平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

より多くの人を獲得するために(2017.7.30 礼拝)

2017-07-31 08:35:27 | 礼拝メッセージ
2017年7月30日礼拝メッセージ
『より多くの人を獲得するために』
【使徒16:1~5】

はじめに
 使徒の働きの学びは、きょうから16章に入ります。この16章でパウロはいよいよヨーロッパ伝道へと乗り出します。きょうは早速、そのヨーロッパ伝道へ至った経緯を学びたいところですが、16章の3節にパウロがテモテに割礼を受けさせたことが記されています。異邦人のギリシヤ人を父に持つテモテに、パウロがなぜ割礼を受けさせたのか、このことに触れずに素通りするわけにはいきませんから、きょうはこの一件について、ご一緒に学ぶことにしたいと思います。

テモテを伝道旅行に連れて行ったパウロ
 まず16章の1節と2節をお読みします。

16:1 それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシヤ人を父としていたが、
16:2 ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。

 デルベもルステラも、パウロがかつて第一次伝道旅行で訪れた土地でした。今回の第二次伝道旅行の目的は、まずこれらの土地の兄弟たちがどうしているか、信仰から離れていないか、実際に会って確かめることでした。
(地図を見る)
 そして、このルステラにテモテという若者がいました。この1節には信者であるユダヤ婦人の子とありますが、テモテへの手紙第二には、この母親の名前はユニケであることが書かれています。テモテはギリシヤ人の父とユダヤ人の母との間の子でしたが、ルステラとイコニオムの兄弟たちの間で評判の良い人でした。
 続いて3節、

16:3 パウロは、このテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることを、みなが知っていたからである。

 この3節からは、いろいろなことが想像されます。そこに聖書を読む楽しさがあります。想像を膨らませることで、聖書がぐっと身近に感じられるようになります。私たちは学者ではありませんから、想像したことが少しぐらい間違っていても構わないと思います(そもそも私たちは聖書の時代に生きていないのですから、100%正確に聖書を解釈できる人など誰もいないでしょう)。パウロは、どうしてテモテを連れて行きたかったのでしょうか。このことについて、様々に想像することで、パウロという人物や当時のことをとても身近に感じることができるようになるでしょう。
 パウロはなぜテモテを連れて行きたかったのでしょうか。ある注解書には、弟子を育てたかったと書いてありました。確かにそういう面もあるだろうと思います。しかし、もっと単純に、信頼のおける若くて元気な者が一緒にいれば何かと便利だというのが一番の理由ではないかと私は考えます。旅の先々で宿を求めるような時、若い者に先に行ってもらえれば早めに宿を確保することができます。そうすれば次の町に着いたらすぐに休むことができます。町に着いてから宿を探していたら、なかなか休むことができません。或いは旅の途中で水がなくなってしまったような時でも、若い者に水を探しに行ってもらうこともできるでしょう。第一次伝道旅行では若いマルコが途中で脱落してしまいましたから、それでパウロはけっこう不自由したのかもしれません。
 では次に、「このテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた」とは、どういうことでしょうか。連れて行った先のユダヤ人の手前ではなくて、テモテがいる、このルステラの地方にいるユダヤ人の手前、と使徒の働きの記者のルカは書いています。

この地方のユダヤ人の手前とは?
 ここから先は私の想像がかなり入っていますが、テモテを連れて行った後の母のユニケのことを思ってのことだったかもしれません。この時、父親のギリシヤ人が家にいたかどうかはわかりませんが、息子のテモテがパウロと一緒に旅に出て、いなくなってしまうことは様々に心細いことであったでしょう。そういう心細い時にユダヤ人社会から見放されてしまってはユニケにとって良くないという判断があったかもしれません。
 ユダヤ人にとってはユニケがギリシヤ人と結婚したというだけで、とんでもないことだったでしょう。まして、テモテを連れて行くパウロは、かつてルステラの町で石打ちに遭った異端の犯罪者のような男です。テモテがそのパウロの弟子だということになったら、ユニケはユダヤ人の社会から完全に見放されてしまう、それではテモテも母が心配で、母を残して家を離れることはできない、そのような考えがあったのではないかと私は想像します。
 しかし、それにしても、テモテの父親は異邦人のギリシヤ人です。ですからテモテの血の半分は異邦人です。この異邦人の子のテモテに割礼を受けさせることに、それまでのパウロの異邦人に割礼は必要ないという主張と矛盾はないでしょうか。それは、パウロの中では矛盾のないことでした。

より多くの人を獲得するために

 パウロは極めて柔軟な考え方をする人でした。それが最もはっきりと表れているのが、第一コリントの9章でしょう。9章の19節から23節までを交代で読みましょう。

9:19 私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。
9:20 ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。
9:21 律法を持たない人々に対しては、──私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが──律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。
9:22 弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
9:23 私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。

 19節の「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました」とは、どういうことでしょうか。それは20節を読むとわかります。

9:20 ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。

 イエス・キリストを信じて救われるのに律法を守る必要ありませんが、律法を守っている人は救われないということもありません。つまりキリストの救いを受けるのに律法は関係ありません。律法を守っていても守っていなくても救われます。大切なのはイエス・キリストを信じる信仰です。パウロはユダヤ人も救われることを願っていました。そのユダヤ人たちに対して律法を守る必要はないと主張すれば、ユダヤ人たちの反感を買うことになります。それはユダヤ人たちにイエス・キリストを信じてもらう上で得策ではありません。それでパウロは20節にあるようにユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためでした。
 そして21節にあるように、律法を持たない人々に対しては、──パウロは神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが──律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためでした。
 さらに22節にあるように、弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
 ここからパウロが福音の伝道に掛ける情熱が伝わって来ます。パウロは命を掛けて福音を伝道しています。

おわりに
 最後に、23節をご一緒にお読みしましょう。

9:23 私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。

 何でもそうですが、人に何かを伝えるには、そのことをよく理解する必要があります。例えば私は30代の半ばで日本語教師になりました。それまでの私は日本語についてあまり分かっていませんでしたが、日本語を外国人に教えることで、以前の私よりも日本語のことがわかるようになりました。福音もまた同じです。福音は、人に伝道することで、ますます深くわかるようになります。そうしてますます福音の恵みを受けられる者になります。私たちは福音を伝道することを通じて、福音の恵みをいただけますから、とても感謝なことです。
 この素晴らしい恵みを、私たちの教会員の全員で共有したいと思います。
 そのことのために、お祈りいたしましょう。
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奥深い魂は何を求めているのか

2017-07-31 08:25:24 | 折々のつぶやき
「あなたがたは何を求めているのですか。」(ヨハネ1:38)

 これはヨハネの福音書におけるイエスの第一声です。イエスは読者の私たちの一人一人に、あなたは何を求めて生きているのですか?と問い掛けています。そうしてイエスとの旅が始まります。
 ここで問われているのは、心の最も奥深い部分で自分が何を求めているのかでしょう。自分の魂が本当は何を求めているのかは、すぐにわかるようなものではなく、イエスとの旅を続ける中で次第にわかるようになって来ます。
 奥深い魂が何を求めているのか、それは争い事に勝利して得られるようなものでは決してありません。

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イエスの悲しみ

2017-07-30 07:36:31 | 折々のつぶやき
 そこでイエスは十二弟子に言われた、「あなたがたも去ろうとするのか」。(ヨハネ6:67、口語訳)
 核兵器の開発と使用はイエスから離れる行為です。人類が原爆の開発を始めて以降、いったいどれだけの弟子たちがイエスのもとを去ったことでしょう。
 去った弟子たちのどれだけが、イエスのもとに戻れたでしょうか。
 戻った者が少ないことへのイエスの悲しみがどれだけ深いか、思いを巡らしたいと思います。

