暑くなると、アロハシャツを着たくなる。
かなり派手な色が好きだ。
普段は地味なのだが、なぜか、暑くなると、このみがガラッと変わってしまう。
問題は、なんだか、チンピラっぽくなってしまうこと。
中身は至ってお堅い人間なのだが、
パッと見た目はそんな風に見えてしまう。
今年の夏は、
「アロハを着ていてもまじめそうに見える着こなし」を目指してみることにする。
でもなんか、それもおかしい気もするが。
暑くなると、アロハシャツを着たくなる。
かなり派手な色が好きだ。
普段は地味なのだが、なぜか、暑くなると、このみがガラッと変わってしまう。
問題は、なんだか、チンピラっぽくなってしまうこと。
中身は至ってお堅い人間なのだが、
パッと見た目はそんな風に見えてしまう。
今年の夏は、
「アロハを着ていてもまじめそうに見える着こなし」を目指してみることにする。
でもなんか、それもおかしい気もするが。
「自分はやるだけのことはやった」という充足感は、なかなか100パーセントでは、得られないと思う。
厳しく、かつ冷静に振り返れば、必ず2つや3つ、「もっとできたはず」ということが見つかるからだ。
しかし、何年もたてば、懐古的な気持ちが強くなり、「あの時は頑張った」という思いに満たされていく。
まだまだだ、という気持ち、持ち続けるのは苦しいが、これがなければ、ただ昔を懐かしむだけの老人になってしまう。
もちろん年はとっていくが、いつまでも、現状に満足しない気持ちは失いたくない。
もちろん、自分を取り巻く現実をきちんと受け止め、受け入れて、の上での話だが。
満たされるのは、自分が生涯を閉じる瞬間だけでいい。
生徒さんが国立大学法人の一次を通過しました。
国立大学法人の一次は教養試験のみ。
この生徒さんは、数的推理、判断推理が苦手で、
教養試験のみの勝負は不利、だったのですが、
継続的な努力で克服し、一次合格に至りました。
説明会→面接とあわただしい日程で、かなりハードですが、
最終合格を果たしてほしいと願ってます。
予習をしているときは集中して、最大限までいろいろなことを考えているつもりなのだが、
実際に生徒を目の前にして説明していると、予習の段階では思いもしなかったことに気づくことも多い。
なんでなんだろう。
思考は、無意識のうちに、同じところをなぞる性質があると思う。
自分ひとりでやっているとどうしてもそこから抜けられない。
誰かを目の前にして考えていると、些細な表情からさえも刺激を受けて、
いろんなことに「気づかされる」のではないだろうか。
そこに、講師にとっての授業の面白さの一つがある。