インマヌエル沼津キリスト教会

Immanuel Numazu Christ Church
沼津市今沢34番地

9月30日礼拝プログラム

2018-09-27 14:15:44 | 礼拝プログラム
 インマヌエル沼津キリスト教会

9月30日 礼拝 午前10時半~

 礼拝はどなたでも参加できます
 お気軽にご出席ください

2018年9月第5聖日礼拝 順序

 司  会                中原兄
 奏  楽                荒川姉

 前  奏
 招  詞
 讃 美 ①  いつくしみ深き       432
 交  読  詩篇143篇 全
 祈  祷
 主の祈り
 使徒信条
 讃 美 ②  恵みにあふれる祈りのひと時 373
 讃 美 ③  主のために生きる      461
 聖  書  ヨブ38:1~3、40:6~7
 説  教  『あなたは勇士のように腰に帯を締めよ』 小島 聡 牧師
 讃 美 ④  人生の海の嵐に       443
 献  金
 感謝祈祷                風間姉
 頌  栄  父・子・聖霊の        271
 祝  祷
 後  奏
コメント

第一の戒めとメリバの水

2018-09-20 09:49:30 | 祈り会メッセージ
2018年9月19日祈り会メッセージ
『第一の戒めとメリバの水』
【申命記6:5、マタイ22:34~38】

6:5 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。

はじめに
 先週から申命記を開き始めました。何回のシリーズになるか分かりませんが、少しの間、祈り会ではこの申命記を共に味わうことにしたいと思います。
 先週は申命記の1章を開いて、申命記の記述は出エジプト記や民数記の単純な繰り返しではないということを、ご一緒に見ました。一見すると申命記の記述は出エジプト記や民数記にある主のことばをもう一度繰り返しているように見えますが、細かい表現をよくよく見てみると、実はけっこう違っていることを確認しました。

第一の戒め
 そして、申命記には出エジプト記や民数記にはない、新たなことばもあります。きょうの申命記6章5節はその代表と言えるでしょう。皆さんもご存知の通り、イエスさまは、このみことばを第一の戒めとして重要視しています。
 マタイの福音書には、次のように書いてあります。聞いていて下さい。

22:34 パリサイ人たちはイエスがサドカイ人たちを黙らせたと聞いて、一緒に集まった。
22:35 そして彼らのうちの一人、律法の専門家がイエスを試そうとして尋ねた。
22:36 「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」
22:37 イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
22:38 これが、重要な第一の戒めです。

 イエスさまはこう言って申命記6章5節を引用して、「ごれが、重要な第一の戒めです」とおっしゃいました。申命記の「力を尽くして」がマタイでは「知性を尽くして」になっていますが、きょうはこの違いについては触れません。
 この申命記6章5節はマルコの福音書とルカの福音書でも引用されています。ですから、これまで私の中の申命記6章5節は、マタイ・マルコ・ルカの福音書に引用されているみことばというイメージが定着していました。しかし、今回、申命記の1章から思いを巡らしながら読み進めてこの6章5節に至った時、また別の感慨を持ちましたから、きょうはそのことを皆さんと分かち合いたいと思います。

モーセの思いも詰まる申命記6:5
 この申命記6章5節の少し前でモーセは、このように言っています。6章の1節です。

6:1 これは、あなたがたの神、【主】があなたがたに教えよと命じられた命令、すなわち掟と定めである。あなたがたが渡って行って所有しようとしている地で、それらを行うようにするためである。

 モーセは、これは主があなたがたに教えよと命じられた命令であると言っていますから、6章5節もまた主がモーセに伝えたことばです。しかし今回私は、この6章5節は単に主のことばというだけでなく、ここにはモーセの深い後悔と苦悩も詰まっているように感じました。それは、かつてモーセがほんの一瞬だけ主のことを忘れてしまった瞬間があったからです。それは民数記に記されているメリバの水の事件です。この時のモーセはほんの一瞬だけ主のことを忘れて、「心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして」、主を愛することができていませんでした。そのことに対する後悔の気持ちが詰まっている、そんな気がしました。

メリバの水の事件
 では、そのメリバの水の事件の箇所を見てみましょう。民数記の20章です。1節にイスラエルの民はツィンの荒野のカデシュにとどまったとあり、2節に「そこには、会衆のための水がなかった」とあります。それでイスラエルの民はモーセとアロンに不平不満を言いました。5節を読みます。

20:5 なぜ、あなたがたはわれわれをエジプトから連れ上り、このひどい場所に引き入れたのか。ここは穀物も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも育つような場所ではない。そのうえ、飲み水さえない。」

 そこで主はモーセに告げました。8節、

20:8 「杖を取れ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませよ。」

 そこでモーセは、主が彼に命じられたとおりに、【主】の前から杖を取りました。そして10節と11節、

20:10 モーセとアロンは岩の前に集会を召集し、彼らに言った。「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から、われわれがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」
20:11 モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、豊かな水が湧き出たので、会衆もその家畜も飲んだ。

 これが主を怒らせました。いくつか理由が見出せるようですが、ここでは10節のモーセのことばの、「われわれがあなたがたのために水を出さなければならないのか」に注目したいと思います。水を出すのは主です。しかし、モーセは自分とアロンが水を出すというように人々に言ってしまいました。モーセは不平不満ばかり言うイスラエルの民を前にして、思わずこう言ってしまったのでしょう。彼らのせいですぐにはカナンの地に入れずに荒野を40年間放浪しなければならなくなったことへのいらだちもあったでしょう。この時、ほんの一瞬だけモーセは主のことを忘れてしまっていました。そして、主はこのことを咎めました。12節と13節、

20:12 しかし、【主】はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信頼せず、イスラエルの子らの見ている前でわたしが聖であることを現さなかった。それゆえ、あなたがたはこの集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」
20:13 これがメリバの水である。イスラエルの子らが【主】と争った場所であり、主はご自分が聖であることを彼らのうちに示されたのである。

 この事件によってモーセはカナンの地に入ることができなくなってしまいました。

事件を引きずるモーセ
 申命記3章には、この後でモーセが主に自分がカナンに入れるようにして欲しいと懇願したことが書かれています。申命記3章の23節から26節までを交代で読みます。

3:23 私はそのとき、【主】に懇願して言った。
3:24 「【神】、主よ。あなたは、あなたの偉大さとあなたの力強い御手を、このしもべに示し始められました。あなたのわざ、あなたの力あるわざのようなことができる神が、天あるいは地にいるでしょうか。
3:25 どうか私が渡って行って、ヨルダン川の向こう側にある良い地、あの良い山地、またレバノンを見られるようにしてください。」
3:26 しかし【主】はあなたがたのゆえに私に激しく怒り、私の願いを聞き入れてくださらなかった。【主】は私に言われた。「もう十分だ。このことについて二度とわたしに語ってはならない。

 主はモーセがカナンの地に入ることを許して下さいませんでした。そして、このことについて二度と主に語ってはならないと命じました。このことをモーセはずっと引きずっていたようです。申命記4章の記述から、そのことが伺えます。4章の20節から22節までを交代で読みます。

4:20 【主】はあなたがたを取って、鉄の炉から、すなわちエジプトから導き出し、今日のようにゆずりの民とされたのである。
4:21 しかし【主】は、あなたがたのゆえに私に向かって怒り、私がヨルダン川を渡ることも、またあなたの神、【主】があなたにゆずりの地として与える、良い地に入ることもないと誓われた。
4:22 まことに私はこの地で死のうとしている。私はヨルダン川を渡らない。しかし、あなたがたは渡って、あの良い地を所有しようとしている。

 何だかまだ未練たっぷりという気がします。申命記の最後のほうではモーセはすべてを受け入れていますが、この段階ではまだまだメリバの水の事件を引きずっているように見えます。そうして申命記の6章を読むと、5節の、

6:5 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。

というみことばには、モーセの思いがたっぷりと詰まっていると感じます。主から一瞬たりとも心を離してはならない、というモーセからのメッセージが込められていると感じます。

おわりに
 そしてイエスさまが、このみことばを引用してパリサイ人に対して「これが、重要な第一の戒めです」とおっしゃった時にも、このモーセのメッセージが込められているように感じます。パリサイ人たちは律法を形式上はしっかりと守っていましたが、心は主から離れていました。モーセはほんの一瞬心が主から離れただけで、主を怒らせてしまいました。パリサイ人たちの心はこの時のモーセ以上に主から離れています。イエスさまはそんなこともパリサイ人たちに対して伝えたかったのかもしれません。
 最後に、この第一の戒めの重さをかみ締めながらマタイの福音書のイエスさまのことばを読んで終わることにしたいと思います。マタイ22章の34節から38節までを交代で読みましょう(新約聖書p.47)。

22:34 パリサイ人たちはイエスがサドカイ人たちを黙らせたと聞いて、一緒に集まった。
22:35 そして彼らのうちの一人、律法の専門家がイエスを試そうとして尋ねた。
22:36 「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」
22:37 イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
22:38 これが、重要な第一の戒めです。

 お祈りします。
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友人の誤解とヨブの嘆き(2018.9.16 礼拝)

2018-09-19 10:29:21 | 礼拝メッセージ
2018年9月16日礼拝メッセージ
『友人の誤解とヨブの嘆き』
【ヨブ4:1~2、7~11】

はじめに
 先週に続いてヨブ記の学びを続けます。
 サタンによって大変な苦しみの中に入れられたヨブと、ヨブを見舞いに来た友人たちとの言葉のやり取りから信仰について考え、また「神を呪う」とはどういうことかについても、共に考えることができたらと願っています。
 災害の被災地では多くの方々が苦しんでいます。そして私たちもまた困難の中を歩んでいます。このような中で私たちはどのように歩んで行ったら良いのか、ヨブ記を通して大切なことを学べることに期待して、思いを巡らしたいと思います。

サタンに打たれたヨブ
 先週は、どうしてヨブが苦しみを受けることになったかを中心に学びました。簡単に復習しておくと、それは主がサタンに対して次のように言ったことが発端でしたね。ヨブ記1章8節です。

