アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

段取り不足は大金をも逃す

2009年08月31日 | Weblog
 アンティークな男として、「段取り八分」「備えあれば憂いなし」「用意周到」「思いつくだけのアゲインスト場面を想定したシミュレーション」これらを座右の銘にしています。
 何をするにも、「段取りしてシュミュレーションを繰り返す」異常なまでに行います。段取りは、わずか八分(480秒)しかしないのか?などとおっしゃる方は…おられませんね。はい、いいです。
 自慢にもなりませんが、私は出番が5分であっても、その5分の準備のために費やす時間は、最低数時間。「無駄だろう」って?結果的に30分も準備すれば良かったということであっても、「その何倍もの時間を費やして損をした」という気持ちにはなりません。本番の5分を、自分が納得出来ることが出来て良かったなあと思うだけです(いいぞ!アンティークマン!臆面もなくこのような気障な文句を書くあたりがアンティークマンの真骨頂)。

 誰が言ったか不明ですが、次のような話があります。
 話その1:避難命令が出た。「大丈夫だあ!」と、避難しなかった。次も、その次も、そのまたまた次も、「どうせ大丈夫だあ!」・・・そして、ある日訪れる結末は、「避難しておけばよかった」
 話その2:避難命令が出た。避難した。結果として、避難するまでもなかった。また避難命令が出た。避難した。これも避難しなくても良い程度の災害であった。またまた避難命令が出た。避難した・・・そして、ある日訪れる結末は、「避難してよかったね」
 素晴らし話です。これほど説得力のある「話」は、なかなかお目にかかることは出来ません。実に素晴らしい。

 つかみが堅い話で…急に、肩すかしですが(急でなければ肩すかしは決まらない)、シュミュレーションをきちんとしていなかったために、1,300万円を棒に振った奴がおります。
 5日前の朝、愛知県西尾市のパチンコ景品交換所前で、現金輸送車の係員が襲われ4万円を奪われました。
 現金輸送の係員は、両手に現金の入った茶色の麻袋を持っていた。奪われたのは左手に持っていた麻袋で、50円硬貨と10円硬貨ばかりで4万円分が入っていた。右手に持っていた現金1,300万円入りの麻袋は無事だった…。

 犯人は、バカな奴だなあというということで済ませてもいいのですが、私としましては、もう少し掘り下げたいです。
 4万円分の硬貨→およそ18kg。1,300万円の札束→1.3kg(1万円札の新券として計算)。バカな犯人でも、係員が両手に麻袋を持っていたことは見えていた。そのため、「重そうなほうに多額のお金が入っているだろう」と考えた。18kgと1.3kgでは、重さの差は外から見ても歴然。そんなわけで重い思いをして、硬貨4万円分を盗んだ・・・。よく、お金の重さを計算したなあって?マルマンの電卓「でか」で、計算しました。マルマンが電卓を作っているというのが凄いでしょう。それを持っている私も凄い。自慢か!

 強盗の場合、少なくても5~6回は下見して、シュミュレーションを繰り返しておかなければなりません。この犯人は、それを怠った。下見さえしておけば…
1 係員は、両手に現金入りの麻袋を持ってくる
2 一つは、硬貨入りで、もう一つは札束入り
3 軽そうな袋が、札束入り
 以上のようなことが分かるわけです。目の前の1,300万円を逃さずに済んだのです。段取りがいかに大切か!強盗にアドヴァイスしてどーすんの!ってか?けが人が出ていたらアドヴァイスなどしませんけどね。

 なお、避難について念のために付け加えておきます。台風9号による豪雨被害で、兵庫県佐用町等に大きな災害が起こりました。避難の途中に事故に遭った人もおられた様子。避難中に被害に遭わないよう、避難命令は、早く出していただかなければなりません。

 アンティークマン、今日からベトナム、カンボジァへ行ってきます。今月から来月へかけて2か月にわたっての旅です。60日も行ってくるのかって?8月31日から、翌月の9月6日の夜には帰ります。何か表記に欺瞞・虚偽・見栄がありますか?台風11号が、来ているんですが・・・。
 無事帰りましたら、「アンティークマンの冒険」を報告させていただきます。段取りは十分かって?ホーチミン市では、軽そうな袋を狙います。

世の中で最も疎ましいもの…それは「善意」

2009年08月30日 | Weblog
 志賀直哉の「小僧の神様」、いつも心にある小説です。志賀直哉の代表作だと思うのですが、若年層に読んでいる人が少ない。短編ですから、簡単に読めてしまうのですがね。神様体験をしたい人必読ですよ。
 秤屋で奉公をしている小僧は、番頭達の話で聞いた鮨屋に行ってみたいと思っていた。ある時、使いの帰りに、思いきって鮨屋の暖簾をくぐったものの…お金が足りずに鮨を食べることができなかった。その様子を見ていた貴族院の男(A)は、後に秤屋で小僧を見つけ、鮨をおごる。しかし、Aに見られていたことを知らない小僧は「どうして鮨を食いたいことをAが知っているのか」という疑問から、「Aは神様ではないか」と、思い始める・・・。

