2017年2月26日礼拝メッセージ
『異邦人への聖霊の贈り物』
【使徒10:42~45】
はじめに
先週は旧約聖書のエレミヤ書を開きましたが、今週はまた使徒の働き10章の学びに戻ります。使徒10章に入ってから今日で3回目の学びになります。きょうは、いよいよ異邦人たちが聖霊を受けた場面を中心に見ることにします。
異なるユダヤ人の救いと異邦人の救い
異邦人というのはユダヤ人ではない者たちのことで、私たち日本人も異邦人です。人間としてのイエス・キリストはガリラヤ出身のユダヤ人でしたから、最初に救われたガリラヤ人とユダヤ人はイエス・キリストと同じ民族です。一方、異邦人は同じ民族ではありません。そのため、ユダヤ人たちが最初に聖霊を受けた時の状況と異邦人が最初に聖霊を受けた時の状況を比べて見ると、一見似てはいますが、よくよく見ると大変に違います。
ユダヤ人が救われた時と異邦人が救われた時とで似ている点は、どちらもペテロの説教がきっかけになっていることです。まず、ユダヤ人が救われた時のことを振り返っておきたいと思います。使徒の働き2章を開いて下さい。使徒2章には五旬節の日のことが書かれていて、まずはガリラヤ人たちが聖霊を受けた時のことが書かれています。ペンテコステ礼拝の時によく開く箇所ですが、1節から4節までを交代で読みましょう。
2:1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
2:3 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。
2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
こうして、ペテロやヨハネなどのガリラヤ人の弟子たちが、まず聖霊を受けました。続いて5節と6節を私のほうでお読みします。
2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、
2:6 この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。
こうして、様子を見に来たユダヤ人たちは驚きあきれて、口々にいろいろなことを言い始めました。そこで、このユダヤ人たちに向かってペテロは話し始めました。14節です。
2:14 そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。
こうして、ペテロは集まった人々に話を始めました。きょうの学びは10章が中心ですから、この説教の内容の大半は飛ばします。次に2章36節と37節を見て下さい。お読みします。
2:36 ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
この五旬節の日の7週間と少し前にユダヤ人たちはイエスを十字架に付けて殺しました。この、自分たちが十字架に付けたイエスが救い主であることを知ったユダヤ人たちは心を刺されてペテロたちに「私たちはどうしたらよいでしょうか」と言いました。そこでペテロは彼らに答えました。38節です。
「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」
続いて少し飛ばして41節、
2:41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。
38節でペテロは「悔い改めなさい」と言いました。そして「イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう」と言いましたから、41節でユダヤ人たちはバプテスマを受けて聖霊を受けました。
このユダヤ人たちが聖霊を受けた時のポイントは、心を刺されて悔い改めたということだと思います。ユダヤ人たちは自分たちが実は救い主であったイエスを十字架に付けて殺してしまったことに心を刺されて、このことを悔い改め、そうして聖霊を受けました。
一方、コルネリオたち異邦人たちの場合は状況が異なりました。イエスが十字架に付けられた時、彼らはエルサレムにはいませんでした。彼らはカイザリヤに住む人々でしたから、イエスが十字架に付けられた時、そのこととは無関係に過ごしていました。
異邦人の救い
では、きょうの10章の学びに入って行きましょう。まず簡単に10章の出来事を振り返っておきます。
10:1 さて、カイザリヤにコルネリオという人がいて、イタリヤ隊という部隊の百人隊長であった。
10:2 彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていた
この異邦人のコルネリオが、ペテロをカイザリヤに招くようにと神の御使いに幻の中で言われました。そこでコルネリオは部下を遣わしてヨッパに滞在していたペテロを呼びに行きました。
一方、ペテロはコルネリオの部下がヨッパに着く少し前に、不思議な夢を見ていました。そして御霊からの語り掛けを受けていました。それゆえペテロはコルネリオの招きを受け入れて、カイザリヤまでやって来ました。
今度は10章の27節から見て行きます。27節でペテロはコルネリオの家に入りました。そして、こう言いました。28節と29節のペテロのことばをお読みします。
「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間に入ったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示してくださいました。
10:29 それで、お迎えを受けたとき、ためらわずに来たのです。そこで、お尋ねしますが、あなたがたは、いったいどういうわけで私をお招きになったのですか。」
