とんかつ屋には、豚のイラストが描かれていることが多い。にこにこしている豚。
ひねくれたものの見方かもしれないが、これはものすごくブラックだと思う。
食肉、に関しては、もっとの現実を教えるような教育があっていいと思う。
人の善なる部分を教え、強化するのが教育の目的だが、
そうではない部分からすっぱりと目をそむけてしまったのでは、
単なるきれいごとになってしまい、形骸化して、空疎なものになってしまう。
とんかつ屋には、豚のイラストが描かれていることが多い。にこにこしている豚。
ひねくれたものの見方かもしれないが、これはものすごくブラックだと思う。
食肉、に関しては、もっとの現実を教えるような教育があっていいと思う。
人の善なる部分を教え、強化するのが教育の目的だが、
そうではない部分からすっぱりと目をそむけてしまったのでは、
単なるきれいごとになってしまい、形骸化して、空疎なものになってしまう。
井の中の蛙は不幸なのだろうか。
大海を知らず、それで一生を全うするのなら、蛙にとって、大海は存在していないのに等しい。
広大な宇宙の中で、点にも満たない地球の、ごくわずかな地表にへばりついて生きている私たちにとって、多少大きな世界を知ったからと言って、相対的に見れば差異を生まない。
まあいい。いくら考えてもこれは結論が出ない。
しかし。
であるからこそ。
目の前の現実が大切、ということだ。自分がかかわりあう人とモノこそが、広大な宇宙なのかもしれない。
デジタル情報は検索性に優れている。一方でデータが紛失しやすい。
紙の書類は保存スペースをとるし、検索しにくい。
以上がよく言われているそれぞれの媒体の特徴であり、そのように考えると、
紙の記録は長期保存用に。
デジタルは普段引き出すデータとして。
という使い分けになると思うのだが、自分の場合完全に逆だ。
個人塾で扱う情報なんて、たかが知れている。(それでも四苦八苦してるが)
だから、紙の情報のほうがはるかに素早く引き出せることが多い。
いっぽう、パソコンにため込んだ情報は、自分が検索機能をうまく使いこなせていないのが原因かもしれないが、どうもさっと引き出せない。
これは、手書きの文書をスキャンして、イメージデータのpdf書類として保管しているせいなのかな。
とにかく、以前は、これをなんとか普通の状態にしようとあれこれ考えていたのだが、
今は、別に自分が便利ならそれでいいじゃないか、と思うようになった。
要は能率的であるならそれでいいのだ。
ただ。
今後、人を雇用する必要が出てきた場合、それではまずいかも。
また、新しいツール、やり方を身に着ける姿勢を失ってはいけないと思う。