 と、まあこんな小説。私は、小僧が、「鮨をおごってもらってどれだけ嬉しかっただろうか!」このことが印象的で、自分もいつかAのようなことをしてみたいと思っていました。61歳ですがら、何度か実践できました。「神様体験」をしたことがあるわけで…なかなかいいもんですよ。神様は、「心を読み、親切を実行する」・・・。

 夏目漱石の「三四郎」にも、「人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がしてみたいものだ」という文がある。Aと同じだな。
 「親切とは、人類愛に基づいた神がかりとも思える行為」…誰の言葉かって?私の言葉です。ホントいいこと言います。最近、神がかってきていますから。ただですねえ…裏を返せば、「極めて通俗的な好奇心のなせる行為」…こうなると、神は遁走ですね。

 プールでよく会う40歳過ぎぐらいの男が、ひたすらアクアウオーキングをしている私に話しかけてきたのですよ。

男:泳がないんですか?
私:エラがないから、あまり泳げないので…
男:私もそうでした。水泳教室に入るといいですよ
私:人に教わることが嫌いなんです
男:(いきなり教えはじめた)体は、少しへの字になるようにして・・・
私:き、今日はもう帰る時間なので
男:では、次回にしましょう

 男が、悪人ではないことは分かる。しかし、私は、教えていただきたくない。それからというもの私は、プールへ行く時間をずらし、男と会わないように努力した。それなのに、その努力に裏切られ数日後…かち合った。「努力は裏切らない」という言葉は、表面はきれいですが、中味は無責任で心がないです。

男:手はですねえ…足は…はい、ここまで呼吸せずに…
 私は、逃げ出したかったです。「オレにかまうな!」と、怒鳴りたかったですが、相手は一生懸命なのです…。
 男としては、60歳過ぎても泳げないオヤジ。ひたすら、プールの中を歩いている可哀想なオヤジ。何とか泳げるようにしてやろう。…これって、「小僧とA」の関係ですよ。私が小僧です。61歳ですけど。実は、エラがないとはいいながら、密かに練習し、ムサンバニ状態ではありましたが、クロールで25m泳ぐことに成功したばかりだったのです。男がその様子を見ていたとしたら、正しく「A」の役ということになります。

 別のコースでは、4人のおばちゃん達が、家人を囲んで男の悪口三昧だったという…
「あの人、最近やっと泳げるようになったくせに、人に教えるなんて」
「あんな下手な人に教えられたら、悪いクセがついてしまう、止めさせなさい」
「御主人(私)のほうが手が上がっているし、ずっと上手い」
 いやはや、親切男、隣のコースでブーイングの嵐だったわけで…

 親切は、博愛ですから、相手が喜び感謝しなければなりません。私のプールの例では、親切をほどこされたはずの私は全く喜んでいない。相手が喜ばない親切…これはないでしょう!親切のつもりが、相手にとっては、「無責任なお節介行為で、貴重な寿命を浪費させられる行為」ということがあるのです。
「親切か、寿命を浪費させる行為か」この線引きは、難しい。なぜなら、「善意」と信じ込んでの行為だから。
 佐藤愛子の「澤村校長の晩年」に、「世の中で最も疎ましいものは、善意である」とありまして…その通りだなと。また、「悪意には立ち向かいようがあるが、善意には立ち向かいようがない」と。全くその通り。ですから私は、勝手に水泳のコーチをはじめた男を、「三角締め」で仕留めることが出来なかったのです(仕留めておけばよかったぁ!)。

 私は、「自分こそ善意の塊である。善意がマンシングウエアで走っているような人物。善意がアユタヤで自転車をこいでいるような(またそれかってか?)男」と、自負してきました。「もって他山の石とすべし」、この年齢になって戒められるとは。

 それで、現在はどうなっているかって?状況は、変わっていません。男は、「かわいそうなオヤジに、泳ぎを教えてあげよう」と、虎視眈々。「善意」と大きく書いた看板まで背負っていますよ。私は、男から逃げ回る日々。心身のリラックスのためのアクアウオーキングが、善意によって踏みにじられようとしている。

茶の間へ土足で入らないでよ

2009年08月29日 | Weblog
  何度目になりますか…また、吠えます。「他人の家の食事に文句つけるなよー!」 グリーンピースなら、電話をかけてきて、「ほやなど食うなよー、気持ち悪いよー」で済むでしょう。しかし、シー・シェパードなら、発砲しながら家に上がり込んできて、食卓の「ほや酢」をひっくり返しますから。困ったものです。

 和歌山県太地町(たいじちょう)。人口は、およそ3,300人。面積は、和歌山県で最も小さい。しかしながら太地町は、「日本の古式捕鯨発祥の地」といわれており、捕鯨で全国的に知られた町です。
 太地町は、1981年に、オーストラリアのブルーム市と姉妹都市締結。どんな縁なんだって?地理で習ったでしょう。アラフラ海の真珠ですよ。19世紀以降、太地町出身者が真珠採取の潜水士として活躍し、ブルーム市の発展に尽くした。その縁です。

 そしてこのたび、な、なんとブルーム市議会は、イルカ漁問題で姉妹都市関係停止を議決。恩を仇で返すという暴挙に出た。28年間続いた姉妹都市関係に終止符が打たれたわけですが…どうしてそうなったか?

