アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

プーシキン 陰謀で決闘させられ死す…

2012年10月31日 | Weblog
 プーシキンは…反体制の詩人・作家。秘密警察に監視されていた。決闘で死んだ。決闘の様子については広く知られているようです。私も概略は…と、いっても、プーシキンとは面識があるわけじゃない。私が生まれる111年前に亡くなっていますから。

 プーシキンの決闘は、仕組まれたものということが定説となっています。真相でしょう。体制批判を続ける自由主義者プーシキンを抹殺するため、体制側はフランス人の近衛将校ダンテスを使った。
 手口は、プーシキンの妻ナターリアが、やたら美人であったところにヒントがあった。ナターリアは、「社交界の花」とまで謳われる程だったんだと!ダンテスは執拗にナターリアにせまった。そしてプーシキンを挑発し続けた。プーシキンとしては、決闘を申し込まざるを得なかった。
 この決闘、「ペンより重いものをもったことがないプーシキン」VS「軍人で射撃の名手のダンテス」ですから…。
両者の距離は、10歩。豆鉄砲でも当たる距離。これは、当時のロシアでは、「高貴なる距離」と呼ばれていたのだそうで…。高貴なら決闘のような野蛮きわまりないことさせるなよなあ!

 プーシキンは腹を撃たれて2日後に死亡。ダンデスは無傷。倒れたプーシキンを前に両手を上げて大笑いしたのでしょうね。体制側を喜ばせ、花とまで謳われた美しい人妻を獲得したわけですから。もっとも、その後のダンデスについては、情報がない。

 で、本論。随分長い前置きだって?ハイハイ、そのぶん本論を短くします。
 プーシキンが決闘に行く前に立ち寄ったカフェが今も残っており、朝の11時から元気に営業しています。日本語では、「文学カフェ(1835年創業)」というのですがね。
 サンクト・ペテルブルクのネフスキー大通りに面しています。ドストエフスキーも常連客だったという。大きなカフェで…通りから眺めていると、な、な、なんと、「 プーシキンの等身大人形」が食事していました。拳銃も窓から見えるように飾ってありました。そこでアンティークマンは食事しなかったのかって?まだ開店前だったもので。
 プーシキンが決闘に行く前に立ち寄った「文学カフェ」の前で写真を撮ったぞというのが本論でした。プーシキン…可哀想ですよ。

ロシア語を学ぶ日本の若者

2012年10月30日 | Weblog
 サンクト・ペテルブルクで最も有名な、ネフスキー大通りで、日本へ行けばスーパーモデル(スーパーマーケットの女性ではない)になりそうな女性を呼び止めました。そして、ロシアクレープ(ブリヌイ)のファストフード店を尋ねました。幸運にも、その女性は流暢な英語を話しました。ロシアでは、珍しいこと。
 そして、私どもはまんまと目的の、「チャイナヤ・ローシカ」に着きました。中華料理をたべたのかって?「チャイナ」と似ていますが、中華とは全く関係がありません。ロシアクレープ(ブリヌイ)の店です。

 ブリヌイを注文しました。直径30センチメートルほどのクレープに、具材を入れてたたみ、オーブンで焼く。焼き上がりを知らせるタイマーを持たされました(…日本のファストフード店でもタイマーを持たせるところがあるようですが、私どもは田舎者なので初めての体験)。ブリヌイのほか、サラダ、スープ、紅茶を注文。紅茶は、セルフサービス。ポットにドバッと茶葉を入れまして、お湯を注ぐ。早い話が飲み放題。
 席に着くと、タイマーがけたたましく鳴りまして、焼き上がったブリヌイをもらいに行きました。旨いの何のって…ホント旨かった。

 で、私どもが悪戦苦闘しながらブリヌイなどを注文してる様子をチラチラとうかがう人物が。次の客なのですが、「おい、日本人、早くしろよ!ロシア語ができないならこんなところへ来るなよ!この野次馬がっ!」などという態度は見せない。「どうぞ、ゆっくり注文してください。私は煽るようなことはしませんから」と、いった態度。色白でハンサムな22歳前後と思われる男性。日本人かな?と思いましたがロシア人にも東洋系はたくさんいるから…。

