なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

延長線上

2019-03-31 15:53:35 | 日記
自分を変えたいと願い、変わろうと努力してみたころで全く違う自分になれるわけがない。
常に今の自分の延長線上にいる自分にしかなれない。
だから無意味かといえばそんなことはない。延長線上にどんな自分がいるのかは誰も知らない。一本線ではなく、複数あってさらに分かれていく。そして、その中のどれになるかは選び取ることができる。運は自分で決めることはできなくても、こちらは自分で選んで決めることができる。
だから、大いに変えたいと願い、変わる努力をしてみるべきだ。何歳であろうと。

クリアー

2019-03-30 19:27:47 | 日記
形だけ、のことは振り払った方が能率も上がるし気分もよい。
だが振り払うのは結構難しい。二つのことにとらわれている。一つは他人の目、もう一つは自分に対する不信だ。
人の目を気にしなければ形式的なことをやめてしまうのは簡単だ、と思っていたら、今度は自分自身が問題となる。
形だけのことならやめてしまって何の問題もないはずだが、いや待て、ひょっとしたら不味いことになるかも、と疑い始めるともうだめだ。

この2つをクリア―して始めて形骸化した部分を切り捨てられる。どちらにも勇気が必要だ。

明日に迫っていても

2019-03-29 17:16:35 | 日記
時計は人との約束を守るための道具であり、それ以上ではない。
遠い先のこと、もすぐにやってくる。
はるか昔のことも今とつながっている。
あと何日、とか、何年前、を計算するのは、一興であるが、時計を使うことで可視化された時間という現象に単位を与えているにすぎない。
アタマの中が秒や分で刻まれているわけではないのだ。

時間厳守は当然だが、アタマの中まで秒や分に縛られる必要はない。時計は道具なのだから、目的に沿って使いこなせばいいだけだ。
明日に迫っていても、時間はある。無限?にある。

どっからでもかかってこい

2019-03-28 17:07:38 | 日記
どこからでもかかってこい、と言えるように、鍛えていきたい。
こちらからは良いが、こちらからはダメ、などという条件付きの強者は、本当の強者ではない。
いや、「本当の強者」が世の中にどれだけいるのか、実はゼロ人、という可能性もある。
それでも、条件付き強者であることに満足しそこにとどまって、守るだけになったらそれはもはや強者でも何でもない。

誰にでも、いつでも「どこからでもかかってきなさい」と言える、というのは、ほぼマンガレベルの話かもしれないが、それでも目指す気持ちを持ち続けた方がいい。

目途

2019-03-27 17:21:14 | 日記
めどが立つまではややしばらくかかる。始めた当初はどこにゴールがあるのか、どちらを向いて進めばいいのかすらおぼつかない。
訳が分からぬなりにあれこれもがいて、とりあえずできる事を積み上げていくと、途中から視界の中に目標物が見えてきてめどが立ち、そうするとあれこれいろいろ作戦も思いつく。
だがそうなる前、は、ひたすら信じて、見えなくても信じて進む以外はない。その時点で小賢しいことを考えるのはほぼマイナスしか生まない。
めどが立つまでのややしばらくの時間を耐えること、それを修行というのではないか。