 太地町のイルカ漁を隠し撮りしたドキュメンタリー映画が、米国や豪州で上映されたのです。この映画に敏感に反応したのが、武器を使用しての捕鯨妨害で、泣く子は黙らずさらに泣く、「シー・シェパード!」。
 シー・シェパードは、ブルーム市に対し、太地町との姉妹都市提携の破棄を迫った。ブルーム市の市長の話では、「ブルーム市在住の日系人に危害が及ぶ危険性があった。太地町の人々は、市の発展に尽くしてくれただけに苦渋の決断だった」と。

 シー・シェパードが、「イルカたちを無惨に殺した太地町との姉妹都市提携を破棄しなければ、日系人がどうなるかわからんど!」と、強迫したことは間違いないでしょう。シー・シェパードの旗を御存知か?「どくろマーク」ですよ!早い話が「海賊旗」。目的の達成のためなら、手段を選ばず何でもやる。船への発砲?そんなことは普通にやります。爆薬を仕掛けたり、衝突して撃沈させる…海洋生物保護団体の仮面をつけてはいますが、中味は犯罪団体です。米国ワシントン州に本部があります。マリナーズの日本人選手達、危ないですよ。我々も、ワシントン州へは近づかないようにしなければなりません。「あ、日系人だ、くじらを食うし、イルカを殺す。やつらを撃ち殺せ!」…怖いですよ。

 国連世界自然憲章を振りかざされ、捕鯨国の肩身がせまい。
 個人的には…「鯨の資源は減っていない(根拠としては、例えばミンク鯨についての棲息数調査報告)。鯨を食って何が悪い。油だけ採ってあとは棄ててしまう国に、『食鯨』について言われたくないねえ。動物愛護団体だあ?だったら問題は違うぞ。牛も豚も食うなよ!野菜だけを食うって?それなら私は、植物愛護団体を結成して野菜を食べる国を攻撃するぞ!銃も爆弾もないので、口撃だけだけどね」
 鯨を食べたいから言っているんじゃないのです。「他人の食卓にいちゃもんつけないでよ」と、言っているんです。
 
 日本の家は、竹と紙で出来ています。欧米の家は、石で出来ています。日本の家は、大声を出せば、家中に伝わります。そこで「世間体(せけんてい)」が生まれた。相互干渉というか、町内で干渉し合う。御近所さんから、晩飯のおかずにまで批判が出る。それが日本。ところが、日本に「世間体」がなくなり、「人間関係の希薄化」が言われている(私は、世間体が大切だと思っています)。
 欧米の家は、特にヨーロッパでは、中世の建物が残っています。というより、地球滅亡の日まで残っているでしょう。石壁の厚さが50cmですから。そこまで、「個」を守る欧米が、日本人の食卓にいちゃもんをつける。納得できません。

 鯨、イルカ、マグロ、うなぎ…とにかく、日本人から食べ物を取り上げようとする…。イルカが可哀想だって?カンガルーは可哀想じゃないんですか?

カボチャの原産地は、カンボジァではなかった…

2009年08月28日 | Weblog
 畑のシーズンが終わりです。ここ数日、片付けをしています。似非農民として、もっとも素晴らしいと思う野菜は、「トマト」です。痩せた土地にも育つ。寒冷にも強い。虫も付かない。病気も付かない。美味かつビタミン、ポリフェノールの宝庫。とりわけリコピンが多い。
 原産地はどこか?アンデス山地。インカ帝国では盛んにトマトを栽培し食していたらしい。アンデス山地には、今でも野生のトマトがたくさん生えているという。3,000mクラスの山産地ですから、寒冷に強いのもうなづける。

 次に育てやすい野菜は、「カボチャ」です。放っておけば良いから。うどんこ病には罹るが、この病気も大きな問題ではない。カボチャの語源は、「カンボジァ」。カンボジァから日本へ入ってきたことは間違いないでしょう。
 カボチャの原産地は、カンボジァではなく、中南米説が有力。原産地の特定については、「種の化石が発見された」「文献に載っていた」「野生種が今もある」とか…いろいろあります。カボチャの原産地が中南米という説は、これら3点を満たしているからのようです。それがどういう経路かは不明ですが、カンボジァへ渡り、日本には1541年に、伝わったのだそうで…大分に漂着したポルトガル船が、カンボジァ産のカボチャ を贈ったのだと。この時に(カンボジァから持って来たので)カンボジァがなまってカボチャと呼ぶようになったそうで~す。ホント、ホント。
 インゲンも簡単に栽培できる野菜です。インゲンは、隠元禅師(いんげんぜんじ)が日本へ伝えたから「インゲン」と名づけられた。そのため、中国が原産地かと思っていました。しかし、インゲンの原産地は、カボチャと同じく中南米だそう。野菜の原産地は中南米が多いなあ!グレートジャーニーの逆を行っている…興味深いです。

 ジャガイモの原産地は、アンデス山地であることは有名な話。やはり南米!

