平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

元気を出しなさい(2018.2.25 礼拝)

2018-02-27 07:43:21 | 礼拝メッセージ
2018年2月25日礼拝メッセージ
『元気を出しなさい』
【使徒27:20~26】

はじめに
 先週は使徒の働き24章を開きました。21章に入った頃から私は皆さんに、残りの章は1週間に1章ずつ進んで、ちょうど3月の終わりに28章を学んで使徒の働きの学びを終える予定であることを話しました。それゆえ予定では、きょうは25章を開く予定でいました。
 それで、きょうのためのメッセージの準備を始めた段階で25章を改めて読み直しましたが、パウロが捕らえられてからの状況が相変わらず続いています。パウロが話をする相手は変わって行きますが、パウロが話していることはあまり大きくは変わりません。それで予定を変更して25章と26章はスキップして、きょうは27章を開くことにしました。そうして年会前の次聖日に28章を開いて使徒の働きの学びを終えて、年会後からは、また新たな学びに移ることにしようと思います。

神からの慰めのメッセージ
 平常時であれば、25章と26章もゆっくりと学ぶことも悪くはないと思います。特に26章ではパウロは再び自分がダマスコ途上で復活したイエスさまと出会ったことの証をしています。この証は22章にも書かれています。ルカが同じ証を繰り返し記しているということは、パウロのこのイエスさまとの出会いの出来事をとても重要だと思っているからです。その辺りを探ってみるのも必要なことかもしれません。
 しかし、いまの私たちの教会は平常時ではありません。このような時には、その時にふさわしいメッセージを神様が与えて下さるように思います。私たちが困難の中にある時、神様は慰めと励ましの声を掛けて下さるお方です。
 先週の水曜日の祈祷会のメッセージでは、イザヤ書の40章の慰めのメッセージを共に味わいました。使徒の働きを学ぶ前に、少しの間、イザヤ書40章をご一緒に味わいたいと思います。まず40章の1節と2節を、交代で読みましょう(旧約聖書p.1187)。

40:1 「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」とあなたがたの神は仰せられる。
40:2 「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを【主】の手から受けたと。」

 主は預言者のイザヤにご自分の民を慰めよ、慰めよと言って、慰めのことばを預けました。イザヤ書の構成は大きく分けると二部構成に成っていて、その境目が39章と40章の間です。少し戻って36章と39章までを眺めてみていただくと、歴史書の列王記と歴代誌のような記述の仕方でヒゼキヤ王のことが書かれていることがわかると思います。そうして40章に入るとガラッと雰囲気が変わって慰めのメッセージが始まります。ここで慰められている民は、バビロンに捕囚として引かれて行ったエルサレムの民です。エルサレムはバビロン軍の攻撃によって神殿が焼かれ、町は廃墟となりました。それゆえバビロンに捕囚として引かれて行ったエルサレムの民は心に深い傷を負いました。しかし、やがてペルシアのクロス王の時代になって捕囚が解かれ、エルサレムは回復の時を迎えます。これは大きな慰めです。
 ここでイザヤがバビロン捕囚と解放、そして回復に言及していることから、聖書学では、この40章以降はバビロン捕囚後の別人が書いたと考える学者がたくさんいるそうです。39章まではエルサレムが滅びる前のヒゼキヤの時代までのイザヤ(イザヤ1:1にユダのウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代にイザヤが見た幻とあります)が書き、40章からは後の時代の別人(第二イザヤと呼ばれます)が書いたというわけです。しかし神様は永遠の中におられますから、未来に起きることをイザヤに伝えることができます。ですから、40章以降も39章までと同じイザヤが書いたと考えても少しもおかしくはありません。むしろ、そう考えなければ、イザヤ53章の苦難のしもべをイエスさまと結び付けることができなくなってしまいます。イザヤ53章の4節と5節(週報p.3)には、

53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

とあります。イザヤが未来を知ることができなかったなら、この53章も十字架のイエスさまではないことになります。しかし、この箇所は使徒の働き8章のピリポも明らかにしているように主イエスの十字架についての預言です。ですから、イザヤ40章についてもバビロン捕囚の出来事がまだ実際に起きる前に未来のことを預言したものであると考えるべきです。

不思議な一致と励ましのメッセージ
 とはいえ、39章と40章の間で記述がガラッと変わっていることは確かですから、私たちはイザヤ書を前半と後半に分けて、39章までを前半、40章からを後半という見方をします。そして、ここには大変に興味深い一致があります。それは、イザヤ書の章が66章までであり、聖書の書の数が66であることとの一致です。そして、旧約聖書の書の数が39であり、新約聖書の書の数が27であることまで不思議に一致しています。
 そして新約に対応する40章が慰めのメッセージで始まりますから、まるでイエスさまが私たちを慰めて下さっているように感じます。神様は永遠の中におられますから、このようにして時間を越えて現代の私たちに対しても慰めと励ましの声を掛けて下さっています。
 このイザヤ40章1節と2節には「慰め」のことばがありますが、40章の終わりのほうには励ましのことばがあります。28節から41節までを交代で読みましょう。

40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。
40:29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
40:30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

 ここで主はイザヤを通して疲れた者を励まして下さっています。いま読んだ4つの節にはすべて「疲れ」ということばが使われています。28節では主は疲れることがないとあります。そして29節では疲れた者に力を与えて下さること、そして30節には疲れた者はつまずき倒れるとありますが、31節には「【主】を待ち望む者は走ってもたゆまず、歩いても疲れないとあります。
 このように疲れた者を励まして下さる主は、マタイの福音書のイエスさまとも重なると私は感じています。マタイ11章28節(週報p.3)をご一緒に読みましょう。

28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

 このイエスさまのことばはもちろん、二千年前の人々に向かって言われたことばですが、イエスさまは永遠の中におられますから、21世紀の私たちが疲れている時、イエスさまは聖書を通して現代の私たちに向かって励まして下さっています。聖書は本当に素晴らしい書物だと思います。

