アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

少子化対策…焼け石に水…

2009年02月28日 | Weblog
国のために子を産みますか?

小野清子、南野知惠子、猪口邦子、上川陽子、中山恭子、小渕優子この顔ぶれ…

小野清子さんは、体操選手でローマオリンピック、東京オリンピックと連続出場。東京大会では、団体で銅メダル。
 南野知惠子さん、法務大臣までやられた方。風貌は、いかにも「オバチャン」という感じ…。目立った活動は、ハンセン病を「らい病」と言った。あと、法務大臣の時、国会答弁が二転三転。答えに窮して「専門家ではないもので」とまで言った。野党も追及しなかったけれども、大臣が専門家ではない?そうか!大臣って、名誉職でしたね。
 猪口邦子さんは、上智大学法学部教授。軍縮会議日本政府代表部特命全権大使(2004年)だったこともありました。
 上川陽子さんは、6人のメンバーでは頭のキレは一番でしょうが、知名度はもっとも低いかも。東京大学から、ハーバード大学大学院(J.F.ケネディスクール)。ボーカス米国連邦議会上院議員政策立案スタッフとして活動したこともある。自民党籍ながら無所属で出馬して、除名されたこともある(当選後に復党)。根性があります。
 中山恭子さん、小渕優子さんは、コメントの必要がない著名な方。
 この6人、「歴代少子化担当大臣」。「全員名前に…『子』が付くから」という理由ではないでしょうけど。

 日本の政府の不思議なところは、少子化担当大臣を女性の指定席にしているところ。歴代全員が女性!男じゃダメなのか?

 期待に応えたのが、現職の小渕優子さん。めでたく御懐妊。
 河村建夫官房長官は、「大変結構なことだ。少子化対策をしている閣僚としても素晴らしい。気をつけて頑張ってほしい」と祝福。小渕優子さんからは、「元気いっぱいなので政務はきちっとこなす。安心してほしい」と報告を受けたとのこと。
 また、官房長官は小渕さんの産休について、「状況によって考えなければならない課題だ。お手本になってもらいたい」と。
 そうか!「少子化担当として素晴らしい」ということは、少子化担当大臣は、「子どもを産める人が適任」ってことなのか?

 少子化対策基本法の第6条には、「国民は、家庭や子育てに夢を持ち、かつ、安心して子どもを生み、育てることができる社会の実現に資するよう努めるものとする」とある。国民が、安心して子どもを生み、育てることができる社会を作りなさいということ。

 その社会をつくろうと、不妊治療を受けている人たちがおられる。
体外受精の歴史は30年を超え、日本では新生児の56人に1人がこの技術で生まれるまでになった。これまでに、国内で体外受精など生殖補助医療技術で生まれた子は、約13万5千人に達しているという。

 ところが、高松市の「体外受精卵の取り違え疑惑」。待ち望んだ妊娠を知らされ大喜びしていたら、他の夫婦の受精卵らしいと知らされた。これは罪です。…坊ちゃんが知ったら懐から卵(漱石は、卵と玉子の両方を使っています。表記に不統一があるんです)を出してぶっつけたでしょう。

 この事故のあと、「マニュアルがなかった」「マニュアルの整備を」の連呼。マニュアルは当然必要。今、早急にやらなければならないのは、「生殖補助医療規制法」の成立でしょう。少子化対策と言いながら、生殖補助医療に関する国の監視システムが皆無!このようなことに、「おかしいぞ!」の声を上げなければ。アリバイ作りのマニュアルとやらと、産婦人科医の自主規制に任せていると、「受精卵の取り違え」以外の問題が次々発生してきます。

 日本の不景気の元凶は、人口減です。アメリカに源を発する不況は、火に注いだ油です。油はいずれ燃え尽きるでしょうが、火種は消えません。
 火種である人口減の対策に、少子化担当の大臣まで登場させたのですが、「多子化」にはならないでしょう。大臣のポストを作ったあとも減り続けているのです。少子化に歯止めをかけるのは無理だということは、国民は口には出さなくても思っている。産みたくない人に、餌をちらつかせて「産め」というのはもう止めた方がいいです。ここらで、少子化対策は消極的路線にすべきです。
 生殖補助医療に係るマニュアルの整備と、生殖補助医療規制法は必要ですが。

 人口減が問題なのに、積極的に人口を増やそうとしないでどうするんだ?日本の将来をどうするんだって?「増えもしない人口を、お題目だけ増やそうということの方がおかしいでしょう」
 日本の将来は大丈夫です。根拠は…少々固いが言わせていただくと… 
 小泉内閣以降の自民党政権は、「小さな政府でなければ日本に未来は無い」として、様々な政策を打ち出して来ました。
 現在の日本の「小さな政府政策」は、義務的支出(教育・福祉・医療等関連予算)を削減する名目とするという間違いを犯している。ハローワークの民営化、年金保険料の段階的値上げなどの社会保障の抑制も大間違い。公務員を減らす?冗談じゃないですよ、減らしていいのは国会議員の定数だけ、自衛官、警察官、教職員は、増やさなければなりません。先進国中、もっとも公務員の割合が低いのが日本なのです。アダム・スミスの「小さな政府」は、突き詰めると「夜警国家」ですから。
 「小さな政府」で惹起してくる矛盾点を、「大きな政府」の考え方で補正していく。このことで、少子化社会に十分対応できます。

 政策の少子化対策に貢献しようと子供を産む人などおりませんから。できっこない少子化対策は、名目だけにとどめる。
今年度中に予算が成立しそうですが、出産・子育てに関する予算は名目だけではなく、しっかりつけなければなりません。「子は国の宝」ですから。

人は見かけに…よるか?よらないか?

