2014年1月29日祈り会メッセージ
『新会堂建設への心備え③』
【歴代誌第一29:1~9】
はじめに
先日の聖日には教会総会を無事に執り行うことができて感謝でした。そして昨日、この今沢の教会の土地と建物の所有権を、廣瀬先生から宗教法人イムマヌエル綜合伝道団沼津基督教会に移転する登記が完了しました。これで、この教会の土地と建物は、名実ともに私たちの教会の物となりました。今までも、この教会の土地と建物は私たちの教会の物であったわけですが、実は登記簿上は前任の先生の物になっていました。しかし、これで晴れて登記簿上も、この今沢の土地と建物は、私たちの教会の物になりました。
立ちはだかっていた壁
教会総会の折りに、今の1月の時点で、今年の年間計画がまだ立てられていないことについて、私は少し言い訳をしました。それは、私がこの教会に着任して1年目で、しかも牧師になってまだ2年目なので、目の前のことを一つ一つこなして行くことに精一杯で、向こう1年のことを考える余裕など無かったという言い訳をしました。それは、全くその通りなのですが、先のことを考える余裕が無かったもう一つの要因として、この土地と建物の所有権移転の手続きのことが私の前に壁として立ちはだかっていたのだなと、手続きが完了した今、つくづく思います。この山を越えるまでは、やっぱり先の方を見通すことは不可能であったなと、いま改めて思っています。
土地と建物の所有権が牧師個人の名義で登記されているものを、法人に移転させる事務作業については、私は姫路教会で既に経験済みでした。しかし姫路教会の場合は法人格を持っていませんでしたから、移転先の法人は教団でした。その場合、申請書自体は私の方で作成しましたが、添付する様々な必要書類、例えば、なぜ所有権を移転する必要があるのかの理由書や、移転を決議した責任役員会議事録や、移転先の法人がしっかりとした組織であることを証明する教会規則、などなどは全て教団が整えてくれました。しかし、今回のケースは移転先がこの沼津教会でしたから、必要書類のすべてを沼津教会で整える必要がありました。まずは教会規則をしっかりと整備しなければなりませんでした。教会規則が設立当時の古いままの教会では、移転は認めてもらえないでしょう。また、この教会の土地が一つではなく、後付けで2つの小さな土地も付いていましたから、このことも姫路では経験していないことで、越えなければならない山の高さは、途方もなく高く見えました。幸いにして県庁と本部から指導を仰ぐことについては役員の方が良い働きをして下さり、一歩一歩着実に歩みを進めて行くことができましたから、本当に感謝でした。
12月の後半に概ね必要書類を整えることができましたから、前任の先生の実印が必要な書類を先生にお送りして、年末に押印されたものが印鑑証明書と共に返送されて来ました。それを年が明けてから県庁に送り、数日後には県庁から、所有権移転に際して掛かる税金を免除する非課税証明書が届きました。そうして、遂に1月14日の午後に、その非課税証明書を添付して法務局に所有権移転登記の申請書を提出することができました。書類に不備が無ければ、それでめでたく登記完了となりますから、私はかなりの安堵感を覚えました。
そして、その登記申請した1月14日の晩に、道路側のカーテンを開けて会堂のレイアウトを180度変えるアイデアが、ふと与えられて2週間前の15日の祈祷会で、まずこのレイアウトを試してみることにしました。所有権移転の登記申請書類を提出した当日の晩に、新たなレイアウトのアイデアが与えられたのですから、やっぱり私にとって、この所有権移転の手続きは相当に高い壁となって立ちはだかっていたのだなと、今になって、つくづく思うことです。
さて、そういうわけでこれまでは年間計画だけでなく、新会堂についても、なかなか展望できないでいましたが、これで漸く本腰を入れて取り組むことができます。
この仕事は大きい
では、歴代誌を見て行くことにしましょう。1月から祈祷会では、歴代誌第一を開いて、新会堂建設への心備えを始めています。きょうの聖書箇所は歴代誌第一29章の1節から9節までです。まず1節、
29:1 次に、ダビデ王は全集団に言った。「わが子ソロモンは、神が選ばれたただひとりの者であるが、まだ若く、力もなく、この仕事は大きい。この城は、人のためでなく、神である【主】のためだからである。
この1節で目に留まるのは、「この仕事は大きい」です。主の宮の建設は大きな仕事です。そして私たちの教会の新しい会堂の建設もまた、大きな仕事です。とても不思議な感覚ですが、「この仕事は大きい」という箇所を読んで、私は何だかわくわくして来ました。大きな仕事であればあるほど、私たちの力では無理なことで、主の御助けが無ければ達成はできないことです。主は一体、どんな御助けと御業を私たちの目の前で見せて下さるのだろうか、何だかわくわくするような気がします。これも、所有権移転の登記が完了して心が軽くなったからでしょうか。今までは新会堂に関してわくわく感を感じることはありませんでしたが、今は何故か不思議なわくわく感を覚えるようになりました。
