アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

ブータンの子にモノをあげてはいけません

2011年09月30日 | Weblog
ブータンで緊張の日々を過ごしたので、固い話ばかり続きました。今日は少々柔らかい話にします。
 ブータン行きの目標に、「ブータンの子を捕まえて、数を数えさせる」というものを掲げておりました。
 ゾンカ語(ブータンの公用語。なお、英語もブータンの公用語です)では、数字を数える発音が…「1→チィ、2→ニュィ、3→スム、4→ジィ…(中略)…11→チュウチィ、12→チュウニィ、13→チュスム、14→チュウジ…」だという。それを、立証してもらおうというもの。

 折良く、下校途中の男の子を捕まえた。10歳だという。
 私が、「イチィ、ニイ、スァン…」と数えたら、な、なんと通じた!これは期待が持てる!指を三本出して、「これを発音して!」と、お願いした。
 少年は、なんと言ったか!少年が、「サン」とか「スン」とか言ってくれるだろうと期待したのであるが…答えは、「three(スリー)」。そりゃないべ!
 4も5も言ってもらったが、「four,five(フォー、ファイヴ)」でした…。がっかり。「ゾンカ語で言って!」と、言えば良かったのかも知れませんが、その時は狼狽していたもので…。

 「イチィ、ニイ、スァン…」を諦めて、ブータンの九九を言わせようと粘ってみたが、英語でしか言ってくれなかった。
 学校教育は英語で行われているので、「1、2、3…」も、九九も英語なのですね。

 その子にお礼はしたのかって?「イチィ、ニイ、スァン…」も言わないような子にお礼をするはずがないでしょうがぁ!
 私が捕まえた男の子なのに、これ幸いと写真をバシャバシャ撮って、男の子に「四色ボールペン」をあげた人がおりました。男の子は、「し、し、信じられない」といった表情でボールペンを懐に入れました。男子の民族衣装、「ゴ」は、「巨大ポケット」がある衣装なのです(帯の上の部分が、いわばポケット。背中の方までたっぷり物を入れられます。ボールペンなら、数千本ぐらいなら簡単に入ってしまいます。 
 おっと、そういうことじゃなくて…ブータンの子にものをあげてはいけないと思います。不幸にしてしまう恐れがありますから。飴チャンをあげるオバチャンも多いですが、虫歯になったらどうするの!日本人によって、不幸にされてしまうわけで…。

弁当を持って登校する幸福な子どもたち

2011年09月29日 | Weblog
 インドとブータンの国境…インド側は、ジャイガオンという町。インド人に混じって、ブータン人が買い物をしている。どうしてブータン人と分かるか?見分け方?これは赤ちゃん以外は誰でも見分けられるはずです。なぜなら、ブータン政府は、「正装は、民族衣装」と、法律で決めているからです。

 正装しなくてもいい場面では、ジーンズでもいいのかって?遊びに出かけるときはジーンズでもOK。民族衣装は、男性は「ゴ」、女性は「キラ」。男性のゴは、丹前を着て尻まくりをしているような…。現代の日本人は、「丹前」が分からない人が多くなってしまいましたが…。
 キラは、ロングのタイトスカートのような…タイトスカートも死語か…。ゴもキラも、大変おしゃれな衣装です。小学生も高校生も制服は、ゴとキラです。小さな子がゴやキラを着ている姿は、実にカワイイです。ゴの場合、革靴を履きます。小さな革靴をピカピカに磨いた小学生…カッコイイです。

 顔は、日本人ソックリ。中には、インド系、ネパール系、チベット系と思われる人もいる。全体の7割は日本系…じゃなくて、日本人とよく似た顔です。日本人の顔をして、丹前というか、着物のようなものを着ているので、実に親しみがわきます。
 中には、ゴを着て腰から剣を下げている人も…お、おい、銃刀法違反じゃないのかぁ?江戸時代の日本じゃないんだから…これも、法律で決められているのだそうで、「政府高官は腰から剣を下げること」と。政府高官には見えない人も剣を下げていました。…と、思ったら、ナタでした。農作業で使うらしい。このように、刃物が普通に出回っている。これも、日本人にとって奇異な光景でした。