元気を出しなさい
 さて、それでは使徒の働き27章に移りますが、きょうはここからも励ましのことばに目を留めたいと思います。それは、「元気を出しなさい」ということばです。これはパウロのことばですが、パウロは22節で「元気を出しなさい」と言った後で25節でも、もう一度「元気を出しなさい」と言いました。
 この時、パウロはローマへ向かう船の中にいました。しかし、14節と15節にあるように、ユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て、船はそれに巻き込まれ、しかたなく吹き流されるままになっていました。この時の状況をパウロと一緒にいたルカは20節のように書いています。20節、

27:20 太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。

 最後の望みも今や絶たれようとしていたとありますから、ルカたちは文字通り絶望的な状況にありました。
 なぜパウロたちがローマに向かう船に乗っていたかというと、捕らえられていたパウロがローマの皇帝のもとで裁判を受けることを希望したからです。少し戻って25章の11節でパウロは「私はカイザルに上訴します」とユダヤの総督のフェストに言いました。カイザルというのはローマの皇帝のことです。パウロはローマの市民権を持っていましたから、そのように上訴することができたのですね。そして次の12節でフェストは言いました。「あなたはカイザルに上訴したのだから、カイザルのもとへ行きなさい。」
 こうしてパウロは捕らえられたままの状態で船に乗ってローマに向かうことになりました。そして、その途中でユーラクロンという暴風に遭って、船が漂流することになったのでした。
 その絶望的な状況の中でパウロは船に乗っている人々に「元気を出しなさい」と言って励ましました。そしてパウロは言いました。22節から24節、

27:22 しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。
27:23 昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、
27:24 こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』

 皆が絶望している状況の中で、パウロは絶望していませんでした。それはパウロには堅固な信仰があり、主のことばを聞いていたからです。そうして、さらに励ましのことばをつづけました。25節と26節、

27:25 ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。
27:26 私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」

 これは紀元1世紀のことです。古い時代の船の難破のことで日本人によく知られているのは紀元7世紀に始まった遣隋使や遣唐使のことではないでしょうか。この時代の日本人は命がけで中国の進んだ制度や技術、学問を学びに行きました。この時代でも随分と船の難破がありました。しかし、パウロの時代はそれよりも遥か以前のことであり、難破への恐怖心はもっと大きかっただろうと思います。しかし、パウロは全く動じていませんでした。

恐怖におびえていたウェスレー
 ここで、私たちの教団の信仰の源流にいるジョン・ウェスレーの体験を見てみることにしましょう。ウェスレーは32歳だった1735年にイギリスからアメリカに渡る船の中にいました。アメリカの先住民に伝道するためです(と同時にウェスレーは自身の救いの確証を求めていました)。この時、ウェスレーが乗った船が嵐に遭遇し、ウェスレーは牧師でしたが船の中で恐怖におびえていたそうです。しかし、この時に同じ船に乗っていたモラビア派の一般信徒たちは落ち着いていたそうです。ウェスレーはこのことにショックを受けていました。そして、アメリカ上陸後にモラビア派の指導者のシュパンゲンベルクに助言を求めたそうです。すると、シュパンゲンベルクはウェスレーに次のように聞いたそうです。「兄弟、それでは初めに質問させていただきます。あなたは、自分の内に確証がありますか。自分が神の子であるということを、自分自身の霊とともに、神の御霊は証ししていますか。あなたはイエス・キリストを知っていますか」。ウェスレーは「『はい。知っています』と答えたものの、それらがむなしい言葉であると自分でわかっていた」と日誌に記しています。
 この時のウェスレーはまだ救いの確証が得ておられず、苦悩の中にいました。ウェスレーが救いの確証を得たのは、この時から約2年半後の1738年、アルダスゲート街においてでした。先ほどのシュパンゲンベルクの質問をもう一度繰り返します。
 「兄弟、それでは初めに質問させていただきます。あなたは、自分の内に確証がありますか。自分が神の子であるということを、自分自身の霊とともに、神の御霊は証ししていますか。あなたはイエス・キリストを知っていますか」。
 ここでシュパンゲンベルクはパウロのローマ人への手紙の一節を引いていますね。ローマ8章16節です(週報p.3)。「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます」。パウロには、自分が神の子であるという確証がありました。一方のウェスレーにはありませんでした。
 嵐の中で沈みかけている船という極限の状況の中で、自分が救われて神の子とされている確証の有る無しがどれだけ恐怖を減らしてくれるのか、私自身は嵐の中の船に乗った経験がありませんからよくわかりませんが、普段の日常生活の中で起きる嵐のような出来事に対しては、やはり自分が救われて神の子とされているという確証が有るか無いかでは、大きな違いをもたらだろうと思います。

私たちは神の子羊
 私たちの教会も昨年から、嵐のような中を通っています。その中にあっても自分に御霊が注がれているという確信があれば平安でいられるということで、今年の聖句である第一ヨハネ4:13が示されました。週報の1ページにある、「神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります」ですね。このように、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかるなら、自分が救われて神の子とされているという確証も得られているはずです。そして私たちは御霊によって、「アバ、父と呼びます」。ローマ8章14,15節に書いてある通りです(新約聖書p.301)

8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
8:15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。

 この、私たちが「アバ、父」と呼ぶ神様は、最初にイザヤ書40章で見たように、私たちを慰め、励まして下さる神様です。
 最後にもう一度、イザヤ書40章を開きましょう。今度は先ほど読まなかった10節と11節を交代で読みます。

40:10 見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。
40:11 主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。

 私たちは主に飼われている羊です。主は子羊を引き寄せ、ふところに抱き、またお母さんの羊を優しく導きます。この11節からは何とも優しい慰めと励ましを感じますね。そうかと思えば、31節のように力強くも励まして下さいます。31節ももう一度、ご一緒に読みましょう。

40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

 この一年間、私たちは大変な中を通り、今もその中にありますが、そのことによって私自身はこれまでになくイザヤ書から多くの慰めと励ましを受けることができるようになりました。これは素晴らしい恵みです。イザヤ書がこんなにも恵みに溢れた書として読んだことが実はありませんでした。慰めと励ましのメッセージは、やはり物事が順調に進んでいる時にはわからないもので、今回のような経験をしなければわからないのだということを改めて感じています。聖書は本当に奥が深い、素晴らしい書物だと思います。

