分転換に、もう一人を俎上に。
 ホテルを出てフェリー乗り場に到着しましたところ、「ホテルのロビーにスーツケースが置き忘れられているが心当たりの人はいないか?」という連絡が。
 ツアー客37人の中には該当者がいなかったぁ…。がっ、「私のスーツケースがない!」と騒ぎ出したツアー客の女性が!年齢は75歳ぐらい。添乗員が、「ホテルに忘れたんじゃないですか?」と問うと…「いえ!ここ(フェリー乗り場)まで確かに持ってきたのです。トイレに忘れたかなあ?」。
 私の脳裏に、この老女のスーツケースが見つからなければ、ツアーは中止になるんじゃないか?そんな思いがよぎりました。よって、出しゃばって老女にスーツケースの特徴を聞き出し、「みなさん、探してください」とツアー客に声をかけた。それほど広くもないフェリー乗り場、隅々まで探したが、スーツケースなどない。  フェリー出航の時刻まで20分。乗船が始まった。最後の手段は、老女にホテルへ戻ってもらって、忘れ物のスーツケースが自分のものかどうかの確認をしてもらうしかない。添乗員に進言し、タクシーでホテルへ戻ってもらった。
 待つ事、10分(ホテル~フェリー乗り場は、タクシーで3分ほど)。スーツケースを持った老女、満面の笑みで御帰還!スーツケースには名前をつけましょう!

 大山鳴動して…フェリーは利尻島へ向かったのでありました。またく、なんなんだ!おもしろすぎるワ!

ウニもいいけど釣りもいい

2015年07月24日 | Weblog
 利尻島の、利尻町沓形(くつがた)にある、「かもめ」というレストランで、「ウニ丼」を食べました。熱々御飯にきざみのりを敷き詰め、その上に、「これでもか!これでもかっ!」と、生ウニを載せる。その上にわさびを生醤油で溶いたものを軽く振りかける。ウニの層が厚いので、御飯にたどりつくまでがたいへんでしたよ。JRとフェリーとバス…合計10時間かけて離島まで来た甲斐がありました。この「ウニ山盛りウニ丼」が…わずか、せ、せ、せ千五百円!!エゾムラサキウニか、エゾバフンウニかで値段は倍も違いますが、北海道本土で食べると、四千五百円~九千円です。

 そんなものすごいウニ丼を飲み込むようにさっさと食べた私は、港へ出ました。なぜ味わって食べなかったのかって?実は、「かもめ」へ入る前に、港で釣り人を見たのです。「真っ昼間の築港で、何が釣れるんだろう?」気になって、気になって、ウニ丼どころではなかったのです。

 岐阜ナンバーのステーションワゴンが止まっており、70~80歳代の男性3人が釣りをしていました。
 「何が釣れるんですかー?」…軽薄な野次馬を装っての質問。えっ?装わなくても十分軽薄だって?まあ、そうなんですがね。
 「カレイ類だね。アイナメ(北海道ではホッケという)も混じるよ。夜釣りは、ソイとガヤだね」

 話をしているうちに、高齢の男性3人組のすごさが…

 …私ら、岐阜から来たんですよ。名古屋に出て、フェリーを乗り継いで、苫小牧に上陸。徹夜で車を走らせて稚内まで来て、今朝一番のフェリーで利尻島についたのさ。で、すぐさま釣りを開始したってわけ。釣り場を転転とかえながら、一週間滞在するんだ。一週間で島を何周もするんだよ。ここ10年以上毎年来ているよ。この島は温泉があるから、飽きたら温泉に浸かってまた釣り。

 こんな老後の過ごし方もあったのか!新鮮な驚きでした。そのとき、一人の竿が大きく弧を描いた!
 「大きいわぁ!」
 この声に、一人が、「タモ(手網…岸壁からの釣りの場合、柄が4~5メートルのものを使う)」を持って駆けつけた。
 「クロガシラだ!」と、私が叫んだ。
 体調44.5センチメートルのクロガシラでした。私が興奮しているのを見た3人組は、
 「わたしら、50センチ以上を狙っているのさ」
 まあ、何センチメートルでも狙ってくださいってとこですがね。ウニ丼もそこそこに港に出てよかったです。目の前で大物のクロガシラが釣れるとは想像しなかっただけにね。

加齢障がい…鼓膜を切開…!

2015年07月23日 | Weblog
 5月の連休頃プールで耳に水が入りました。その水が、耳の中でガラガラとあっちへ行ったりこっちへ来たり…。ラムネのビンを思い浮かべてください。口にビー玉が入っていて、栓になってみたり、水を通したり…あの状態が、私の両耳にありました。早い話が、耳がつまった感じで聞こえが悪い…。それでも3か月も我慢していたのは、一昨年も同じ症状になりましたが、3か月ほどで自然治癒したから、また3か月で治癒するのではないかと。
 だけど、耳に入った水って3か月も滞在するのかねえ?そんな疑問を持ちながら耳の遠い老人であることを隠そうと、聞こえたふりをしておりました。

 で、昨日は珍しく仕事がない日でした。「評判がいいと評判の耳鼻咽喉科」へ行きました。流石耳鼻咽喉科!私の耳・鼻・咽喉の映像を撮りました。それをパソコンで映し出し説明してくれまして…即座に診断が下されました。

 「滲出性中耳炎です。鼓膜を切開して中に溜まっている水を出した方がいいです。お金がかかりますが…。プールの水?あのね、鼓膜が破れていない限り、プールの水が内耳に入ることはありません。高齢者の滲出性中耳炎は、耳管が老化して浸出液が内耳に溜まるのです」…ふ、ふ、古くなった下水管か!