1:8 【主】はサタンに言われた。「おまえは、わたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。」

 するとサタンは主に言いました。少し飛ばして11節、

1:11 「手を伸ばして、彼のすべての財産を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」

 ヨブの信仰が立派なのは、主がヨブを祝福しているからであり、彼から財産を奪ってしまえばヨブは主を呪うに違いないとサタンは言いました。そこで主はサタンにそれを許し、サタンはヨブから財産を奪い、彼の息子たちと娘たちも殺してしまいました。しかし、ヨブが主を呪うことはありませんでした。
 この結果を受けてサタンは、ヨブの体を打って重病にしてしまえば、ヨブは主を呪うに違いないと主に言いました。それで主はサタンにそれを許しました。2章の6節と7節ですね。

2:6 【主】はサタンに言われた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ、彼のいのちには触れるな。」
2:7 サタンは【主】の前から出て行き、ヨブを足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で打った。

 こうして精神的な苦しみと肉体的な苦しみの中に沈んだヨブに対してヨブの妻は言いました。「神を呪って死になさい」。しかし、ヨブは妻に言いました。10節、

2:10 「あなたは、どこかの愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」ヨブはこのすべてのことにおいても、唇によって罪に陥ることはなかった。

 ヨブは神を呪いませんでした。

自分が生まれた日を呪うヨブ
 そんなヨブでしたが、友人たちが彼を見舞いに訪ねて来たことで、彼は自分が生まれた日を呪い始めました。3章の1節から3節までをお読みします。

3:1 そのようなことがあった後、ヨブは口を開いて自分の生まれた日を呪った。
3:2 ヨブは言った。
3:3 私が生まれた日は滅び失せよ。「男の子が胎に宿った」と告げられたその夜も。

 あまりの苦しみにヨブは、自分は生まれて来ないほうが良かったのだと言って嘆いたのですね。3章の全部を見ると時間が掛かりますから、飛ばし飛ばしで見てみましょう。11節を読みます。

3:11 なぜ私は、胎内で死ななかったのか。胎を出たとき、息絶えなかったのか。

 これも強烈ですね。母の胎に宿ってしまったなら、せめて胎の中で死にたかった。胎の中で死ななかったなら、胎を出たときに死にたかった。さらにヨブの嘆きは続きます。12節と13節、

3:12 なにゆえ、両膝が私を受けとめたのか。乳房があって、私がそれを吸ったのか。
3:13 今ごろ私は安らかに横になり、眠って安らいでいただろうに。

 胎を出た時に死ななかったのなら、母乳を飲まなければ死ねたのに。そうすれば今ごろ私はこんなに苦しまずに安らいでいただろうにと、ヨブは母の胎に宿った時から始めて嘆き続けていました。

全知全能の神を堅く信じるヨブ
 先週ヨブ記の学びを始めた時から私は、ヨブが自分の生まれた日を呪うことは神を呪うことにならないのだろうかという疑問を感じていました。ヨブに命を与えたのは神様です。ですから神様がヨブに命を与えた日を呪うことは、神様を呪うことにならないのだろうかと、スッキリしない思いでいました。しかし、2週目に入って、この答えが分かり掛けて来た気がします。
 それは、ヨブがどれだけ自分が生まれて来たことを嘆き、今の自分の境遇を嘆こうとも、ヨブは神が全知全能のお方であることを、いささかも疑っていないということです。6章4節を見ると、ヨブは次のように嘆いています。

6:4 まことに、全能者の矢が私に刺さり、その毒を私の霊が飲み、神の脅威が私に対して準備されている。

 この節の「全能者」とは全知全能の神様のことです。その「全能者の矢が私に刺さり、その毒を私の霊が飲み、神の脅威が私に対して準備されている」と言ってヨブは嘆いています。実際には神様ではなくてサタンがヨブを打ち、それゆえヨブは苦しんでいます。しかし、ヨブは神様が自分を打って苦しめていると思い込んでいました。このように思うことは不信仰であり、神を呪っているような気がしますが、そうではないのですね。

神をさげすみ者たち
 では、神を呪うとはどういうことか、それは神はいないと言ったり、神の力は小さいとさげすんだりすることではないか、ということなのかもしれません。例えば、何週間か前に開いた詩篇42篇には、このようにありましたね。詩篇42篇の1節から3節までを交代で読みましょう(旧約聖書p.975)。

42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
42:2 私のたましいは神を生ける神を求めて渇いています。いつになれば私は行って神の御前に出られるのでしょうか。
42:3 昼も夜も私の涙が私の食べ物でした。「おまえの神はどこにいるのか」と人が絶えず私に言う間。

 この3節の「おまえの神はどこにいるのか」という者たちは、神をさげすんでいる者たちです。神の力を全く信じていません。10節にも「おまえの神はどこにいるのか」が出て来ます。10節、

42:10 私に敵対する者たちは私の骨を砕くほどに私をそしり、絶えず私に言っています。「おまえの神はどこにいるのか」と。

 このような「おまえの神はどこにいるのか」ということばが、神を呪っていることになるのかもしれませんね。

ヨブの罪を疑うエリファズ
 さてヨブ記に戻ります。4章1節、

4:1 すると、テマン人エリファズが話し始めた。

 ヨブの嘆きのことばを聞いて友人のエリファズが話し始めました。7節と8節をお読みします。

4:7 さあ、思い出せ。だれか、潔白なのに滅びた者があるか。どこに、真っ直ぐなのに絶たれた者があるか。
4:8 私の見てきたところでは、不法を耕して害悪を蒔く者が、自らそれらを刈り取るのだ。

 友人のエリファズは、ヨブが何か罪を犯したから、ヨブは打たれたのだと考えていました。だから、その罪を「思い出せ」とヨブに迫りました。潔白な者が滅びるわけがない。罪を犯した不法な者が、その報いを受けるのだとヨブに言いました。
 これは因果応報の考え方です。良いことをした者には良いことがあり、悪いことをした者には悪いことがあるという考え方です。この考え方は、聖書から外れた間違った考え方というわけではありません。例えば詩篇1篇にも、それは見て取れます。詩篇1篇を交代で読みましょう。

1:1 幸いなことよ悪しき者のはかりごとに歩まず罪人の道に立たず嘲る者の座に着かない人。
1:2 【主】のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。
1:3 その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える。
1:4 悪しき者はそうではない。まさしく風が吹き飛ばす籾殻だ。
1:5 それゆえ悪しき者はさばきに罪人は正しい者の集いに立ち得ない。
1:6 まことに正しい者の道は【主】が知っておられ悪しき者の道は滅び去る。

 詩篇1篇は、正しい者は栄えて悪い者は滅びるとしています。ですから、友人のエリファズがヨブは何か罪を犯したに違いないと考えたとしても仕方がないことかもしれません。しかし、世の中は必ずしもそうはなっていないことは誰でも感じていることです。それにも関わらずエリファズは病床で苦しむヨブに、この因果応報の考え方を厳密に適用してオブに罪の告白を迫りました。これではヨブにますます苦痛を与えてしまうことになります。ヨブが打たれたのはヨブが罪を犯したからではなく、主がサタンにヨブを打つことを許したからでした。ヨブと同様にエリファズもこのことを知る由もありませんでした。ですからエリファズは間違ったことでヨブを責めたててしまっていました。このエリファズの姿からは、自分が正しいと信じていることによって人を追い詰めてしまうことの罪を見ることができると思います。

宇宙スケールの神が個人的に話し掛けて下さる恵み

 さて、きょうも最後にヨブへの主のことばを見てから終わることにします。苦しむヨブやヨブを責める友人のことだけ見ていたのでは、恵まれないからです。
 先週は、38章の1節から4節までを交代で読みました。もう一度、読みましょう。

38:1 【主】は嵐の中からヨブに答えられた。
38:2 知識もなしに言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。
38:3 さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。
38:4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。分かっているなら、告げてみよ。

 主が天地を創造した時、あなたはそこにいたのか、いなかっただろうと主はヨブに言い、ヨブを叱りました。しかし叱りのことばでありながら、ここにはヨブへの主の愛が感じられます。宇宙スケールの神様に比べれば、ヨブはあまりにも小さな人間です。その小さなヨブに宇宙スケールの神様が個人的に声を掛けて下さることは大きな祝福であると思います。

独特の励まし方をする主

 きょうは39章の19節から25節までを交代で読みましょう。これも主からヨブへのことばです。

39:19 あなたが馬に力を与えるのか。その首にたてがみを付けるのか。
39:20 あなたはこれを、いなごのように飛び跳ねさせることができるのか。その威厳あるいななきは恐ろしい。
39:21 馬は谷間で、前かきをして力を喜び、武器に立ち向かって進んで行く。
39:22 恐怖をあざ笑って、ひるむことなく、剣の前から退くことはない。
39:23 矢筒はその上でうなり、槍と投げ槍はきらめく。
39:24 荒れ狂って、地を駆け回り、角笛の音に、じっとしてはいられない。
39:25 角笛が鳴るごとに、ヒヒーンといななき、遠くから戦いを嗅ぎつける。隊長の怒号、ときの声さえも。

 馬もまた主が造った動物です。主はヨブに、このような動物を自分で造ることができるかと問います。「あなたが馬に力を与えるのか」。馬は戦場で活躍していました。馬は素晴らしい能力を持っています。その能力もすべて主が与えたものです。おまえにそれができるかと主はヨブに言いました。
 サタンに打たれて苦しんでいたヨブは、神様がこの苦しみを自分に与えたと思って嘆き、主に泣き言を言っていました。そんなヨブに対する、この主の独特の励ましを、どう捉えたら良いでしょうか。そこで思い出すのが、先ほどの詩篇42篇の「おまえの神はどこにいるのか」という者たちのことです。これらの者たちは神の力などぜんぜん信じていませんでした。そういう者たちを主はどうするでしょうか。主は放っておくのではないかという気がします。相手にする価値はないでしょう。
 しかしヨブは違いました。ヨブは全知全能の神を心の底から信じていました。そのような者に主は個人的に語り掛けて下さいます。そして独特の方法で励まして下さいます。宇宙スケールの神様が小さな者に個人的に話し掛けて下さることは素晴らしい恵みです。