2009年02月27日 | Weblog
  メジャーリーグは礼節に厳しい 

 人のイメージを決定するのは、第一印象が80%と言われています。その第一印象は、初対面から10秒弱で決まってしまうのだそう。残りの20%は、理解されるまでに数年を要するといわれています。
 誰が言い出したか、「人は見た目が第一」という考えには、自己の経験から賛同します。このことに当然例外というものがあり、このほど、「人は見た目によらぬもの」と感じたことがありました。

 「貴乃花親方」…伯父は横綱の初代若乃花、父親は大関貴乃花、母は女優の藤田憲子、兄はタレントの花田勝(横綱・三代目若乃花)、妻は元フジテレビアナウンサーでタレントの河野景子。
 主な、経歴(?)としては…
1 宮沢りえとの婚約を発表し…解消。
2 貴乃花が引退後、日本人横綱が出ていない(現在も)。
3 朝青龍とは、2戦2勝。
4 日本相撲協会の体質を批判。協会から厳重注意を受けた。
5 半月板損傷で優勝したとき、表彰式で小泉純一郎首相から、「痛みに耐えてよくがんばった!感動した!おめでとう!」と祝福された。
6 現役時代の八百長疑惑等にかかわり、講談社を名誉毀損で訴えた。
 10秒以上かかっていますが、以上のようなことから、私の貴乃花親方にタイする第一印象は…ワガママで、気位が高く、武士道精神に欠ける・・・そんなイメージでした。

 華やかな家系、力士としての活躍…国民的人気者だった時期もあったが、宮沢問題、整体師問題など、土俵外の問題から人気凋落。マスコミにとり上げられることも少なく、忘れかけていたところ、この度再浮上。
 貴乃花親方夫妻が、「八百長疑惑や財産問題をめぐる親族との確執について」の訴訟の証人尋問のときのこと…

1 貴乃花親方の証言を講談社側の弁護士が冷笑した時。裁判長に「なぜ笑って聞くのでしょうか? 私は真剣に答えています。弁護士の態度を改めさせてください」と言った。
2 別の弁護士が腕を組みながら高圧的な態度で尋問を繰り返した時。「なぜ、そんな聞き方なのか?なぜ、大きな声を出すんですか?」弁護士に向かって鋭い視線を突きつけ、たしなめた。

 見かけによらなかったです、貴乃花親方。一連の朝青龍問題でも、「相撲道に外れる恥ずかしいこと」と、強烈に批判していました。相撲道を追求して、これまでやってきた。無礼な態度の弁護士を許せなかった。

 一昔前は、「横綱=見かけ通り立派」でした。大鵬は、老人ホームへテレビを贈ったり、日本赤十字社へ血液運搬車「大鵬号」を(全国各地に)贈るなどの慈善活動を熱心に行いました。著書もあります。

 著書の目次だけ見ても素晴らしい!
○ 人としての品格を重んじる相撲道
○ 長い歴史が培った相撲の奥深さ
○ 礼に始まり、礼に終わる作法の大切さ
○ 正面からぶつかり合う勝負の潔さ
○ 国技がもたらす意味の重さ
○ 厳正さと公平さの徹底
○ 番付の格は人の品格にも通じる
○ 横綱とは神と同格の象徴である

 日本人でも難しい、相撲道。武蔵丸の横綱推挙伝達式での口上は、「日本の心を持って相撲道に精進致します」でした。ちなみに貴乃花は、「横綱の地位を汚さないよう、今後も精進します」でした。朝青龍はどうだったかって?知らん!口先だけなら何でも言える。本当は知ってます。「横綱の名を汚さぬよう、 稽古に精進します」でした。ね!嘘つきでしょ!本心は、「横綱?そんなのカンケーネー。稽古?そんなのしなくたって優勝だーい!」

 メジャーリーグのイメージとして、「自由奔放というか無秩序の雰囲気」でしたが、これも見かけとは大いに違っているようです。
 ブレーブスの川上憲伸投手が面食らったという。「ホームランを打っても、ガッツポーズは絶対するな」「相手を挑発するような行為はするな」と厳しく指導されたとのこと。素晴らしいことです。横綱のガッツポーズを見たら、「日本には、スポーツマンシップがない」と失望されてしまいます。
 上原浩治投手のオリオールズにも厳格な規則が…。
1 口ひげ以外のひげは、禁止
2 時間厳守
3 グラウンド間の移動の際は、必ず駆け足
4 投手はサングラスの装着不可
 「時間厳守」と「駆け足移動」、あまりにも基本的で逆に新鮮。日本のプロ野球は、こういうところをおろそかにするのが民主的野球団みたいな雰囲気ありませんか?茶髪・金髪・ロングヘア・清原までがピアス…なんでもあり。

 人は見かけによらぬものの極めつき…大相撲三段目、桐山部屋の華瀬川。北京の出身…中国での血液型は、B型。日本では、A型に…?骨髄移植したんだろうって?してないしてない。中国で輸血しなければならなくなったら…。ですから、血液型で人を判断するのは止めましょう。
 人は見かけによったり、よらなかったり…ですね。


つもりちがいの十ヶ条 2009 早春

2009年02月26日 | Weblog
白川日銀総裁が居眠りすべきだった

 誰が考えたのでしょうか?言い得て妙!実に良くできています。出典不明。隠れた人気格言(?)、「つもりちがいの十ヶ条」。目にする都度、身につまされて苦笑してしまいます。

第一条:高いつもりで低いのが「教養」
 「学習歴」ではなく「教養」。博士課程を修了しているから教養があるとは限らない。教養は計測不能。基準になる人も、おりません。テレビのバラエティニュース番組のコメンティーターの皆さん…「自分が一番!」そのくらいの気持ちがなければ務まらないかな…。

第二条:低いつもりで高いのが「気位」
 お笑い芸人に目立ちます。デビューしてすぐは結構腰が低いが、少し売れ出すととんでもなく偉そうで生意気。

第三条:深いつもりで浅いのが「知識」
 知識が深い人はおりません。人類皆、浅学非才。

第四条:浅いつもりで深いのが「欲の皮」
 これは、円天会長だったの波和二容疑者。広告塔となった、「欲の皮芸能人」多数。特に、細川某は、深く関わり2007年の紅白歌合戦を辞退。円天の宣伝のコンサートの1回の出演料は、1,200万円。彼は、50回以上出演したといわれています。それにしても、波会長、1,000億円を超える金を集めた!凄い能力ですね。

