なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

変化

2020-01-31 17:46:30 | 日記
同じようにできるとは限らない。いや、絶対に同じにはならない。
それが劣化なのか進化なのかは人によるだろうがいずれにしても変化している。その変化を計算に入れ忘れる。いや、そもそも計算するときは様々な数値を固定して考えるわけだから(それが変数であったとしても)、論理的思考では考察の及ばないことなのかもしれない。
だが、私たちは論理以外の様々な手段を持っている。それらを補完的に組み合わせながら変化に対応している。これまでもそうであったし、これからも意識的にそうすべきだ。


深い考え

2020-01-30 18:50:29 | 日記
ひたすら考えれば、深い考えに到達できるのだろうか。限られた一部の人はそうだろう。
凡庸なものにとっては、ただひたすら考えるだけ、だと方向性を見誤っておかしなことを考えるか、途中で考えるのが嫌になるか、どちらかだ。
凡夫ならば、考えて行動し、行動して学習し、人の話を聞いて学習し、あるいは本を読んで学び、失敗して反省してまた行動する、過程の中でしか考えは深まらない、ように思う。
考えるには、アタマもカラダも使わねばならないと思う。


後回し

2020-01-29 17:27:54 | 日記
今やっておかなければならない、とされることの多くは、後でもなんとかなるものだ。
何とかなるが、より困難になる。ほとんどの場合、より困難になる。


そうはいっても時期が来ねばやる気が出ない、ということもある。
また、気分の問題ではなく、時期が来なければ焦点が絞れない、方策が明確にならない、ということもある。


後回しにするなら、「あえて」そうする理由があった方がいい。その理由が合理的であれば理想的だ。合理的であるかどうかは分からないが、直感にしたがって後回し、でもいいだろう。
それらがなく、ただ迷っているだけ、ぐずぐずしているだけなら、今やった方がいい。


ではどうするか

2020-01-28 16:00:23 | 日記
原因が何であるのか考えることと、人のせいにすることは、全くの別物だ。
人のせいにする、のはむしろ原因が何であるかをまともには考えようとしない。自分以外にすべてをもとめようとする。いや、薄々自分にも原因があることは気づいていてもはっきり自覚することを拒み、結果として他者を誹謗することでごまかしている。
一部は自分のせいであり、一部は人のせいである。それをきっちり分け隔て冷静に考えることの、なんと難しいことだろう。
そして原因がどこにあろうと、大切なのは「ではどうするか」だけであり、誰かを責めても自分を責めても事態は何も変わらない。
原因を探り、その対処法を考えるのは誹謗中傷とはかけ離れた行為だ。 



無限

2020-01-27 16:21:15 | 日記
すべてのものが有限だ。無限、は概念であって現実には存在しない。
なぜなら、生身の体では無限を経験することはできないから。すごく長生きしてせいぜい100年程度、全ての事象は有限の範囲でしか経験できない。
が、限りない、と感じることはしばしばある。明日までの時間は限定されているのに、果てしなく長く感じることもある。


生身の体は有限の事象にしか耐えることができない、がゆえに、数少ない体験、限られた時間でも、そこに無限を感じることはできる。そのような場合はある。
だから、残された時間の短さを嘆くことには意味がない。人が知覚する範囲においてそれはノーリミット、ととらえても全く問題がない。