職場の地震防災センターの館内では、木造住宅の耐震性が補強の有無で大きく異なることを示す動画を流しています。左の家は「補強なし」、右の家は「補強あり」です。この二棟を起震台に載せて揺らすと、「補強なし」の家は倒壊してしまいます。
この家が小さな模型ではなくて実際の大きさの家であることは、後方にいる見学者たちが一緒に写っていることで分かります。もしヘルメット姿の見学者たちが大きければ、家は小さな模型ということになるでしょう。しかし、ヘルメット姿の見学者たちが小さいので、家は実際の大きさの住宅であることが分かります。
このように背景を併せ見ることで家の大きさを正しく認識することができます。ヘルメット姿の見学者たちを見なければ、「木を見て森を見ず」になってしまいます。
聖書も背景を併せて読むこと、すなわち「森も見る」ことが大切です。例えば『ヨハネの福音書』4章1~5節には、次のように記されています。
2節は不可解です。「バプテスマを授けていたのはイエスご自身ではなく、弟子たちであったのだが」とは、何を意味するのでしょうか?まず押さえておきたい重要な背景は、マタイ・マルコ・ルカの福音書では、バプテスマを授けていたのはバプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)だけだったということです。イエスも弟子たちもバプテスマを授けてはいませんでした。また、さらに重要な背景として、ヨハネ2章~4章の流れがあります。
ヨハネ2章ではガリラヤ人の弟子たちがイエスを信じて、次いでユダヤ人たちもイエスを信じました。そしてヨハネ3章では、聖霊についての教えに戸惑うユダヤ人ニコデモの姿が描かれています。そして、ヨハネ4章ではサマリア人たちと異邦人たち(王室の役人と家の者たち)がイエスを信じました。このヨハネ2章~4章の流れは『使徒の働き(使徒言行録)』の2章~10章の流れと同じです。使徒たちの時代においても、人々はガリラヤ人→ユダヤ人→サマリア人→異邦人の順にイエスを信じて聖霊を受けました。そして、このことに戸惑うユダヤ人たちが怒り、弟子たちを迫害するようになりました。
これらの背景を併せ読むなら、ヨハネ4章1~5節のイエスは十字架・復活の後に天に昇った「天国のイエス」であることが分かります。五旬節の日(使徒2章)以降、「天国のイエス」は地上の弟子たちに聖霊を遣わして、聖霊を通して様々なことばを天国から伝えました。弟子たちは天のイエスのことばを人々に語ってバプテスマを授けていたので、弟子たちの内にはイエスがいました。つまりヨハネ4章2節の「バプテスマを授けていたのはイエスご自身ではなく、弟子たちであったのだが」は、五旬節の日以降に、エルサレムの教会が急成長していた時期の状況を示しています。
そうしてステパノ殉教をきっかけに激しい迫害が起きて、弟子たちはエルサレムから散らされて行きました。散らされた弟子の一人のピリポはサマリア人たちに伝道しました(使徒8章)。ヨハネ4章5節の「それでイエスは、・・・サマリアの町に来られた」とは、ピリポの内にいるイエスのことです。
『荘子』の大鵬のように地上から飛び立ち、九万里の上空の視座からも聖書を読むことをお勧めしているのは、地上からの視座だけでは「木を見て森を見ず」になってしまうからです。それゆえ、地上と天上の両方の視座から聖書を読みたいと思います。すると、天国との距離がぐっと縮まり、死後まで待たなくても天国に近づくことができて、心の深い平安が得られるようになります。(つづく)
この家が小さな模型ではなくて実際の大きさの家であることは、後方にいる見学者たちが一緒に写っていることで分かります。もしヘルメット姿の見学者たちが大きければ、家は小さな模型ということになるでしょう。しかし、ヘルメット姿の見学者たちが小さいので、家は実際の大きさの住宅であることが分かります。
このように背景を併せ見ることで家の大きさを正しく認識することができます。ヘルメット姿の見学者たちを見なければ、「木を見て森を見ず」になってしまいます。
聖書も背景を併せて読むこと、すなわち「森も見る」ことが大切です。例えば『ヨハネの福音書』4章1~5節には、次のように記されています。
ヨハネ4:1 パリサイ人たちは、イエスがヨハネよりも多くの弟子を作ってバプテスマを授けている、と伝え聞いた。それを知るとイエスは、
2 ──バプテスマを授けていたのはイエスご自身ではなく、弟子たちであったのだが──
3 ユダヤを去って、再びガリラヤへ向かわれた。
4 しかし、サマリアを通って行かなければならなかった。
5 それでイエスは、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近い、スカルというサマリアの町に来られた。
2 ──バプテスマを授けていたのはイエスご自身ではなく、弟子たちであったのだが──
3 ユダヤを去って、再びガリラヤへ向かわれた。
4 しかし、サマリアを通って行かなければならなかった。
5 それでイエスは、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近い、スカルというサマリアの町に来られた。
2節は不可解です。「バプテスマを授けていたのはイエスご自身ではなく、弟子たちであったのだが」とは、何を意味するのでしょうか?まず押さえておきたい重要な背景は、マタイ・マルコ・ルカの福音書では、バプテスマを授けていたのはバプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)だけだったということです。イエスも弟子たちもバプテスマを授けてはいませんでした。また、さらに重要な背景として、ヨハネ2章~4章の流れがあります。
ヨハネ2章ではガリラヤ人の弟子たちがイエスを信じて、次いでユダヤ人たちもイエスを信じました。そしてヨハネ3章では、聖霊についての教えに戸惑うユダヤ人ニコデモの姿が描かれています。そして、ヨハネ4章ではサマリア人たちと異邦人たち(王室の役人と家の者たち)がイエスを信じました。このヨハネ2章~4章の流れは『使徒の働き(使徒言行録)』の2章~10章の流れと同じです。使徒たちの時代においても、人々はガリラヤ人→ユダヤ人→サマリア人→異邦人の順にイエスを信じて聖霊を受けました。そして、このことに戸惑うユダヤ人たちが怒り、弟子たちを迫害するようになりました。
これらの背景を併せ読むなら、ヨハネ4章1~5節のイエスは十字架・復活の後に天に昇った「天国のイエス」であることが分かります。五旬節の日(使徒2章)以降、「天国のイエス」は地上の弟子たちに聖霊を遣わして、聖霊を通して様々なことばを天国から伝えました。弟子たちは天のイエスのことばを人々に語ってバプテスマを授けていたので、弟子たちの内にはイエスがいました。つまりヨハネ4章2節の「バプテスマを授けていたのはイエスご自身ではなく、弟子たちであったのだが」は、五旬節の日以降に、エルサレムの教会が急成長していた時期の状況を示しています。
そうしてステパノ殉教をきっかけに激しい迫害が起きて、弟子たちはエルサレムから散らされて行きました。散らされた弟子の一人のピリポはサマリア人たちに伝道しました(使徒8章)。ヨハネ4章5節の「それでイエスは、・・・サマリアの町に来られた」とは、ピリポの内にいるイエスのことです。
『荘子』の大鵬のように地上から飛び立ち、九万里の上空の視座からも聖書を読むことをお勧めしているのは、地上からの視座だけでは「木を見て森を見ず」になってしまうからです。それゆえ、地上と天上の両方の視座から聖書を読みたいと思います。すると、天国との距離がぐっと縮まり、死後まで待たなくても天国に近づくことができて、心の深い平安が得られるようになります。(つづく)