第五条:厚いつもりで薄いのが「人情」
 正規雇用者も切る。大幅人員削減…。もちろん、「終身雇用、年功序列」の会社も少なからずあるが。社長が保育士をして社員の給料を払っている例を以前に書きましたが、会社の人情ってそういうもの。「社員の暮らしは社長が命がけで守る」これが普通。ミスタービーンを社長に迎えた自動車メーカー…また危機。ビーンは何をやってきたの?「会社は株主のもの」という人がいる。そういう人が、ひとかどの人物のように扱われ、世論も、「その通り」と、納得してしまう。反論する人がいない。はっきり言います。「会社は社員のもの」です。

第六条:薄いつもりで厚いのが「面の皮」
 言い換えると、「厚顔無恥」。これについては、書ききれないので割愛。

第七条:強いつもりで弱いのが「根性」&第八条:弱いつもりで強いのが「我」
 派遣切り等で職を求めていた人を、12人採用した介護施設があります。短期間で8人が辞めました。中には、1週間経たないうちに電話で、「辞めます」。その施設では、今後の職員採用に役立てたいので辞める理由を尋ねたところ、「以前の仕事とのギャップが大きく、仕事がきつい」ということだそうです。一人一人状況が違うでしょうが、「石にかじりついてもやり遂げる」という根性がない。
 「きついから辞める」…「我」が強いってことでしょうか?「我慢できないだけ」でしょう。「滅私奉公」の時代なのに。

第九条:多いつもりで少ないのが「分別」
 薬の作用かアルコールの作用か、意識がないなかで記者会見。これは、意識がモウロウですから、「分別」の問題外ですかね?それにしても、白川日銀総裁。隣席の大臣が変になっていても、平然としてしておりました。本来は、白川総裁が居眠りすべきだったのです。なぜかって?「白川夜船」…おあとがよろしいようで。

第十条:少ないつもりで多いのが「無駄」
 ワンガリ・マータイさん(ノーベル平和賞)に、言われるなよ!「消費は美徳」で、「節約は恥」…そんなことやっているうちに、「消費は恥」「節約は美徳」になってしまった。と、いうより、そうしなければ暮らしが成り立たなくなってしまった。日本人としては、「御飯粒一粒でも、ものを大切にする」この精神の浸透が求められます。

 なお、「つもりちがいの十ヶ条」、全てにもっとも当てはまるのが、私です。自己分析できているつもりですから!あっ、これがつもりちがいか?

説教強盗的 犬の散歩

2009年02月25日 | Weblog
   ペットを飼う資格審査が必要かも

 純白の雪に埋もれて暮らしていて、がっかりすること…。
 我が家の周囲に、小便の跡、跡、跡。時々大便…。雪が降る前は、気づかなかったが、雪が降り純白のキャンヴァスとなっているので、黄色が目立つ。…オヤジたちが、立ち小便等でわが家へ嫌がらせをしているのではなく、犬のマーキング。十数頭の犬が、わが家前を散歩コースにしている。その都度、決まった場所でマーキング。糞の場合は放置できないので、私が片付ける。どうして他人の犬の糞の始末を私が!マナーもヘチマもあったもんじゃない。低学力の飼い主に失望します。

 犬の糞の始末に関して、飼い主に3つのパターンあります。
その1:端なっから後始末する気がない。(強盗だな)
その2:後始末用具を持っているが体裁だけ、始末しない。(説教強盗だな)
その3:持って散歩し、始末する。(普通だな)

 監視のつもりはないが、わが家の前で犬が踏ん張り始めると、飼い主がどうするか見るようにしている。後始末用具を持っていない飼い主は、私が見ているので、何とか犬をわが家の前から引き離そうとします。犬は、途中まで出かけているナニを引っ込めるわけにも行かず抵抗…脱糞しながらズルズルと引っ張られる…。飼い主が可哀想?とんでもない、無責任な飼い主のせいで、落ち着いて糞も出来ない犬がもっとも可哀想。

 「犬の糞など知ったこっちゃない」という輩がなぜ「強盗もどき」かは…暴行又は脅迫を用いて他人の財物を強取した者は強盗…という強盗の定義に当てはまるからです。犬に糞をさせるというのは、暴行または脅迫ですよ。私に始末させるということは、私の労力と寿命を無理矢理使ったわけですから、他人の財物の強取に該当するわけです。糞を自分で始末すれば、「窃盗もどき」でおさめてやったのに。

 「犬の散歩のマナーとして、糞の始末用具は持ち歩かなければ」というお説教を用意しながら、実際は、糞の後始末をしない。これは、説教強盗ですよ。

 「説教強盗」…話が古いので知っている人は少ない。大正末から昭和にかけて、強盗58件、窃盗29件その他を犯した奴がおりました。この犯人、民家に侵入して金を奪ったあと、「泥棒対策に、犬を飼いなさい」「戸締りは厳重にしなさい」と延々と被害者へ説教。そのため、通称「説教強盗」。

 それ以来、急速に犬が飼われるようになった。説教強盗が、日本に犬ブームをもたらした張本人でしょう。昭和初期は、「金持ち=犬を飼っている」の式が成立し、犬の値段が急騰したのでした。

 今日、不景気の波は犬にもおよび、売れ行きが悪く…太宰府市では、ブリーダー施設で、チワワやゴールデンレトリーバーなど20数匹が餓死…。通常、体重30キロ程度の大型犬が3分の1の11キロまで やせ細り、餓死していた…。生き残っていた数十頭を保護して、里親になってくれる人に無料で配っていたが、好景気なら、一頭十万円もしたのでしょう。
 ペット犬が高価で取引されるようになり、金銭めあての犬業者が乱立。当然、不適切な環境で飼育。世話については出来る限り手を抜く。動物虐待、動物の愛護及び管理に関する法律に抵触…お金のためなら、「そんなの関係ねー」。

説教強盗はどうなったかって?逮捕され、裁判の結果「無期懲役」。おかしいですよね!東京都江東区のバラバラ殺人事件が、「無期懲役」。殺人を犯していない説教強盗も、同じ「無期懲役」。

 説教強盗氏、服役していた秋田刑務所では、まれにみる模範囚だったそう。無期懲役で模範囚ですから、早々に釈放。再犯で刑務所に逆戻りすることもなかった。全国を回り、「防犯の講演」をして余生を過ごした。…本当ですよ!

