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一粒のタイル2

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)

パウロの良き同労者プリスカとアキラ(2023.2.26 礼拝)

2023-02-27 08:29:21 | 礼拝メッセージ
2023年2月26日礼拝説教
『パウロの良き同労者プリスカとアキラ』
【使徒18:1~11】

はじめに
 今年の礼拝説教ではこれまで、パウロの生涯を見て来ています。そして、ここ何週間かで注目していることは、パウロがどのようにしてきよめられて行ったのか、ということです。きょうも、そのテーマの続きです。きょうはパウロの同労者のプリスカとアキラに注目します。この二人との出会いもまた、パウロがきよめられていったことと関係しているように思います。
 きょうの聖句は、ローマ12:11としました。

ローマ12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。

 この聖句は、少し前の礼拝でも本日の聖句として掲げた聖句ですが、プリスカとアキラは正に勤勉で怠らず、霊に燃えて主に仕えたクリスチャンであったと思います。プリスカとアキラの夫妻はパウロと共にいた期間が長いですから、この二人がパウロに仕えていたような気が何となくしてしまいますが、そうではなくて、二人は主に仕えていました。そのことをきょうは皆さんと分かち合いたいと思います。

 きょうは次の構成で話を進めます。

  ①背景:パウロがきよめられた過程を知りたい
  ②本題:a) パウロと天幕を作ったアキラとプリスカ
      b) パウロの伝道旅行に同行した二人
      c) エペソを離れてローマに戻った二人
  ③適用:状況に応じて、主のために最善の働きをする

①背景:パウロがきよめられた過程を知りたい
 このところ、①の背景のパートは毎度、この「パウロがきよめられた過程を知りたい」にしていますが、きょうも同じです。ここ何週間かに話して来たことを、簡単に復習しておきたいと思います。

 パウロには非常に気性が激しい一面がありました。その激しさは、恩人であるバルナバと激しい口論をして喧嘩別れをするような形になってしまったほどです。しかし、いわゆる獄中書簡と呼ばれるエペソ書、ピリピ書、コロサイ書、ピレモン書を書いた頃のパウロは、すっかりきよめられていたように思います。何がパウロをきよくし、変えて行ったのか、そのことを見て来ています。

 一つは、パウロが弱い者にされたということです。パウロは行く先々で迫害の苦難に遭いました。またパウロ自身が肉体の「とげ」と呼ぶ病気を与えられて苦しみました。また、アジアでみことばを語るつもりで第二次伝道旅行に出発したのに、聖霊によってアジアでみことばを語ることを禁じられました。そういう経験が、自分の思いを手放して御霊にすべてを委ねることにつながり、きよめられて行ったのだろうと思います。自分の進むべき道を御霊に委ねて御霊に心を明け渡すなら、そのことが御霊の実を結ぶことにもつながります。御霊の実とは、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。自分の進むべき道を御霊に委ねることと、御霊の実を結んできよめられることとは、同時進行で進むのだろうということを話しました。

 また先週は、パウロに良き協力者たちが与えられたこともまた、パウロを変えて行ったのだろうという話をしました。主はパウロの第二次伝道旅行のヨーロッパでの最初の宣教地のピリピで紫布の商人のリディアを協力者として与えました。紫布はとても高価であったということですから、高価な商品を扱うリディアはとても裕福でした。彼女はパウロのヨーロッパ伝道への金銭的な援助を惜しまなかったことでしょう。

 また主は、パウロが第三次伝道旅行のヨーロッパ伝道の最終盤にコリントで書いたローマ人への手紙をローマへ届けた奉仕者のフィベを協力者として与えて下さいました。これらの協力者たちの中にパウロは自分にはない優れた部分を見て教えられ、このことでパウロの中に御霊の実が多く結ばれて、きよめられて行ったのではないか、そんな話をしました。

②本題:a) パウロと天幕を作ったアキラとプリスカ
 では、きょうの本題に入って行きます。きょうも先週の続きで、パウロに与えられた良き協力者についてです。きょうはアキラとプリスカに注目します。

 その前に、パウロの第二次伝道旅行でのヨーロッパ伝道の経路を簡単に見ておきたいと思います。16章の11節と12節、

使徒16:11 私たちはトロアスから船出して、サモトラケに直航し、翌日ネアポリスに着いた。
12 そこからピリピに行った。この町はマケドニアのこの地方の主要な町で、植民都市であった。私たちはこの町に数日滞在した。

 ここは先週ご一緒に見た箇所ですが、アジアのトロアスから船でヨーロッパに渡ったパウロたちはピリピの町に入りました。それから17章の1節を見ると、テサロニケに行ったことが分かります。

使徒17:1 パウロとシラスは、アンピポリスとアポロニアを通って、テサロニケに行った。

 そして、次に10節、

10 兄弟たちはすぐ、夜のうちにパウロとシラスをベレアに送り出した。

 さらに15節、

15 パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行った。

 そして18章1節、

使徒18:1 その後、パウロはアテネを去ってコリントに行った。

 このようにパウロはピリピからべレア、アテネ、そしてコリントへと移動しました。ここで、後ろの地図13を見ましょう。

(地図13)

 では、使徒18章に戻ります。コリントの町でパウロはアキラとプリスキラの夫妻に遭いました。2節、

2 そこで、ポントス生まれでアキラという名のユダヤ人と、彼の妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命じたので、最近イタリアから来ていたのである。

 アキラとプリスキラの夫妻は元々はアジアの北方のポントスの出身でしたが、所属していた教会はローマの教会でした。しかし、ローマの皇帝のクラウディウス帝がユダヤ人をローマから追放したために、コリントに来ていました。2節の続き、

2 パウロは二人のところに行き、3 自分も同業者であったので、その家に住んで一緒に仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。

 アキラとプリスキラがパウロと同じ天幕作りの技術を持っていたことで、この三人は相当に親密な関係になったことが想像できます。当時、コリントの町にはまだクリスチャンはほとんどいなかったことでしょう。パウロが来たことで教会が建て上がったからです。ですから、互いに少数派のクリスチャン同士ということだけでも意気投合して、しかも同じ天幕作りの技術を持っていたことで、相当に親密な関係を築くことができたのでしょう。そうして、パウロはこのコリントの町に1年半という、かなり長い間、滞在しました。9節から11節、

9 ある夜、主は幻によってパウロに言われた。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。
10 わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」
11 そこで、パウロは一年六か月の間腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。

b) パウロの伝道旅行に同行した二人
 そして、パウロは1年半後にコリントを離れました。その時にプリスキラとアキラも同行しました。18節にそのことが記されています。

18 パウロは、なおしばらく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリアへ向けて船で出発した。プリスキラとアキラも同行した。

 そして、彼らはエペソの町に入りました。19節、

19 彼らがエペソに着くと、パウロは二人を残し、自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じ合った。

 この時、パウロはエペソには短期間しか滞在しませんでした。20節と21節、

20 人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、パウロは聞き入れず、
21 「神のみこころなら、またあなたがたのところに戻って来ます」と言って別れを告げ、エペソから船出した。

 この時、プリスキラとアキラはエペソにとどまったようです。それは24節から26節に、次の記述があるからです。

24 さて、アレクサンドリア生まれでアポロという名の、雄弁なユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。
25 この人は主の道について教えを受け、霊に燃えてイエスのことを正確に語ったり教えたりしていたが、ヨハネのバプテスマしか知らなかった。
26 彼は会堂で大胆に語り始めた。それを聞いたプリスキラとアキラは、彼をわきに呼んで、神の道をもっと正確に説明した。

 アポロがエペソに来た時、そこにプリスキラとアキラがいたということですから、この夫妻はパウロに同行しないで、エペソにとどまっていました。アポロはヨハネのバプテスマしか知らなかったということですので、イエス様が聖霊のバプテスマを授ける方であることまでは知らなかったようです。プリスキラとアキラは26節にあるように、アポロに神の道をもっと正確に説明しました。

c) エペソを離れてローマに戻った二人
 そして、プリスキラとアキラはその後にエペソを離れて以前いたローマに戻ったようです。パウロのローマ人への手紙16章3節と4節に、次のように書かれているからです(週報p.2)。

ローマ16:3 キリスト・イエスにある私の同労者、プリスカとアキラによろしく伝えてください。
4 二人は、私のいのちを救うために自分のいのちを危険にさらしてくれました。彼らには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。

 これはローマの教会に宛てた手紙ですから、この時、プリスカとアキラはローマにいました。クラウディウス帝によるユダヤ人追放令が解除になり、それでローマに戻ることができたのでしょう。ローマの教会ではユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンとの対立が深刻になっていましたから、パウロはこの情報をプリスカとアキラから手紙を通じて教えてもらっていたのかもしれませんね。