おわりに
 私たちも神様への信仰はゆるぎません。そして聖霊を受けています。神様は聖霊を通して私たちに個人的に話し掛けて下さり、私たちの一人一人を励まして下さいます。これは本当に素晴らしい恵みです。
 このことを覚え、感謝しながら、お祈りしたいと思います。
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9月16日礼拝プログラム

2018-09-14 03:59:44 | 礼拝プログラム
 インマヌエル沼津キリスト教会

9月16日 礼拝 午前10時半~

 礼拝はどなたでも参加できます
 お気軽にご出席ください

2018年9月第3聖日礼拝 順序

 司  会                西村兄
 奏  楽                荒川姉

 前  奏
 招  詞
 讃 美 ①  主イエスの名をほめたたえよ  42
 交  読  詩篇142篇 全
 祈  祷
 主の祈り
 使徒信条
 讃 美 ②  主と主のことばに      391
 讃 美 ③  目を上げて主のみ顔を    415
 聖  書  ヨブ4:1~2、7~11
 説  教  『友人の誤解とヨブの嘆き』 小島 聡 牧師
 讃 美 ④  恵みの高き嶺        414
 献  金
 感謝祈祷                中原兄
 頌  栄  父・子・聖霊の        271
 祝  祷
 後  奏
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大人の信仰への切り替え(2018.9.12 祈り会)

2018-09-13 07:25:02 | 祈り会メッセージ
2018年9月12日祈り会メッセージ
『大人の信仰への切り替え』
【申命記1:1~5】

1:1 これは、モーセがイスラエルのすべての民に告げたことばである。ヨルダンの川向こう、パランと、トフェル、ラバン、ハツェロテ、ディ・ザハブとの間の、スフに面したアラバの荒野でのことであった。
1:2 ──ホレブからセイル山を経てカデシュ・バルネアに至る道のりは、十一日である──
1:3 第四十年の第十一月の一日にモーセは、がイスラエルの子らのために彼に命じられた、すべてのことにしたがって、彼らに語った。
1:4 それはモーセが、ヘシュボンに住んでいたアモリ人の王シホン、およびアシュタロテに住んでいたバシャンの王オグを、エデレイで打ち破った後のことであった。
1:5 ヨルダンの川向こう、モアブの地で、モーセは次のように、みおしえの確認を行うことにした。

はじめに
 きょうは申命記を開きます。来週以降もできれば申命記を開いて、どれくらい続けるかは分かりませんが、何回か申命記の学びができたらと思っています。
 私は先月から申命記のことが気に掛かり始めていました。申命記は、5節にもある通り、みおしえの確認をしている書ですね。皆さんもご承知の通り、申命記に書かれていることの多くは出エジプト記、レビ記、民数記に書かれていることの繰り返しです。
 このエジプトを脱出してから40年が経った時、モーセを除くイスラエルの民は、間もなくヨルダン川を渡ってカナンの地に入って行くことになっていました。新しい地に踏み入る前に、みおしえの確認を行っておこうというわけですね。
 私たちの教会も、時期は未定ですが新しい段階に踏み入ろうとしています。その新しい段階を前にして、申命記から何か大切なことを学べるのではないか、そのような気がしていて、先月から申命記のことが気に掛かっていました。

単純な繰り返しではない申命記
 しかし、申命記をじっくり読んでみると、前の出エジプト記や民数記に書いてあることとけっこう違っているんですね。通読した時は、細かいことを気にしていると前に進めなくなりますから、オヤッと思うことがあってもあまり気にしないで通過して行ってしまっていました。しかし、じっくり読んでみると、けっこう違います。例えば、同じ申命記1章の6節から8節までを見てみましょう。交代で読みましょう。

1:6 私たちの神、はホレブで私たちに告げられた。「あなたがたはこの山に十分長くとどまった。
1:7 あなたがたは向きを変えて出発せよ。そしてアモリ人の山地に、またそのすべての近隣の者たちの地、すなわち、アラバ、山地、シェフェラ、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。
1:8 見よ、わたしはその地をあなたがたの手に渡している。行け。その地を所有せよ。これはがあなたがたの父祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、彼らとその後の子孫に与えると誓った地である。」

 ここにはホレブを出発した時の民数記の出来事が書かれています。7節には「あなたがたは向きを変えて出発せよ。そしてアモリ人の山地に、云々」と書かれています。アモリ人というのは第3版では「エモリ人」になっていて、そのエモリ人というのは、イスラエル人がカナンに定着する以前のパレスチナ住民の総称だということです。そのアモリ人の山地に行けと主は仰せられました。また、その近隣の者たちの地、さらに大河ユーフラテス川にまで行けと主は告げました。
 しかし、ここで「えっ、ユーフラテス川にまで行け」と主は告げていたかなと、疑問が湧きます。それで、この民数記でイスラエルの民がホレブを出発した時の場面をご一緒に確認したいと思います。後でまた、この申命記1章に戻りますが、申命記の一つ手前の書の民数記の10章(旧約聖書p.255)の11節から13節までを交代で読みましょう。

10:11 二年目の第二の月の二十日に、雲があかしの幕屋の上から離れて上った。
10:12 それでイスラエルの子らはシナイの荒野を旅立った。雲はパランの荒野でとどまった。
10:13 彼らは、モーセを通して示されたの命により初めて旅立った。

 この民数記には、申命記のような具体的な地名は書かれていません。雲が幕屋の上から離れて上ったのでイスラエルの民は旅立ったとあります。この時に主はモーセに具体的な地名を告げていたのかどうか、13節の脚注の1)を見ると、申命記1章の6節と7節とあります。これは先ほどご一緒に読んだ箇所です。恐らく、主はモーセに具体的な地名を告げていたのでしょうね。しかし、モーセがそれをイスラエルの民の全体に告げていたかどうかは、この民数記には書かれていませんから、よく分かりません。それで、申命記とその前の書とは微妙に違うなということに気付くわけです。

イテロが登場しない申命記
 申命記1章に戻ります。あと二箇所、確認しておきたいと思います。申命記1章の12節から15節までを交代で読みます。

1:12 どのようにして、私一人であなたがたのもめごとと重荷と争いを負いきれるだろうか。
1:13 あなたがたは部族ごとに、知恵があり判断力があり経験に富む人たちを出しなさい。彼らをあなたがたのかしらとして立てよう。」
1:14 すると、あなたがたは私に答えて、「あなたがしようと言われたことは良いことです」と言った。
1:15 そこで私は、あなたがたの部族のかしらで、知恵があり経験に富む人たちを選び取り、彼らをあなたがたの上に立つかしらとし、あなたがたの部族の千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長、また、つかさたちとした。

 この箇所は出エジプト記18章の確認ですが、出エジプト記では、このことはモーセのしゅうとのイテロの助言があって行うことにしたことになっています。しかし、この申命記1章にはイテロの名前は出て来ずに、モーセが発案したことになっています。ここは微妙な違いというよりは大きな違いという気がします。

12人の偵察隊の記述の違い
 もう一箇所だけ確認しておきましょう。少し長いですが1章の19節から24節までを交代で読みましょう。

1:19 私たちの神、が私たちに命じられたとおりに私たちはホレブを旅立ち、あなたがたが見た、あの大きな恐ろしい荒野、すなわちアモリ人の山地への道を進み、カデシュ・バルネアまで来た。
1:20 そのとき、私はあなたがたに言った。「あなたがたは、私たちの神、が私たちに与えようとされるアモリ人の山地に来た。
1:21 見よ、あなたの神、はこの地をあなたの手に渡してくださった。上れ。占領せよ。あなたの父祖の神、があなたに告げられたとおりに。恐れてはならない。おののいてはならない。」
1:22 すると、あなたがたはみな私のもとに近寄って来て言った。「私たちより先に人を遣わし、私たちのためにその地を探らせよう。そして、私たちが上って行く道や入って行く町々について、報告を持ち帰らせよう。」
1:23 私にはこのことが良いことと思われたので、私はあなたがたの中から各部族ごとに一人ずつ、十二人を選んだ。
1:24 彼らは出発し、山地に向かって上って行き、エシュコルの谷まで行き、そこを偵察した。

 この申命記では12人の偵察隊の派遣はイスラエル人たちの提案によると書かれています。22節ですね。

1:22 すると、あなたがたはみな私のもとに近寄って来て言った。「私たちより先に人を遣わし、私たちのためにその地を探らせよう。そして、私たちが上って行く道や入って行く町々について、報告を持ち帰らせよう。」