 説教強盗ならぬ、「礼儀正しい強盗」が。2月23日未明に、大阪市で同一犯と思われる2件の強盗事件があった。犯人は金を奪ったあと、「ありがとう」と、お礼を言って逃走した。礼儀正しいから好感が持てる?とんでもない、礼儀正しいのなら、はじめから強盗すんな!

 ペットを飼うことに何らの文句もありません。わが家に猫も、金魚も、ハムスターもおりました。猫はスルメを食べて腰を抜かして死んでしまいました。 金魚は、長女(2歳の頃)が、「金魚さん、遊んであげる」と、鉛筆で金魚鉢をかき回しているうちに…金魚さん…斜めになってしまいました。
 ハムスターは、長男(3歳の頃)がよく世話をして…水を飲ませたところ…飲み過ぎで死んでしまいました。よく飲めるようにと、しばらく水に漬けておいたんだもの…。優しい心遣いが、金魚にもハムスターにも負担だった…。
 しっかり世話をした結果、死んでしまってもそれは何ら問題ありません。ただ…他人に迷惑をかけるペットの飼い方をしないでよってこと。
 
 説教強盗…日本に犬を普及させた功績は大きい(?)。そのアフターケアとして、釈放後の全国講演で、「正しい犬の飼い方」を、説教してくれたらよかったのに。

脚光を浴びる経験が人生を変える

2009年02月24日 | Weblog
  子供が生きる教育

 普通の人が脚光を浴びる場…
 それが見つけられずに、というかその機会に恵まれずに、犯罪に走る…そりゃあ脚光を浴びますよ、負の脚光ですが。秋葉原の通り魔など典型的です。
 東京都江東区のバラバラ殺人事件、「犯行は冷酷だが、残虐極まりないとはいえない(裁判長)」と、無期懲役判決。なんでも、「死刑は、殺した人の人数。一人殺したぐらいなら死刑にはならない」のだそう。こりゃダメダ。終身刑にしなければなりません。

 「正の脚光を浴びる機会がある」このことが、人の成長発達に大きな働きをしています。

 様々な分野でいい仕事をしている人…「図画工作の時間に描いたポスターをほめられて…」「小学生の時、大会で優勝して…」「作文をほめられて…」
 皆さんほぼ一様に、「脚光を浴びた経験」が、職業になったり、生涯の趣味になったり…です。
 勉強ができる…これは脚光を浴びています。
 陸上競技で、断然トップになる種目がある…脚光浴びてます。
 運動部の活動でスタープレイヤー…浴びてます。
 さて、勉強も運動もダメ。絵画コンクールも、感想文もダメ。ピアノ?ダメダメ。そのような子に相対するとき、「何をやってもだめな子だなあ」で済ましてしまうと、憤懣、欲求不満の矛先はどこへ向かいますか?弱者へ向かってしまいます。

 親と教育関係者は、「脚光を浴びる経験をさせる」…このことに腐心しなければならないと思います。
 知的と情緒に障害を持つ子が、「町内特殊学級(現特別支援学級)の釣り大会」へ行った。とにかく落ち着いていられないので、釣り竿をめちゃくちゃに振り回した。餌が空中にある時間が長いのも、関係なし。ところが、40cmもあるウミタナゴが釣れた。ウミタナゴは、「餌盗り名人」の異名があるほど、素早く餌を盗る。普通の人が、ウミタナゴを釣り上げることは無理。(ウミタナゴを捕りたい場合、潜ってヤスで突く)どうしてその子にウミタナゴが釣れたか?お気づきの通り、ウミタナゴが餌を盗って逃げるよりも速く、餌を動かしていたからです。それ以来彼は完全に「漁」に目覚め、人柄まで変わってしまった。17歳になった今、漁師さんの手伝いをしています。釣り大会で脚光を浴びた経験がなければ、今日の彼はなかった。

 ガーナ(西アフリカ)の子供達・・・貧富の格差が大きく、小学校を卒業できる児童は4割前後。彼らは、短い人生で「脚光」を浴びる経験が一度でもあるだろうか?それがあった。
 国際協力機構(JICA)職員の友成晋也さんは、野球部(慶大)出身。そのキャリアを買われ、ガーナの野球ナショナルチームの初代監督に就任。1999年にシドニー五輪アフリカ予選で大健闘の4位に。少年野球も普及し始めた。ガーナ勤務を終え帰国間際だった友成さんは、子供達に野球の何が楽しいかを尋ねた。異口同音、「バッターボックス」と答えたという。この答えを聞き、帰国予定を変更し、「野球でアフリカの子どもたちに夢を」と、決めたという。昨今、まれに聞くいい話です。

 「バッターボックス」は、「脚光を浴びる場」ということです。味方の期待を集める場、相手も注目する場。野球場の全ての人が注目するのがバッターボックス!そんな場に全員が公平に立てる(←ここが大事なところ)。打席も、機会が均等に回る(←ここ、大事なところ、その2)。ガーナの子供達が素直に感激するはずです。

 アメリカの場合、保護者は様々な習い事をさせます。一日に二種目、それを月曜日から金曜日まで。最大10種目からの習い事をさせるケースすらある。どうして?「何をやってもだめな子はいない。何かその子にあったものがあるはず。それを見つけるのが親の役目」ということなのです。

 日本の場合、都市部なら多くの経験をさせることが出来ます。地方では、「なんもない」とは言わないが、極端に少ない!そうなると、学校で、何が出来るかということになる。教科、領域にかかわらず、全校柔道大会、全校俳句大会などの実施で、一人でも多くの子に、「脚光を浴びる経験をさせる」「自己有用感を味わわせる」そのような取り組みをしている学校もあります。そういう学校、教職員が素晴らしいです。どうして?「やらなくても批判されないし、給料にも影響しない。しかし、やることによって子供が生きる。子供を生かすのが教職員の使命。だったら、やれる限りのことをやろうじゃないか!」ということです。このように素晴らしい学校がある反面、「金がない、時間がない、忙しくて…」と理由をつけて正当化し、何もしない学校…ないとは思うが、あったとしたらチャウチャウに喰われた方がいいと思う。

村上春樹さんを、ミスター日本人とします

2009年02月23日 | Weblog
  カフカから、成績の「可」「不可」を連想する私って?