 家人が、「チャイナヤ・ローシカ」のトイレへ行きました。トイレのドアが開かず、困っていたら、その男の子がトイレの使い方を教えてくれたという。彼は、日本人でした。
 ちなみに「チャイナヤ・ローシカ」のトイレは…注文してお金を支払うと、レシートをくれるのですが、そのレシートに、「トイレを使用する場合の暗証番号(4ケタ)」が印字されています。トイレのドアの横に小型のプッシュホンのようなものが貼り付いてあります。自分のトイレ番号を入力すると、トイレのドアが開く。
 食事をせずに、トイレだけを使おうとする人を排除しようという作戦ですね。

 さて、日本を代表する野次馬である私も、「チャイナヤ・ローシカ」のトイレを体験しました。レシートさえあれば、怖いもの無し。トイレからの帰りがけに、食事を終えてボンヤリしている日本人と判明した男の子に単独インタビューを敢行!
 「語学留学で、サンクト・ペテルブルクへ来ました。1か月経ちます」言葉が丁寧。好青年でした。印象としましては、ホームシックの傾向があるのかな…といった感じ。しかし、線が細いタイプは、粘り強いかもしれません。
 日本の若者が、サンクト・ペテルブルクでロシア語を学んでいる。これはなんとも心強いですよ。嬉しい気持ちで、チャイナヤ・ローシカを出たのでありました。

 昨年、ブータンで立ち話をした女性が、「鶴瓶の家族に乾杯 ~ブータン編~」に登場しておりました。と、いうことは、「鶴瓶の家族に乾杯 ~サンクト・ペテルブルク編~」では、チャイナヤ・ローシカで出会った若者も登場するかも。

 この日の昼食代は、580ルーブル。およそ、1700円。贅沢してしまいましたが、ロシアで頑張る日本の若者に会えたので、まぁ、いいか。

餃子の本家、ロシアは旨いっ!

2012年10月29日 | Weblog
 ロシアへ行くにあたって、「たべもの」については、全く期待しておりませんでした。知人にロシアの専門家がおりまして、彼の話から総合してのこと。
 ロシアに一度や二度旅行した人を専門家などとまつり上げているんじゃないのかって?いえいえ、本物です。東大法学部→外務省→ハーバード大(ロシア語研修)→駐モスクワ大使館→ロシア課長→(中略)→外務審議官→ロシア大使。現在は、天下りで…その先は秘密です。

 このロシアの本物の専門家がどんなこと言っていたか…
 1 (モスクワ大使館勤務のころ)朝起きてすることは、「多量のビタミン剤を飲むこと」。冬季など、新鮮な野菜・果物が入手できない。特にビタミンCが不足になる。
 2 休日は、大使館員がフィンランドまで車で買い出しに行く。モスクワから800キロメートルもあるのに、なぜ車で?食料品等をたくさん買って運ぶためには、車でなければならないから。
 注:早い話が、ソ連時代は食料も配給制で外交官といえども入手できなかった。もっとも、慢性的に欠乏していたということでしょう。

 さて、全く期待していなかったロシア料理。好き嫌いが無い私の味覚ですからなんでも旨いのですが…、「旨いっ!」。ひとかけらのお世辞も無く、旨いのです。小耳に挟んだところでは、「ロシア料理=ロシアの家庭の味」なのだそうです。「香草類をほとんど使わない(使っても、味を主張しない香草にしている)」「濃い味付けをしない」…これらが日本人の口に合う要因でしょう。インド料理とは、お天道様と番頭さんの違いがありますね。インド料理は(インド料理の総称がカレーなのだそうですが)、「これを食べたら、夜中に虫が這う薄汚いトイレで唸っていなければならないのではないか」という強迫観念にとらわれましたよ。よって、カレーをパスして、ナンばかり食べていました。

 代表的な、「カツレツ」「ボルシチ」「ピロシキ」「シャシリク(肉の串焼き)」「ビーフストロガノフ」「ペリメエ(水餃子)」…一口目で、「う、旨い!」と思わず声が出ます。意外だったのは、「餃子の本家はロシアである」という説でした。「餃子」は、中国が本家かと思っていたものですから。一瞬マユにツバをつけそうになりましたが、力説するロシア人の前なので自重しましたがね。事実、ロシアを代表する料理、「ペリメエ(水餃子)」があるわけでして。餃子のルーツ…主張では、ロシア→中国(→日本)。安易に否定できないと思います。

ロシア人は笑わない?

