平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

38年間の病気からの癒し(2013.11.27 祈り会)

2013-11-27 16:10:06 | 祈り会メッセージ
2013年11月27日祈り会メッセージ
『38年間の病気からの癒し』
【ローマ3:28~30、ヨハネ5:1~9】

はじめに
 先聖日は幸いな聖餐式礼拝と愛餐会がありました。そして、その後で、クリスマスの飾り付けをすることができたことも、また感謝でした。その時、この教会には、この教会が長い間、慣れ親しんで来た方式というものがあることも改めて教えていただきました。私が一番、「へ~、そうだったんだ~」と感じたのは、クリスマスツリーを外に飾っていたということでした。私自身がこれまで慣れ親しんで来た教会のクリスマスは、ツリーは会堂の中にありました。それで、外に置くことには違和感を感じたので、中に置かせてもらうことにしました。しかし、小さい時からこの教会の方式に慣れ親しんで来たY姉などにとっては、ツリーを中に置くことのほうが違和感を感じるようですね。人は慣れ親しんだことを変えることには抵抗感を感じます。今回はツリーを外に置くことに私が違和感を感じましたので、ちょっと強引かもと思いましたが、中に置かせていただくことにしました。私も案外強情だなと自分自身で思ったことです。ツリーを外に置こうが中に置こうが、これは慣れ親しんで来た慣習の問題で、信仰には関係がないことです。信仰的には関係がありませんから、どちらでも良いことです。どちらでも良いことに強情を張った私も大人げないという思いもしていますが、キャンドルサービスの時などのことを考えると、やはり中に置いたほうが良いのだろうと思っています。

1.断ち切り難い慣習
 さて、ツリーを外に置くか中に置くかの慣習に関しては、信仰的にはどちらでも良いことです。しかし、慣習によっては、どちらでも良いわけではないというものもあります。信仰のことを考えるなら、断ち切るべき慣習もあります。しかし、人は慣れ親しんだ慣習を断ち切るのは、なかなか難しいことです。
 私は教会に通うようになる前までは、神社に参拝するのが好きでした。ちょうど20年前のことになりますが、私は名古屋の大学を退職しました。当時、私は助手でしたが、研究室の教授に付いて行くことができなかったからです(その約5年後に関係は回復できましたが)。それで、それまでの専門分野の世界ではもう生きては行けないだろうと思って、次に何を仕事にして生きて行くべきか考えに考えて、日本語教師となることに決めました(どうして日本語教師を選んだかは省略します)。そして、日本語学校の日本語教師養成科に入って勉強しつつ、とにかく何が何でも日本語教育能力検定試験に合格することを目標に掲げました。この日本語教育能力検定試験に合格すれば自動的に日本語教師になれるわけでもなく、長年日本語教師をしている先生の中には検定試験を受けたことが無い先生もたくさんいました。ですから、検定試験の合格が日本語教師になるための必要条件というわけではありません。しかし、私のように日本語教師としての実績が何も無い者にとっては、検定試験に合格しなければ話にならないと思いましたから、何が何でも合格しなければならないと思いました。それで私は、約半年間、受験勉強をするとともに毎日のように神社に行って「検定試験に合格しますように」とお祈りしていました。今の私の解釈では、この時の私の必死の祈りを聖書の神様が聞いて下さったから検定試験に合格でき、そのおかげで東京の大学の留学生センターへの就職も決まり、やがて高津教会に導かれたのだと思います。当時の私は聖書のことを知りませんでしたから、神社にお参りしていたことも、仕方のないことであったと言えるでしょう。しかし、聖書の神様を知ったからには、神社への参拝という慣習は断ち切らなければなりません。
 私が洗礼を受けたいと思い始めた時に、最も断ち切り難かった慣習が、この神社への参拝でした。しかし、この神社への思いを断ち切って洗礼を受けて多くの恵みを受けることができましたから、感謝なことでした。

2.異邦人もユダヤ人の慣習に従うべきか
 さて、前置きはこれぐらいにして、今日の説教の箇所に入って行きますが、紀元1世紀の「使徒の時代」のユダヤ人たちにとっても、「律法の行い」は大切な慣習でした。ユダヤ人でイエス・キリストを信じた人々も、「律法の行い」を大切にしていました。これはこれで、別に問題ではありません。イエスを信じた日本人が神社への参拝をやめなければならないのは、神社が祀っている神と聖書の神様とが異なるからです。しかし、ユダヤ教の神様とキリスト教の神様は同じ神様ですから、イエス・キリストを信じたユダヤ人が「律法の行い」をやめる必要はありません。問題なのは、ユダヤ人の慣習を持たない異邦人がイエスを信じたら、その異邦人もユダヤ人の慣習である割礼を受けなければならないという割礼派が存在したことでした。
 パウロは、この割礼派と激しく闘いました。ガラテヤ人への手紙の中でパウロは、割礼派に惑わされるガラテヤ人のことを、「ああ愚かなガラテヤ人」(ガラテヤ3:1)と言って嘆いています。さらにパウロはもっと過激に、割礼派のことを次のように言っています。「あなたがたをかき乱す者どもは、いっそのこと切り取ってしまうほうがよいのです」(ガラテヤ5:12)。切り取ってしまうほうが良いとは、去勢したほうが良いということですから、パウロはかなり過激なことを言っていますね。
 きょうの聖書箇所のローマ人への手紙3章も、この割礼の問題に関してです。もう一度、交代で読みましょう。

3:28 人が義と認められるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。
3:29 それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人にとっても神ではないのでしょうか。確かに神は、異邦人にとっても、神です。
3:30 神が唯一ならばそうです。この神は、割礼のある者を信仰によって義と認めてくださるとともに、割礼のない者をも、信仰によって義と認めてくださるのです。

 28節でパウロが言っている「律法の行い」とは割礼のことです。29節と30節を合わせて読むと、そのことがわかると思います。ただ、28節を単独で読むなら、「律法の行い」とは単に割礼だけのことではなく、「善い行い」全般のことのようにも見えて来ます。
 いま私は月に2回、お茶の水でローマ人への手紙を学ぶ機会を得て感謝に思っているところです。ルター以来のプロテスタントの伝統的な解釈では、「律法の行い」というと、「善い行い」を積み上げることであって、善い行いの積み重ねでは人は義と認められず、信仰によってのみ義と認められるのだということになっています。しかし、「律法の行い」はユダヤ人と異邦人を区別する割礼などの行いに限定してパウロの手紙を解釈したほうが良いという説もあることを、お茶の水で学んでいます。パウロは割礼派と闘っていましたから、割礼を受けているユダヤ人も割礼を受けていない異邦人も同じように信仰があれば義と認められるし、信仰が無いなら義と認められないと言っているというわけです。「律法の行い」は「善い行い」全般に拡張して考えなくても、単にユダヤ人と異邦人とを分ける、割礼などの慣習に限って解釈したほうが良いという説です。私もそのように、考えたほうが良いのではないかと感じています。というのは、そう考えることで、ヨハネの福音書の5章も良く理解できるようになるからです。

3.慣習にとらわれてイエスを見ない病人
 ヨハネ5章に登場する「三十八年もの間、病気にかかっている人」の背後に何が存在するのか、「38年」と「病気」は何を表すのかの解読は難しい問題です。しかし、今話して来たような「使徒の時代」における「律法の行い」の問題が背後にあると考えるなら、上手く説明できそうです。
 まず「38年」が何を表すかですが、イエスの十字架が紀元33年であったするなら、紀元70年の神殿崩壊までの年数がちょうど「38年」になります。イエスが十字架に掛かって死んだ年は様々な要因を考え合わせると紀元30年または33年のどちらかになるそうです〔岩上敬人『パウロの生涯と聖化の神学』p.26〕。どちらかと言えば紀元30年のほうが有力のようですが、十字架の年を紀元33年として、ローマ軍の攻撃によりエルサレムの神殿が崩壊した紀元70年までの期間を「38年間」とするなら、「病気」を「神殿礼拝」とすることで説明することが可能になります。
 律法には、男子は年に三度、エルサレムに上って神殿を礼拝しなければならない規定がありました(申命記16:16)。しかし、イエスはヨハネ4章でサマリヤの女に神殿礼拝のことで言いました。「あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。今がその時です。…神は霊ですから、神を礼拝する者は、例とまことによって礼拝しなければなりません」(ヨハネ4:21,24)。また共観福音書には、イエスが十字架で死んだ時に神殿の幕が真っ二つに裂けたことが記されています(マタイ27:51、マルコ15:38、ルカ23:45)。こうして、イエスの十字架での死により、神殿で神を礼拝する目的でわざわざエルサレムに上る必要はなくなりました。大切なのは霊とまことによって礼拝することで、神殿で礼拝することではないのです。
 神殿で礼拝する必要がなくなったことは異邦人にとっては朗報です。異邦人は汚れた者として神殿に入ることは許されなかったからです。もし入るとしたら、ユダヤ教に改宗して割礼を受ける必要がありました。使徒の働きにはイエスを信じた者も割礼を受ける必要があると主張する割礼派と不要であるとする者との間で激しい対立と論争があったことが使徒の働きに記されています。割礼派は「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていました(使徒15:1,2)。この割礼派のことをパウロがガラテヤ人への手紙で激しく批判したことは、さきほど話した通りです。
 ヨハネ5章に登場する病人は弱い立場の人です。この38年間病気であった人の「病気」とは、神殿で神を礼拝しなければ自分は救われないと信じ込んでいたことではないでしょうか。信仰の弱い人は、それまでの慣習からなかなか脱することができません。ただ単にイエスへの信仰のみがあれば救われるのに、律法の行いが必要であるという考えから、なかなか抜け出ることができません。ヨハネ5章の病人も、イエスが「よくなりたいか」と聞いているのに、病人は「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです」(7節)と答え、池に入らなければ病気が治らないと信じ込んでいました。イエスへの「信仰」ではなく、「行い」のほうに気を取られていました。
 イエスが十字架で死んだ時に神殿の幕が真っ二つに裂けてから38年後にローマ軍の攻撃によって神殿は崩壊し、神殿そのものが無くなりました。信仰の弱い人たちは38年間神殿に礼拝しなければ自分は救われないと信じていましたが、神殿が無くなったことで、イエスを信じる信仰に立つことができるようになりました。