 スイカの原産地が、アフリカの砂漠地帯であることは私が得意としている分野。今でも、野生種が砂漠地帯に分布しています。エジプトではスイカを描いた4千年前の壁画も見つかっています。スイカは、アフリカ→シルクロード→インド→中国と転がってきた。中国語の「西瓜(シイグワ→シイカ→スイカ)」が日本に渡ってきた…ほぼ正解でしょう。

 似非農民にとっての難敵は、「ナス」です。今年もダメでした。本を読んで、工夫したのですがね。ナスの原産地は、インドだそうで…。ナス入りのカレーいいですよ。そんな話じゃないですね。私は、中南米原産の野菜とは相性が良いのですが、インド原産は…。
 ナスの原産地は、ペルーだとばかり思っていました。お?オチをつける気だなって?どうして解ってしまうのでしょうかねえ?
 ではオチ…どうしてペルー原産かと思ったか?ナスカ高原(ナス科高原)・・・なんちゃんて…。

「アジア人=中国人」の等式にクサビを!

2009年08月27日 | Weblog
 田舎の夏の出来事の一つに、「外国人が現れる」ということがあります。アジア人と見られる皆さん…どこの国の人なのかなど分かりません。日本人と、「な~んも変わらない」からです。皮膚が白い皆さんも、「何国人」なのかまったく分かりません。皮膚の色が濃い皆さんは、さらに分かりません…。

 アメリカでは、外国語テレビ放送が、およそ60チャンネルあります。一番多いのが、スペイン語での番組。次は…日本語かなって?残念でした。中国語(北京語や広東語)のニュース番組やドラマです。あとですねえ…アメリカの経済専門チャンネルでは、日経平均より、上海指数に重点を置いています。ナスダックが中国上海指数に連動しているのです。この現象は…日本より、中国ということに他なりません。

 この夏、ギリシャ旅行をした方(国籍も、人種的にも日本人。御家族での旅行)の話…
 「タベルナへ入ると、店員の9割は私たちを見て『ニーハオ』と声をかけてくれました。二度と会わないであろうギリシャの方々に、中国人と思われてもしょうがないし、それほど悪い気はしませんでした。日本人であることを伝えると、店員たちはあわてて『こんにちわ』と笑顔で言いなおしてくれるのでした」

 う~ん、タベルナの店員のレベルが高いですよ。アジア人であることは分かっても、国籍の区別など出来ないのは当然といえば当然。レベルが高いと思えるのはその次で、中国人なら、「ニーハオ」。ネパール人なら、「ナマステ」。チベット人なら、「カレシュ」。日本人なら、「こんにちは」。韓国なら、「アンヨンハショムニカ」と、使い分けが出来るということ。

 日本の、レストランなり、食堂なりの店員さんにこれが出来るか?
 この人は、オランダ人だな「フーテ ミッタ-」。アイルランド人だな、「ジェアグゥィチトロノーナ」。ポーランド人だな、「ジェン ドーブリィ」。フィンランド人だな、「ヒューヴェーパィヴェ」…言わない、言わない。言うはずがない。

 「中国の人口は世界一。下手な鉄砲数打ちゃ当たるで、とりあえず、アジア人と見ればニーハオと言っておく。タベルナの店員は確率にも強い。それにしても、中国恐るべし。『アジア人=中国人』という等式が成立していると、強く感じる旅だった」と。つまり、後進国である中国人のほうが、先進国である日本人よりギリシャに浸透しているということ。

 「次に、写真の撮りあいっこをした台湾人のカップルとの出来事です。若いとはいえさすが台湾人、日本人に対して嫌なイメージがないのか非常にフレンドリー。カメラを戻してもらい、笑顔で『サンキュー』と、言った直後に事件は起こった。カップルが、『あーゆーこりあん?(Are you Korean? オマエは韓国人か?)』これには正直ずっこけました。『あれぇ~~!』って感じでした。私は韓国人に対して特別な感情を持っていませんが、苦笑の瞬間でしたよ」

 台湾人だから、中国人は判別できるはず。「韓国人か日本人か」と、なったとき、韓国人としたほうが無難と考えたのでしょう。

 彼は、締めくくります…
 「ギリシャ旅行では、中国人か韓国人に間違われた。日本人とみられたケースは、1割にも満たなかった」

 さて、この御一家のギリシャ体験から、私たち日本人は何を学び何をしなければならないか。

 まず、「アジア人=中国人」という等式を壊さなければなりません。そんなこと、どうでもいいだろうって?
 イエイエ、大変大事なことです。アジアのリーダーは、日本です。誇りを持ちましょう。「アジア人だな、どこの国の人かな?」となったとき、真っ先に、「日本人ですか?」と、ならなければ、島国根性の権化である私の気が済みません。
 では、どうしたら、「アジア人=日本人」になるか。海外旅行をする日本人には、「I'm a Japanese.」のハチマキを義務づける。これって、アイディアだと思いませんか!