2012年10月28日 | Weblog
 モスクワのロシア人のガイドが、「旅行を通してロシア人が笑わないわけを考えてください」と、課題を出しました。このロシア人ガイドは、50歳前後の女性。同年代のほかのロシア人女性がそうであるように…体重は80~90キログラムはありそう。表情は、さながら鉄仮面のよう。笑顔を作ることなど考えられない印象。
 ロシアの若い女性は、みなさんスリム。長い足に、さらにハイヒールを履くので、2メートルを越える女性も。彼女らは、背筋を伸ばし、風を切るように歩きます。日本へ連れてきたら、スーパーモデルとして通用するでしょう。しかし、年齢と共に、「魔人ブー」の完全体に近づくのです。
 
 おっと、閑話休題。
 これまで33か国を旅行しましたが、入国審査では、米国以外では気持ちよい対応は…少なかったですね。米国は、パスポートを見ながらジョークを飛ばしてくれたりします。「お土産はトヨタ車かい?トヨタは故障しないね」とか、「息子が日本へ行ったことがあるんだが忍者に会えなかったと残念がっていたよ」など…。こちらも思わず笑ってしまいます。日本では忍者が走り回っている?一体、何時代だぁ!

 さて、34か国目、ロシアの入国審査では…
 ロシア語のおはようは…「ドーブラエ・ウートラ」。こんにちは:「ドーブルイ・ヂェーニ」(ドーブラエではなくドーブルイ)。こんばんは:「ドーブルイ・ヴェーチェル」 全ては暗記できなかったので、とりあえず、「ドーブルイ」の部分だけを暗記して行きました。暗記の仕方は、「胴震い(ドーブルイ)」です。男性の場合、小用を足したあと、「胴震い」をします。女性は…不明です。

 さて、パスポートと出入国カードを提出し、「胴震い…」と、言いました。さて、そのあとは暗記していないので言えない。そのあとを思い出せないフリをして、「胴震い…胴震い…」と、続けた。その時、入国審査の女性が、にこりともせずに、「ドーブラエ・ウートラ」と。そのあとうつむいて、「クスッ」と、笑ったのを私は見逃しませんでした。嘲笑したのではなく、思わず笑ってしまった…と、信じておりますけどね。
 そんなことがあったものですから、ロシア入国の時点で少しだけですが好印象を抱いておりました。そこへ持ってきて、モスクワのガイドは、「ロシア人は笑わない」と、決めつけておりましたので、「オイオイ、マジカヨ?」と。
 私の体験では、「ロシア人は面倒見が良く優しい」「目が合うと笑顔をつくってくれる」など、むしろよく笑ってくれました。

サンクト・ペテルブルクのロシア人ガイドは、これまた大柄の女性で、常に微笑みを絶やさない人でした。本人が言うには、「笑顔を作るために、努力したのよ」。

 サンクト・ペテルブルクのネフスキー大通りのバス停付近で、ガイドブックを広げていました。すると、バスを待っていた男性が、「ヴァスターニャ広場ならあっちだ。カザン教会?あそこだよ」と、積極的に話しかけてくれました。もちろんロシア語ですが、お互いの意思疎通にはなんの問題もありませんでした。面倒見が良く優しいというのはこのような経験からです。
 ランチにしようと、ロシアクレープ(ブリヌイ)のファストフード店を探しました。通りすがりの、日本へ行けばスーパーモデルになりそうな女性を呼び止めて尋ねました。な、なんと流暢な英語を話すではありませんか!「私は、その店を知らないけど、この地図ではもう1ブロック先よ」と。笑みを絶やさない!
 行き着いたファストフード店の店員も皆私どもの味方。「なんとかこの貧相な東洋人夫妻に、ブリヌイを食べさせてあげよう」という気持ちが伝わってきました。落ち着いて考えると、ロシア語は、「胴震い」しか知らないのに、ファストフード店に入るのって…。恐れを知らない…。