4.礼拝が単なる慣習になっていないか
 この慣習の問題には、いろいろと考えさせられます。例えば、礼拝についてです。礼拝が単なる慣習になってしまっているなら、あまり意味はありません。事情はそれぞれだと思いますが、今まで礼拝に来ていて礼拝に来なくなるような人は、礼拝が単なる慣習になってしまっていたのかもしれません。礼拝が単なる慣習で、礼拝に出てもたいして恵みが得られないのであれば、今礼拝に出ている人でも、やがて礼拝に出なくなるかもしれません。
 礼拝で何より大事なのは、イエス・キリストとの霊的な交わりができる雰囲気が形成されているかどうか、ではないかと私は思います。礼拝でイエス・キリストとの交わりを感じることができないのであれば、やがて人は離れて行くでしょう。ヨハネ5章でイエスが病人に「よくなりたいか」と話し掛けているのに、「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません」などと言うようなことになってしまいます。せっかくイエスが話し掛けているのにイエスと交わろうとしないで、池に入ることばかり考えるようなことであってはいけないと思います。

おわりに
 私たちは礼拝を単なる慣習としてではなく、霊とまことによって礼拝を捧げることができる者たちでありたいと思います。新会堂を実現できるかどうかも、そこに掛かっているのではないかと思います。
 お祈りいたしましょう。
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見よ。わたしは新しい事をする(2013.11.20 祈り会)

2013-11-21 09:47:09 | 祈り会メッセージ
2013年11月20日祈り会メッセージ
『見よ。わたしは新しい事をする』
【イザヤ43:14~21】

はじめに
 先週と先々週はイザヤ書の40章を開きました。きょうは43章です。きょうの注目は、もちろん19節の、
「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。」
です。

1.滅びた町への帰還という新しい事
 この43章の文脈の中では、「新しい事」というのは、バビロン捕囚からの解放のことでしょう。14節で主は、次のように仰せられています。

「あなたがたのために、わたしはバビロンに使いを送り、彼らの横木をみな突き落とし、カルデヤ人を喜び歌っている船から突き落とす。」(イザヤ43:14)

 カルデヤ人というのはユダの王国を攻め滅ぼして、ユダの民をバビロンに捕囚として引いて行った民族のことです。この時のバビロニヤ帝国は繁栄していましたが、その繁栄は長くは続かずにペルシヤ帝国によって滅ぼされました。そして、ペルシヤの王のクロス王によってユダの民はバビロン捕囚を解かれて、エルサレムへの帰還が許されました。14節の、「わたしはバビロンに使いを送り、彼らの横木をみな突き落とし、カルデヤ人を喜び歌っている船から突き落とす」とは、ペルシヤ人によってカルデヤ人が滅ぼされることを預言していると考えられます。
 このようにして一度、外国によって攻め滅ぼされて住民が捕囚として引かれて行った後に帰還が許されてエルサレムの再建ができることは、まさに「新しい事」と言えます。普通は、外国に捕囚として引かれて行ってしまえば、それで終わりです。1年や2年ならまだしも、何十年も外国で暮らすなら、次第に民族としてのアイデンティティは失われてしまうでしょう。これが、もともと住んでいた場所が滅びたわけではなく、単に外国に移住しただけというなら、わかります。ルツ記のナオミなどはモアブの地に移住しましたが、またベツレヘムに戻りました。それは、ベツレヘムがききんの中にあっても滅びずに存続していたからです。ですから、ナオミは再びベツレヘムに戻ることができました。しかし、エルサレムの場合はバビロニヤ帝国によって滅ぼされて神殿は崩壊し、城壁も崩されて町全体が廃墟になってしまいました。北王国のサマリヤも滅ぼされてイスラエルの民族はアッシリヤに連行された後に戻ることはありませんでした。普通はそのように戻ることなど不可能でしょう。しかし、主はエルサレム帰還という新しいことを為すことを、イザヤを通じて預言しました。

2.神にしか為しえない「新しい事」
 イザヤ43:19の「見よ。わたしは新しい事をする」は、とても良く見る聖句だと思います。教団の教報でも、良く見ます。新しい年になると、見る機会が多いようにも感じます。何をもって「新しい事」と考えるかは、人それぞれのようです。今年のクリスマスは昨年までとは違う、異なることをしようという思いが与えられた時に「見よ。わたしは新しいことをする」を引いて来る場合もあるでしょう。私たちは何事も自分たちだけではできませんから、何か新しい試みをする時にこのイザヤ書の「見よ。わたしは新しいことをする」を引用しても、それはいっこうに構わないと思います。しかし、気を付けなければいけないのは、去年まで行っていたことで少し方式を変える程度のことでしたら、それは自分の意志でも十分に可能なことだということです。ですから、もしかしたら神の意志ではなく自分の意志で行っているのかもしれません。もちろん、どんな小さなことにも神様は関与して下さっているという信仰は大切ですから、今年の新しい試みは神の意志によるものだと信じる信仰は尊いと思います。ただ私は個人的には、この「見よ。わたしは新しいことをする」は、人間の力では到底為し得ないことを、神様が為そうとしている時にこそ使うべきであろうと思っています。「見よ。わたしは新しいことをする」は、いよいよ本当にこれまでにない新しいことを主が行おうとしていると感じた時にのみ、使うべきなのだろうと私は個人的には思っています。

3.「見よ。わたしは新しいことをする」という主の語り掛け
 そういう意味で、私自身はこれまで主からの「見よ。わたしは新しいことをする」という語り掛けを受けたと感じたことはありませんでした。私自身は、いつも新しい事をしたいと思っているタイプの人間ですから、年がら年中、「新しい事をしたい」と思っています。しかし、主ご自身が「見よ。わたしは新しいことをする」とおっしゃっていることを、ひしひしと感じることはありませんでした。それは、先週の時点でもそうでした。先週はイザヤ40章を開きました。その先週の時点で、次の週はどこを開こうかは、全く決まっていませんでした。いちおう11月いっぱいはイザヤ書を開こうということまでは決めていますが、イザヤ書のどこを開こうかとは決めていませんでした。もしイザヤ43章から語り掛けを受けていたなら、先週の時点で次は43章だと考えたことと思いますが、そういう語り掛けは全く受けていませんでした。
 ところが、今週に入って、にわかに「見よ。わたしは新しいことをする」が心に響いて来るようになりました。それは、一つの要因としては、私がヨハネの福音書に関する本を、年内には、どんなことがあっても書き上げたいと思っていることによります。夏の時点では、秋には書き上げたいと思っていましたが、もう冬の入口まで来てしまいました。今、まだ全体の3分の2ぐらいしか書けていません。ですが、何が何でも年内には書き上げたいと思っています。執筆が遅れている要因は、やっぱり霊的に感じる部分を、文章と図でどう説明したら良いか、非常に難しいです。それで、行き詰ってばかりで、なかなか前に進みません。月曜の晩にNHKの『プロフェッショナル仕事の流儀』にアニメーションの宮崎駿監督が登場するというので、観ました。宮崎監督が頭をかきむしりながら絵コンテと格闘している姿が印象的でした。何だかすごくわかりました。私ごときが宮崎監督の苦労がわかるなんて、とてもおこがましいですが、でもわかります。例えば、法務局に提出する文書を作成するような作業でしたら、ものすごく面倒ですが、書式が決まっていますから、ある程度時間を掛ければ必ずできることです。なかなかやる気になりませんが、やる気さえ出れば、あとは時間を掛ければできることです。しかし、霊的なことを、どう読者にわかってもらうかを文章と図で説明することに関しては、時間を掛ければできるというものではありませんから、本当に難しいです。それで、なかなか前に進みません。それでも、少しずつですが、進みます。そうすると、ヨハネの福音書の霊的な世界を多くの方々に知ってもらえるという可能性が何となく見えて来て、主が「見よ。わたしは新しい事をする」とおっしゃっているような気が段々として来ています。ヨハネの福音書はこれまでイエスの地上生涯を描いた福音書であると思われて来ましたから、実は永遠の中を生きるイエスを描いたものであることが多くの方々に理解してもらえるなら、本当に新しい事、新しい世界が開けると感じています。