 柔道選手が書いた小説…あまり読む気が起きなかったです。1976年のモントリオールオリンピックの柔道無差別級金メダリスト。明治大学時代は、全日本学生チャンピオン。 全日本柔道選手権、優勝2回。遠藤純男、山下泰裕をしのぐ選手。どうしてそのような選手が小説を?「風の歌を聴け」「羊をめぐる冒険」「ノルウェイの森」…たちまちベストセラー作家に。
 そして、2002年に、「海辺のカフカ」。冗談じゃない、カフカが海辺にいてたまるか!学生時代は、サルトル、カミュ、ニーチェ、カフカ…これらを一生懸命読んでおかないと、議論に入ることが出来なかった。それだけにカフカには詳しい。海辺にはいなかったはず…。ウルトラマンは、カフカの影響を受けていますよね?「ヘーンシーン!(変身)」

 ・・・周囲と話がかみ合わないので、変だなあと思っているうち…「上村春樹」と「村上春樹」は別人だと知った。柔道の金メダリシュトは上村春樹、人気小説家は、村上春樹。そんなこんなで出遅れてしまいましたね。翻訳も、エッセイもありますが、長編を数作品読んだだけ。
 なお、上村春樹さんは、4月から、講道館の第五代館長、全日本柔道連盟会長に就任することが確実です。

 村上さん、平易な文章。しかし、多くの評論家が指摘しているので私が言うまでもないが、内容は難解。海辺のカフカだって、エディプス王の物語(ギリシア悲劇)が出てきたかと思うと、「源氏物語」や「雨月物語」が出てくる。なるほど、不条理文学…フランツ・カフカの思想的影響だなとは思う。余談ですが、「雨月物語」を知っている日本人の割合は極端に少ない。まして、読んだことがある人など、文学部の学生でも多くはないはず。

 日本での人気もさることながら、海外における人気・評価が高い。「海辺のカフカ英語版」は、アメリカ、イギリスでベストセラーになった。ヘブライ語に翻訳された作品もある(「海辺のカフカ」「ノルウェイの森」は、イスラエルでベストセラーになった)。
 海外にも「春樹チルドレン」と呼ばれる、村上春樹の影響下にある作家たちがいるという。

 イスラエル最高の文学賞、「エルサレム賞」が、村上春樹さんに贈られた(2月15日)。村上さん、エルサレムで開かれた授賞式で記念講演をしました。私は、You Tubeでその様子を見ました。感動し、誇らしかったです。村上さんが誇らしいのではなく、「日本人、やるじゃないか!」と誇らしかったです。某国の、前財務・金融大臣の「腐ってガズが発生したカボチャ」のような会見を何度も見せられたあとに村上さんの講演の様子を見たこともあり、よけい際だって素晴らしかったです。腐れカボチャ会見も、海外から見ると、「前大臣が…」ではなく、「日本人が…」なのでしょうから罪は重いですよ。

 <春樹講演の何が素晴らしかったか>
1 英語で話した。原稿の棒読みではなかった。
2 話の枕が、今世紀一の名文(私の基準で)。
3 堂々たる態度、言語明瞭。
4 内容が平易で、難解な隠喩なし。
5 主張が、私と同じ(私と村上春樹を同レベルにしてしまいました)。
 素晴らしかったことを示す様子として、講演の間中、聴衆に私語がなかった。皆、一生懸命聴いていた。そして、講演終了後、ワオー!スタンディングオベーション!

 話の枕は…「私は、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました」この一文で、聴衆は固まりました。そして、嘘と小説家について、しばらく話し、「今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです」
 どうでしょう、このスマートさ。日本人にもこのような人がいたとは!

 講演の主張はどのようなことであったか…
 「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵を思い浮かべた時、どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」
 戦慄を思えるほどのセリフです。もちろん、戦争する側を壁に、民間人を卵に例えています。
「寄らば大樹の陰」とか「長いものには巻かれろ」ではないのです。このセリフ、日本人よりも、明らかに外国人に強烈なインパクトを与えたと思います。さすが、ノーベル文学賞の有力候補者。

 村上春樹さんのような人がどうして出現したか?
 天才ではないと思います。なぜかって?「天才」としてしまえば、それでおしまい。天才としたくない理由は、「努力なしで、人並み以上の暮らしを望み、それがかなわなければ、国が悪い、社会が悪い」そのような風潮になっている世相からです。
 村上さんは、御両親がともに本好きな国語教師ということもあり、大変な読書家に育った。本屋さんから、「ツケ」で本を買うことを許されており、読んで読んで読みまくった…。「世界文学全集(河出書房)」「世界の文学(中央公論社)」「世界の歴史(中央公論社)」…繰り返し読みながら中学、高校時代を過ごした。高校からは、洋書をむさぼるように読んだという。英語は、このとき自学自習で得たものでしょう。血のにじむような努力の積み重ねが、村上春樹を作り出した。努力嫌いの私にとって、針の先ほども批判できない人です。

