焼き芋がおいしい。我が家で食べる分の薩摩芋。つまり、小さいもの、見栄えがよくないもの、疵物で、他所さまにはあげられなかった残りのもの。それを朝方、焼いてもらっていた。
我が家もオール電化なので、焼き魚用ので焼いてもらう。芋はほっこり焼けている。少しは焦げ目もある。皮の間から蜜が滲みだしているのもある。光っている。それをお八つに食べた。どうしてこんなにおいしいのだろうかと目を丸くした。
今年は猪に徹底的に掘り尽くされた。掘るべき時期が来て掘り上げたときにはすでに遅し。後の祭りという所だった。土の中からは細いもの、小さいものしか残っていなかった。うんざりだった。猪の腹を満たすために作っていたようだった。やる気が失せた。
来年はもう栽培すまいと、一時はそう思った。しかし、こうしてお八つに食べてみるとその細いもの、小さいもの、疵物でも十分においしい。よし、来年も作ってやろう、そう思って元気が出た。
猪対策にはお金が掛かる。頑丈な重たい網をたくさん買い込んできて、周囲を網で囲まねばならない。面倒過ぎる。で、いつも無防備だった。
何処の家の畑にも大概は網が組まれている。猪はそこを通り越して我が家の無防備な畑に至り着く。「おおい、みんな、ここは穴場だぞ、此処へ来い此処へ来い」という情報が飛び交っていてそこで夜中、人がようやく寝静まった頃合いに大挙してやって来るのだ。親子兄弟姉妹親戚の一族郎党が。彼らの食欲は旺盛だ。それだけ大勢でやって来たら一晩二晩で食い尽くされてしまうことになる。
・・・でもね、それで腹を満たせたんだったらいいじゃないか、とも思う。口先の牙を長い舌で拭っている彼らの満足そうな顔が浮かぶ。人助けならぬ、猪助けをしたことになる、とも思う。おっと、これは痩せ我慢か。
薩摩芋は栄養豊富らしい。脂肪分が欠如しているから、バターを塗って食べたら栄養上はパーフェクトらしい。そしてこの頃の芋は矢鱈甘い、矢鱈おいしい。やっぱり今まで通りに芋畑に芋を作ろう。これが今日の結論だ。