4.主が日本で為そうとしている「新しい事」
 さて、今日はあと二つ、私が新しい事が始まる予感を感じている事柄をお話しさせていただきます。
 きょうの朝日新聞の天声人語にアメリカの新しい駐日大使のケネディ氏のことが書かれていました。ケネディ大使は20歳の時に広島を訪れたことがあるのだそうですね。広島で心が動かされ、「より良い平和な世界の実現に貢献したいと切に願うようになった」ということです。このエピソードは前にも読んだことがありますが、今朝また、このことを読んで、主が、「見よ。わたしは新しい事をする」とおっしゃっていることを何となく感じました。以前、この祈り会でお証ししたことがありますが、広島の原爆資料館のロビーには、私の名を刻んだタイルがはめ込まれたタイル画があります。ですから、私は広島には格別の思い入れがあります。ケネディ大使の広島体験の記事を読んで、私には何か新しい事が始まる予感がしています。
 そして、きょうは、もう一つ、話したいことがあります。それは今週三島で観た、『飛べ!ダコタ』という映画のことです(掲示板にチラシを貼っておきました)。沼津では上映しませんが、三島では12/6まで上映しています。いま私は忙しいですが、この映画はどうしても観ておきたかったので、今週観て来ました。とても良かったです。今年私が映画館で観た映画の中でNo.1だと思いました。どういう映画か、ホームページの解説の部分を、そのままお読みします。

【解説】(公式サイトより)
「これは、いまから67年前に、実際にあった出来事である。昭和21年1月14日――太平洋戦争の終結からわずか5ヶ月後のこと。佐渡島の小さな村に、イギリス軍の要人機《ダコタ》が不時着した。わずか5ヶ月前まで、敵国だったイギリス兵の予期せぬ来訪に、驚き、戸惑う村民たち。だが、『困った人を助けるのが「佐渡ん人間(さどんもん)』の精神を貫き、国境を越えた友情と絆を育み、《ダコタ》をふたたび大空へと飛び立たせたのだ。そこには、日英共に戦争という忘れ難い痛みと憎しみを乗り越え、再生と平和への一歩を踏み出そうとする、願いと決意が込められていた。
 それから、64年の歳月が流れて、《ダコタ》の修理を行った整備士の息子が、佐渡を来訪するという出来事があった。彼は、すでに他界した父がこの地で大変お世話になったこと。そして、もう一度、佐渡に行きたいと思いを馳せながら死んだことを告げた。国境を越えた絆は、いまでも人々の心に脈々と生き続けていたのだ。これを機に、『この事実を風化させてはならない』と願う、地元フィルムコミッションの働きかけによって、総製作費約2億円を投じて、ついにその映画化が実現した。」

 私はこの映画を観て、佐渡の人々が取った行動は、非常に聖書的だと思いました。佐渡の人々はほとんど聖書を知らなかっただろうと思いますが、聖書的な行いをすることができました。この佐渡の人々のような聖書的な心は、日本人の多くも持っていることと思います。つまりそれは、日本人が聖書を受け入れる素地が十分に出来ているということだと思います。日本人は「福音の文化」を形成する担い手としての優れた資質を持つのだと思います。日本人は信仰の優等生候補と言えるのではないかと思いました。
 それで私は思ったのですが、聖書を知らない日本人の信仰のことを、私たちはついつい「幼稚な信仰」として見ている部分があるのではないか、そのように思いました。そして、聖書を知らない人を信仰の幼稚園児のように扱っている部分がないか、大いに反省すべきではないかと思いました。
 これから私たちは、日本人は実は信仰の優等生になる可能性が極めて大きいのだという期待感を持って伝道に励むべきではないかと、いま私は強く思わされています。そのためには、これまでのようなアプローチではなく、新しい何かが必要だろうと思います。それが何かは、私たち皆が、主が「見よ。わたしは新しい事をする」とおっしゃっていることを感じることで、見えて来るのではないか、そんな気がしています。

おわりに
 私たちの教会が力強く前進して行くためには、教会員の多くが、主が「見よ。わたしは新しい事をする」とおっしゃっていることを感じることができるようになることが必要ではないかと思います。
 そのような私たちの教会でありたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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永遠に立つ神のことば(2013.11.13 祈り会)

2013-11-13 20:58:14 | 祈り会メッセージ
2013年11月13日祈り会メッセージ
『永遠に立つ神のことば』
【イザヤ40:1-8】

はじめに
 前回、この祈祷会の司会は私でした。その時、メッセージの前の前半の時間では、ヨハネの福音書の1章を開き、後半のメッセージでこのイザヤ40章を開きました。先週、当初の予定ではヨハネ1章とイザヤ40章を結び付けて語ることを考えていましたが、イザヤ40章2節の「二倍のものを主の手から受けた」について語ることに多くの時間を費やして、ヨハネと関連付けるところまで行きませんでした。きょうは、私が感じているイザヤ40章とヨハネ1章との強い関係をしっかりと中心に据えて話をします。

1.ヨハネの「永遠」が絡むイザヤ40章
 きょうのイザヤ40章の1節から8節の中には、ヨハネ1章との強い関係を私が感じる場所が2箇所あります。それは、3節の「荒野に呼ばわる者の声がする。『主の道を整えよ』」というみことばと、8節の「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」です。特に8節はヨハネの福音書と極めて強い関係にあると私は感じています。

「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」

 ヨハネの福音書は1章1節で「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」と書いています。ヨハネは福音書の冒頭で先ずイエス・キリストは「ことば」であることを宣言して、そして永遠の中を生きるイエス・キリストを描いています。マタイ・マルコ・ルカの共観福音書はイエスの地上生涯を描いていますが、ヨハネの福音書はイエスが「旧約の時代」と「イエスの地上生涯の時代」と「使徒の時代」を同時に生きていることを示して、イエスが永遠の中を生きていることを示しています。こうして見ると、
 「私たちの神のことばは永遠に立つ」というみことばと、
 「イエスはことばである」ということ、そして、
 「イエスは永遠の中を生きている」ということの
三つは三つ編みのように絡み合っていると言えます。この三つのことばが三つ編みのように絡み合っているのなら、イザヤ40章とヨハネ1章ともまた、絡み合っていると言っても良いだろうと私は感じています。
 そして、もう1つの、イザヤ40章3節の、
 「荒野に呼ばわる者の声がする。『主の道を整えよ』」
このみことばを、ヨハネの福音書は1章において引用しています。ここで面白いのは、ヨハネは単にイザヤのこのみことばを引用しているだけでなく、この引用の場においてもまた、「永遠」を描いているということです。
 そのことについて、きょうは少し詳しく説明したいと願っています。

2.三人の「主の道をまっすぐにせよ」と叫ぶ者
 では、このイザヤ40:3の
  「荒野に呼ばわる者の声がする。『主の道を整えよ』」
を頭に入れておいていただいて、ヨハネの福音書の1章23節を見て下さい。このヨハネ1章23節は、先週の前半でも見ましたが、

1:23 彼は言った。「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ』と荒野で叫んでいる者の声です。

とあります。イザヤは「主の道を整えよ」で、ヨハネは「主の道をまっすぐにせよ」となっていますが、これらは同じ意味ですね。このヨハネ1:23にも「永遠」を見ることができます。なぜなら、この「彼は言った」の「彼」が、「バプテスマのヨハネ」と「使徒ヨハネ」と「アブラハム」の三つの異なる時代の人物が重なっているからです。
 ここに登場する「彼」、すなわち「ヨハネ」は、「バプテスマのヨハネ」というよりは「使徒ヨハネ」のことである、ということは先週も話しましたが、今週もおさらいすることにします。そして、その後で、この「ヨハネ」が「アブラハム」でもあることを説明します。この「ヨハネ」が「アブラハム」でもあることも、以前話したことがあるかもしれませんが、「ヨハネ」が「アブラハム」と「バプテスマのヨハネ」と「使徒ヨハネ」の三人の異なる時代の人物が重ねられていることは、まだ話していないと思いますから、きょうは、そのような形で話させていただきます。

3.「ヨハネ」は「使徒の時代」の使徒ヨハネ
 まず先週話したことですが、19節から見ると、ユダヤ人たちが遣わした祭司とレビ人からヨハネは「あなたはどなたですか」と聞かれました。そして21節で、「あなたはエリヤですか」と聞かれました。この「あなたはエリヤですか」という質問に対して「ヨハネ」は「そうではありません」と明確に否定しています。
 エリヤではない、ということは、「ヨハネ」はバプテスマのヨハネではない、ということです。マタイの福音書(11章11~14節)でイエスは次のように言っています。

11:11 まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です。
11:12 バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。
11:13 ヨハネに至るまで、すべての預言者たちと律法とが預言をしたのです。
11:14 あなたがたが進んで受け入れるなら、実はこの人こそ、きたるべきエリヤなのです。

 このように、マタイの福音書のイエスはバプテスマのヨハネがエリヤであることを言っています。そして、ヨハネの福音書の「ヨハネ」は自分はエリヤではないと言っていますから、「バプテスマのヨハネ」ではないことになります。では、誰かと言えば、まず考えなければならないのは、「使徒ヨハネ」ですね。使徒ヨハネは、このヨハネの福音書を書いて、私たち読者をイエス・キリストのもとに導いてくれました。35節を見て下さい。

「その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていた」とあります。この二人のうちのひとりはアンデレであったことが40節に書いてあります。しかし、もう一人の名は書いてありません。実は、もう一人は私たち読者です。私たち読者は35節で使徒ヨハネに導かれてイエスのもとに連れて行ってもらいました。そして私たちは38節と39節でイエスから直接声を掛けてもらいました。
 「あなたがたは何を求めているのですか」
 「来なさい。そうすればわかります」
こうして、私たちはイエス・キリストに付いて行き、やがて十字架の場面を目撃することになりました。ですから、ここにいる「ヨハネ」とは、「バプテスマのヨハネ」ではなくて「使徒ヨハネ」です。しかし「バプテスマのヨハネ」が全く存在しないわけではありません。この福音書では、「バプテスマのヨハネ」を使って「使徒ヨハネ」を表していますから、「バプテスマのヨハネ」も一応は存在しています。

