2023年2月26日礼拝説教
『パウロの良き同労者プリスカとアキラ』
【使徒18:1~11】
はじめに
今年の礼拝説教ではこれまで、パウロの生涯を見て来ています。そして、ここ何週間かで注目していることは、パウロがどのようにしてきよめられて行ったのか、ということです。きょうも、そのテーマの続きです。きょうはパウロの同労者のプリスカとアキラに注目します。この二人との出会いもまた、パウロがきよめられていったことと関係しているように思います。
きょうの聖句は、ローマ12:11としました。
この聖句は、少し前の礼拝でも本日の聖句として掲げた聖句ですが、プリスカとアキラは正に勤勉で怠らず、霊に燃えて主に仕えたクリスチャンであったと思います。プリスカとアキラの夫妻はパウロと共にいた期間が長いですから、この二人がパウロに仕えていたような気が何となくしてしまいますが、そうではなくて、二人は主に仕えていました。そのことをきょうは皆さんと分かち合いたいと思います。
きょうは次の構成で話を進めます。
①背景:パウロがきよめられた過程を知りたい
②本題:a) パウロと天幕を作ったアキラとプリスカ
b) パウロの伝道旅行に同行した二人
c) エペソを離れてローマに戻った二人
③適用:状況に応じて、主のために最善の働きをする
①背景:パウロがきよめられた過程を知りたい
このところ、①の背景のパートは毎度、この「パウロがきよめられた過程を知りたい」にしていますが、きょうも同じです。ここ何週間かに話して来たことを、簡単に復習しておきたいと思います。
パウロには非常に気性が激しい一面がありました。その激しさは、恩人であるバルナバと激しい口論をして喧嘩別れをするような形になってしまったほどです。しかし、いわゆる獄中書簡と呼ばれるエペソ書、ピリピ書、コロサイ書、ピレモン書を書いた頃のパウロは、すっかりきよめられていたように思います。何がパウロをきよくし、変えて行ったのか、そのことを見て来ています。
一つは、パウロが弱い者にされたということです。パウロは行く先々で迫害の苦難に遭いました。またパウロ自身が肉体の「とげ」と呼ぶ病気を与えられて苦しみました。また、アジアでみことばを語るつもりで第二次伝道旅行に出発したのに、聖霊によってアジアでみことばを語ることを禁じられました。そういう経験が、自分の思いを手放して御霊にすべてを委ねることにつながり、きよめられて行ったのだろうと思います。自分の進むべき道を御霊に委ねて御霊に心を明け渡すなら、そのことが御霊の実を結ぶことにもつながります。御霊の実とは、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。自分の進むべき道を御霊に委ねることと、御霊の実を結んできよめられることとは、同時進行で進むのだろうということを話しました。
また先週は、パウロに良き協力者たちが与えられたこともまた、パウロを変えて行ったのだろうという話をしました。主はパウロの第二次伝道旅行のヨーロッパでの最初の宣教地のピリピで紫布の商人のリディアを協力者として与えました。紫布はとても高価であったということですから、高価な商品を扱うリディアはとても裕福でした。彼女はパウロのヨーロッパ伝道への金銭的な援助を惜しまなかったことでしょう。
また主は、パウロが第三次伝道旅行のヨーロッパ伝道の最終盤にコリントで書いたローマ人への手紙をローマへ届けた奉仕者のフィベを協力者として与えて下さいました。これらの協力者たちの中にパウロは自分にはない優れた部分を見て教えられ、このことでパウロの中に御霊の実が多く結ばれて、きよめられて行ったのではないか、そんな話をしました。
②本題:a) パウロと天幕を作ったアキラとプリスカ
では、きょうの本題に入って行きます。きょうも先週の続きで、パウロに与えられた良き協力者についてです。きょうはアキラとプリスカに注目します。
その前に、パウロの第二次伝道旅行でのヨーロッパ伝道の経路を簡単に見ておきたいと思います。16章の11節と12節、
ここは先週ご一緒に見た箇所ですが、アジアのトロアスから船でヨーロッパに渡ったパウロたちはピリピの町に入りました。それから17章の1節を見ると、テサロニケに行ったことが分かります。
そして、次に10節、
さらに15節、
そして18章1節、
このようにパウロはピリピからべレア、アテネ、そしてコリントへと移動しました。ここで、後ろの地図13を見ましょう。
(地図13)
では、使徒18章に戻ります。コリントの町でパウロはアキラとプリスキラの夫妻に遭いました。2節、
アキラとプリスキラの夫妻は元々はアジアの北方のポントスの出身でしたが、所属していた教会はローマの教会でした。しかし、ローマの皇帝のクラウディウス帝がユダヤ人をローマから追放したために、コリントに来ていました。2節の続き、
