2015年2月22日礼拝メッセージ
『私たちの一人一人がネヘミヤ』
【ネヘミヤ2:4~16】
はじめに
ネヘミヤ記の学びを続けます。先週はあまり先には進まずに、エズラ記とエレミヤ書、そしてハガイ書を開いて、ネヘミヤ記の背景を学びました。そして、主がエルサレムに帰還した民を励まして、中断していた神殿の再建に取り掛かるよう促したことを学びました。主は、ハガイを通して、このように民を励ましました(ハガイ2:4,5)。
2:4 しかし、ゼルバベルよ、今、強くあれ。──【主】の御告げ──エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。──【主】の御告げ──仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。──万軍の【主】の御告げ──
2:5 あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。
こうしてバビロンからエルサレムに帰還した民は、神殿の再建を成し遂げることができました。しかし、城壁の再建はまだできていませんでした。
聖霊が注がれていたネヘミヤ
そのエルサレムの依然として荒廃している状況を聞いて、ペルシャでにいたネヘミヤは嘆き悲しみ、しおれていました。そのネヘミヤのしおれた様子を見て、王はネヘミヤに声を掛けたのでした。では、4節から見て行きましょう。4節と5節、
2:4 すると、王は私に言った。「では、あなたは何を願うのか。」そこで私は、天の神に祈ってから、
2:5 王に答えた。「王さま。もしもよろしくて、このしもべをいれてくださいますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある町へ送って、それを再建させてください。」
ネヘミヤは主に大変に用いられた器であり、ネヘミヤ記を書いた聖書の記者でもありますから、聖霊が注がれていた人物だと思います。聖霊が注がれた器には、主が何を話すかを教えて下さいます。いま祈祷会では出エジプト記を学んでいますが、主はモーセに対してこのように仰せられました。
「さあ行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言うべきことを教えよう。」(出エジプト4:12)
モーセには聖霊が注がれて預言者として用いられましたから、モーセが言うべきことは聖霊が教えました。その聖霊の声を聞くには、先ずは祈りが必要です。ネヘミヤ2章4節でも、ネヘミヤは王に答える前に、祈りました。そして王に、エルサレムへ行って城壁を再建したいということを願い出ました。すると、6節で王は快く送り出してくれました。また、ネヘミヤはエルサレムへの旅の途中とエルサレムで便宜をはかってもらえるよう、王に手紙を書いてもらいたいと願いました。この願いも、かなえられました。それは8節の終わりにあるように、神の恵みの御手がネヘミヤの上にあったからでした。そして9節、
2:9 私は、川向こうの総督たちのところに行き、王の手紙を彼らに手渡した。それに、王は将校たちと騎兵を私につけてくれた。
このように、ネヘミヤはペルシャのアルタシャスタ王の全面的な支援のもとにエルサレムに行くことができました。
先週のメッセージでは、主はエルサレムの神殿の再建のために、異邦人であるペルシャのクロス王を用いたことを話しましたが、ここでも異邦人のアルタシャスタ王が城壁の再建のために用いられています。世界の平和は、まずエルサレムの城壁が完成してエルサレムの平和が守られることから始まります。それはユダヤ人の力だけではできないことであり、異邦人の力も必要でした。その平和のための働きに主は、日本人の私たちも用いられるということを覚えていたいと思います。
誰にも告げずに城壁を調べたネヘミヤ
こうしてペルシャの王アルタシャスタの後方支援を得てエルサレムに向けて旅立ったネヘミヤですが、現地では早くも不穏な動きがありました。
2:10 ホロン人サヌバラテと、アモン人で役人のトビヤは、これを聞いて、非常に不きげんになった。イスラエル人の利益を求める人がやって来たからである。
このサヌバラテとトビヤは、これからもしばしば登場して城壁の再建を妨害しますから、覚えておいていただきたいと思います。
さて、ネヘミヤはエルサレムに到着しました。11節、
2:11 こうして、私はエルサレムにやって来て、そこに三日間とどまった。
そして12節、
2:12 あるとき、私は夜中に起きた。ほかに数人の者もいっしょにいた。しかし、私の神が、私の心を動かしてエルサレムのためにさせようとされることを、私はだれにも告げなかった。また、私が乗った獣のほかには、一頭の獣も連れて行かなかった。
