タケノコを頂いて来ました、でかいのを。
5株も。どさりと。
山へ行って、鍬で掘り上げて来たばかるのものを。
早速、包丁を使って、ざっくり皮剥きをしました。
これを、家内が、大鍋で茹でました。米糠を加えて。
一晩、そのままにして、冷えるのを待って、今朝、味噌汁の具になりました。
えぐみも取れていました。おいしく食べました。初物です。
タケノコを頂いて来ました、でかいのを。
5株も。どさりと。
山へ行って、鍬で掘り上げて来たばかるのものを。
早速、包丁を使って、ざっくり皮剥きをしました。
これを、家内が、大鍋で茹でました。米糠を加えて。
一晩、そのままにして、冷えるのを待って、今朝、味噌汁の具になりました。
えぐみも取れていました。おいしく食べました。初物です。
我が家の庭の片隅を占領している花、シャガの花。
静かで、清楚な、森の花。
白と青が混じっている。
ところで、花は、どうして静かにばかりしているのだろう?
自己宣伝しなくてすむのは、どうしてだろう?
花が咲いたということで、完了なのかなあ?
それ以上がない。それ以上を欲しがっていない。そんなふうに見える。
雑念を起こさず、はじめから終わりまでずっと落ち着いていられるようだが、どうしてなんだろうねえ?
⭐
背景にあるのは、南天の赤い葉っぱです。
もう1つの青あ葉っぱは、鹿の子ユリの葉っぱです。
我が家の庭の片隅を占領している花、シャガの花。
静かで、清楚な、森の花。
白と青が混じっている。
ところで、花は、どうして静かにばかりしているのだろう?
自己宣伝しなくてすむのは、どうしてだろう?
花が咲いたということで、完了なのかなあ?
それ以上がない。それ以上を欲しがっていない。そんなふうに見える。
雑念を起こさず、はじめから終わりまでずっと落ち着いていられるようだが、どうしてなんだろうねえ?
背景にあるのは、南天の赤い葉っぱです。
10
「わたし」を「究め尽くされた仏さま」になさるのは、仏さまのお仕事だったのだ。
わたしはそれに乗っかかって、下駄を預けて、大悟して、成り切ってしまうのだ。
(この大悟は、仏さまのそれを借用しているだけだが)
☆
おお、下手の長談義!
ここらでオヒラキとしよう。
9
結論その2もある。それはこうだ。
「仏さまと仏さま」を「仏さまとわたし」の図式にするのは、仏さまのお仕事である。そう思ってお任せしてしまおう。
そうなのだ、仏さまに成り切ってしまうのだ。
「究め尽くされた仏さま」に成り切ってしまうのだ。
8
此処での結論その1を出してしまおう。
「わたし」が此処に介入しなくても宇宙は回っているのだ。
「仏さまと仏さま」がいてくださっていれば、わたしはこの地球に生きられたのである。生まれて死んで行けるのである。
7
では聞く。
お前は、春の日の光を受けているが、では、理屈をつけてから光を受けているか?
光という大悲を受けているのか?
☆
理屈をつけたことはない。何故光を受けているのかの義を立てて、光を受けてはいない。
そのずっとずっと前に、光がわたしに届いて来ていたのだ。
7
では聞く。
お前は、春の日の光を受けているが、では、理屈をつけてから光を受けているか?
光という大悲を受けているのか?
☆
理屈をつけたことはない。何故光を受けているのかの義を立てて、光を受けてはいない。
そのずっとずっと前に、光がわたしに届いて来ていたのだ。
6
信は、我が義を棄てるところから始まって行く。
というのに、わたし判断第一主義の、この我が義が棄てられない。
「わたし」を「仏さま以上の智者」として譲らないのだ。
これでは仏の悟りと仏の慈悲が受けられない。仏の救済にはあずかれない。
5
仏を分かったつもりになってからでないと、念仏が出来ない。そういうわたしがいる。
これでは「仏さまとわたし」にはなれない。
「乃ち能く究め尽くす」ことにはなれない。
「究め尽くして、安らかな立ち位置に立つ」ことができない。
この世を安心しきって生きて、安心しきって死ぬことができない。