・・・どんな人も、自分の今までの人生を振り返ると「物事が上手く処理することが出来た」と思う経験は、多くあるものです。
その上、振り返ってみても、上手くいった理由がはっきりとしないので、結論として、「上手くいったのは運が良かった」と思い込むものである。
・・・人は、「自分の人生は、今まで人生が比較的上手くいって運が良かったと思う」と考えやすい、その理由を私なりに考えてみると、・・・・
・・・人間は一般的に、厭なことは忘れ、楽しいこと、嬉しいことのみを覚えていることが多い、それは人間が生きていく上での精神の仕組としての知恵なのでしょう。
人は上手くいって嬉しかったことはよく覚えていて、上手く、いかなくて、厭な思いをしたことはすぐ忘れようと努力するわけですから、・・・
例えば、上手くいったことと、上手くいかなかったことが五分五分の発生割合であっても、その人の記憶の中では圧倒的に上手くいったことの方が嬉しかった記憶として多く残っているわけです。
しかも、記憶ではほとんどの場合、細かな、プロセスはほとんど忘れていて、嬉しかった出来事の、上手くいった事の理由は見つからず、単に「運が良かったから」と思いこむわけです。
・・・しかしながら、人生で上手くいく場合は必ず理由があって、その人の日ごろの人間関係の積み重ねの結果であったり、日ごろのその道の研鑽の結果であったりするわけで、決して、運によるものでない場合が多い。
すべての過去の思い出は人間の記憶のメカニズムにのっとって良いことのみ選択されており、且つ内容は、嬉しいという感情のみに簡単化されているのであり、人生の良い結果は決して、運によるものばかりではない。
・・・人間が「人生の良い結果は運によるのみのもの」と考えているのは間違いで、実際は「運がよいというのは日ごろの努力の結果から生まれるもの」である。
よって、「人生に嬉しい、運のよい結果を生み出すためには日ごろの努力や鍛練が必要」なのである。