●ヨハネ5:17-24 神の「永遠」の時間
イエスは10章で「わたしと父とは一つです」(ヨハネ10:30)と言っており、この5章には、イエスと父がどのように一つであるかが具体的に書かれている。ユダヤ人たちがイエスを捨て置けなかったのは当然のことであろう。自分を神と同一と主張する者など通常の感覚で言えば、おかしいと見られても仕方がないであろう。しかし、固定観念に囚われている者に救いは届かない。ここに信仰を伝えることの難しさがある。
24節の「信じる者は……死からいのちに移っている」は、時間の束縛を受けない神の「永遠」に移されているということだ。神の「永遠」は「過去・現在・未来」が渾然一体となっている。
「イエスの時代」を【現在】とすれば、ヨハネの福音書は、
というような三層構造になっていて、過去と現在と未来とが同時並行で進む。これは「過去・現在・未来」が一体の神の「永遠」と人間の「過去→現在→未来」という時間とを混合したような時間だと言えるだろう。私たちは「過去→現在→未来」という時間の流れの固定観念にあまりにも縛られているので、ここから解き放たれなければならない。
17 イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」18 このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたからである。19 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。20 それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、あなたがたが驚き怪しむためです。21 父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。23 それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
イエスは10章で「わたしと父とは一つです」(ヨハネ10:30)と言っており、この5章には、イエスと父がどのように一つであるかが具体的に書かれている。ユダヤ人たちがイエスを捨て置けなかったのは当然のことであろう。自分を神と同一と主張する者など通常の感覚で言えば、おかしいと見られても仕方がないであろう。しかし、固定観念に囚われている者に救いは届かない。ここに信仰を伝えることの難しさがある。
24節の「信じる者は……死からいのちに移っている」は、時間の束縛を受けない神の「永遠」に移されているということだ。神の「永遠」は「過去・現在・未来」が渾然一体となっている。
「イエスの時代」を【現在】とすれば、ヨハネの福音書は、
→ 使徒の時代【未来】 →
→ イエスの時代【現在】 →
→ 旧約の時代【過去】 →
→ イエスの時代【現在】 →
→ 旧約の時代【過去】 →
というような三層構造になっていて、過去と現在と未来とが同時並行で進む。これは「過去・現在・未来」が一体の神の「永遠」と人間の「過去→現在→未来」という時間とを混合したような時間だと言えるだろう。私たちは「過去→現在→未来」という時間の流れの固定観念にあまりにも縛られているので、ここから解き放たれなければならない。