③適用:状況に応じて、主のために最善の働きをする
 パウロがコリントの町で出会ったプリスカとアキラがその後、エペソの町までパウロと一緒に行った様子を見ると、この三人がいかに親密な関係にあったかが分かり、ついプリスカとアキラがパウロに仕えていたかのように思ってしまいそうになります。しかし当然ですが、プリスカとアキラはパウロに仕えていたのではなく、主に仕えていたのですね。二人はその時の状況に応じて、主のために最善の働きをしていました。

 ローマではローマの教会でローマの人々への伝道を熱心に行っていたことでしょう。しかし、クラウディウス帝のユダヤ人追放令でローマを離れなければならなくなりましたが、コリントの町でパウロと出会いました。それは主の計らいであったように思います。プリスカとアキラはパウロとコリントの町で1年半を共に過ごすことで、パウロから多くのことを学んだことでしょう。そして、パウロから学んだことを用いて、エペソでも良い働きをして、やがてユダヤ人追放令が解除されたローマに再び戻って行きました。ローマでの働きもまた、期待されていたということでしょう。このように、プリスカとアキラはその時の状況に応じて、主のために最善の働きをしました。

 本日の聖句のローマ12:11をもう一度、お読みします。
 
ローマ12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。

 プリスカとアキラは、まさに勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えていた奉仕者であったと思います。そんな二人をパウロはすぐれた者として尊敬していたことでしょう。この11節の一つ手前の10節は、先週ご一緒に分かち合った聖句です。ローマ12:10です(週報p.2)。

ローマ12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。

 パウロはプリスカとアキラをすぐれた者として尊敬し、そしてプリスカとアキラももちろんパウロをすぐれた伝道者として尊敬していました。プリスカとアキラ、そしてパウロは兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合う者同士でした。

 この三人は御霊の導きによって巡り会ったとも言えるでしょう。そして、そのことでさらに御霊の実が結ばれて、きよめられていったことでしょう。プリスカとアキラは御霊に導かれてローマに戻り、パウロも御霊に導かれて、エルサレムに戻って捕らえられ、やがて囚人としてローマに送られました。

 私たちもまた御霊にすべてをお委ねして、御霊に導かれながら、勤勉で怠らず、霊に燃え、主にお仕えするお互いでありたいと思います。御霊は様々な人との新しい出会いも与えて下さるお方ですから、このことも覚えて感謝したいと思います。

 これらのことに思いを巡らしながら、しばらくご一緒に、お祈りしましょう。

ローマ12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。
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主が備えて下さった良き協力者(2023.2.19 礼拝)

2023-02-20 13:12:42 | 礼拝メッセージ
2023年2月19日礼拝説教
『主が備えて下さった良き協力者』
【使徒16:11~15】

はじめに
 今年からの礼拝説教では、パウロの生涯に注目しています。パウロがどのように信仰を深めて行ったのかを知ることで、私たちもそれに倣って信仰を深めて行くことができたらと願っています。そして、神様についても、パウロのように深く知る者としていただけたらと願っています。

 きょうの聖句は、少し前も同じ聖句を掲げましたがローマ人への手紙12章10節です。

ローマ12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。

 やはり、このローマ12:10が、パウロのきよめの一つの到達点ではないか、という気がします。このローマ人への手紙を書いた頃のパウロは、まだローマへ行ったことがありませんでした。この手紙を書いてから何ヶ月か後にパウロはエルサレムで捕らえられて囚人となり、2年ほどをカイサリアで過ごします。そして、その後でローマに送られて、ローマで軟禁生活を送ります。その時にパウロは、いわゆる獄中書簡と呼ばれるエペソ書、ピリピ書、コロサイ書、ピレモン書をローマで書きました。これらを読むと、ローマ人への手紙を書いた頃のパウロよりも、さらにきよめられているという印象を受けます。囚人として不自由な生活をする中でパウロはさらに変えられて行ったのでしょう。

 しかし、それ以前の、まだローマに行ったことがない時にローマ人への手紙を書いた頃でもパウロは十分にきよめられていて、ここが一つの到達点であったという印象を受けます。そして、私たちはここを目標にすべきではないかと感じます。それは、私たちが獄中生活を送る可能性はまずないからです。普通に生活する中での一つの到達点が、ローマ人への手紙を書いたパウロであるように思います。それで、きょうもローマ12:10を本日の聖句としました。

 そして、次の構成で話を進めて行きます。

  ①背景:パウロがきよめられた過程を知りたい
  ②本題:a) 主はリディアを備えて与えて下さった
      b) ローマへの手紙を運んだ奉仕者フィベ
      c) 協力者たちの無私の働きに心洗われる
  ③適用:互いに相手をすぐれた者として尊敬し合う

①背景:パウロがきよめられた過程を知りたい
 このパートの表題は先週も掲げました。パウロは、第二次伝道旅行に出発する時に、恩人であるバルナバと口論をして、喧嘩別れをするような形になってしまいました。その時のパウロはまだ御霊の実を十分に結んでおらず、きよめという点からはまだ十分ではなかったという気がします。そんなパウロがどのようにして、きよめられて行ったのか、そのことを分かち合って、私たちの信仰生活にも適用したいと思います。

 先週話したことの一つは、パウロが弱い者とされたということです。パウロは行く先々で迫害を受けました。また、パウロが肉体の「とげ」と呼ぶ、おそらくは病気を与えられて、すっかり弱っていました。パウロは、そのとげを取り除いてほしいと主に願いましたが、しかし主は、次のように答えたとパウロは書いています。

Ⅱコリント12:9 しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。10 ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

 こうして、パウロは弱くされることで強がることを手放し、そのことできよめられて行ったのだろうという話をしました。そして、もう一つ、これが先週の本題でしたが、パウロはアジアでみことばを語るつもりでいましたが、それを聖霊によって禁じられ、さらにアジアの北方に行こうとしましたが、それもイエス様の御霊によって許されませんでした。アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられていた間、パウロはとてもつらかっただろうと思います。しかし、このことで、パウロは自分の勝手な思い込みを手放して、すべてを御霊の導きにお委ねして、そうしてヨーロッパのマケドニアへの道が示されました。

 御霊の導きに従うことは、御霊に心をすべて明け渡すことですから、そのことで御霊の実も結ばれて行きます。自分が進むべき道を御霊にお委ねして導いていただくことと、御霊の実を結んできよめられることとは同時進行で進むのでしょう、そういうことを先週は話しました。

②本題:a) 主はリディアを備えて与えて下さった
 きょうは先週に続いて使徒の働き16章を開きます。まず先週読んだ箇所ですが、9節と10節をお読みします。

使徒16:9 その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。
10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。

 こうして主によって、ヨーロッパのマケドニアに渡ることが示されたので、パウロたちは船でマケドニアに向かいました。11節と12節、

11 私たちはトロアスから船出して、サモトラケに直航し、翌日ネアポリスに着いた。
12 そこからピリピに行った。この町はマケドニアのこの地方の主要な町で、植民都市であった。私たちはこの町に数日滞在した。

 ここに「私たち」と書いてありますから、このマケドニアへの旅には使徒の働きの記者のルカも同行していました。ルカが人から聞いたことを書いたのではなくて、自分が実際に見たことを書いていますから、正確さという点では、これよりも正確な記事はないと思います。彼らはピリピの町に滞在しました。ピリピはマケドニア地方の主要な町です。そして、13節と14節、

13 そして安息日に、私たちは町の門の外に出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰を下ろして、集まって来た女たちに話をした。
14 リディアという名の女の人が聞いていた。ティアティラ市の紫布の商人で、神を敬う人であった。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。

 ここにリディアという名の女性がいました。「主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた」とありますから、リディアは主が備えて下さり、主がパウロに与えて下さった良き協力者ですね。彼女はバプテスマを受けました。15節です。

15 そして、彼女とその家族の者たちがバプテスマを受けたとき、彼女は「私が主を信じる者だとお思いでしたら、私の家に来てお泊まりください」と懇願し、無理やり私たちにそうさせた。

 リディアはパウロたちに家に来て泊まってほしいと懇願しました。「無理やり私たちにそうさせた」とありますから、記者のルカもリディアの家に泊まりました。紫布はとても高価なものだったそうですから、それを仕入れて売る商人は当然、お金持ちでしょう。聖書辞典の『新エッセンシャル聖書辞典』で「紫布」の項目を調べると、次のように書いてあります(週報p.2)。

紫・紫布:地中海のアッキ貝の腺から分泌される液が紫の染料とされ、きわめて少量しか採集できず高価で、王家か裕福な人々しか入手できなかった。

 このような高価な紫布を扱うお金持ちの商人のリディアを、主はパウロのヨーロッパ伝道の最初の地で備えていて下さり、協力者として与えて下さいました。パウロのヨーロッパ旅行への資金面での援助を、リディアは惜しまなかったことでしょう。