 あと、どうしても日本人だろう!と言わせたい人は、…セロテープで、目尻を上げる(いわゆる、キツネ目にする)。鼻も、思い切って、ダンゴ鼻にする。
 仲間とソウルへ行ったとき、イミグレーションで、外国人専用の列に並んでいたら、係員に、「オマエは、この列だ」と、現地(韓国)人用の列に並ばされた同僚(日本人)がおりました。韓国人に、韓国人と確信された日本人…名誉か不名誉かは分かりません。ただ、私は笑わせていただきました。彼は、しばし、素直に韓国人の列に並んでいたのですが、全く違和感がなかったです。
 なお、ギリシャ旅行をした彼は、香港で現地人カイドの温さんに、「あなた中国人にみえるよ。大丈夫よ」と、太鼓判を押されたことが…あったかどうか忘れました。

逸材が野球に流れてメダルが遠い

2009年08月26日 | Weblog
 甲子園が終わりました。途端に、秋立つという風情です。
 この夏の甲子園は、花巻東の菊池雄星投手の「劇場」でした。11球団が、菊池獲りに名乗りを上げているようですが当然でしょう。なにしろ155kmですから(甲子園では154kmが最速)。
 それで…私が、菊池雄星の何に注目していたか?球速でも、コントロールでもありません。「頭より上に拳を突き上げる、ガッツポーズ」です。

 私は、「ガッツポーズ嫌い」です。但し、個人種目のガッツボーズは良いと思っています。例えば、重量挙げで成功した時など。自分の努力、自分との戦い…そして、自分へのガッツポーズ。いいと思います。悪いのはその他で、特に横綱が土俵上でガッツポーズするのは「恥」ですよ。

 菊池投手、センバツの時は三振を取る度に、高々と拳を突き上げていました。指導者は、この様子をどう見ていたんでしょうか?「良いことだ、ファイトが前面に出ている」等と考えていたとしたら、バカ指導者です。「敗者の心情を慮りみる」のが、スポーツマンシップであり、武士道です。派手なガッツポーズをやられたら、泣きながら全力疾走で家に帰りたくなり、再起不能ですよ。

 そして、この夏の甲子園。
 ありゃ?・・・?菊池投手のガッツポーズが控えめになっている。私の思いが通じたのか?それとも、調子が悪く三振があまりとれないので(それでも27個とっているが)ガッツポーズの余裕がないのか。
 こうなると、判官贔屓の私としては、花巻東を密かに応援…。結局、背筋痛ということで準決勝で敗退でした。
 スポーツ新聞によると、痛み止めの注射について、医師からは「後遺症が残るかもしれないよ」と“通告”を受けたが、菊池は「もう一生、野球ができなくなってもいい」…そして毎日書き続けている日誌には「神様、明日は投げさせてください」とつづり…寝る際にはボールを握りしめながら布団に入り、同じ言葉をつぶやいた。
 しかし、スポーツ新聞の記者ともなると、菊池投手の布団にまで行って取材するんですねえ。感心しました。感心している場合じゃないですね、この明らかに誇張された記事が本当だとすると、菊池くん(急に、親しくなってくんづけ)は、「一生野球が出来なくてもいい」とまで思い詰めた。これ、分かるなあ!若者は、こうありたいモノです。
 花巻東は、「ピンチで笑う」という姿勢が徹底されていました。これは、賛否あると思いますが、私は支持します。ピンチで情けない顔をするのは、誰でも出来る。笑うのには、努力が必要ですから。

 ・・・世界陸上の男子やり投げで、村上幸史選手(スズキ)が82m97で銅メダルを獲得。この種目で史上初のメダリストに!村上水軍の末裔だそうで、礼儀、態度、性格も申し分ない人です。メダルが確定したときもガッツポーズは、なし。しかも、「オレ、何番?」と周囲に尋ねた。それはそうと…菊池雄星やら、伊藤直輝(日本文理)、岡田俊哉(智弁和歌山)、今宮健太(明豊)、秋山拓巳(西条)、堂林翔太(中京大中京)らに、やり投げをさせたらどうなりますか?1年ほど練習すれば、間違いなくメダル独占でしょう。やり投げでは年収数億円は無理でしょうから、逸材の皆様は、「野球で行く」…。やり投げに限らず、どんな競技をやらせても世界と競えるであろう逸材ばかりです。逸材が野球に偏らない制度…ありえないですね。やり投げの場合は、ガッツポーズしてもいいんですけどいねえ。

金持ちの、金持ちによる貧乏人のための・・・

2009年08月25日 | Weblog
 衆院選たけなわです。「政治劇場」の呼び込み然としている政見放送、とりあえずいいことばかり並べた選挙カー・・・。こんな時だけ、膝に額がくっつくほど頭を下げる候補者。誰彼関係なく握手する(我々が、そんなことをしたら、変質者として捕まってしまいますが…好色選挙法ではなくて、公職選挙法には握手に係わる免罪符ということがかかげられているのかなあ?)、スキンシップでなんとかしようとする嫌らしい候補者・・・。まあ、「お祭りだ」と、考えるといいですかね。

 自民党は、「改めます。伸ばします。日本守る、責任力」。民主党は、「暮らしのための政治」。
 2007年の参院選の時は、自民が、「成長を実感に!『美しい国、日本』に向けた155の約束」でした。155も約束した!民主は、「3つの約束・7つの提言」でした。3つしか約束しなかった。お祭りであること、「公約」なんて空手形であることを考えると、1,000ぐらいの約束をしてほしかった。

 今回の自民が、「改めます」ですから…日本語では、実行した結果を改めるのであって、いきなり選挙公約で「改めます」を持ってくるのは…(漢字の読みのほか、日本語も勉強してくれ)。民主党は?出ました!伝家の宝刀「暮らしのため」。「~のため」これは、キーワードですよ。

