なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

今年一年を振り返って

2013-12-31 12:31:03 | インポート
 自分はできた人間ではないので、人様に素直に感謝の気持ちを持てるようになったのは、恥ずかしながら人生の後半に突入してからだ。

 ここ数年は、一年を終える毎に、本当に「今年も無事に過ごすことができた」と胸をなでおろし、それもこれも周囲の皆様のおかげだなあ、とつくづく思う。

 がむしゃらにやっても結果が出ないときもある。 逆に、肩の力を抜いてすんなりいく場合もある。それはつまり自分の力、というより、周囲の方々の厚意にあずかれるかどうか、によるところが大きい。

  そのためにも誠実でなければならない。

 心よりの感謝をこめて、今年一年格段のお引き立て、本当にありがとうございました。




勉強は役に立たないか

2013-12-30 14:37:32 | インポート
 学校で習ったこととは全く無縁の世界で仕事をしていたこともある。
だが、勉強は役に立たない、などと思ったことは一度もない。

 「解の公式覚えたってなんの役に立つんだ」という人は多い。この問いに対する答えは、「二次方程式を解くのに役に立つ」だ。それ以上でもそれ以下でもない。そもそも日常におけるご利益を期待する方が非論理的、だ。

 学問は、非常に時間をかけて積み上げられてきた、人類共通の認識だ。これを離れると、たちどころに意思の疎通など吹き飛んでしまう。今だって、歴史認識問題、なんて騒いでいるけど、共通の認識なんで得られるわけがない。主観でふり返るだけだから。

 言葉が通じて、文字が書けて、計算ができる。論理を架け橋にすることで話が通じる。学問は形を伴なわないインフラストラクチャーだ。あまねく行き渡っていないとうまく機能しない。だから、今日明日の目の前のごはんだとか人の気持ちだとかに影響力を持ち物ではないし、持つ必要もない。

 かといって神輿を担ぐメンバーが、「オレだけ力抜いたって関係ない」と、思ってしまったらひっくりかえってしまう。みんなでかついでいるんだ、という意識をもっとはぐぐまなければならないと思う。


ジャンクな情報

2013-12-29 13:24:03 | インポート
 街中で携帯やスマートフォンを見ている人が多い。自分もよく覗いている。(人の迷惑にならないように気を付けています)
何らかの情報を得ているのだろうが、緊急を要する内容、重要度が高い情報に接している、とは思えない。

 だがふり返ってみればテレビで好まれるのは芸能人のゴシップなどであり、新聞もテレビ欄とスポーツ欄以外は読まない人も多い。よほど損得にかかわる情報でない限り、どうでもいいような情報のほうが好まれる傾向にある。

 政治経済社会情勢などは、情報を得たうえで判断するのに知識が必要であったり、じっくり考えなければならなかったりする。頭を使うのは疲れるから、楽な刺激を求める方に流れてしまう。

 普通に暮らしているだけではジャンクな情報を得ることに終始してしまう。それで満足できるならいいが、一つ上の判断力を磨きたいならいつも意識していなければならない。



コーンフレーク

2013-12-28 11:08:51 | インポート
 若いころ、アメリカで農業実習を1年ほどしたことがある。朝飯はコーンフレーク、ということも多かった。

 最初はあんなもので腹がふくれるとは思わなかった。実際、大量に食べてやっと腹ごしらえ、という感じだった。
しかし、なれると不思議なもので、普通の量で何とか腹が持つようになる。体が適応していくようになるのだろうか。

 食べ物のような必需品ですら適応できる。そのことをおもえば、大概のことには己をなじませることができるのではないだろうか。



思っているだけでは

2013-12-27 12:21:33 | インポート
 強く決意したり、何かを誓ったり、頭の中でやるだけならよくあるけれど、
実際に手を動かして行動に踏み切らなかったら全く意味がない。

 では腰が重くなってしまう原因は何だろうか。
①面倒くさい
②リスクを恐れている
③疲れている(ような気がする)
④忙しい(と思い込んでいる)
⑤実はモチベーションがあまり高くない 「誓い」が、ただの願望に過ぎない

 特に⑤がデカい。必然に迫られれば①から④までは吹っ飛んでしまう。
 ならば、⑤を吹っ飛ばすためには
①人と約束をする
②人に宣言をする
③お金をかける
④実現することで描かれる明るい未来を思い描く

 などか。

 このように、ぐずぐずを克服しようと日々悩んでいる。