4.「ヨハネ」は「旧約の時代」のアブラハム
 そして、このヨハネ1章の「ヨハネ」はアブラハムでもあります。1章28節に、

「このことがあったのは、ヨルダンの向こう岸のベタニヤであって、ヨハネはそこでバプテスマを授けていた」(ヨハネ1:28)

とあります。この時ヨハネはヨルダン川の向こう岸にいたとありますから、これは、「旧約の時代」に、アブラハムがまだ父テラと共にウルとハランにいた時のことを表しています。ウルの地は、ユーフラテス川の流域にありますから、エルサレムから見ればヨルダン川の向こう岸にあります。そしてアブラハムは父テラとともにハランまで来ました。ハランもまだヨルダン川の向こう側にあります。そして、ハランにいたアブラハムに対して、神からのことばがありました。これからその創世記の箇所を見ますが、その前にヨハネ1章29節を見て下さい。28節にヨハネがヨルダンの向こう岸にいたことが書いてあって、29節に、「ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て」と書いてあります。イエスがヨハネの方に近付いて行ったのですね。つまり、これは、神の側からアブラハムに近付いて行ってアブラハムに声を掛けたことを表しています。
 創世記の11章の終わりと12章を見ましょう。11章31節には次のように書いてあります。

「テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはハランまで来て、そこに住みついた。」(創世記11:31)

 アブラム(アブラハム)と父テラはウルを出てハランまで来て、そこに住みつきました。そして32節に父テラはそこで死んだとあります。そして12章1節から3節に神はアブラムに近付いて話し掛けました。

12:1 【主】はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

 こうして、アブラムはハランの地を出立してカナンに向かいました。アブラムが神のことばを聞き、そのことばに従った時からイスラエルの歴史が始まり、アブラハムは「信仰の父」と呼ばれるようになりました。
 こうしてイスラエルの歴史が始まり、イスラエルの信仰の歴史もまたアブラハムから始まったわけですから、ヨハネ1章23節でヨハネが言ったように、アブラハムはまさに、「主の道をまっすぐにせよ」と荒野で叫んでいる者の声でした。

おわりに
 こうしてアブラハムは「旧約の時代」においてイスラエルの信仰の道を整えました。使徒ヨハネもまた、「使徒の時代」においてイエス・キリストを信じる信仰への道を整えました。そしてまた、バプテスマのヨハネも、「イエスの時代」においてイエス・キリストが宣教活動を始める前に人々の信仰の道を整えました。
 このように、ヨハネ1:23の「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ』と荒野で叫んでいる者の声です」は、「旧約の時代」のアブラハム、「イエスの時代」のバプテスマのヨハネと「使徒の時代」の使徒ヨハネとが重ねられています。それゆえ、ここには「永遠」があります。
 このようにイザヤ40章とヨハネ1章とは絡み合っています。ここから永遠を感じることで私たちの霊性もまた整えられます。永遠を豊かに感じられるようになるなら、私たちの霊性もまた豊かになります。
 私たちの霊性が豊かになるよう、神さまが私たちにイザヤ書とヨハネの福音書を与えて下さったことに感謝したいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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放蕩息子の帰郷(2013.11.10 招待礼拝)

2013-11-10 14:25:23 | 礼拝メッセージ
2013年11月10日招待礼拝メッセージ
『放蕩息子の帰郷』
【ルカ15:11~24】

はじめに
 きょうはルカの福音書15章の有名な「放蕩息子の帰郷」の箇所を見ますが、その前の聖書交読では、今日の献児式に合わせて、ルカの福音書の2章を開きました。
 ここには、イエス・キリストが誕生した後に、両親のヨセフとマリヤが幼子のイエスを抱いてエルサレムの神殿に行き、捧げ物をしたことが記されています。
 日本にもお宮参りという習慣があり、子供が生まれると両親は子供を抱いて神社にお参りに行きます。生まれたばかりの子供の健やかな成長を願う親の気持ちは、世界中のどこであっても、或いはどの時代にあっても変わらない普遍的なものであろうと思います。世界中の親は、どの時代にあっても、子供が生まれれば、神仏にそのことを感謝し、子供が健やかに育つように、祈りと捧げ物をします。

1.そこに大事な人生を託せるのか
 ただ日本の場合は変わった特徴があって、生まれた時は神社にお参りに行くけれども、結婚する時は多くの人々がキリスト教式を選択し、死んだらお寺で葬式を挙げてもらうということです。私たちが集っている、このキリスト教の教会では、生まれた時には先ほど行なったような献児式を行い、そして結婚式も葬儀もすべて教会で行います。
 一方、日本の方式は、生まれた時と結婚する時と死んだ時は神社と教会とお寺との間で分業制になっているようです。分業制の場合には、それぞれを分業している担当者の間の連絡体制がしっかりしていないと、いま問題になっているホテルやデパートのレストランのメニューの誤表示のようなことになってしまいますが、大丈夫なのでしょうか。同じレストランでも料理長がオーナーであるような独立したレストランであれば、食材の仕入れから調理、そしてメニューの作成やその他もろもろの事までの全てに料理長が精通していて責任を持つことと思います。しかし、ホテルやデパートのレストランで働いている人たちは基本的にはサラリーマンであって、食材の仕入れや調理、メニューの作成などは分業体制で行われる場合がほとんどのようですね。その場合、食材の仕入れの担当者と調理の担当者とメニュー作成の担当者の間の連絡体制が悪いと、いま問題になっているようなことが起きてしまうわけです。
 では、果たして日本の神社と教会とお寺の連絡体制は良いのでしょうか。そんなことは、ここで改めて問い掛けるまでもなく、そもそも連絡体制などというものはありませんね。そのように連絡体制ができていない所に、私たちの大切な人生を託しても良いものでしょうか。
 私が教会に通うようになったのは、40歳を過ぎてからですから、今のような問い掛けに、30代の頃の私だったら、どう答えるだろうか、ということを考えます。私が30代の頃に、今の問い掛け、即ち、神社と教会とお寺の連絡体制ができていないのに、そういう所に大切な人生を託しても良いのですか、と問い掛けられたら、30代の私だったらどう答えただろうかと考えるわけです。
 一つの答は、自分はそもそも神や仏を本気で信じているわけではない、だから連絡体制ができていなくても別に関係ない、というものでしょう。神社や教会やお寺に期待するのは儀式を行ってもらうことであって、自分の人生を託しているわけではない、というのが一つの答として考えられるでしょう。
 では、そのように答える30代の私に、今の牧師としての私は何と言うでしょうか。私は、30代の自分に、こんな風に聞いてみたいと思います。

「じゃあ、なぜ、そういう所に行くの?大晦日には除夜の鐘の音をお寺のそばまで行って聞き、正月になれば初詣でにも行くでしょう。本気で信じていないのなら、どうして、除夜の鐘を聞きに行ったり初詣でにも行ったりするの?」

と聞きたいと思います。すると、30代の私は答えるでしょう。

「それは、たまには、お寺や神社に行かないと何となく不安で落ち着かないからだよ。たまには、お参りしておかないと何か悪いことに巻き込まれる気がするんだ」

というようなことを言うでしょう。或いは、また心の中では、次のようなことを考えていたかもしれません。

「自分は神や仏に全く頼らなくても良いほど自分に自信を持っているわけではない。しかし、神や仏に自分の人生を託すなんて考えられない。神や仏に祈って人生が上手く行くなら、誰も苦労はしない。だから神社や寺は気休めのために行くもので、神や仏は本気で信じるべき存在ではない。自分の人生は自分で何とかしなければならない。だから、勝負すべき時が来たら、自分の力で勝負するんだ」

 30代の頃の私は、だいたいそんな風に考えていたのではないかと思います。

2.祝宴に加わらない兄息子
 きょうの聖書箇所のルカの福音書15章の放蕩息子も、どこか遠い国で自分の力だけで勝負をしてみたいという気持ちがあったのではないかなと思います。始めから遊ぶためだけのために、外国に行きたいと思ったのではないと思います。15章13節に、「弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った」と書いてありますから、もう戻って来るつもりは無かったのでしょうね。
 父親の所にいても、この放蕩息子にはお兄さんがいましたから、兄と一緒にいなければなりません。このお兄さんというのは、真面目であまり面白みのない人です。それに、陰気臭いようなところがあります。それで、一緒に住んでいても、全然面白くないと思ったのかもしれません。
 一つ、気を付けておいたほう良いと思うことは、教会に通っている私たちも、いつの間にか、この放蕩息子のお兄さんのように、真面目であまり面白みのない人間になってしまう危険性もある、ということです。ですから、きょうは、お兄さんのほうも見ておくことにしたいと思います。15章の25節から32節までを交代で読みましょう。

15:25 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。
15:26 それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、
15:27 しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』
15:28 すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。
15:29 しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。
15:30 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』
15:31 父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。
15:32 だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」

29節と30節に、この兄息子の言葉が書いてあります。

『長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。
 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』

 この兄息子は、非常に真面目な性格であることがわかります。弟息子が父親の家を出て行ったのは、この真面目で堅苦しいお兄さんと一緒にいるのが嫌になってしまった、という面もあるかもしれません。そして私たち教会の者が覚えておいたほうが良いことは、もしかしたら、私たちも教会に通っているうちに、このお兄さんのような真面目で堅苦しい人間になってしまう危険性があるということです。
 少し戻って、25節を見てください。