アキラとプリスキラがパウロと同じ天幕作りの技術を持っていたことで、この三人は相当に親密な関係になったことが想像できます。当時、コリントの町にはまだクリスチャンはほとんどいなかったことでしょう。パウロが来たことで教会が建て上がったからです。ですから、互いに少数派のクリスチャン同士ということだけでも意気投合して、しかも同じ天幕作りの技術を持っていたことで、相当に親密な関係を築くことができたのでしょう。そうして、パウロはこのコリントの町に1年半という、かなり長い間、滞在しました。9節から11節、
b) パウロの伝道旅行に同行した二人
そして、パウロは1年半後にコリントを離れました。その時にプリスキラとアキラも同行しました。18節にそのことが記されています。
そして、彼らはエペソの町に入りました。19節、
この時、パウロはエペソには短期間しか滞在しませんでした。20節と21節、
この時、プリスキラとアキラはエペソにとどまったようです。それは24節から26節に、次の記述があるからです。
アポロがエペソに来た時、そこにプリスキラとアキラがいたということですから、この夫妻はパウロに同行しないで、エペソにとどまっていました。アポロはヨハネのバプテスマしか知らなかったということですので、イエス様が聖霊のバプテスマを授ける方であることまでは知らなかったようです。プリスキラとアキラは26節にあるように、アポロに神の道をもっと正確に説明しました。
c) エペソを離れてローマに戻った二人
そして、プリスキラとアキラはその後にエペソを離れて以前いたローマに戻ったようです。パウロのローマ人への手紙16章3節と4節に、次のように書かれているからです(週報p.2)。
これはローマの教会に宛てた手紙ですから、この時、プリスカとアキラはローマにいました。クラウディウス帝によるユダヤ人追放令が解除になり、それでローマに戻ることができたのでしょう。ローマの教会ではユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンとの対立が深刻になっていましたから、パウロはこの情報をプリスカとアキラから手紙を通じて教えてもらっていたのかもしれませんね。
③適用:状況に応じて、主のために最善の働きをする
パウロがコリントの町で出会ったプリスカとアキラがその後、エペソの町までパウロと一緒に行った様子を見ると、この三人がいかに親密な関係にあったかが分かり、ついプリスカとアキラがパウロに仕えていたかのように思ってしまいそうになります。しかし当然ですが、プリスカとアキラはパウロに仕えていたのではなく、主に仕えていたのですね。二人はその時の状況に応じて、主のために最善の働きをしていました。
ローマではローマの教会でローマの人々への伝道を熱心に行っていたことでしょう。しかし、クラウディウス帝のユダヤ人追放令でローマを離れなければならなくなりましたが、コリントの町でパウロと出会いました。それは主の計らいであったように思います。プリスカとアキラはパウロとコリントの町で1年半を共に過ごすことで、パウロから多くのことを学んだことでしょう。そして、パウロから学んだことを用いて、エペソでも良い働きをして、やがてユダヤ人追放令が解除されたローマに再び戻って行きました。ローマでの働きもまた、期待されていたということでしょう。このように、プリスカとアキラはその時の状況に応じて、主のために最善の働きをしました。
本日の聖句のローマ12:11をもう一度、お読みします。
プリスカとアキラは、まさに勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えていた奉仕者であったと思います。そんな二人をパウロはすぐれた者として尊敬していたことでしょう。この11節の一つ手前の10節は、先週ご一緒に分かち合った聖句です。ローマ12:10です(週報p.2)。
パウロはプリスカとアキラをすぐれた者として尊敬し、そしてプリスカとアキラももちろんパウロをすぐれた伝道者として尊敬していました。プリスカとアキラ、そしてパウロは兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合う者同士でした。
この三人は御霊の導きによって巡り会ったとも言えるでしょう。そして、そのことでさらに御霊の実が結ばれて、きよめられていったことでしょう。プリスカとアキラは御霊に導かれてローマに戻り、パウロも御霊に導かれて、エルサレムに戻って捕らえられ、やがて囚人としてローマに送られました。
私たちもまた御霊にすべてをお委ねして、御霊に導かれながら、勤勉で怠らず、霊に燃え、主にお仕えするお互いでありたいと思います。御霊は様々な人との新しい出会いも与えて下さるお方ですから、このことも覚えて感謝したいと思います。
これらのことに思いを巡らしながら、しばらくご一緒に、お祈りしましょう。
