なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

この国の未来

2019-10-31 16:54:11 | 日記
この国はもうダメだ、もはや後進国だ、などというものがいる。
いったいどうして、いかなる理由で、何を思えばそんなことが言えるのか。
仮にダメだとしても、自分もその一員ではないのか。ダメなら何とかしようとは考えないのか。


自分の置かれている状況を、なぜ見下すような態度で判断できるのだろう。
ネットに転がっているつぶやきから、大新聞の社説に至るまで、この手の見下しは非常に多い。
見下すことで、自分だけを守ろうとしているのだろうか。有害で卑怯な言説だと思う。


衝動

2019-10-30 16:55:22 | 日記
言葉は大事だが、伝えるためにはほかにも大事なことがある。
どのような言葉を用いるか、よりもどのように話すか、どのタイミングで話すか、表情、声の調子手ぶり身振り、の方が重要な場合も多い。
言葉を媒介にして伝わることは筋道の通った内容だ。論理的、ともいうし、言葉は論理そのものだ、という論者もいる。
一方、人を突き動かす大きな力は情緒であり、非論理的な衝動だ。それらは言葉を介さずに、あるいは言葉に付随して伝わる。
どれほど論理的であることを求められる場面でもそのことは心に留めておいた方がいい。ミスタースポックだって論理以外の衝動に突き動かされる場面が多かったと記憶している。


被害

2019-10-29 14:55:27 | 日記
被害者と加害者では、加害者が悪い。加害者はできる限りの謝罪をせねばならない。このことに異論は全くない。「被害者にも非があった」などというのは全く別の話だ。
さらに全く別の話だが、直接の被害を受けたわけでもないのに自分を被害者の立場に置こうとする者の存在は、本当の被害者にとっても迷惑な話だ。単に利用しているだけだ。このようなものは、相手にする必要はない。
自分を被害者とすることは甘美な誘惑でもある。本当に被害を受けてダメージがある場合はそんなのんきな事態ではないのに。フェイクの被害者の声に、本当の被害者の救済の声がかき消されることは、あってはならないことだ。




保留

2019-10-28 16:48:15 | 日記
うじうじ悩んでいないでとっとと決めるべきだ。決断が遅ければ機会を失うことになりかねない。
だが、決断ではなく判断、あるいは物事の理解については慎重であるべきだ。わからないこと、納得のいく推論が得られないこと、については保留、とするか、わからないこと、として考えるべきであり、そこで安易な結論に飛びついてしまうと見誤る、極論に走る、などということになる。どうにも理解しづらいことを「よくわからない判断不能なこと」として保留するのは決して気持ちのいいことではないが、誤るよりはマシだ。
物事を正確に考えるためにはこの、保留、という態度がかなり重要だと思う。


患いなしか

2019-10-27 15:28:03 | 日記
備えあれば患いなし。が、大事にしまっておいても緩やかに劣化している。同じ状態で同じように残っていることを期待してはいけない。
そして、いざという時に、期待通の効用が得られない、ということになる。備えてていても安心しきってしまうのではダメなのだ。たまには取り出して状態を確かめ、必要ならば交換し、という手入れが必要になる。
そうした手入れをしないと、ただのタンスの肥やしになってしまう。やがて本人もこの世を去ったときににゴミになるだけだ。
備えていても、時々は心配しなければならない。