私が定年まで5年を残してリタイアを意識しだした平成14年に、三男が日野原重明著『人生百年私の工夫』をプレゼントしてくれた。
日野原氏は94歳の今も現役の医者で、聖路加国際病院の理事長を務める傍ら本の執筆やTV出演など大活躍。氏が59歳の時、日本で初めてのハイジャック「よど号」事件に遭遇し、4日間拘禁された後の解放の日を区切りに、本当の第二の人生を知った。それから30年間の人生を生きるのに工夫してきたヒントあれこれを綴ったもの。まさに『人生の午後』を生きる者への応援歌だ。
その中の一節。「そもそも人間の脳というのは、全体の4分の1しか使われていない。残りの4分の3は60歳になっても使われていないことになる。だからこそ、この部分を使って新しく学習を始めることを考えればいい」と六十の手習いを勧める。
「人の一生で50歳といえば人生の節目の年、『人生の午後』が始まったと言ってもいいでしょう。私たちの脳細胞は140億個もあり、多くの人は60歳くらいまでに脳の半分、中には4分の1しか使ってなくて、未開拓の部分が広大に残されています。午前中の人生では、学校で勉強し、就職後は仕事に追われ、家庭を持って育児に専念したりと、義務や雑事に忙殺されます。ですから、午前中の人生は、正味使える自分の時間はごくわずかです。しかし、50歳を越えてからの『人生の午後』では、自分が選んだ物事に没頭する時間が増え、長く休眠していた私たちの脳の部分を目覚めさせる良い機会です。『人生の午後』からは、何か新しいことを始める時です。才能がないのではなく、その脳の部分を使わなかっただけのこと、まだ遅くはありません。始めることさえ忘れなければ、人はいつまでも若くあるのです。」
以上は日野原重明著『いのちを創る』を、ある方が上手に要約されたものだ。示唆に富んだ、含蓄のある話だ。これからの生き方に自信の湧いてくるいい言葉だ。
日野原氏は94歳の今も現役の医者で、聖路加国際病院の理事長を務める傍ら本の執筆やTV出演など大活躍。氏が59歳の時、日本で初めてのハイジャック「よど号」事件に遭遇し、4日間拘禁された後の解放の日を区切りに、本当の第二の人生を知った。それから30年間の人生を生きるのに工夫してきたヒントあれこれを綴ったもの。まさに『人生の午後』を生きる者への応援歌だ。
その中の一節。「そもそも人間の脳というのは、全体の4分の1しか使われていない。残りの4分の3は60歳になっても使われていないことになる。だからこそ、この部分を使って新しく学習を始めることを考えればいい」と六十の手習いを勧める。
「人の一生で50歳といえば人生の節目の年、『人生の午後』が始まったと言ってもいいでしょう。私たちの脳細胞は140億個もあり、多くの人は60歳くらいまでに脳の半分、中には4分の1しか使ってなくて、未開拓の部分が広大に残されています。午前中の人生では、学校で勉強し、就職後は仕事に追われ、家庭を持って育児に専念したりと、義務や雑事に忙殺されます。ですから、午前中の人生は、正味使える自分の時間はごくわずかです。しかし、50歳を越えてからの『人生の午後』では、自分が選んだ物事に没頭する時間が増え、長く休眠していた私たちの脳の部分を目覚めさせる良い機会です。『人生の午後』からは、何か新しいことを始める時です。才能がないのではなく、その脳の部分を使わなかっただけのこと、まだ遅くはありません。始めることさえ忘れなければ、人はいつまでも若くあるのです。」
以上は日野原重明著『いのちを創る』を、ある方が上手に要約されたものだ。示唆に富んだ、含蓄のある話だ。これからの生き方に自信の湧いてくるいい言葉だ。