15:25 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。

 家の中から音楽や踊りの祝宴の音が聞こえて来ました。神様は私たちを、このような祝宴の場に招いて下さっています。神様と私たちとの交わりは喜びに満ちています。ですから、それは祝宴に例えられます。この祝宴の場で私たちは神様を心一杯賛美します。しかし、兄息子は、この家の中に入ろうとはしませんでした。28節ですね。

15:28 すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。

 兄息子は祝宴の場に参加することを拒否しました。兄息子は、それほどまで真面目で堅苦しい人物でした。私たち教会に通う者たちも、注意していないと、この兄息子のような者になってしまう危険性があることは、頭の片隅に置いておいたほうが良いと思います。

3.我に返った弟息子
 さて、弟息子に戻りましょう。弟息子は、こんな堅苦しいお兄さんと一緒にいることが嫌になったという理由もあったかもしれません。もう家には戻らないつもりで、何もかもまとめて遠い国に旅立ちました。13節ですね。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまいました。
 私は、弟息子は、父親の家にいる時は、そこそこ真面目に暮らしていたのではないかと思います。それが、外国に行って、父親の監視の目も無くなり、堅苦しいお兄さんからも離れることができて気が緩み過ぎて、歯止めが効かなくなったのではないかと思います。そうして、この弟息子は坂道を転げ落ちて行きました。そして、大ききんがあり、ひもじい思いをして、みじめな気持ちになりました。そして、17節に、

「我に返った」

とあります。この「我に返る」という言葉は、なかなか味わい深い言葉だと思います。
 「我に返る」というのは、「自分に返る」ということですから、本来の自分に戻る、ということですね。この放蕩息子も、生まれたばかりの頃は、父親と母親に神殿に連れて行ってもらって、周囲の人々からの祝福を受けたことでしょう。放蕩息子の命もまた、他の多くの人々と同様に、神に授かったものでした。放蕩息子の命はまず母親の胎内で育まれ、やがて、この世に生まれ出て、神殿で神と人々からの祝福を受けました。そうして、放蕩息子は両親の愛、そして神の愛のもとにすくすくと育って行きましたが、成長するに連れて、いろいろな余計なものを身に付けて、ついには父親の家を出て行ってしまいました。
 これは、人が成長して行く過程においては、避けられないことです。人は、いつの日かは、親から自立して生きて行かなければなりません。自立するためには様々なことを成長の過程で学ぶ必要があります。そうして自立する過程で、神と自分との関係についても考えます。神は果たして信じるに値する存在なのか。そもそも神は存在するのか。生命は偶然によってできたのではないか。いやしかし、すべてが偶然であるなら、自分が生きていることに何の価値があるのだろうか。自分の命は神から授かったものなのではないか。などと様々に思い悩みます。そうして、自分なりに神との距離の取り方を模索し、自分で決めて行きます。その距離は、人それぞれでしょう。近い人もいれば、遠い人もいるでしょう。
 しかし、自分で決めた神との距離というのは、だいたいにおいて間違っているのですね。なぜなら、自分の命は自分で獲得したものではなくて神が授けて下さったものだからです。そして、その命はまず母親の胎内で育まれました。その時に、私たちは母の胎内で何か考えていたでしょうか。母親の胎内を出て行ったなら、ああしよう、こうしようと思ったでしょうか。そんなことはありませんね。私たちが身に付けた知恵は、すべて母親の胎内から出た後で、獲得したものです。その知恵を使って神様との距離を自分で決めたとしても、間違えるのは当然です。神様と私たちとの距離とは、私たちが母親の胎内で神様によって育まれていた時のように、とても近いものです。「我に返る」というのは、その母親の胎内にいたときの、本来の神との距離に戻るということでしょう。それが自分の家に帰るということです。

4.父のもとに戻った放蕩息子
 我に返った放蕩息子は思いました。18節、

15:18 立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。

 天に対して罪を犯し、あなたの前に罪を犯したとは、自分に命を授けたのは天の神であることも知らず、また自分を育ててくれたのは神であり、また自分の親であることにも思い至らずに、自分一人の力で何でもできるようになったと思い込んでいたことです。自分が母親の胎内にいた時には、自分がどんな存在であったかも知らなかったのに、成長したら、自分一人だけの力で大きくなったように勘違いして、神に、そして親に逆らうことは大きな罪です。放蕩息子は我に返ることで、そのことに気付きました。19節、

15:19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」

 放蕩息子は、自分が犯した罪の大きさを自覚しましたから、父が赦してくれるとは、とうてい思えませんでした。父の子として家に入れてもらうことはできないだろうと思いました。しかしそれでも良いから、本来自分がいるべき場所に帰るべきだと思いました。それで、雇い人のひとりにしてもらうつもりで家を目指しました。20節、

15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。

 父は、息子のことを、ずっと心配していたのですね。「まだ家までは遠かったのに、父親は彼をみつけ」と書いてあります。父は息子が帰って来るのを、ずっと待っていたのでした。父は最初から息子を赦すつもりで、息子が帰って来るのを、ずっと待ち続けていました。

5.死んだも同然の魂
 どうして、父親は、そこまで放蕩息子を愛していたのでしょうか。それは、命を授けたのが父だからです。父が子に命を授けたのですから、その子が父のもとを離れてしまうなら、父は悲しみます。24節で父は、「この息子は、死んでいたのが生き返り」と言いました。この、「死んでいたのが生き返った」という言い方は、32節でも言っています。父は24節と32節で二度も「死んでいたのが生き返った」と言いました。命を授けた父のもとを離れることは、死んだも同然であるということです。しかし、父のもとに帰るなら、また生き返ることができます。
 このことは、とても霊的なことです。霊的の霊とは、霊魂、霊と魂の霊のことです。私たちは、この「死んでいたのが生き返った」という霊的なことを、とても厳粛に受けとめる必要があります。ここで父が言っている「死んでいたのが生き返った」というのは、肉体の話ではなく、魂の話です。私たちの魂は、神のもとを離れるのなら、死んだも同然であるということです。
 私たちの体は単なる物質ではなくて、魂が吹き込まれています。その魂を吹き込んだ神を信じないなら、肉体は生きていても、魂は死んでいるのも同然であると、イエス・キリストはルカの福音書15章で言っているのです。そうして、死んでいた私たちの魂を生き返らせるために、イエス・キリストは十字架へと向かって行きました。



 週報の3ページ目に、三つの絵画の写真を載せました。三つとも、レンブラントの作品です。レンブラントは、これらの絵に自分の人生を重ねていたことでしょう。私もまた、自分の人生が重なることを感じます。皆さんはいかがでしょうか。一番左の絵は、幼子イエスを抱くシメオンの絵ですが、この幼子は私たちでもあるでしょう。私たちもまた幼い時には、このようにして人々からの祝福を受けました。真ん中の絵は妻のサスキアと共にいるレンブラント自身の自画像ですが、ここには放蕩息子が重ねられています。そして、右の絵は、「放蕩息子の帰郷」をイメージしたものです。私たちもまた、多かれ少なかれ、この左の絵から右の絵へと、人生を辿って行くのではないでしょうか。
 私たちがどんなに放蕩ざんまいの息子であったとしても、父は私たちを受け入れてくれます。何と幸いなことでしょうか。それは、イエス・キリストの十字架の故ですが、イエス・キリストご自身は、このルカ15章では十字架には言及していません。ですから、私たちも、先ずはこの恵みを存分にいただけば、良いのだと思います。私たちは父の大きな愛の中に、幼子のように包み込まれれば良いのだと思います。放蕩息子のお兄さんのように、この祝福の場の外に立つ者であってはなりません。

おわりに
 ヘンリ・ナウエンが書いた『放蕩息子の帰郷』(片岡伸光・訳、あめんどう)という本には、ナウエンが友人たちにこのレンブラントの『放蕩息子の帰郷』の大きな複製画を見せて、感想を聞いた時のことが書いてあります。最後に、ナウエンの本のその部分を引用して、きょうのメッセージを閉じます。

「友人たちにこの絵を見せ、どんなふうに見えるか尋ねたときのことを、いまでもはっきりと思い出す。その中の一人の若い女性が立ち上がり、放蕩息子の大きな複製画に近寄り、弟息子の上に手を置いた。そしてこう言った。『これは、母親の胎から出たばかりの赤ちゃんの頭です。見て、まだ濡れている。それに、顔もまた胎児のようだわ』。そこにいたわたしたちは瞬時に、彼女の指摘した通りに見えた。レンブラントが描いたのは、単に父のもとに帰ることだけでなく、父であり同時に母でもある神の胎に戻ることではないだろうか。」(p.75)

 私たちもまた、神との距離が最も近い場である神の胎内に戻り、神の大きな愛に包み込まれる者でありたいと思います。神の胎内から出た後で身に付けた知恵を振り回す者ではなく、ただ黙って神の愛に包まれ、その恵みを存分に味わうことができる者でありたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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恵みを倍返しする神(2013.11.6 祈り会)