ユダヤ人にとって異邦人は汚れた存在でした。その汚れた者たちと交わりを持つことは律法を破ることになります。しかし、神はペテロに彼らと交わることをためらってはならないと予め教えていたのでした。そこでペテロはコルネリオの家に入り、どうして自分を招いたのかを尋ねました。そしてコルネリオの返答を聞いてペテロは言いました。34節と35節をお読みします。
10:34 そこでペテロは、口を開いてこう言った。「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、
10:35 どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。
35節にあるように、神はどの国の人であっても、ユダヤ人であっても異邦人であっても受け入れます。そうしてペテロはイエス・キリストについて語り始めました。36節、
10:36 神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。
少し飛ばして39節、
10:39 私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムとで行われたすべてのことの証人です。人々はこの方を木にかけて殺しました。
10:40 しかし、神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現れさせてくださいました。
この39節でペテロは、自分たちがイエスの「証人」であると述べています。
証人の証言を信じると受ける聖霊
この「証人」という言葉は、非常に重要です。私たちはイエスに会ったことがなくてもペテロなどイエスに実際に会ったことがある証人の証言を聞き、その証言を信じてイエスが神の子キリストであると信じるなら、聖霊を受けます。イエスに実際に会った証人とは、人間のイエスに会った証人であっても霊的なイエスに会った証人でも、どちらでも構いません。ペテロは人間のイエスに会った証人であり、パウロは霊的なイエスに会った証人でした。その証言を信じてイエスが神の子キリストと信じた者が聖霊を受けると、聖霊の働きによって今度はその人が霊的なイエスと会うことができます。そうして、新たな証人になることができます。
40節でペテロは、神はイエスをよみがえらせて自分たちの前に現れさせて下さいましたと言いました。そして41節で、もう一度「証人」という言葉を使っています。41節、
10:41 しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちにです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました。
人間のイエスの直接の弟子であったペテロたちは神によって選ばれた証人でした。そして42節、
10:42 イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。
そうしてイエスは証人の弟子たちに証しをするように言ったとペテロは言いました。そうしてペテロはなお、コルネリオたちに語り続けました。
この後でペテロが何をなお語り続けたのかは書いてありませんが、私はペテロは自分の失敗談も話したのではないかなあという気がしています。福音書を読むと、ペテロたちが情けない弟子であった様子がわかります。この福音書が書かれたのは、コルネリオたちが救われた時よりも、何十年も後のことです。今回、私はこの使徒10章からのメッセージの準備をしていて、福音書にペテロたちの失敗談が多く書かれているのは、コルネリオたちの救いや様々な伝道を通じて、弟子たちの失敗談を語ることが、罪の赦しの恵みを受けるために非常に有効であることがわかったからそうしたのではないかと、思うようになりました。それは、使徒10章にはコルネリオが正しい人であったことが書いてあるからです。私たちは、自分が正しいと思っている間は、決して救われないことをよく知っています。ですから、ペテロは自分の失敗談もコルネリオたちの前で話したのではないかという気がしています。
続いて44節、
10:44 ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。
コルネリオの家に来ていた親族や知人たちのすべての人々がペテロの証言に耳を傾け、聞き入り、引き込まれていました。そうして聖霊を受けました。47節を見るとわかりますが、コルネリオたちは聖霊を受けた後で水のバプテスマを受けました。一方、2章で見たユダヤ人たちは心を刺されて、バプテスマを受けたら聖霊を受けました。
聖霊は天からの贈り物
この10章の異邦人たちの場合は、イエスを「十字架に付けろ」と叫んだわけではありませんから、心を刺されたというよりは、もっとじんわりと、ペテロの言葉が心に浸み込んでいったように思います。そして45節、
10:45 割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。
聖霊は天から賜るものですから、天からの「贈り物」です。英語では、「賜物」はgiftと訳されています。私たちはペテロやパウロなど、先にイエスさまと出会った証人たちの証言を聞いてイエスが神の子キリストであると信じると聖霊を受けます。私たちは、この天からの素晴らしい「贈り物」を授かる恵みを地域の方々と共に、分かち合いたいと思います。
そのことのために、この使徒の働き10章は、非常に参考になると思います。
機会があれば、いつかまた(近い将来?)、10章の学びをさらに深めたいと思います。
お祈りいたしましょう。
10:44 ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。
10:45 割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。