 他党も見てみると…
公明党・・・ 生活を守り抜く(まあ、守り抜いてください)
共産党・・・ 「国民が主人公」の新しい日本を(出ました!18番、国民が主人公!主人公がいるということは脇役もいるはず。それって誰?)
社民党・・・ いのちを大切にする政治(拉致被害者の命はどうしてくれるんだ!あなた方が関わった、拉致被害者の問題を解決してから立候補しなさいよ)
新党日本・・・ 日本「改国」宣言(上手い!開国と改国をかけた!今までは、鎖国だったということだな)
幸福実現党・・・ 夢のある国へ 幸福維新(あのね!夢では腹もふくれないし、収入もないんですよ。幸福とか夢とかを公約に使うなよ。中味は空っぽですよと宣伝しているようなモノ)
みんなの党・・・ 「脱官僚」「地域主権」「生活重視」で国民の手に政治を奪還する!(あのね!政治劇場で政党間の争いをしている中でも日本が着実に歩んでいるのは誰のお陰?官僚の皆さんがしっかりやって下さっているからでしょう!大恩ある官僚に対し、「脱」とは何事だ。何もできないくせに思い上がるな。)
 国民新党には触れないのかって?郵政民営化の見直しでしょう。ただただ混乱させようとする党の公約には触れられません。

 どこの党も、「いいことばかり並べ立てている」。これでは、比較できない。そして、私がいやなのは、「~のため」です。
 国民をおだてていますよ。「国民のため」の連呼につぐ連呼、大合唱。これは、国民を見下した言い方です。国民はそれに気づかなければなりません。「耳障りがいいから、国民のためと言っているのであって、深い考えなどないんだ」って?まあ、そんなところでしょう。しかし、日本の政治家になろうとしている人たちですから・・・
 では、どう言ったらいいか?見本を一つ…

 国民の皆さん、あなたたちの半分ぐらいは貧乏人としてくくられます。私ども金持ちは、貧乏人が少しでも豊かになるように官僚に全面的にすがって、なんとかしてやろうとする奇特な人たちである。まあ、私らに大きな期待はしないでくれ。不景気だって、私らの暮らしには何の影響もないんだわ。国民の不幸は、我々にとっては、蜜の味。まあ、そんなわけで、口先では「国民のため」を、並べておるが私利私欲を肥やすことが目的に決まっているだろう。そんなことが分からんのか。私らは、飾りで、政治は官僚がするモノ。どうか、清くなくても、清くてもいいから、1票でも、100票でも私に投票してくれろ。ワカッタカ、コラ、貧乏人!

 このくらい言ってくれると、国民としても気分がいいですよ。え!全然気分が良くないって?だったら、胴上げされて高々と舞い上がったところで落とされるのが好みなのですね。

 政権目前の某党の党首が、8月23日候補者応援の商店街で、150円のメンチカツを買った。千円札を出して、お釣りの850円をもらわずに去った。「釣りはいらん」とは言わなかったそうだが、彼の金銭感覚なんてそんなもんですよ。千円なんて、お金のうちに入らない。政権譲渡目前の党首さんもそんなもんでしょう。私は、240円で買った目薬を、ホテルに置き忘れたことを3日経過した今も悔やんでいるというのに…。
 メンチカツ屋を買収しようとした(公職選挙法で禁止されている)党首さんは、罪に問われないのか?850円という少額なので、買収の立件は難しいでしょう。少額…私には、850円は大金ですけどね。ああ、買ったばかりの目薬を…

丹頂鶴、狐、鹿、オヤジを追い越して日本の最東端へ 

2009年08月24日 | Weblog
  秋の風が吹き始めると、「鮭釣りに行かなければ…」と、気がせきます。鮭は、母なる川へ帰ってきます。帰ってきそうもないもの…拉致被害者と北方領土…。帰(還)ってこないとは断言しておりません。断言して問題にされた人が、少なくても2人(田原と石原)おりますから。「帰(還)ってきそうもないもの」ですから。念のため。

 なんでも自慢のタネにする…「離島を含まない日本の本土、すなわち北海道、本州、四国、九州の東西南北端完全制覇」…しています。あまり羨ましがられる自慢ではないですね。

 まず、東西南北端はどこか?ですが…
最東端・・・納沙布岬(北海道根室市)
最西端・・・神崎鼻(長崎県佐世保市)
最南端・・・佐多岬(鹿児島県肝属郡南大隅町)
最北端・・・宗谷岬(北海道稚内市)

 先日、物好きにも3度目の最東端への旅に行ってきました。
 真夏なのに、「寒い!」。最高気温は、17度前後。30度を超えるところで働いておられる方には、ホント申し訳なかったです。
 前回は、7年前に行きました。根室のホテルに泊まったのですが、クーラーもなければ、窓に網戸もない。フロントへ行ってクレームをつけたら、「クーラー?」と不思議がられた。「網戸」も、不思議がられた。根室の人は網戸を知らないのか?そこで、「(クーラーがないので)窓を開けたら虫が入ってくるでしょう!」と、言ったら、「虫のことは、わがんねー(わからない)」と、言われた。ロビーでこの会話を聞いていた別の客が、思い切り噴き出した。フロントの女性(70歳前後)も、つられて笑っていた…。最高気温17度なら、クーラーは不要。窓など開けたら、寒くて寝られないというわけ。