 このように、「努力、努力、努力」で、今日の地位を自分で勝ち得た人…そういう人は、在野にまだまだたくさんおられるでしょう。村松崇継さんも凄いですよ。5歳からピアノを始め、「友達はピアノ」という生活を続けてきた。小学生の時は、「日記を楽譜で書いた」。平たく言うと、毎日一曲、作曲していた…。高校在学中に、ピアノソロアルバムを出した。まだ30歳そこそこ。今、日本で、もっとも注目されている作曲家、その裏に血のにじむような努力の積み重ねがあった。

 今の日本人、「英語をネイティブのように話す人」は、有象無象おられるでしょう。しかし、英語を立派にマスターしたほかに、「英語」以外の日本に関わることで「血のにじむような努力をしてきた人」というのは極端に少ない。何が言いたいか?村上春樹さんのような日本人が続々世に出ると、日本人として誇らしいなあ!と、いうことです。村上春樹さんを、現段階でミスター日本人と決めます。 

自慢は知恵の行き止まり

2009年02月22日 | Weblog
  自慢をおもしろがるのはOKでは…

 「生きがい」は、千差万別。他人の生きがいを笑うことも、自分の生きがいを笑われることもありません。
 私の生きがいの一つは、御存知「自慢」です。何か自慢のタネはないか、キョロキョロしています。魚など釣ろうものなら、かなりの長期間にわたって自慢し続けます。釣り上げたとき70cmの魚でも、翌日は、72cmになり、1か月後には、「80cmの魚を釣ったぞ!」と、成長させます。このように、自慢も、静止画像ではつまらない、立体的かつ動きがなければ。効果的な自慢は、テクニックっうものが必要です。いわば、「知恵がなければ自慢はできぬ」と、いうところでしょうか。

 日めくりに、「自慢は知恵の行き止まり」と言う格言が書いてありました。私に喧嘩を売っているようです。「自己満足の思い上がりは、それ以上の知恵も進歩もナッシング。人間、自慢をするようになったらおしまいだ」と…。ひどい言いがかりです。自己満足していないから、70cmの魚を成長させるのです。知恵も、進歩もあるから、80cmに成長させるのですぞ!
 
 <自慢に対する攻撃シリーズとして…>
・自慢高慢馬鹿のうち
・自慢高慢酒の燗(←なんじゃこれ?)
・自慢高慢ばかの行き止まり
・自慢は知恵の足らぬ大馬鹿
・高慢は出世の行き止まり

 こうもこっぴどくいじめなくてもいいと思うが!「ばか」とか「知恵が足りん」とか「行き止まり」とか…言葉の暴力です。日めくりの会社め、来年は買ってやらないぞ!

 2月13日付の米科学誌「サイエンス」に発表された、放射線医学総合研究所、東京医科歯科大、日本医科大、慶応大の共同研究・・・
 「妬(ねた)ましい人物に不幸が訪れると、報酬を受けたときの心地よさにかかわる脳の部位が働く」 
 要約すると…他人の成功は妬ましく、他人の不幸は何とも嬉しい。というところでしょうか。早い話が、「他人の不幸は蜜の味」日本に古くからあることわざです。科学的に証明されたというところです。

 これは…人間は、自分は幸せになりたいが、他人は不幸になればいいと願っているともいえます。恐ろしいことを立証してくださったものです。
 となると、「人間は、本質的に自慢したい。他人を羨(うらや)ましがらせたいという欲求を持っている」ということになります。よしよし。

 他人の不幸を喜ぶのは、いうまでもなくダメです。武士道に反します。
 しかしBUT!本能ともいえる「自慢したい」については、もっともっと開放してもいいのではないか?
 自慢には、悪い自慢と良い自慢があると考えます。悪い自慢は、「自分の努力とは関係ないもの」「金銭や物資に関するもの」。良い自慢は、「汗水垂らした成果」。具体的には、「オラの家は、大地主で、金持ちじゃ」これは典型的な悪い例。良い例は、「オラ、70cmの魚釣ったど」…どうしてこれが良い例か?魚釣りへ行くという行為自体がまず自慢していいです。道具・エサを工夫して用意しますから知恵が必要。早起きして釣り場へ、寒い中辛抱し、魚との知恵比べで大物をゲット。努力の結晶ですから、大いに自慢しても良いのです。 
 「自慢は知恵の行き止まり」をはじめとする、自慢こき下ろしことわざの反対の意味のことわざとして、「自慢は知恵の積み重ね」を広めてほしいです。

 自慢を擁護していますが、本来「自慢」は、武士道に悖(もと)るものです。 ですから、私の「自慢」は、「ユーモア」のつもりです。ダブーである「自慢」という言葉を使って…早い話が、ボケです。「そんなもん、自慢になるか、ボケ!」と、いうツッコミを期待しての自慢です。「自慢にもならないことを自慢する人」を演出することによって、対人関係に「和み空間」が出来る。「あの人があれだけバカなのだから、自分ももっとバカになっても大丈夫だな」このような安心感を相手に与える…。

 「自慢じゃないけど…」と、話し始める人がおります。自慢するわけではないがというつもりでしょう。しかし、これって自慢話を始める前置きですよね。

クラーク博士と新渡戸稲造

2009年02月21日 | Weblog
  大志を抱け、紳士たれ

 「青年よ大志を抱け」ウィリアム・スミス・クラーク博士の言葉とされている。
 これについて、諸説入り乱れており、実のところは不透明のようである。もっとも有力な説として、「Boys be ambitious」は、クラーク博士の故郷であるマサチューセッツ州をはじめとする、ニューイングランドの慣用句。そのため、博士は、札幌農学校(現在の北海道大学)時代、折に触れ、「Boys be ambitious」を使っていた。そのため、博士の言葉として語り継がれてきた。その辺で間違いないかな。

 安東幾三郎という方が書いたものに、クラーク博士は、「Boys, be ambitious like this old man」と、言ったというものがある。「青年よ、この老人(クラーク博士)のように、大志を抱け」。クラーク博士は、大志を抱いて、マサチューセッツの田舎町から、札幌へやって来たということなのでしょうか。

