なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

メリハリ

2019-04-30 17:23:58 | 日記
クリスマスも元旦も、特に何が変わるわけではない。昨日と同じようにまた一日が始まるだけだ。
ではクリスマスも元旦もない方がいいかというと、派手なバカ騒ぎはどうかと思うものの、あった方がいい。同じような毎日が続くからこそ、節目、メリハリ、あった方がいい。心機一転、がやりやすい。
元号も、あった方がいいと自分は思う。
年を数えるには不便だけど、淡々とと連続している毎日に彩りがすこしでも加わる方がいい。
そして、本当の変化をもたらすのは自分であり、自分たちだ。良い方に変えていきたい。

しっかりしなくちゃ

2019-04-29 16:09:42 | 日記
問題点に気づいていてもそのまま放置、はすごく多い。
対応策をとるのが億劫だ、とりあえずそのままにしておいてもとりあえずのところ何も起きない、だろう、などの理由による。
些細な問題であればまあどうでもいいと思い、深刻な問題であればまともに向かい合うのにビビり見ないふりをする。
よほどしっかりしていないと、問題点をわざわざ解決しようとは思わないのだ。
だから、しっかりしていないとならないのだ。今までと同じようにやっているだけなら、問題点は次から次へと出てくる。状況が変化しているのだから、それが必然だ。
ぼんやりとはしていられない。

まず手を伸ばして

2019-04-28 17:06:56 | 日記
怠惰に打ち勝とうとして歯を食いしばって力を込めるのは、まあ長続きしない。体力的にも、気持ちの面でも長続きしない。
怠惰に流されるのは、ほとんど水が高い所から低い所に流れるようなものだ。
打ち勝つ、というより、まず手を伸ばしてみる、できれば腰を上げてみる、ということろから始めた方がいい。
それが習慣になれば、実質的に怠惰を克服したことになる。
楽をしたい、という当たり前の欲求に正面からぶつかってもたやすく押し切られる。小力士が巨躯の横綱をうっちゃるような、そんな戦略が必要だ。

人を信じるには

2019-04-27 17:26:45 | 日記
人を信じることと盲信することはまるで違う。
盲信は、虚像を作り上げ、それを見ている。信じたいことを信じている。
それを悪用するものもいる。騙す、ということだ。
自分で勝手に騙されている、それが盲信ではないか。

信じるには、相手の言説を図り与信力を付与する必要がある。相手を図りにかけている、といわれればその通りだ。図るからこそ信じられる。
そうして作る絆は強くて、本物だ。センチメンタルな思いだけの絆は、ドラマのように時間が経てば忘れられる。
信じるには、図り、図られ、応え、答えられ、事実を集積させていかねばならない。


弱み

2019-04-26 16:34:32 | 日記
外で弱音を吐くのはマイナスの評価しか生まない。同時に安易に弱みを見せるのも逃げでしかない。
弱みを見せれば同情してくれる、わけもない。低く見られて、甘く見られてそれでおしまいだ。
自分の弱点を知る、というのとわけが違う。弱点を知るのは弱点を克服するための行為だが、弱みをみせるのは弱点があることを開き直る行為だ。
安易に弱点を見せても何の得もない。得がないばかりか、マイナスになってしまう。やせ我慢も必要だ。