 しかし民数記では、この偵察隊の派遣は主の命令によるものであったと記されています。これも微妙な違いというよりは、大きな違いのように見えます。

大人の信仰への切り替え(仮説)
 どうして申命記の記述は、前の出エジプト記と民数記とこんなにも異なるのでしょうか。通読している時には、あまり気にせずに読めましたが、じっくり読むとかなり違っていますから、戸惑います。それで、先月の段階では祈り会で申命記を開くことはやめることにしました。それで、自分の中で何か少しでも納得できそうな答が見つかったら、申命記を祈り会で開くことにしようかなと思いました。
 そうして1ヶ月ほどが過ぎた最近になって、こんな風に考えてみたらどうだろうかという考えが浮かびましたので、きょうはそのことを話して終わることにします。
 それは、申命記は大人の信仰への切り替えを促すものではないかということです。それまでの教えは教会学校(CS)での教えのようなもので、申命記では本格的な大人の信仰への切り替えを促しているのかもしれない、ということです。ただし、これは仮説です。
 子供の教えから大人の教えに切り替えることは信仰の世界だけでなく、一般の学校でも行われていることです。例えば物理学などは中学、高校、大学で同じような学びを繰り返しますが、上に行くに従って数式が高度なものになります。私は大学の教養部の1年生の時の物理学の最初の授業の時に、先生が黒板にいきなり微分・積分の記号を使って数式を書き始めたので、面食らったことを今でもよく覚えています。高校までの物理では微分・積分は使いませんでした。それで、物理で微分・積分を使うことを初めて知って驚きました。そうして、こう思いました。微分・積分は高校の数学で習うことなのだから、高校の物理でも微分・積分を使ってくれれば良かったのに。そうすれば数学と物理が結び付いて、もっと興味を持って勉強しただろうに。そんな風に思いました。それぐらい、高校の物理と大学の物理の教え方の違いに衝撃を感じました。
 申命記と、それ以前の書との違いも、そのような違いかもしれません。例えば、ホレブを旅立つ時に民数記では具体的な地名が書かれていなかったことは、私たちが幼い子供をどこかに連れて行く時には、あまり具体的な地名は言わないことと似ていると言えるかもしれません。小さい子に「海へ泳ぎに行こうね」と言う時、具体的な海水浴場の名前は告げないでしょう。子供が少し大きくなれば「大瀬崎の海水浴場に行こう」とか、「由比ガ浜の海水浴場に行こう」とか言うかもしれませんが、幼い子には普通は言わないでしょう。エジプトを脱出したばかりのイスラエルの民の信仰が、幼いものであったことは確かです。彼らは何かあればすぐに幼子のように不平不満を言って駄々をこねました。しかし、申命記の時代には、エジプトを脱出してから40年が経っていました。そうしてカナンの地に踏み入るに当たってモーセはイスラエルの民に大人の信仰を持つように励ましている、そんな風にも、見えます。

おわりに
 このような見方が申命記の全体に適用できるわけではないと思いますが、このことを頭の片隅に置きながら申命記を読むことで、何か大切なことが学べるかもしれない、という気がしています。
 そのことに期待して、これからの学びのために、お祈りしたいと思います。
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ヨブの受難(2018.9.9 礼拝)

2018-09-09 17:41:08 | 礼拝メッセージ
2018年9月9日礼拝メッセージ
『ヨブの受難』
【ヨブ1:18~22】

はじめに
 きょうから何回か、ヨブ記を開くことにします。ヨブは耐え難い苦痛、それも精神的な苦痛と肉体的な苦痛の両方を受けました。その苦しみの中でヨブの信仰はどのようであったか、ヨブの言葉と友人たちの言葉を読みながら考え、そしてまたヨブの苦しみの声に対して神様がどのように応えられたのかを共に学んで行きたいと思います。

多くの災害にみまわれた日本
 今年、日本列島は本当に多くの自然災害にみまわれました。1月には草津白根山が噴火してスキー場で訓練中だった陸上自衛隊員が噴石の直撃を受けて死亡しました。2月には北陸地方で大雪が降り、国道で多くの車が何昼夜にも亘って立ち往生してしまったことが報じられていました。屋根の雪下ろし中の事故も多く起きました。
 6月には大阪で大きな地震があって小学校のブロック塀が倒壊し、登校して来た小学校4年生の女児が下敷きになって死亡したことは記憶に新しいところです。そして、その悲しみもまだ癒えない7月の初めに岡山・広島・愛媛等で豪雨による大災害が起きました。この7月と8月は各地で豪雨の被害、台風の被害が多発しました。そうして9月に入ってからは台風21号と北海道の大地震によって甚大な被害がありました。先週の9月2日の日曜日の時点では台風21号はまだ遥か南方にあって何の被害の報告もありませんでした。それが火曜日から水曜日に掛けて各地で強風による被害をもたらしました。私たちは車が強風によって横倒しになる映像をテレビやネットで見ました。また建物の屋根が飛ばされる様子や、街路樹や電柱がなぎ倒しになっている映像も見ました。関西空港が水没して高潮の被害がいかに恐ろしいものであるかも知りました。また同じ台風21号が東北・北海道にも強風の被害をもたらし、農作物などにも甚大な被害がありました。この台風被害は先週の火曜日と水曜日のことで、関西空港は再開の見通しが立っていませんでしたから木曜日はこのニュースで持ちきりになることが予想されました。しかし、その予想は裏切られて木曜日の朝の3時過ぎに北海道で大地震が起こり、この日のニュースは地震一色になり、台風21号の被害の続報は少ししか報じられませんでした。このように今年の日本は次から次へと災害にみまわれています。
 これらの災害に遭った被災地の方々は大変な苦しみの中にあります。そしてヨブ記のヨブもまた大変な苦しみを味わいました。また私たちの教会もまた大きな痛みを経験し、今も困難の中にありますから、今回ご一緒にヨブ記を味わうことで、とても大切なことを皆で学ぶことができるかもしれないと感じています。

財産をすべて失ったヨブ
 それではヨブ記の学びに入って行きます。ヨブ記の全体は42章から成る大変に長いものですが、その大半はヨブと彼の友人たちとの言葉のやり取りで占められています。このヨブと友人たちとの言葉のやり取りは、(読み方にもよりますが)3章から始まって37章まで続きます。そして38章から41章までは主のことばがあり、最後の42章には、苦しみから解放されたヨブのその後についてが、描かれています。
 きょうは1章と2章のヨブに災いが及ぶことになった顛末を学ぶことにします。しかし、ここで終わってしまうと、ヨブ記をまだ読んだことがない方にとっては得るものが少ないと思いますから、ヨブのその後のことについても簡単に触れるようにしたいと思います。
 1章1節から見て行きましょう。

1:1 ウツの地に、その名をヨブという人がいた。この人は誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていた。

 ヨブは誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていました。またヨブは七人の息子と三人の娘に恵まれ、羊やらくだ、牛などを多く持つ大変な有力者でした。そして、5節にあるようにヨブは息子たちのために全焼の捧げ物を、第3版では「全焼のいけにえ」となっていましたが、ささげていました。ヨブは、「もしかすると、息子たちが罪に陥って、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからで、ヨブはいつもこのようにしていたということです。この「心の中で神を呪う」ことの罪は、一つの大きなポイントであろうと思います。
 さて、ある日、主の前にサタンがやって来ました。主はサタンに言いました。8節です、

「おまえは、わたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。」

 するとサタンは主に言いました。9節から11節です。

「ヨブは理由もなく神を恐れているのでしょうか。あなたが、彼の周り、彼の家の周り、そしてすべての財産の周りに、垣を巡らされたのではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地に増え広がっているのです。しかし、手を伸ばして、彼のすべての財産を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」

 つまり、主がヨブを祝福しているから、ヨブは神を恐れて信仰を保っているのであって、もし彼から財産を奪ってしまえばヨブはきっと神を呪うだろうと、サタンは主に言っているわけです。
 すると主はサタンに言いました。

「では、彼の財産をすべておまえの手に任せる。ただし、彼自身には手を伸ばしてはならない。」

 主はサタンがヨブに災いを及ぼすことを許しました。それでサタンはヨブが飼っている家畜たちを彼から奪い、また焼き滅ぼし、挙句の果てには彼の息子たちと娘たちも殺してしまいました。
 どうして、こんなにひどい災いがヨブに及んだのか、主とサタンとのやり取りの場面を読んだ読者の私たちには事情が分かっています。しかし、ヨブには全然分かっていません。こんなにひどいことがあったら、神を呪ってもおかしくはないでしょう。しかし、ヨブは違いました。20節と21節、

1:20 このとき、ヨブは立ち上がって上着を引き裂き、頭を剃り、地にひれ伏して礼拝し、
1:21 そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。は与え、は取られる。の御名はほむべきかな。」

 ヨブは「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう」と言いました。何も持たずに生まれて来たのだから、最初の状態に戻っただけだというわけですね。
「主は与え、主は取られる」とヨブは言いましたから、これまでの財産のすべては主が与えて下さったという信仰にヨブは堅く立っていました。そして、何とヨブは「主の御名はほむべきかな」と主を褒め称えました。すごい信仰ですね。そして22節、

1:22 ヨブはこれらすべてのことにおいても、罪に陥ることなく、神に対して愚痴をこぼすようなことはしなかった。

 本当に素晴らしい信仰だと思います。さてしかし、ヨブの信仰が素晴らしいことは良いとしても、ヨブの信仰を試すために殺されてしまった息子や娘たちは、あまりにも気の毒ではないかという気にならないでしょうか。これは私の個人的な考えですが、主はこの息子たちと娘たちの死後の魂にしっかりと寄り添って下さっているだろうと思っています。そうでなければ、息子たちと娘たちはあまりにも気の毒です。しかし、これはヨブ記の本質とは関係ありませんから、この件については、以降は考えないことにします。

全身を腫れ物で打たれたヨブ
 次に2章を見ましょう。サタンが再び来て、主の前に立ちました。主はサタンに言いました。3節から見ます。

「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。彼はなお、自分の誠実さを堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして彼に敵対させ、理由もなく彼を吞み尽くそうとしたが。」

 するとサタンは主に言い返しました。5節、

「手を伸ばして、彼の骨と肉を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」

 そこで主はサタンに言いました。6節、

「では、彼をおまえの手に任せる。ただ、彼のいのちには触れるな。」

 ここで主はサタンにヨブ自身を打つ許可を与えました。ただし命は取るなと言い添えました。そこでサタンは7節にあるようにヨブを足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で打ちました。ヨブの妻は言いました。

「あなたは、これでもなお、自分の誠実さを堅く保とうとしているのですか。神を呪って死になさい。」
 しかし、ヨブは妻に言いました。10節、

「あなたは、どこかの愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」

 そしてヨブは「唇によって罪に陥ることはなかった」とヨブ記は書いています。サタンの予想は外れました。ヨブはなお、神を呪わずにいました。
 さて、そこに友人たちが訪ねて来ました。11節と12節、

2:11 さて、ヨブの三人の友が、ヨブに降りかかったこれらすべてのわざわいのことを聞き、それぞれ自分のところから訪ねて来た。すなわち、テマン人エリファズ、シュアハ人ビルダデ、ナアマ人ツォファルである。彼らはヨブに同情し、慰めようと、互いに打ち合わせて来た。
2:12 彼らは遠くから目を上げて彼を見たが、それがヨブであることが見分けられなかった。彼らは声をあげて泣き、それぞれ自分の上着を引き裂き、ちりを天に向かって投げ、自分の頭の上にまき散らした。