 さらに、次のようなものもある…
 「青年よ大志を抱け、金や独りよがりの功績のためでなく、人が名声と呼ぶあのはかないもののためでもなく、人が備えなければならないものを身につけるための大志を抱け」
 
 クラーク博士がこう言ったかどうかは、永遠に分からないのですが、私は言ったとしてほしいです。
 「私欲を忌み、公正を尊び、富より名誉を重んじる」と、いうことです。人が備えるべきものは、「義を重んじ、親孝行し、自らを厳しく律し、敗者へは仁慈、敵には憐み」ですね。ありゃ~!こ、こ、これって!ピッタリ武士道精神じゃないですか!…意図的に、そこへ誘導しただろうって?イエイエ、流れに任せたらたどり着いたのです。

 稲造の「武士道」を、クラーク博士が読んで感銘したのか?それは違います。稲造が、武士道を著す前にクラーク博士が亡くなっていますから。私は、新渡戸稲造の「武士道」に、クラーク博士が影響を与えていると考えています。

 稲造が、札幌農学校に入学(二期生)したときは、クラーク博士は帰国しており入れ違いでした。しかし、一期生のほぼ全員が、クラーク博士の影響でキリスト教に入信していたこともあり、二期生の稲造もキリスト教にのめり込んだのでした。
 ウィリアム・スミス・クラーク博士のあとを、稲造が追っていたと思われるキリスト教以外の例は…
1 ウィリアムは園芸学、稲造もその名の通り農業を学んだ。
2 ウィリアム(アムハースト大学)も、稲造(ジョンズ・ホプキンス大学)もアメリカの大学で学んだ。
3 ウィリアムも、稲造もドイツに留学した。
4 ウィリアムも、稲造も母校で教鞭を執った。
5 ウィリアムも、稲造も大学の学長になった。
 と、いうわけで稲造は、クラーク博士のあとを追う過程で「武士道」の構想を着々と練っていたと考えたわけです。それがどうしたって?「Boys be ambitious」ですよ!クラーク博士の故郷であるニューイングランドでは、親をはじめとする大人たちが、子供達を叱咤していたということ。「携帯持たせて何が悪いのよ!そんなの勝手でしょう」という親とはかなり違います。「武士道」の基盤に、「Boys be ambitious」があった!

 クラーク博士の言葉として、あまり有名ではないのですが、「Be Gentleman」があります。これは、札幌農学校の校則についての協議での言葉。「細々したものは不要、Be Gentlemanだけで十分」ということ。これは、「規則」のもっとも進化したものでしょう。
 稲造は、野球を嫌いました。「野球は、常に相手をペテンにかけようとする競技」…Be Gentlemanではないと。

スカート丈を決める人は誰?

2009年02月20日 | Weblog
  高校生の本分とスカート丈

 新潟県の女子高校生のスカート丈は、「日本一短い」のだそうである。テレビ局や写真週刊誌の調査なので、話題提供の要素も大きいかとも思うが…映像で見せられると、確かに短い。そのため、新潟は県をあげて改善に取り組み始めたという。

 ことの発端は、沖縄県を修学旅行中だった新潟の女子高校生を見た人からのクレーム。スカートの短いことに対し、「驚きを通り過ぎて、不快である」と新潟県教育委員会へ電話した。「真相報道 バンキシャ」というテレビ番組によると…
 新潟の平均 ひざ上 18.5cm(30人を計測)
 東京の平均 ひざ上 14.6cm(30人を計測)
 …ともあれ、このような数字を見せられると、「確かに短い」

 <新潟県で指導する側は…>
○ 「女性の品を欠く」と書かれたポスターを校内の廊下や教室に掲示
○ 女子生徒の服装をチェック。折り曲げたスカートを元に戻すよう指導
○ 犯罪の助長や寒さで体調を崩す恐れがあることなどを指導
○ 適正な長さにした生徒が、イジメを受けるのではないかと心配
○ 丈を短くしにくいスカートを採用する

 <新潟県女生徒の反応は…>
○ 生徒が自分で気づいて長くするのを待ってほしい
○ みんなが短いんだから、長くしろといわれても、無理
○ 短い方がカワイイ、寒くてもオシャレでいたい
○ 短くする方法は、巻き上げ(ウエスト部分を巻く)
○ 指導強化への対策は、長短のスカートを用意。学校で長いのを履いて、外では短いのを履く

 こりゃあ、いたちごっこですよ。指導する側に絶対服従させるという気概がない。県教委の手前、仕方なくアリバイ作り的指導。生徒のほうも、それを見抜いているから積極的に丈をいじろうと思っていない。大きな成果は期待できません。

 東北・北海道では、冬季には、「はにわルック」なるものが登場する。寒さのあまり日和ってスカートの下にジャージを着用するので、見た目がはにわ。冬のスカート対策として、スカートをスラックスに変える学校も出始めている。

 初めて日本を訪れる外国人が、まず驚くことが2つある。一つが、女子高生などの短いスカート。「日本には、子供の売春婦が集団になっている!」 
 もう一つが、「(友達になってくださいの意味で)ボーイフレンドになってください」と、言われることがある。英語圏の「ボーイフレンド」の意味は「友達」ではないのです。先進国の中で、もっともスカート丈が短いのが日本です。海外で、膝が見えるスカートをはいている女性は、97%が売春婦なのです。沖縄の人が、新潟の女子高校生を見て唖然としたのは当然です。

 そもそも、なぜ新潟県が日本一スカートが短いのか?
 平成18年の学校保健統計調査(文部科学省)によると、15歳男女の平均身長は全国1位、17歳女子も全国2位。どの世代でも平均身長が高い。特に女子は脚が長くスタイルが良いのだそう。それをアピールしようと露出度を高くしている…という見方もあるようです。誰に対するアピール?アピールして、どんなメリットが?

