平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

近況のご報告

2023-07-25 09:10:01 | 折々のつぶやき
 2ヶ月ぶりのブログ更新です。

 4月2日に前職を離れて葵区沓谷(くつのや)のアパートに引越し、就活をしていました。書類落ち・面接落ちの連続で凹みましたが、6月前半に面接を受けた静岡県地震防災センター(葵区駒形通5-9-1)のインストラクター職に採用が決まり、7月1日付で働き始めました。



 自転車で通勤することにして、沓谷からは静岡学園・常葉学園・静大附属小中学校・県庁・市役所/区役所の横を通って七間町通りに入り、駒形通5丁目の職場に至る通勤コースですから、非常に多くの通学生・通勤者と行き交います。無職の期間中に区役所の隣のハローワーク通いをしていた頃は不採用の連続でみじめな気持ちになっていましたから、多くの通勤者と同じように職場に向かえるようになった感慨はひとしおで、通勤開始当初には目がウルウルしてしまいました。

 今は電話応対、受付、開館・閉館時の各種スイッチのオンオフの仕方を覚えながら、8月後半からの説明業務に備えて勉強中です。地震防災センターの1~3階にはモニター・照明・空調・装置類がたくさんあって、それら一つ一つの起動・終了の仕方を覚えるだけでも一苦労です。

 インストラクターの仕事の中心である説明業務に向けての勉強では、所長や複数の気象庁OBなどの専門家から静岡県の防災対策と災害概論、さらに各論の地震、津波、土砂災害、気象の基礎、洪水・浸水、火山、避難・備えについての1回90~120分のマンツーマンの講義を全10回で受講中です。

 思い返すと45年前に大学に入学してから専門的な学びを少しずつ始めて、30年前に理工系の研究者から日本語教師に転職する際には日本語学校の日本語教師養成科で日本語教育の基礎や言語学・音声学などを学び、日本語教師を辞めた15年前には牧師を養成する神学校で聖書や教会史、祈りや教会奉仕の基礎などを学びました。15年周期で今また防災に関する新たな専門的な学びが出来ていることに不思議な感慨と喜びを感じています。

 そうして今、最も心に通っている聖書の箇所はダビデの賛歌の詩篇23篇です。

詩篇23:1 主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われます。
3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のゆえに私を義の道に導かれます。
4 たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
5 私の敵をよそに、あなたは私の前に食卓を整え、頭に香油を注いでくださいます。私の杯はあふれています。
6 まことに私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。

 この23篇は以前から大好きな詩篇の一つでしたが、実を言うと4~6節については、それほど共感できていませんでした。4~6節は生涯の多くを戦場で過ごしたダビデならではの述懐だと感じていました。ダビデは若い頃はペリシテ人との戦いとサウル王からの逃避行、王になってからは息子に王宮を追い出されるなどの命の危険がある中を過ごし、それが4~6節の詩として表れていると感じていました。今の私はウクライナのような戦地にはいませんから、4~6節には実感が伴いませんでした。

 しかし、地震防災センターで南海トラフ巨大地震がいつ起きてもおかしくない状況にあることを学び、南海トラフ沿いの府県のほとんどで震度6弱以上の揺れ、多くの海岸で10メートルを超える津波が想定されていることを改めて知りました。専門家からの学びですから、テレビなどの報道で知るよりも遥かに重く心に響いています。そのことで4節の「たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから」が、俄然心に響いて来るようになりました。南海トラフ巨大地震がいつ起きてもおかしくない状況は、まさに「死の陰の谷を歩む」状況であると感じるからです。

 巨大地震に備えて建物の耐震化、家具の固定、最低1週間分の食料・水・非常用トイレの備蓄をして、津波に備えては津波避難場所への迅速な避難の準備をすることで被害を減らすことができます。そしてさらに「私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから」というダビデと同じ思いに至ることができるなら、1節の「私は乏しいことがありません」も一層強く響いて来るであろうことを感じていますから、心より感謝しています。
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