 釧路から根室へ向かう国道44号線は、寂しいです。湿原をひたすら走る。7年前は、コンビニなど一軒もなかったのですが、今は少し出来ていた。しかし、集落から集落までの間は、なーんもない。ひたすら走らなければならない。「最果ての地へ行く」という心構えが出来る道です。

 野生の丹頂鶴が見られるのは、「得をした」という気持ちになります。キタキツネは、道路脇を歩いています。車に驚くなんてことはありません。真っ昼間にも係わらず、エゾシカが出てきました。見事な角でした。一瞬、道路中央で私と目が合い、「なんなんだ!」という表情で林へ入っていきました。もちろん私は最徐行しました。鹿見物の野次馬だからではありません。鹿は群れで行動しますから、一頭出てくるということは、つづけて数十頭出てくるということ。突っ走って、400kgもあるエゾシカにぶつかっては、こちらがタダでは済まないからです。
 自転車旅行の人を追い越し…自転車旅行者は、若い人の専売特許だったのですが、高齢化の波はこのようなことにまで押し寄せております。…結構な年齢の方々が多です。若い人は自転車で最東端などめざしませんね。疲れるし、尻が割れるし…。徒歩で、最東端を目指している人も抜き去りました。どう見ても還暦を過ぎている。徒歩ですよ!歩調から判断するに、「来なきゃ良かった」と後悔しながら歩いていると見ましたが。釧路空港から歩き出したとしても、根室までの徒歩往復は2週間はかかりますから。

 根室に入ると、「呼び戻そう北方領土」「取り返せ北方領土」などなど、北方領土関係の看板がやたら目につく。7年前より増えました。
 北方四島の元住民の皆様には申し訳ないが、相手は、ロシア殺し屋恐ロシアですから。看板を根室に増やしたところで、還って来ない…。

 日本がポツダム宣言を受諾し、降伏の意図を明確に表明したあとに(旧)ソ連軍が北方四島に侵攻した。この段階でもう…言ってもしょうがないですが。そして、日本人島民を強制的に追い出した。その後、不法占拠を続けている。日本の領土返還交渉?「やっているうちに入らないだろう」とは言いません。あ!もう言ってしまいました。

 1月に、日本からの人道支援船が、国後島へ上陸しようとしたところ、ロシア側は、外国人登録法改正に基づき、出入国カードの提出を迫りました。盗っ人猛々しい。北朝鮮と同じです。出入国カードを提出するということは、ロシアの北方四島の主権を認める事になる。日本側は拒否して、医療物資を載せたまま根室港に帰航しました。私は、日本よくやったと思いましたね。占領しておいて、さんざん支援物資をもらっておきながら、今度は、「出入国カード」を提出しろだと!ケツをまくって帰ってきた日本の人道支援船、偉い!しかしですねえ…このままでは解決への道が閉ざされるわけで…。つらいところです。

 7月に「改正北方領土問題解決促進特別措置法」が可決されました(「わが国固有の領土である北方領土の早期返還を実現するため最大限の努力をする」と明記)。ロシア側は当然態度を硬化させています。墓参団等の受け入れは継続して行われているので、返還への遠い道が切れてしまっているわけではありませんが。

 そんなことを考えながら、ノサップ岬に佇んだ私でありました。北方領土は見えたかって?天候によっては、家の窓ガラスの反射まで見えますよ。
 秋の風が吹いていました。また、冬が来ます…。

優先席に座った場合の言い訳

2009年08月22日 | Weblog
自由席券を買ったので、早々とホームへ行き、JRの特急を待っていた。指定席を買えばいいだろう、170円を節約してどーする!と、突っ込まれそうですが…このあたりが問題なのです。つまり、指定席は、確かに間違いなく席があります。しかし、BUT!指定席が、ギュウギュウでエコノミッククラス症候群(今は名称が「なにやら症候群?」に変わったらしい)、になりそう、ところが自由席がガラガラで楽々。足を伸ばして寝て行ける…と、いう経験をしておりますので、その日の「読み」が問題になります。お盆も終わりでしたので、「自由席はガラガラ」と読み、念のため早々と並んだわけです。

 首尾良く、トップで乗り込み、一番先に目に飛び込んできた、「一人がけシート」に着席。今日の選択は正しかったと、鼻の穴を思い切りふくらませていた。
 と、と、ところが…このシート、「優先席」だった。あたりを見回すと、すでに空席なし。移動するにもできない。
 優先席に私が座っていても咎められない理由を探すべく、窓ガラスに貼ってある注意書きを精読した。
○お年寄りの方
○体の不自由な方
○乳幼児をお連れの方
○妊娠されている方
 この中では、「お年寄り」にやや該当するか…
 車掌さんが検札に来た場合を想定して、シュミュレーションしま~す。

<一般乗客(私)がほんの少し有利のケース>
車掌:お休みのところ恐れ入ります。キップを拝見。
(私がキップを渡す。ハンコを捺してかえしてくれて…)
車掌:こちらは、優先席ですので必要とされる方が来られたらお譲り下さい。
私 :あ、あのー、JRでは何歳以上が「お年寄り」なのですか?
車掌:あいうー…えお!そ、それは…
私 :ドヒェー!はっきりした決まりがないの?漠然と「お年寄り」と書いてるの?乗客の主観で決めていいんですか?それなら私だって、十分「お年寄り」だ。この席に座る権利がある。