 結論として、「ロシア人は、笑う」。そりゃあ、数の中だから笑わない人もいるでしょう。それは日本人とて同じ。
 モスクワのガイドは、どのように課題の解答をしたのかって?あのガイドは、「オシッコがしたい」と、いう人を、「(1時間前にしたばかりなのに)おかしい!」と言った人です。膀胱が裂けても、「おかしい!」と、言うのでしょう。彼女とは、うやむやのうちにおさらばしたので解答は聞いておりせん。
 おそらく…「笑わないことは、共産党時代に培われたもの。笑っても笑わなくても給料は同じ、だったら笑わずに済ます方が顔の皺が増えなくて良い」といった解答を用意していたんじゃないのかなあ。

赤の広場の巨大ソフトクリーム

2012年10月27日 | Weblog
 赤の広場へ行きました。世界文化遺産だから行ったのかって?そ、それなら単なる世界遺産巡りのミーハー観光客でしょうがっ!私は、旅行パンフには関係なく、「行ってみたかったから行ってみた」のであって、世界文化遺産は関係ないです。ロシアの場合、世界遺産の宝庫で、そこら中が世界遺産ですけどね。

 赤の広場は、ロシアの首都モスクワの中心にある広場です。スベリ台やブランコがあるのかって?ありません。石畳の、文字通りの広場です。

 私は、「赤の広場」は、「共産主義思想=アカ」からの命名と思っておりました。または、処刑場があったところから、「血の色=赤」からの命名かとも…。ところが全く違って、ロシア語で「美しい=赤」なのだそう。還暦には赤いものを身につけるという日本の風習…一脈通じるところがあるような無いような。無いかな…。

 赤の広場が整備されたのは、1493年。日本では、戦国時代。水野忠政や山本勘助がオギャアと生まれたころ。
 数々の歴史の舞台となってきた赤の広場。
 独ソ戦争勝利記念パレードも行われた。よくもまあ、ナチス・ドイツに勝ったものです。もっとも、この勝因についてはウンチクを持っておられる方が多いと思いますので、私見は割愛。
 ソ連時代には、毎年、革命記念日(11月7日)に、軍事パレードが行われました。
 記憶に新しいところでは、25年前には、西ドイツ(当時)の若者がヘルシンキからセスナ機で飛び立ち、赤の広場に着陸するという事件が起きました。事件がウンヌンよりも、セスナ機が着陸できるほど広いということが分かります。ジェット機の離着陸は…不可能ではないが、あまりお勧めできません。聖ワシリイ大聖堂を壊されちゃあたまりませんから。

 赤の広場に立って、小泉さんじゃないが、「感動」しました。まさか、日本の片田舎の貧相な老人が、赤の広場に立つとは!
 赤の広場の周囲には、クレムリンの城壁をはじめ、レーニン廟、グム百貨店、北西国立歴史博物館、ロブノエ・メスト(処刑場)などがあります。とりわけ楽しみにしていたのは、「聖ワシリイ大聖堂」。赤の広場の最南端に建つ、ロシアの象徴みたいな建物。中央のネギ坊主屋根を、高さの違う8つのネギ坊主屋根がばらばらに取り巻いている。屋根の下は全て教会だという。屋根の形(構造)や、色彩が皆違う。私が一番好きな屋根は、「ソフトクリーム」のような屋根。屋根をソフトクリームのデザインにする…!素晴らしいです。このような発想が出てきて、実際に造ってしまう。ロシア人って一体…。

 赤の広場の北端は、なだらかな坂になっていまして、途中に、「モスクワの中心」があります。直径40センチメートル程の円盤の金属製プレートが埋め込まれてありました。
 その中心から50メートルほどのところで、無名戦士の墓の衛兵の交代があるというので人並みに流されて行ってみました。衛兵の交代というと、バッキンガム宮殿が真っ先に思い浮かぶので、一寸は期待しました。し、し、しかし、単なる交代…。ショー的要素は、なーんもない。交代して終わり…。「なんのために小雨の中、午前11時に合わせて並んだのか?カネ返せー!」おっと、見物は無料でした…。衛兵は雨に濡れていたのかって?ちゃっかり、電話ボックスみたいなところに入っておりました。なんなんだ!