 キラは細身の女性でなければ似合わないだろうって?そう思います。で…、ブータンの女性で太った人を見ることはありませんでした。みなさん、スレンダーな方ばかり。

 ゴ、キラを着て登校する子供達…持ち物は、カバンと弁当。おしゃれなブータンの子供達は、弁当を入れるものにもこだわりがあるらしい。女の子は、竹か籐で編んだ四角いハンドバッグのようなカゴ。男の子の弁当入れは、電気釜の小さなものを思い浮かべていただくと、まさしくそれ。
 弁当持参で登校する…日本のように、学校給食などない。これは、素晴らしいことです。親が作ってくれるのか、自分で作るのかは不明ですが、「弁当」持参。

 私は、学校給食に疑問をもっているものですから、ブータンの弁当には膝を叩いて喜びましたよ。「給食だと、手間がかからない。面倒くさくないからいいじゃないか」って?それなら一体誰のための給食なの?手間をかけなくなった分、親子の絆が細くなってきたんじゃないの?学校給食の普及と、中学生の非行の増加のグラフを重ね合わせてみたらおもしろいことが分かりますよ。
 弁当を作る手間を省いて幸福になるとは思えない。ブータンでは、「弁当を作る手間も幸福と考えている」と、感じましたよ。

ティンプーの夜…ビールと御飯で更けていきます

2011年09月28日 | Weblog
 陸路(インドから)、ようやくの思いでブータンの首都ティンプーに到着。プンツォリンからティンプーに至るまでに、三度の検問がありました。車のナンバー、運転手の氏名、乗客数、乗客の男女別人数などが調べられます。しかし、立ち入り検査ではないので形式的なものとの印象でした。
 ティンプー市内に入る前に、門をくぐります。インドとの国境の、「ブータン門」を小型にしたような門で、おそらくチベット仏教から来ている様式と思われます。門をくぐり、「世界一幸福な国へ来た!」と、実感しました。くぐっただけで実感したのかって?そうです。くぐったら、道路は舗装されているし、しっとりと落ち着いた町並みが出現しましたから。折からの建築ラッシュで、4~5階建てのビルが作られておりました。ビルといっても、巨大な箱ではなく、ブータン様式とでもいうのでしょうか、味わいのある装飾が施されたものです。もちろん、鉄筋コンクリート製。その上に、木をふんだんに使っていました。
 夜の8時ごろのティンプー入りでしたから、道を歩く人はまばら。車も、まばら。一国の首都がですよ!?犯罪がほとんどないのも当たり前です。

 そもそも、ブータンには、「酒」は良くないという道徳がある。しかし、酒の文化はある。代表的なものは、「バンチャン(お湯で溶かしてのむ固形酒)」でしょう。製法は…米や麦などの穀類を蒸す→ござに広げて乾燥させる→麹を混ぜてバケツに入れ蓋をする→アルコール臭がしてきたら密閉できる容器に入れて数週間発酵させる。これをコップに入れてお湯を注いで飲む。民家を訪問させていただいたとき、バンチャンを味見させていただきましたが…ま、確かに酒でした。「美味いっ!」というものでもありませんでしたけどね。バンチャンの他に、日本でいうところのドブロクである、「シンチャン」がある。なお、「チャン」は、酒の意味。
 「アラ」とよばれる焼酎もある。ウイスキーやブランディーも、ブータン産はあることにはある。しかし、「飲酒=良くないこと」のため、レストランでは、バンチャンも、シンチャンも、アラも用意していない。
 唯一用意されている酒類は、「ビール」。このビールも400円~600円と、日本並み。大卒初任給が2~3万円の国でですよ。高いよ!なお、ビールは、「大ビン」が普通でした。

 料理?ブータン料理は、驚くほどレパートリーが少ないです。「エマ・ダツィがあるだろう!」って?確かに、エマ・ダツィは代表料理ですが、他には、せいぜい焼きそばとギョウザぐらいのもの。エマ・ダツィは、唐辛子とチーズを煮たもの。外国人向けに辛さをおさえたものですら、辛いのなんのって…私は、半口でギブアップしました。食べ物に対して、文句など言わない私が「ヒィー、ヒィー」と、泣いて降参したのですからいかに辛いか!ブータン人にとって、トウガラシは、「野菜」なのだそうで…。生のトウガラシが丸ごと出されたことも。ブータン人は、これをキュウリを食べるようにバリバリと食べるのでしょうねぇ…。