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滅ぼされた人々と共に苦しむイエス

2017-07-26 10:44:39 | 折々のつぶやき
 宗教改革500年のeラーニングの第2週は、掲示板で「十字架の神学」について意見や体験を分かち合うことができて幸いでした。
 最も感謝であったことは、十字架のイエスが病気や災いや困難に苦しむ者たちと共に苦しんでいることに思いを巡らす中で、これまで私が解決できないでいた問題に光が差し込んだことです。
 私は旧約聖書の神がしばしば容赦なく人々を滅ぼしていることに、すっきりとした解決を得られないでいました。ノアの洪水で流された人々、エジプトを脱出するイスラエル人を追って海の水に飲み込まれたファラオの軍勢、神に不平不満を言ったことで荒野で蛇にかまれて死んだイスラエル人たち、カナンに進攻したイスラエル人たちに殺されたエリコの町などの住民たち、・・・。特にヨハネの福音書のイエスは「アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです」(ヨハネ8:58)と自身で明言していますから、御子がいる状況でこのような一見すると愛のない殺戮が行われていることに、私はいつもモヤモヤとしたものを感じていました。
 しかし、今回のeラーニングで人々と共に苦しむイエスを思い巡らす中で、このような滅ぼされた人々の中に御子イエスもまた共にいて、一緒に苦しんでいた様子が見えて来ました。ルカの福音書23章の十字架の場面では十字架のイエスの左右にも十字架に付けられた犯罪者がいて、一人はイエスをののしり、もう一人はイエスに心を寄せたことが記されています。旧約の時代に神に滅ぼされた者たちも御子と共に苦しみを受ける中で、御子をののしったり御子に心を寄せていたりしていたことを福音書は教えてくれているのかもしれません。
 旧約の時代の、愛が感じられない神の容赦の無さの中にも実は十字架の愛がいつも併存していたことを今回の学びで感じることができましたから感謝でした。荒野で蛇にかまれて苦しんでいた人々の中にも、共に苦しむ御子の姿を見た人々がきっといたことでしょう。

13 「だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。
14 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。
15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:13-16)
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戦災に霊の憤りを覚えて涙を流すイエス

2017-07-24 14:38:12 | 折々のつぶやき
 「戦災」を考える投稿の続きです。
 父と一つ(ヨハネ10:30)の御子イエスは初めから神とともにいますから(ヨハネ1:2)、最初(創世記1:1)から最後(黙示録22:21)まで聖書のすべてに御子はいます。ヨハネによれば聖書に記されている神のことばはすべて御子のことばです。ですからモーセの律法も御子のことばです。イエスが律法の専門家に対して厳しいのは、彼らがそれを理解していないからです。
 律法を軽視した北王国イスラエルは紀元前8世紀にアッシリヤに滅ぼされ、人々は国外へ捕囚として連行されました(列王記第二17:23)。ヨハネはこのことを「弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった」(ヨハネ6:66)と書いています。こうしてイスラエルの十部族が失われました。これも戦災です。
 律法を重んじた南王国のヒゼキヤ王の時代にはイエスが「わたしは世の光です」(ヨハネ8:12)と言い、律法の書が紛失したマナセ王の時代にはイエスが「わたしは去って行きます」(ヨハネ8:21)と言い、律法の書が見つかったヨシヤ王の時代にイエスは再び「わたしは世の光です」(ヨハネ9:5)と言いました。律法の書が紛失していた時代の人々をヨハネ9章は盲人で表しています。
 そうしてイエスが「羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です」(ヨハネ10:1)と警告した、外国人の略奪隊がエルサレムに攻め込んだ時代(列王記第二24:2)のエホヤキム王は神のことばを最も軽視した王と言えるでしょう。暖炉の火が燃えていた寒い冬の日にエホヤキム王は神のことばが記された巻き物を火に投げ入れて燃やしてしまいました(エレミヤ36:23)。ヨハネはこの事件を「時は冬であった」(ヨハネ10:23)、「聖書は廃棄されるものではない」(ヨハネ10:35)と記しています。このように神のことばを軽視する国は滅びるしかなく、エルサレムの人々はバビロンに捕囚として捕らえ移され(列王記第二24:14)、その中には預言者のエゼキエルも含まれていました(エゼキエル1:1)。ヨハネはこのことをイエスがヨルダン川を渡って東方に移動したことで表しています(ヨハネ10:40)。
 神が「ああ。わたしの牧場の群れを滅ぼし散らす牧者たち」(エレミヤ23:1)と嘆いた悪い牧者たちの存在によってエルサレムは滅び、多くの人々が戦災で苦しみました。そして御子イエスを理解しなかった指導者たちがいた紀元1世紀、エルサレムはローマ軍の攻撃によって再び破壊されて滅び、多くの人々がまた戦災で苦しみました。良い牧者(ヨハネ10:11,14)であるイエスはこれらのことに霊の憤りを覚え、また涙を流しました(ヨハネ11:33,35)。
 私たちはイエスを紀元30年頃の狭い時代に閉じ込める傾向がありますから、イエスの憤りも涙も、その場限りのものと思ってしまいがちです。しかしイエスはあらゆる時代にいますから、イエスは戦災があるたびに霊の憤りを覚え、涙を流していると考えるべきでしょう。現代に至るまで無数の戦争が繰り返され、世界に平和がないのは、イエスが創世記から黙示録に至るまでのすべての時代にいることを私たちが十分に理解していないからではないでしょうか。
 戦災について思いを巡らすこの夏、あらゆる時代の戦災に警告を発し、霊の憤りを覚えて涙を流しているイエスについて、思いを巡らしたいと思います。
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第二次伝道旅行出発時のパウロの使命感(2017.7.23 礼拝)

2017-07-23 19:30:52 | 礼拝メッセージ
2017年7月23日礼拝メッセージ
『第二次伝道旅行出発時のパウロの使命感』
【使徒15:35~41】

はじめに
 使徒の働きの学びを続けます。前回と前々回はエルサレム会議について学びました。異邦人もモーセの律法を守って割礼を受けなければ救われないのかの問題を巡って話し合う必要が生じて、パウロとバルナバはアンテオケを出発してエルサレムに入り、そこで使徒たちとの話し合いが始まりました。これが前々回学んだことです。そして前回はこの問題がヤコブの言葉によって決着してパウロとバルナバがエルサレムからアンテオケに戻って来たところまでを学びました。
 それから、前回はエルサレム会議に関連してヨハネの福音書5章も開いて、ヨハネ5章の記述はイエス・キリストの十字架の年が紀元33年であることを示唆しているという話もしました。このことから、十字架から二千年の年である2033年までに平和が実現するよう、私たちは働きたいと思います。この十字架から二千年の2033年までに平和を、ということについては、これからもしばしば取り上げて、共に考えて行くことができたらと願っていますから、どうぞよろしくお願いいたします。

深刻だった異邦人の割礼の問題
 それでは、きょうの聖書箇所の少し手前の30節から読んでいきます。15章30節、
 
15:30 さて、一行は送り出されて、アンテオケに下り、教会の人々を集めて、手紙を手渡した。

 一行というのはパウロとバルナバ、そしてユダとシラスでした。22節には次のように書いてあります。

15:22 そこで使徒たちと長老たち、また、全教会もともに、彼らの中から人を選んで、パウロやバルナバといっしょにアンテオケへ送ることを決議した。選ばれたのは兄弟たちの中の指導者たちで、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスであった。

 前回も話しましたが、単にパウロとバルナバをアンテオケに送り返すだけではなくて、兄弟たちの中の指導者でユダとシラスをも同行させたところに、今回の異邦人の割礼の問題がいかに深刻であったかが、よくわかると思います。パウロとバルナバは元々異邦人に割礼は必要としていないと主張していましたから、エルサレム会議でこの同じ結論に至ったとアンテオケの人々に説明しても信用してもらえない心配があったのだと推測されます。それで手紙を持たせただけでなく、さらに兄弟たちの指導者のユダとシラスも同行させてアンテオケの人々に説明することとしたということのようです。
 そうしてアンテオケに戻った一行によってエルサレムの使徒たちからの手紙がもたらされました。31節、

15:31 それを読んだ人々は、その励ましによって喜んだ。

 アンテオケの人々は、手紙に書いてあった励ましによって喜びました。そして32節、

15:32 ユダもシラスも預言者であったので、多くのことばをもって兄弟たちを励まし、また力づけた。

 ユダもシラスもアンテオケの兄弟たちを励まし、そうしてしばらく過ごしてから、エルサレムに戻って行きました。33節です。

15:33 彼らは、しばらく滞在して後、兄弟たちの平安のあいさつに送られて、彼らを送り出した人々のところへ帰って行った。

 ユダとシラスはエルサレムに戻りました。
 そして35節、

15:35 パウロとバルナバはアンテオケにとどまって、ほかの多くの人々とともに、主のみことばを教え、宣べ伝えた。

 パウロとバルナバはしばらくアンテオケにいました。そして次の36節から、いよいよ第二次伝道旅行に入ります(地図で地理を確認しておきましょう)。

第一次伝道旅行の地を再訪するのが目的
 パウロの第二次伝道旅行の目的は、まずはガラテヤ地方の諸教会を巡ることでした。36節です。

15:36 幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」

 パウロがガラテヤ人への手紙を書いたのは、エルサレム会議の前であると考えられます。パウロは割礼派に惑わされていたガラテヤ人たちを厳しく叱る手紙を書いていました。そうしてエルサレム会議があって、エルサレムの使徒たちからの手紙がガラテヤの諸教会においても回覧されたはずですが、その手紙はパウロが持って行ったわけではありませんから、その後、ガラテヤの諸教会の人々の信仰がどうなったか、パウロは十分に把握できていなかったことでしょう。そこで、実際に訪ねて行って、どうしているか見て来たいと思いました。ところが37節、