おわりに
 教会がどういう形になるにせよ、私たちはこの素晴らしい聖書の恵みを、多くの方々にお伝えして行きたいと思います。主の慰めと励ましを受けながら、このことのために用いられる私たちでありたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
コメント

獄中でのそれぞれの二年間(2018.2.18 礼拝)

2018-02-19 23:09:16 | 礼拝メッセージ
2018年2月18日礼拝メッセージ
『獄中でのそれぞれの二年間』
【使徒24:27、創世記41:1】

はじめに
 きょうの聖書箇所は使徒の働き24章です。今のところの予定では使徒の働きの最後の28章まで毎週1章のペースで進んで行きたいと思っています。ただ21章でパウロが逮捕されてから28章でローマに入るまでの大まかな流れは先週のメッセージの中で概観してしまいました。それで、きょうの学びでは何を取り上げるべきか思いを巡らしていたところ、27節の「二年たって後」が目に留まりました。
 使徒の働きを書いたルカは、この2年の間、パウロがどう過ごしていたかについては何も触れずに、二年後のことへと話を進めています。この二年間は獄中にいたパウロにとっても、パウロのことを心配していたルカたちにとっても、つらい二年間であったと思います。しかし、ルカはそこをあっさりとスキップしています。
 この使徒24章27節の「二年たって後」を読んだ時に私は、きょうのもう一つの箇所である創世記41章1節のヨセフのことを思い起こしました。ヨセフもまた獄中にいました。そして創世記の記者は、この二年間のことにはまったく触れずに話を二年後に進めています。きょうは、この使徒の働きのパウロと創世記のヨセフの獄中でのそれぞれの二年間について、ご一緒に思いを巡らしてみたいと思います。
 なお獄中での二年間と言えば私たちの教団の初代総理の蔦田二雄先生のことも、もちろん思うことです。しかし戦時中の日本での獄中生活がどれほど厳しいものであったについて全く分かっていない戦後生まれの私が蔦田先生の獄中生活を想像しながら語るなどということはできませんから、きょうは蔦田先生のことには触れないことを予めお伝えしておきます。

エジプトに連れて来られたヨセフ
 それでは、まず創世記41章1節から見ていくことにします。私がこの箇所からの説教を初めて聞いたのは高津教会における「祈る人びと」の説教シリーズの中においてでした。教会に通い始めてから二年ぐらいしか経っていなかった頃のことだったと思います。説教者の藤本先生が、この空白の二年間に注目したことに、とても新鮮な感動を受けたことを良く覚えています。聖書の行間を読むことの面白さを初めて知った瞬間であったと言っても良いと思います。
 ヨセフの物語は皆さんも良くご存知のことと思いますが、簡単に見ておきたいと思います。ヨセフはヤコブの息子でした。ヤコブはイスラエルという名前を神から与えられていました。創世記37章の3節と4節をお読みします。

37:3 イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。それはヨセフが彼の年寄り子であったからである。それで彼はヨセフに、そでつきの長服を作ってやっていた。
37:4 彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。

 兄たちはヨセフを憎んでいたので、彼らはヨセフをエジプトに向かっていた商人に売ってしまいました。同じ37章の27節と28節をお読みします。

37:27 さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが彼に手をかけてはならない。彼はわれわれの肉親の弟だから。」兄弟たちは彼の言うことを聞き入れた。
37:28 そのとき、ミデヤン人の商人が通りかかった。それで彼らはヨセフを穴から引き上げ、ヨセフを銀二十枚でイシュマエル人に売った。イシュマエル人はヨセフをエジプトへ連れて行った。

 こうしてエジプトに連れて来られてしまったヨセフは、今度は無実の罪によって監獄に入れられてしまいました。39章の20節をお読みします。

39:20 ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄にいた。

 さて、この監獄の中にいた時、ヨセフに監獄から出られるチャンスが巡って来ました。同じ監獄に入れられていた献酌官長がそこから出られるようになるということで、ヨセフは献酌官長に自分のことを頼みました。40章の14節です。

40:14 あなたがしあわせになったときには、きっと私を思い出してください。私に恵みを施してください。私のことをパロに話してください。この家から私が出られるようにしてください。

 ところが23節、

40:23 ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。

ヨセフを成長させた二年間
 そうして、きょうの聖書箇所になります。41章1節です。

41:1 それから二年の後、パロは夢を見た。見ると、彼はナイルのほとりに立っていた。

 献酌官長はヨセフのことを忘れてしまい、それから二年間が経ちました。これはヨセフにとっては、ものすごくつらいことであっただろうと思います。なぜなら献酌官長が監獄から出られたことでヨセフは自分もようやく監獄から出られるかもしれないと大きな期待を持ったはずだからです。しかし、一ヶ月経っても二ヶ月経ってもヨセフが呼び出されることはありませんでした。そうして期待が失望へと変わって行きました。期待が大きかった分、ヨセフが味わった失望は大きかっただろうと思います。
 では、ヨセフはどうやって、この失望を克服していったのでしょうか。それは想像するしかありません。「祈る人びと」のシリーズの説教をした藤本先生は、ヨセフは祈っていたのだろうとしています。そうなのだろうなと思います。そして私は、この獄中での期待から失望の二年間があったからこそ、ヨセフはより大きな人間へと変わって行くことができたのだろうと思います。パウロはローマ人への手紙で「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す」(ローマ5:3,4)と書いています。ヨセフの場合もまた、獄中での艱難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出していったのではないでしょうか。いつかは必ず監獄から出られるであろうという希望を持ち、腐ることなく自らの品性を練り上げていったのではないかと思います。だからこそ、エジプトの王に重く用いられるようになったのだと思います。41章の39節から41節までをお読みします。

41:39 パロはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない。
41:40 あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。」
41:41 パロはなおヨセフに言った。「さあ、私はあなたにエジプト全土を支配させよう。」