『パウロの良き同労者プリスカとアキラ』
【使徒18:1~11】
はじめに
今年の礼拝説教ではこれまで、パウロの生涯を見て来ています。そして、ここ何週間かで注目していることは、パウロがどのようにしてきよめられて行ったのか、ということです。きょうも、そのテーマの続きです。きょうはパウロの同労者のプリスカとアキラに注目します。この二人との出会いもまた、パウロがきよめられていったことと関係しているように思います。
きょうの聖句は、ローマ12:11としました。
ローマ12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。
この聖句は、少し前の礼拝でも本日の聖句として掲げた聖句ですが、プリスカとアキラは正に勤勉で怠らず、霊に燃えて主に仕えたクリスチャンであったと思います。プリスカとアキラの夫妻はパウロと共にいた期間が長いですから、この二人がパウロに仕えていたような気が何となくしてしまいますが、そうではなくて、二人は主に仕えていました。そのことをきょうは皆さんと分かち合いたいと思います。
きょうは次の構成で話を進めます。
①背景:パウロがきよめられた過程を知りたい
②本題:a) パウロと天幕を作ったアキラとプリスカ
b) パウロの伝道旅行に同行した二人
c) エペソを離れてローマに戻った二人
③適用:状況に応じて、主のために最善の働きをする
①背景:パウロがきよめられた過程を知りたい
このところ、①の背景のパートは毎度、この「パウロがきよめられた過程を知りたい」にしていますが、きょうも同じです。ここ何週間かに話して来たことを、簡単に復習しておきたいと思います。
パウロには非常に気性が激しい一面がありました。その激しさは、恩人であるバルナバと激しい口論をして喧嘩別れをするような形になってしまったほどです。しかし、いわゆる獄中書簡と呼ばれるエペソ書、ピリピ書、コロサイ書、ピレモン書を書いた頃のパウロは、すっかりきよめられていたように思います。何がパウロをきよくし、変えて行ったのか、そのことを見て来ています。
一つは、パウロが弱い者にされたということです。パウロは行く先々で迫害の苦難に遭いました。またパウロ自身が肉体の「とげ」と呼ぶ病気を与えられて苦しみました。また、アジアでみことばを語るつもりで第二次伝道旅行に出発したのに、聖霊によってアジアでみことばを語ることを禁じられました。そういう経験が、自分の思いを手放して御霊にすべてを委ねることにつながり、きよめられて行ったのだろうと思います。自分の進むべき道を御霊に委ねて御霊に心を明け渡すなら、そのことが御霊の実を結ぶことにもつながります。御霊の実とは、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。自分の進むべき道を御霊に委ねることと、御霊の実を結んできよめられることとは、同時進行で進むのだろうということを話しました。
また先週は、パウロに良き協力者たちが与えられたこともまた、パウロを変えて行ったのだろうという話をしました。主はパウロの第二次伝道旅行のヨーロッパでの最初の宣教地のピリピで紫布の商人のリディアを協力者として与えました。紫布はとても高価であったということですから、高価な商品を扱うリディアはとても裕福でした。彼女はパウロのヨーロッパ伝道への金銭的な援助を惜しまなかったことでしょう。
また主は、パウロが第三次伝道旅行のヨーロッパ伝道の最終盤にコリントで書いたローマ人への手紙をローマへ届けた奉仕者のフィベを協力者として与えて下さいました。これらの協力者たちの中にパウロは自分にはない優れた部分を見て教えられ、このことでパウロの中に御霊の実が多く結ばれて、きよめられて行ったのではないか、そんな話をしました。
②本題:a) パウロと天幕を作ったアキラとプリスカ
では、きょうの本題に入って行きます。きょうも先週の続きで、パウロに与えられた良き協力者についてです。きょうはアキラとプリスカに注目します。
その前に、パウロの第二次伝道旅行でのヨーロッパ伝道の経路を簡単に見ておきたいと思います。16章の11節と12節、
使徒16:11 私たちはトロアスから船出して、サモトラケに直航し、翌日ネアポリスに着いた。
12 そこからピリピに行った。この町はマケドニアのこの地方の主要な町で、植民都市であった。私たちはこの町に数日滞在した。
12 そこからピリピに行った。この町はマケドニアのこの地方の主要な町で、植民都市であった。私たちはこの町に数日滞在した。
ここは先週ご一緒に見た箇所ですが、アジアのトロアスから船でヨーロッパに渡ったパウロたちはピリピの町に入りました。それから17章の1節を見ると、テサロニケに行ったことが分かります。
使徒17:1 パウロとシラスは、アンピポリスとアポロニアを通って、テサロニケに行った。