ここに、「私の神が、私の心を動かしてエルサレムのためにさせようとされる」とありますから、城壁を再建する働きはネヘミヤが自発的に行ったことではなくて、やはり聖霊がネヘミヤの心に働きかけ、導いていることなのですね。そしてネヘミヤは誰にも告げずに城壁の様子を調べることにしました。続いて13節から15節、
2:13 私は夜、谷の門を通って竜の泉のほう、糞の門のところに出て行き、エルサレムの城壁を調べると、それはくずされ、その門は火で焼け尽きていた。
2:14 さらに、私は泉の門と王の池のほうへ進んで行ったが、私の乗っている獣の通れる所がなかった。
2:15 そこで、私は夜のうちに流れを上って行き、城壁を調べた。そしてまた引き返し、谷の門を通って戻って来た。
ネヘミヤは破壊された城壁がどのような状態になっているのか、非常に丹念に調べました。これらの調査をネヘミヤは一人で行いました。そのことは16節にもまた書かれています。16節、
2:16 代表者たちは、私がどこへ行っていたか、また私が何をしていたか知らなかった。それに、私は、それをユダヤ人にも、祭司たちにも、おもだった人たちにも、代表者たちにも、その他工事をする者たちにも、まだ知らせていなかった。
以上の記述にあるように、ネヘミヤが先ず誰にも告げずに、破壊された城壁の様子を調べたことから、私たちは何を学ぶべきでしょうか。
平和の働き、教会の伝道の働き、教会の会堂の再建については、牧師が先ず一人で調べて、教会の皆さんは、それに従えば良いのだということでしょうか。そんな筈はありませんね。
私たちの一人一人がネヘミヤ
では私たちは、ここから何を読み取るべきでしょうか。きょうの聖書箇所の中の重要な文を、もう一度振り返ります。まず4節に、
「そこで私は、天の神に祈ってから」
とあります。そして、8節の終わりに、
「私の神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくれた」
とあります。そしてさらに12節に、
「私の神が、私の心を動かしてエルサレムのためにさせようとされる」
とあります。先ほども話したように、ネヘミヤは神に用いられた器であり、ネヘミヤ記という聖書の記事の記者にもなった人物ですから、ネヘミヤには聖霊が注がれていました。そのネヘミヤが天の神に祈って事を為す時、神の恵みの御手がネヘミヤの上にありますから、ネヘミヤの願いはかなえられます。そして神がネヘミヤの心を動かして導いて下さいます。
旧約の時代には誰にでも聖霊が注がれるわけではありませんから、ネヘミヤ記に登場する人物たちの中で聖霊が注がれていたのは恐らくネヘミヤだけでしょう。それ以外の者たちは、人間的な思いで動かされやすい者たちでした。それゆえ先ずは聖霊が注がれているネヘミヤが一人で、神と対話をしながら城壁の様子を調べたのだと私は考えます。
船頭はイエスさま
さて、新約の時代にはイエス・キリストを信じれば、誰にでも聖霊が注がれるようになりました。ですから、この教会に集っている皆さんもイエス・キリストを信じているのであれば、聖霊が注がれています。ですから、私たちの一人一人がネヘミヤです。きょうのメッセージのタイトルは『私たちの一人一人がネヘミヤ』としました。この大切なことを今日は皆さんとご一緒に学びたいと思います。
平和のための働き、伝道の働き、会堂の再建の働きのために何をどうしたら良いか、私たちの一人一人がネヘミヤになって進めるべきです。
週報の1ページ目に、私は今月の目標として、「総会資料の教財勢の現況を見て、教会の将来について一人一人が真剣に考える時を持ちましょう」と書きました。この「総会資料の教財勢の現況を見て」というのは、ネヘミヤが城壁の様子を一人で調べたことに当たりますね。私たちは、まず一人一人で教会の現況を知る必要があります。単に牧師が言うことに受動的に聞き従うのではなく、一人一人が能動的に知ろうとする必要があります。そうして、一人一人がどうしたら良いかを考えるべきです。
そんなことをしたら、船頭が多くて舟が山に登ってしまうのではないかと心配する方もおられるかもしれません。しかし、私たちの一人一人は牧師も含めて主のしもべですから、船頭ではありません。私たちの船頭はイエスさまです。ですから船頭が多くて舟が山に登ることを心配する必要はありません。私たちは御霊の一致を保って船頭であるイエスさまに聞き従えば良いのですね。
御霊の賜物
聖霊が注がれている者には、それぞれに異なる御霊の賜物が与えられています。御霊の賜物というのは、教会を建て上げるために必要な能力を聖霊によって神様が私たちに与えて下さるものです。賜物というのは、英語では「gift(ギフト)」ですから、「贈り物」と言っても良いでしょう。私たちは聖霊によって神様から「贈り物」が贈られています。その「贈り物」を用いて私たちは教会で働きます。この「御霊の賜物」については第一コリントの12章でパウロが詳しく書いていますから、きょうは最後に第一コリント12章をご一緒に見たいと思います(新約聖書p.334)。先ず1節、
