面接の練習で思うこと 2015-10-31 17:46:17 | 日記 あいさつ、お辞儀をする時、気をつけることは、 「一つの動作が終わるまで次の動作に移らない」ということだ。 頭が上がりきっていないのに横を向いて歩きだしてしまうと、動作が雑に見える。 マナーの詳細についてはいろいろな説がある。 でもこの点だけは共通していると思う。
隣の芝生 2015-10-30 14:08:00 | 日記 隣の芝生は青く見える、ということは相対的に自分の庭は色褪せて見える、ということでもある。隣がよく見えるのは仕方がない気もするが、自分の場所を相対的な評価で嘆いても仕方がない。隣の家にそう頻繁に足を踏み入れるわけでもない。自分の家で過ごす時間がほとんどだ。つまり隣がどうであろうと本来関係ない。ムダに比べて自分で自分を貶める。本当にムダだ。芝生は比べるものじゃない。そこで過ごすためのものだ。
魔法の力 2015-10-29 15:59:45 | 日記 魔法の力が使えればいいなといつも思う。ゴミ箱が近くにない時、バスに間に合わなさそうな時、念力で何とかならないか、と思う。 なるわけがない。もちろん本気でそんなことを期待するわけでもない。 ところが、ちょっと遠い未来のことについては、魔法の力が使えるかも、という根拠のない期待を持ってしまう。漠然と、10年後には夢がかなっている、などと。 10年後だろうと、100年先だろうと、魔法が使えるようになっている可能性は極めて低い。10年かけて積み上げれば、今の時点では届かぬ高みに達するだろうが、それはごく当たり前の普通の力の集積であって、念力でも何でもない。 魔法を使ったとした思えないようなすごい業績は見渡せばたくさんある。でもそうではない。まともに歩いていくしかないのだ。
諦め 2015-10-28 11:08:26 | 日記 諦めてしまってしばらく経つと結構居心地が良くなる。上に登っていこうと言う緊張感がなくなるのだから当然だ。やがて現実から顔を背け、尻に火がついても気付かぬか気づかぬふりをして、さらに深刻な事態を招いてしまう。 諦めるのは楽だ。だが毒を含んでいる。しかもその毒は苦くなくむしろ甘い。 諦めは悪い方がいい。
思いは伝わるか 2015-10-27 16:31:44 | 日記 どこまで伝わるのか、あまり期待してはいけない。 己を省みて、どれほど人の「思い」を受け止めることができているというのか。 まあ、それと同じだろう。 そもそも自分の想念がそのまま伝わることなどあり得ない。あったら困る気もする。 では、意思疎通など不可能で、コミュニケーションに意味はないのか。 それは全く違う。 意思疎通を図ることは極めて重要だし、コミュニケーションなしでは生きていけない。 不完全にしか伝わらないから、努力が必要なのだ。 そして、努力したからといって、100%を期待してはいけない。 歩留まり50%、もあれば御の字だ。 思いを伝える努力、くみ取る努力が必要だ。