2013-11-07 06:03:33 | 祈り会メッセージ
2013年11月6日祈り会メッセージ
『恵みを倍返しする神』
【イザヤ40:1~5】

はじめに
 イザヤ書40章は、「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」という「慰めのメッセージ」で始まります。この40章の前の36章から39章までにはヒゼキヤ王のことが書かれていて、40章から一転して調子が変わります。そこでイザヤ書を前半と後半の大きく二つに区分するなら、この39章と40章の間が、その境い目となります。
 40章以降はバビロン捕囚以降に関する預言が中心であるため、40章以降を記した記者はイザヤではなくて無名の第二イザヤであるとする聖書学者も多くいます。未来のことを見通すことなど不可能であるというのが、その主な根拠であると思いますが、それは聖書信仰を持たない者の人間的な考え方と言えるでしょう。神は【過去・現在・未来】が一体の永遠の中にいて、聖霊が注がれた預言者はその神との交わりの中に入れられています。ですから、預言者もまた永遠の中にいて未来を見ることが可能です。礼拝の説教でも話したように、未来と過去とが絡み合っていることは量子力学の実験結果も示していることです。【過去→現在→未来】という時間の一方通行の流れに基づいて聖書を解釈することは、人間的な聖書の読み方であると言えます。そうではなくて私たちは永遠を意識しながら聖書を読むべきです。
 イザヤ書は全部で66章までありますから、前半と後半の区分が39章と40章の間にあるということは、旧約聖書と新約聖書との不思議な一致があります。聖書には66の書が収められており、そのうち旧約が39書、新約が27書だからです。聖書は記者が神により霊感を与えられて書かれたものです。永遠の中にいる神が聖書の記者に霊感を与えるから、このような不思議な一致が起きるのであろうと思います。

1.イザヤの慰めのメッセージ
 さてイザヤ書40章を1節から見て行きましょう。

40:1 「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」とあなたがたの神は仰せられる。

 この「慰めのメッセージ」は、次の2節を読むなら、ユダの民がバビロン捕囚を解かれてエルサレムに帰還する時のことが預言されていると読み取ることができるでしょう。以前、6章を学んだ時に、イザヤは民に「心をかたくなにするメッセージ」を語るよう、主から言われました。

「行って、この民に言え。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。』この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見ず、自分の耳で聞かず、自分の心で悟らず、立ち返っていやさることのないように。」(イザヤ6:9,10)

 このように命じられたイザヤは、思わず聞き返しました。「主よ、いつまでですか。」主は仰せられました。

「町々は荒れ果てて、住む者がなく、家々も人がいなくなり、土地も滅んで荒れ果て、主が人を遠くに移し、国の中に捨てられた所がふえるまで。」(イザヤ6:12)

 このように、主はバビロン捕囚の時まで、ユダの民の心をかたくなにすることをイザヤに告げました。そうして、このイザヤ40章では、バビロン捕囚の後にユダの民に慰めが与えられることが預言されます。

2.神が不在のドラマ『半沢直樹』
 続いて40章2節、

40:2 「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを【主】の手から受けたと。」

 この2節を読んで私は、今年話題になったドラマの『半沢直樹』の「倍返し」を思い起こしました。そして、神の恵みの素晴らしさを、この40章2節から一層感じられるようになって感謝に思っています。『半沢直樹』は最終回の視聴率が40%を越えるという、驚異的なテレビドラマでした。特に、主人公の「やられたらやり返す。倍返しだ」というセリフが話題になりました。
 主人公の半沢直樹は銀行員です。そして職場で理不尽な目に遭った時に、「やられたらやり返す。倍返しだ」と言います。そして、実際にやられたままでは終わらずに、やり返して彼の能力の高さを示しますから、段々と出世して行きます(ドラマの前半を見ていないので、ちゃんとはわかりませんが、そんな感じでしょう)。
 このドラマがどうして40%以上という驚異的な視聴率を記録するほどの人気ドラマになったかというと、多くの人が世の中の様々な場面で半沢直樹のような理不尽な目に遭っているから、感情移入がしやすいということのようです。多くの人が生きて行く中で理不尽な目に遭って悔しい思いをしていますが、半沢直樹のようには、やり返すことができないでいる。それで半沢直樹が倍返しをする様子を観ることで、少しは鬱憤を晴らすことができる、ということのようです。もちろん、人気の理由はそんな単純なものではないのだと思いますが、いま言ったような要因もあるようです。
 私は牧師として、どれくらいの人々が「やられたらやり返す。倍返しだ」に共感しているのかが、大変に気になっています。この神不在のセリフは、全く聖書的ではないからです。ここには神の存在が全くありません。半沢直樹はやられたことは自分がやり返すと言い、しかも倍返しにすると考えます。

3.恵みを倍返しする神
 しかし、聖書が言っていることは、「復讐するは我にあり」ですね。「復讐はわたしのすることである」(ローマ12:19、申命記32:35)と聖書は言っています。悪行への報いは神様がして下さいますから、人間が自分で復讐する必要はありません。神に全てをお委ねすれば良いことです。そうして神を信じて神にお委ねするなら、私たちは二倍のものを主の手から受けることができます(イザヤ40:2)。たとえ、今は苦しい中を通っていたとしても、いずれは私たちは、二倍のものを主の手から受けることができます。半沢直樹の倍返しは「復讐の倍返し」ですが、神の倍返しは「恵みの倍返し」です。
 神を信じると何故、心の平安が得られるかというと、神と共に歩むなら、その先において、必ず神からの祝福の恵みに与ることができるという確信があるからだ、と言えるでしょう。過去・現在・未来が一体の神と共に歩むなら、私たちもまた永遠の中に入れられますから、未来における祝福も現在にいながらにして感じることができます。それが私たちが心の平安を得ることができる大きな要因と言えるでしょう。
 神の存在を信じない者が自分の力で倍返しの復讐をしようと思うなら、復習が成功せずに失敗に終わることもありますから、復習を果たすまでは落ち着かないでしょう。そして、仮に復讐に成功したとしても、心の底から喜ぶことができないことは本人がわかっていることでしょう。個人や社会への恨みを晴らすために殺人事件を起こす人々は、多くの場合、犯行の後で自殺をしたり、或いは自殺するつもりが果たせずに抵抗することなく逮捕されたりします。それは、復習を果たしても決して心の平安が得られるわけではないことを本人も知っているからです。

4.神と共に歩む先には必ず祝福がある
 私は過去・現在・未来という時間についての考察が進めば進むほど、心の平安と時間の流れとの関係がハッキリして来たと感じています。人が心の平安が得られないのは、ひとえに時間の流れの空しさから自由になることができないからでしょう。しかし、永遠の中にいる神を信じて私たちもまた永遠の中に入れられるなら、神と共に進んで行く先は祝福に満ちているのだという確信が与えられますから、心の平安が得られます。
 イザヤ書に戻ります。40章3節、

40:3 荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。

「主の道を整えよ…大路を平らにせよ」とは、主のために道を整えるというよりは、主と共に歩む私たちの信仰の道を整えよ、ということである、と言えそうです。主ご自身は道がどんなであっても、先を見通すことができるお方です。しかし、私たちの場合は、進行方向に山があれば、その先がどうなっているのか、わかりません。けれども主とともに歩む信仰があるなら、私たちが進む道は平坦であり、遠くの方まで見通すことができます。
4節と5節、

40:4 すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。
40:5 このようにして、【主】の栄光が現されると、すべての者が共にこれを見る。【主】の御口が語られたからだ。」

 今の私たちの状態がどうであれ、主と共に歩んで行くなら、私たちの進んで行く先には必ず祝福が備えられています。何と大きな恵みでしょうか。

おわりに
 ヨハネの福音書のヨハネは、

「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ』と荒野で叫んでいる者の声です」(ヨハネ1:23)

と言いました。この声に導かれて私たちはイエス・キリストに出会い、永遠の中に入れられることができました。
 この素晴らしい恵みをしっかりと噛みしめ、多くの方々にお伝えして行くことができる私たちでありたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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永遠の中で祈る(2013.11.3 礼拝)

2013-11-03 09:40:14 | 礼拝メッセージ
2013年11月3日礼拝メッセージ
『永遠の中で祈る』
【ヨハネ12:37~41】

はじめに
 早いもので、今日はもう11月の第一聖日です。来週の第二聖日は伝道礼拝で、説教はルカの福音書の「放蕩息子の帰郷」を予定しています。第三聖日は宣教礼拝で、教団の宣教ビデオを観る予定で、説教もビデオの説教を聞くことにすると思います。第四聖日は聖餐式礼拝で説教は江藤博久先生にお願いしています。そして12月はアドベントに入り、12月の最後は年末感謝礼拝です。
 そうすると、宣教礼拝や聖餐式礼拝のような特別な礼拝ではない、普通の聖日礼拝は、今年は今日の礼拝が最後ということになります。
 今年の最後の一般の礼拝である今日の礼拝のメッセージには何がふさわしいのか、祈り求めた末、これまで何度も語って来た、「永遠」について、まとめることを示されました。そしてタイトルは『永遠の中で祈る』としました。今日のこのまとめでは、7月15日に千本プラザで行った講演の『真の時間と人の時間』で話したことも、織り交ぜることにします。7/15の講演では私は「時間とは何か」、「永遠とは何か」ということについて、入門的な話をしました。そして、それ以降の礼拝ではヨハネの福音書が示す「永遠」について話して来ました。きょうは、これまでに「永遠」について話して来たことを振り返り、また新しいことも取り入れながら、「時間とは何か」、「永遠とは何か」について、さらに深めることができたらと願っています。