12:1 さて、兄弟たち。御霊の賜物についてですが、私はあなたがたに、ぜひ次のことを知っていていただきたいのです。
2節と3節は飛ばして、4節から11節までを交代で読みましょう。
12:4 さて、賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。
12:5 奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。
12:6 働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。
12:7 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。
12:8 ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、
12:9 またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、
12:10 ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
12:11 しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。
このように、私たちの一人一人には、それぞれ異なる御霊の賜物が与えられていますから、その賜物を生かして、教会でのご奉仕に当たって行きたいと思います。それぞれに与えられた賜物に従って、私たちの一人一人がネヘミヤのように丹念に状況を調べて、自分がどのように動くべきかを考えて、その上で船頭であるイエスさまの声に聞き従って行きたいと思います。主の声は細い声ですから、私たちが受動的でいる間は、なかなかハッキリとは聞こえてきません。一人一人が能動的に動こうとする時、主イエスの声がさやかに聞こえて来ます。
おわりに
いまのこの時代、世界も日本も、静岡も沼津も、そしてこの教会も、困難な中を通っています。私たちの一人一人がネヘミヤになって、主の御声に聞き従って歩んで行きたいと思います。
お祈りいたしましょう。
『私たちの一人一人がネヘミヤ』
【ネヘミヤ2:4~16】
はじめに
ネヘミヤ記の学びを続けます。先週はあまり先には進まずに、エズラ記とエレミヤ書、そしてハガイ書を開いて、ネヘミヤ記の背景を学びました。そして、主がエルサレムに帰還した民を励まして、中断していた神殿の再建に取り掛かるよう促したことを学びました。主は、ハガイを通して、このように民を励ましました(ハガイ2:4,5)。
2:4 しかし、ゼルバベルよ、今、強くあれ。──【主】の御告げ──エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。──【主】の御告げ──仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。──万軍の【主】の御告げ──
2:5 あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。
こうしてバビロンからエルサレムに帰還した民は、神殿の再建を成し遂げることができました。しかし、城壁の再建はまだできていませんでした。
聖霊が注がれていたネヘミヤ
そのエルサレムの依然として荒廃している状況を聞いて、ペルシャでにいたネヘミヤは嘆き悲しみ、しおれていました。そのネヘミヤのしおれた様子を見て、王はネヘミヤに声を掛けたのでした。では、4節から見て行きましょう。4節と5節、
2:4 すると、王は私に言った。「では、あなたは何を願うのか。」そこで私は、天の神に祈ってから、
2:5 王に答えた。「王さま。もしもよろしくて、このしもべをいれてくださいますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある町へ送って、それを再建させてください。」
ネヘミヤは主に大変に用いられた器であり、ネヘミヤ記を書いた聖書の記者でもありますから、聖霊が注がれていた人物だと思います。聖霊が注がれた器には、主が何を話すかを教えて下さいます。いま祈祷会では出エジプト記を学んでいますが、主はモーセに対してこのように仰せられました。
「さあ行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言うべきことを教えよう。」(出エジプト4:12)