 監獄での二年間はヨセフにとってつらい二年間であったと思いますが、ヨセフがエジプトの王に重く用いられて、やがてヤコブの家族がエジプトに移住して、その子孫たちがモーセに率いられてエジプトを脱出し、律法が与えられました。そして新約の時代には聖霊が与えられるようになりました。このような神の救いの計画の全体像から考えるなら、ヨセフが忘れられていた二年間は、必要な二年間であったのだろうと思います。

パウロの獄中での二年間
 では次にパウロの獄中での二年間に思いを巡らしたいと思います。
 パウロはユダヤの総督ペリクスの下で監禁されていました。24章27節をお読みします。

24:27 二年たって後、ポルキオ・フェストがペリクスの後任になったが、ペリクスはユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につないだままにしておいた。

 この二年間はパウロにとっても、彼自身が書いたローマ人への手紙5章3節から5節までの通りになったのかもしれません(週報p.3に載せてあります)。お読みします。

5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

 パウロにとっての、この獄中での二年間はどのようなものだったでしょうか。私はこの二年間より前のパウロの手紙と後の手紙とを比べて見ると、見えて来るものがあると感じています。新約聖書のパウロの手紙は、ガラテヤ、第一テサロニケ、第二テサロニケ、第一コリント、第二コリント、ローマが、この二年間よりも前に書かれたものです。そしてエペソ、ピリピ、コロサイ、ピリピ、第一テモテ、第二テモテ、テトス、ピレモンがこの二年間の後に書かれた手紙です。

スケールが大きくなったパウロ
 私は、この二年間の後の手紙のほうにスケールの大きくなったパウロを見ることができると感じています。ここからは既に話したことがあることばかりだと思いますが、コロサイ人への手紙とエペソ人への手紙をご一緒に見て、パウロがいかにスケールの大きな世界に霊的な目を向けていたかを、共に味わいたいと思います。
 まず、コロサイ人への手紙1章の15節から17節までです。ここからは、交代で読むことにしたいと思います。

1:15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。
1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

 御子が万物の創造主であったことをパウロは明快に書いています。このスケールの大きな描写は、とても重要だと思います。ご承知のように、ヨハネの福音書の冒頭にも同様のことが書かれています。開かなくて良いですから、聞いていて下さい。皆さんもよくご存知のヨハネの福音書1章1節から3節までをお読みします。

1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。

 ここにも、イエス・キリストが万物の創造主であることが書かれています。パウロとヨハネの両方が御子イエス・キリストが万物の創造主であると書いていますから、私たちは安心して、このことを信じることができます。もちろん片方にしか書いていなくても私たちは安心して信じるべきです。しかし、どうでしょうか。もしコロサイ人への手紙が後世の私たちには残されていなくて、ヨハネだけがこのことを書いていたら、若干の不安が残らないでしょうか。ヨハネは他の新約聖書の記者たちとは少し変わった書き方をしていますから、御父だけではなく御子もまた万物の創造主であることを100%安心して信じることができるでしょうか。私はパウロがコロサイ人への手紙に御子が万物の創造主であることを書いてくれていて本当に良かったなと思います。そして、この手紙が失われることなく後世にも伝えられたことを感謝しています。

宇宙スケールのキリストの愛を描いたエペソ書
 では、次にエペソ人への手紙を開きましょう。もう何度もご一緒に読んでいますが、パウロのスケールの大きな描写と言えば、やはりエペソ3章だと思います。エペソ3章の14節から19節までを交代で読みましょう。

3:14 こういうわけで、私はひざをかがめて、
3:15 天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。
3:16 どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。
3:17 こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
3:18 すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
3:19 人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。

 私は特に18節の「広さ、長さ、高さ、深さ」というところにスケールの大きさを感じます。そして19節の「人知をはるかに越えたキリストの愛」という表現もそうですね。しかし、もし18節がなくて、単に「人知をはるかに越えたキリストの愛」とだけしか書かれていなかったら、このキリストの愛の大きさは漠然とした捉えどころのないものになったであろうと思います。パウロが「広さ、長さ、高さ、深さ」と書いたことで、私たちは宇宙スケールの壮大なキリストの愛の大きさを思い浮かべることができます。

巨大な悪もまた宇宙スケール
 そして、先週もその一部を読みましたが、エペソ6章の10節から13節までを交代で読みたいと思います。

6:10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
6:11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

 先週も見ましたが、特に12節です。ここには宇宙スケールの巨大な悪の支配者の悪魔のことが書かれています。パウロは宇宙スケールの神を霊的に見ていたからこそ、悪魔についても、その悪の支配の大きさをしっかりと霊的に見ることができたのだと思います。
 ですから、もし私たちが神のスケールの大きさを十分に感じることができていないとしたら、悪魔の支配力の大きさも過小評価してしまうことになるだろうと思います。私自身のことを考えてみても、神の大きさがわかるようになればなるほど、悪魔の支配の大きさも分かるようになって来ました。悪魔の支配は本当に恐ろしいことです。ですから私たちは神のすべての武具を取る必要があるのです。エペソ6:13はフィクションのように誇張した表現では決してありません。
 パウロがエペソ人への手紙を書いたのは、二年間の獄中生活の後、裁判を受けるためにローマに行ってからです。パウロはローマにおいてもずっと捕らえられた状態のままでした。悪魔の大きな力はパウロをずっと拘束したままでいました。パウロがキリストの愛の大きさと悪魔の支配力の大きさをエペソ人への手紙に書いたのは、パウロが悪の支配力の大きさを身に沁みて感じていたからではないかと私は考えます。

おわりに
 私たちもまた困難の中にあります。その最大の理由は、やはり悪魔がこの日本と世界を依然として支配していて、私たちが苦しい闘いを強いられているからだと思います。しかし、この艱難はまた、私たちの信仰を大きくしてくれるものであることも、覚えたいと思います。
 最後に、週報p.3に載せてあるローマ人への手紙5章の3節から5節までを交代で読んで、終わりたいと思います。

5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

 お祈りいたしましょう。
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ローマへの長い長い道のり(2018.2.11 礼拝)

