なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

誰が払っているのか

2019-11-30 16:35:44 | 日記
鍵のかかった家の中、冷暖房ばっちりで食べもの、水、に困ることなし、風呂もトイレも快適、という状態であるならば不満はないはずだ。
ないはずなのに、それでもあれこれああならいいこうならいい、というのがわいてくる。まあそれは、そういうものかもしれない。
だが普通は、それはぜいたくな悩みだから口にはするまい、今の状態に満足しなければ、と自分で自分を戒めるものだ。


が、それでも、一部のものは不満を口にし、さらにその中の一部には、その不満を理屈で固め、堂々と主張する。
冗談ではない。そのような戯言に付き合う必要はないい。


快適な家を手に入れ、それを快適に運用できるようになるために、どれほどのコストを支払っていることか。一人で支払うことはできないから、世の中みんなで支払っているのだ。
そのことを忘れて、あるいは知らずに文句ばっかり言っているのは非常に恥ずかしいことだし、迷惑だ。


偏食

2019-11-29 15:36:34 | 日記
食べもしないでこれは苦手と口にしないのが食わず嫌いだが、食べ物以外も対象になる。
本を論じるのならその本を読んでから、映画を批評するのなら観てからが当然のことだ。
読んでもいない、観てもいない、なのに何か偉そうなことを言えば、当然たたかれる。
ところが、人、に関してはそうではない。なんとなく気に入らない、などの直観的理由で好悪を判断してる。
実際に話をしてみなければ、直接にコミュニケーションしてみなければ決してわからないのに。
偏食でも生きてはいけるが、人に対する偏見は他人の生きやすさを奪ったうえで自分も息苦しくする。
偏食は改善した方がいい、だが、偏見は改善せねばならない。


何のために

2019-11-28 16:23:46 | 日記
無為に過ごす人の姿を見ると、何のために生きているのだろうと思ってしまうことがある。そしてその問いはすぐに自分に跳ね返ってくる。ただし、これは上からのぞき込んだ問いだ。中の人、つまり当の本人が生きることで精一杯ならそんな疑問は思いつきもしない。つまり、この問いを発するということは自分自身を上から俯瞰しているからこそだ。時折、幽体離脱して自分を俯瞰するのもいいだろう。だがそのままでは困る。またすぐに、現実の目の前の課題に取り組まねばならない。そうすることで、この答えのない問いに答えることができる。何のために生きるかといわれれば、とりあえず明日のメシを確保するためであって、実のところそれ以上の答はない。

脚色に注意

2019-11-27 15:13:49 | 日記
わかりやすい解説は、どのようにしてわかりやすくなったか、が問題だ。 
言葉のムダを削り文章の構成を適切化し、比喩や表現に工夫を凝らした結果わかりやすいならば素晴らしい。本質を過不足なく伝えるはずだ。


たが、これはほんの一部に過ぎない。多くは、内容が高度で理解しにくい部分をはしょる事でわかりやすくしている。
さらに人気を博するのはおもしろおかしく脚色されている場合だ。物語に沿って脚色されていたほうが面白く、スラスラ読める。たがそれはフィクションに過ぎない。フィクションは楽しむものであってその中に住んでしまうと現実を見失う。
わかりやすさ、にたいしては十分に警戒すべきだ。

計画

2019-11-26 15:43:01 | 日記

やる気のある時計画を立てる。そこに落とし穴がある。やる気にはムラがある。ピークのときに立てる計画には当然ムリがある。ではやる気のないときに計画を立てるのがいいのか。それも違うし、そもそもやる気がないのに計画は立たてない。だから計画の100%の実行よりも、現実的な範囲での修正が大切になる。貫けなかったからといってみっともないことはない。今とは違う景色にたどり着ければ、それで良しとせねば。