なかなかできない。簡単のようでできない。すぐにそこから離れてしまっている。
法華経に常不軽(じょうふぎょう)菩薩さまのことを書いたチャプターがある。この菩薩様は礼拝行を実践された。それを唯一の仏行とされた。両手を合わせて来る人来る人を礼拝された。「あなたはやがて仏になって行かれる方です。わたしは仏に成って行かれるあなたの現在を大切に思います」そういうふうに言って手を合わせられた。どんなことがっても変わらず常に相手を尊敬するように努められた。「いつどこでも相手を軽んじない」ことに透徹されたので常不軽菩薩の名がついた。みずからは、しかし、常に軽んじられることになった。
自らが軽んじられている位置でないと相手を敬うことは出来ないのである。自分が高い位置についていては相手を軽んじてしまうのである。
この菩薩様は他の行をなさらなかった。読経もなさらなかった。念仏も座禅もなさらなかった。説法もなさらなかった。ただただ目の前にいる人を礼拝するという一行に徹せられた。
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奢りに心が蔓延してしまってとても人のことを敬うなどと言うことなどできない。疎かにしてしまう。軽んじてしまう。蔑んでしまう。相手が悪いと言って腹を立てる。自分への奉仕が足りないと言って周りに毒舌を吐く。これがわたしの日常だ。
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仏教は「人はみなやがて仏に成る」という教えを貫いている。だから今現在は成仏の途中と言うことになる。仏に成る途中の人を「菩薩」と呼ぶのである。
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なかなかできない。お経を聞いてもわたしの日常は教えの実践からは遠い。遙かに遠い。わたしの生活の中に取り入れておくことができない。人を敬えない。他者に向かって「わたしが正しいから、あなたがわたしを敬え」と言うばかりで、奢り高ぶっている。醜い。