そして、次に10節、
10 兄弟たちはすぐ、夜のうちにパウロとシラスをベレアに送り出した。
さらに15節、
15 パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行った。
そして18章1節、
使徒18:1 その後、パウロはアテネを去ってコリントに行った。
このようにパウロはピリピからべレア、アテネ、そしてコリントへと移動しました。ここで、後ろの地図13を見ましょう。
(地図13)
では、使徒18章に戻ります。コリントの町でパウロはアキラとプリスキラの夫妻に遭いました。2節、
2 そこで、ポントス生まれでアキラという名のユダヤ人と、彼の妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命じたので、最近イタリアから来ていたのである。
アキラとプリスキラの夫妻は元々はアジアの北方のポントスの出身でしたが、所属していた教会はローマの教会でした。しかし、ローマの皇帝のクラウディウス帝がユダヤ人をローマから追放したために、コリントに来ていました。2節の続き、
2 パウロは二人のところに行き、3 自分も同業者であったので、その家に住んで一緒に仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。
アキラとプリスキラがパウロと同じ天幕作りの技術を持っていたことで、この三人は相当に親密な関係になったことが想像できます。当時、コリントの町にはまだクリスチャンはほとんどいなかったことでしょう。パウロが来たことで教会が建て上がったからです。ですから、互いに少数派のクリスチャン同士ということだけでも意気投合して、しかも同じ天幕作りの技術を持っていたことで、相当に親密な関係を築くことができたのでしょう。そうして、パウロはこのコリントの町に1年半という、かなり長い間、滞在しました。9節から11節、
9 ある夜、主は幻によってパウロに言われた。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。
10 わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」
11 そこで、パウロは一年六か月の間腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。
10 わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」
11 そこで、パウロは一年六か月の間腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。
b) パウロの伝道旅行に同行した二人
そして、パウロは1年半後にコリントを離れました。その時にプリスキラとアキラも同行しました。18節にそのことが記されています。
18 パウロは、なおしばらく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリアへ向けて船で出発した。プリスキラとアキラも同行した。
そして、彼らはエペソの町に入りました。19節、
19 彼らがエペソに着くと、パウロは二人を残し、自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じ合った。
この時、パウロはエペソには短期間しか滞在しませんでした。20節と21節、
20 人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、パウロは聞き入れず、
21 「神のみこころなら、またあなたがたのところに戻って来ます」と言って別れを告げ、エペソから船出した。
21 「神のみこころなら、またあなたがたのところに戻って来ます」と言って別れを告げ、エペソから船出した。
この時、プリスキラとアキラはエペソにとどまったようです。それは24節から26節に、次の記述があるからです。
24 さて、アレクサンドリア生まれでアポロという名の、雄弁なユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。
25 この人は主の道について教えを受け、霊に燃えてイエスのことを正確に語ったり教えたりしていたが、ヨハネのバプテスマしか知らなかった。
26 彼は会堂で大胆に語り始めた。それを聞いたプリスキラとアキラは、彼をわきに呼んで、神の道をもっと正確に説明した。
25 この人は主の道について教えを受け、霊に燃えてイエスのことを正確に語ったり教えたりしていたが、ヨハネのバプテスマしか知らなかった。
26 彼は会堂で大胆に語り始めた。それを聞いたプリスキラとアキラは、彼をわきに呼んで、神の道をもっと正確に説明した。
