世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

古の女流歌人「吉屋チル」と「恩納ナビ」

2005年06月14日 | Weblog
あまりにも有名な近世の歌人「吉屋チル」の歌碑を建立する事になった。恩納邑(むら)(うんなむら)の歌人「恩納ナビー」と双璧をなす近世琉球・沖縄の名高い女流歌人である。因みに吉屋チルの詠んだ歌『恨む比謝橋や、わん渡さとぅむてぃ情ちねん人ぬ架きてぃうちぇさ』(うらむひじゃばしや、わんわたさとぅむてぃ、なさちねんひとぅぬ、かきてぃうちぇさ)=この恨めしい比謝橋よ、誰が架けたの、私を辻遊郭に売り飛ばす為に架けたのですか。・・・貧しい家庭に生誕した薄幸の歌人、「吉屋チル」の有名な歌詞である。辻遊郭に売られても一途な純粋さだけは失わなかった、健気なチルであった。一方、男勝りで大胆不敵な恩納ナビも女心を切々と謳った歌詞がある。『恩納岳あがた里が生まり島、森ん押しぬきてぃ此処なさな』(うんなむい、あがた、さとぅが、んまりじま、むいん、うしぬきてぃ、くがたなさな)=彼氏が住んでいる郷里は恩納山の向こう側、-隠れて見えないーだから、あの恩納山を押しのけて彼氏が見える様にしよう。・・・「吉屋チル」も「恩納ナビ」も二人とも数多くの逸話がある。「吉屋チル」が女心の機微を細やかに切々と歌ったのに対し、おおらかで屈託がなく大胆な詠み手の恩納ナビは当時としては異色の存在だった。対極をなす二人であるが今回、「吉屋チルの碑」が建立される事になった。永久に彼女の功績を顕彰したいものである。一方、恩納ナビには恩納村(おんなむら)に在る万人が座する事の出来る「万座毛」(まんざもう)でのエピソードがある。・・・(以下は資料による)・・・恩納ナビは18世紀前半尚敬王時代の人で恩納村に生まれたので恩納ナビ(ナビー)と呼ばれている。 ナビは百姓の出のため確固とした資料もなく伝説上の人物だと言われている。恩納ナビは18世紀前半尚敬王時代の人で、吉屋チルと共に琉球王朝時代を代表する女流歌人である。恩納村に生まれたので恩納ナビ(ナビー)と呼ばれている。ナビは百姓の出のため確固とした資料もなく伝説上の人物とも云われているが恩納村にはナビに関する話や、ナビの生家跡・マッコーヤー(屋号)を示す石碑がキビ畑の一角にたてられている。ナビは美しい自然に恵まれた雄大な恩納岳の望める環境で生まれ、その豊かな自然はナビの天性の才能と感性を育んだ。大胆率直に大自然に向かって呼びかける万葉を思わせるウタを数多く残している。当時の恩納邑(むら)は金武間切りの管轄で、その番所役人の息子松金(まつぃがに)にナビをはじめ村の娘たちが想いを寄せていたが、身分の違いはどうすることも出来ず、近寄りがたい松金の姿を眺めることによって、つのる想いを満たしていた。ナビのウタには彼女自身にとどまらず、当時の娘たちのやり場のない想いをウタに託し、代弁しているようにも感じられる。報われない恋心がウタによって癒され昇華されていったのである。・・・資料からも女心が伝わってくるが世の東西を問わず時代を超えて永遠不滅の心理は現代でも生きている。・・・




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