 私の鼓膜を切開する?!冗談じゃない!鼓膜を切られちゃ、もっと聞こえなくなるだろうがっ!それに、お金がかかるという…。
 「五千円かかります」
 どうリアクションしたらいいか迷いました。「五千円もかかるのかっ!鼓膜切るのやーめた!」にするか、「へっ!そんなはした金で済むんか!貧乏人だと思って舐めんなよ!鼓膜100枚切っても払えるだけの貯金があるんだぞ!」にするか…。 
 結局、大枚五千円をはたいて切ってもらうことにしました。

 鼓膜切開の前に、鼓膜に麻酔をかけました。麻酔液を耳の穴に流し込み、そこに電極を差し込んで12分間電流を送る。これを両耳、24分間行いました。
 切開手術は、「メス」ではなく、細い金属の管で、「プシュッ!」と、鼓膜に穴を開けました。麻酔をかけた割には痛かった。

 で、耳は聞こえるようになったのかって?それがぁ…あまり…。3か月も溜めた水なので、次々と滲み出してくるんだと。鼓膜はすぐに再生するので、また麻酔をかけて切開しなければならないんだって…。加齢による弊害って、こんなところにもあるんですねえ。

三人組は仲間割れしやすい

2015年07月22日 | Weblog
日本の最北端へ行ってきました。何度も行ってるだろうって?宗谷岬へは何度か行っていますが、今回は、「礼文島」まで行きました。天気に恵まれ、「サハリン」がよく見えましたよ。ホント、ホント!カチューシャの踊りまでは見えませんでしたがね。
 「最北紀行なんたらかんたら」というツアーに潜り込んでの旅行でした。ビザが不要なのにどうしてツアーに潜り込んだかって?それはですね、個人で行く経費と、ツアーで行く経費を比較したところ、「あまり変わりがない」ということが判明したからです。レンタカーだ、なんだかんだを入れると、ツアーのほうが安くなります。目的は、「ウニを鱈腹食う」ですから、旅行の形態などなーんも関係ないのです。

 「飲んだ飲んだ!」「食った食ったウニ食った」の三日間でした。たった三日で、体重が2kg増えました。困ったものです。
 で、イラストレーターの糸井なんとかさんの、「旅行はツアーに限る。人を見るのがおもしろいから」という言葉…よーく分かりました。日本の最北端を目指した37人…それぞれに物語があるのです。私から同じツアーの方に話しかけることはありません。しかし、会話が聞こえます。それだけで、人々の生き様がよーく分かる。おもしろいです。

 70歳過ぎの仲良し女性三人組…。声が大きい…。JR宗谷本線の「名寄(なよろ)」という駅で停車したとき…
 「あっ!ここ、松山千春の出身地よねぇーっ!」
 「そうそう!ここね、名寄ね!」
 「(車窓から駅構内を覗いて)松山千春、いないかな?」(まったくぅ!いるはずないだろうがぁ!ポッポ屋じゃないんだから!)

 こういう会話を稚内に到着するまでずーっと!JRで行ったのかって?そうなんです。JR札幌駅集合で、稚内まで。稚内→利尻島はフェリー(1時間45分)。利尻島→礼文島は近いので、泳いで行きました。ウソです。フェリーで45分。礼文島→稚内はフェリー(1時間55分)。復路の稚内から札幌は、JR。遠くは九州、四国からの参加者もおりました。

 さてさて、三人組、名寄での会話から数時間後…
 「松山千春の出身は、名寄じゃなくて足寄(あしょろ)だったわ!」
 「そうそう、足寄、足寄」
 松山千春さん、名寄出身にされるところでした。

 翌日。仲間割れ!三人部屋で、一人がものすごくでかいイビキをかいたらしい。イビキ女性が居ないところで、悪口三昧!悪口って、ここまで言えるものなのか!さすがの私でさえ、呆れましたよ。で、イビキ女性を特定し、観察しました。…たしかに…仲間はずれにされる人になんの罪もないのですが、ADHDがそのまま70歳を過ぎた…。この表現がピッタリの人でした。ツアーなのに、集団行動が出来ない。バスから降りたら、糸が切れた凧のようにフラフラ、ウロウロとどこかへきえる!

 バスガイド嬢(還暦間近ぁ…かな?お化粧はかなり濃いめ)が…
 「前方左手に見えております島は、礼文島でございます。面積80平方キロメートル、人口はおよそ3000人。礼文高等学校の生徒数は23名。今春入学した6名は全員男子…」
 礼文島の概略の説明が終わった直後…イビキ女性がガイド嬢に質問した…!
 「ガイドさん!あれ、あそこに見える島、なんという(なまえの)島?」