 ここからヨブの状態がいかに悪かったかということが良く分かると思います。続いて13節、

2:13 彼らは彼とともに七日七夜、地に座っていたが、だれも一言も彼に話しかけなかった。彼の痛みが非常に大きいのを見たからである。

 友人たちはヨブに掛けるべき言葉が思い浮かびませんでした。それほどヨブの状態は悪かったということです。

ヨブの嘆きは神への呪いではないのか
 きょうは、ここまでを確認しておいて、次回以降でヨブと友人たちとのやり取り、そして神の言葉を共に見ることにします。
 しかし、ここで終わってしまうとヨブは素晴らしい信仰の持ち主であった、というところで終わってしまうことになります。実はヨブ記はそんなに単純な書ではありません。この後からヨブは延々と嘆きの言葉をつぶやき続けます。これを、どう解釈したら良いかはなかなか難しいところだと思います。それゆえ、私はこれまでヨブ記からの説教を一度もしたことがありませんでした。「ヨブは素晴らしい信仰の持ち主ですから、私たちも皆、ヨブを見習いましょう」というのがヨブ記のメッセージだとしたら、私はとっくの昔にヨブ記からの説教をしていたことと思います。しかし、ヨブ記はそんなに単純ではありません。
 そこで、この問題にも簡単に触れておくことにします。
 3章を見ていただくとヨブはこんなことを言い始めました。1節から3節までをお読みします。

3:1 そのようなことがあった後、ヨブは口を開いて自分の生まれた日を呪った。
3:2 ヨブは言った。
3:3 私が生まれた日は滅び失せよ。「男の子が胎に宿った」と告げられたその夜も。

 苦しんでいたヨブは、自分は生まれて来ないほうが良かったと言って、自分の生まれた日を呪いました。さてしかし、自分の命は神様が与えて下さったものだということをヨブ自身もよく知っています(10:8)。すると、生まれた日を呪うことはヨブを造った神様を呪うことにならないでしょうか?この言葉はアウトではないか?そんな気がしないでもありません。一方、神様を直接呪ったわけではないのだから、これはセーフだという考え方もあると思います。そして、このヨブ記の結末を見るなら、どうやらこれはセーフのようです。これは、旧約聖書の時代の信仰について考える上で、とても興味深いことだと思います。
 ヨブ記からは脱線しますが、伝道者の書の伝道者は「空の空。すべては空。」(伝道者1:2)と言いました。これも考えようによっては命を与えて下さった神を批判しているようにも取ることができます。しかし、これも旧約聖書にあってはセーフのようです。或いはまた、少し前にご一緒に見た、詩篇22篇の詩人の言葉の「わが神 わが神 どうして私をお見捨てになったのですか。私を救わず遠く離れておられるのですか。私のうめきのことばにもかかわらず。」(詩篇22:1)は明らかに神様を直接的に批判しているように取れますね。しかし、これもセーフです。この詩篇22篇の詩人に比べれば、ヨブの「私が生まれた日は滅び失せよ」は、かわいいものなのかもしれません。

神に愛されていたヨブ
 このように嘆くヨブを神様は38章以降で叱り付けます。ヨブ記38章の1節と2節を交代で読みましょう。

38:1 は嵐の中からヨブに答えられた。
38:2 知識もなしに言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。
38:3 さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。
38:4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。分かっているなら、告げてみよ。

 ここで主はヨブを叱っています。しかし、叱責に加えて神様がヨブを愛している様子もまた感じ取ることができます。主がヨブを愛しておられることは1章と2章からも十分に感じましたが、3章以降でヨブが延々と自分の境遇を嘆き続けたにも関わらず、主はなおヨブを愛していたと感じ取ることができます。
 ヨブがこんなにも神様から愛されたのは何故でしょうか。ヨブ記は不思議な魅力に溢れた書だと思います。これから何週間か、礼拝では共にヨブ記を学ぶことにして、どうしてヨブが神様からこんなに愛されたのかを探っていくことにしたいと思います。
 いま私が感じていることを少しだけ話すと、神様がヨブを愛し続けたのは、ヨブもまた神様を深く愛していたからではないかという気がします。ヨブの叫びからは、自分がこんなにも神様を愛しているのに、どうしてこんな目に遭うのかという悲痛な思いが伝わって来ます。ヨブは神様を恐れていただけではなくて、心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして神様を愛していました。一方、ヨブの友人たちは神様を恐れてはいたものの、ヨブほどには神様を愛していなかった、そんな気がしています。

おわりに
 これからの学びでこれらのことを深めていくことができたらと思います。学びが祝されますよう、また被災地で苦しんでいる方々のために、お祈りいたしましょう。
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9月9日礼拝プログラム

2018-09-06 14:19:38 | 礼拝プログラム
 インマヌエル沼津キリスト教会

9月9日 礼拝 午前10時半~

 礼拝はどなたでも参加できます
 お気軽にご出席ください

2018年9月第2聖日礼拝 順序

 司  会                中原兄
 奏  楽                荒川姉

 前  奏
 招  詞
 讃 美 ①  シャロンの花         55
 交  読  詩篇141篇 全
 祈  祷
 主の祈り
 使徒信条
 讃 美 ②  十字架のもとに       134
 讃 美 ③  いつくしみ深き       432
 聖  書  ヨブ1:18~22
 説  教  『ヨブの受難』       小島 聡 牧師
 讃 美 ④  父の神の真実         40
 献  金
 感謝祈祷                由紀姉
 頌  栄  父・子・聖霊の        271
 祝  祷
 後  奏
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私たちを守る大気圧と神の愛(2018.9.5 祈り会)

2018-09-06 10:46:10 | 祈り会メッセージ
2018年9月5日祈り会メッセージ
『私たちを守る大気圧と神の愛』
【詩篇121篇、ヨハネ3:16】

1 私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。
2 私の助けはから来る。天地を造られたお方から。
3 主はあなたの足をよろけさせずあなたを守る方はまどろむこともない。
4 見よイスラエルを守る方はまどろむこともなく眠ることもない。
5 はあなたを守る方。はあなたの右手をおおう陰。
6 昼も日があなたを打つことはなく夜も月があなたを打つことはない。
7 はすべてのわざわいからあなたを守りあなたのたましいを守られる。
8 はあなたを行くにも帰るにも今よりとこしえまでも守られる。

はじめに
 昨日の9/4からきょうに掛けて日本列島を通過した台風21号は各地に大きな被害をもたらしました。この台風による被害の映像をテレビやネットで見ていて、私は空気が持つ二つの力の大きさを強く感じました。空気が持つ二つの大きな力の一つは破壊力、そしてもう一つは私たちを守る力です。空気は目に見えませんから、このような力を普段の私たちはあまり目にすることはありません。しかし今回の台風のような非常に低い気圧の台風が近くを通ると、それらが目に見える形で現れるということを今回ほど強く思わされたことはありません。きょうは、この目に見えない空気が持つ二つの力のことを共に分かち合い、最後に目に見えない神様の愛についても短く思いを巡らしてみたいと思います。

空気の破壊力
 まずは分かりやすいほうの空気の破壊力について話します。
 きのうから今日に掛けて、テレビやネット上では強風により車が引っくり返る映像がたくさん流れました。また家の屋根が吹き飛ばされる瞬間の映像もいくつも流れていました。また、電柱や街路樹などがなぎ倒されて道を塞いでいる映像もたくさん見ました。竜巻が発生すると、このような被害がごく限られた場所、すなわち竜巻の通ったルートで帯状に被害の爪跡が残ることを私たちは知っています。しかし、昨日の場合は竜巻ではなくて台風でした。台風でも竜巻並みの破壊力を持つことを初めて知ったように思います。
 風は空気の移動によって起こります。空気のない場所、例えば月の上では風は吹きません。普段の私たちは空気の存在をあまり意識していませんが、この空気が恐ろしい破壊力を持っているということを、昨日の台風の風の被害によって改めて教えられたと感じています。このことは後でまた触れたいと思います。

海面を押さえ付けている大気
 次に、空気が持つ私たちを守る力について今回の台風で私が感じたことを話します。これは少し分かりにくいかもしれませんから、詳しく話すことにします。今回の台風では海の中に埋め立てで作られた関西空港のかなりのエリアが水没した映像が昨日のテレビで流れ、今朝の時点でもまだまだ水が残っている様子が映し出されていました。この水没は高潮によるということです。満潮に近い時間帯に気圧の非常に低い台風、しかもサイズも大きな台風がここを通ったことで潮位が異常に高くなって空港の滑走路が冠水し、空港で働く車両も水に浸かっている様子がテレビで放映されました。
 気圧が低い台風が通ると海面が上がるということは、普段は大気圧によって海面が押さえつけられているということです。その力がどれくらいかということを、私たちの多くは学校の理科で習ったと思います。しかし、私の場合で言えば学校の理科で習った気圧に関することは日常生活の感覚と結び付いておらず、今回初めて実感できたと思いました。