2018-02-12 10:29:17 | 礼拝メッセージ
2018年2月11日礼拝メッセージ
『ローマへの長い長い道のり』
【使徒23:11、31~35】

はじめに
 使徒の働きの学びで、きょうは23章をご一緒に見ることにします。3月の最後の聖日には使徒の働きの最後の章の28章を開いて、使徒の働きの学びを終えることにしていますから、21章からは1回の聖日につき1つの章を進むようにしています。
そのようにして、使徒の働きの終わりのほうまでを見渡していて、一つ気付いたことがあります。きょうは先ず、そのことを分かち合いたいと思います。

使徒の働きの4分の1以上がパウロの逮捕以降
 それは、パウロが21章でエルサレムで捕らえられてから、28章でローマに着くまでに、ルカが足掛け8章分ものページ数を割いて書いているということです。このことに私が今頃になって気付くということは、これまで私がいかに使徒の働きの21章以降を軽視していたかが分かってしまって面目ありませんが、それは置いておいて、これはとても興味深いことだと思いました。ルカは、実に使徒の働き全体の4分の1を越える分量を、パウロがエルサレムで捕らえられてから、ローマに着くまでの記述に費やしています。
 パウロが、どの箇所で捕らえられたかを簡単に振り返っておくと、それは21章の30節でしたね。お読みします。

21:30 そこで町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外へ引きずり出した。そして、ただちに宮の門が閉じられた。

 そうして捕らえられた後、パウロは22章でユダヤ人たちに向かって、自分がダマスコに行く途中でイエス・キリストと出会ったことの証をしたことを先週はご一緒に見ました。
 そして、きょうの聖書箇所でパウロは主からの次のような声を聞きました。23章の11節です。

23:11 その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」と言われた。

 主はパウロに対してローマでも証をしなければならないと仰せられました。ここだけを読むと、次の章にはローマに入るのかなと思ってしまいますが、パウロは次の24章でもローマにはいませんし、25章でも26章でもローマにいません。そして、なんと27章にもまだローマにはいません。パウロがローマに到着したのは28章の16節です。お読みします。

28:16 私たちがローマに入ると、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許された。

 そうして、この使徒の働きは28章の31節で終わります。一体どうしてルカは、パウロがエルサレムで捕らえられてからローマに入るまでの期間に、使徒の働きの4分の1もの分量を割いて記述したのでしょうか。それは、やはり、ルカがこの部分をとても大切だと考えていたからでしょう。テレビドラマや映画などでも、ここぞという大切な場面では、時間をたっぷりと使いますね。例えば私は忠臣蔵がけっこう好きなのですが、忠臣蔵と言えば、主君の敵(かたき)である吉良上野介の屋敷への討ち入りの場面がクライマックスですから、ここにたっぷりと時間を使います。討ち入り前の入念な準備のシーンも重要ですが、やはりメインは討ち入りです。
 或いはまた広島の原爆の映画などでは、原爆が投下された当時にスポットを当てている映画もあれば、原爆が投下されたずっと後の日々にスポットを当てているものなど、様々な映画があります。昨年私が出した本でも紹介した『夕凪の街 桜の国』という映画では、映画の前半部分は原爆が投下されてから10年後の物語で、後半の部分は、それからさらに50年後の物語です。原爆投下直後についてのシーンはほんの少ししかありません。それは、被爆者とその家族が実に長い期間、苦悩を抱えていることをこの作品は伝えようとしているからです。
 これらの例でもわかるように、ドラマや映画では、どのシーンにどれくらいの時間が割かれているかで、そのシーンの重要度が概ねわかるようになっています。ですから、パウロがエルサレムで捕らえられてからローマに入るまでに全体の4分の1が費やされているということは、やはりルカがここを重要だと考えているからだということになるでしょう。

なぜパウロの逮捕以降がそんなに大切なのか
 さてでは、どうしてルカがエルサレムからローマへの道のりをそんなにも重要であると考えたのだろうかという話になりますね。それには、パウロが28章までをどのように過ごしていたかを知る必要があります。そこで、きょうは、捕らえられたパウロがどこにいたのかを、ざっと見ることにしたいと思います。
 もう一度21章に戻ると、パウロは30節でユダヤ人たちに捕らえられましたが、そのすぐ後でローマ軍の千人隊長に捕らえられました。当時のユダヤはローマ帝国が支配していたからです。31節から33節までをお読みします。31節の「彼ら」というのは、パウロを捕らえたユダヤ人たちのことです。

21:31 彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長に届いた。
21:32 彼はただちに、兵士たちと百人隊長たちとを率いて、彼らのところに駆けつけた。人々は千人隊長と兵士たちを見て、パウロを打つのをやめた。
21:33 千人隊長は近づいてパウロを捕らえ、二つの鎖につなぐように命じたうえ、パウロが何者なのか、何をしたのか、と尋ねた。

 そして、先週開いた22章と先ほど司会者に読んでいただいた23章11節の時点では、パウロはまだエルサレムの千人隊長のもとにいます。以降は、細かい事情は飛ばして、単にパウロがどこにいたのか、ということだけを見ることにします。23章の31節から33節までをお読みします。

23:31 そこで兵士たちは、命じられたとおりにパウロを引き取り、夜中にアンテパトリスまで連れて行き、
23:32 翌日、騎兵たちにパウロの護送を任せて、兵営に帰った。
23:33 騎兵たちは、カイザリヤに着き、総督に手紙を手渡して、パウロを引き合わせた。

 このようにパウロはエルサレムからアンテパトリスを経てカイザリヤに移動し、そこで総督に引き合わせられました。総督の名はペリクスであることが24章の2節からわかります。

24:2 パウロが呼び出されると、テルトロが訴えを始めてこう言った。「ペリクス閣下。閣下のおかげで、私たちはすばらしい平和を与えられ、また、閣下のご配慮で、この国の改革が進行しておりますが、

 さて、24章の27節を見ると、パウロはペリクスの監視のもとで2年間を過ごしたことがわかります。27節、

24:27 二年たって後、ポルキオ・フェストがペリクスの後任になったが、ペリクスはユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につないだままにしておいた。

