なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

実行

2018-02-28 17:22:35 | 日記
一度口にしたことを反故にする、実行できない、は、残念ながら、ある。よくある。
仕方がないことなのか。
いや、仕方がない、で済ませて、自分も相手も、全くの無傷、ということはあり得ない。
信用、信頼関係、などが金属疲労のように劣化する。
さらに、口にしたことを実行できなかった、自分自身に対する信頼も揺らぐ。
気にしない、というのはウソだ。もし、本当に気にしないのなら、人格にだんだんと歪みが生じていく。

口にしたことは、できる限り、実行すべし。できる限り。

ベテラン

2018-02-27 17:28:02 | 日記
長くやっているからといって、習熟しているとは限らない。
むしろ、適当にごまかす習慣が骨の髄までしみ込んでいる、かもしれない。

いや、気を抜くとそうなるものかもしれない。
長くやっていると、できることできないこと、わかることわからないこと、どちらも良く見えてくる。
できないこと、わからないことを少しでもつぶしていけば成長があるのだが、それは骨が折れる。そして、安易な方に流れる。
ひょっとすると、もう、流れているのかもしれない、と、
長くやっているのなら、まず、自分を疑ってかかった方がいいのかもしれない。

粗探し

2018-02-26 18:17:27 | 日記
欠点ばかりにしか目がいかないのは精神的怠慢だ。
悪いところは見つけやすい。そして、なぜか自尊心が、わずかに満たされる。
良いところを探すのは、実はしんどい。何かを認める場合、作用より大きな力の反作用を受ける。その反作用に打ち勝たねば、認めることにはならない。(ただの馴れ合いの評価とは違う。)
悪いところばかりをあげつらい、卑小な満足の殻にこもっているのは、怠慢であり、その行為は品性を下げる。

当事者

2018-02-25 15:43:13 | 日記
当事者でなければ意見が言えない、などというつもりもない。
いろいろな情報から、自分の考えをまとめることは大事だ。
でも、当事者でなければわからないことは、もちろんある。当事者でなければ言ってはならないことも、当然ある。
そこまで言及したいのであれば、なるべく当事者に近い立場に身を置くべきだ。匿名、はこの場合論外となる。また、ただ安全なところからヒョーロンするだけの行為も、論外だと思う。

事例

2018-02-24 15:26:06 | 日記
完全なヒーロー、絶対善、はすべて神話、物語の中にしか存在しない。
現実に存在するのは、相対的な善、だ。だから適当でよい、ということでなく、むしろ、個々の事例をよく吟味し、その時その社会集団における最大公約数を見出さねばならない。
そこに、教条主義的な理念が強すぎると厄介なことになる。自らの相対性を疑ってかかることをしないので暴走する。
善悪については、個々の事例を見つめ、考察することを欠いてはならない。それがなければただの妄想に堕してしまう。