 全国学力学習状況調査の新潟県の結果は…
 小学生20位、中学生26位。小中とも前年より3~4位下がっていますが、ほぼ中くらい。これをスカート丈と結びつけるのは無理がありすぎますね。

 全国体力テストのほうは…
 小学生男子3位、女子3位。中学生男子5位、女子10位。15歳男女の平均身長が全国1位というだけあって、体力テストの結果は素晴らしい。となると、「スタイルのよさのアピールが、スカート丈に反映された…」が、優勢…?新潟が日本一の理由は・・・不明ですね。

 さて、女子高生の適正なスカート丈は、「ひざ上何センチ」なのか?そのようなものは、文科省も都道府県教委も関知しません。学校管理規則に…載ってるはずがないでしょう。校長が決めればよいのです。そんな権限があるのか?ありますよ。裁判沙汰になれば(「スカート丈裁判」ってのはないでしょうけど)、「営造物管理責任法」を持ち出せばいいのです。
 公共のプールに、「イレズミをしている人の御利用はお断りします 館長」という貼り紙があったりします。プールを持ち出さなくても、学校で、「関係者以外立ち入り禁止 学校長」という貼り紙のある箇所があります。これらは、「営造物管理責任法」に基づき公的な効力があります。校長が決めるスカート丈も同じなのです。

 この度の一連の新潟県スカート騒動を見ていて、「なってない」と、感じたのは、ある高校の校長が全校生徒へ訓辞している内容でした。
 「電話で、クレームがついたので、スカート丈を長くして…」
 校長先生、しっかりしてくださいよ!「電話で、クレームがついたから」とは、何ですか!「私は、実はスカート丈が短いのも生徒の個性だと認めていますよ。私は、いいと思うのに、電話がかかってきたんですよ。だから、スカート丈を長くしてよ…」と、いう意味ですよ。なぜ、「私が校則だ。私が風紀を決める。スカート丈は、膝が隠れる長さだ。守れないものは、この学校を去ってほしい」と、言えないのだろうか!生徒にとって、「話が分かる、いい校長」というのは、「問題外の校長」であるということなのです。もっとも、分かっちゃいないから、不名誉な日本一になってしまったのですが。

 問題にされるまで、校長は一傍観者だったわけでしょう。スカート丈は、クレームがつけられて長くしたり、短くしたりする種類のものではありません。それまで傍観(容認)していたのですから、「今まで通りでよい。電話があったり県教委からの指導があったからといって、丈を長くせよなどいいません」こう言う校長なら、まだ見込みがあります。

 すっかり忘れられてしまっているのが、「高校生の本分は学習」ということ。スカート丈を短くすると学習効果が上がるなら、ひざ上1メートルぐらいにすれば良い。

口は災いの元

2009年02月19日 | Weblog
  思考の先を行くのが言葉

 「口は災いの元」と、何度後悔したことか。深い考えなど何もなく、軽はずみで出た言葉が、誤解・曲解され問題にされる。長く人生を営業されておられる方で、このような経験がない人はいないでしょう。誤解・曲解されてしまうと、いくら言い訳しても焼け石に水。しまいに、「本当の気持ちは、無意識の片言隻句に出るものだ」などとダメを押される。

 「言葉の力」という言葉(?)があります。これには、二通りの意味があります。初耳だって?通説ではないので、初耳も当然でしょうが、「そう言われるとその通りだな」と、頷かれると思います。

 第一の意味は、「言葉は、思考してから発せられるものではなく、思考の前にあるもの。これが言葉の力」つまり、会話しているとき、いちいち「次は何を言おう」と考えてから言葉を発しますか?しませんね。言葉がどんどん先へ行くのです。素晴らしい力ですよ。思考は、離されまいとして必死であとからついて行く。

ヴィゴツキーがそういうことを書いていないかって?書いていません。ヴィゴツキーには、有名な「思考と言語」という著書がありますが、第一の意味の言葉の力とは関係ないです。弁証法的唯物論者で、フロイトもケチョンケチョンに批判されています。ヴィゴツキーの思考と言語については、実験的研究で、「障害児の思考と言語の研究」「子どもの思考と言語の発達の問題」「生活的概念と科学的概念との比較」などです。

 第二の意味は、数年前某大新聞が掲げていたアレ。言葉は、人を幸福にも不幸にもする力を持つというもの。豚もおだてりゃ木に登る。犬もおだてりゃ薬飲む。この意味、「人を幸福にも不幸にもする力」でいくと、言葉でなくても言い訳です。文章でも、音楽でも、臭いでも、映像でも…。ですから、「言葉の力」とは、第一の「思考の先を行くもの」がもっとも適していると考えます。

 「思考より先に言葉ある」を証明する典型的な方が、麻生首相。口が災いの元になり、窮地に立たされているのだが…。

 郵政事業の民営化に関わる答弁…言葉の力が良く表れています。「言ってしまってから思考して、まずいと思い、また言ってしまって思考して、こりゃまずい…」延々と、末広がりで言い訳しなければならないことが増えていってしまう。

 小泉元首相について、「奇人、変人」と言ってしまった。田中真紀子さんをパクッてウケを狙ったのでしょう。言葉がどんどん先へ行ってしまう。本当の気持ちが、無意識の片言隻句に出るものだってことでしょうか。
 定額給付金だって、思考する前に出た言葉だと私は思っています。空の荷馬車が走り出したので、閣僚が積むべき荷物を持って追いかけた構図。

 居酒屋とか茶の間で飲んでいるときは、大いに言葉の力を活用するとよい。失言、暴言、強弁…全て許されます。しかし、国民へ発信する場においては、「思考してから言葉にする」これをお願いしたい。
 
 ユジノサハリンスクで、「ロシアは二島、日本は四島では進展はない。これまでの条約などをふまえて解決する必要がある。政治家が決断する以外にない」と述べました。またか!北方領土問題に、「これまでの条約」ってあるのか?あったとしたら、四島でしょう。まさか、中間をとって、「三島返還で合意」ってことないでしょうねえ…。ロシアは、いかにして液化天然ガスを日本に買わせるかしかないんですよ!二島返還はそのための「まき餌」に過ぎない。

 日本には、言葉の力で口を災いの元にしないための金言があります。「沈黙は金」 文字通り金言でしょ。