なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

価値

2020-11-30 16:50:29 | 日記
価値はすぐになくなってしまうのか。
実用的価値についてはそうだろう。使用済み、となれば捨てても何ら問題はない。
しかしなかなか捨てられない。それは思い出、などの精神的価値が生じているからだ。
だがこの精神的価値、というのは心もとない。すぐに変質したり消滅したりする。
精神的価値を不変のもの、とするにはよほど強固な何かと結びついていないといけない。例えば伝統、習慣、便益、など。


価値はすぐには消滅しない。精神的価値が様々に生じるから。しかしそれを不変のものとするには多くの苦労を伴う。
逆に言えば、何の痛みも想定せずに不変の価値、と唄うものをたやすく信用してはならない。


のんびり過ごす

2020-11-29 14:49:47 | 日記
のんびりやる、というのは簡単ではない。
忙しい時にはのんびりやることに憧れる。忙しすぎてカラダを壊してしまうようなことがあれば、憧れるだけではなく、実際のんびりできる環境を整えようとする。
だがカラダが慣れていない。時間の使い方になれていない。何もせずに時間が過ぎていくことを、無為に過ごしている、とおもってしまう。いやちがう、ゆっくり過ごす、とはこのようなことだ、何もしない時間が至福なのだ、と自分に言い聞かせる。
だが、どうにも満たされないココロのスキマがあちこちにできていく。
のんびり過ごす、とは、そのような空白と折り合いをつけて慣れていくことなのだが、それがうまくできるか。体力が下り坂なら可能だろう。活動欲がまだ十分に残っているのなら難しい。
忙しいからその反動で、のんびりやりたい、と思うのかもしれない。だが、絵に描いた餅、になりやすい。


交渉

2020-11-28 16:35:19 | 日記
話し合って分かりあえるとしたら、それは論理によるものではない。
論理は互いの認識を紡ぐ糸のようなもので、大事ではあるがこれだけでは弱い。
互いに離反する力が大きければ糸で縫い合わせることができなくなる。
分かり合うには互いに歩み寄ろうとする作用が欠かせない。
一番は利害の一致だ。次に感情。この2つを調整するものとして論理がある。
論理を全面に押し出すと絶対にうまくいかない。話し合えばわかる、というのはそこに交渉がある場合であり、理屈で相手を説き伏せることではない。


自分が決める

2020-11-27 17:08:41 | 日記
最後は自分で決めるしかない。違う。最初から自分で決めるしかない。
誰かに従うにしても、従う、ということを選ぶのは自分だ。


主体をどこまで想定するか。人によって違う。「全ては神の思し召し」として、主体が存在しない、とすることだってできる。
だから、そのような問いかけはあまり意味をなさない。今、自分に関することを自分が決める、それだけだ。
誰かの話に耳を傾け、強く影響されても、促され従うことに決めても、自分が決めることだ。


そのことを忘れていると、悩みがあるとき、永遠に解決しない。



一日休めば

2020-11-26 15:51:07 | 日記
一日休めばその遅れを取り戻すのに~日かかる、と言う言い回しがある。いつも違和感を感じる。
休めば遅れる、というのは本当だろう。
だが、その休みは、必要な休みではないのか。いたずらに続けても疲労が蓄積し、あるいはマンネリ化してしまい、もはや進歩が見込めなくなる、時がある。そういう時は休むことが必要だ。


ただ続ければいい成果が出る、というのなら非常にシンプルで楽だと思う。ところがそうではない。続けるだけではダメなことがよくある。
怠け癖がつかないように、との配慮で言うのならある程度の効果はあるが、休むことを含めて続けることを考えていかねば成果は出にくい。そのような発想を奪ってしまうマイナスの面もある。