1.過去・現在・未来が絡み合っているイザヤ書53章
 さて先週の説教で私は、量子力学の実験結果は、未来と過去とが絡み合っていることを示しているように見えるという話をしました。私には、この結果は情報が未来から過去に向かって送られていることを示しているように感じます。そして、イザヤ書53章の生々しい描写も、このことから説明できると感じて、先週の説教でイザヤ書のことに少しだけ触れました。
 そこで、きょうの聖書交読では、このイザヤ書53章をご一緒に読んでみました。ここにはイエス・キリストの十字架の場面が生々しく描かれています。このイザヤ書53章のすごいところは、イエス・キリストの描写だけでなく、「私たち」もそこにいる、ということです。イザヤ53章には、「私たち」が、こんな形でいます。

53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、【主】は、私たちのすべての咎を彼に負わせた

 ここにいる「私たち」は、イザヤの時代の「私たち」であり、イエスの時代の「私たち」であり、そして現代の「私たち」でもあります。イエスへの懲らしめは現代の私たちにも確かに平安をもたらし、イエスの打ち傷によって、現代の私たちもいやされています。そして、いま現在イエス・キリストを知らない人々も、やがて教会に導かれて平安といやしを得ることになるでしょう。ここには、過去と現在と未来とが見事に絡み合っている様子を、見ることができます。

2.「永遠」に不慣れな私たち
 きょうの聖書箇所のヨハネ12章38節はイザヤ53章1節を引用して、このイザヤの預言が成就したことを記しています。ヨハネの福音書には旧約聖書からの聖句の引用がたくさんありますが、ほとんどの場合、旧約聖書のどの書からの引用かということは書いてありません。しかし、ヨハネはイザヤについては、はっきりとイザヤと書いていますから、ヨハネがいかにイザヤ書を重視しているかが、よくわかると思います。
 また、ヨハネは12章38節に続いて40節においてもイザヤ書を引用しています。

12:40 「主は彼らの目を盲目にされた。また、彼らの心をかたくなにされた。それは、彼らが目で見ず、心で理解せず、回心せず、そしてわたしが彼らをいやすことのないためである。」

 これはイザヤ書6章からの引用です。ヨハネはここで、イエスを信じようとしないユダヤ人たちの心のかたくなさを、イザヤ書6章を引用することで批判しています。私はヨハネの福音書が「永遠」の中を生けるイエス・キリストを描いた書であることに気付いて以降、このヨハネ12章40節におけるイザヤ書6章の引用を、どう解釈したら良いだろうかということに思い悩んで来ました。何に悩んで来たかというと、ヨハネの福音書の構造に気付いておらず、永遠についてもわかっていない現代のクリスチャンもまた、盲目であり、心がかたくななのだろうか、ということです。私は随分と長くこの問題について思い悩んで来ましたが、段々とわかってきたような気がします。つまり、こういうことです。
 イエス・キリストを信じることができている私たち現代のクリスチャンは、ちゃんと霊的な目が開かれています。ですから、心がかたくなではないと言えるでしょう。しかし、「永遠とは何か」については、きちんと説明することはできていません。それでも、これまでは永遠を霊的に感じることができていましたから、イエス・キリストを信じることへの致命的な障害にはなっていませんでした。ところが、今や霊性は危機的な状況にあります。現代における霊性は絶滅が危惧されていると言っても過言ではないと思います。そこで、「霊性とは何か」、「永遠とは何か」、について、きちんと説明しなければならない状況になっているのではないか、それが、神が21世紀になってヨハネの福音書の構造を私たちに教えて下さった理由ではないか、そのように私は感じています。そして、この「永遠とは何か」について、私たちの教会は伝道して行く役割が与えられているのだと思います。
 きょうの晩、私は高津教会の一泊修養会に招かれていて、メッセージの御用をします。そのメッセージの中で、「永遠」についても、ほんの少しだけ触れることにしています。しかし、本当に「ほんの少し」にとどめておくつもりです。この「永遠」については、現代の人々は全く不慣れだと思います。沼津教会の皆さんには、7/15の伝道会での講演も含めて、何度も何度も話をして来ましたから、きょう、このようにかなり踏み込んだ話ができるようになりましたが、「永遠」について慣れていない方々には、いきなり「永遠とは何か」についての話を持ち出しても、混乱を与えてしまうだけでしょう。ですから、まず私たちの教会が、人々に永遠について伝道する働きの中心を担い、霊性の危機に陥っている現代の人々を救いに導くための、主の働きのお手伝いをしなければならないのだと思います。私たちの教会は、それぐらい大きな期待を寄せられているのだと私は考えたいと思います。

3.水月湖が証す整然とした時間の流れの稀少性
 私たちがどうしたら「永遠」を霊的に感じることができるようになるか。そのための糸口として、私は7/15の講演においてルカの福音書に登場するマルタとマリヤの姉妹を比較してみました。この時マルタはイエスをもてなすための準備に追われていました。どのような順番で料理の材料を準備して、調理して、皿に盛るかの段取りを頭の中で組み立てていました。一つのことをしたら、次はこれ、その次はあれ、というように、頭の中は時間の一方通行の流れが完全に支配していました。このように、【過去→現在→未来】という時間の一方通行の流れに囚われている時、私たちは「永遠」からは最も遠い所にいます。この礼拝の場で、何度も何度も言っているように、「永遠」においては【過去・現在・未来】が渾然一体となっています。
 時間が【過去→現在→未来】と整然と進行するわけではなく、過去と未来は絡み合っていることは量子力学の実験結果も示していることを先週の説教で話しましたが、きょうは逆方向から「年縞」という別の例を挙げて説明してみたいと思います。
 今年になって私は、テレビのニュース番組で福井県の水月湖の「年縞」について報じているのを何度か見ました。NHKでも民法でも報じていましたから、皆さんの中でもこのニュースを見た方がいらっしゃることと思います。年縞というのは、湖や沼の底にたまる堆積物が作る縞模様のことです。春から夏に掛けて積もる堆積物と秋から冬に掛けて積もる堆積物が異なるために縞模様ができるのだそうです(写真を週報に載せます)。福井県の水月湖の年縞の場合は、様々な好条件が重なって実に7万年分の年縞のデータを取得することができたそうです。こんなにきれいな縞模様ができることは極めて稀であるということです。
 この理想的な縞模様が極めて稀にしかできないことは、時間の流れに関しても同じことが言えるであろうと私は考えます。この年縞のきれいな縞模様を見ていると、時間はいかにも【過去→現在→未来】の一方通行のきれいな整然とした流れになっているかのように思ってしまいます。しかし、こんなにきれいな時間の流れは理想的な状況においてのみであって、普通は過去と未来が絡み合っているのだということを、水月湖以外の無数にある湖や沼の堆積物は示しているのではないでしょうか。水月湖の年縞はその他の無数にある普通の湖の比較対象として貴重な発見であったのだと私は考えます。普通の湖では過去の堆積物と未来の堆積物とが混じり合います。