 こうして24章が終わって25章に入ります。パウロはペリクスの後任の総督のフェストに次のように訴えました。25章の10節と 11節、

25:10 すると、パウロはこう言った。「私はカイザルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。あなたもよくご存じのとおり、私はユダヤ人にどんな悪いこともしませんでした。
25:11 もし私が悪いことをして、死罪に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません。しかし、この人たちが私を訴えていることに一つも根拠がないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカイザルに上訴します。」

 このパウロの訴えに対してフェストは答えました。12節です。

25:12 そのとき、フェストは陪席の者たちと協議したうえで、こう答えた。「あなたはカイザルに上訴したのだから、カイザルのもとへ行きなさい。」

 と、このように総督のフェストが言ったのですから、ただちにローマへ向けて出発するかと思いきや、すぐ後でアグリッパ王が来て、25章の後半はアグリッパ王とフェストとのやり取り、そして26章にはアグリッパ王とパウロとのやり取りが記されています。アグリッパ王というのはヘロデの家系のヘロデ・アグリッパ2世のことです。そうして、この25章と26章のヘロデ・アグリッパ2世に関わる記述の後、27章でようやくローマに向けて船で出帆しましたが、途中で暴風で吹き流されてマルタ島に漂着します。28章には、このマルタ島からローマに至る道も描かれていて、14節でやっとでローマに到着しました。

権力者たちを支配している悪魔
 ここまで、早足で21章から28章までを概観しました。あまりに早足すぎてわかりづらかったかもしれませんが、ここから、ルカが何を描きたかったかを考えてみたいと思います。
 今説明した区間を読んでいて、私は二人の総督とアグリッパ王とが、いずれも俗物であったり、うなじのこわい者であったという印象を受けました。例えば最初の総督のペリクスについては、ルカは24章の24節と25節に次のように書いています。

24:24 数日後、ペリクスはユダヤ人である妻ドルシラを連れて来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスを信じる信仰について話を聞いた。
24:25 しかし、パウロが正義と節制とやがて来る審判とを論じたので、ペリクスは恐れを感じ、「今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう」と言った。

 パウロの話を聞いたペリクスは、やがて来る審判では自分は間違いなく裁かれて火の中に入れられると思ったことでしょう。しかし、今の罪深い生活も心地よく感じていて、それをやめたくはなかったのだろうと思います。彼は悔い改めることなくパウロを帰しました。さらにルカは26節のようにも書いています。

24:26 それとともに、彼はパウロから金をもらいたい下心があったので、幾度もパウロを呼び出して話し合った。

 ですから、ペリクスは相当な俗物であったようです。次にフェストですが、ルカはフェストについて、25章9節で、

25:9 ところが、ユダヤ人の歓心を買おうとしたフェストは、パウロに向かって、「あなたはエルサレムに上り、この事件について、私の前で裁判を受けることを願うか」と尋ねた。

と書いています。フェストはユダヤ人の歓心を買おうとしました。イエスさまの時代の総督のピラトもそうですが、総督はその地方の人々を上手く治めないと統治能力が無いとみなされますから、ユダヤ人の歓心を買う必要があったのでしょう。また、ルカはフェストについて次のようにも書いています。26章の24節です。

26:24 パウロがこのように弁明していると、フェストが大声で、「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている」と言った。

 結局、フェストはパウロの言うことを信じていませんでした。
 またアグリッパ王に関してはルカは26章28節のように書いています。

26:28 するとアグリッパはパウロに、「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」と言った。

 アグリッパ王もまた、イエス・キリストを信じようとしませんでした。
 これらの記述を見ると、パウロがどのような相手と闘っていたか、大きな構造が見えて来るような気がします。ペリクスもフェストもアグリッパ王も皆、この地を統治している権力者です。その権力者たちはいずれもパウロのことばを聞きながらも、信じようとはしませんでした。すると、より大きな構造として彼らが悪魔に支配されている姿が見えて来ます。

悪魔と対決しているパウロ
 ここで、パウロが第一次伝道旅行を始めた時の使徒13章を振り返ってみたいと思います。13章の2節で、パウロとバルナバたちが主を礼拝していると、聖霊が「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われました。それでパウロとバルナバは第一次伝道旅行に出て、4節にあるように先ずキプロス島に渡しました。すると6節で魔術師に出会いました。その次の7節をお読みします。

13:7 この男は地方総督セルギオ・パウロのもとにいた。この総督は賢明な人であって、バルナバとサウロを招いて、神のことばを聞きたいと思っていた。

 この13章でも総督が登場していました。キプロス島の総督です。この総督はバルナバとパウロを招いて神のことばを聞きたいと思っていました。ところが8節、

13:8 ところが、魔術師エルマ(エルマという名を訳すと魔術師)は、ふたりに反対して、総督を信仰の道から遠ざけようとした。

 魔術師は総督を信仰の道から遠ざけようとしました。それはつまり、総督が神に近づくことを悪魔が引き離そうとしているということです。その魔術師に対してパウロは言いました。9節と10節、

13:9 しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、
13:10 言った。「ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵。おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。

 こうして見ると、ローマ帝国が支配していた地域の全体が悪魔に支配されていたと見ることができます。つまり、世界は悪魔に支配されているということです。そうしてパウロは第一次伝道旅行の始めから悪魔と対決していました。このように悪魔が支配する世界でパウロは伝道旅行でイエス・キリストの教えを宣べ伝えて各地に教会を建て上げて行きました。それによって多くの人々が信仰に入りました。しかし、21章以降でルカは使徒の働きの4分の1という長い分量を使って権力者たちがイエス・キリストを信じようとしなかったことを描きました。ここからルカは、悪魔による世界の支配がまだまだしっかりと続いていることを伝えたかったのではないかと私は感じています。