 パウロは天幕作りの職人としての腕も持っていましたから、自分でお金を稼ぐこともできました。自分で稼いで自分の力で生きて行くこともできました。後に行くコリントの町では、そうした生活をしていた時期もありました。しかし、ヨーロッパ伝道の入口のピリピでは、そういうことも手放して、協力してくれる人々に生活の糧を委ねることも、主はパウロに教え込んで行ったのだろうと思います。そうして、それらの協力者との交わりを通じて、御霊の実を結んで行ったのではないかなと、そのように思います。

b) ローマへの手紙を運んだ奉仕者フィベ
 次に進んで、そのような協力者の一人のフィベのことも分かち合いたいと思います。ローマ人への手紙16章を開いて下さい(新約p.323)。1節と2節をお読みします。

ローマ16:1 私たちの姉妹で、ケンクレアにある教会の奉仕者であるフィベを、あなたがたに推薦します。
2 どうか、聖徒にふさわしく、主にあって彼女を歓迎し、あなたがたの助けが必要であれば、どんなことでも助けてあげてください。彼女は、多くの人々の支援者で、私自身の支援者でもあるのです。

 フィベはケンクレアの教会の奉仕者の女性でした。新改訳の第3版では「奉仕者」を「執事」と訳していましたね。フィベは多くの人々の支援者であったそうですから、ピリピのリディアのようにお金持ちだったのかもしれません。

 パウロは第二次伝道旅行に続いて第三次旅行でもまた訪れたコリントの町でローマの教会宛ての手紙を書き、それをコリントの隣町のケンクレアの教会のフィベに託して、ローマまで持って行ってもらいました。その手紙の最後の16章でパウロは、ローマの教会の人々に、フィベを歓迎して、どんなことでも助けてあげてくださいと書きました。

 そして、フィベの他にも、次々と協力者たちの名前を挙げています。3節と4節のプリスカとアキラについては、来週、皆さんと分かち合いたいと願っていますが、予告編的に、3節と4節を読んでおきたいと思います。

3 キリスト・イエスにある私の同労者、プリスカとアキラによろしく伝えてください。
4 二人は、私のいのちを救うために自分のいのちを危険にさらしてくれました。彼らには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。

 そうして、5節以降でもパウロは次々と協力者たちの名前を挙げています。

c) 協力者たちの無私の働きに心洗われる
 主はパウロにたくさんの良き協力者たちを与えて下さいました。この協力者たちは皆、無私の心でパウロと教会を支えていたことでしょう。そういう良き協力者たちの無私の働きにパウロの心は洗われて、きよめられて行ったということは、大いに考えられることです。いつも引用している御霊の実の多くは対人的な事柄に関係しています。

ガラテヤ5:22 御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23柔和、自制です。

 パウロの協力者たちの中には、パウロよりも、もっと御霊の実を多く結んでいた者たちもいたことと思います。そういう人々に助けられて行く中で、パウロの御霊の実もまた結ばれて行ったのではないか、そのように思います。

③適用:互いに相手をすぐれた者として尊敬し合う
 きょうの聖句のローマ人への手紙12章10節をお読みします。

ローマ12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。

 パウロは主が彼に与えて下さった良き協力者たちの中に、自分よりすぐれた部分を見出し、尊敬し、愛し合うことできよめられ、御霊の実を結んで行ったことを感じます。

 新約聖書にはパウロの手紙が13通収められています。その13通の中で一番早く書かれたのが、ガラテヤ人への手紙です。ガラテヤ人への手紙は、パウロがバルナバと喧嘩別れをする前に書かれていて、パウロの激しさが良く表れている手紙だと思います。その激しい手紙の3章1節でパウロは(週報p.2)、

ガラテヤ人3:1 ああ、愚かなガラテヤ人。

と書いています。こんな風に書かれたら、ガラテヤ人の中にはパウロに反発して、余計に離れて行った者たちもいたかもしれません。或いはガラテヤ2章12節と13節ではペテロとバルナバの個人名を挙げて批判しています。

ガラテヤ2:12 ケファは、ある人たちがヤコブのところから来る前は、異邦人と一緒に食事をしていたのに、その人たちが来ると、割礼派の人々を恐れて異邦人から身を引き、離れて行ったからです。13 そして、ほかのユダヤ人たちも彼と一緒に本心を偽った行動をとり、バルナバまで、その偽りの行動に引き込まれてしまいました。

 こういう個人名を挙げた手紙を、ケファとバルナバの本人たちが知らないところで書いて教会に送ってしまうのは、あまりよろしくないのではないかという気がします。手紙を送った相手が教会ではなく個人で、しかも教会の事情をよく知っている人なら、大丈夫なのかもしれません。しかし、パウロが手紙を送った先は、大勢の人が読む教会であり、しかもパウロ自身が「ああ、愚かなガラテヤ人」と嘆くような、まだ信仰が確立していない教会です。そのような教会宛ての手紙でケファとバルナバの個人名を挙げて批判すると、思わぬ誤解が生じる危険もあるでしょう。

 ですから、パウロはケファとバルナバのことを書くことは控えるべきだったでしょう。でも、よほど腹が立っていたのか、パウロは自制が効きませんでした。そして、寛容でも柔和でもありませんでした。寛容と柔和と自制は御霊の実です。パウロには寛容と柔和と自制の実が、まだ結ばれていなかったように思います。第二次伝道旅行に出発する時に、マルコの同行を巡ってバルナバと口論になったのも、寛容と柔和と自制が十分でなかったために、言わなくても良いことまで言ってしまったのかもしれません。私自身も御霊の実が十分でないために、やらかしてしまうことがしばしばですから、御霊の実は、とても大切だと思います。

 パウロもまだまだでしたが、ヨーロッパでの伝道旅行で、多くの良き協力者が主から与えられて、それらの人々と交わる中で、協力者たちのすぐれた部分を見て、尊敬し合うようになって、パウロはきよめられて行ったのではないか、これが、きょう皆さんと分かち合いたかったことで、私たちもまた互いに尊敬し合うことで、きよめられて行きたいと願います。

おわりに
 主は、パウロが第二次伝道旅行でヨーロッパ伝道を開始した時に協力者のリディアを与えました。そして、第三次伝道旅行のヨーロッパ伝道の締め括りの時にはローマ人への手紙をローマへ届けたフィベを与えて下さいました。

 そうして彼女たちのような良き協力者たちが与えられたことで、パウロはきよめられて行きました。私たちもパウロがローマ人への手紙12章10節で書いたように、兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合うことで御霊の実を結んで、御霊にきよめて行っていただきたいと思います。このことに思いを巡らしながら、しばらくご一緒に、お祈りしましょう。

ローマ12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。
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イエスの御霊がそれを許されなかった(2023.2.12 礼拝)

2023-02-13 10:34:32 | 礼拝メッセージ
2023年2月12日礼拝説教
『イエスの御霊がそれを許されなかった』
【使徒16:6~10】

はじめに
 先週はパウロとバルナバが第二次伝道旅行に出発する時にあった出来事に注目しました。

 パウロは第一次伝道旅行で訪れた町をもう一度訪ねようとバルナバに提案して、バルナバも承知しました。その第二次伝道旅行にバルナバはマルコを連れて行こうとしました。しかし、マルコは第一次伝道旅行が始まった早々に一行から離脱してエルサレムに帰ってしまっていました。そんな者を連れて行くわけにはいかないとパウロは考え、そのことでバルナバと口論になって喧嘩別れをするようなことになってしまいました。使徒の働き15章には、このように書いてあります。15章39節と40節です。

使徒15:39 こうして激しい議論になり、その結果、互いに別行動をとることになった。バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行き、
40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。

 バルナバという名前には「慰めの子」という意味があるそうですから、バルナバは穏やかな性格を持っていたと思われます。しかも、バルナバはパウロにとっては大恩人でした。パウロが回心したばかりの頃、エルサレムの使徒たちは警戒してパウロに会おうとしませんでした。そんなパウロと使徒たちの間をバルナバが取り持ってくれたために、パウロは使徒たちと親しく交わることができるようになりました。また、その後、パウロは故郷のタルソに長い間引っ込んでいるような形になっていましたが、そんなパウロをバルナバはタルソまで捜しに行ってアンティオキアの教会に連れて来ました。このことでパウロは異邦人への伝道者として本格的に用いられることになりました。ですから、パウロにとってバルナバは大恩人でした。

 そんなバルナバと喧嘩別れをするようなことになったパウロは、まだまだ御霊の実を結んでいなくて、十分にはきよめられていなかったのではないか、先週はそのように話しました。きょうは、その続きです。

 きょうの聖句は、ガラテヤ人への手紙5章22節と23節です。

ガラテヤ5:22 御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、23 柔和、自制です。

 そして、次の構成で話を進めます(週報p.2)。

 ①背景:パウロがきよめられた過程を知りたい
 ②本題:a) アジアでの宣教を聖霊に禁じられた
     b) イエスの御霊が北上を許さなかった
     c) ヨーロッパに渡るよう幻で示された
 ③適用:御霊の導きに委ねてきよめられて行く