しかし、主が御助けを与えて下さるための前提となるのは、当然のことながら私たちの信仰です。信仰の無い者を主は助けては下さらないでしょう。ダビデは捧げることで信仰を示しました。2節から5節、
29:2 私は全力を尽くして、私の神の宮のために用意をした。すなわち、金製品のための金、銀製品のための銀、青銅製品のための青銅、鉄製品のための鉄、木製品のための木、しまめのう、色とりどりのモルタルの石の象眼細工、あらゆる宝石、大理石をおびただしく用意した。
29:3 そのうえ、私は、私の神の宮を喜ぶあまり、聖なる宮のために私が用意したすべてのものに加えて、私の宝としていた金銀を、私の神の宮のためにささげた。
29:4 家々の壁に着せるため、オフィルの金の中から金三千タラントと、精銀七千タラントを、
29:5 金は金製品のため、銀は銀製品のために、またすべて職人の手による仕事のために、ささげた。そこで、きょう、だれか、みずから進んでその手にあふれるほど、【主】にささげる者はないだろうか。」
喜びを持って捧げた民
ダビデは、自ら進んで捧げ物で信仰を表し、そして、イスラエルの民にも、それを求めました。6節から8節、
29:6 すると、一族の長たち、イスラエル各部族の長たち、千人隊、百人隊の長たち、王の仕事の係長たちは、みずから進んで、
29:7 神の宮の奉仕のために、金五千タラント一万ダリク、銀一万タラント、青銅一万八千タラント、鉄十万タラントをささげた。
29:8 宝石を持っている者は、これを【主】の宮の宝物倉にささげ、ゲルション人エヒエルの手に託した。
このように、イスラエルの民もまた、多くの捧げ物をしました。9節、
29:9 こうして、民は自分たちのみずから進んでささげた物について喜んだ。彼らは全き心を持ち、みずから進んで【主】にささげたからである。ダビデ王もまた、大いに喜んだ。
ダビデ王とイスラエルの民にとって、捧げ物をすること自体が大きな喜びだったのですね。それは、主への揺るぎない信仰があり、主とイスラエルの民との間に信頼関係が構築されていたからですね。主は、ダビデとその子ソロモンが信仰にとどまる限り、一族の繁栄を約束していましたから、ダビデは喜びをもって捧げることができました。イスラエルの民もまた、ダビデの家が繁栄している限りはイスラエルの国も繁栄を続けることができますから、喜びをもって捧げることができました。
主と信頼関係が構築されていた民
このようにイスラエルの民が全き心を持ち、主との間にしっかりとした信頼関係があった時期というのは、イスラエルの歴史の全体から見れば、珍しい時期であったと言えると思います。旧約聖書全体を読むなら、ほとんどの時代は不信仰の時代で、主とイスラエルの民との間に信頼関係は存在しませんでした。しかし、このダビデがソロモンに王位を引き継いだ時期というのは、イスラエルの歴史全体から見ると、突出して良い時代で、主と民との間で信頼関係がしっかりと築かれていた時代でした。ヒゼキヤ王やヨシヤ王などの宗教改革の時代もありましたが、王様が良い信仰を持っていても、一般の民がどれほどの信仰を持っていたかというと、それほどではなかったと思います。しかし、この歴代誌第一29章の時期には王も民もイスラエル全体が主との間で信頼関係が構築できていました。
私たちも主と信頼関係を築くところから始める
ですから、今日の聖書箇所から私たちが学び取らなければならないのは、私たちも先ず、主との信頼関係をしっかりと構築するところから始めなければならないだろう、ということです。このことを、私もまだ、しっかりとは認識できていませんでした。私たちは、一人一人については、主との信頼関係を築くことができている方が多いことでしょう。しかし、教会全体としてはどうでしょうか。このことを改めて考えてみると、まだまだという感じがしますね。 この今沢の会堂を取得した当時は教会全体が信仰に燃えていたことと思いますが、今はどうでしょうか。先ずは、会堂に特化した祈祷会を開くことから始めなければならないだろうと思います。そこから、ようやくこの教会が主との信頼関係を築くことを始めることができるのかな、という気がしていますが、皆さんは、どのように感じていますでしょうか。
おわりに
役員の方から提案があり、まず私が司会をして新会堂取得の祈祷会を持ったらどうでしょうかということですので、そのようにしたいと思います。次の礼拝でアナウンスをして、その次、すなわち2月の第二聖日の礼拝の後で、15分から20分程度の新会堂のための祈祷会を私の司会で開くことにしたいと思います。このためにも、是非お祈りいただきたいと思います。