暗闇の世界の支配者との格闘
 パウロはエペソ人への手紙で、

6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

と書いています。パウロが闘っていたのは、この暗闇の世界の支配者たちでした。総督のペリクスとフェスト、そしてアグリッパ王はユダヤの支配者で、彼らは悪魔に支配されていました。そして、この三人の上にはローマの皇帝がいました。このローマの皇帝もまた悪魔に支配されていました。使徒23章11節でイエスさまは、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」とパウロに言いましたが、それは、ローマ皇帝を支配している悪魔と直接対決するようにということだったのかもしれません。
 きょうは使徒の働きの21章から28章までを見渡して、ローマ帝国全体が悪魔に支配されている様子を見ることができましたから感謝でした。
 全体が悪魔に支配されているという点では、今の日本も同じです。日本のキリスト教は、かつては次々と教会が開拓されていって、それぞれの教会がそれぞれの地域で伝道をしていました。しかし、その時代を通り過ぎて、今は離れた教会同士が協力関係を持つ時代になって来ました。広い地域を見渡す視点を得るという意味においても、また次々と教派が枝分かれして行ったプロテスタント教会がもう一度一つになって行くという意味においても、それは良いことなのだと言えるでしょう。

おわりに
 私たちが闘っている相手が何なのかという観点を持ちつつ、この先も私たちは信仰の道を歩んで行きたいと思います。最後に、ご一緒に使徒23章11節を読んで、終わりたいと思います。

23:11 その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」と言われた。

 お祈りいたしましょう。
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イエスの証人パウロ(2018.2.4 礼拝)

2018-02-06 08:11:18 | 礼拝メッセージ
2018年2月4日礼拝メッセージ
『イエスの証人パウロ』
【使徒22:1~10】

はじめに
 きょうは使徒の働きの22章を開いています。2月と3月にそれぞれ4回ずつ計8回の聖日があります。そのうちの1回の3/18は他の先生がメッセージを語って下さることになっていますから、2月と3月で私が担当する礼拝メッセージは、あと7回です。きょうは使徒22章で、1聖日に1章ずつ進めば、ちょうど3月の第4聖日に28章を開くことができて、使徒の働きの1章から28章までの全体を見渡すことができた、ということにできると思っています。そうして4月1日のイースター礼拝は、どこかイースターにふさわしい箇所を開くことにしたいと願っています。

エルサレムで捕らえられたパウロ

 さて、先週は使徒21章でパウロがエルサレムでローマ兵に捕らえられた場面をご一緒に見ました。パウロがエルサレムに向かって近づいて行く中で、周囲の人々はパウロがエルサレムに上ることを何度も止めようとしました。例えば21章の4節、この4節の「私たち」の「私」とはルカのことです。4節、

21:4 私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。

 或いはまた12節、

21:12 私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。

 いろいろな人々がパウロはエルサレムで捕らえられるということを御霊に示されてパウロがエルサレムに行くことを思いとどまらせようとしました。しかし、パウロは13節で言いました。13節、

21:13 するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。

 そうして、パウロはエルサレムに上って行って、捕らえられてしまいました。まずパウロはユダヤ人たちによって捕らえられました。30節です。

21:30 そこで町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外へ引きずり出した。そして、ただちに宮の門が閉じられた。

 このようにパウロがユダヤ人たちによって神殿の外へ引きずり出されたところにローマ兵の千人隊長が駆けつけました。31節と32節、

21:31 彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長に届いた。
21:32 彼はただちに、兵士たちと百人隊長たちとを率いて、彼らのところに駆けつけた。人々は千人隊長と兵士たちを見て、パウロを打つのをやめた。

 そうしてパウロは千人隊長によって捕らえられました。33節です。

21:33 千人隊長は近づいてパウロを捕らえ、二つの鎖につなぐように命じたうえ、パウロが何者なのか、何をしたのか、と尋ねた。

 この千人隊長に向かってパウロは、ユダヤ人たちに話をさせて欲しいと頼みました。39節です、

21:39 パウロは答えた。「私はキリキヤのタルソ出身のユダヤ人で、れっきとした町の市民です。お願いです。この人々に話をさせてください。」

 パウロのこの頼みを千人隊長は許しました。40節、

21:40 千人隊長がそれを許したので、パウロは階段の上に立ち、民衆に向かって手を振った。そして、すっかり静かになったとき、彼はヘブル語で次のように話した。

イエスとの出会いを証したパウロ

 そうして、きょうの聖書箇所の22章に入って行きます。22章の1節と2節、

22:1 「兄弟たち、父たちよ。いま私が皆さんにしようとする弁明を聞いてください。」
22:2 パウロがヘブル語で語りかけるのを聞いて、人々はますます静粛になった。そこでパウロは話し続けた。

 そして、パウロは自分自身について語り始めました。3節から5節、

22:3 「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。
22:4 私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。
22:5 このことは、大祭司も、長老たちの全議会も証言してくれます。この人たちから、私は兄弟たちへあてた手紙までも受け取り、ダマスコへ向かって出発しました。そこにいる者たちを縛り上げ、エルサレムに連れて来て処罰するためでした。

 そして、ここから先でパウロは、自分がダマスコに向かう途上でイエス・キリストと出会った時のことを語り始めます。ここでパウロが語っていることは、使徒の働きの9章に書かれていることとほとんど同じです。ただし使徒9章では、ルカはダマスコ途上の出来事を第三者の目で描写しています。しかし、この22章では、パウロが自分自身の経験として証をしています。つまり、ここでパウロは「イエスの証人」として人々に自分の体験の証をしています。
 このダマスコ途上の出来事は使徒9章を通して皆さんの多くはだいたいのことをご存知だろうと思いますが、簡単に見ておきましょう。22章の6節と7節、

22:6 ところが、旅を続けて、真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです。
22:7 私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞きました。

 この時のパウロは、この声の主(ぬし)がまだ誰かわかっていませんでした。8節、

22:8 そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ』と言われました。

 こうしてパウロはイエス・キリストと出会いました。この時、イエス・キリストはパウロにだけ現れてパウロと一緒にいた者たちにはわからなかったようです。9節、

22:9 私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。

 この時のパウロと一緒にいた者たちとは、パウロと共にイエスの弟子たちを迫害しようとしていた者たちです。その者たちにはイエス・キリストは語り掛けませんでした。パウロにだけ語り掛けています。そして10節、

