なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

言論の自由

2014-02-28 14:28:45 | インポート
?言論の不自由は耐え難い。何としても自由を守るべきだ。
だが、それ以上に困ったことは、思考の不自由だ。これは、本人が自由を拘束されていることに気がつかない事が多い。
??
大量の情報を与えられると、ある段階から思考停止になり、疑ってかかることが出来なくなってしまう。

?現代社会はいつもそのリスクにさらされている。単純な白黒二分で考えるのはわかりやすいが、大事なことを見逃してしまう危険性が高い。

?情報は何度も反芻してから呑み込むべし。


形あるもの

2014-02-27 14:41:47 | インポート
 形あるものはすべて壊れる、との教えがある。諸行無常を悲しむべきだろうか。

 喜びも悲しみも、すべて、変化の中にしか生じない。変わりゆくからこそ楽しいし、また悲しいのだ。
だから、ただただ嘆くのは片面しかとらえていないことになる。

 一つの事象をいくつかの視点でとらえ、辛い状況になったとしても、そこに差し込む一条の光を感じ取る感覚を日々涵養すべし。



悔いのない人生

2014-02-26 12:45:19 | インポート
を送りたいと思う。それは誰だって同じだろう。
ただ、どんなに前向きに生きていたって、個々の局面では失敗もあるし、ああすればよかったとか、・・・が悔しいとか、いろいろな思いにとらわれる。それは避けようもない。

 悔いがない、というのは、幾分あとになって、諸々の感情がだいぶん整理されてから思いいたる心境ではないだろうか。

 今日の行いを振り返って、あるいは昨日一日を思い出して、未熟な点、反省すべき点は毎日山ほどでてくる。
 それでも一生懸命やっていれば、思い出に変わるほどの時間がたったあとで、「やれるだけのことはやったから、悔いはない」と感じる。一生懸命やる、とは、つまり前向きに改善しようとする意志の現れであり、反省点が生じるのはむしろ必然だ。

 ということは、悔いのない人生を送るには、反省の多い毎日を過ごすべし、という結論になる。


ほどほど

2014-02-25 12:33:32 | インポート
 何事もほどほどに、ということは大切だが、ほどほど、で、うまくやっていくのは極端にはしるより難しい面がある。行動の基準を臨機応変に変える、ということであるのだから。天性でそれができる人はいいが、そうでない場合、目先の損得に振り回されずに中庸を保つにはグランドビジョンが必要だ。足下に気をつけるのと同時に、遠くまで見通す眼力を養わなければならない。


2014-02-24 16:02:19 | インポート
 人目を気にして恥ずかしい、というのではなく、己の信念に照らし合わせて羞恥を感ずる、というのが理想だ。
 俗世の直中に生きている以上、これは難しいことだが、行為の基準を自分の外にのみ求めるばかりでは、右往左往で終わってしまう。そして、幸せの基準もまた人との比較の中にしかないので、どこまで行っても隣の芝が青く見え、心休まることがない。
 若い頃にそのような信念が築ければいいのだが、不惑という言葉もあるように、歳をとってからでも遅くはない。終生、その心境にいたらぬ一生もあるだろう。それが一番恥ずかしい。