①背景:パウロがきよめられた過程を知りたい
 バルナバと別れた頃のパウロはまだ十分にきよめられていなかったような印象を受けます。しかし、いわゆる獄中書簡と呼ばれるエペソ人への手紙、ピリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙などを読むと、これらの手紙を書いた頃のパウロは十分にきよめられていたことを感じます。

 では、バルナバとの別れから獄中書簡を書くまでに何があって、どんな経験がパウロをきよめて行ったのだろうかということは、とても興味深い問題です。単に興味深いだけでなく、それが何であるのかを私たちの信仰にも適用することで、私たちもまたきよめられるでしょう。きょうは、これらのことを分かち合いたいと思います。

 まず考えられるのは、パウロが行く先々で迫害に遭ったことです。かつてパウロは、自分が迫害する側の者でしたが、イエス様を宣べ伝える者に変えられてからは、逆に迫害される側になりました。これらの経験を通してイエス様もまた十字架で苦しまれたことをより深く理解するようになり、きよめられて行ったことは、十分に考えられることです。

 しかし、パウロは第一次伝道旅行でも迫害に遭っています。その第一次伝道旅行で迫害に遭った経験を積んでもなお、その後でバルナバと喧嘩別れをしています。迫害を受けたことによってきよめられて行ったことは確かだとは思いますが、それだけでは十分ではなかったようです。

 或いはまた、パウロはコリント人への手紙第二で肉体にとげを与えられたと書いています(週報p.2)。

Ⅱコリント12:7 その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです。
8 この使いについて、私から去らせてくださるようにと、私は三度、主に願いました。
9 しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
10 ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

 この「とげ」が何であったのか、はっきりしたことは分かっていませんが、何らかの病を抱えていたと考えられます。パウロは、この病が取り除かれるように懸命に祈りましたが応えられず、それゆえに自分の思いを手放すべきことを学びました。そうして、すべてを手放して十字架に付けられた弱いイエス様と一つになってきよめられ、きよめられたがゆえに強い者とされました。

②本題:a) アジアでの宣教を聖霊に禁じられた
 さてしかし、自分の思いを手放すことは、なかなか難しいことです。パウロがどのようにして自分の思いを手放すことができるようになって行ったのか、そのヒントが今日の聖書箇所の使徒の働き16章にあるように思います。まず16章の1節を見ておきましょう。

使徒16:1 それからパウロはデルベに、そしてリステラに行った。すると、そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ人女性の子で、父親はギリシア人であった。

 地図は後から見ます。とりあえずデルべとリステラの町に行ったことを覚えておいて下さい。このリステラの町にいたテモテを、パウロは一緒に連れて行くことにしました。それから6節、

6 それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。

 この「聖霊によって禁じられた」とは、どういうことでしょうか?恐らくは、この時はアジアでみことばを語る状況にはなかった、ということではないかと想像します。聖霊が直接の語り掛けで「ここでみことばを語ってはならない」と言ったということではなく、たとえば飢饉などが考えられるかもしれません。パウロとシラスは旅行者で、食料を多く持っていたわけではないと思いますから、飢饉の地に入って行っても何の助けもできません。これはあくまでも例えばの話で、そのようにみことばを語ることができるような状況になかった、ということではないかと思います。

 みことばを語れないでいる中、パウロはとても困惑していただろうと思います。みことばを語るためにアンティオキアを出発したのに、聖霊によって禁じられるとは、どういうことだろうか、とても困惑していたと思います。みことばを語ることが自分に与えられた使命であるのに、それを禁じられるとは、どういうことかと、いろいろ思い悩みながら、長い道中の歩みを進めていたと思います。あとで地図を一緒に見ますが、長い道中を、みことばを語れないままにパウロは歩みを進めました。

b) イエスの御霊が北上を許さなかった
 続いて7節と8節、

7 こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった。
8 それでミシアを通って、トロアスに下った。

 今度は、「イエスの御霊がそれを許されなかった」とあります。パウロはビティニアに進むことができませんでした。これも、御霊から「許しません」というような語り掛けがあったということでなく、道路が自然災害で通れなくなっていたとか橋が落ちていたとか、そういう類のことではないかと思います。いずれにしても、パウロは自分で行こうと決めた道を進むことができませんでした。

 ここで地図を見ましょう。巻末の地図13です。パウロの第二次伝道旅行の経路を見て下さい。パウロとシラスはアンティオキア(今回の地震の震源地付近)を出発して陸路でまずキリキア地方に向かいました。地図ではタルソに寄ったことになっています。使徒の働きにはタルソに寄ったとは書いてありませんが、タルソはパウロの故郷ですから、寄ったに違いないということなのでしょう。そして、デルべとリステラの町に行きました。先ほどの1節で見たように、このリステラにテモテがいて、パウロはテモテを一緒に連れて行きました。

 そして、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギアとガラテヤの地方を通過してミシアの近くまで来ました。そこから北方のビティニアに行こうとしましたが、イエスの御霊がそれを許しませんでした。どういう状況であったのか分かりませんが、先ほど話したように、たとえば道路が自然災害によって通れなくなっていたとか橋が落ちていたとか、そういうようなことなのかもしれません。

c) ヨーロッパに渡るよう幻で示された
 それでミシアを通ってトロアスまで来ました。このトロアスでパウロは幻を見て、船でヨーロッパ方面へ向かうことになります。トロアスの西(西北西)の方向にマケドニアと書いてありますね。このマケドニアはヨーロッパにあります。パウロたちはここへ向かうことになりました。

 使徒16章に戻りましょう。9節から11節、

9 その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。
10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。
11 私たちはトロアスから船出して、サモトラケに直航し、翌日ネアポリスに着いた。

 10節に、「私たち」とありますから、この使徒の働きの記者のルカも一緒でした。どの段階でルカが合流したのかは分かりませんが、ともかくもパウロが幻を見た時にルカは一緒にいましたから、ルカはこの幻の話を人づてではなくてパウロから直接聞きました。

 これは全くの想像ですが、パウロは自分が御心であると確信していたことを聖霊によって禁じられ、またイエス様の御霊に許されなかったことで困惑して思い悩み、そのことでもしかしたら体調を悪くしていたのかもしれません。それゆえ、医者のルカが同行するようになったのかもしれません。ルカが医者であることは、パウロがコロサイ人への手紙4章に書いています(週報p.2)。

コロサイ 4:14 愛する医者のルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。

 パウロが体調を崩したから、ルカが呼ばれたというのは全くの想像ですが、そうでなかったとしても、パウロが精神的に不調であったことは確かであろうと思います。自分が確信していたことを聖霊によって禁じられ、またイエス様の御霊によっても許されず、どうしたら良いのか困惑して途方に暮れて、精神面では最悪だったことでしょう。そんな時にマケドニア人の幻を見て、パウロはがぜん元気を取り戻したことでしょう。

 神様の御心は、パウロにヨーロッパに渡って伝道して欲しいということでしたが、パウロはアジアでの宣教、或いは北方のビティニアでの宣教が御心であると勝手に確信していました。それゆえ天の神様は聖霊を通して、パウロにそれらの独りよがりの確信を手放して、すべてを御霊に委ねるよう迫り、パウロを変えて行きました。

 そうして、パウロは自分の思いを手放し、御霊にすべてを委ねることで、次第にきよめられて行ったのだろうと思います。

③適用:御霊の導きに委ねてきよめられて行く
 御霊の導きにすべて委ねるということは、すべてを手放して御霊に心を明け渡すということです。すると、御霊が心の内に入って下さり、それによって御霊の実を結んできよめられて行きます。自分の進むべき道を御霊に委ねて御霊の導きを仰ぐのと、御霊の実を結ぶこととは、同時進行で進むのだと思います。どちらも自分を御霊に明け渡さなければできないことだからです。

ガラテヤ5:22 御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、23 柔和、自制です。

 パウロは、自分の進むべき道を御霊に委ねることで、心の中もきよめられていったのでしょう。バルナバと喧嘩別れをした時には、まだまだ十分にきよめられていなかったように思いますが、自分が確信して目指して行った宣教の地を聖霊によって禁じられ、またイエス様の御霊に許されなかったことで、自分の思いを手放すべきことを教えられて、次第にきよめられて行ったのだろうと思います。

おわりに
 自分の思いを手放すことは、なかなか難しいことではありますが、私たちも御霊に導かれて行くことができるように、少しずつでも自分の思いを手放して、御霊にお委ねして、御霊の実を結んで行くことができる、お互いでありたいと思います。

 このことに思いを巡らしながら、しばらくご一緒に、お祈りしましょう。

ガラテヤ5:22 御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、23 柔和、自制です。
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これはヤコブの歴史である(2023.2.9 祈り会)

2023-02-13 10:25:20 | 祈り会メッセージ
2023年2月9日祈り会説教
『これはヤコブの歴史である』
【創世記37:1~2、他】

 今年に入ってから祈り会では3回に亘ってヨセフに注目して来ました。しかし、この間にずっと気になっていたことがありました。きょうは、そのことを分かち合いたいと思います。