お祈りいたしましょう。
『新会堂建設への心備え③』
【歴代誌第一29:1~9】
はじめに
先日の聖日には教会総会を無事に執り行うことができて感謝でした。そして昨日、この今沢の教会の土地と建物の所有権を、廣瀬先生から宗教法人イムマヌエル綜合伝道団沼津基督教会に移転する登記が完了しました。これで、この教会の土地と建物は、名実ともに私たちの教会の物となりました。今までも、この教会の土地と建物は私たちの教会の物であったわけですが、実は登記簿上は前任の先生の物になっていました。しかし、これで晴れて登記簿上も、この今沢の土地と建物は、私たちの教会の物になりました。
立ちはだかっていた壁
教会総会の折りに、今の1月の時点で、今年の年間計画がまだ立てられていないことについて、私は少し言い訳をしました。それは、私がこの教会に着任して1年目で、しかも牧師になってまだ2年目なので、目の前のことを一つ一つこなして行くことに精一杯で、向こう1年のことを考える余裕など無かったという言い訳をしました。それは、全くその通りなのですが、先のことを考える余裕が無かったもう一つの要因として、この土地と建物の所有権移転の手続きのことが私の前に壁として立ちはだかっていたのだなと、手続きが完了した今、つくづく思います。この山を越えるまでは、やっぱり先の方を見通すことは不可能であったなと、いま改めて思っています。
土地と建物の所有権が牧師個人の名義で登記されているものを、法人に移転させる事務作業については、私は姫路教会で既に経験済みでした。しかし姫路教会の場合は法人格を持っていませんでしたから、移転先の法人は教団でした。その場合、申請書自体は私の方で作成しましたが、添付する様々な必要書類、例えば、なぜ所有権を移転する必要があるのかの理由書や、移転を決議した責任役員会議事録や、移転先の法人がしっかりとした組織であることを証明する教会規則、などなどは全て教団が整えてくれました。しかし、今回のケースは移転先がこの沼津教会でしたから、必要書類のすべてを沼津教会で整える必要がありました。まずは教会規則をしっかりと整備しなければなりませんでした。教会規則が設立当時の古いままの教会では、移転は認めてもらえないでしょう。また、この教会の土地が一つではなく、後付けで2つの小さな土地も付いていましたから、このことも姫路では経験していないことで、越えなければならない山の高さは、途方もなく高く見えました。幸いにして県庁と本部から指導を仰ぐことについては役員の方が良い働きをして下さり、一歩一歩着実に歩みを進めて行くことができましたから、本当に感謝でした。
12月の後半に概ね必要書類を整えることができましたから、前任の先生の実印が必要な書類を先生にお送りして、年末に押印されたものが印鑑証明書と共に返送されて来ました。それを年が明けてから県庁に送り、数日後には県庁から、所有権移転に際して掛かる税金を免除する非課税証明書が届きました。そうして、遂に1月14日の午後に、その非課税証明書を添付して法務局に所有権移転登記の申請書を提出することができました。書類に不備が無ければ、それでめでたく登記完了となりますから、私はかなりの安堵感を覚えました。
そして、その登記申請した1月14日の晩に、道路側のカーテンを開けて会堂のレイアウトを180度変えるアイデアが、ふと与えられて2週間前の15日の祈祷会で、まずこのレイアウトを試してみることにしました。所有権移転の登記申請書類を提出した当日の晩に、新たなレイアウトのアイデアが与えられたのですから、やっぱり私にとって、この所有権移転の手続きは相当に高い壁となって立ちはだかっていたのだなと、今になって、つくづく思うことです。
さて、そういうわけでこれまでは年間計画だけでなく、新会堂についても、なかなか展望できないでいましたが、これで漸く本腰を入れて取り組むことができます。
この仕事は大きい
では、歴代誌を見て行くことにしましょう。1月から祈祷会では、歴代誌第一を開いて、新会堂建設への心備えを始めています。きょうの聖書箇所は歴代誌第一29章の1節から9節までです。まず1節、
29:1 次に、ダビデ王は全集団に言った。「わが子ソロモンは、神が選ばれたただひとりの者であるが、まだ若く、力もなく、この仕事は大きい。この城は、人のためでなく、神である【主】のためだからである。
この1節で目に留まるのは、「この仕事は大きい」です。主の宮の建設は大きな仕事です。そして私たちの教会の新しい会堂の建設もまた、大きな仕事です。とても不思議な感覚ですが、「この仕事は大きい」という箇所を読んで、私は何だかわくわくして来ました。大きな仕事であればあるほど、私たちの力では無理なことで、主の御助けが無ければ達成はできないことです。主は一体、どんな御助けと御業を私たちの目の前で見せて下さるのだろうか、何だかわくわくするような気がします。これも、所有権移転の登記が完了して心が軽くなったからでしょうか。今までは新会堂に関してわくわく感を感じることはありませんでしたが、今は何故か不思議なわくわく感を覚えるようになりました。
