なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

今年もお世話になりました。

2014-12-31 16:12:43 | 日記
いつもと違うことをしたり、旅行をしたりすれば非日常を体験できるのだが、常々、それは日常の中でも感じ取れるのでは、と思ってきた。同じことを繰り返す毎日でも、何かしら違うし、新しいことを見つけることができる。ルーティンの中にあっても、非日常は潜んでいるのだ。

だが、毎日の暮らしで積もったホコリと垢で、それらが見つけにくくなっている。そんな時はリフレッシュするのがいい。でも旅先で何かを見つけるのではない。旅から戻った時に、住み慣れた場所で新しいことを見つけられるように、感じ取れるようになるためにリフレッシュするのだ。

今年一年もまた、大変お世話になりました。また来年もよろしくお願いします。

メジャー志向

2014-12-30 12:25:46 | 日記
違いがわかる、ためにはその分野における知識や経験が必要だ。一朝一夕に身につけられるものではない。
だから、違いが分かる人は常に少数派だ。

 一方で、本当に優れたものは、未熟な審美眼しか有さぬものに対してでも、強い訴求力を持っている。
だからメジャーになりうるのだろう。

では何かを作り出す際、違いが分かる人だけにわかればいいのだろうか。
それともメジャー志向が正しいのか。

どっちが正しい、という問題ではないが、前者には、差別的で閉鎖的な世界に閉じこもってしまう独善性がある。
後者は、大衆迎合の、安易で上っ面だけ口当たりがいいものをつくることに堕してしまう。

本当に良い物は専門性の壁を乗り越えて、広く訴えかける訴求力を持っている場合が多い。古典になりうるのはそのような作品だ。そして、実際そうなることができるのはほんの一部に過ぎないにせよ、目指してみるべきだ。本質を追求するメジャー志向こそが王道だと思う。

はじめてのつもりで

2014-12-29 12:24:26 | 日記
実績や権威の裏付けもある方がいいが、一番大切なのは次に目の前で起こることに対応できるかどうかだ。力はあっという間に錆びついてしまう。現役でいるためには、新人の頃のプレッシャーから無縁になってはいけない。なんど繰り返したことでも、初めてやるつもりでやらなけりゃダメなのだ。しんどいけど。

文庫本の解説

2014-12-28 17:07:01 | 日記
文庫本の解説は、解説という名前ではないほうがいいと思う。解説と言ったら、テーマ、背景、その作家のこれまでの著作の中での位置づけ、などが中心となるべきだと思うけど、そのような解説は学術書くらいでしか見ることはない。解説者の感想、著者の近況、賞賛、などがのべられているだけだ。

でもそれが嫌いかというと、そうでもない。贔屓にしているチームが勝った次の日の朝、新聞のスポーツ欄をくまなく読んでしまうのと似ている。読んで面白かった本について誰かと「いやー面白かったよね」と語り合いたいものだ。そのような欲求は満たしてくれる。

 文庫本も新書本も随分と軽い内容のものが増えた。時代の流れだろう。そして、ハードな解説はますます不要だ。感想を語り合うだけなら、そのための掲示板、スレッドを立ててそのリンクを示しておいたほうがいいような、そんな時代になったと思う。

北風にさらされながら

2014-12-27 14:36:53 | 日記
北風と太陽なら、圧倒的に北風のほうが威力はデカい。希望に向かって突き進む、というのは、じつはどこかのんびりしたところがある。強制力で締め付けれられたり、尻に火がついたりしないと、なかなか本気にはなれないものだ。

 じゃあ太陽が要らないのかと言うとそんなことはまったくない。希望や夢があってこそがんばれる。

自分を突き動かす、直接の力が北風であったとしても、曇り空のかなたに控えている太陽の存在を思える人でありたい。コートの襟を立て、顔を埋め目を伏せて歩むだけでは、路傍の花に気づくこともできない。