15:37 ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。

 しかしパウロはこのことに反対しました。38節と39節、

15:38 しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。
15:39 そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。

 マルコを巡ってパウロとバルナバは仲間割れを起こしました。そして二人は別々の道を歩むことになりました。この仲間割れの事件のことは、以前にも簡単に見ましたね。

パウロはなぜマルコに厳しかったか
 それにしてもパウロは、なぜここまでマルコに対して厳しかったのか、なぜもう少し寛容になれなかったのか、私はこれまでパウロのことをあまり理解できないでいました。しかし、今回この使徒の働きの連講を続けて来て、初めてわかった気がします。実は私は今まで、使徒の働きについてあちこちから、つまみ食い的な説教をすることはあっても、1章から順番に丁寧にシリーズで説教したことはありませんでした。使徒の働きの連講は今回が初めてです。そうして1章から丹念に読んで来て、パウロとバルナバがなぜ喧嘩別れをしたのかがわかった気がします。
 それは、この第二次伝道旅行の出発がエルサレム会議が終わってから比較的間もない時期であったということです。岩上先生の本の年表によれば、エルサレム会議から1年経つか経たないうちに第二次伝道旅行を開始しています。エルサレム会議で話し合われた「異邦人も割礼を受ける必要があるかどうか」という問題は激しい論争になり、エルサレムで一件落着してもなお、ユダとシラスがアンテオケに来なければならないほどの深刻な問題でした。
 今回の第二次伝道旅行は、まず、この異邦人の割礼の問題で惑わされていたガラテヤの諸教会を巡ろうというものでした。そして、もしガラテヤの教会に行ってみて彼らの信仰が定まらずにふらついていたら、もう一度厳しくビシッとガラテヤ人に言ってやらなければなりません。今回の伝道旅行は、初めての土地を訪問するのとは目的がぜんぜん異なります。パウロは厳しい覚悟を持って旅立とうとしていました。そういう厳しい旅にマルコのような、途中から脱落したような者を連れて行くわけには行かないということだったのではないでしょうか。

命がけで伝道したパウロ
 ガラテヤ人への手紙3章1節をご一緒に読みましょう。

3:1 ああ愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、あんなにはっきり示されたのに、だれがあなたがたを迷わせたのですか。

「ああ愚かなガラテヤ人」とは、とても厳しい言葉です。そして、今回の伝道旅行では、場合によっては、彼らに対して直接「ああ愚かな兄弟たち」と言わなければならないというものでした。
 しかし、それにしてもパウロはなぜガラテヤ人に対してここまで厳しいのでしょうか。それはガラテヤでのパウロの宣教が命がけであったということもあるでしょう。
 少し前に学んだ、使徒の働き14章の19節と20節を交代で読みましょう。

14:19 ところが、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した。
14:20 しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った。その翌日、彼はバルナバとともにデルベに向かった。

 石打ちは死刑ですから、パウロはここで死んでいてもおかしくありませんでした。ガラテヤでの宣教はパウロが正に命を掛けて行なったものでした。そういう命がけの伝道旅行の中でガラテヤ人たちは信仰に入ったのです。このパウロが死に掛かっていた時、マルコは既に脱落していました。ですからガラテヤ人たちの様子を見に行くのにマルコのような者を連れて行きたくないというパウロの気持ちを私はよく理解できます。

聖書の理解が深まる喜び
 自分で言うのも何ですが、今回私はまた一歩パウロの気持ちに近づくことができた気がして、とてもうれしく感じています。聖書の学びには、こういう喜びが伴います。どのレベルにあっても、それまでよりも理解を深めることができることは本当にうれしいことです。
 なぜそんなにうれいしいか、それは聖書をそれまでよりも深く理解するには聖霊の働きが必要だからではないでしょうか。聖霊は神様の霊ですから、聖霊が聖書理解のために働いていることを感じることは神様の働きを感じているということになります。こんな私にも神様が働いて下さっていると感じることは、何よりもうれしいことです。ですから、どのレベルにあってもうれしいことです。
 そういうわけで、私たちは多くの方々に聖書をもっともっと知っていただきたいと思います。「へいわ深海聖書館」を建設する働きとは、そのようなものです。
 あと2ヶ節残っています。使徒15章の残りの40節と41節を交代で読みましょう。

15:40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。
15:41 そして、シリヤおよびキリキヤを通り、諸教会を力づけた。

 シラスはエルサレムに戻って行ったことを、33節で見ましたから、パウロはシラスをもう一度、アンテオケに呼び戻したようです。これには一ヶ月近くは掛かったことでしょう。21世紀の現代の日本なら電話やメールでその日のうちに連絡を取って、新幹線で急いで来てもらうことも可能ですが、1世紀の当時は違います。ですから、出発はかなり遅れます。パウロとしては早くガラテヤ人の様子を見たかったことと思いますが、シラスの到着を待ちました。パウロはそれほどシラスを信頼していたということも、ここからは読み取れると思います。

おわりに
 きょうは聖書の記述からさらに色々なことを読み取る楽しさと喜びも味わうことができて感謝でした。この楽しさと喜びを、もっと多くの方々と分かち合うことができるようになりたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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戦災の危機へのイエスの警告

2017-07-22 06:00:20 | 折々のつぶやき
 戦争について思いを巡らす夏になりました。
 戦災の危険が迫っていることをイエスが警告しているヨハネ10章を、今年の夏は多くの方々に深く味わっていただきたいと願っています(それゆえ、これから何度も書くと思います)。
 イエスは言いました。

「羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。」(ヨハネ10:1)

 20世紀の日本から話を始めます。四方を海に囲まれた日本は古来、海が天然の城壁(羊の囲い)になっていて外敵の侵入を防いでいました。しかし太平洋戦争の後半は状況が異なりました。米軍の爆撃機が海を越えて日本本土に侵入するようになっていました。飛行機は航続距離の問題がありますから太平洋諸島を日本が支配していた間は日本本土が米軍の空襲を受けることはありませんでした。しかしテニアン島、サイパン島などの北マリアナ諸島を米軍の手に渡してからは、ここからB29爆撃機が日本へ往復できるようになり、日本軍には迎撃する兵力も最早ありませんでしたから、空襲を受け放題になっていました。
 この状況は紀元前6世紀のエルサレムと同じです。エルサレムは城壁によって守られていましたが、滅亡寸前の時期にはバビロン軍などの外国人の略奪隊が城壁を越えて侵入するようになっていました(列王記第二24:2)。
 エルサレムが外国人の侵入を受けるようになる前、神は預言者エレミヤを通じて盛んに警告を発していました(例えばエレミヤ18:11など)。しかしエルサレムの人々がエレミヤの警告に耳を傾けることはありませんでした。
 このエレミヤの神の言葉はイエスの言葉でもあることをヨハネの福音書は書いています。預言者のエレミヤには神の霊が注がれていましたから神の言葉を受け取ることができ、それを人々に伝えていました。この神の霊とはイエスの霊でもありますから、エレミヤはイエスの言葉を人々に伝えていたのです。イエスが「わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです」(ヨハネ12:50)と言ったのは、それゆえです。イエスは初めから終わりまでのすべての時代にいますから、冒頭の

「羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。」(ヨハネ10:1)

というイエスの警告は、紀元前6世紀のエルサレムの人々への警告であると同時に紀元1世紀のエルサレムの人々への警告でもあり、そして20世紀の日本人への警告でもあり、さらに21世紀の全世界の私たちへの警告でもあります。
 次回は「悪い牧者、良い牧者」について書きたいと思います。
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ヨハネの福音書とはどのような書か

2017-07-21 10:32:03 | 折々のつぶやき
 7月19日付けのWEBRONZAの「『ディープラーニングの父』に会ってきた」という有料記事に載っていた図に触発されて下のような図を作成しました。