1000ヘクトパスカルの圧力はどれくらいか
 では海の水はどれぐらいの力で押さえ付けられているのか、これから数字で具体的に考えてみます。普段私たちが暮らしている時の大気圧は概ね1000ヘクトパスカルです。正確には1気圧は1013ヘクトパスカルとされていますが、1000ヘクトパスカルで考えることにします。きのうの台風が関西空港の辺りを通った時は950ヘクトパスカル程度だったようです。
 さて1000ヘクトパスカルと言われてもピンと来ませんから、別のものに置き換えて、この大気圧がどのくらいのものなのかを考えたいと思います。まず1000という数字は置いておいて、1ヘクトパスカルを考えます。1ヘクトパスカルは100パスカルです。パスカルは圧力の単位で、1パスカルは、1平方メートル当りに1ニュートンの力が掛かっているということです。ニュートンと言ってもピント来ないと思いますから、1kg重に置き換えます。1kg重は9.8ニュートンです。これもざっくり1kg重を10ニュートンとすれば、1ニュートンは0.1kg重になります。つまり100g重です。100g重というのは、地球の重力の下で100gの力が掛かっている状態です。地球の重力の下で100gの力が掛かるというと分かりにくいかもしれませんが、宇宙で地球の上空を回っている国際宇宙ステーションを考えていただけると分かりやすいかもしれません。地球の周りを回っている時の国際宇宙ステーションの中では重力がありませんから、100gの物があっても国際宇宙ステーションの床には何の力も及ぼしません。しかし、地球上には重力がありますから、100gの物があれば、例えばこの会堂の床には100gの力が掛かります。
 ですから1パスカルは、地球上で1平方メートル当り0.1kg、100gの力が掛かっている状態を言います。0.1kgというと大したことないと思いますが、大気圧は1000ヘクトパスカルですから、0.1kgの1000×100倍、つまり10万倍の力、すなわち1万kgの力が1平方メートル当たりに掛かっています。1平方メートルだと想像しにくいですから、10cm四方にして、10cm四方だと100kgです。10cm四方の面積に体重100kgの人が立っている圧力だということになります。これは、ものすごい力だと思いませんか。このものすごい力で海の水は普段は押さえ付けられています。それが台風のような低気圧が通ると、その押さえ付ける力が少し弱くなって海面が持ち上がるというわけです(その他にも風による「吹き寄せ効果」もあるとのことですが、ここでは考えないことにします)。

ものすごい大気圧を感じていない私たち
 昨日の私は以上のことを思い巡らしながら、海の水だけではなくて普段は私たちもこのものすごい圧力の大気圧の中にいるのだということに思いを巡らしていました。たまにテレビなどで見ますが、或いは実際に体験したことがある方もいるかもしれませんが、気圧の低い高い山の上にポテトチップスの袋などを持って行くと、袋がパンパンに膨れ上がるのだそうですね。この膨れた袋を地上と同じサイズに縮めようと思ったら、ものすごい力が必要です。私たちはそういうものすごい圧力の空気の中で暮らしています。しかし、私たちはこのことに慣らされているので、普段はそんなことを全然感じませんね。あとで神様と比べて考えることにしていますが、私たちは神様の圧倒的な愛の中で守られて暮らしていることを普段は全然感じないで暮らしています。
 あともう少しだけ大気圧の話を続けます。私たちはこの空気によって体を守られて日々を暮らしています。私たちは空気が無ければ呼吸ができないことは良く知っています。では、呼吸さえできれば真空の中で暮らすことができるでしょうか。例えば、国際宇宙ステーションで船外活動をする時、空気のボンベを背中に背負ってさえいれば、普通の作業着で船外活動をすることができるでしょうか。それが無理なことは船外活動をしている宇宙飛行士が分厚い宇宙服を着ていることからも良くわかりますね。人間は全身が空気で包まれていないと生きることはできません。真空の中に肌をさらすと、そこから水分がどんどん蒸発して行ってしまいます。高い山で料理をする時、水は100度以下の低い温度で沸騰してしまうので、おいしく調理できないという話を聞きますね。気圧が低いと水は低い温度で沸騰します。この気圧をどんどん低くすると真空になります。真空では加熱しなくても水は沸騰してしまいます。ですから私たちを包む空気は、単に呼吸のために必要なだけではなくて、大気圧というものすごい圧力で私たちの体全体を押さえ込んで、体から水分がすぐに蒸発してしまうのを防いでくれています。

濃い愛で私たちを守る神
 このように空気は私たちを守っていますが、普段の私たちはそんなことを全然考えていません。しかし昨日の高潮の被害などを見ると、そのことを思い出すわけです。そして私たちの多くは神様がいつも私たちを守って下さっていることを考えることなく普段を過ごしていることにも思いが及びます。
 けれども詩篇121篇の詩人は神様が私たちを守って下さっていることを、よく知っていました。7節と8節、

7 はすべてのわざわいからあなたを守りあなたのたましいを守られる。
8 はあなたを行くにも帰るにも今よりとこしえまでも守られる。

 神様は分厚く濃い愛で私たちを守って下さっています。この愛があまりにも大きいので、旧約の時代には、イスラエルの民が北王国と南王国の滅亡という災いを受けたということもできるでしょう。今回、そんなことにも思いを巡らしました。
 どういうことかというと、昨日の台風被害では強風による被害も甚大なものでした。それは空気が濃いからです。もし空気が薄ければ、被害はこんなに大きくはなりません。では空気が薄ければ良いかと言えば、そんなことはないということは先ほど話した通りです。空気が濃いのは私たちの体を守るためで、空気がなければ私たちは呼吸ができませんし、体の水分がすぐに蒸発してしまいます。私たちを守っているものは時に私たちに災いをもたらすことがあります。旧約の時代の神様の愛も似ていると言えるかもしれません。
 この関係を決定的に変えたのがイエス・キリストの十字架です。十字架の愛は決して人を滅ぼすことはありません。ヨハネ3:16のみことばが示す通りです。

ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 イエス・キリストの十字架以降、神の愛が人を滅ぼすことはありません。もし戦争などで多くの人が滅んでいるとしたら、それは誤った考えなどによって人が人を滅ぼしているのであって、神が人を滅ぼしているわけではありません。
 人が人を滅ぼしてしまうのは、私たちがまだまだ神の愛を十分に理解していないからかもしれません。大気圧の人体への恩恵のことが良く分かるようになったのも、ガガーリンがロケットで大気圏外の宇宙に飛び出すに当たって研究したからではないかと思います。また、大気圧をもたらす地球の重力が人の健康に及ぼす影響については、いま正に国際宇宙ステーションの無重力の環境で研究が進められている段階であり、まだまだ分からないことだらけではないかと思います。そのことを考えれば、私たちが神の愛のことをまだまだ知らないのも仕方がないことなのかもしれません。

おわりに
 私たちはもっと深く聖書を学び、神の愛への理解を深めて行きたいと思います。きのうの台風の被害で大気圧の力と恩恵を知り、そのようなことを思い巡らしましたから、きょうは皆さんとお分かちをさせていただきました。
 お祈りいたしましょう。
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証しの小石を積み直す(2018.9.2 礼拝)

2018-09-04 09:10:19 | 礼拝メッセージ
2018年9月2日礼拝メッセージ(伝道メッセージ)
『証しの小石を積み直す』
【使徒22:3~11】

はじめに
 私たちの証しは信仰の証しだけではありません。うれしかったこと、悲しかったこと、恐ろしかったこと、苦労したことなどがあると、私たちはそれを人に話したり文章にして読んでもらったりします。これらは皆、私たちがこの世を生きていることの証しです。私たちの一人一人は皆、多くの証しを持っています。大人はもちろん、幼い子供でも物心が付けば証しを持っています。このように私たちは証しを残しながら、日々を生きています。

証しの山の頂点の見直し
 では私たちはこれらの証しを、時の流れの中でどのように残して来ているでしょうか。一つ一つの証しを小さな石、小石に例えるとしたら、皆さんはどのように証しの小石を残して来たでしょうか。大きく二つのタイプに分けてみるなら、一つは時の流れと共に直線的に小石を並べる残し方と、もう一つは小石を積み重ねて山を作って行く残し方とがあるかもしれません。そして、これら二つをミックスさせた残し方もあるでしょう。例えば幼い頃の山、学生時代の山、働くようになったり結婚したりしてからの山、などいくつかの山に分けて証しの小石を残して来た人もいるかもしれません。
 もし直線的に並べているとしたら、過去の証しは段々と遠ざかって行き、忘れ去ることになります。過去の出来事は今の自分とはあまり関係ないことになります。それはちょっと寂しい気がします。ですから私たちの多くは過去の自分の経験を積み上げながら、今に生かす形で山を築いて行っているのではないかと思います。しかし、しっかりと積み上げているつもりでも、私たちの人生は脆いものです。積み上げた小石の山がガラガラと崩れてしまうこともあるでしょう。それもまた寂しく、つらいものですね。しかし、そんな時こそ、もっと強固でしっかりした証しの山を築き直すための良いチャンスだと思います。今の私自身は、まさにそのような時期であると感じています。また、仮に証しの山がまだ崩れてはいないとしても、証しの小石の積み方を見直してみることは、これまでの自分を歩みを見つめ直し、自分が何のために今を生きているのかを改めて考えてみるための、良いきっかけになるのではないかと思います。
 皆さんがクリスチャンであってもなくても、次のことをお勧めしたいと思います。今までの自分の中で最も重要であると思われる証しを「一つ」選び出して、それが山の頂点になるように、証しの山の全体を積み直してみてはいかがでしょうか。今現在を生きている証しこそが最も重要であると考える人にとっては、山の頂点の小石は常に最新のものということになるでしょう。しかし、多くの人にとっては、過去の証しが最も重要な証しではないかと思います。それを頂点に持って来るのです。そうして今の証しはそれよりも下に積むようにします。実際に小石を積むわけではなくて、頭の中でする作業ですから、それは簡単にできます。このような積み方をするなら、自分が今を生きているのは、この重要な頂点の証しをするためなのだということに気付きます。