 ともあれ、赤の広場は素晴らしい。毎日通い続けたい場所ですね。

トイレ後進国 ロシア

2012年10月26日 | Weblog
 ロシアの良くないところばかり書いておりますが…トイレが良くない。
 まず、街中でトイレへ行きたいと思っても…ない!コンビニへ行けばいいだろうって?あ、あのね、首都モスクワにもコンビニは無いから!
 「街を歩いているモスクワ市民だって、トイレへ行きたい人がいるだろう。その人達はどうしているんだ?」…ロシアの皆さんは、膀胱が大きいのか、我慢できるようです。直腸も貯糞量が大きいのかって?いくら物知りの私でも、ロシア人の直腸については分かりません。(推測は出来ますが、それを書いてしまうと国際指名手配されそう)

 旅行中このようなことがありました。
 セルギエフ・ポサードという、「黄金の環」の一つの町へ着いたのは午後5時30分。なぜ観光地にそんな時間に着いたか?理由は簡単、「渋滞」のため遅れたのです。そこで勃発した大問題は…観光予定の修道院が閉じており、トイレをつかわせてもらう事が出来なくなった。添乗員と現地ガイドのバトルを、「イヤホンガイド(ガイドの説明を、参加者が聴く無線のイヤホン)」を通じてツアー参加の全員が聴かされるハメとなった…。

 添乗員:「ほかにトイレは無いの?」
 ガイド:「ありません。私は知りません。1時間前にトイレへ寄ったばかりですよ。もうトイレへいきたいなんておかしい」
 添乗員:「…ど、どこかに…」
 ガイド:「おかしい!おかしい、絶対おかしい」

 尿意をもよおした人は、「おかしい人」にされてしまいました。結局、膀胱をパンパンに膨らませた人々を乗せたバスは走り出しました。最終的にお漏らしした人はいなかったからよかったものの…かなり切ない思いをした人がいたことは確かです。

 レストランに入るとトイレはあるのですが、「男女兼用トイレで個室が2つ(男子の小便用便器が無いところの方が多いのか?)」…これ、スタンダード?

 誇張して書いているだろうと勘ぐっておられる方に決定的な事実を一つ。
 モスクワの空の玄関は、「シェレメチボ空港」。新しくできた、綺麗で、大きな空港です。この巨大な空港ビル…な、な、なんと!1階にはトイレが全くないのです。どうゆうこと?「1階利用客は、外で済ます…つまり青空トイレで良いじゃないの!」ということ? 2階にはトイレがありました。し、しかし、ロシアの首都、モスクワの玄関口のシェレメチボ空港のトイレなのに…「使用した紙(早い話が、尻を拭いた紙)を水洗トイレに流してはいけない。ゴミ箱に入れなさい」…。こういう事があるのです。
 モスクワのガイドの言葉を借りると、「おかしい!」…です。

男は年金をもらえない国?!

2012年10月25日 | Weblog
 ロシアの街で気になるのは、喫煙者の多さです。喫煙マナーの悪さも半端じゃない。吸い殻の路上ポイ捨てになんのこだわりもない。副流煙?全く気にしない。喫煙については、20年前の日本のようです。
 アルコール度数40度以上のウォッカを飲んで、煙草を吸う…どうなるか?早めに死にます。

 そんなわけで…ロシアの平均寿命は、男子60歳、女子70歳です。
 死因ですか?第一位が心臓関係。第二位が癌です。

 さて、年金の受給ですが、男子は60歳から。女子は55歳から。
 
 あれあれ、男子の平均寿命と、年金受給開始年齢とが一致!これは…!ロシアは、男子には年金を支払わなくてもいい!上手いことを考えたものです。(←もっとも、そこまで考えて年金制度を決めたわけではないでしょうけどね)

 …疑惑としては、「煙草の価格をめちゃくちゃ安くして喫煙者を減らさない努力をしている」「ウォッカを飲め飲めと勧める」これらって、寿命を縮めるための国策?

