異論 2020-03-31 17:23:34 | 日記 異論を唱えるのがえらいわけではない。主流の意見が形骸化しているとか、重要な見落としがあるとか、新しい知見を加えることが可能になったとか、などの場合に異論は有効になるのであって、自己主張の方便ではないし、ましてや自己表現の手段などであるはずもない。定説、主流、に素直に従うべき場面もあるのだ。我に振り回されている場合でない、今はそんなときではないか。
心に届く言葉 2020-03-30 17:10:10 | 日記 今心に届く言葉が言えなくても、いつかわかってもらえるならそれで十分だ。全部わかってもらえなくても、少しわかってもらえれば、それで十分だ。分かり合えるようでもあるし、無理なようでもある。言葉を介して伝わるのでなくても構わない。むしろ本当に大切なことは言葉以外のコミュニケーションでしか伝わらない気もする。分かり合うには時間がかかる。焦ってはいけないと思う。
守り守られ 2020-03-29 16:19:34 | 日記 現実が厳しいのはいつものことだ。もし厳しくないとすれば、誰かが守ってくれているからにすぎない。守ってもらっていること、自分ではなかなか気づかないことのほうが多い。それがカン違いにつながる。そして逆風にさらされたとき、弱さを露呈する。どこまでが自力で、自力はハードな現実にどこまで有効なのか、把握しておきたい。そしてできれば、守ってあげる側になりたいものだ。直接の目の前の人でもいいし、生涯会うことのないだれか、でもいい。間違っても、守ってもらうのが当たり前、というヒトにはなりたくないものだ。
デマ 2020-03-28 16:44:13 | 日記 デマに惑わされないために必要なことは何か。「腑に落ちる」情報でも、保留できるかどうか、ではないか。ウソ臭い情報には誰だって飛びつかない。「本当と思えるいくつものポイント」を含む情報だと、なるほど、と思って信じてしまう。それらすべてが状況証拠に過ぎない、としてもだ。「なるほど確からしいが、まだ確定できない」という態度を貫けるか。それができないと、いずれ偏見にとらわれてしまうと思う。
退屈 2020-03-27 16:23:15 | 日記 常に過渡期だ。その中でも比較的安定している時代はあるが、常に、次の時代の幕開け、その連続が私たちの毎日だ。やや安定しているからといって、そのことを見失ってはいけない。ついこの間のことが、「それは古い」といわれるようになる。歳をとるほど、そのサイクルが速くなる。経験が蓄積される分、残像にとらわれることが増えるからだ。それは悲観するようなことではない。常に新時代に直面しているのだから退屈するヒマなどない、ということだからだ。逆に、もし退屈してるのなら変化を直視していない、ということでもある。