 まず、創世記37章1節と2節を、交代で読みましょう。

創世記37:1 さて、ヤコブは父の寄留の地、カナンの地に住んでいた。
2 これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、兄たちとともに羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らとともにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを彼らの父に告げた。

 2節に、「これはヤコブの歴史である」と書いてあります。創世記はこの37章以降、38章はユダについてですが、39章からはずっとヨセフのことが書かれています。それなのに、どうして「これはヤコブの歴史である」なんでしょうか?今まで私はこの記述のことをあまり気にしたことがありませんでしたが、今年ここを読んだ時から、すごく気になり始めました。ただ、他にもいろいろ考えるべきことがあったので、とりあえずこのことは保留しておきました。しかし先週、ヨセフの獄中での空白の2年間という重要な箇所を越えましたから、いよいよこの問題に取り組まなければなりません。

 そうして示されていることは、確かに「これはヤコブの歴史である」であって、他の何ものでもないな、ということです。そのことを、分かち合いたいと思います。

 先週の続きから見て行きます。先週は、41章の1節までを見ましたね。

創世記41:1 それから二年後、ファラオは夢を見た。見ると、彼はナイル川のほとりに立っていた。

 そうして、夢の解き明かしのことで献酌官長がヨセフのことを思い出したので、ファラオはヨセフを呼び出しました。ファラオは自分が見た夢のことをヨセフに話し、ヨセフがその解き明かしをしたことで、彼はファラオに次ぐNo.2の地位に就くことになりました。

 その夢の解き明かしとは、これから7年間は豊作の年が続くけれども、次の7年間は激しい飢饉が起きるというものでした。この飢饉によってカナンの地にいたヤコブの一家も食べる物に困るようになって、ヨセフの兄たちがエジプトまで食料の買い出しに来て、涙の再会を果たすことになりました。そして、ヨセフがまだ生きていてエジプトにいることを聞いたヤコブはヨセフに会いに行くことにします。その箇所をお読みします。45章の25節から28節です。「彼ら」というのは、ヨセフの兄たちのことです。

創世記45:25 彼らはエジプトから上って、カナンの地、彼らの父ヤコブのもとへ戻って来た。
26 彼らは父に告げた。「ヨセフはまだ生きています。しかも、エジプト全土を支配しているのは彼です。」父は茫然としていた。彼らのことばが信じられなかったからである。
27 彼らは、ヨセフが話したことを残らず彼に話して聞かせた。ヨセフが自分を乗せるために送ってくれた車を見ると、父ヤコブは元気づいた。
28 イスラエルは言った。「十分だ。息子のヨセフがまだ生きているとは。私は死ぬ前に彼に会いに行こう。」

 そうしてヤコブとヨセフは再会しました。46章の28節から30節、

創世記46:28 さて、ヤコブはユダを先にヨセフのところに遣わして、ゴシェンへの道を教えてもらった。そうして彼らは、ゴシェンの地にやって来た。
29 ヨセフは車を整え、父イスラエルを迎えにゴシェンへ上った。そして父に会うなり、父の首に抱きつき、首にすがって泣き続けた。
30 イスラエルはヨセフに言った。「もう今、私は死んでもよい。おまえがまだ生きていて、そのおまえの顔を見たのだから。」

 ここでヤコブは「もう今、私は死んでもよい」と言いましたが、それからさらに17年生きました。47章28節、

創世記47:28 ヤコブはエジプトの地で十七年生きた。ヤコブが生きた年月は百四十七年であった。

 そしてヤコブは49章の最後の33節で死にました。

創世記49:33 ヤコブは息子たちに命じ終えると、足を床の中に入れ、息絶えて、自分の民に加えられた。

 そしてヤコブが死んだ後もなお、ヤコブのことが書かれています。50章の1節から3節、

創世記50:1 ヨセフは父の顔の上に崩れ落ちて、父のそばで泣き、父に別れの口づけをした。
2 ヨセフは自分のしもべである医者たちに、父をミイラにするように命じたので、医者たちはイスラエルをミイラにした。
3 そのために四十日を要した。ミイラにするのには、これだけの日数が必要であった。エジプトは彼のために七十日間、泣き悲しんだ。

 創世記は50章までですから、ここまで読むと、創世記37章2節の、

創世記37:2 これはヤコブの歴史である。

という記述は、確かに「これはヤコブの歴史である」以外の何ものでもないな、ということに気付かされます。

 創世記というのは、アダムとエバの時代に入った罪がノアの洪水によっても一掃されなかったために、神様がアブラハムを召し出してもう一度、人が主の方をしっかりと向く信仰に立ち返らせて、そのアブラハムの信仰がイサクとヤコブに受け継がれて行く物語なのだなということに、改めて気付かされます。

 そして、次の出エジプト記1章を見ると、次のように書かれています。1節から5節をお読みします。

出エジプト記1:1 さて、ヤコブとともに、それぞれ自分の家族を連れてエジプトに来た、イスラエルの息子たちの名は次のとおりである。
2 ルベン、シメオン、レビ、ユダ。
3 イッサカル、ゼブルン、ベニヤミン。
4 ダンとナフタリ。ガドとアシェル。
5 ヤコブの腰から生まれ出た者の総数は七十名であった。ヨセフはすでにエジプトにいた。

 こうして見ると、出エジプト記以降の旧約聖書はすべてヤコブの子孫たちの物語であることに改めて気付かされます。ヤコブの12人の息子たちの子孫がイスラエルの12部族となり、ソロモン王の後に北の部族と南の部族とに分裂して、やがて滅びますが、神様はバビロンで捕囚になっていた南の部族をエルサレムに帰還させました。しかし、なお人々は罪の中に捕らわれていたために、イエス・キリストが遣わされて十字架によって罪から救い出して下さいました。

 今回示されていることは、ヨセフの物語でヨセフにばかり注目することは、小さい子供のサッカーのようなものだなということです。小さな子供にサッカーをやらせると、皆がボールの所に集まってしまうのだそうですね。そうではない上手な選手は全体を見ていて、スペースの空いている場所のことを攻撃側も守備側も常に気に掛けているのだと思います。

 テレビがまだブラウン管だった時代には、サッカー中継のテレビカメラもボールを持っている選手ばかりを追い掛けがちだったように思います。テレビの画面が小さいのでフィールド全体を写すと選手が小さくなり過ぎるから仕方がなかったのですね。でも大型で横長の薄型テレビが普及したことで、フィールド全体を写すようになって、選手たちがどのような陣形を組んでいるのかが分かるようになって、格段に面白くなったと思います。

 サッカーに限らず、球技では常に全体を見ている必要があるでしょう。或いはまた囲碁や将棋も同じですね。囲碁や将棋のプロ棋士は常に盤面の全体を見ています。私は囲碁や将棋は全体を見るのが苦手でぜんぜん強くなれなかったので、今ではもっぱら観戦しているだけです。ですから、せめて聖書だけは全体を見られるようになりたいと願っています。

 ヨセフのことが書かれている箇所ではもちろんヨセフに近づき、ヨセフの身になって読むことも大切なことです。イエス様の記事であれば、なおさらそうでしょう。イエス様にグッと近づいて聖書を読むことで、多くの恵みが与えられます。でも、それと同時に聖書全体の救いの物語のことも常に頭に入れながら読むことができる者でありたいと思います。創世記37章2節は、そのように聖書全体のことも頭に入れながら読むことの大切さを教えていてくれますから、とても感謝に思います。お祈りいたしましょう。

創世記37:2 これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、兄たちとともに羊の群れを飼っていた。
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恩人のバルナバと別れたパウロ(2023.2.5 礼拝)

2023-02-06 09:17:38 | 礼拝メッセージ
2023年2月5日礼拝説教
『恩人のバルナバと別れたパウロ』
【使徒15:36~41】

はじめに
 礼拝説教では今年からパウロの生涯について分かち合っています。パウロの生涯と信仰を学ぶことを通して、パウロが神様を深く知ったように、私たちも神様のことを深く知りたいと願っています。

 パウロは、元々はイエス様の弟子たちを迫害する側の人でした。ユダヤ人たちがステパノを石で打ち殺した時、パウロもユダヤ人たちと同じ考えを持っていました。ステパノが殉教した後、パウロはエルサレムでイエス様の弟子たちを激しく迫害し、弟子たちがエルサレムから散らされてからは、エルサレムの外にまで出掛けて行って迫害するようになりました。

 そうしてダマスコにいる弟子たちを迫害しに向かう途中で突然イエス様が現れたことで、パウロの人生は180度変えられました。それまではイエス様の弟子たちを迫害していたパウロですが、今度は一転してイエス・キリストの福音を宣べ伝える側の者になりました。先月はそこまでを分かち合いました。

 回心したパウロはその後、教会宛てに、そして個人宛に多くの手紙を書き、その一部が新約聖書に収められています。パウロが生涯で書いた手紙がいったい何通あるのか、恐らくは膨大な手紙を書いたのではないでしょうか。新約聖書に収められているのは、そのほんの一部ではないかと思います。