証しを積み直すことの効用
 なぜ、このような証しの小石の積み直しを勧めるのか、それは私自身も含めて日常生活で次々と起きる新しいことの中で、無駄に消耗している人が多いと感じるからです。物事が概ね自分の思い通りに進行している間は、次々に新しい局面が現れても前向きに対処して行くことができるでしょう。しかし、「こんな筈ではなかったのに、どうして?」という気持ちで日々を過ごさなければならなくなった時、私たちは変化に翻弄され、消耗してしまいます。そして、「自分は何のために今を生きているのか?」、という疑問すら持つようになり、今を生きる気力を失いそうになります。実際、私はそのような心境に陥りかけました。変化にいちいち対処することが嫌になり、無気力になりかけました。そんな時、自分の中には大切な証しがあることを思い出し、証しの小石の積み直しをしてみることにしました。そして、自分が今を生きながら次々と新しい証しの小石を残し続けているのは、それらを上に積み上げたり横に並べたりするためではなくて、頂点の重要な証しを、よりしっかりと支えるためなのだと気付きました。このことで私は再び気力を取り戻しました。
 敢えて恥をさらしますが、私には抜きがたい忸怩(じくじ)たる思いがあります。それは、これまでに私が専門を二度も変えているために一つの分野での実績の積み重ねが十分にないという忸怩たる思いです。過去の二つの専門においても大した実績を残していませんし、牧師になってからも十分な働きが出来ていません。そのことを情けなく思うこともしばしばで、ここからなかなか抜け出せないでいます。私だけでなく、誰でも形は違っても多少は過去に対する苦い思いを抱えていることでしょう。今回お勧めしている証しの小石の山を積み直すことは、ここから抜け出す意味でも、とても有効であると考えます。なぜなら頂点の証しより前の証しでも後の証しでも、またそれらが苦くて辛い証しであったとしても、すべては頂点の証しを下からしっかりと支える証しになり得るからです。
 また様々な理由から、自分にはつまらない証ししかないと思っている人もいるかもしれません。或いは、遠い昔には良い証しがあったけれど、今はそれとは無縁の暮らしをしていると思い込んでいる人もいるかもしれません。しかし、そんなことはない筈です。大切な証しを一つ選んで、それが頂点になるように小石の山を積み直すなら、誰でも立派な人生の証しを持っていることに気付くでしょう。たとえ一つ一つの証しは些細なものであったとしても、山全体で見れば、立派な証しになっています。ですから、証しの山を心の中に築き直すことを、ぜひお勧めしたいと思います。
 繰り返しますが、人は日々次々と起きる出来事に翻弄され、消耗してしまいがちです。すると、毎日がつまらないことの繰り返しだと感じるようになります。このように、人は「過去→現在→未来」の一方向に流れる「時間の流れ」に簡単に翻弄されてしまいます。しかし、時間の流れとは無関係に小石を積み直して(基礎部分に古い証しと新しい証しとが混じっていても全くかまいません)、時間に流されないどっしりとした証しの山を築くなら、心の中は平安で満たされます。この時間に流されない平安を味わうことができたなら、それまでの自分がいかに時間の流れの中で不安定な気分で過ごしていたかということに気付くでしょう。

山の頂点の証しの例
 山の頂点の証しは良かったこととは限りません。悪かったことでも頂点の証しになります。では、どのような証しが山の頂点になり得るのか、いくつかの例を示しながら、まずは一般論で考えてみたいと思います。
 最初の例として、災害の被災体験の証しを考えてみます。戦争被害については多くの人々が証言しています。空襲や原爆の凄惨な被害についての証言は、戦争は絶対に繰り返してはならないという意識を多くの方々と共有することにつながりますから、とても有益なものです。また地震や豪雨などの自然災害に関する証言も、同じ被害を繰り返さないように備えて行くことができますから、多くの人々の役に立ちます。
 これらの被災者の場合、多くは被害を受けた当日についての証しが山の頂点になるかもしれません。しかし、そうでない頂点の証しもあるでしょう。例えば原爆が投下される前の賑やかだった広島の繁華街について証言する人もいます。このことで、原爆被害の悲惨さが浮き彫りになりますから、これもまた大切な証しです。被爆後に何年も経ってから原爆症を発症した人もいます。この原爆症の闘病の証しが山の頂点という人もいるでしょう。また、被爆体験を決して人に話すことなく、何十年も経ってから語り始めて、語り部になった方々もいます。その語り部になるまでの心の葛藤もまた、山の頂点の証しになり得るでしょう。同じ広島の被爆者であっても、どの時点を山の頂点に選ぶかは、それぞれ異なることでしょう。
 一年ほど前に105歳で亡くなられた日野原重明さんは、59歳で遭遇した「よど号ハイジャック事件」のことを様々な媒体で証ししています。日本赤軍に乗っ取られた飛行機の中で日野原さんは、もし機内で銃撃戦になったら死ぬかもしれないと思ったそうです。そして、無事に解放された時に感謝の念と共に、「これからの人生は与えられたものだ。誰かのために使うべきだ」と思ったということです(引用:PRESIDENT Online https://president.jp/articles/-/9320 より)。この経験を日野原さんは繰り返し語り、それまでとは異なる人生を歩みましたから、これが日野原さんにとっての証しの山の頂点と言えるのではないかと思います(日野原さんご本人は違うとおっしゃるかもしれませんが)。
 新約聖書の例に目を転じると、例えばパウロの証しの山の頂点はダマスコ途上でイエスと出会った出来事であると言えるでしょう。使徒の働きにはパウロ自身による証言の言葉が載っています。以下に一部を引用します。イエスと出会った時のパウロはまだサウロという名前でした。

「私が道を進んで、真昼ごろダマスコの近くまで来たとき、突然、天からのまばゆい光が私の周りを照らしました。私は地に倒れ、私に語りかける声を聞きました。『サウロ、サウロ、どうしてわたしを迫害するのか。』私が答えて、『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、その方は私に言われました。『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである。』」(使徒22:6-8)

 それまでユダヤ教に熱心なあまりにキリスト教徒を激しく迫害していたサウロは、この出来事の後、一転して今度は人々にキリストの教えを熱心に説く者になりました。パウロはこの出来事の証しをいろいろな機会にしています。
 日野原さんやパウロの例から分かることは、人の人生は本人が全く予期していなかった一つの出来事によって大きく変わることがある、ということです。このような、全く予期していなかったことに遭遇した出来事は、頂点の証しとして、とてもふさわしいだろうと思います。何を頂点に選ぶかは各自が自由に選べば良いことですが、予期していなかったことに遭遇した経験に思いを巡らしてみることは、とても有益ではないかと思います。自分の人生は自分でコントロールできるものではなく、孫悟空が釈迦の手の中で動き回っていたように、自分よりも遥かに大きな存在の中で生かされているのかもしれない、ということに思いを馳せてみることもまた、時には良いことではないかと思います。この大きな存在は、競走馬のように前だけを向いてがむしゃらに前進している時には見えにくいものです。それまでの自分の人生の歩みを振り返って証しの小石の山を積み直してみるなら、いつも大きな存在が自分に伴っていたことが見えて来るかもしれません。

1985年の出来事
 さて私自身の証しの山の頂点は、1985年の25歳の時の出来事だろうと考えています。この年に私は茨城県で開催されていた、つくば科学博の国連平和館で一つのタイルを購入しました。



 このタイルは『平和のキャラバン』(平山郁夫・作)という日本画を大きく拡大して約8万ピースに区分けしたものの一つで、購入者の名前が刻まれて嵌め込むようになっていました。そして科学博の期間終了後に広島市に寄贈されて平和記念資料館のロビーに設置されました。このタイル購入の出来事は、1985年の私にとってそれほど重要なことであるという認識はありませんでした。しかし歳月が流れるに従って次第に重みを増し、今では私にとっての証しの山の頂点に位置すると考えるに至っています。以下に、このことを少し細かく振り返ってみたいと思います。
 33年前の1985年の当時、私は北大大学院の博士課程の1年生でした。金属の照射損傷の研究をしており、茨城県の大洗町にある原子力研究所(当時)の敷地内にある東北大学金属材料研究所の実験施設で、核融合中性子照射した金属の内部ではどのような物理的な変化がもたらされるのかについての研究をしていました。核融合中性子はアメリカのローレンス・リバモア国立研究所の回転ターゲット核融合中性子源RTNS-IIを使って照射されました。日本で試料をパッキングしてアメリカに送り、照射後は、この大洗の実験施設に試料が返送されて来ていました。私たちは、この大洗で照射した試料の強度(引張り強さ)の測定や透過型電子顕微鏡による内部構造の観察をしていました。このことのために概ね月に1回、1週間の日程で札幌から大洗まで頻繁に通っていました。また、この1985年当時の大洗では軽水炉のJMTR(材料試験炉)と高速炉のJOYO(常陽)による核分裂中性子照射の実験も始まっていたと記憶しています。
 さて、つくば科学博には、ちょうど大洗で実験をしていた時に行きました。確か、この時は1週間ではなく2週間の日程で大洗に滞在していました。科学博は札幌からはなかなか行けませんが、せっかく近くにいるからということで、実験中でしたが1日休みをもらって科学博の会場を訪れました。どの展示館を訪れたのか、国連平和館以外の展示館のことは何も覚えていません。それだけ、この国連平和館での出来事が私にとっては強い思い出になっています。
 どうして当時の私が国連平和館に強い関心を抱いたのか、それは私の研究が原子力施設を利用していたことと関係していると思います。原子力は使い方を誤れば核兵器の製造につながります。また原子力関係の施設で働いている人々は放射線の被曝を免れません。研究自体は面白かったですが、これらのことが、どうしても気になっていたと思います。また、『プルトニウムの恐怖』(高木仁三郎・著、岩波新書 1981)という本を読んで核燃料サイクルや高速増殖炉が持つ危険性にも懸念を感じていましたから、自分の研究が高速増殖炉開発のための実験炉であったJOYOを利用していることにもスッキリしない気持ちを抱いていました。スッキリしなくても、大学院まで進んだら専門を変更することは簡単にはできません。本当はスッキリした気持ちで思い切り研究に没頭したいと願っていましたが、そうではありませんでした。
 そのような頃に科学博の国連平和館を訪れたので、『平和のキャラバン』のタイル画が広島の平和記念資料館に移設されることになっていることに魅力を感じたのではないかと思います。私は前年の1984年の秋に広島の平和記念資料館を訪れていましたから、知っている資料館に移設されることは大きな魅力と感じたと思います。