モーセには聖霊が注がれて預言者として用いられましたから、モーセが言うべきことは聖霊が教えました。その聖霊の声を聞くには、先ずは祈りが必要です。ネヘミヤ2章4節でも、ネヘミヤは王に答える前に、祈りました。そして王に、エルサレムへ行って城壁を再建したいということを願い出ました。すると、6節で王は快く送り出してくれました。また、ネヘミヤはエルサレムへの旅の途中とエルサレムで便宜をはかってもらえるよう、王に手紙を書いてもらいたいと願いました。この願いも、かなえられました。それは8節の終わりにあるように、神の恵みの御手がネヘミヤの上にあったからでした。そして9節、
2:9 私は、川向こうの総督たちのところに行き、王の手紙を彼らに手渡した。それに、王は将校たちと騎兵を私につけてくれた。
このように、ネヘミヤはペルシャのアルタシャスタ王の全面的な支援のもとにエルサレムに行くことができました。
先週のメッセージでは、主はエルサレムの神殿の再建のために、異邦人であるペルシャのクロス王を用いたことを話しましたが、ここでも異邦人のアルタシャスタ王が城壁の再建のために用いられています。世界の平和は、まずエルサレムの城壁が完成してエルサレムの平和が守られることから始まります。それはユダヤ人の力だけではできないことであり、異邦人の力も必要でした。その平和のための働きに主は、日本人の私たちも用いられるということを覚えていたいと思います。
誰にも告げずに城壁を調べたネヘミヤ
こうしてペルシャの王アルタシャスタの後方支援を得てエルサレムに向けて旅立ったネヘミヤですが、現地では早くも不穏な動きがありました。
2:10 ホロン人サヌバラテと、アモン人で役人のトビヤは、これを聞いて、非常に不きげんになった。イスラエル人の利益を求める人がやって来たからである。
このサヌバラテとトビヤは、これからもしばしば登場して城壁の再建を妨害しますから、覚えておいていただきたいと思います。
さて、ネヘミヤはエルサレムに到着しました。11節、
2:11 こうして、私はエルサレムにやって来て、そこに三日間とどまった。
そして12節、
2:12 あるとき、私は夜中に起きた。ほかに数人の者もいっしょにいた。しかし、私の神が、私の心を動かしてエルサレムのためにさせようとされることを、私はだれにも告げなかった。また、私が乗った獣のほかには、一頭の獣も連れて行かなかった。
ここに、「私の神が、私の心を動かしてエルサレムのためにさせようとされる」とありますから、城壁を再建する働きはネヘミヤが自発的に行ったことではなくて、やはり聖霊がネヘミヤの心に働きかけ、導いていることなのですね。そしてネヘミヤは誰にも告げずに城壁の様子を調べることにしました。続いて13節から15節、
2:13 私は夜、谷の門を通って竜の泉のほう、糞の門のところに出て行き、エルサレムの城壁を調べると、それはくずされ、その門は火で焼け尽きていた。
2:14 さらに、私は泉の門と王の池のほうへ進んで行ったが、私の乗っている獣の通れる所がなかった。
2:15 そこで、私は夜のうちに流れを上って行き、城壁を調べた。そしてまた引き返し、谷の門を通って戻って来た。
ネヘミヤは破壊された城壁がどのような状態になっているのか、非常に丹念に調べました。これらの調査をネヘミヤは一人で行いました。そのことは16節にもまた書かれています。16節、
2:16 代表者たちは、私がどこへ行っていたか、また私が何をしていたか知らなかった。それに、私は、それをユダヤ人にも、祭司たちにも、おもだった人たちにも、代表者たちにも、その他工事をする者たちにも、まだ知らせていなかった。
以上の記述にあるように、ネヘミヤが先ず誰にも告げずに、破壊された城壁の様子を調べたことから、私たちは何を学ぶべきでしょうか。
平和の働き、教会の伝道の働き、教会の会堂の再建については、牧師が先ず一人で調べて、教会の皆さんは、それに従えば良いのだということでしょうか。そんな筈はありませんね。
私たちの一人一人がネヘミヤ
では私たちは、ここから何を読み取るべきでしょうか。きょうの聖書箇所の中の重要な文を、もう一度振り返ります。まず4節に、
「そこで私は、天の神に祈ってから」
とあります。そして、8節の終わりに、
「私の神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくれた」
とあります。そしてさらに12節に、
「私の神が、私の心を動かしてエルサレムのためにさせようとされる」
とあります。先ほども話したように、ネヘミヤは神に用いられた器であり、ネヘミヤ記という聖書の記事の記者にもなった人物ですから、ネヘミヤには聖霊が注がれていました。そのネヘミヤが天の神に祈って事を為す時、神の恵みの御手がネヘミヤの上にありますから、ネヘミヤの願いはかなえられます。そして神がネヘミヤの心を動かして導いて下さいます。