 それらの手紙を読むと、パウロが聖められた使徒だという印象を受けます。しかし、使徒の働きと合わせて丁寧に読むなら、まだ十分に聖められていなかった時代もあった様子が見て取れます。きょうはそのことを分かち合いたいと願っています。

 きょうの聖句は、ローマ人への手紙12章10節です。

ローマ12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。

 そして、次の構成で話を進めて行きます。

 ①背景:第一次伝道旅行の序盤で離脱したマルコ
 ②本題:a) パウロにとっては大恩人のバルナバ
     b) バルナバとの別行動を決めたパウロ
     c) 霊的にはまだ成長途上だったパウロ
 ③適用:互いに相手をすぐれた者として尊敬し合う 

①背景:第一次伝道旅行の序盤で離脱したマルコ
 きょうの説教のタイトルは『恩人のバルナバと別れたパウロ』です。パウロにとってバルナバは大恩人でした。パウロは、その大恩人のバルナバと激しい口論をした挙句に別行動を取ることになりました。ここからはパウロの激しさが見て取れて、まだまだ十分に聖められていなかったように見えます。きょうはそのことを分かち合いますが、そもそも、どうしてパウロとバルナバが口論することになったのか、その原因を先ず見ておくことにします。

 使徒の働き13章をご一緒に見ましょう。13章の1節から5節までをお読みします。ここには、アンティオキアの教会にいたパウロとバルナバが、第一次伝道旅行に出発することになった時のことが書かれています。この時のパウロはまだサウロと呼ばれていました。

使徒13:1 さて、アンティオキアには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟(ちきょうだい)マナエン、サウロなどの預言者や教師がいた。
2 彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われた。
3 そこで彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いてから送り出した。
4 二人は聖霊によって送り出され、セレウキアに下り、そこからキプロスに向けて船出し、
5 サラミスに着くとユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ伝えた。彼らはヨハネも助手として連れていた。

 2節に、聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われたことが書かれています。聖霊は天の父とイエス様が天から遣わす神の霊ですから、これは天の父とイエス様からの命令です。そうして、まずキプロス島に向かいました。

 後で地図をご一緒に見ますが、その前にマルコのことを見ておきましょう。5節に、この第一次伝道旅行にはヨハネも助手として加わっていたことが書かれています。このヨハネとはマルコのことです。そして、マルコはこの旅行の始まった序盤の段階で離脱してしまいました。13節、

13 パウロの一行は、パポスから船出してパンフィリアのペルゲに渡ったが、ヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰ってしまった。

 ここで、巻末の地図13を見ましょう。ここに、パウロの第1次伝道旅行の経路が描かれています。そして、マルコがエルサレムに帰ったことも地図に描き込まれています。出発地点はアンティオキアで、パウロたちは先ず船でキプロス島に向かいました。そして、最初の伝道をキプロス島で行った後で、パポスから船出してアジアのペルゲに向かいましたが、ここでマルコが離脱してエルサレムに帰ってしまいました。第一次伝道旅行が本格化するのは、ペルゲに上陸してからで、この後、ガラテヤ地方などに向かいます。つまり、マルコは第一次伝道旅行が本格化する前に早々に離脱してしまいました。どうして離脱したのかは、書かれていないので(興味深い問題ではありますが)、きょうは触れないでおきます。

②本題:a) パウロにとっては大恩人のバルナバ
 パウロにとって、バルナバは大恩人でした。まだ回心して間もない頃にパウロはエルサレムに行ったことがありました。使徒の働き9章の26節から28節、

使徒9:26 エルサレムに着いて、サウロは弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みな、彼が弟子であるとは信じず、彼を恐れていた。
27 しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に語られたこと、また彼がダマスコでイエスの名によって大胆に語った様子を彼らに説明した。
28 サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の御名によって大胆に語った。

 バルナバがパウロを引き受けてくれたから、パウロはエルサレムにいた使徒たちとの交わりに入れてもらうことができました。使徒たちとの交わりの中に入れてもらうことができたことは、パウロにとって非常に大きなことだったと思います。このことだけでもバルナバは大恩人です。

 そして、その後、パウロは長い間、故郷のタルソで過ごしていました。このパウロをタルソまで探しに行ってアンティオキアに連れて来たのも、バルナバでした。使徒の働き11章の25節と26節、

使徒11:25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソに行き、
26 彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。彼らは、まる一年の間教会に集い、大勢の人たちを教えた。弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。

 このように、バルナバがパウロをアンティオキアに連れて来たことで、パウロの異邦人への伝道活動が本格的に開始されました。バルナバがいたからこそパウロは本格的に用いられるようになり、そうしてパウロの手紙が新約聖書に収められて、二千年を経た今も読み継がれています。また、バルナバがパウロをアンティオキアに連れて来なければ、後にパウロがヨーロッパ方面にまで伝道することはなく、キリスト教はエルサレムとアンティオキアを中心にした狭い地域のみの宗教で終わり、世界中に広まることもなかったかもしれません。

b) バルナバとの別行動を決めたパウロ
 さてしかしパウロは、その大恩人のバルナバと喧嘩別れするようなことになってしまいました。その経緯が、きょうの聖書箇所に書かれています。まず15章36節、

使徒15:36 それから数日後、パウロはバルナバに言った。「さあ、先に主のことばを宣べ伝えたすべての町で、兄弟たちがどうしているか、また行って見て来ようではありませんか。」

 ここから第二次伝道旅行が始まります。パウロはバルナバに第一次伝道旅行で行った町を再び訪れて、兄弟たちがどうしているか見て来ようと言いました。そうして、出発することになりましたが、37節、

37 バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを一緒に連れて行くつもりであった。

 実は、マルコはバルナバのいとこでした。コロサイ人への手紙4章10節でパウロは次のように書いています(週報p.2)。この時にはパウロとマルコの関係は回復していたようです。

コロサイ4:10 私とともに囚人となっているアリスタルコと、バルナバのいとこであるマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もし彼があなたがたのところに行ったら迎え入れるように、という指示をあなたがたはすでに受けています。

 バルナバはいとこのマルコにもう一度チャンスを与えたかったのですね。しかし38節、

使徒15:38 しかしパウロは、パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよいと考えた。

 先ほどご一緒に地図を見たように、マルコは第一次伝道旅行が本格化する前の序盤で早々に離脱してしまいました。パウロにしてみれば、こんなひ弱な若者を一緒に連れて行ったら、足手まといになるばかりだと考えたのでしょう。39節と40節、

39 こうして激しい議論になり、その結果、互いに別行動をとることになった。バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行き、
40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。

 こうして、パウロとバルナバは互いに別行動をすることになり、バルナバはマルコと共に船でキプロス島(バルナバの故郷)へ向かい、パウロは41節にあるようにシラスと陸路でシリアおよびキリキアを通り、諸教会を力づけました。

c) 霊的にはまだ成長途上だったパウロ
 さて、ここでこのパウロの態度が「御霊の実」という観点から見てどうだったかを考えたいと思います。ご承知の方も多いと思いますが、バルナバという名前には「慰めの子」という意味があります。使徒4章36に、そのことが書かれています(週報p.2)。

使徒 4:36 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも…

 この「慰めの子」という名前からは、バルナバの性格が穏やかであった様子が伺えます。ですから、パウロがマルコの同行に反対した時も、最初から激しい議論にはなったわけではないと思います。反対するパウロに、バルナバは穏やかに、「まあ、そんなこと言わずにマルコにもう一度チャンスを与えようよ」という感じでやんわりと言ったのではないかなと思います。それでもパウロが強硬に反対したので、バルナバも段々と熱くなって来て、ついには激しい議論になってしまったんでしょう。そういう様子が目に浮かぶようです。

 「慰めの子」であるバルナバを熱くさせて怒らせたパウロは、良くなかったんじゃないかな、という気がします。マルコは単なるひ弱な若者ではなくて、非常に将来性を秘めた器でした。マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4つの福音書のうち、最初に書かれたのがマルコの福音書であると言われています。マルコはお手本なしで、素晴らしい福音書を書きました。マルコの福音書がなければ、もしかしたらマタイとルカ、そしてヨハネの福音書は書かれなかったかもしれません。福音書を最初に書くという素晴らしい働きをマルコはしました。バルナバがマルコにチャンスを与えたいと思ったのは、いとことしての情もあったと思いますが、マルコの才能をもっと育てて上げたいという気持ちもあったような気がします。

 そんなことはお構いなしに「慰めの子」であるバルナバを怒らせてしまったパウロの態度はどうだったんだろう、という疑問を持たざるを得ません。この頃のパウロは、まだまだ十分に「御霊の実」を結ぶことができていなくて、霊的には成長の途上であったんだろうと思います。「御霊の実」とは、パウロ自身がガラテヤ5章22節と23節に書いている通りです(週報p.2)。