しかし、主が御助けを与えて下さるための前提となるのは、当然のことながら私たちの信仰です。信仰の無い者を主は助けては下さらないでしょう。ダビデは捧げることで信仰を示しました。2節から5節、
29:2 私は全力を尽くして、私の神の宮のために用意をした。すなわち、金製品のための金、銀製品のための銀、青銅製品のための青銅、鉄製品のための鉄、木製品のための木、しまめのう、色とりどりのモルタルの石の象眼細工、あらゆる宝石、大理石をおびただしく用意した。
29:3 そのうえ、私は、私の神の宮を喜ぶあまり、聖なる宮のために私が用意したすべてのものに加えて、私の宝としていた金銀を、私の神の宮のためにささげた。
29:4 家々の壁に着せるため、オフィルの金の中から金三千タラントと、精銀七千タラントを、
29:5 金は金製品のため、銀は銀製品のために、またすべて職人の手による仕事のために、ささげた。そこで、きょう、だれか、みずから進んでその手にあふれるほど、【主】にささげる者はないだろうか。」
喜びを持って捧げた民
ダビデは、自ら進んで捧げ物で信仰を表し、そして、イスラエルの民にも、それを求めました。6節から8節、
29:6 すると、一族の長たち、イスラエル各部族の長たち、千人隊、百人隊の長たち、王の仕事の係長たちは、みずから進んで、
29:7 神の宮の奉仕のために、金五千タラント一万ダリク、銀一万タラント、青銅一万八千タラント、鉄十万タラントをささげた。
29:8 宝石を持っている者は、これを【主】の宮の宝物倉にささげ、ゲルション人エヒエルの手に託した。
このように、イスラエルの民もまた、多くの捧げ物をしました。9節、
29:9 こうして、民は自分たちのみずから進んでささげた物について喜んだ。彼らは全き心を持ち、みずから進んで【主】にささげたからである。ダビデ王もまた、大いに喜んだ。
ダビデ王とイスラエルの民にとって、捧げ物をすること自体が大きな喜びだったのですね。それは、主への揺るぎない信仰があり、主とイスラエルの民との間に信頼関係が構築されていたからですね。主は、ダビデとその子ソロモンが信仰にとどまる限り、一族の繁栄を約束していましたから、ダビデは喜びをもって捧げることができました。イスラエルの民もまた、ダビデの家が繁栄している限りはイスラエルの国も繁栄を続けることができますから、喜びをもって捧げることができました。
主と信頼関係が構築されていた民
このようにイスラエルの民が全き心を持ち、主との間にしっかりとした信頼関係があった時期というのは、イスラエルの歴史の全体から見れば、珍しい時期であったと言えると思います。旧約聖書全体を読むなら、ほとんどの時代は不信仰の時代で、主とイスラエルの民との間に信頼関係は存在しませんでした。しかし、このダビデがソロモンに王位を引き継いだ時期というのは、イスラエルの歴史全体から見ると、突出して良い時代で、主と民との間で信頼関係がしっかりと築かれていた時代でした。ヒゼキヤ王やヨシヤ王などの宗教改革の時代もありましたが、王様が良い信仰を持っていても、一般の民がどれほどの信仰を持っていたかというと、それほどではなかったと思います。しかし、この歴代誌第一29章の時期には王も民もイスラエル全体が主との間で信頼関係が構築できていました。
私たちも主と信頼関係を築くところから始める
ですから、今日の聖書箇所から私たちが学び取らなければならないのは、私たちも先ず、主との信頼関係をしっかりと構築するところから始めなければならないだろう、ということです。このことを、私もまだ、しっかりとは認識できていませんでした。私たちは、一人一人については、主との信頼関係を築くことができている方が多いことでしょう。しかし、教会全体としてはどうでしょうか。このことを改めて考えてみると、まだまだという感じがしますね。 この今沢の会堂を取得した当時は教会全体が信仰に燃えていたことと思いますが、今はどうでしょうか。先ずは、会堂に特化した祈祷会を開くことから始めなければならないだろうと思います。そこから、ようやくこの教会が主との信頼関係を築くことを始めることができるのかな、という気がしていますが、皆さんは、どのように感じていますでしょうか。
おわりに
役員の方から提案があり、まず私が司会をして新会堂取得の祈祷会を持ったらどうでしょうかということですので、そのようにしたいと思います。次の礼拝でアナウンスをして、その次、すなわち2月の第二聖日の礼拝の後で、15分から20分程度の新会堂のための祈祷会を私の司会で開くことにしたいと思います。このためにも、是非お祈りいただきたいと思います。
お祈りいたしましょう。