ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

発生的な機械設計

2016年06月14日 17時22分48秒 | エッセイ

・・・生物学者の福岡氏のエッセイを読んでいて、その中に、「生命体は細胞が押し合いへし合いしながら前後左右からおしこめられ、その境のひだが固まって背骨となり、生物となる」とあった。
  この現象を「発生的」と云う、言い方をされ、その反対語として、「設計的」と云うと書いてありました。

   昔、私は機械の設計を主たる業務としていたことがある身としては「設計的」という言葉は、自然な形である「発生的」の反対語と云う文章にとても興味を持った。

   そのわけは、機械設計をするやり方は、各パーツを一つ一つ細かく設計していくと、全体で、矛盾が出来てくるので、おおすじを頭に置きながら、全体を概略決めていくやり方で、設計を進める、概略全体が決まってから、一つ一つ、細かく設計していく、まさに、先ほどの福岡氏の文章通り、「発生的」な考え方と反対である。

   しかし、概略決めてから、細かく設計するやり方は、まず、全体調和ありきで、出来上がったものが妥協の産物ではあるので最高のものではない感がある。  
   一番大事な部分をそれ自体だけで、完全無比なものに設計してから、重要度の下がるものをそれに合わせていくと、云う機械設計方法もありかなと思った。 
   現実の社会でそれがなされないのは、行きつ戻りつの無駄な時間が大変多いから、そうしないだけであるが、そういう設計法方法も、現在のコンピューターの発達した社会では、行きつ戻りつの時間は、無駄と思われなくなるから、その発想はありかと思った。

   生物の本質の在り方である、「発生的な設計法」を機械設計で、実践したら何か良い結果が出て来そうな予感がする。

コメント
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