『異邦人への聖霊の贈り物』
【使徒10:42~45】
はじめに
先週は旧約聖書のエレミヤ書を開きましたが、今週はまた使徒の働き10章の学びに戻ります。使徒10章に入ってから今日で3回目の学びになります。きょうは、いよいよ異邦人たちが聖霊を受けた場面を中心に見ることにします。
異なるユダヤ人の救いと異邦人の救い
異邦人というのはユダヤ人ではない者たちのことで、私たち日本人も異邦人です。人間としてのイエス・キリストはガリラヤ出身のユダヤ人でしたから、最初に救われたガリラヤ人とユダヤ人はイエス・キリストと同じ民族です。一方、異邦人は同じ民族ではありません。そのため、ユダヤ人たちが最初に聖霊を受けた時の状況と異邦人が最初に聖霊を受けた時の状況を比べて見ると、一見似てはいますが、よくよく見ると大変に違います。
ユダヤ人が救われた時と異邦人が救われた時とで似ている点は、どちらもペテロの説教がきっかけになっていることです。まず、ユダヤ人が救われた時のことを振り返っておきたいと思います。使徒の働き2章を開いて下さい。使徒2章には五旬節の日のことが書かれていて、まずはガリラヤ人たちが聖霊を受けた時のことが書かれています。ペンテコステ礼拝の時によく開く箇所ですが、1節から4節までを交代で読みましょう。
2:1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
2:3 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。
2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
こうして、ペテロやヨハネなどのガリラヤ人の弟子たちが、まず聖霊を受けました。続いて5節と6節を私のほうでお読みします。
2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、
2:6 この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。
こうして、様子を見に来たユダヤ人たちは驚きあきれて、口々にいろいろなことを言い始めました。そこで、このユダヤ人たちに向かってペテロは話し始めました。14節です。
2:14 そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。
こうして、ペテロは集まった人々に話を始めました。きょうの学びは10章が中心ですから、この説教の内容の大半は飛ばします。次に2章36節と37節を見て下さい。お読みします。
2:36 ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
この五旬節の日の7週間と少し前にユダヤ人たちはイエスを十字架に付けて殺しました。この、自分たちが十字架に付けたイエスが救い主であることを知ったユダヤ人たちは心を刺されてペテロたちに「私たちはどうしたらよいでしょうか」と言いました。そこでペテロは彼らに答えました。38節です。
「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」
続いて少し飛ばして41節、
2:41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。
38節でペテロは「悔い改めなさい」と言いました。そして「イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう」と言いましたから、41節でユダヤ人たちはバプテスマを受けて聖霊を受けました。
このユダヤ人たちが聖霊を受けた時のポイントは、心を刺されて悔い改めたということだと思います。ユダヤ人たちは自分たちが実は救い主であったイエスを十字架に付けて殺してしまったことに心を刺されて、このことを悔い改め、そうして聖霊を受けました。
一方、コルネリオたち異邦人たちの場合は状況が異なりました。イエスが十字架に付けられた時、彼らはエルサレムにはいませんでした。彼らはカイザリヤに住む人々でしたから、イエスが十字架に付けられた時、そのこととは無関係に過ごしていました。
異邦人の救い
では、きょうの10章の学びに入って行きましょう。まず簡単に10章の出来事を振り返っておきます。
10:1 さて、カイザリヤにコルネリオという人がいて、イタリヤ隊という部隊の百人隊長であった。
10:2 彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていた
この異邦人のコルネリオが、ペテロをカイザリヤに招くようにと神の御使いに幻の中で言われました。そこでコルネリオは部下を遣わしてヨッパに滞在していたペテロを呼びに行きました。
一方、ペテロはコルネリオの部下がヨッパに着く少し前に、不思議な夢を見ていました。そして御霊からの語り掛けを受けていました。それゆえペテロはコルネリオの招きを受け入れて、カイザリヤまでやって来ました。
今度は10章の27節から見て行きます。27節でペテロはコルネリオの家に入りました。そして、こう言いました。28節と29節のペテロのことばをお読みします。
「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間に入ったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示してくださいました。
10:29 それで、お迎えを受けたとき、ためらわずに来たのです。そこで、お尋ねしますが、あなたがたは、いったいどういうわけで私をお招きになったのですか。」