 結局私は、御飯(赤米)に、カレーや、中華風の料理を少し混ぜて食べるという食事の連続でした。肉はなかったのかって?豚肉は毎度出されました。し、しかし!赤身を食べるのではなく、「脂身そのものを食う」!私は、見ただけでギブアップ。脂身が美味しいことぐらい分かっている。しかし、そんなもの食べたら翌日はトイレに籠城することは明白。魚は出なかったのかって?大きな川があるので、魚を獲ろうと思えば獲れるはず。しかし、「殺生を好まない」。川の魚を殺すなどということは間違ってもしないのです。豚は殺しても平気なのかって?殺さないというだけで、食べないとは言っていません。すでに死んでいる豚肉であれば食べることに何らの躊躇もないのです。ブタはブータン産じゃないのかって?そのあたりは、いい加減な推測で答えることは慎みますが…たぶん、「鯨を殺すな」と言う人たちが牛を殺して牛肉を食べるのと同じではないでしょうか。

 こうして、ティンプーの夜は更けていきました。カラオケ?そんな良くないものあるわけないでしょう!世界一幸福な国ですよ!良くないものは排除です。

交通信号がない国…ブータン

2011年09月27日 | Weblog
 ビザの取得が面倒なので、ツアーに参加してブータンへ行ってきたのですが…行ってみると、個人旅行者を見かけました。「手続きだけを旅行代理店に頼んで、あとは個人で」、その手があったとは。
 ブータンの観光には、鎖国の面影を残しているかのような制度があります。
 「公定料金」です。観光客は、1日250ドルの公定料金をとられます。200ドルだろって?それは去年までの話。今年のハイシーズンは、1日250ドルです。10日間滞在すると、2,500ドルかかるわけです。
 1日250ドルが高いか安いかですが…ガイドへの支払い、運転手さんへの支払い、車代、ホテル代、レストランでの食事代…これら全てがこの250ドルに含まれています。1日250ドル払えば、個人の買い物以外はお金がかからないわけです。ですから、日本人の感覚としては、高くはないかも知れません。

 ツアーの場合は、公定料金もヘチマもすべて含まれての旅行費用ですから、250ドルに関わる心配は無用でした。
 ガイドさんと、ドライバーさんはセットで観光客にくっついてきます。ブータンに滞在している限り、観光客の単独行動は出来ません。「鎖国の面影」と書いたのはこのあたりのことです。監視下に置かれているということかって?まあ、そんな面倒なことではありませんがね。
 人口70万人そこそこのブータンに、「観光案内会社」が何社あると思いますか?な、な、なんと!700社です。
 昨年ブータンを訪れた外国人観光客は、27,000人。そのうち日本人は、3,500人。この数字は、アメリカ人に次ぐ世界第二位だとのこと。第三位以降は、ずらーっとヨーロッパの国々が続く。欧米人がなぜブータンへ行くのかの理由は、「英語が通じる」ということでしょう。それもそのはず、ブータンの学校教育は、「英語」で行われているのです。年配者の中には、英語が分からない人もおられるが、大半は普通に英語が通じました。

 日本人には日本語を話すガイドがつくのですが…どうやって日本語を覚えたのか?私達に付いたガイドは、「JICAの人に3年間習いました」とのこと。
 ドライバーと車が付く理由は、「公共交通インフラが整備されていない」から。車がなければ移動が困難なのです。なお、ブータンには、交通信号がない。過去にティンプー市内一カ所に信号をつけたことがあるのだそうですが、ほどなく廃止。廃止の理由を確認しませんでしたが、たぶん「混乱するから」だと思いますよ。その場所、現在は手旗信号になっていました!徒歩で道路を横断するときには十分な注意が必要でした。車は決して止まってくれないから。

 ブータンの車の数は、予想外に多かったです。とにかく道路端の駐車スペースに空きがない。
 プラドが走っている!あっ、サーフが来た!隣町へ行くにも、超悪路の峠越えをしなければならないので、ジープタイプは大人気と見た。金持ちが増えたということなのか?レクサスはどうだったかって?それは見かけませんでした。シェアでは、インドに工場があるせいか、スズキが一番でした。ヒュンダイも健闘していました。自動車は、こぞってピカピカ。インドとは天と地ほどの差ですね。新車で買って、大切に扱っているということでしょう。

