われわれは生きているがやがて死ぬ。死ぬとわれわれは終わる、とそういうふうに思っている。それを恐れたりもするし、それでいいと思って安堵したりもする。死んでも終わりではないという説もある。永遠のいのちを説く考え方もある。永遠の命に、では、方向性があるか。もしなければ、ずっと彷徨っていくことになる。流転輪廻して経巡っていくことになる。前世の悪業善業に従って、生まれ変わり生まれ変わりしていくことになる。終点はあるのか。われわれは流転を解き放たれて、解脱の自由を得て、最後に仏陀に成るのか。なれるのか。永遠に行きつ戻りつして苦しんでいるのか。そうはありたくない。絶対安養の浄土に辿り着きたい。
しかし、いまのわたしは明らかに欲界の住人である。欲望でしか動いていない。
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「欲界」 辞書にはこうある。
仏教の言葉で、三界の一。色欲・食欲の二欲の強い有情の住する世界。
上は六欲天から下は八大地獄まである。その中間に、人間の住まう世界・人間界がある。
「色界」
仏教語で、三界の一。欲界の上に位置している。欲望を離れているが、なお物質的な存在(=色)であって、色からは解放されていない。
四禅天に分かれ、さらに十七天に分かれる。色界天。色天。
「無色界」
仏教語で、三界の一。一切の色法(肉体・物質)の束縛を離脱している。受・想・行・識の四蘊だけで構成する世界。無色天。
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これだけでは理解できない。もっと知りたい。
わたしはこれから先何処へ進んで行くのか。知りたい。肉体を持つわたし、物質界にいるわたしは、そこで終わりなのか。それとも何処かへ進もうとしているのか。では何処へ進もうとしているのか。
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無色界へ進めば、無形だという。肉体の姿を持たないという。物質の束縛を受けないでいるという。そういう生き方もあるのか。そういう生き方をしていれば、そこでは苦悩というものから解放されているのか。三界は、しかし、流転の世界だという。彷徨い・流転の世界だという。流転の世界、そこは仏界ではない。仏界に向かうにはどうすればいいのか。
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阿弥陀仏はわたしの流転の苦悩を救済して仏界に即時に一直線に往生させると説いている。欲界から二段階も飛び越えて仏界へ到達できるのか、果たして? わたしにはそこのところも分かっていない。