 WEBRONZAの図では「A」という文字が使われていますが、ここでは「G」を使いました。神(God)と福音(Gospel)の「G」です。
 左図(ア)だけを見ると、この図が何を示すのかよくわかりませんが、右図(イ)のように三つの円を重ねてあげると、「G」という文字であることがわかります。人間の視覚には、このような不思議な性質があるそうです。
 これはヨハネの福音書に大変に似ていると思いました。ヨハネの福音書は目に見えている部分だけを見ると難解なよくわからない書です。しかし、旧約聖書と共観福音書(マタイ・マルコ・ルカの福音書)と使徒の働き(使徒言行録、使徒行伝)を重ねてあげると、この福音書に描かれている神の福音が霊的によく見えるようになります。
 もちろん視覚と霊覚とはまったく異なるものでしょう。しかし、人間の霊覚には視覚に似た不思議な性質があるようです。私はヨハネの福音書がどのような書であるかを人に理解してもらうのに苦労しています。もしかしたら私たちは見えていない部分にどのような重なりがあるのかを想像することが、あまり得意ではないのかもしれません。
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十字架から二千年は紀元何年か(2017.7.19 祈り会)

2017-07-20 07:47:44 | 祈り会メッセージ
2017年7月19日祈り会メッセージ
『十字架から二千年は紀元何年か』
【マタイ26:3~4、他】

はじめに
 昨日、シオン教会で持たれた講演会は大変に良い学びになりました。中高生たちにもっと教会に来て欲しいと教会が願う場合、それは往々にして教会の都合であり、本当に中高生たちのことを思ってのことなのか、考えたほうが良いという指摘には、痛い所を突かれた思いがしました。確かにそういう面があります。若い人たちが教会に集わないと教会の存続が危ういという教会の都合が優先されていると思いました。しかし、次のようにも思います。平和の働きは、次世代を担う若者たちが中心になって行われるべきです。それゆえ、教会には若い人々に集っていただきたいと私は願っています。これは教会のためではなく平和のためです。

十字架の年は紀元何年か
 さて、先週から「十字架からの二千年の2033年までに核廃絶と平和を」と、核兵器の廃絶に期限を設定することの提案を始めています。暦の上からはイエス・キリストの十字架は紀元30年または33年であろうとされています。さらにヨハネの福音書5章を読み解くなら、十字架の年は紀元33年となることを、先週の祈り会と今週の礼拝で話しました。きょうは、なぜ暦の上からは紀元30年または紀元33年というところまで絞り込めるかということについて、共に学ぶことにしたいと思います。
 Jimmy Akin という人のブログにある記事がわかりやすいので、これに沿って説明します。
http://www.ncregister.com/blog/jimmy-akin/when-precisely-did-jesus-die-the-year-month-day-and-hour-reveale

 Akinは聖書の記述から7つの点を挙げながら、イエスの十字架の死が紀元33年4月3日金曜日の午後3時であったと絞り込んで行っています。きょうは、このうちの最初の5点を紹介します。

①大祭司カヤパの在任中であった(マタイ26:3-4、他)

26:3 そのころ、祭司長、民の長老たちは、カヤパという大祭司の家の庭に集まり、
26:4 イエスをだまして捕らえ、殺そうと相談した。

 大祭司カヤパは他の資料から、紀元18年から36年まで在任していたということがわかっているそうです。ですから、イエスの十字架の死は紀元18年から36年までの間であったことになります。

②総督ポンテオ・ピラトの在任中であった(マタイ27:11-26、他)

27:11 さて、イエスは総督の前に立たれた。すると、総督はイエスに「あなたは、ユダヤ人の王ですか」と尋ねた。イエスは彼に「そのとおりです」と言われた。
27:12 しかし、祭司長、長老たちから訴えがなされたときは、何もお答えにならなかった。
27:13 そのとき、ピラトはイエスに言った。「あんなにいろいろとあなたに不利な証言をしているのに、聞こえないのですか。」

 総督のポンテオ・ピラトの在任期間は紀元26年から36年までであったことがわかっているそうです。

③皇帝テベリオの治世の15年にバプテスマのヨハネが活動を開始した(ルカ3:1-3)

3:1 皇帝テベリオの治世の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの国主、その兄弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主、ルサニヤがアビレネの国主であり、
3:2 アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った。
3:3 そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説いた。

 この皇帝テベリオの治世の15年とは紀元29年だそうです。それゆえ十字架は紀元29年から36年の間であったことになります。

④十字架は金曜日であった(マルコ15:42-43、他)

15:42 すっかり夕方になった。その日は備えの日、すなわち安息日の前日であったので、
15:43 アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。

 これらの記述から、十字架は紀元29年から36年の間の金曜日にあったことになります。

⑤十字架は過越の祭の金曜日であった(マルコ14:12、他)

14:12 種なしパンの祝いの第一日、すなわち、過越の小羊をほふる日に、弟子たちはイエスに言った。「過越の食事をなさるのに、私たちは、どこへ行って用意をしましょうか。」

 紀元29年から36年までの過越の祭の日は、下記の通りだそうです。
 ・紀元29年4月18日(月) Monday, April 18, A.D. 29
 ・紀元30年4月7日(金) Friday, April 7, A.D. 30
 ・紀元31年3月27日(火) Tuesday, March 27, A.D. 31
 ・紀元32年4月14日(月) Monday, April 14, A.D. 32
 ・紀元33年4月3日(金) Friday, April 3, A.D. 33
 ・紀元34年3月24日(水) Wednesday, March 24, A.D. 34
 ・紀元35年4月12日(火) Tuesday, April 12, A.D. 35
 ・紀元36年3月31日(土) Saturday, March 31, A.D. 36

 こうしてイエスの十字架の日は、紀元30年または33年の二つの年に絞り込まれます。この後Akinは、ヨハネの福音書に三つの過越の祭に関する記述(ヨハネ2:13、6:4、11:55)があることから、イエスの活動期間が最低2年間であるとして、紀元30年を排除します。なぜならバプテスマのヨハネの活動の開始が皇帝テベリオの第15年である紀元29年であることから、もし十字架が紀元30年であったら過越の祭に三回参加することはできないからです。
 しかし私の見解では、ヨハネの福音書は創作を含んでいることからイエスの活動期間が二年以上であったとヨハネの福音書からは言えません。その代わり、ヨハネ5章の38年間病気にかかっていた人の記事が、十字架が紀元33年であったことを示しています。

核廃絶の期限を設けることの意義
 来月に入ると8月6日の広島の原爆の日、8月9日の長崎の原爆の日を迎えますが、それに先立つ今月の7月16日は、アメリカで初めての核爆発実験が行われた日でした。この実験の名称は「トリニティ実験」と呼ばれています。命名した人は三位一体の神を意識していたわけではないようですが、一般的には「トリニティ」と言えば三位一体の神のことです。この神聖な言葉を核実験の名称に使うとは、この兵器を開発した人々がいかに神から離れていたかということが、よくわかると思います。
 ですから核兵器は必ず廃絶されなければなりません。特にアメリカ・ロシア・イギリス・フランスのキリスト教の伝統を持つ核兵器保有国は率先して核兵器を削減し、2033年までの全廃を目指すべきです。なぜなら新約聖書のヨハネの福音書にはイエス・キリストが戦災で廃墟になったエルサレムを見て霊の憤りを覚え、涙を流したことが記されているからです。イエスはエルサレムだけでなく広島・長崎の被爆地はもちろん、戦災で廃墟になった無数の現場で涙を流しています。
 しかし現状では、いつになったらそれが実現するのか全くわかりません。そういう意味で、十字架から2033年までに実現するという期限を設けることには大きな意義があると思います。盛大に祝われるべき十字架から二千年の年は、単にセレモニーを盛大に行って終わるのではなく、平和の果実を捧げて祝われなければなりません。
 2033年を目指して私たちにできる小さなことを一つ一つ行っていきたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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十字架から二千年の2033年までに核廃絶と平和を