ガラテヤ5:22 御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。

③適用:互いに相手をすぐれた者として尊敬し合う
 まだ御霊の実が十分に結ばれていなかったと思われるパウロは、後に書いたローマ人への手紙12章10節では、このように書いています。きょうの聖句です。

ローマ12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。

 ローマの教会に手紙を書いた時のパウロはかなり聖められていたのでしょう。でも、バルナバと別れた時のパウロはまだまだでした。パウロに十分な兄弟愛があれば、バルナバの「慰めの子」としてのすぐれた部分、マルコが将来「マルコの福音書」を書くことになるすぐれた部分にも気付くことができて、尊敬し合うことができたことでしょう。

 先ほど見たコロサイ人への手紙4章10節で見たように、後にパウロはマルコとの関係を修復しています。この文面を見るとバルナバとの関係も修復できたことと思います。コロサイ人への手紙はローマ人への手紙よりもさらに後に書かれています。ですから、パウロはさらに聖められていたことでしょう。

 パウロでさえ、第二次伝道旅行に出発する頃にはまだ「御霊の実」が十分に結べていなかったようであるところを見ると、このことの難しさを覚えますが、私たちも御霊に励まされながら、「御霊の実」を結ぶことができるお互いでありたいと思います。そうして、兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合うことができるお互いでありたいと思います。そのように、御霊に導かれたいと思います。

 このことに思いを巡らしながら、しばらくご一緒に、お祈りしましょう。

ローマ12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。
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忘れられたヨセフの獄中の2年(2023.2.2 祈り会)

2023-02-06 08:37:57 | 祈り会メッセージ
2023年2月2日祈り会説教
『忘れられたヨセフの獄中の2年』
【創世記40:9~15、20~41:1】

創世記40:9 献酌官長はヨセフに自分の夢を話した。「夢の中で、私の前に一本のぶどうの木があった。
10 そのぶどうの木には三本のつるがあった。それは、芽を出すと、すぐ花が咲き、房が熟してぶどうの実になった。
11 私の手にはファラオの杯があったので、私はそのぶどうを摘んで、ファラオの杯の中に搾って入れ、その杯をファラオの手に献げた。」
12 ヨセフは彼に言った。「その解き明かしはこうです。三本のつるとは三日のことです。
13 三日のうちに、ファラオはあなたを呼び出し、あなたを元の地位に戻すでしょう。あなたは、ファラオの献酌官であったときの、以前の定めにしたがって、ファラオの杯をその手に献げるでしょう。
14 あなたが幸せになったときには、どうか私を思い出してください。私のことをファラオに話して、この家から私が出られるように、私に恵みを施してください。
15 実は私は、ヘブル人の国から、さらわれて来たのです。ここでも私は、投獄されるようなことは何もしていません。」

創世記40:20 三日目はファラオの誕生日であった。それで彼は、すべての家臣たちのために祝宴を催し、献酌官長と料理官長を家臣たちの中に呼び戻した。
21 そうして献酌官長をその献酌の役に戻したので、彼はその杯をファラオの手に献げた。
22 しかし、料理官長のほうは木につるした。ヨセフが彼らに解き明かしたとおりであった。
23 ところが、献酌官長はヨセフのことを思い出さないで、忘れてしまった。
41:1 それから二年後、ファラオは夢を見た。見ると、彼はナイル川のほとりに立っていた。

 先月から創世記のヨセフの記事を、ご一緒に見ています。前回は、主がヨセフと共におられたことを、ご一緒に分かち合いました。39章を振り返ってみたいと思います。39章1節、

創世記39:1 一方、ヨセフはエジプトへ連れて行かれた。ファラオの廷臣で侍従長のポティファルという一人のエジプト人が、ヨセフを連れ下ったイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。

 ヨセフはイシュマエル人の商人によってファラオの廷臣で侍従長に売られました。この1節には主が共におられたとは書いてありませんが、主が共におられたからこそ、ヨセフはファラオのすぐ近くにまで、来ることができました。それゆえ、後にファラオに次ぐNo.2の地位に就くことができました。そして創世記は、2節と3節に「主がヨセフとともにおられた」ことを、はっきりと書いています。

2 がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ。
3 彼の主人は、が彼とともにおられ、が彼のすることすべてを彼に成功させてくださるのを見た。

 それで4節と5節、

4 それでヨセフは主人の好意を得て、彼のそば近くで仕えることになった。主人は彼にその家を管理させ、自分の全財産を彼に委ねた。
5 主人が彼にその家と全財産を管理させたときから、はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を祝福された。それで、の祝福が、家や野にある全財産の上にあった。

 こうして、ヨセフは先ず財産管理を任されることで、エジプトのNo.2になるための経験を積み始めました。しかし、彼の主人の妻に冷たくしたことで彼女が逆上して、王の囚人が監禁されている監獄に入れられてしまいました。20節です。

20 ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄に置かれた。

 ヨセフは無実の罪で監獄に入れられました。しかし、21節から23節、

21 しかし、はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。
22 監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手に委ねた。ヨセフは、そこで行われるすべてのことを管理するようになった。
23 監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、が彼とともにおられ、彼が何をしても、がそれを成功させてくださったからである。

 ヨセフにとっては大変なことでしたが、王の囚人の監獄ということで、王のファラオから離れることはありませんでした。むしろファラオにますます近づくことができました。そうして、今度は財産だけでなくて、囚人という人の管理も任されるようになりました。こうして、主が共にいて下さったことでヨセフはエジプトのNo.2になるための準備が着々と整えられて行きました。

 そして、きょうの聖書箇所では、ヨセフが管理する監獄に献酌官長が投獄されました。そして、献酌官長の夢の解き明かしをして言いました。12節と13節、

12 ヨセフは彼に言った。「その解き明かしはこうです。三本のつるとは三日のことです。
13 三日のうちに、ファラオはあなたを呼び出し、あなたを元の地位に戻すでしょう。あなたは、ファラオの献酌官であったときの、以前の定めにしたがって、ファラオの杯をその手に献げるでしょう。

 そうして、ヨセフは付け加えました。14節、

14 あなたが幸せになったときには、どうか私を思い出してください。私のことをファラオに話して、この家から私が出られるように、私に恵みを施してください。

 そうして、献酌官長はヨセフが夢の解き明かしをした通りに再び王のファラオに仕えることができるようになりました。ところが23節、

23 ところが、献酌官長はヨセフのことを思い出さないで、忘れてしまった。

 ヨセフは忘れられてしまいました。そして二年が経ちました。41章1節、

創世記41:1 それから二年後、ファラオは夢を見た。見ると、彼はナイル川のほとりに立っていた。

 この忘れられていた2年間をヨセフがどう過ごしていたのか、聖書は書いていません。この空白の2年間に注目した説教を、私は高津教会に通うようになってから2年ぐらい経った頃に聞きました。受洗してから1年半後ぐらいの時です。そして、聖書を読む時は、こういう何も書かれていない所にも注目するものなのか、と新鮮な驚きを感じたことを良く覚えています。そうして、時折、この空白の2年間について思いを巡らすようになりました。

 ヨセフは献酌官長に14節のように言って頼んでいました。

14 あなたが幸せになったときには、どうか私を思い出してください。私のことをファラオに話して、この家から私が出られるように、私に恵みを施してください。

 ですから、献酌官長が再び王に仕えるようになったことで、自分も監獄から出られると期待したことでしょう。でも、期待外れになったことで、とてもガッカリして落ち込んだことと思います。この落ち込み方には、荒っぽく言えば2種類があると思います。傍目から見ても、ガックリ来ている様子がはっきりと見て取れるぐらいの激しい落ち込み方と、もう一つは、心の内はどんなにガックリ来ていても、その落ち込んだ様子を外には見せないで淡々と日々を過ごす、荒っぽく言えば、そういう2種類があると思います。

 もちろん、その中間がほとんどだと思いますから、この分類は荒っぽすぎると思います。でも、ヨセフはどちらよりだったのかを考えるのには適しているように思います。

 私はこれまで、ヨセフは前者の傍目から見ても分かるぐらいに激しく落ち込んでいたんだろうなと実は思っていました。それは、40章ばかりに注目していたからだと思います。しかし、今回は39章も見たことで、考えが変わりました。39章の21節と22節をもう一度、お読みします。

創世記39:21 しかし、はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。
22 監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手に委ねた。ヨセフは、そこで行われるすべてのことを管理するようになった。

 ヨセフは心の内は激しく落ち込んだことと思いますが、それをあまり表に見せることはせず、自分に与えられた仕事をしっかりと行っていたのではないか、今はそんな風に思います。だからこそ、41章でファラオに呼び出された時に、しっかりとファラオの夢の解き明かしが出来たのではないかと思います。傍目から見ても激しく落ち込んでいたとしたら、ファラオの夢の解き明かしもしっかりと出来なかったかもしれませんし、ましてNo.2の地位の仕事をしっかりとやってのけることなど、到底できなかっただろうと思います。

