NHKで9時から「シリーズ人体」を見た。今夜は腸を取り上げてあった。腸内にビフィズス菌のような様々な腸内細菌が100兆個も住んで、われわれの健康維持に貢献していることを知った。免疫細胞もここで活発に活動して全身の健康バランスを保っていてくれていることも教えられた。人類の長い間の遺伝子操作によってここまで進歩をしてきた成果なのだろうが、まさに神のなしたもうた奇跡というにふさわしい人体の神秘だった。大いに感動しまくった。わが人体ながら、絶え間ない彼等の日夜の努力に万雷の拍手と称賛と感謝を捧げるべきだと思った。いや、わたしの中身は神々の神殿であった。それほどのわたしであるのだから、もう少し胸を張るべきだとも思った。
うううううーん"(-""-;)"、力が出て来ない。そんかわりに熱がジワジワッと出て来た感じ。ぬくい。夕ご飯もおいしくなかった。ふわりふわりして起きていられなくなったので、蒲団の中に潜った。咳もついた。喉が腫れて痛い。風邪薬をまた飲んでみた。いっこうに効き目がない。うううううーん"(-""-;)"
この数年間、風邪を引かなかったのになあ。絡め取られたようで、老爺は元気なし。
そして太良の道の駅でクレメンテインを3袋買って来ました。これは此処でしか売られていない蜜柑です。もともとは外国の蜜柑です。安くて小さいのを買って来ました。帰宅して試食したら甘いです。堅めの皮を剥くのが一苦労でしたが。
それとやや大きい赤貝の剥き身を一パック、中くらいの小章魚(こだこ)を一パック買って来ました。赤貝は大根と一緒に煮てもらいます。小章魚は茹で蛸にしてもらいます。今夜はこれを肴に日本酒を飲みます。その前に章魚の墨を吐かせてぬるぬるを塩揉みしておかないといけません。これはわたしの仕事です。
風に吹かれたためでしょうか、風邪具合がどうも悪化したみたいです。喉が腫れ上がって咳が出ます。
鹿島の祐徳稲荷神社に初詣をして来ました。正月明けて今日はもう14日になっているのに、なんと初参賀の参拝客の多いこと! 長い列を忍耐してやっと神殿に辿り着けました。みなさん神社神宮の初詣をしないと、なんだか新年が迎えたという落ち着きが出て来ないのでしょうね。車のナンバーを見ると遠いところから来られています。
振鈴をならし二礼二拍手一礼するのに、1,2分。神々をそこに見立てて問い掛け、語り掛けます。「(罪や穢れを)祓いたまへ、(新しい神霊でもって心身を)清めたまへ」とお祈りし、最後に「世界中の民幸いたまへ、国幸いたまへ、神々幸いたまへ」を言って結びます。そしてたちまちにその願いが叶ったような感じになって、玉砂利の上で清新溌剌となります。
日本の神々はその前身は我々と同じ普通の人間です。それが何かの事情があって神聖化されると途端に神格がつきます。おろがみたてまつられると位がとんとん拍子に上がります。八百万(やおよろず)の神々がいらっしゃいます。人間以外でも神々になれます。動物植物なんでも神聖化されます。木も岩も山も神として崇められます。
神々はどうもアセンデイッド・マスターズ(向上を果たした導き手)やハイヤーセルフ(より高くなったわたし自身)のようです。彼らは生まれ変わり死に変わりして次第次第に進歩向上をしていきます。そしてその都度、多くの先輩格の神々の助けと導きを得ながら、輝きを増していきます。輝きが最高潮に達するとそこから神々に化身します。他者を救済する能力・利他の能力が極度に高くなります。スーパーマン化するのです。
・・・子供じみていますが、わたしはそういう理解をしています。あくまでこれはわたしの邪推です。
*
神殿にあるのは鏡です。鏡にはわたしが映っています。成長を遂げていくわたしを拝んでいるのです。わたしが成長を続けていくとやがて神々の一人になって行くのです。明るい温かい楽観主義の発想、楽しい楽しい日本の童話的発想ですよね、これは。