旧約の時代には誰にでも聖霊が注がれるわけではありませんから、ネヘミヤ記に登場する人物たちの中で聖霊が注がれていたのは恐らくネヘミヤだけでしょう。それ以外の者たちは、人間的な思いで動かされやすい者たちでした。それゆえ先ずは聖霊が注がれているネヘミヤが一人で、神と対話をしながら城壁の様子を調べたのだと私は考えます。
船頭はイエスさま
さて、新約の時代にはイエス・キリストを信じれば、誰にでも聖霊が注がれるようになりました。ですから、この教会に集っている皆さんもイエス・キリストを信じているのであれば、聖霊が注がれています。ですから、私たちの一人一人がネヘミヤです。きょうのメッセージのタイトルは『私たちの一人一人がネヘミヤ』としました。この大切なことを今日は皆さんとご一緒に学びたいと思います。
平和のための働き、伝道の働き、会堂の再建の働きのために何をどうしたら良いか、私たちの一人一人がネヘミヤになって進めるべきです。
週報の1ページ目に、私は今月の目標として、「総会資料の教財勢の現況を見て、教会の将来について一人一人が真剣に考える時を持ちましょう」と書きました。この「総会資料の教財勢の現況を見て」というのは、ネヘミヤが城壁の様子を一人で調べたことに当たりますね。私たちは、まず一人一人で教会の現況を知る必要があります。単に牧師が言うことに受動的に聞き従うのではなく、一人一人が能動的に知ろうとする必要があります。そうして、一人一人がどうしたら良いかを考えるべきです。
そんなことをしたら、船頭が多くて舟が山に登ってしまうのではないかと心配する方もおられるかもしれません。しかし、私たちの一人一人は牧師も含めて主のしもべですから、船頭ではありません。私たちの船頭はイエスさまです。ですから船頭が多くて舟が山に登ることを心配する必要はありません。私たちは御霊の一致を保って船頭であるイエスさまに聞き従えば良いのですね。
御霊の賜物
聖霊が注がれている者には、それぞれに異なる御霊の賜物が与えられています。御霊の賜物というのは、教会を建て上げるために必要な能力を聖霊によって神様が私たちに与えて下さるものです。賜物というのは、英語では「gift(ギフト)」ですから、「贈り物」と言っても良いでしょう。私たちは聖霊によって神様から「贈り物」が贈られています。その「贈り物」を用いて私たちは教会で働きます。この「御霊の賜物」については第一コリントの12章でパウロが詳しく書いていますから、きょうは最後に第一コリント12章をご一緒に見たいと思います(新約聖書p.334)。先ず1節、
12:1 さて、兄弟たち。御霊の賜物についてですが、私はあなたがたに、ぜひ次のことを知っていていただきたいのです。
2節と3節は飛ばして、4節から11節までを交代で読みましょう。
12:4 さて、賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。
12:5 奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。
12:6 働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。
12:7 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。
12:8 ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、
12:9 またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、
12:10 ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
12:11 しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。
このように、私たちの一人一人には、それぞれ異なる御霊の賜物が与えられていますから、その賜物を生かして、教会でのご奉仕に当たって行きたいと思います。それぞれに与えられた賜物に従って、私たちの一人一人がネヘミヤのように丹念に状況を調べて、自分がどのように動くべきかを考えて、その上で船頭であるイエスさまの声に聞き従って行きたいと思います。主の声は細い声ですから、私たちが受動的でいる間は、なかなかハッキリとは聞こえてきません。一人一人が能動的に動こうとする時、主イエスの声がさやかに聞こえて来ます。
おわりに
いまのこの時代、世界も日本も、静岡も沼津も、そしてこの教会も、困難な中を通っています。私たちの一人一人がネヘミヤになって、主の御声に聞き従って歩んで行きたいと思います。
お祈りいたしましょう。