チリで、地下700メートルに、33人が閉じ込められている。救出までに3~4か月かかりそうだという。閉じこめられている作業員…、もうすでに5人がウツになっている。
救出作戦に、NASAが協力を申し出た。それはそれでよい。私が不満なのは、日本はなぜNASAよりも先に救助隊を派遣しなかったか?パキスタンには自衛隊を派遣した。チリへだって派遣すべきではないのか?
宇宙で人類が暮らして帰還する時代に、地下に閉じこめられた人を救助するのに、3~4か月かかる。これってどういうこと?大量の重機と、ダンプトラックで巨大な穴を掘り、残り200~100メートルのあたりから、救出用の穴を掘れば救助に要する期間は短縮される。日本の自衛隊は間違いなく役に立てる。日本のトップは、コップ内の争いに忙しいので、チリは無視?塵扱いでもなかろうが。
映像で観ただけですが、チリの救助用の穴を掘る様子…ユンボで引かれた掘削機が…い、い、一台だけ!もっとも、複数台あってもしょうがないけど。しかも、年代もの。その一台が故障した、オペレーターがサボった…なんやかやで救出までに1年もかかってしまうんじゃなかろうか?心配です。
日本でも、炭坑の全盛期は毎年のように「山はね」や「落盤」がありました。そして、坑夫が「地下深くに閉じこめられながらも奇跡的に生きていた」ということがままありました。おおむね、救出までに1週間程度でした。
「33」という数字が符合…
大田蜀山人(おおたしょくさんじん)さんの記録として伝えられているものもある。これは…正直よくできた話だとは思いますが…。
1783年に浅間山が大噴火。溶岩流はいくつもの村を呑み込み、1,200人の命を奪った。いくつもの村というのは、現在の吾妻郡嬬恋村鎌原周辺の村ということ。当時は鎌倉村といった。
「浅間山焼荒之日并其外家并名前帳(山崎金兵衛)」によると、犠牲者477人(生存者は93人)とある。犠牲者は1,200人のという蜀山人の記録とは違う…。白髪三十三千丈方式?
よくできた話とは…(もちろん、事実かも知れません。創作かもしれません)
浅間山大噴火から、33年後のこと。村人(鎌原村)が井戸を掘っていた。出てきたのは瓦。更に掘ると、屋根が現れた。家が埋まっていると感じた村人は、屋根に穴を開けて中を覗き込んだ。
地中の屋根の下の空間で、二人の老人がまぶしそうに井戸掘りの村人を見上げていた。救助された老人達の話によると、大噴火の時、避難した倉庫ごと地中に埋められてしまったのだという。33年間食糧はどうした?まさかキノコを栽培して食いつないでいたわけではないだろうなって?避難した倉庫というのが、米、酒の倉庫。米は三千俵、酒は三千樽あり、それらを食い繋いできたという。米は、一日に15kg食べると、33年でなくなる計算。そんなに食べないので発見が遅れても生き延びられた。水は酒で代用できるが、酸素は?照明は?
チリの33人。なんとか3~4か月我慢して生還してきていただきたい。日本政府への自衛隊派遣の要望?もう遅い。いつだって遅いんだから。
地中に埋もれた倉庫での33年、地下700mで救助を待つ33人。
散々(33)でした。窮したことでしょう(3×3=9)。「脱出したら、太陽が燦々だ!」…だんだん深みに…。
救出作戦に、NASAが協力を申し出た。それはそれでよい。私が不満なのは、日本はなぜNASAよりも先に救助隊を派遣しなかったか?パキスタンには自衛隊を派遣した。チリへだって派遣すべきではないのか?
宇宙で人類が暮らして帰還する時代に、地下に閉じこめられた人を救助するのに、3~4か月かかる。これってどういうこと?大量の重機と、ダンプトラックで巨大な穴を掘り、残り200~100メートルのあたりから、救出用の穴を掘れば救助に要する期間は短縮される。日本の自衛隊は間違いなく役に立てる。日本のトップは、コップ内の争いに忙しいので、チリは無視?塵扱いでもなかろうが。
映像で観ただけですが、チリの救助用の穴を掘る様子…ユンボで引かれた掘削機が…い、い、一台だけ!もっとも、複数台あってもしょうがないけど。しかも、年代もの。その一台が故障した、オペレーターがサボった…なんやかやで救出までに1年もかかってしまうんじゃなかろうか?心配です。
日本でも、炭坑の全盛期は毎年のように「山はね」や「落盤」がありました。そして、坑夫が「地下深くに閉じこめられながらも奇跡的に生きていた」ということがままありました。おおむね、救出までに1週間程度でした。
「33」という数字が符合…
大田蜀山人(おおたしょくさんじん)さんの記録として伝えられているものもある。これは…正直よくできた話だとは思いますが…。
1783年に浅間山が大噴火。溶岩流はいくつもの村を呑み込み、1,200人の命を奪った。いくつもの村というのは、現在の吾妻郡嬬恋村鎌原周辺の村ということ。当時は鎌倉村といった。
「浅間山焼荒之日并其外家并名前帳(山崎金兵衛)」によると、犠牲者477人(生存者は93人)とある。犠牲者は1,200人のという蜀山人の記録とは違う…。白髪三十三千丈方式?
よくできた話とは…(もちろん、事実かも知れません。創作かもしれません)
浅間山大噴火から、33年後のこと。村人(鎌原村)が井戸を掘っていた。出てきたのは瓦。更に掘ると、屋根が現れた。家が埋まっていると感じた村人は、屋根に穴を開けて中を覗き込んだ。
地中の屋根の下の空間で、二人の老人がまぶしそうに井戸掘りの村人を見上げていた。救助された老人達の話によると、大噴火の時、避難した倉庫ごと地中に埋められてしまったのだという。33年間食糧はどうした?まさかキノコを栽培して食いつないでいたわけではないだろうなって?避難した倉庫というのが、米、酒の倉庫。米は三千俵、酒は三千樽あり、それらを食い繋いできたという。米は、一日に15kg食べると、33年でなくなる計算。そんなに食べないので発見が遅れても生き延びられた。水は酒で代用できるが、酸素は?照明は?
チリの33人。なんとか3~4か月我慢して生還してきていただきたい。日本政府への自衛隊派遣の要望?もう遅い。いつだって遅いんだから。
地中に埋もれた倉庫での33年、地下700mで救助を待つ33人。
散々(33)でした。窮したことでしょう(3×3=9)。「脱出したら、太陽が燦々だ!」…だんだん深みに…。