あ、今日は神宮の上、山の背後の高い天空からまばゆいばかりの光の雲が降りて来ることはありませんでした。しばらくそれを期待して眺めていましたけど。期待だけに終わりました。
日本の神社神宮という場所は不思議なところです。なんとも清々しいところです。神を感じさえすればいいのです。
童謡「よかったなあ よかったなあ」
♪ 小川が 流れていて よかったなあ 水の音を聞いているよ ♪
♪ 原っぱが 広がってて よかったなあ 寝転べば空もいるよ ♪
♪ あなたと いっしょができた よかったなあ 目と目とでよくわかるよ ♪
♪ やさしい キッチンへ来た よかったなあ 大根が匂っているよ ♪
♪ わたしが 生まれていた よかったなあ 嬉しさで今日泣いたよ ♪
♪ 時間が 流れていて よかったなあ 新しい日に会えたよ ♪
♪ 全部が 全部よくて よかったなあ 青い海じっと見てるよ ♪
童謡「春を歌えるやさしい小鳥」
♪ うぐいすはうぐいす めじろはめじろ でもたがいをたてて 仲がいい うぐいすめじろ 梅の木に来て 春を歌う 春を歌える やさしい小鳥 やさしい小鳥の来るお庭 ♪
♪ うぐいすはうぐいす めじろはめじろ でも喧嘩はしない 讃え合う うぐいすめじろ 椿の藪で 春を歌う 春を歌える やさしい小鳥 やさしい小鳥の来るお庭 ♪
菜の花が咲き出した。我が家のプランターの野菜が薹を出して。早いなあ。澄み切った黄色の化粧顔。ちょぼちょぼちょぼちょぼ。寒くはないのかなあ。
♪ 春は名のみの風の寒さや 谷の鶯春を覚えど 時にあらずと声も立てず ♪
だね、鶯の声はまだ聞かない。
*
♪ 菜の花は ね お嬢さんだよ 黄色いワンピースだよ 踊りが好きだよ 春の風がお相手をするよ 蜜蜂が羽で歌うよ 菜の花は ね かわいいお嬢さんだよ ♪
♪ 菜の花は ね お嬢さんだよ 睫がふんわりしてて おめかし好きだよ 春の空がほめておだててね くすぐりゆらしているよ 菜の花は ね かわいいお嬢さんだよ ♪
「菜の花」の童謡を作ってみました。
アシタニ ミチヲ キカバ ユウベニ シストモ カナリ 論語より
朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり
☆
一日を永らえてもらった。目覚めた。朝が来ていた。命を永らえてもらった。その命に触る。命が大きな一本の道になって続いている。そこに立っている己を尊重する。死なない己を、己の中心が感得する。把握する。握り締める。思わずしたり顔になる。破顔一笑する。ここで天意と合一する。これでいつ死んでもかまわない。わたしは夕べまでを楽しんですごした。
そういうわたしでありたい。道に達していたい。そこに貫かれている宇宙の意思の、その大道に立っていたい。これでよし、となっていたい。生死の迷妄を超脱していたい。
地球はいつもこうして暮らしている。朝に生まれて道を聞いて夕べに沈んでいく。さすがだ。たいしたものだ。
たしか、「一日一生」という偈があったはず。道を聞かないで百年を過ごすよりも、道を一日に聞くようでありたい。では、今日の一日をわたしはどう生き、どう過ごせばいいのだろう。さて7時になった。家族の者も起きて来たぞ。
ホンダの店に、車のリモートコントロールキーの電池交換に行きました、昨日午前中に。待合室のホールに新春の生け花が飾ってありました。ホールが暖房をきかしてあるからでしょう、梅の花が蕾を開いていました。恥じらうようにして。舞い降りた天女が恥じらうようにして。近付いてよおく眺めて賛辞を浴びせました。もちろん小さい小さい声で。囁くようにして。きれいだ、と。
地上界をきれいに見せてくれるものがある。それを知る。知るときは嬉しい。それがひたすらわたしのためのようで嬉しい。暗い顔などもうしていられなくなる。一輪の梅の花、白い清らかな花の贈り物、あたたかなやさしい神の恩寵。