平均時速20kmの主要道路 ~陸路のブータン入り~

2011年09月26日 | Weblog
 いやはや…数多の衝撃を受けて、なんとかインド、ブータンの旅から生還しました。
 何から書いたらいいか…昨日、ネパールで観光遊覧飛行の小型機が墜落しました。観光旅行での客死…死に方に、いい死に方も悪い死に方もないのですが、客死はなかなか辛い。本人は好きなことをしている最中でしょうから、諦めもつくでしょうけど…。

 この度、インドのシリグリから、「シリグリ~ダージリン~ジャイガオン~(ブータンへ入って)プンツォリン~テンプー~プナカ(で折り返し)~テンプー~パロ~そして復路へ」。このコースを、大型バスやら中型バスやらジープやらに乗っての旅行をしてきました。インド・ブータン報告の第一弾は、陸路事情についてです。

 シリグリは、人口50万人。インドでも都会の部類に入る…し、しかし!B,BUT!定員20人の中型バスが走り始めてまもなく、日本には絶対にない悪路に。バスは大きく揺れ、乗客は窓ガラスに何度も何度も頭をぶつける。しっかり掴まって頑張っていると、「恥も外聞もない」という心境になります。…1時間走っても超ド級の凸凹道が続きました…。

 さすが、「シリグリ」という名前をつけただけのことはある。シリグリ命名者は、悪路で尻をブリグリやられてしまうから、シリグリとしたのでしょう。だけど、間違いましたね。正しくは、「シリワレ」でしょう!
 こ、この悪路が110km続き、ダージリンへ着いたのですが…。何時間かかったと思いますか?日本人の常識では、「そうだなあ…3時間ってところかな」でしょう。しかし、実際は、5時間半かかりました。平均時速にすると、20kmに満たない。ダージリンへ行く人は、ほぼ全員がこの道を通ることになります。覚悟して行ってください。

 さて、凸凹道に揺られても、客死する人はあまりいない。せいぜい窓ガラスを頭で割って血を流す程度。
 ダージリンから、ブータン国境の街、「ジャイガオン(現地の人は、ジャイゴンと言ってました)」への、195kmは、凸凹道に峠越えが加わった。峠道の常は、曲がりくねった急傾斜。道幅が狭いので、対向車が来たら停車して譲り合う…。国境への幹線道路なので、峠にも関わらず大変な交通量。なお、峠の数は…はじめのうちの30ぐらいは数えていましたが…結局、数えきれませんでした。
 ここでの問題は、片側が岩の壁で、反対側が奈落の底への谷であるということ。壁にぶつかるならいいが、谷へ落ちたら間違いなく客死。ゴロゴロと転がりながら落ちていきます。195kmの道ですが、7時間半かかりました。

 極めつけは、ジャイガオンからブータンに入り、首都テンプーへ入る道。国民総幸福量世界一のブータンの首都へ入る唯一の道ですから…素晴らしい道というイメージを描いてしまいますが…実際は、生きるか死ぬかの道でした。峠を何百も越えるのですが…標高2100mまで登るものでして、谷へ落ちたら、500~700mは、転がり落ちる!
 折からの豪雨で崖が崩れ、道がふさがれました。車は、数珠繋ぎのまま動かない。一旦は、「このまま夜明かしか」と、覚悟を決めましたよ。停車して待つこと3時間。幸運にも道路が開通して、車中泊は免れました。通常、7時間程度のドライブなのでしょうが、私のバスは、10時間かかりました。
 10時間かかりましたが、バスが谷へ落ちなくてよかったです。
 「ほとんど落ちないんだろう!」だって?じ、実は前方を走っていた軽のバンが落ちていきました。幸運にも50mほど落ちたところで木にひっかかって止まりました。車内の人達の安否ですか?確認しないままです。救助すべきでしたが、すでに何台かの車が助けようとしておりましたので…。このように、落ちていく車は珍しくないわけで…。
 と、いうわけで陸路のブータン入りは、止めた方がいいです。

ブータン旅行に高い壁が…でも行きます!