<どっちもどっちのケース>
私 :「優先席近くで、携帯電話を使用するな」と書いてある。英文の注意書きの、携帯電話が、「mobile phone」と、なっていますよ。携帯電話は、「cellular phone」じゃないですか?
車掌:辞書を引いてくださいよ!「mobile phone」でも良いと書かれていますよ!
私 :うっ!(と、詰まる)
 ※私が持っている、英和辞典・和英辞典とも(わずか40数年前に買ったのに)「携帯電話」という単語が載っていない。携帯電話が、いかに最近のものであるかということを如実に表しています。

<JRの勝ちのパターン>
私 :メタボのオヤジなんだか本物の妊婦なんだか判別不明者が座り込み、「妊娠中だ」と、主張した。その場合どうやって、妊娠か否かを判定するんですか?プレグナンスキットを携行しているんですか?(どうだ、参ったか!)
車掌:その場合は、マタニティマークの提示をお願いします。(と、きっぱり)
私 :ドヒェー!なにそれ?(降参。そんな身分証明書のようなマークがあったとは!)
 マタニティーマークは、ピンクのハート形。母親と赤ちゃんの絵が描かれており、「おなかにあかちゃんがいます」という文が書かれている。なぜ、全部平仮名なのかは不明。メタボオヤジが、マタニティーマークの偽造をしなけりゃいいが。

 さあ、シュミュレーションしたから怖いものなし。そこへ、車掌さんが近づいてきた。
車掌:キップを拝見。
私 :はいどうぞ。
 車掌さんは、顔色一つ変えずに、次の客へ…何のお咎めもなし…。
 大変な思いをして優先席に居座っていたのに、「何らの関心も持っていただけなかった」。こんな思いをするぐらいなら、武士としては座らずに立っていても良かったかな…。

全人類を病人にする 高性能医療カメラ

2009年08月21日 | Weblog
 クラス会があったのですが…「白血病で亡くなった」「DVを苦に自殺した」などなど…鬼籍に入った人たちの話題がひとしきり。
その次は…結婚、離婚、再婚・・・の話。
 そして、メインは、「糖尿病で…」「白血病で…」など、病気の話。病気の話なら、アンティークマンの独壇場だっただろう!って?とんでもない、病気の自慢などしませんよ。

 健康診断で、胸部X線写真を撮ったのですが、医者が妙なことを言い出しました。
医者:あなたは、肺結核をやりましたね。
私 :いいえ。
医者:肺結核の跡が残ってますよ!
私 :毎年、健康診断をしていますが、肺結核などと言われたことはありませんよ。
医者:(完全にイライラして)肺結核をしました!

 おそらく、この医者の言う通りなのでしょう。では、なぜこれまで肺結核を指摘されなかったのか?それは、医療カメラの性能が大変良くなったことで、従来のカメラでは写らなかったものが写るようになったからでしょう。
 と、なると…肺結核で、治療しなければならない人や、隔離しなければならない人がウロウロしていることになる。
 私は、知らぬ間に罹患し、知らぬ間に完治した。つまり、X線カメラの性能が悪いことが幸いしたわけです。療養などしなくて済んだから。

 医療カメラの性能が良くなったからなのですが…昨年まで健康そのものの太鼓判を押されていた人が、「膵臓に腫瘍、胆嚢にも腫瘍、子宮にピンポン玉大の筋腫、緑内障の疑い」という健診結果が出ました。この方は、「できることなら、手術は避けたい。マイクロウエーブの制度が高くならなければ見つからずに一生を過ごしたのに…」と。今後治療をどうするかは、精密検査の結果で決める…。
 医療カメラの性能が良くなり、放置してもいいような病気をバンバン発見してしまう。この調子でいきますと、全人類が病人になる日が近い。 

 放置しても平均寿命まで生きられるかも知れないし、手術したら平均寿命前に…ということもあり得る。どうしたら長生きできるか、誰にもわからないことです。
 ガンの治療で、「ガン抑制細胞が活発に働いていることをイメージする」というのがある。早い話が、「病は気から」なのですが、ある程度の実績があるから、「療法」として採用されているはず。

 親鸞の、「人間は、光と共に闇とも向き合っている存在」…この言葉が脳裏をかすめました。親鸞は、おそらく健康を光とし、病気を闇と考えたのではないかと思います。そこで、「向き合え」と。「向き合う」ということは、「逃げるな」と、いうこと。「つきあえ」とは言っていない。
 私は、「病気が見つかっても、治療せずにつきあって死ぬ…」これもありかなと考えるようになりました。病気は、「闇」ではない。向き合ってつきあう。つまり、「病気は、悪で、健康が善」という考えを改める…。
 とうとう、親鸞を超えたか!(超えてない超えてない!)こういう考えを聞いたら、デカルトはどう思いますかねえ?デカルトは、病気は悪で、健康が善でしょうから。
 こんなことを考えながら、次回の受診日を確認している私っていったい…。