なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

損失

2017-06-30 23:01:27 | 日記
損失の評価は、慎重に、熟慮の上で行うべきだ。
株式市場が下落すると、「~兆円の価値が消失した」というが、時価総額は実態価値の正立虚像でしかない。
もともとそこにないものを失ったといって、どうして損失と呼べるのか。
それほど巨額な話ではなくても、日常的なことでもたくさんある。例えば、無駄話に10分費やして、10分損した、と思うのは正しいのか。その無駄話をしていなかったとして、10分がどれほどの価値を産み出したというのか。無駄話をすることでストレス解消になり、むしろその方がよかったのではないか。
乱暴な仮定のもとで金銭評価にすり替えられた損失評価は、ただの参考値だ。それを用いなければならない分野もあるが、その手法は限定して用いるべきだ。

3回

2017-06-29 17:12:06 | 日記
3回できれば、まぐれじゃない。
2回目がいちばん苦しいかもしれない。
1度目より苦しい。

3回目は2回目ほど苦しくはないが、楽にすんなり、といくわけでもない。
1回で満足してもよいのは、よほど才にめぐまれた場合だけで、
そうではないなら、最低3回、ホンモノであることを示したいものだ。

有効な一打

2017-06-28 17:10:36 | 日記
締め切りがなければ、ただの努力目標だ。つまり、「やらなくてもいいこと」になってしまう。
自分で決めたことでも、誰かと約束したほうがいい。

精神論は必要だが、精神論だけならおとぎ話と変わらない。「では、どうする」に踏み込まないと。
「では、こうする」も精神論であることも多いのだが。

事実を把握し、現実に即し、理念理想を忘れないようにしつつ、有効な一打を追求していきたい。


正直者

2017-06-27 17:22:06 | 日記
ウソはつかないほうがいい。
一つのウソは、次のウソでフォローしなければならなくなるし、
重ねると、何が本当か分からなくなってくる。
あげく自分の名前を忘れてしまう。
記憶喪失や認知症でもないのに、自分が何者か分からなくなってしまう。
とくに、事実に反するウソがそうだ。
気持ち、については、何がホントか当の本人もよくわかってないことも多いから、ともかく。
正直に生きていきたい。

これで安心か

2017-06-26 17:28:16 | 日記
安心を得るにはあれこれ大変な思いをするが、
安心が慢心に変わるのはあっという間だ。
心配しなくていい、という状態になれてしまうと、心配することが面倒になる。
一定の安心があっても、一定の警戒心を解かないこと。
安心の、リミットを意識すること、
が大事だと思う。