2017-07-16 20:30:00 | 折々のつぶやき
 2017年7月7日に国連で核兵器禁止条約が採択されました。しかしアメリカなどの核兵器保有国や被爆国の日本はこの条約に参加せず、これでは核兵器の廃絶がいつ実現するのかわかりません。
 そこで私は2033年までに核兵器を全廃すべきという期限を設定することを提案します。2033年はイエス・キリストが十字架で死んで復活し、人々が聖霊を受けた紀元33年から二千年の年です。この記念すべき年までに是非とも平和が実現してほしいと思います。
 特にアメリカ・ロシア・イギリス・フランスのキリスト教の伝統を持つ核兵器保有国は率先して核兵器を削減し、2033年までの全廃を目指すべきです。なぜなら新約聖書のヨハネの福音書にはイエス・キリストが戦災で廃墟になったエルサレムを見て霊の憤りを覚え、涙を流したことが記されているからです[1]。イエスはエルサレムだけでなく広島・長崎の被爆地はもちろん、戦災で廃墟になった無数の現場で涙を流しています。
 イエス・キリストの十字架から二千年の記念の年は盛大に祝われるべきです。それには単にセレモニーを実施するだけでなく、平和の果実を捧げることが最もふさわしい祝い方でしょう。ただし問題があります。それは十字架の年が紀元何年であるかの共通の理解が得られていないことです。暦からはユダヤの過越の祭が金曜日にあった紀元30年または33年であろうとされています[2]。これに加えて、これまで知られていなかったこととしてヨハネの福音書の5章の記事は十字架の年が紀元33年であったことを示唆しています[3]。
 そこで、盛大に祝われるべき十字架から二千年の年の共通の理解を得るために、ヨハネ5章の記事の深層部の解読を皆さんと共に行いたく思います。ただしヨハネ5章の深層部を解読するには、この福音書の全体の構造を知る必要があります。そして、私たちの多くがヨハネの福音書を改めて学び直して、戦災の廃墟の前で涙を流すイエスの姿を知ることは、人類の平和の実現のために大きく貢献するでしょう。それゆえ、まずはヨハネの福音書の全体の構造を共に学ぶ機会を持ちたく思い、学習会を開くことを提案します。
 72年前の7月16日にアメリカのニューメキシコ州の砂漠において原子爆弾の核爆発実験が行われました。これが人類史上初めての核兵器の使用です。この実験は「トリニティ実験」と呼ばれています。三位一体の神を表す言葉が核実験の名称に用いられたことからも、核兵器の使用がいかに神から離れた行為であるかが、よくわかります。私たちは何としても核兵器の全廃を早期に実現しなければなりません。そのために2033年という期限を設定することは有効に働くでしょう。
 以上のことを、今年の7月7日に核兵器禁止条約が国連で採択されたのを機に提案します。多くの方々の賛同が得られれば幸いです。特に16年後の2033年に働き盛りとなっている若い方々の参加を期待します。
 主の平安が皆様と共にありますよう、お祈りしています。
          
核兵器の時代の幕開けとなったトリニティ実験から72年の日に
                           2017年7月16日 小島 聡 

[1] ヨハネ11:33~35。拙著「『ヨハネの福音書』と『夕凪の街 桜の国』」p.27~30、p.111、p.127~130、p.163参照。
[2] 例えばJimmy Akin、
 http://www.ncregister.com/blog/jimmy-akin/when-precisely-did-jesus-die-the-year-month-day-and-hour-revealed
[3] ヨハネ5章に登場する38年間病気に掛かっていた人は、池に入らなければ病気が治らないと思い込んでいました。この病人は、神殿で礼拝しなければ救われないと思い込んでいたユダヤ人たちと重ねられています。イエスを信じた人々が聖霊を受けた五旬節(ペンテコステ)の日以降、礼拝は霊とまことによって捧げられるべき(ヨハネ4:21~25)ものとなり、神殿礼拝の形式は重要ではなくなりました。しかしユダヤ人たちの多くは神殿が焼失する紀元70年までの38年間、神殿での礼拝の形式にとらわれていました。拙著「『ヨハネの福音書』と『夕凪の街 桜の国』」p.116、p.160参照。
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十字架から二千年の2033年までに平和を(2017.7.16 礼拝)

2017-07-16 15:41:38 | 礼拝メッセージ
2017年7月16日礼拝メッセージ
『十字架から二千年の2033年までに平和を』
【使徒15:22~29、ヨハネ5:1~9】

はじめに
 先週に続いて使徒の働き15章を開きます。15章の1節の時点ではパウロとバルナバはアンテオケにいました。1節と2節をお読みします。

15:1 さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていた。
15:2 そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。

 こうしてパウロとバルナバはエルサレムに上って行き、異邦人が救われるのに割礼などの律法の規定を守ることが必要かどうかについて話し合われました。いわゆる「エルサレム会議」です。そして7節にあるように、このエルサレムにおいても激しい論争がありましたが、ペテロが皆に、異邦人にも聖霊が注がれたことを目撃した時の証をしました。
 聖霊を与えるのは神様です。神様が割礼を受けていない異邦人にも聖霊を与えたのですから、割礼を受けていなくても人は救われるということです。人間が、それとは異なる救いを主張しても意味のないことです。

異邦人は律法を守らなくても救われる
 そこでイエスさまの兄弟のヤコブは言いました。少し飛ばして19節から21節、

15:19 そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。
15:20 ただ、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います。
15:21 昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。」

 そして、先ほど朗読した聖書箇所に入っていきます。

15:22 そこで使徒たちと長老たち、また、全教会もともに、彼らの中から人を選んで、パウロやバルナバといっしょにアンテオケへ送ることを決議した。選ばれたのは兄弟たちの中の指導者たちで、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスであった。

 そして使徒たちは、アンテオケなどの兄弟たちに手紙を書きました。23節から25節、

15:23 彼らはこの人たちに託して、こう書き送った。「兄弟である使徒および長老たちは、アンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人の兄弟たちに、あいさつをいたします。
15:24 私たちの中のある者たちが、私たちからは何も指示を受けていないのに、いろいろなことを言ってあなたがたを動揺させ、あなたがたの心を乱したことを聞きました。
15:25 そこで、私たちは人々を選び、私たちの愛するバルナバおよびパウロといっしょに、あなたがたのところへ送ることに衆議一決しました。

 使徒たちは、単にパウロとバルナバだけをアンテオケに送り返すだけではなく、これがエルサレム会議での全体の合意事項であることを示すために、さらにユダとシラスの二人を派遣しました。26節と27節、

15:26 このバルナバとパウロは、私たちの主イエス・キリストの御名のために、いのちを投げ出した人たちです。
15:27 こういうわけで、私たちはユダとシラスを送りました。彼らは口頭で同じ趣旨のことを伝えるはずです。

 パウロとバルナバに加えて、さらにユダとシラスをも派遣したということは、今回の論争がいかに深刻であったかということを、よく物語っているように思います。そして28節と29節、

15:28 聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。
15:29 すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」

 こうして、パウロたちは、この手紙を持ってアンテオケに戻りました。このように、エルサレム会議によって、異邦人はモーセの律法を厳格に守らなくても聖霊が与えられているなら救われているのだということが確認されました。

引き続き律法を守ったユダヤ人たち
 ただし、これはあくまで異邦人の話で、ユダヤ人の場合は昔からの慣習でモーセの律法を守ります。これによってユダヤ人のクリスチャンもまたモーセの律法を守ることをやめたということはありません。これはこれで、まったく構わないことです。それゆえエルサレムの神殿での礼拝も熱心に行われていました。しかし、このことが霊とまことによって礼拝を捧げることを妨げる要因になっていたようでもあります。イエスさまはヨハネ4章23節と24節でサマリヤの女に言いました。「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません」。ペンテコステの日以降は新しい時代に入りました。神殿での礼拝よりも、場所はどこであれ霊とまことによって捧げる礼拝が重要になりました。しかし、神殿が存在している間は、ユダヤ人たちはなかなか新しい時代に適応できていなかっただろうと思います。
 きょうのもう一つの聖書箇所のヨハネ5章の病人は、神殿の縛りからなかなか自由になることができないでいたユダヤ人たちと重ねられています。これは先週の祈り会でも話したことですが、教会全体で分かち合いたいと思いますので、今日はもう一度話すことにします。

『使徒の働き』が重ねられている『ヨハネの福音書』
 まず復習としてヨハネ4章を開いて下さい。もう何度もご一緒に読みましたが、4章の39節から42節までを交代で読みましょう。ここにはサマリヤの女の話を聞いたサマリヤ人たちがイエスさまを信じたことが書かれています。

4:39 さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。
4:40 そこで、サマリヤ人たちはイエスのところに来たとき、自分たちのところに滞在してくださるように願った。そこでイエスは二日間そこに滞在された。
4:41 そして、さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた。
4:42 そして彼らはその女に言った。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」

 きょうはもう特には説明しませんが、ここにはサマリヤ人たちがイエス・キリストを信じて聖霊を受けた出来事(使徒8章)が重ねられています。そうしてサマリヤ人たちはイエスさまに霊的に会うことができるようになりました。
 続いて、4章の49節から53節までを交代で読みましょう。ここでは王室の役人とその家の者たちがイエスさまを信じたことが書かれています。王室の役人とは異邦人です。

