なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

毎日やれば

2016-02-29 16:35:41 | 日記
壁に貼って毎日見ているからと言って覚えているかと言うとそうでもない。単なる風景になってしまう。
毎日やっているからと言って出来るとも限らないし、習熟しているとも限らない。

タイムリミットを決めたり、ノルマを課したり、昨日より少しでも向上しようと心に決めたりと、意識をアクティブにする工夫がなければ、それらは効果を生まない。
毎日やる、は基本だが、毎日やりさえすれば、ということにはならない。

いいか悪いかわからない

2016-02-28 16:23:30 | 日記
毎日過ごしていて、よくなってきているのか、悪くなっているのか、区別がつかないことがある。いいも悪いも運しだい、と言う面だってあるからわからないのは当たり前かもしれない。それでも区別のつくこともある。
怠惰が日常となって、しかも正当化されているようなら悪化。
勤勉が習慣化され、ルーティーンとなっているのなら上向き。成果が結果として現れてないだけか、高いところで安定しているか、のどちらかだ。
判断の基準はそこに置くのがいいと思う。

タバコ

2016-02-27 17:57:12 | 日記
所得が低い階層ほど喫煙率が高い、というニュースを読んだ。
タバコは下級財なのだろうか。

経済学を学ぶと、下級財というのが出てくる。所得が増えると、需要が減ってしまう財のことだ。
つまり通常と逆。具体例は?となると一杯300円未満の牛丼とか、5足で1000円の靴下、などが挙げられる。
貧乏なら買い求めるが、金持ちになれば見向きしなくなる。

貧乏だとカネのかかる娯楽に手を出せない。だから500円玉をくずしてタバコを一箱買ってしまう。
500円はでかいけど、万札が飛ぶようなものは買えない。とりあえず手持ちのお金で手に入る安らぎだ。

そう考えると、下級財、という概念も少しは身近なものかもしれない。

祈り

2016-02-26 14:52:07 | 日記
特に何かの宗教を信じているわけではないが、祈る気持ちは持ち合わせていたい。
神様仏さまあるいはご先祖さま、苦しいときだけすがるのかもしれないが、まあいい。
冷静に考えれば、自力ではどうにもならぬ奔流に流されつつ日々暮らしているのだ。
その中で自分でもどうにかなる事を見つけ、どうにかしようともがくのが人の人生だ。
大いなる力、流れに対して、敬虔な気持ちで過ごしたほうがいい。
祈るとはそういうことだ。どうにかなるかもしれないし、ならないかもしれない。でも祈る。あるいは、だからこそ祈る。

混沌と格闘する

2016-02-25 15:24:13 | 日記
整然と取り組むことができるのは、終わりが近づいてきた、と言うことではないか。または創造から作業に変化した、ということだ。

やっている最中はゴチャゴチャで、混沌としている。でも手探りでもがいているうちに形が見えてくる。
コツを掴み要領を得てスムーズに行くようになったと言うことは、峠を超えた、ということだ。

どうにも整理がつかず、混沌と格闘しているときこそが、最も生産的な時間なのだ。
何かを創り出す、ということは、混沌と格闘することだと思う。

もっとも、だからといって職場がとっ散らかっていていい、ということではない。整理整頓は当たり前だと思う。