2011年09月13日 | Weblog
 さて、そんなブータンですから(昨日からの続きです)、のんびり個人旅行をしようと考えたのですが、阻まれました。
 「文化・自然保護の観点から、団体の観光客以外は原則として入れません!」とピシャリ。しかし、そんなことで簡単に引き下がる私ではない。事実、個人旅行の観光客もまれではない(はず?)。
 一番の問題は、「事前にビザを取得しなければならない」という点。これまで旅行した国でビザが必要な国では、空港に着いてからビザ発給申請の書類を書いてお金を払えばOKでした。しかし、ブータンは違う。
 日本にいてブータンのビザ申請書類をどうやって入手する?
 ビザの代金をどうやってブータンへ送る?現金封筒?現金封筒で送るにしても、ブータンの通貨って、どこへ行けば入手できるの?
 …面倒で膨大な時間がかかる。そこで、やっと個人旅行の心がボッキリ折れて、ツアーに参加して行くことにしました。旅行会社のツアーに乗っかっていけば、煩わしいことは何もない。ただ、ブータンの子供達との交流に制限がありますけどね。(←外国を旅する楽しみは、イカサマ手品で現地の子を煙に巻くことなもんで…テヘヘ)

 35年も前になりますが、「天国に一番近い島 ニューカレドニア」へ、行きました(ミーハーなもんで…)。まあ、天国の雰囲気はなかったです(天国へ行ったことがあるのかって?そ、それはないですけど)。天国に近いかどうかは、個人が決めることで、森村さんが「天国に近い」と思っても、私には「普通」であって何ら不思議はないわけです。「天国に一番近い島は、エスタの北東にある小さな島の集合の中の1つだろう!」って?そ、それは、ゲームの話。1966年に出版されて、ベストセラーになった、「天国にいちばん近い島」という旅行記があったのです。その旅行記の舞台が、ニューカレドニア。

 天国に一番近い島へ行った経験者ですから、「世界一幸福な国」へ行くのは、むしろ必然かなと。
 いろいろ書きましたが、ブータン旅行の動機を一言で表現すると、「単なる野次馬」ってことですね…ハイ。

 と、いうわけで、今日これからブータンへ行ってきます。ドキドキしています。
 同行予定の添乗員さんから、旅行前の挨拶の電話をいただきました。「インドのシリグリからのバス(ジープの場合も)移動ですが…。9日間にわたり、ほぼ毎日、石がごろごろ、凸凹のとんでもない道を走ります。7時間ほど走る日も、10時間走る日も(ギャーッ!)。次の町までは行くのに、必ず峠を越えます。標高3150mの峠も越えます。時速25~30kmが、限度です。それでも大変な振動です。酔い止めの薬をお忘れなく。あと、ホテルによっては、お湯が出ませんから…シャワーも水です(ウッ!)。あと、虫除けも忘れずに。マラリア、デング熱がありますから…(オイオイ!)。あと、お腹をこわす…」

 世界一幸福な国へ行くには、何重もの試練を乗り越えなければならないということでしょうか。それにしても、「シリグリ」という村の名前。尻をグリグリやられそうな恐ろしい響き…。悪路を毎日のように走る。バスでは腹がぶつかる悪路のため、ジープを使うのだそうで…こ、これは、尻が割れてしまうかも。え?すでに割れてるだろうって?こ、これは、子供の頃スキーで尻もちをついたときに…。

 ブログ再開予定は、9月25日(26日になるかも)。生還できたらの話ですけどね。シリグリの情報も書きます…生還できたら…。

どうしてブータンへ行きたいのか?

