なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

混乱

2018-11-30 17:30:36 | 日記
真剣にものを考えればあれこれ悩み、混乱する。
それをすっ飛ばして明確な結論をすぐ得られるのならいいのだけれど、混乱は避けて通れないと思う。

知っていることを総動員して、新しい情報をどのように取り入れるか工夫し、不確かなことに暫定的に仮定を与える。
そうした営みが混乱なしでできるわけがない。それで間違わないのなら天才、ということになるが天才がそうそういるものではない。
信頼に値する知見は、混乱、混沌のトンネルをくぐり出てきたもの、だと思う。

感傷

2018-11-29 16:15:22 | 日記
感傷や郷愁など、しみじみと浸るのもいいだろう。
でも、その行為は、少なくとも、外の世界には何の関係もない。
ドラマや小説では随分と丁寧に描写され、その後の展開に関係していくが、それは誰かが作った筋書きの中だけの話だ。

現実世界は、感傷があろうがなかろうが進んでいく。進むというより、経過していく。
悲しいことがあろうとも楽しいことがあろうとも、何事もなかったかのように経過していく。
感傷にふけっていると、そのすべてに意味を求めてしまう。一人の胸のうちにとどまる限り、それもいいだろう。
しかし、現実には、意味があるのかないのか、神様だけが知っているのか、とにかく進んでいく。
どんな思いでいようとも関係ない。関係ない、ということを、わかっていないと感傷に足元をとらわれることになる。

想像力

2018-11-28 17:21:08 | 日記
視野が360°あるわけではない。
未来を予測することは不可能だし、人の心はわからない。
それでも、背後に気配を感じることはできるし、人の気持ちもなんとなくわかって、だいたいはあっている。はずれることもあるが。

ブラインドになっていることはたくさんある。というより、取り囲まれている。それを補うのは想像力だ。外れることがあろうとも、想像力で補うしかない。
自分が大嫌いなものを好きな人がいたり、Aと考えることをAではない、と考える人がいたりすることを、常に忘れてはならない。
想像しなければ、いろいろと景気よく断言できるが、すべて幼稚な発言になってしまう。

わかる、という過信を捨てて、想像するように努めるべきだ。


こだわり

2018-11-27 17:28:06 | 日記
小さなこだわりは、おまじないのようなものだ。おまじないに効力があるのならこだわってもいいが、ないのなら捨ててみるのが賢明だろう。
大きなこだわりは、信念と同義に使われることもあるが、信念というより好き嫌い、だろう。それもなかなか変えることのできない好き嫌い、だ。
これには、良くも悪くも一生付き合うしかない。

効力に対して論理的、あるいは実証的裏付けがあるのなら、こだわりというよりは方法、メソッドというべきではないか。

こだわりを捨てないのはあまり褒められたことではない。肯定的に使うのには注意が必要だと思う。


安住

2018-11-26 16:45:17 | 日記
一生懸命の中に安住するな
懸命に過ごせば一日は忙しく過ぎていく。
それはそれなりに価値のあることだ。
だが、それだけでいいのか。

できることだけをなぞって終わりにしていないか。
本当にキモとなる事を、ついつい後回しにしていないか。
忙しく過ごせば、それなりに一生懸命だし、自分にも、各方面にも胸を張れる。

もちろん、怠惰であるより、はるかにいい。
一生懸命な一日は、赤点ではない。合格点も超えているだろう。
だが、突き抜けるには、足りない。
すでにできることを、ただなぞるだけでは、足りなくなる。