22:10 私が、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか』と尋ねると、主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる』と言われました。

 パウロと一緒にいた者たちには、そこにイエスさまがいたことがわからなかったのですから、パウロが出会ったのは霊的なイエスさまです。
 これもまたイエス・キリストと出会ったことになります。ペテロやヨハネなどの十二弟子たちは人間のイエスさまに出会って旅を共にしました。イエスさまと出会ったと言うと、ペテロたちのような人間のイエスさまとの出会いを先ず思い浮かべるかもしれませんが、パウロのような霊的なイエスさまとの出会いも、もちろん含みます。現代の私たちも同様です。ですから、ペテロやヨハネは少数派で、ほとんどの人々にとってイエスさまと出会うとは、霊的なイエスさまと出会うということです。

霊的なイエスと出会うとは

 さて、きょうは残りの時間で、霊的なイエスさまと出会うとはどういうことかについて、もう少し考えてみたいと思います。先ず、強調しておきたいことは、パウロのような強烈な出会い方は「例外中の例外である」ということです。
 イエスさまは、いつも私たちに語り掛けて下さっています。しかし、それは気付くか気付かない程度の弱いものです。だからこそ、霊的であると言えるでしょう。霊的な語り掛けは誰でもが気付くようなものではありません。
 では、パウロに対しては、どうしてそんなに強烈な現れ方をしたのでしょうか。それは、ここで改めて説明する必要もないと思いますが、パウロは選ばれた器だからですね。パウロは異邦人にイエス・キリストを宣べ伝えるための選ばれた器だからです。22章の21節でパウロが証している通りです。21節、

22:21 すると、主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす』と言われました。」

 こうしてパウロはイエスさまによって召し出されました。この当時のパウロは、ペテロやヨハネたちが説いていた「十字架で死んで復活したイエスは救い主のキリストである」という話をまったく信じていませんでしたから、イエスさまにも一切関心がありませんでした。そんなパウロに対しては、強烈な現れ方が必要でした。
 では、パウロに対するイエスさまの現れ方が例外中の例外であるとするなら、普通の現れ方は、どのようなものでしょうか。それは、私が好んで開くヨハネの福音書の1章と4章に見られると思います。
 ヨハネの福音書の1章の35節から39節までを交代で読みましょう。

1:35 その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、
1:36 イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊」と言った。
1:37 ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
1:38 イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか。」
1:39 イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります。」そこで、彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。そして、その日彼らはイエスといっしょにいた。時は第十時ごろであった。

 ここではヨハネの二人の弟子が、イエスさまのほうに近づいて行きました。それによって弟子たちは、イエスさまが「あなたがたは何を求めているのですか」、「来なさい。そうすればわかります」と自分たちに語り掛けて下さった声を聞くことができました。二人がもしイエスさまのほうに近づいて行かなければ、この語り掛けを聞くことはできなかったでしょう。これがイエスさまとの普通の出会い方です。これは私たち一人一人の信仰への導かれ方を考えてもわかると思います。ほとんどの人は、たとえ誰かに連れて行ってもらったとしても自分の足で教会の玄関の中に入ることで信仰へと導かれることになったことと思います。もし自分は教会にずっと背を向けていて一度も自分の足で教会に入ったことがないのに信仰に導かれたという人がいたとしたら、それは例外中の例外であると言えるでしょう。
 ですからイエスさまから離れていたパウロのイエスさまとの強烈な出会いは例外中の例外です。普通はイエスさまに関心を持ってイエスさまに近づいて行った者だけが、イエスさまの語り掛けを聞くことができます。
 そうして、このヨハネの福音書の1章を読んで、この弟子が1世紀の弟子ではなくて自分のことだと感じるなら、その人はイエスさまと霊的に出会ったと言って良いでしょう。
 「その程度のことで霊的なイエスに出会ったことになるの?」と疑問に思う人もいるかもしれません。しかし、イエスさまの語り掛けはほとんど気付くか気付かない程度の微弱なものですから、むしろこの程度だからこそ、それを自分への語り掛けと感じるなら、十分に霊的なイエスと出会ったことになります。繰り返しますが、パウロのような強烈なイエスさまとの出会いは例外中の例外ですから、微弱な、微かで弱いイエスさまの語り掛けに気付くことこそが、本当の意味でイエスさまと霊的に出会ったと言えるのではないでしょうか。

出会いの始まりはイエスに近づくこと

 もう一箇所、これも良く開く箇所ですが、ヨハネ4章でサマリヤ人たちがサマリヤの女の言ったことを信じてイエスさまの所に来た場面も、ご一緒に見ましょう。ヨハネ4章の39節から42節までを交代で読みましょう。

4:39 さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。
4:40 そこで、サマリヤ人たちはイエスのところに来たとき、自分たちのところに滞在してくださるように願った。そこでイエスは二日間そこに滞在された。
4:41 そして、さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた。
4:42 そして彼らはその女に言った。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」

 この場面でも、イエスさまが強烈に現れたのではなくて、サマリヤの女のことばを信じたサマリヤ人たちがイエスさまに近づいていったことで、イエスさまと出会うことができました。そして、この箇所を読んで42節の、「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです」というサマリヤ人たちのことばを、1世紀の彼らのことばとしてではなく、自分も同じだと感じるなら、その人は既に霊的なイエスさまと出会っています。

おわりに
 この世の人間同士の出会いと、霊的なイエスさまとの出会いは全く異なりますから、もしかしたら既に霊的なイエスさまと出会っているのに、それを出会いと認識していない方もおられるかもしれません。それはものすごく残念なことです。せっかくイエスさまと出会っていながら、それを出会いと感じていないとしたら、もったいないことです。
 きょうは、使徒22章でパウロ自身が証をしたイエスさまとの強烈な出会いの体験を入口にして、それは例外中の例外であり、私たちの場合のイエスさまとの普通の出会い方に関して思いを巡らすことができましたから、感謝に思います。もっともっと多くの方々がイエスさまとの霊的な出会いを経験できるように、私たちは働いて行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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