 ガックリきた時に、それを表に出さないようにすることは、なかなか難しいことだと思います。でも私たちには主が共にいて下さり、主が励まして下さいますから、できるだけ早く立ち直って、傍目に見て分かるぐらいに激しく落ち込む期間はできるだけ短く終わらせて、主を信頼して、主と共に歩むことができれば、幸いだなと思います。主を信頼していれば、主は必ず最善へと導いて下さいます。そのことを信じて、日々を主と共に歩み、与えられた仕事を行って行きたいと思います。お祈りしましょう。

創世記40:23 ところが、献酌官長はヨセフのことを思い出さないで、忘れてしまった。41:1 それから二年後、ファラオは夢を見た。見ると、彼はナイル川のほとりに立っていた。
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祈りと黙想の時(2023.1.29 礼拝)

2023-02-01 08:12:15 | 礼拝メッセージ
2023年1月29日礼拝説教
『祈りと黙想の時』
【使徒26:12~18】

はじめに
 きょうは礼拝後に教会総会を控えていますから、説教の時間はいつもよりは少し短めです。
 きょうの聖句は、使徒の働き26章14節です。

使徒26:14 「私たちはみな地に倒れましたが、そのとき私は、ヘブル語で自分に語りかける声を聞きました。『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い。』」

 そして、次の構成で話します。

 ①背景:ダマスコ途上の出来事の三度目の記述
 ②本題:
 a) 初めての深い霊的な経験(無力を徹底的に知る)
 b) 罪のとげの棒に囲まれて自らを傷つける私たち
 c) 主イエスと一つになれば罪を超えて新たな力を得る
 ③適用:困難の時は「祈りと黙想」で主と一つになる

①背景:ダマスコ途上の出来事の三度目の記述
 きょうの聖書箇所の使徒の働き26章の12節から18節までには、サウロがダマスコ途上でイエス様に出会ったことが書かれています。先週と先々週開いた使徒の働き9章にも、サウロがダマスコ途上でイエス様に出会ったことが書かれていましたね。実は使徒の働きには、この出来事が三度記されています。9章と22章と26章です。

 9章の記述は記者のルカが第三者の目で客観的にこの出来事を書いています。そして22章と26章は、パウロが証言者となり、パウロ自身がこの出来事について語っています。26章の12節と13節を見ると、ここに「私は」とありますが、この「私」とはパウロのことです。12節と13節、

使徒26:12 このような次第で、私は祭司長たちから権限と委任を受けてダマスコへ向かいましたが、
13 その途中のこと、王様、真昼に私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と私に同行していた者たちの周りを照らしました。

 このパウロの証言が、どのような状況で語られたかについては、きょうは教会総会を控えていて、あまり時間がありませんから、きょうは省略します。しかし、このダマスコ途上の出来事が使徒の働きに三度も出て来るということは、しっかり押さえておきたいと思います。三度も同じ出来事のことが書かれているということは、この出来事がパウロにとっていかに重要であったかということを、雄弁に物語っていると思います。

②本題:
a) 初めての深い霊的な経験(無力を徹底的に知る)

 14節をお読みします。

14 私たちはみな地に倒れましたが、そのとき私は、ヘブル語で自分に語りかける声を聞きました。『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い。』

 パウロがこの日、イエス様に出会ったことは、間違いなく彼にとって初めての深い霊的な経験でしょう。それまでのパウロは、自分の頭で考えて、何が正しいことなのかを自分で判断して行動して来ました。神様と霊的に深く交わる経験をするなら、神様に導かれて行動するようになりますが、このダマスコ途上の出来事までパウロは神様と深く交わった経験がありませんでした。

 実は、神様と交わる経験というのは、自分の無力さを悟った時に、起こりやすいことです。自分は何て無力なんだと絶望する時、その心の隙間に神様が入って来て下さいます。自分は強い人間だと思い込んで、心に鎧を着けて強がっている間は、神様に入っていただく隙間がありませんから、霊的な交わりを経験することはできません。

 パウロはこのダマスコへの途中の道でイエス様によって、地に倒されて、自分の無力さを知りました。それまでのパウロは自分の力を最大限に使ってイエス様の弟子たちを縛り上げ、牢屋へ引きずって行きました。力づくで暴力を働いていました。そんなパウロが、王の王であるイエス様の圧倒的な力によって地に倒され、目も見えなくされてしまいました。そうして、パウロは無力な者にされて、そこにイエス様が入って来ました。イエス様はパウロにヘブル語で語り掛けました。パウロはヘブル人として生まれましたから、この時のパウロは赤ちゃんのようにされていたということも読み取れると思います。イエス様は赤ちゃんのパウロに言いました。

『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い。』

 「とげの付いた棒を蹴る」とは、どういうことでしょうか?次のb)に進んで、このことを考えましょう。

b) 罪のとげの棒に囲まれて自らを傷つける私たち
 注解書などを見ると、「とげの付いた棒」とは、牛などの家畜を飼いならす時に使う道具のようです。牛が暴れた時にとげが当たるようにしておくと、牛は逆らうことをやめて段々と大人しくなり、主人に従うようになるとのことです。パウロはイエス様によって飼いならされるようになったということなのでしょう。

 でも、イエス様のことばの「とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い」には、もっと深い意味があるように思います。たとえば「とげ」を「罪」と考えるなら、私たちは内側の罪にも苦しめられていますが、外側の罪にもさらに苦しめられている、という風に考えることもできるでしょう。

 サウロもそうでしたが、私たちが暴れるのは内側にある罪によります。罪に支配されている間は御霊の実が結ばれておらず、愛・喜び・平安がなく、寛容・柔和・自制も無いために暴れます。その結果、傷だらけになります。なぜなら私たちの外側も罪の「とげ」に満ちているからです。そうして私たちは内側も外側もますます傷だらけになります。

 大人しくしたいと思っていても、内側の罪があるために、どうしても暴れたくなります。もはや自分の力では、どうしようもないことです。

c) 主イエスと一つになれば罪を超えて新たな力を得る
 しかし、主イエス様と一つになれば、私たちは罪を超えて新たな力を得ることができます。

 たとえば、ペテロやヨハネなどの弟子たちがイエス様と一緒に小さな舟に乗って、ガリラヤ湖に漕ぎ出したことがありましたね。その時、突然嵐になって、湖が大荒れになり、舟が沈みそうになりました。弟子たちは恐怖に襲われて大慌てでイエス様に助けを求めました。マタイの福音書のその箇所をお読みします。

マタイ8:23 それからイエスが舟に乗られると、弟子たちも従った。
24 すると見よ。湖は大荒れとなり、舟は大波をかぶった。ところがイエスは眠っておられた。
25 弟子たちは近寄ってイエスを起こして、「主よ、助けてください。私たちは死んでしまいます」と言った。
26 イエスは言われた。「どうして怖がるのか、信仰の薄い者たち。」それから起き上がり、風と湖を叱りつけられた。すると、すっかり凪になった。
27 人々は驚いて言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどういう方なのだろうか。」

 弟子たちが恐怖に襲われて「主よ、助けてください。私たちは死んでしまいます」と言ったのは、罪のために平安が無かったからですね。イエス様が一緒の舟に乗っていれば、何の心配もない筈なのに、恐怖であわてふためいてしまいました。

 そんな弟子たちをイエス様は「どうして怖がるのか、信仰の薄い者たち」と言って叱りましたが、その後で嵐を鎮めて下さいました。
 私たちにもイエス様が共にいて下さるのですから、どんな困難な目に遭っても、慌てず騒がず、イエス様と一つになることを考えていたいと思います。そうすれば、イエス様が必ず、ピンチを救って下さることでしょう。

③適用:困難の時は「祈りと黙想」で主と一つになる
 いつも話していますが、現代の私たちは様々な困難に囲まれています。疫病・戦争・温暖化による異常気象などです。これらは人間の罪によって、もたらされたことだと言って良いでしょう。つまり、私たちは「とげの付いた棒」に囲まれています。

 そして、教会の内側も様々な問題・課題を抱えています。そもそも私たちの一人一人が罪人ですから、教会に問題が起きるのは当然なのかもしれません。新約聖書のパウロの手紙も、教会内部の問題に関する記述が多いですね。

 今の私たちは内にも外にもある罪によって傷ついています。そうだからこそ、今の私たちに必要なことは、慌て騒がないで、祈りと黙想の時を持つことではないでしょうか。ガリラヤ湖で弟子たちが慌てふためいたようになるのではなく、イエス様が共にいて下さるのですから、安心して平安を保ち、祈りと黙想によってイエス様と一つになることが、大切なのではないでしょうか。

 大変な時代の中を生きる私たちは、自分の力で何とかしようと暴れて却って傷ついてしまいがちですが、今こそ祈りと黙想の時を持って、主イエス様と一つになりたいと思います。しばらく、ご一緒に、お祈りしましょう。

使徒26:14 「私たちはみな地に倒れましたが、そのとき私は、ヘブル語で自分に語りかける声を聞きました。『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い。』」
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