ユダヤ人にとって異邦人は汚れた存在でした。その汚れた者たちと交わりを持つことは律法を破ることになります。しかし、神はペテロに彼らと交わることをためらってはならないと予め教えていたのでした。そこでペテロはコルネリオの家に入り、どうして自分を招いたのかを尋ねました。そしてコルネリオの返答を聞いてペテロは言いました。34節と35節をお読みします。
10:34 そこでペテロは、口を開いてこう言った。「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、
10:35 どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。
35節にあるように、神はどの国の人であっても、ユダヤ人であっても異邦人であっても受け入れます。そうしてペテロはイエス・キリストについて語り始めました。36節、
10:36 神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。
少し飛ばして39節、
10:39 私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムとで行われたすべてのことの証人です。人々はこの方を木にかけて殺しました。
10:40 しかし、神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現れさせてくださいました。
この39節でペテロは、自分たちがイエスの「証人」であると述べています。
証人の証言を信じると受ける聖霊
この「証人」という言葉は、非常に重要です。私たちはイエスに会ったことがなくてもペテロなどイエスに実際に会ったことがある証人の証言を聞き、その証言を信じてイエスが神の子キリストであると信じるなら、聖霊を受けます。イエスに実際に会った証人とは、人間のイエスに会った証人であっても霊的なイエスに会った証人でも、どちらでも構いません。ペテロは人間のイエスに会った証人であり、パウロは霊的なイエスに会った証人でした。その証言を信じてイエスが神の子キリストと信じた者が聖霊を受けると、聖霊の働きによって今度はその人が霊的なイエスと会うことができます。そうして、新たな証人になることができます。
40節でペテロは、神はイエスをよみがえらせて自分たちの前に現れさせて下さいましたと言いました。そして41節で、もう一度「証人」という言葉を使っています。41節、
10:41 しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちにです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました。
人間のイエスの直接の弟子であったペテロたちは神によって選ばれた証人でした。そして42節、
10:42 イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。
そうしてイエスは証人の弟子たちに証しをするように言ったとペテロは言いました。そうしてペテロはなお、コルネリオたちに語り続けました。
この後でペテロが何をなお語り続けたのかは書いてありませんが、私はペテロは自分の失敗談も話したのではないかなあという気がしています。福音書を読むと、ペテロたちが情けない弟子であった様子がわかります。この福音書が書かれたのは、コルネリオたちが救われた時よりも、何十年も後のことです。今回、私はこの使徒10章からのメッセージの準備をしていて、福音書にペテロたちの失敗談が多く書かれているのは、コルネリオたちの救いや様々な伝道を通じて、弟子たちの失敗談を語ることが、罪の赦しの恵みを受けるために非常に有効であることがわかったからそうしたのではないかと、思うようになりました。それは、使徒10章にはコルネリオが正しい人であったことが書いてあるからです。私たちは、自分が正しいと思っている間は、決して救われないことをよく知っています。ですから、ペテロは自分の失敗談もコルネリオたちの前で話したのではないかという気がしています。
続いて44節、
10:44 ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。
コルネリオの家に来ていた親族や知人たちのすべての人々がペテロの証言に耳を傾け、聞き入り、引き込まれていました。そうして聖霊を受けました。47節を見るとわかりますが、コルネリオたちは聖霊を受けた後で水のバプテスマを受けました。一方、2章で見たユダヤ人たちは心を刺されて、バプテスマを受けたら聖霊を受けました。
聖霊は天からの贈り物
この10章の異邦人たちの場合は、イエスを「十字架に付けろ」と叫んだわけではありませんから、心を刺されたというよりは、もっとじんわりと、ペテロの言葉が心に浸み込んでいったように思います。そして45節、
10:45 割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。
聖霊は天から賜るものですから、天からの「贈り物」です。英語では、「賜物」はgiftと訳されています。私たちはペテロやパウロなど、先にイエスさまと出会った証人たちの証言を聞いてイエスが神の子キリストであると信じると聖霊を受けます。私たちは、この天からの素晴らしい「贈り物」を授かる恵みを地域の方々と共に、分かち合いたいと思います。
そのことのために、この使徒の働き10章は、非常に参考になると思います。
機会があれば、いつかまた(近い将来?)、10章の学びをさらに深めたいと思います。
お祈りいたしましょう。
10:44 ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。
10:45 割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。