 なお、年金は月額約4万円(1万3千ルーブル)です。

ロシアのガソリン価格

2012年10月24日 | Weblog
 ロシアの平均月給ですが、4万ルーブルだそうです(2012年10月現在)。円に換算すると、およそ12万円。都市部では、皆さんアパートに入っています。国営アパートは70平米という広さ(狭さ?)で、月額1万2千円。ソ連からロシアになって、民間のアパートが出来ておりますが、こちらは家賃がすこぶる高いので平均的な市民が入居するのは困難な様子。

 12万円の給料で、(モスクワ市民の場合)70%が別荘を持ち、複数台の車を持っている…家賃の安さから考えると、衣食もそれほどかからないでしょうから、十分可能なことのようです。
 なぜ、別荘を持つか?ロシアになって自分の土地が買えるようになったからです。ウイークディは、70平米のアパートで暮らし、週末は田舎の別荘でゆったり過ごす。まあ、好きなようにしてくださいってところです。

 ロシアの車が、概して薄汚れている…この理由も分かりました。舗装率が低いのです。週末別荘へ行きますと、幹線道路から、支線の未舗装道路を走る事になります。10月は雨が多いので、道はどろんこ。つまり、車が汚れる。
 だったら洗えばいいじゃないかって?アパートへ戻っても、外に洗車できる水道がない。洗いたければ、洗車場へ行かなければならない。洗車料金はそれなりに高い。だったら、「渋滞の中を洗車に行かなくてもいいや」と、いうことになる。よって、ピカピカの車が少ない。我ながら、なかなかの慧眼。

 ガソリンの値段は、レギュラーで1リットル約80円。ハイオクで約100円。さすがエネルギー大国、安いです。電気は、1kwで、12円(4ルーブル)です。

急病人を救急車に乗せてはダメ!?

2012年10月23日 | Weblog
 モスクワも、サンクト・ペテルブルクも、黄金の輪の街も、渋滞します。モスクワから黄金の輪のウラジーミルという町までバスで行きました。距離は200km。予定は、3時間半。しかし、5時間かかりました。
 道路が悪いんだろうって?とんでもない!片側2~3車線の舗装道路です。インドからブータンへ行く、「落ちたら終わり」という道なら、200kmを5時間というのはスピード違反ですがね。
 どうして渋滞するか?
 1 車が多い!…一家に2~3台の車がある。一番人気は、「ベンツ」そのあとに、アウディ、ベンベ、VW。そのあとに、韓国車。アメリカ・イギリス・フランス車がづづいて、ようやく日本車。トヨタの工場があって、「カムリ」を生産しているそうですが、あまり見かけませんでした。
 2 道路交通法が機能していない!…路上駐車に罪悪感がない。つまり、2車線の道路は、1車線となり、3車線の道路は2車線となる。取り締まりはしないのかって?していました。しかし、焼け石に水のような取り締まり。大型バスが、6台ほど車線を占領して駐車していても…問題にされない。繁華街で歩道に駐車している車も全然珍しくない。
 警察は何をしているかって?交通事故の処理ですね。2車線、3車線の道路が、自主的に3車線、4車線、5車線となり、猛スピード(一般道の制限速度は100km)で走るのです。1週間ほどの旅行中に目撃した交通事故だけで、6~7件。最後に見た事故では、老婆が路上で仰向けに倒れていましたよ。撥ねられたと思われます。事故直後だったので、血は流しておりませんでした。交通事故…めっぽう多いです。

 「ロシアには、バイパスとか高速道路ってもんは無いのか?」
 誰もが思う疑問かも。現在ロシアの高速道路は、たった一カ所。サンクト・ペテルブルクにあります。モスクワでも、建設中の高速道路があるのだそうで…何年か後には完成するでしょう。

 夜の渋滞の時、救急車が渋滞に巻きこまれました。青いライト(赤ではなく青なのです)を点滅させ、「ブーブー!」と鳴らしていますが…道を譲ろうにも隙間がない。だって、3車線の白線が引いてあっても勝手に4車線にしてしまうし、混んでくると、5車線6車線になってしまう。結局、救急車は30分ほど立ち往生のあと脱出できました…。つまり私どもも、30分以上動けなかったということ。救急車の中の患者がどうなったか…。ロシア、特にモスクワ、サンクト・ペテルブルクで救急車に乗せられたら、「もうダメ」と、思って間違いない。全然、救急じゃないから。