4:49 その王室の役人はイエスに言った。「主よ。どうか私の子どもが死なないうちに下って来てください。」
4:50 イエスは彼に言われた。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。
4:51 彼が下って行く途中、そのしもべたちが彼に出会って、彼の息子が直ったことを告げた。
4:52 そこで子どもがよくなった時刻を彼らに尋ねると、「きのう、第七時に熱がひきました」と言った。
4:53 それで父親は、イエスが「あなたの息子は直っている」と言われた時刻と同じであることを知った。そして彼自身と彼の家の者がみな信じた。

 王室の役人は異邦人ですから、ここには異邦人のコルネリオとその家族や知人たちがイエスさまを信じて聖霊を受けた出来事(使徒10章)とが重ねられています。

人間的な思い込みに縛られていた者たち
 そうして、ヨハネ5章に入って行きますから、この5章には、異邦人が聖霊を受けた出来事以降のことが重ねられています。つまり、ここにはエルサレム会議とその後のことが重ねられています。

5:1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。
5:2 さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。
5:3 その中に大ぜいの病人、盲人、足のなえた者、やせ衰えた者たちが伏せっていた。
5:5 そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。
5:6 イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」
5:7 病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」
5:8 イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」
5:9 すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。

 ここに登場する38年間病気にかかっていた人は、池に入らなければ病気が治らないと思い込んでいました。そんな病人をイエスさまは治してあげました。この病人は、神殿に入って礼拝しなければ救われないと思い込んでいたユダヤ人たちと重ねられています。つまりモーセの律法を守らなければ救われないと思い込んでいたユダヤ人たちです。

十字架の年は紀元33年
 ユダヤ人たちはモーセの律法に縛られていました。しかし紀元70年にエルサレムが滅亡して神殿が焼失しましたから、神殿礼拝に縛られることはなくなりました。38年間の病気は、この神殿礼拝に縛られていた38年間と重ねられています。つまりイエス・キリストの十字架の出来事は紀元33年であったということをヨハネの福音書5章は示唆しています。暦の上では過越の祭が金曜日であるのは紀元30年または紀元33年であるので、十字架の年はそのどちらかであろうとされていますが、ヨハネの福音書によれば十字架の年は紀元33年です。
 私は、多くの人々にヨハネの福音書のことを知っていただく上で、これから先、「2033年までに核廃絶と平和を」と訴えることを始めたいと思っています。そうすれば、「なぜ2033年なのですか?」と聞かれますから、それは2033年がイエス・キリストの十字架から二千年の記念の年だからであり、十字架の年が紀元33年であることはヨハネの福音書に書いてあると説明することで、ヨハネの福音書のことを、もっと知ってもらえるようになるだろうと期待しています。
 この「2033年までに核廃絶と平和を」と訴えることは、私に与えられた個人的な使命だと考えています。そして私は、このことに私個人だけでなく教会の皆さんも加わっていただきたいと願っています。しかし、皆さんの中には「2033年までに核廃絶と平和を」と言っても、どう関わったら良いかわからないという方もおられることと思います。

2033年までの聖書理解者の目標人数
 それで、週報のp.3に目標の数字を示して見ました。

  2017年 3人
  2018年 6人
  2019年 12人
  2020年 24人
  2021年 49人
  2022年 98人
  2023年 195人
  2024年 391人
  2025年 781人
  2026年 1,563人
  2027年 3,125人
  2028年 6,250人
  2029年 12,500人
  2030年 2万5千人
  2031年 5万人
  2032年 10万人
  2033年 20万人

 沼津の人口は20万人です。もし沼津の20万人の方々のすべてが2033年までに聖書を理解するようになれば、私たちは平和を実現することができるでしょう(聖書を理解するとはヨハネの福音書を理解するということです)。そして、この聖書を理解する人が年に倍に増えるペースを目標とするなら、2032年には10万人の人が聖書を理解している必要があります。その前の2031年には5万人です。そうすると、2017年には沼津でわずか3人が聖書を理解していれば良いことになります。2018年は6人、2019年は12人が理解していれば良いということです。ですから私たちは既に3年分を先取りしていることになります。
 こういうふうに見るなら、今の段階では「2033年までに核廃絶と平和を」という目標は、まったく無理な目標ではないと言えるのではないでしょうか。人間的に考えれば、この目標は何年後かには苦しくなって破綻するかもしれません。しかし今の段階では既に先取りしているのですから、人間的な思い込みに縛られて悲観するのではなく、神様の御業を信じて、皆さんと一緒に平和の実現に向けた働きを始められたらと思います。目標人数が少ない間に新しい建物を建てることができるなら、この働きはきっと大きく前進することでしょう。

おわりに
 ヨハネ5章に戻ると、6節でイエスさまは病人に「よくなりたいか。」と聞きました。しかし、病人は池に入らなければ自分の病気は治らないと思い込んでいました。そして、21世紀の現代に至っても私たちには様々な人間的な思い込みがあります。この思い込みに縛られている間は、なかなか平和は実現しないでしょう。人間的な思い込みから解き放たれてイエスさまにすべてをお委ねして、十字架から二千年になる2033年までに、平和を実現できればと思います。
 お祈りいたしましょう。
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書評誌「本のひろば」8月号

2017-07-14 09:59:28 | 折々のつぶやき
 書評誌「本のひろば」8月号に川向肇さんが、牧師の著書の

 『ヨハネの福音書』と『夕凪の街 桜の国』
 ~平和の実現に必要な「永遠」への覚醒~

の書評を書いて下さいました。感謝いたします!

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十字架から二千年の記念の年に向けて(2017.7.12 祈り会)

2017-07-13 09:08:16 | 祈り会メッセージ
2017年7月12日祈り会説教
『十字架から二千年の記念の年に向けて』
【ヨハネ5:1~9】

はじめに
 きょうの説教のタイトルは、『十字架から二千年の記念の年に向けて』です。まず、何故このタイトルの話をすることを示されたかについて話します(「みじめな失敗」シリーズはお休みにします)。
 今週からeラーニングの新しい講座が始まりました。講師は藤本満先生、タイトルは「共に読み学ぶ宗教改革500年」で、宗教改革の歴史を学ぶことになっています。それで今週は500年前の出来事について学んでいます。ルターの改革によって聖書信仰という私たちの信仰の礎ができました。ということは、私たちは500年前のことを祝うことも大事だけれども、聖書が記している2千年前のことを祝うこともまた大事であろうと思います。
 それゆえイエス・キリストの十字架から2000年の記念の年は盛大に祝われるべきでしょう。そして、この年に向けて平和のために行動するなら、良い目標になるだろうと思いました。例えば、つい最近の7月7日に国連で核兵器禁止条約が採択されました。残念ながらアメリカ・ロシアなどの核保有国や日本などは参加しませんでしたが、これは核兵器禁止に向けての重要な一歩です。それで私は、核兵器全廃の目標を「十字架から2000年の年」に設定したら良いのではないかと考えました。

十字架の年は紀元33年であることを示唆するヨハネ
 ただし問題があります。それは十字架の出来事が紀元何年にあったのかが、はっきりしていない点です。過越の祭が金曜日にあったという暦の上では紀元30年または33年であり、そのどちらかであろうとされていますが、決着がついているわけではありません。
 そういう中で、『ヨハネの福音書』は、イエス・キリストの十字架の年について有力なヒントを与えてくれている書です。話がやや専門的になるので、先月出版した私の本の中では詳しくは取り上げていませんが、『ヨハネの福音書』5章は、イエス・キリストの十字架が紀元33年であることを示唆しています。これから私は、このことをもっと積極的に発信して行くべきと示されています。本が発売されてから、約1ヶ月が経ちますが、まだそれほど注目されていません。私は、多くの人々が『ヨハネの福音書』を一から学び直すことで、世界は必ず平和な方向に向かって行くと信じていますから、多くの方々に本に書いた『ヨハネの福音書』のことを知っていただきたいと願っています。ちょうど今の時期は8月6日の広島の原爆の日、8月9日の長崎の原爆の日に向かっていますから、本のことを広く知っていただく良い機会だと思っています。
 それでこれから、『ヨハネの福音書』の5章がイエス・キリストの十字架の年が紀元33年であることを示唆していること、それゆえ私たちは2033年を目標に核兵器の廃絶を目指しましょうと発信しようと考えています。

ヨハネ1章~5章の流れ
 さて、それではヨハネ5章の1節から9節までを交代で読みましょう。

5:1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。
5:2 さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。
5:3 その中に大ぜいの病人、盲人、足のなえた者、やせ衰えた者たちが伏せっていた。
5:5 そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。
5:6 イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」
5:7 病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」
5:8 イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」
5:9 すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。

