会議や結婚式での長い話には閉口する。ただひたすら早く終わってくれ、とばかり念じ、中身なんか聞いちゃいない。
ところが、自分が話す立場になったとき、油断してるとついつい長くなってしまう。
AだからBであり、BならばCである。 というように、話の内容がきちんと一直線につながっていればいいのだが、あっちに飛びこっちに戻り、何の話だったのか、聞いてるほうも話しているほうもわからなくなる、なんてことは珍しくない。
考えてみれば、普段の会話、とりとめのないおしゃべりがまさにそうだ。目につくもの聞こえてくるもの、脈絡があるようなないような、そんな言葉のやり取りが、実はほっとする、たのしい息抜きとなる。
私たちの頭の働きは、本来、一直線ではないのではないだろう。その最たるものは「夢」だが、それは極端としても、日常、きっちり論理的に物事を考察するのは結構大変だ。
しかし、キチンと何かを伝えたいときは、そのままではダメだ。筋道だてて、余計な脱線を省かなければならない。
話が長くなってしまうのは、こうした準備が不足しているからに他ならない。
さて、中年も半ばを過ぎると話が長くなる傾向にある。豊かな経験にもとずく示唆に富む話ができればいいのだが、単なる準備不足で、人の迷惑になる長演説は避けなければ、と思う。
長文、失礼しました。
ところが、自分が話す立場になったとき、油断してるとついつい長くなってしまう。
AだからBであり、BならばCである。 というように、話の内容がきちんと一直線につながっていればいいのだが、あっちに飛びこっちに戻り、何の話だったのか、聞いてるほうも話しているほうもわからなくなる、なんてことは珍しくない。
考えてみれば、普段の会話、とりとめのないおしゃべりがまさにそうだ。目につくもの聞こえてくるもの、脈絡があるようなないような、そんな言葉のやり取りが、実はほっとする、たのしい息抜きとなる。
私たちの頭の働きは、本来、一直線ではないのではないだろう。その最たるものは「夢」だが、それは極端としても、日常、きっちり論理的に物事を考察するのは結構大変だ。
しかし、キチンと何かを伝えたいときは、そのままではダメだ。筋道だてて、余計な脱線を省かなければならない。
話が長くなってしまうのは、こうした準備が不足しているからに他ならない。
さて、中年も半ばを過ぎると話が長くなる傾向にある。豊かな経験にもとずく示唆に富む話ができればいいのだが、単なる準備不足で、人の迷惑になる長演説は避けなければ、と思う。
長文、失礼しました。