2011年09月12日 | Weblog
いよいよ、長年の夢だったブータンへ行くのですが…「ブータン」と聞いて、どこにあるかがすぐ分かる人は少ないです。中には、「北アフリカでしょ。エジプトの南。南部が数か月前に独立した…」そ、それは、「スーダン」…。
 ブータンは、インドと中国に挟まれてネパールの東に位置する。人口67万人、面積は島根県程度。GNPは世界150位台、主要産業は農業、最大の輸出品はヒマラヤの斜面で行う水力発電の電力。近代化の速度をコントロールしつつ、独自の立場や伝統を守ろうとする政治をおこなっている。

 ブータンは、「国民総幸福量(GNH:Gross National Happiness)」で世界1位の国。90%の国民が、「自分は幸福だ」と、感じている。ちなみに日本は、56%。(但しこの数字は、単純比較できません。同じ土俵では相撲がとれませんから)

 ブータンは鎖国状態でしたが、鎖国政策のままで国連へ加入することが出来なかったので政策を変更。現在は、「半鎖国状態」。

 国民は、民族衣装を着ることが義務づけられている。こんな国ないですよ!素晴らしい!日本も真似るべきとは思うが、「日本の民族衣装」を決定するのに100年以上かかりそう。

 数字を数える発音が、日本語に似ている。「1→チィ、2→ニュィ、3→スム、4→ジィ…(中略)…11→チュウチィ、12→チュウニィ、13→チュスム、14→チュウジ…」嬉しくなります。
 この数字の発音はゾンカ語。こんな国があるのです!素晴らしい!

 「ブータンの子供達を捕まえて、『チィ、ニュィ、スム…』を強要するんだろう!」だって?もちろんです。ブータンの九九にも興味があります(15×15までを暗記するらしい)。
 日本人がブータンに関心を持ったは、1989年の大喪の礼の時だったと思います。大喪の礼は、国の儀式として営まれる天皇の葬儀。1989年2月24日は、昭和天皇の葬儀でした。
 その時の日本は元気でしたから、途上国は、経済支援をしてもらいたかった。そこへ降って湧いた大喪の礼。途上国は、いわゆる「弔問外交」に出た。
 「お悔やみ申し上げます。葬儀にわざわざ参列させていただいた途上国でございます。お礼?とんでもない。少しばかり、経済支援をしていただければ十分です」と、いうわけ。
 ブータンからは、国王がじきじきに来てくださいました。国王は、なんと言ったか…
 「日本国天皇への弔意を示しに来たのであって、日本に金を無心しに来たのではありません」…性根が、「卑しくない」。武士道に通じるものがあります。
 この度の東日本大震災にも、ブータンからお見舞い金が届いています。GDP150位台の国からの見舞金…月収が2~3万円の人々の寄付金…。「お金じゃないよ、心だよ」と、語ってくれています。

ブータンの村…「渡り鳥(鶴)を保護するために電線敷設をしていない。自分たちの不便より、渡り鳥の保護を優先する。自分たちは、自家発電による夕方3時間ほどの通電のみで暮らす」。そういう村が多数存在しています。

ブータンは、世界初の禁煙国家(2004年12月から)です。たばこの販売も、もちろん禁止されている。(日本から持ち込んだたばこを、ホテルでこっそり吸ってもいいかって?死刑になりたければ、バンバン吸ってください)

 英語教育は7歳から。年配者には英語が分からない人がおられるという。現状では全国民の60%が英語を解する。なお、中国語、インド語、ネパール語を話す国民が多いという。公用語は、ゾンカ語と英語。

 アジアに限らず、海外の観光地には物売りがつきもの。子供の物売りも、ごく普通。しかし、ブータンには、物乞いや小物を売りに来る子供がいないという。海外旅行で、日本との差を感じさせられるのは、トイレ。ところが、ブータンのトイレはきれいなのだそう…。あと、都市部へ行っても街中に「看板広告」の類がほとんど無いのだと。
 私の場合、野次馬という「馬」が、人の姿をしているものでして…。述べてきた情報だけでも、「行ってみたい!」と、思うのです。(明日へ、続きます)

アルファベットは分かるが、五十音がイマイチ?