 『ヨハネの福音書』は「イエスの時代」に「旧約の時代」と「使徒の時代」の二つの時代が重なる三層の重層構造を持ちますが、きょうは「使徒の時代」について話します。
 これまで説明して来たように、ヨハネ1章には、イエスさまが復活してから天に上るまでの40日間のことが重ねられています。そしてヨハネ2章にはペンテコステの日のことが重ねられています。
 ヨハネ2章11節の、

2:11 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

は、ペンテコステの日にガリラヤ人の弟子たちに聖霊が注がれた出来事と重ねられています。11節の「弟子たちはイエスを信じた」は、「弟子たちは聖霊を受けた」と読み替えることができます。そして2章23節には

2:23 イエスが、過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行われたしるしを見て、御名を信じた。

とあって、エルサレムのユダヤ人たちがイエスを信じたことが書かれていますから、ここにはペンテコステの日にユダヤ人たちに聖霊が注がれたことが重ねられています。
 そしてヨハネ4章39節には、

4:39 さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。

とありますから、ここにはサマリヤ人たちが聖霊を受けたこと(使徒8章)が重ねられています。さらに4章53節には、

4:53 それで父親は、イエスが「あなたの息子は直っている」と言われた時刻と同じであることを知った。そして彼自身と彼の家の者がみな信じた。

とあって、王室の役人とその家族たちがイエスを信じたと書かれていますから、これは異邦人のコルネリオとその家族・知人たちが聖霊を受けたこと(使徒10章)と重ねられています。

エルサレム会議と神殿の焼失
 そうして、きょうの箇所のヨハネ5章1~9節に至ります。その前に、5章28節と29節とを見ていただくと、

5:28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。
5:29 善を行った者は、よみがえっていのちを受け、悪を行った者は、よみがえってさばきを受けるのです。

とあって、ここには終末の出来事のことが書かれています。ですからヨハネ5章1節から9節には、異邦人への聖霊の注ぎより後で、且つ終末よりも前のことが重ねられています。
 結論から先に言うと、ここにはエルサレム会議のことと、紀元70年にローマ軍の攻撃によってエルサレムが滅亡して神殿が焼失したこととが重ねられています。モーセの律法を厳格に守るユダヤ人たちの中には、異邦人もまたモーセの律法を守らなければ、たとえイエス・キリストを信じても救われないと考える人々がいました。このことを議論したのがエルサレム会議です。しかし、ペンテコステの日以降は状況が異なることはイエスさまご自身が言っていることです。ヨハネ4章21節から24節までを交代で読みましょう。

 4:21 イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。
4:22 救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。
4:23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
4:24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

 聖霊が注がれるようになってから、礼拝は霊とまことによって捧げることが重要になり、場所はそれほど重要ではなくなりました。モーセの律法には神殿での礼拝のことが書かれていますが、ペンテコステの日以降は、神殿礼拝という形式は特には重要ではなくなりました。重要なのは霊とまことによって礼拝を捧げることです。しかし、神殿が存在していた間は、やはり多くの人は神殿礼拝の形式にとらわれていたことと思います。それが紀元70年にローマ軍の攻撃によって神殿が炎上・焼失したことで、この形式にとらわれることはなくなりました。

38年間形式にとらわれていた病人とユダヤ人たち
 ヨハネ5章1節から9節に戻ると、この病人は池に入らなければ病気が治らないと思い込んでいました。せっかくイエスさまが「よくなりたいか」(6節)と言って下さっているのに、この病人は「よくなりたいです」とは答えずに「主よ。私には・・・池の中に私を入れてくれる人がいません」(7節)などと言っています。そんな病人をイエスさまは癒してあげました。
 そうしてこの病人は38年間の病気から解き放たれました。この病人は、38年間、「池に入る」という形式にとらわれていました。そして律法を重んじるユダヤ人たちもまた神殿礼拝という形式にとらわれていました。ですから、この38年間は、ペンテコステの日から紀元70年のエルサレムの神殿の焼失までの期間であると私は考えます。するとイエス・キリストの十字架の年は紀元33年であるということになります。
 私たちの一番の願いはイエス・キリストの福音が広く伝わり、そして多くの方々が救いの恵みに与り、それによって世界が平和に向かっていくことだと思います。十字架の年が紀元30年でも33年でも、どちらでも良いようにも思います。しかし、核兵器の廃絶の実現の目標を2033年として、それは十字架の年から2000年の記念の年だからであるとして、その根拠は『ヨハネの福音書』に示されているということを発信すれば、『ヨハネの福音書』のことを知っていただく良いきっかけになるかもしれないと思っています。
 このようなことを示されていますから、共に分かち合えたらと思います。お祈りいたしましょう。

5:6 イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」
5:7 病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」
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人ではなく、神が与える聖霊(2017.7.9 礼拝)

2017-07-10 10:54:47 | 礼拝メッセージ
2017年7月9日礼拝メッセージ
『人ではなく、神が与える聖霊』
【使徒15:1~11】

はじめに
 使徒の働きの学びを続けます。今週から15章に入ります。使徒の働きは28章までありますから、章で言えば中間の折り返し点を通過したところ、ということになります。昨年の秋にこの使徒の働きの学びを始めた時、28章を学ぶ頃には新しい会堂で礼拝を捧げるようになっていると良いですね、という話をしました。それは今年の秋の完成を想定していましたから、今の状況では無理ですが、残りの14章の学びをもう少しゆっくり行い、さらに会堂建設の次のステップに踏み出すなら、もしかしたら、という気がしないでもありません。折り返し点を過ぎた今、そんな風にも思っています。

聖霊を与えるのは人ではなく、神
 さて前回の14章までで、パウロの第一次伝道旅行が終わりました。そして、第二次伝道旅行は、15章の36節から始まります。きょうの箇所は、第一次伝道旅行と第二次伝道旅行の間に行われた、いわゆる「エルサレム会議」について書かれた箇所です。15章の1節をお読みします。

15:1 さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていた。

 1節に書かれている、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」という教えは、いわゆる「割礼派」と呼ばれる人々の主張でした。ユダヤ人ではない異邦人は割礼を受ける習慣がありませんでした。その異邦人がイエス・キリストを信じた場合に、ユダヤ人の慣習に従って割礼を受けなければ救われないのか、或いは割礼を受ける必要はないのか、激しい論争になっていました。2節です。

15:2 そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。

 きょうも地図で位置関係を確認しておきましょう。毎週地図を見ることで地理が頭に入ると思います。15章の始めの地点でパウロとバルナバはアンテオケにいました。そのアンテオケからエルサレムに上ることになりました(エルサレムは都ですから、「上る」という言葉を使っています)。3節と4節、

15:3 彼らは教会の人々に見送られ、フェニキヤとサマリヤを通る道々で、異邦人の改宗のことを詳しく話したので、すべての兄弟たちに大きな喜びをもたらした。
15:4 エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たちと長老たちに迎えられ、神が彼らとともにいて行われたことを、みなに報告した。

 パウロとバルナバのうち、特にバルナバはもともとエルサレムの教会の出身ですから、使徒たちと長老たちとの再会はうれしかったことと思います。しかし、5節と6節、

15:5 しかし、パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである」と言った。
15:6 そこで使徒たちと長老たちは、この問題を検討するために集まった。

 少し前にも話したように、割礼派の人々は天動説を信じている人々に例えることができると思います。子供の頃から太陽が動くのを見て育った人々にとっては太陽が動く天動説が当たり前の常識でした。この天動説を信じる人々に地動説を説明しても、理解してもらうことは甚だ難しいでしょう。割礼派の人々もまた、男子は割礼を受けるのが当然というユダヤ人の社会の中で育ちましたから、割礼を受けなくても救われるなどということは考えられないことでした。それで激しい論争になりました。7節、

15:7 激しい論争があって後、ペテロが立ち上がって言った。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は初めのころ、あなたがたの間で事をお決めになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたのです。

 そしてペテロは聖霊に言及します。8節と9節、

15:8 そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、
15:9 私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。

 聖霊は神様が与えます。人が与えるのではありません。神様が割礼を受けていない異邦人にも聖霊を与えたのですから、割礼を受ける必要はありません。10節と11節、

15:10 それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの父祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。
15:11 私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」

