なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

ギリギリだから

2016-11-30 16:16:03 | 日記
余裕なんて幻想だ。

誰でもいつでもギリギリのところで生きている。 
だが、常に張り詰めていたのでは身が持たない。だから、僅かな隙間を見つければ、「余裕」と感じるように、身も心もできているのだはないか。

取り巻く状況をフィルターなしで把握すればいつでも切羽詰まっている。

それは悪いこと、辛いことではない。
永遠の命を与えられて楽園に住んだところで、それは生きているのかどうか、さっぱりわからないのではないか。

いつでもギリギリだからこそ、生きている事がわかるのだと思う。

不合理

2016-11-29 16:24:20 | 日記
世の中は、様々な事情が絡み合って、不合理なことも多い。その事情が見えていないほうが不合理だと気づきやすい。だが改善しようとすると、その事情が立ち塞がる。

仕方がない、でやり過ごさねばならないことの方が圧倒的に多いが、一生のうち、何度かは立ち上がって、「諸事情」と向かい合うことも必要だと思う。日々の生活があるから、滅多にできることではないが、全くどうにもならないわけでもない。時折、立ち上がって挑んできた結果として、今の制度的文化がある。それは、守るだけでは錆びていく。新陳代謝が必要だと思う。


影響

2016-11-28 15:59:32 | 日記
誰の影響も受けていない、と言うことはあり得ない。自分の人格は、誰かの感情や想念が投影されて形成された、との自覚を持つべきだ。

もちろん肉親、家族の影響が最も強いが、それだけではない。影響を、一番受けたくない人からの影響かもしれない。感情は暴れ馬のようなものだから、御する事ができなければ振り回され、叩き落され、蹴られ怪我をする。
誰の影響なのかを把握すればコントロールしやすくなる。一番ありがたくない人の影響を疑う必要がある。

やりがい

2016-11-27 17:21:25 | 日記
やりがい、などというのは贅沢な話だ。メシが食えるなら、なんだっていいじゃないか。

それはそうなのだが、ことはかんたんではない。意に反する仕事を続けると、心も体も死に近づくことになる。命の切り売りをするからだ。

やりがいを求めるのは、贅沢だ、とも限らない。良心というものがある。信条だってある。これらをムシして生きていくのは、生きるというより、死なないでいる、というだけた。

生きていくためには贅沢言ってられない。だが、「贅沢言える身分」になろうとすることはとても大切だと思う。つまり、自分の、他者にとっての存在価値を高める努力、と言うことだ。

カウンターにご用心

2016-11-26 17:13:39 | 日記
感情にはカウンターがある。気をつけなければならないのはむしろこちらの方だ。
高揚した後に落ち込み、尊敬した後に軽蔑する。それは、ごく当たり前のことだ。そして、前者の感情には警戒心をもって注意深く振る舞うのだか、その後に押し寄せるカウンターの感情にはやすやすと身を任せてしまう。そして、しこりとなって残ってしまう。

わかっていてもどうにもならないことだろうか。いや、そうとも限らない。少なくとも不必要なヘイトに囚われてしまうことを防ぐことはできるはずだ。