2011年09月11日 | Weblog
 猫はニャー 犬ならワン
 象はパオーン ライオン ガオーッ
 僕たちは 人間だもん
 あかさたなはまやらわをん
 五十音使いコミュニケーション
 言葉巧みなコミュニケーション
 語り合おう わかり合おう
 まずは話し合おう

 五・一五事件の歌かって?そ、そうじゃなくて、「あかさたなはまやらわをん」という歌の一番(の歌詞)です。猫、犬、象、ライオンぐらいまでなら、うっすらと記憶にある人もおられるかと。(歌詞の)下の二行は、正しく五・一五事件の時、殺害された犬養毅首相が攻め込んできた青年将校たちに何度も何度も言ったといわれていることばですね。そのあと、青年将校たちは、「問答無用、撃てぇーっ!」。1932年のことでした。さすがの私も、まだ、この世には存在していませんでした。

 で、格調高く、五・一五事件を引っ張り出しましたが、今日書くのは、格調低く、「あかさたなはまやらわをん」。五十音の問題…。

 教員採用試験浪人中の日本人の若者との雑談で・・・携帯等でメールを打つせいか、ローマ字の配列はブラインドタッチなのに、「あかさたなはまやらわをん」…これがよく分かっていない!「それじゃあ、国語辞典が引けないだろう!」と、ツッコミを入れると、「国語辞典?あーっ、引かないから大丈夫!」。…大丈夫じゃないと思うのですが。電子辞書ってものがあるのだそうで…。
 そんなわけで、「日本語の場合、あ行が母音」と、言っても、「キョトン!」。「あ行」という言葉が非日常だった様子。近くにいた国際交流員のアメリカ人が、大きく頷いて、「日本語は母音が5つだから簡単でーす」と…。アメリカンに負けている…。
 若者に、「あかさたなは…」を説明すると、「知ってますよ、それくらい!○行という言い方を思い出しましたから」と、御立腹。「や行は?」と水を向けると、ワナでもしかけられているのかなといった怪訝な表情で、「やゆよ」と(知っていた!)。その昔は、「やゐゆゑよ」だったんですよと話すと、「騙す気だな!」という防御の表情に。「やゐゆゑよ」を信じないんだから…。「ゐ」と「ゑ」を書いて見せたのですが、「ありえない!」と…。

 今は、都市伝説になった話として…入社試験の面接で、「家業は?」と聞かれた学生が、躊躇なく、「かきくけこです」。「家業」ではなく「か行」を答えてしまった。この学生の場合、「あかさたなは…」も、「か行」も知っていた。大したものです。しかし、BUT!「家業」という言葉を知らなかった。古い日本語ですから。
 今「カギョウ」と聞いて、どのくらいの若者が、「家業」を思い浮かべるか。「稼業」を思い浮かべる人なら若干いるでしょうけど。「か行」を連想する人となると、皆無じゃないかなあ。

 「や行」は、「夜業」に通じるが、今や、「夜業」を知る人が…何人いるか?
 「さ行」は、「作業」に通じるが、ダジャレとしての使い道が乏しい。「おーい!さしすせそは手早く!」と言っても、ウケない。「おーい、作業は手早く!」で、いいわけで…。

 国語辞典を引かなければ、「あかさたなはま…」を知らなくても生きていける。そんなわけで、冒頭の歌が消えていったのですね。
 犬養毅については、どうオチをつけてくれるんだって?まあ、そう興奮せずに!「話せば分かる。話せば分かるのですーっ」

育鵬社の教科書が大躍進 これぞ日本の底力!?

2011年09月10日 | Weblog
 中学校の教科書、来年度から、どこのものを使うか?これは、重大な問題。国語や数学はどれでも同じ。問題は、「歴史の教科書」。
 埼玉県知事が、「日本国の英雄である伊藤博文を『射殺』と書いた教科書を間違っても選んではいけない」と、暗に「育鵬社にしなさい」をほのめかしておりました。結果として、埼玉県は「育鵬社」に決定。横浜市も愛媛県も香川県も、「育鵬社」。東京都大田区も、武蔵村山市も東大阪市も「育鵬社」。

 「おかしいものをおかしいと判断できる日本人」が、残っていたということの表れですね。
日本国民の大半は、「自虐史観教科書、いい加減しろ!」と、思っているのです。
 「(自虐史観教科書でなければ)戦争の美化だ」「(自虐史観教科書でなければ)憲法軽視だ」と、おっしゃる皆さんの一体何人が、(来年度用の)教科書を読み比べたのでしょうか?私のような暇な人間はいないでしょうから、読み比べなどしていないと思いますよ。読みもせずに反対するということは、自分が賛同する思想やら、所属する教組が育鵬社を名指しで批判しているから反対。まあ、そんなところでしょう。育鵬社の教科書…戦争美化などしていませんよ。
 育鵬社の教科書に反対する人は、「日本の侵略や植民地支配の加害を直視していないから戦争美化だ」と、いうことのようです。恐ろしい言葉を羅列して、「日本が悪い」「悪いのは日本」…それを教科書で教えて何が生まれるの?