4.過去に届けられる祈り
 7/15の講演の最後のほうで私はアフリカの宣教師のもとに湯たんぽが送られて来た話を紹介しました。私はこの話は過去と未来とが絡み合っていることの、とても良い証しだと思いますから、もう一度、全文を読ませていただきたいと思います。これは、デイブ・アーリー著『最も祝福された21人の祈り』(根本愛一・訳、福音社)に書かれている、ヘレン・ローゼベアという人の証しです。彼女は20年間、アフリカのコンゴで医者として、また宣教師として奉仕していました。この中の「私」というのが、医者であり宣教師であるヘレンのことです。
(以下、引用。一部改変)
 私がある夜遅くまで働いていた時、分娩室の方から助けを呼ぶ母親の声が聞こえてきました。(しかし)必死の集中治療の甲斐もなく、その母親は未熟児の乳児と泣きじゃくる二才の娘を残して亡くなったのです。私たちの病院には保育器や、新生児に与えるミルクもなく、生まれたばかりの赤ちゃんの命を救うことは不可能に思えました。
 赤道の真下とはいえ、夜になると底冷えのする風が吹くことがあります。一人の看護学生が赤ちゃんを綿で包(くる)んで保護するための箱を探しに走りました。他の一人はストーブの所に行き、ゴム製の湯たんぽに熱湯を入れようとしましたが、「湯たんぽが壊れてしまいました。これが最後の湯たんぽなのに…」と叫びながら戻ってきたのです。アフリカでは熱と湿気でゴムはすぐに劣化してしまいます。…しかも、コンゴのジャングルには薬屋は一軒もありませんから、新しい湯たんぽを調達することは不可能です。
 私は、学生たちに安全を確認しながら赤ちゃんをなるべく火の近くに置き、さらに外からの風が赤ちゃんにあたらないように、赤ちゃんと扉の間で寝るように命じました。「あなたたちの役目はできる限り赤ちゃんを温めておくことよ。」
 翌朝、いつものように祈るために施設の孤児たちと一緒に集まりました。私は孤児たちに赤ちゃんのことを話しました。「赤ちゃんは体温が下がるとすぐに死んでしまいます。ところがお湯を入れて温めるはずの湯たんぽが壊れて困っています。また赤ちゃんのお姉さんはお母さんを失って泣き続けています。どうか一緒に祈ってください。」
 これを聞いて、皆が順番に祈り始めました。10才の少女のルースの番になると彼女は驚くほど簡潔に、しかもハッキリと、「神様、お湯を入れる湯たんぽが必要です。明日では遅すぎます。今日午後までに与えてください。そうしないと赤ちゃんは死んでしまいます」と祈ったのです。
 彼女が祈っている間、私はこの少女が少々厚かましい祈りを捧げているのではないかと内心思いましたが、さらに自分の耳を疑うようなお祈りが続いて聞こえてきたのです。「神様、湯たんぽと一緒にお人形を持ってきてください。そうすれば赤ちゃんのお姉ちゃんはあなたに愛されていることを知ることができます」
 時々、私は子供の祈りに素直に「アーメン」と言えないことがあります。神がそんな願いを聞かれるはずがないからです。もちろん神は何でもできるお方だと聖書で学んで知っています。しかしできることとできないことがあるはずです。神がこの少女の祈りに答えるとしたら、神が私の故国から荷物でそれらを届けるしかありません。アフリカに来て四年にもなりますが、ただの一度も故国から荷物を受け取ったことがありません。もし荷物が送られて来たとしても、送り主が湯たんぽなど入れるはずがありません。だって、ここは赤道の真下です!
 その日の午後も過ぎる頃、いつものように看護学生を教えていると入口に車が来ているとの連絡を受けました。私が入口に行く頃には車は既にありませんでしたが、入口横のベランダに10キロ程の大きな荷物が置かれているのを見た瞬間、私の目から涙が溢れてきたのです。私は一人で荷物を開けることができず、子供たちを呼び寄せ、一緒に荷物の縄をほどき、包み紙を破かないように注意深く荷を開けました。子供たちの何十もの熱い視線が荷物を入れた段ボール箱に注がれています。箱を開けると一番上に可愛いジャージが置かれていました。次に色々なサイズの包帯が出てきました。その次には干しブドウ…これでおいしいパンを作って食べさせよう。
 再び荷物の中に手を入れると…この手触りは…まさか? 私の手は確かに真新しいゴム製の湯たんぽを探り当てていたのです。もう涙を止めることができません。私が祈り求めたのではありません! ルースが祈った時、私は疑っていました。ルースは湯たんぽが取り出されるのを見て、「神様が湯たんぽを送ってくださったのなら、この中に人形も入っているはず」と興奮しながらその小さな手を荷物の中に差し入れたのです。
 荷物から引き出された彼女の小さな手には、とても可愛らしい人形が握られていました。途端に彼女の目は輝き、そして私に「一緒に赤ちゃんのお姉ちゃんの所に人形を持っていきたい。そうしたらイエス様がどんなに彼女を愛しているかわかると思わない?」と言いながら私の手を引いたのです。
 その荷物は五ヶ月もかけて故国から届いたものでした。私が教えていた教会学校の皆から送られたものでした。そのうちの一人が、神から赤道の直下にいる私に湯たんぽを送るようにとの声を聞いてその通りにし、別の少女がアフリカの女の子にといって人形を入れたのです。
(引用終わり)

 以上の湯たんぽの証しが示すことは、10歳の少女ルースの祈りが5ヵ月前の宣教師ヘレンの故国に届いたのだということです。神が少女ルースの祈りを聞いて、5ヵ月前の少女にルースの祈りを届けたのです。そうでなければ、アフリカの赤道直下に絶妙のタイミングで湯たんぽが送られるはずがありません。未来と過去とが絡み合っていることは量子力学の実験が示しています。また福井県の水月湖の年縞も、時間が過去から未来にきれいに流れるのは稀であることを示しています。ですから、永遠の中にいる神が未来から過去に情報を送って少女の祈りに応えたと考えたとしても、量子力学や水月湖の年縞のことを合わせ考えるなら、決して奇想天外なことではありません。
 きょうの説教のタイトルは『永遠の中で祈る』です。祈る時には、少女ルースのように過去→現在→未来という時間の縛りから解放されて祈ることが有効であることを、湯たんぽの祈りは私たちに教えてくれています。神さまは永遠の中にいますから、過去も未来も自在に用いることができます。

5.ジョージ・ミュラーの永遠の中の祈り
 さらにもう少し、祈りについての実例を見てみましょう。皆さんはジョージ・ミュラーの伝記を読んだことがあるでしょうか。ジョージ・ミュラーは祈りによってのみ孤児院を運営する資金を得続けることができた19世紀の偉大な祈りの器です。孤児院を運営して行くには、常に多額の資金が必要です。多少の献金があっても孤児たちの食事代ですぐに使い切ってしまいます。ですから、孤児院を運営して行くためには常に献金が捧げ続けられることが必要です。ジョージ・ミュラーはその献金を自分の側から人に頼むことはせず、神に祈ることによってのみ与えられ続けた人でした。ミュラーが熱心に祈ると、不思議とお金を捧げたいと言う人が現れて、捧げて行ってくれるのでした。孤児院では孤児たちに単に衣食住を提供するだけでなく聖書も教えましたから、ミュラーは、この孤児院の働きが神の御心にかなっていることを確信していました。神の御心に沿って動いているのだから、必要な資金は必ず神が与えて下さるとミュラーは固く信じていました。ですから、多くの孤児たちが暮らす孤児院を運営して行くことができました。しかも、驚くべきことにミュラーは孤児院の規模をどんどん拡大して行き、受け入れる孤児の数をどんどん増やして行きました。孤児が増えれば増えるほど多額の資金が必要になりますが、それでも必要な資金が祈りによってのみ、与えられ続けたのでした。
 ミュラーについては、次のようなエピソードもあります。本からそのまま引用します(ジョン・タラック著『神に用いられた生涯』鞭木幸子訳)。
(ここから引用)
 イギリスから北アメリカに向け船旅をしていた時のこと。ミュラーの乗った船が、ニューファンドランド沖に近づいた時、非常に深い霧が立ち込めてきました。船長はスピードを落とすよう命令しました。船は、だんだんゆっくりになって、ほとんど動かなくなりました。船長は心配で、自ら22時間もぶっ通しで甲板にとどまっていました。船長は突然、ぽんと肩をたたかれて、はっとしました。彼が振り向くと、そこにジョージ・ミュラーがいたのです。
 「船長」と彼は言いました。「私はどうしても、土曜日の午後にはケベックにいなければならないので、そのことをあなたに知らせに来たのです。」その日は水曜日でした。
 「不可能ですよ、そんなこと。」
 「そうですか、まあいいでしょう。船長、あなたの船で連れていってもらえないなら、神さまが、別の方法で、私をそこへ連れていってくれますから。私は、57年間一度も会合の約束を破ったことはないのです。」
 「私の力ではどうにもならないことです。私に何ができると言うのですか?」と船長はむっとして言いました。
 「下に下りていって、一緒に祈りましょう」とミュラーは言いました。
 船長は、甲板にいるその見知らぬ客を見て、気が狂っているのではないかと思いました。
 「この霧がどんなに深いか、あなたはわかっているのですか?」
 「いや、それはわかりません。でも私の見ているのは、霧の深さではなくて、生きておられる神さまです。そのお方は私のどんな状況をも支配しておられるのです。」
 それからミュラーは、自分が言ったとおりをその通り実行し、ひざまずいて、短く祈りをささげました。
 「なんて祈りだ。日曜学校の子供の、それも幼児クラスの祈りだ。」そう思った船長は、自分が祈ろうとしました。しかし、ミュラーは立ち上がり、それを制止しました。
 「もう祈らなくてけっこうです。まず、あなたは神さまが霧を取り去ってくださるとは信じていないでしょう。それに、私はもう神さまが霧を取り去ってくださったと信じています。ですから、いずれにしてもあなたが祈る必要はないのです。船長、立ち上がって、ドアを開けてください。霧が晴れたことがわかります。」
 船長は立ち上がって、ドアを開けました。霧はすっかり消えていました。そしてミュラーは自分で言ったとおり、その週の土曜日にはケベックにいたのです。
(引用終わり)

 船長がミュラーの祈りを聞いて「日曜学校の子供の、それも幼児クラスの祈りだ」と思ったくだりは、アフリカの少女ルースの祈りに通じるところがありますね。聞かれる祈りというのは、人間的な常識の縛りからは自由になった祈りなのでしょう。
 私は少女ルースやジョージ・ミュラー本人ではありませんから、確かなことはわかりませんが、ルースやミュラーは祈りが適えられた時のことをはっきりと思い浮かべて祈っていたのではないかと思っています。神さまは必ず祈りに応えて下さるという確信がありますから、祈りが応えられた時のことも、はっきりと思い浮かべることができたのではないかと思います。半信半疑で祈るなら祈りが応えられた時のこともぼんやりとしか想像できないと思いますが、永遠の中にいる神さまは必ず祈りに応えて下さると確信を持って永遠の中で祈るなら、祈りが応えられた状況をしっかりと思い浮かべることができるのではないかと思います。

おわりに
 私たちは新会堂の実現を願って祈りを積んでいます。いかがでしょうか。私たちもまた、新会堂が実現した時のことを思って祈って行きませんか。神さまは永遠の中におられますから、その神さまにお委ねして私たちもまた永遠の中に入れられるなら、新しい会堂の姿が私たちにも見えて来るのではないでしょうか。そのように新しい会堂が見えてくれば、新会堂は実現したも同じであることになります。過去と未来は絡み合っているのですから、イザヤが十字架に付けられたイエス・キリストの姿を見ることができたように、私たちもまた新しい会堂の姿を見ることができるようになるのではないでしょうか。神に応えられる祈りとは、このように永遠の中で祈る、祈りではないでしょうか。私たちもそのような祈り手になることができたらと思います。
 お祈りいたしましょう。
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