 あの人たちとは異邦人たちのことですね。割礼を受けていない異邦人もまたユダヤ人と同じように救われることを、主は聖霊を与えることでお示しになりました。そこに人間の考えを付け加える余地はありません。
 「救われること」と「聖霊を受けること」とは同じです。救われるとは聖霊を受けることであり、聖霊を受けるとは救われることです。聖霊を与えるのは人ではなくて神様ですから、一人一人の救いは神様が決めます。人間が決めることではありません。いくら「割礼派」の人が割礼を受けなければ人は救われないと言っても、神様が割礼を受けていない人にも聖霊を与えているなら、その人は救われています。

イエスを神の子キリストと信じれば与えられる聖霊
 では、どうすれば人は救われるのでしょうか。それはイエス・キリストを信じれば救われるのですね。このことはもう何度か話したことですが、この機会に改めてイエス・キリストを信じるとはどういうことかについて、確認したいと思います。ヨハネの福音書の20章29節から31節までを交代で読みましょう(新約聖書p.224)

20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
20:30 この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。
20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。

 31節に、「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため」とありますから、「イエスを信じる」とは、「イエスが神の子キリストであることを信じる」ということです。
 いま、29節から読みました。イエスはトマスに言いました。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」このこともまた非常に大切なことです。トマスの場合は、まだイエスさまが天に昇る前でしたから、イエスさまを見ることができました。しかし、イエスさまが天に昇った後では、次にイエスさまが再臨するまでは、誰もこの世でイエスさまを直接目で見ることはできません。ですから、私たちは誰でも、イエスさまを見ずに信じる必要があります。29節の「見ずに信じる者は幸いです」はトマスに向けた言葉というよりも、イエスさまが天に昇った後の、この福音書の読者に向けた言葉であると受け取るべきでしょう。この福音書の読者にはもちろん現代の私たちも含まれます。この福音書が書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、私たちが信じるため、また私たちが信じて、イエスの御名によって命を得るためです。

人のことばを聞いてイエスを信じる
 そうしてイエスさまを信じれば、私たちはイエスさまに霊的に出会うことができるようになります。もう何度もご一緒に見ましたが、ヨハネの福音書の4章をご一緒に見ましょう。ヨハネ4章39節から42節までを、交代で読みましょう(新約聖書p.180)。

4:39 さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。
4:40 そこで、サマリヤ人たちはイエスのところに来たとき、自分たちのところに滞在してくださるように願った。そこでイエスは二日間そこに滞在された。
4:41 そして、さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた。
4:42 そして彼らはその女に言った。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」

 このサマリヤ人たちは、39節にあるように、女のことばを信じたので、イエスさまの所に来ました。信じなければ、わざわざイエスさまの所に足を運んだりはしません。女のことばを信じた時に彼らは、まだイエスさまに会っていませんでしたが、信じたからイエスさまと会うことができました。そうしてイエスさまとじっくりと対話して、42節のように言いました。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」
 実はこれは使徒の働きに記されている、サマリヤ人たちが聖霊を受けた出来事のことを描いているのだということも、もう何度も話しました。きょうは開きませんが使徒の働きにはサマリヤ人たちはピリポの伝道によってイエスさまを信じて、そうしてペテロとヨハネが彼らの上に手を置くと、聖霊を受けたことが記されています(使徒8章)。そうしてサマリヤ人たちは、イエスさまに霊的に出会うことができるようになりました。
 きょう話した、この一連の流れを改めて確認しておきましょう。
 私たちはまずイエスさまに出会う前に、人の話によってイエスさまを信じる必要があります。それは牧師の話であったり、家族や友人・知人の話であったり、或いは聖書の記者たちの話であったりします。聖書の中のイエスさまの言葉もマタイやマルコやルカやヨハネが書いたイエスさまの言葉ですから、聖書の記者の話ということになります。それらを私たちは、まず信じる必要があります。そうして人の話によってイエスさまを信じると聖霊を受けて、こんどは本当にイエスさまと霊的に会うことができるようになります。

ペテロのことばを聞いて信じた異邦人たち
 もう一度、使徒の働き15章に戻りましょう。7節をお読みします。

15:7 激しい論争があって後、ペテロが立ち上がって言った。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は初めのころ、あなたがたの間で事をお決めになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたのです。

 異邦人たちはペテロが話す福音のことばを聞いてイエスさまを信じました。そして8節と9節、

15:8 そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、
15:9 私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。

 このことを私たちは使徒の働き10章のコルネリオたちが聖霊を受けた箇所で学びました。最後にこのコルネリオたちが聖霊を受けた箇所をご一緒に読んで終わることにします。
 使徒10章の42節から45節までを交代で読みましょう(p.249)。これはペテロがコルネリオたちに話をしている時に起きた出来事です。

10:42 イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。
10:43 イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」
10:44 ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。
10:45 割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。

 お祈りいたしましょう。
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聖書信仰とヨハネの創作の受け入れについて

2017-07-07 16:56:15 | 折々のつぶやき
【聖書信仰とヨハネの創作の受け入れについて】

1.C.S.ルイスの『キリスト教の精髄』(柳生直行・訳)を何年ぶりかで読み返した。第4部3章の「時間と時間の彼方」には私の「『ヨハネの福音書』と『夕凪の街 桜の国』」に似た時間観が書かれている。私は『キリスト教の精髄』を参考図書に挙げなかったが影響を受けていたかもしれない。

2.ルイスは、人と神の時間の違いを面白い例で説明する。彼が小説で「メリーは針仕事を置いた。すると、ドアをたたく音が聞こえた」と書いたとすると、小説の中のメリーはこれらが短時間の中で起きている。しかし彼はこの文章を何時間も掛けて書くこともあるのだと。ルイスが神でメリーが人だ。

3.「神の時間」と「人の時間」が全く異なることをルイスは良く理解している。しかし、そんなルイスも『ヨハネの福音書』の独特の時間構造には気付いていなかった。もし気付いていれば、この『キリスト教の精髄』の「時間と時間の彼方」の章で多少なりとも『ヨハネの福音書』に言及する筈だ。

4.なぜ私たちはこれまで『ヨハネの福音書』の独特の時間構造に気付くことができなかったのか。これは是非とも解明しなければならない問題だ。だから私は多くの人々と共に、この問題を考えたいと願っている。なかなか仲間が増えないのが何とも歯がゆいが、希望を持って考察して行きたい。

5.なぜ『ヨハネの福音書』の重層構造に気付かなかったのか、とりあえず21世紀の私たちに絞って考えてみたい。私は2001年から教会に通い始めたので、2~20世紀の教会のことを直接は知らない。まずは自分が知っている時代から考察を始めるのが良いだろう。20世紀以前はその後だ。

6.なぜ『ヨハネの福音書』の重層構造が気付かれなかったか、近頃話題の「聖書信仰」が関わっていそうだ。「聖書信仰」が重層構造に気付くための前提であるが、逆にこの「聖書信仰」が気付きの邪魔をしている面もある。ヨハネが創作を取り入れていることを「聖書信仰」を持つ人は受け入れ難いだろう。

7.聖書信仰を持つ人は聖書の記述に誤りはないと信じている。すると創作があることを受け入れ難くなるだろう。一方、聖書信仰を持たない人は創作があることを受け入れるだろうが、イエスの復活を本気で信じていないから聖霊を受けていない。聖霊を受けないとヨハネの重層構造に気付くことは難しい。

8.例えばイエスがナタナエルを見て「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない」(ヨハネ1:47)と言ったことをヨハネは創世記32:28で神がヤコブに「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ」と言ったことと重ねている。これはヨハネの創作だ。

9.ヨハネはこの1:47の創作を通して、御子イエスが創世記の時代から父と共にいて神の言葉を人に伝えている様子を描いている。聖書信仰を持つ人はこの創作に気付かない。一方、聖書信仰がなくて聖霊を受けていない人は、創世記の時代に霊的な御子イエスが父と共にいることを感じられないだろう。

10.或いはまた、イエスが水をワインに変えたヨハネ2章の「最初のしるし」は、モーセがナイル川の水を血に変えたことと五旬節の日にガリラヤ人の弟子たちが聖霊を受けたことの両方が重ねられている。この三層構造が三位一体の神の霊を表すことに、聖書信仰を持つ人も持たない人も気付かないだろう。

11.まとめ。聖書の記述を疑う人は聖霊を受けないので神の霊を感じることが難しく、従ってヨハネの福音書の重層構造に気付かなかったことは理解できます。一方、聖書信仰を持つ人は聖霊を受けますから重層構造に気付いても良さそうなものですが、創作を受け入れ難い問題があったのだろうと考えます。
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