なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

選択

2020-05-31 15:58:33 | 日記
これがいい、これしかない、と思って選んだのなら文句はないだろう。
問題は、「こっちのほうがましだ」と思って選んだ場合だ。
そのような選択は無視できないほどに多い。
どのようないきさつで選んだとしても、選んだものには敬意を払わねばならない。
ぞんざいに扱うのは、選んだ対象に対して失礼だし、自分のこれからの人生を呪うことになる。
自分に対しても周囲に対しても、いいことは一つもない。
選んだものはすべて「選び取ったもの」であり、自分そのものなのだ。
選んだら、大切にすべし。


バネ

2020-05-30 17:26:05 | 日記
ケガさえなければ物凄い記録を残していたのに、という選手はたくさんいる。そしてその次に来るのは「ケガをしないのも一流の条件」となる。
この、「・・さえなければ」という思考を、私たちは実に頻繁に行っている。ただの慰め、気休め、でしかないのにしょっちゅう行っている。
現実はしばしば厳しく、多少のオブラートに包んで受け止めるのは、まあ、ありかもしれない。しかしオブラートをかぶせすぎて、元の形も味もまったくわからなくなってしまうようではダメだ。ありのままに受け止め、それでみじめに感じたりみすぼらしく思ったり、もまた味わうべき感情だ。悔しいと感じてバネにする、古臭い情緒かもしれないが、なくてはならないとも思う。


定番

2020-05-29 16:37:11 | 日記
定番に頼り、結局は定番に行きつき、いざとなったら定番だ。
だが、もっとも疑うべきもまた定番である。
定番となっているので疑うことすら発想にない。でもここから疑わないと変化はない。定番以外の部分を変えたところで、昨日の服と今日の服は同じではない、くらいの違いしか生まれない。
変えるリスクが最も大きいのもまた定番だ。変えない、が正解のことも多い。それでも変えるべきかどうかの検討はした方がいいと思う。


極端な結論

2020-05-28 19:05:37 | 日記
極端な結論にすぐに飛びついてしまうのは、弱さの表れ以外の何物でもない。
熟慮熟考を重ね、誰も想像できなかった結論にたどり着く者はいる。本当に、教科書に名前が載るような人の話だが。


そうではなく、耳にしたこと目にしたこと、不安を感じたり気に入らなかったり、すぐに極端なことを考え、口走るのは弱さ故、だ。
その意に反する事実、事態、予想、をいったんは自分で受け止め、可能なことを探り、まずできることを何とかしよう、という強さが不足しているのだ。


こうした弱いものたちが決めたことは、ろくな結果にならない。振り回されて決めたことだから、ろくなことにならない。
弱いままでは愚かな結論に飛びついてしまうのだ。


2020-05-27 18:21:22 | 日記
人が自分で決定できることは、ほんの一部に過ぎない。
飛行機が墜ちるのも船が沈むのも、運命、としか言いようがない。
できるのは、乗るか乗らないかを決めることくらいだが、状況によってはそれすらも自発的意思とはいいがたい要因によって決定される。


若いころは、このように考えていなかった。自分で決める、決めるのが自分だ、と。
年とともに、変わってきた。


では、運命に委ねて、何をしてもムダ、と思って過ごすのか。
それは全く違う。選択可能なものから何を選ぶか。見逃している他の選択肢はないか。勇気がないから選ぶことができないと思い込んでいる選択肢はないか。
限定された状況だからこそ、これらが重要だと気付いた。


年とともに運命の威力を思い知った。
だからこそ、ムダに無為に過ごしてはいけない、と思い直すようになった。