モスクワ市民の70%が週末は別荘で過ごす

2012年10月22日 | Weblog
 ロシアへ行ってきました。無事帰ってきました。危険を感じたことは、全くありませんでした。まあ、夜、外出したり、危険といわれている地域に入り込みさえしなければ、ほとんどの国で大丈夫ということですがね。
 外務省の情報から、用心していましたが、拍子抜けでした。不満はありませんがね。

 ロシア連邦は、ユーラシア大陸の北部を占め、ヨーロッパ東部とアジアにまたがる共和国。で、意外にも広まっていないのが、「国土面積が世界最大」ということ。若い人(高校生~30歳代かな)に、「国土面積が世界最大の国は?」と問うと、多いのが、「中国!」。続いて「カナダかな?」。なぜかロシアは忘れられています。
  ロシアの面積は1707万5200平方キロメートル。世界の陸地の九分の一以上を占め、アメリカや中国のほぼ2倍です。私が自慢する事もないのですが、中国の2倍ですから!
 カフカス山脈にそった南の国境からバレンツ海の北極の島々まで、南北に4000キロメートル。東西には最長部分が1万キロメートル。バルト海東岸からベーリング海峡のラトマノフ島までですよ。ウラル山脈を境にしてヨーロッパとアジアにまたがっているのです。

 ソビエト連邦の頃は、「間違っても足を踏み入れることがない国」と、思っておりました。忘れもしない、1991年12月26日。ソビエト連邦の解体。それでも、「行くことなどないなあ」でしたね。1992年3月31日のロシア連邦条約によって発足した…。人口1億4000万人。日本とあまり変わらない。と、いうことは、早い話が人口密度がすこぶる低い。100以上の民族が暮らす。中国は55の民族ですから、この点でもおよそ2倍。

 なぜ、「行くことはない国」と、思っていたか?なにしろ、「共産主義の総本山」と、思い込んでおりましたから。「行ったら共産主義が感染する」と…。

 ではなぜ今行ったか?特段理由は無いのですが…

 ロシアの宇宙船ソユーズが、米国人、ロシア人、マレーシア人の宇宙飛行士を乗せて、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から国際宇宙ステーションへ飛び立った(10月10日)。
 ロシアは、今や世界の宇宙開発の頂点に君臨している国です。米国もロシアに期待しているのです。どんな期待かって?宇宙科学研究の基盤は、国際宇宙ステーション(ISS)。米国は、ISSへのシャトル発着の回数を増やすことに期待を寄せている。米国のスペースシャトルは、御存知のように2010年に引退し、新たな宇宙船が完成するのが2014年。ソユーズに頼るしかないのです。
 ロシア側も、期待に応えようとソユーズの打ち上げ回数を従来の倍の4回に増やしています。2015年までに、現在計画中の6人乗りの宇宙船によって年10回打ち上げたいと!

 ロシアの文化は…チャイコフスキー、ドストエフスキー、トルストイ…バレエ・オペラ・音楽・絵画・文学…世界一といってもどこからも苦情は来ないのではないかと。

 そのロシア…庶民の皆さんはどんな暮らしをしているのでしょうか?某国のように餓死の恐怖は無いとは思いますが…宇宙開発、芸術の陰で、無表情で不味い物を喰ってただただ生きている…?落差というか格差があるような気がしたのです。
 それで、1000分の1でも、1万分の1でもロシアにふれてみたいと…。

 モスクワで、いきなりガツンとやられました。殴られたのかって?そ、そうじゃないんです。土曜日の朝、ひどい渋滞に巻きこまれたのですが、
 「なんでこんなに渋滞するんだ?」と、質問したら…
 「モスクワ市民の70%は、郊外に別荘を持っています。土曜日の朝は、車で別荘へ向かいますから渋滞するのです」
 
 別荘を持っているから裕福とかリッチだとは言えません。しかし、モスクワ市民は、車を持ち、別荘を持っているところから、餓死の心配はなさそうです。
 モスクワのガイドさんは、「ジュータイ(渋滞)」と、発音出来ず、「ジュタイ」と、言うのです。はじめは、「さすがロシア正教の国、やはり受胎(ジュタイ)から話をはじめるんだな」と、勘違いしましたよ。