1995年~2005年の出来事
 さて1985年から1995年までの10年間は、実に様々なことがありました。北大の博士課程を修了した後、1988年に私はアメリカのオークリッジ国立研究所へポスト・ドクター研究員として研究留学しました。ここは戦時中に濃縮ウランを製造して広島に投下した原爆の作製に寄与した研究所です。私はこのアメリカの原子力施設で研究生活を送りました。そして1年間の研究留学を経て私は帰国し、◇大学工学部の原子核工学科(当時)で助手として働き始めました。結局私は原子力から離れることができなかったのです。そして札幌から大洗に頻繁に通ったのと同様に、◇から大洗へも通いました。また、◇には放射性物質を扱うことができる施設がありましたから、大洗から◇まで中性子照射した試料を運び、◇でも実験を行いました。このことで大洗に行く頻度は減りました。以前ほどは茨城県に行かなくなったことで、つくば科学万博に行った1985年のことも次第に忘れていったように思います。
 そんな私でしたが1993年の9月に◇大学を退職しました。辞めた理由は色々ありますが、原子力に携わっていることに私自身がモヤモヤ感をずっと抱えていたことも大きな要因の一つであったことは確かだと思います。
 ◇大学を辞めた私は1993年の10月に札幌に引っ越して、日本語教師になるための勉強を開始しました。そして1995年の3月に○大の留学生センターの日本語教育部門(当時)の教員に採用されました。その○大の教員になったばかりの1995年の秋に研究会が広島で開催されたので、私は1984年以来11年ぶりで平和記念資料館を訪れました。これが私にとって二度目の平和記念資料館でした。ここで私は、「平和のキャラバン」のタイル画の完成形を初めて見ました。10年前の1985年の国連平和館では、このタイル画はまだ部分的にしか出来ていなかったからです。そして、自分の名前が刻まれたタイルがこの中のどこかにあることを思い出して、そのタイルを探しました。なかなか見つかりませんでしたが、30分以上探し続けて、ようやく自分のタイルを見つけることができました。
 この1995年の広島での記憶は、ただただ自分のタイルが見つかってうれしかったということだけです。原爆被害の展示について、この日の私が何を感じたのかはぜんぜん覚えていません。訪問が1984年に続いて2度目だったのが理由かもしれませんし、原子力の現場から離れて安堵し、核兵器への意識が薄れていたからかもしれません。そして私はこの後、2005年まで一度も平和公園を訪れませんでした。1995年から2005年までの10年間に様々な用事で広島には10回以上行っていたにも関わらず、です。ということは1995年の段階では、自分のタイルが常にここにあることに関して、それほどの重みは感じていなかったということです。うれしかったけれども自分が平和のために働くべきとは考えていませんでした。

2005年の広島訪問とその後
 そして2005年の夏、私は10年ぶりで広島の平和記念資料館を訪れました。これが私の三度目の資料館への訪問でした。この日、私は資料館の原爆被害の展示に、大きな衝撃を受けました。これが1995年の二度目の訪問の時との大きな違いでした。この10年間で私の意識は大きく変わっていたのでした。
 一つの大きな要因は、私が1999年から○大の留学生センターで日韓プログラムを担当することになっていたことです。この日韓プログラムは毎年韓国人学生100名を国立大学の理工系の学部に国費留学生として迎え入れるというものです。それで○大でも毎年5名程度の高校を卒業したばかりの若い韓国人学生を受け入れることになり、私がこのプログラムの担当者になりました。今でもそうですが、韓国には兵役があり、十代の若い男子留学生は皆、いつかはこの兵役に就かなければならないという悩みを抱えていました。また、大学院生として在学していた二十代後半以上の韓国人留学生たちは既に兵役を経験していましたから、彼らからその話を聞くことができました。彼らとの交流を通じて、私平和の問題を考えるようになって行ったのだと思います。また、この頃からよく観るようになった韓国映画によっても、韓国が北朝鮮と緊張関係にあることが伝わって来ました。さらに『チルソクの夏』という日韓の高校生の交流を描いた日本映画の中でも戒厳令下の韓国が描かれていて、平和な日本との違いを考えさせられました。
 そして2001年には9.11の同時多発テロがありました。この後アメリカはアフガニスタンとイラクで戦争を始めました。私がキリスト教会に導かれて通うようになったのは、この2001年です。教会で私は祈ることを覚え、やがて平和のために祈るようにもなりました。教会に導かれたことで私は心の平安を得ていましたから、その平安とはまったく正反対の戦争の悲惨さをより一層強く感じるようになったのだと思います。
 そうして洗礼を受けてクリスチャンとしての歩みを始めて1年あまりが過ぎた2003年の春に、戦争中のイラクで日本人三人が拉致されて人質になるという事件が起きました。この時、自衛隊のイラク派遣が始まっていて、犯人グループは自衛隊が72時間以内にイラクから撤退しなければ人質の三人を殺害するという声明を発表しました。この三人の内の一人の高遠菜穂子さんはよく知っている人でした。札幌で日本語教師になるための学校に半年間通っていた時、同じ教室で学んでいた仲間でした。それで私は人質救出を願う首相官邸前の集会にも二日連続で参加し、知人にも参加を呼び掛けました。そして期限の72時間が迫る中、これまでこんなに祈ったことはないというほど一生懸命に祈りました。結局、日本政府は自衛隊を撤退させることをしませんでしたが、幸いにも人質は解放されました。しかし、この三人は帰国した時にひどいバッシングを受けましたから、私はとても心を痛めました。このイラク戦争の時の人質事件で私の平和への関心は一層強まったと思います。
 ですから2005年に広島の平和記念資料館で強い衝撃を受けたのは、私が戦争を以前よりもずっと身近に感じるようになったからではないかと思います。また、この頃から私は映画にエキストラとして参加するようになりました。初めてエキストラとして参加したのは『出口のない海』という映画で、これは特攻兵器の人間魚雷「回天」の搭乗員の物語でした。戦争の時代を描いた映画にエキストラとして参加したことが、私の平和の問題への関心をより一層強めたことは間違いないと思います。そういう中で私は広島の平和公園に行く度に「私を平和のために用いて下さい」と神様に祈るようになりました。そして平和記念資料館のロビーには常に自分の名を刻んだタイルがあることを、とても重く受け留めるようになりました。
 これらのことがあって私は2008年に○大の留学生センターを辞めて神学校に入り、牧師になるための勉強を始めました。そして夏期実習で姫路教会に滞在していた2010年の夏にも広島に行き、平和記念資料館で自分の名前が刻んであるタイルを確認しました。この日、私は自分のタイルが左右の中心にあることに気付きました。どういうわけか、それまでは自分のタイルが左右の中心にあることに全く気付いていませんでした。そうして、この日以降、平和記念資料館の中にある自分のタイルの存在は、私にとってますます重要なものになりました。
 このように、広島にある私のタイルは、時を経るに従って私の中でどんどん重要度が増して来ました。そして今ではこのタイルを購入した1985年の出来事が私の最も重要な証しであると考えるに至っています。1985年のこの日に、私は神様から「将来は平和のために働くように」と役割を与えられたと感じています。実際はずっとそれ以前から、もしかしたら母の胎の中にいる頃から、この役割に向かってずっと導かれて来たのかもしれません。それが、この1985年に確定したのではないかと感じています。そして1985年以降は、このことを証しするために日々を生きているのだと思います。教会に導かれたことも、心に平安が与えられましたから、それによって戦争の悲惨さをより強く感じるためではないかという気がします。そして牧師になるように導かれたのも、聖書をより深く学んで、自分だけでなくもっと多くの人々が心の平安を得て、世界が平和に向かって行くように働くためだと思います。このようにして私は1985年の以前からも後からも神様に導かれながら今日を生きています。私はこのことに最近になってようやく気付きました。気付くことができたのは、証しの小石を積み直したからです。

時間の流れから離れると得られる平安
 この証しを通して私は多くの方々に、「過去→現在→未来」という時間の一方通行の流れの束縛から脱却して心の平安を得ていただきたいと願っています。この時間の流れに囚われていると、日々次々と起きる新しい出来事の中で疲弊し、消耗してしまいます。しかし、自分のこれまでの歩みを振り返り、証しの小石の山を積み直すなら、ただ単純に「過去→現在→未来」という時間の流れの中で生きるだけが人生ではないということに気付くでしょう。
 この時間の流れから離れて自分を振り返ることは、実は神様との交わりの中に入れていただくことにも通じます。なぜなら神様は「過去→現在→未来」という時間の中にはいないからです。私たち人間はこの時間の流れに強く縛られていますが、神様は縛られていません。私たちは日々老いて行きますから、肉体は時間の流れから逃れることはできません。しかし、心は逃れることができ、心の平安が得られます。ですから、ぜひ多くの方々に、証しの小石の山を積み直すことを、お勧めしたいと思います。
 ただし若い人の場合はまだ、証しの頂点と言えるものはないかもしれません。それでも、いったんこれまでの歩みを振り返り、「過去→現在→未来」の流れから離れるなら、自分を包む大きな存在に気付くことができるかもしれません。そのことで心の平安を得ることができます。ですから、若い人であっても証しの小石を積み直すことを大いに勧めたいと思います。

おわりに
 私にとっての1985年の出来事は、今を生きれば生きるほど、どんどん重要度が増しています。私はパウロもまた、神様のために働けば働くほど、かつてダマスコ途上でイエス・キリストと出会ったことの重要度が自分の中で増して行ったのだろうと思います。先ほどは使徒の働き22章を引用しましたが、26章にもまた、パウロは同じ証しをしています。使徒の働きにはパウロがローマでしばらく過ごした後でどうなったかがのかが書かれていません。それはパウロの証しの山の頂点がダマスコ途上の出来事であり、パウロの最期がどうなったかが頂点ではないから、なのかもしれません。私自身が証しの小石の山を積み直して、そんな風にも考えるようになりました。
 このように、この積み直しの作業によって私は多くのものを得ることができました。ですから私はぜひ多くの方々に、ご自身の証しの小石を積み直してみることをお勧めしたいと思います。そして自分は何を証しするために今を生きているのかを、もう一度確かめ直してみてはいかがでしょうか。
 お祈りいたしましょう。

22:7 私は地に倒れ、私に語りかける声を聞きました。『サウロ、サウロ、どうしてわたしを迫害するのか。』
22:8 私が答えて、『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、その方は私に言われました。『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである。』
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