 自虐史観教科書が好きな方たちは、「侵略」という言葉が好きです。
小学校の教科書ですが…秀吉の朝鮮出兵も、もちろん「侵略」(教科書会社三社)。日清戦争など、「初めに日本の征服欲ありき」ですから、たまったもんじゃない。「小学校では、侵略という漢字を習っていないから『征服欲』という優しい言葉に置き換えたんだろう!目くじら立てるな」だって?だったら、「しんりゃく」とすればよかったんじゃないか!
 日本については、「侵略」の文字を使うが、欧米諸国やロシアには「進出」「…勢力を広げようとした」などと表記。元寇のところでは、「(日本を)おそいました」「おしよせてきました」…侵略の、しの字も使わない。だから、自虐的だっつーの!第二次大戦後のソ連軍を「侵攻」と表記した教科書は一社のみ。他は、「攻め込んできました」です。北方四島を盗られたのですよ!侵略、侵攻でしょう!「戦争が終わったのに侵略してきた…」これを是とするかのような日本人がいるということ。その人たちは、「正義の味方米国が、侵略国家日本に天誅ともいうべき原子爆弾を…」と書いた教科書があったら絶賛・支持するのでしょうねえきっと。このような自虐教科書を採用しない動きが見え始めたこの度の教科書採用、日本の普通の歴史教科書が黎明期を迎えたといってもいいでしょう。よかったぁーっ。

 「侵略」とか「支配」とか「加害」という言葉を使って、「悪いのは、日本だ」というところへ持っていこうとする人たちへ…。今さら言う気にもなれないが、それほど悪い国日本の享受を受けて、のうのうと生きているんじゃないよ!とっとと、朝鮮半島でも中国でも、ロシアへでも行って楽しく暮らしなさい。お気に入りの教科書を忘れずに持ってさ!

郵便局は良心的!…郵便物には宛名を!?

2011年09月09日 | Weblog
 通常(一部地域を除いて)、今日投函した郵便物は、翌日配達になります。私の住まいは、田舎ではありますが、離島でもないし、日本列島の遠隔地でもない。
 それにもかかわらず、消印から2週間ほど経過した郵便物が届けられた。

 この問題に関わる私の推理は…
 第一の推理・・・郵便物が、ポスト内部にひっかかってしまって下に落ちなかった。よって、集函する郵便局員の目に触れずに10日ほど経過。そのうち何らかの弾みで、ポトリと下へ落ちたので集函され配達されるに至った。 
 この第一の推理は、「消印が投函当日」という点で、打ち消されますね。(だったら書くなってがぁ?)
 第二の推理・・・集函され、消印も押され、郵便物は我が家へ向かった。我が家方面の郵便物は、一つの袋に入れられていた。局員さんが、トラックの隅においてあったその袋を見逃した。トラックの隅で10日ほど過ごした袋であったが、ようやく見つけていただき配達されることとなった。よって、消印から2週間後に配達となった。

 まあ、こんなところだろうと、差出人へ電話した。
 「葉書届きましたよ。消印から2週間経っての配達だったんですよ。それで、御連絡が今になってしまいました」
 差出人のリアクションは、拍子抜けするものでした。
 「スミマセン…宛名を書かずに投函してしまったんです…」

 どーゆーこと?それでは、事件の経緯を詳しくみていこう。
 1 郵便局は、宛名のない葉書に消印を押してしまった。
 2 その葉書を封筒へ入れ、(葉書の裏面に書かれた)差出人の住所へ送り返した。
 3 差出人は、あらためて宛先の住所氏名を書いて、近くの郵便局へ持っていき、配達してもらうこととした。よって、消印から2週間経って配達された。

 郵便局は、このようなサービスをしてくださる。ありがたいことです。郵便物の袋をトラックの隅に忘れていたんじゃないかなどと邪推して、ホント申し訳ありませんでした。
 日本国民の皆さん!郵便物には、宛名を書きましょう!