なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

上から目線

2017-08-31 16:57:06 | 日記
上から目線、にどうしてもなってしまう。
それは、考える際の必然ではないか。
情報は俯瞰することで把握できるようになる。
だから、上から、でなければ考えることができないのだ。
見上げる、という場合もある。だが、それも実は見下ろしての判断だ。
見下ろしつつ見上げる。だまし絵のようなものだ。

上から目線であるのと、謙虚であること、他者を尊重すること、は矛盾しない。
そのためには、よく見て正しく把握することが必要になる。

次の勝負

2017-08-30 18:15:49 | 日記
次の回で勝負すればいい。
まあ、そんな場合もある。
「機が熟する」のを待つ、というやつだ。
そうであればいいのだが、単に今の勝負から逃げてるだけ、ならば、危険だ。
今、負けるとわかっていても、全力でやらないとダメだ。あとにつながらない。
次で勝負すればいい、というのは、安易なリセット指向だ。安易にやると、実のところ、マイナスを背負うことになる。逃げた、というマイナス。
今の勝負が大事なのだ。

規制緩和

2017-08-29 15:02:59 | 日記
出る杭は打たれるというが、出ない杭だって打たれる。
打っているのが自分である場合すらある。
規制は至る所にあるし、自己規制も無意識のうちにやっている。

これらは重力のようなもの、あるいは気圧のようなものであり、ないと生きていけない、という側面もある。
また、規制の中に安住している方が楽かもしれない。
でもそれはつまらない。
ただ頭を下げていなければならないだけの規制には、立ち上がるべきだ。

傍観者

2017-08-28 17:27:32 | 日記
傍観者の言葉など、あまり気にすることはない。
99%は、無責任な言葉だ。
ただ、ごくまれに親身なありがたいことばもある、ことも忘れてはならないが。

傍観者は好き勝手なことを言える。
傍で見て、好き勝手なことを言って、いっときは留飲を下げ、それで終わる。
無責任な言説を垂れ流すのに反省を伴わないのだから、実のところ品性をどんどん落としていって、正しいやる気向上心も見失ってしまう、という恐るべきデメリットがあるのだが、気づいていない。

ただ、ごくまれに、自分の足場まで降りてきて、ためになる指南をしてくれる人もいる。ごくまれに、だ。

無責任な言葉に振り回される必要はない。また、助言をすべて退けるほど頑迷になってもいけない。

見間違え

2017-08-27 16:39:08 | 日記
かすり傷でもかすかな跡はのこる。完全にもとに戻ることはない。
常に変化の中に生きているのだから、それが当たり前だ。
けれど、回復した、治った、という言葉を使う。
それは、つまり、また、連綿と続く変化コースから少し外れてから、またそのコースに戻った、ということであり、同じ場所、同じ状態に戻るわけではない。
だからどのような変化であろうと、それは当たり前、受け入れ歩んでいく以外はない。
同じ、と考えるといろいろと間違う。変わっているのだ。変わらない、と思い込んでいると見間違う。
変わるのが当たり前、なのだ。見間違えてはいけない。