なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

自画自賛

2014-01-31 15:54:49 | インポート
 したいのは人の常、だと思う。
だがその誘惑に負けてしまうと、自己分析があまくなり、結果、現実対応能力が低下してしまう。

 もちろん、自分を肯定し、自信をもって生きることは大切だ。
安易な自画自賛は、このこととは次元の異なる話だ。

安易な自画自賛、には、仲間を伴うやり方もある。馴れ合いの集団を作る、という方法だ。


 それで人に迷惑をかけなければ、まあいいが、向上心の根が腐食して、排他的になっていくことも多い。

自分自身に対する評価は、寛容でいて、シビアなものであるべきだと思う。




無責任な評論家

2014-01-30 12:20:57 | インポート
安易な評論家目線、というのが好きでない。
一番多いのはプロスポーツ観戦だ。
多くの人が監督になったつもりで、あの采配はどう、とか、いろいろ注文を付ける。

 まあそれは、スポーツ観戦の楽しみであり、他愛ないものであり、好きにやっていればいいと思う。それで話が盛り上がることもあるだろう。

 だが、素人目線の、取るに足らない意見であることは逃れられない。真剣に取り組んでいる当事者、現場周辺関係者、でなければわからないことをすっ飛ばして、すっ飛ばしていることを想像すらしないで、まあ無責任にやれるから楽しいのかもしれない。

 こうした無責任な論議の対象にしてよいことと、そうでないことをわきまえなければならない。プロスポーツは庶民の話のタネになってナンボ、の世界だから、問題ない。けど、もっと責任が問われることもある。そんな時にまで、無責任な評論家のような言動をする人物を信用してはならない。もちろん、自分がそうならないように気を付けなければならない。


思想の自由

2014-01-29 13:43:13 | インポート
 内面の自由、については憲法で絶対保障されている。だれでも自由に考えてよい。
しかしこの自由というのが結構厄介で、通常は誰かにリードしてもらった考えに雷同する。
これは学識のある人といえどそうだと思う。

 自由ではあるが、思想をあちこちに誘導する巧みな罠は今の世の中、実に多い。罠、といえば語弊はあるかもしれないが。
自由に考えるためには、そうしたいろいろな縛りから自分を解放する必要がある。それは、今まで住んでいた共同体を捨てて新たな地に引っ越すようなものだから、勇気がいるし度胸もいる。判断を間違えることもあるだろう。

 それでも、多様な意見を互いに尊重しあう社会を形成するためには、そのような居心地の悪さ、もまた必要になる。自由とは居心地の悪い面も多分にある。いや、本質は居心地の悪いものなのかもしれない。



額に汗して

2014-01-28 12:52:30 | インポート
 何もしないでいて、食べ物が手に入ることはない。
今ここが無人島だとして、生きていくためには、獲物を捕まえるか、食べられる植物を採取するか、栽培するか、をしなければならない。つまり、額に汗しなければならない、ということだ。

 ここは無人島ではないから、社会の仕組みがずっと複雑で、うまく立ち回れば額に汗することなく飯にありつくことはできるが、それは結局誰かが作り出したものを奪うかくすねとっているか、に過ぎない。価値を生産し、それを交換して得るのが正しい道であり、そうでないなら騙すか奪うかをしていることになる。
 
 世の中の仕組みは込み入っていても、このシンプルな原理だけは忘れてはいけない。経済学者の学説を持ち出すまでもなく、単純なことだ。自分が受け取るものに相当する価値を築かなければならない。


忠告

2014-01-27 12:31:53 | インポート
 素直に聞き入れるのは、かなり難しい。

それは自分の我が強いから、と思っていたが、周囲の人を観察してみて思うのは、どうやら自分だけでもない、ということだ。

 アドバイスや忠告を聞き入れるのは、、ほとんどの場合、背中を押してもらいたいときだ。自分の考えと大体において一致していて、かつ自分一人では確信が持てない時、助言を求める。

 どうでもいいと思っていること、これでいいのだと信じて疑わないこと、については、人からあれこれ言われても、うるさく感じるだけだ。

 だが。自分を本当に変えてくれるアドバイスは、後者の中に潜んでいることが多い。その場で聞き流してしまうのはしょうがないにせよ、少しは記憶の隅にとめておいて、ちょっと手の空いたときに反芻し、聞き入れたほうがよいかどうかの冷静な判断をする。というのが理想だ。

 せっかく、自分では気づくことのできないこと指摘してもらっているのだから。