アポロがエペソに来た時、そこにプリスキラとアキラがいたということですから、この夫妻はパウロに同行しないで、エペソにとどまっていました。アポロはヨハネのバプテスマしか知らなかったということですので、イエス様が聖霊のバプテスマを授ける方であることまでは知らなかったようです。プリスキラとアキラは26節にあるように、アポロに神の道をもっと正確に説明しました。
c) エペソを離れてローマに戻った二人
そして、プリスキラとアキラはその後にエペソを離れて以前いたローマに戻ったようです。パウロのローマ人への手紙16章3節と4節に、次のように書かれているからです(週報p.2)。
ローマ16:3 キリスト・イエスにある私の同労者、プリスカとアキラによろしく伝えてください。
4 二人は、私のいのちを救うために自分のいのちを危険にさらしてくれました。彼らには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。
4 二人は、私のいのちを救うために自分のいのちを危険にさらしてくれました。彼らには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。
これはローマの教会に宛てた手紙ですから、この時、プリスカとアキラはローマにいました。クラウディウス帝によるユダヤ人追放令が解除になり、それでローマに戻ることができたのでしょう。ローマの教会ではユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンとの対立が深刻になっていましたから、パウロはこの情報をプリスカとアキラから手紙を通じて教えてもらっていたのかもしれませんね。
③適用:状況に応じて、主のために最善の働きをする
パウロがコリントの町で出会ったプリスカとアキラがその後、エペソの町までパウロと一緒に行った様子を見ると、この三人がいかに親密な関係にあったかが分かり、ついプリスカとアキラがパウロに仕えていたかのように思ってしまいそうになります。しかし当然ですが、プリスカとアキラはパウロに仕えていたのではなく、主に仕えていたのですね。二人はその時の状況に応じて、主のために最善の働きをしていました。
ローマではローマの教会でローマの人々への伝道を熱心に行っていたことでしょう。しかし、クラウディウス帝のユダヤ人追放令でローマを離れなければならなくなりましたが、コリントの町でパウロと出会いました。それは主の計らいであったように思います。プリスカとアキラはパウロとコリントの町で1年半を共に過ごすことで、パウロから多くのことを学んだことでしょう。そして、パウロから学んだことを用いて、エペソでも良い働きをして、やがてユダヤ人追放令が解除されたローマに再び戻って行きました。ローマでの働きもまた、期待されていたということでしょう。このように、プリスカとアキラはその時の状況に応じて、主のために最善の働きをしました。
本日の聖句のローマ12:11をもう一度、お読みします。
ローマ12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。
プリスカとアキラは、まさに勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えていた奉仕者であったと思います。そんな二人をパウロはすぐれた者として尊敬していたことでしょう。この11節の一つ手前の10節は、先週ご一緒に分かち合った聖句です。ローマ12:10です(週報p.2)。
ローマ12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。
パウロはプリスカとアキラをすぐれた者として尊敬し、そしてプリスカとアキラももちろんパウロをすぐれた伝道者として尊敬していました。プリスカとアキラ、そしてパウロは兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合う者同士でした。
この三人は御霊の導きによって巡り会ったとも言えるでしょう。そして、そのことでさらに御霊の実が結ばれて、きよめられていったことでしょう。プリスカとアキラは御霊に導かれてローマに戻り、パウロも御霊に導かれて、エルサレムに戻って捕らえられ、やがて囚人としてローマに送られました。
私たちもまた御霊にすべてをお委ねして、御霊に導かれながら、勤勉で怠らず、霊に燃え、主にお仕えするお互いでありたいと思います。御霊は様々な人との新しい出会いも与えて下さるお方ですから、このことも覚えて感謝したいと思います。
これらのことに思いを巡らしながら、しばらくご一緒に、お祈りしましょう。
ローマ12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。