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一粒のタイル2

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)

平和への道をあきらめない(2023.3.16 祈り会、3.17 静岡朝祷会)

2023-03-17 09:50:08 | 祈り会メッセージ
2023年3月16日祈り会説教、3月17日静岡朝祷会奨励
『平和への道をあきらめない』
【ヨハネ8:24、44、9:5~7、10:1、40、11:6~7、32~35】

 きょうはヨハネの福音書の8章から11章までを見渡すことにします。先週の祈り会でE.W.クラーク先生の『Katz Awa(勝安房)』を紹介する中で平和の大切さを改めて感じたからです。

 勝海舟は幕末には軍艦奉行として、また明治の世になってからは海軍卿として、日本の海軍の基礎を築きました。この勝海舟が築いた基礎があったから日本の海軍、そして陸軍を含む日本の軍隊は短い期間の間に軍事力を高めて日清戦争に勝ち、日露戦争でも善戦するほどになったとクラーク先生は『Katz Awa』の中で勝海舟を絶賛しています。

 先週はこのことを紹介した後で、次のような話をしました。

 明治の世に日本が富国強兵で軍事力を高めて行ったのは、当時の世界情勢の中では仕方のないことだったのかもしれません。しかし、日本も世界もいつまで同じことを繰り返すのでしょうか。特に日本は第二次世界大戦で敗戦国となって軍事力を放棄し、且つ日本国憲法第九条に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記しました。それにも関わらず陸海空の軍事力を自衛隊によって着々と高めていて、ここ10年ではそれが加速しています。

 そうして日本も世界も戦争を繰り返しては相手を滅ぼし、或いは相手に滅ぼされ、壊滅的な戦災を被っても、またしても軍事力を高めてはまた戦争することを繰り返しています。その時々の情勢、また昨今の世界情勢では、それも仕方がないという考える人も多いでしょう。しかし、私たちはこの戦争の繰り返しを一体いつまで続けるつもりでしょうか?

 21世紀の今はこういう悲しい状況の中にありますが、私はまだ平和への道をあきらめていません。聖書を部分的に読むのではなく、聖書全体を理解しようと努めるなら、天の父とイエス様が戦争を繰り返す愚かな人間のことをどんなに悲しみ、涙を流しているかが、分かるからです。この天の父とイエス様の深い悲しみを共有するなら、世界は必ず平和な方向へと向かって行くはずです。

 では何故、まだそれが出来ていないのか、それはキリスト教会の多くが「個人の救い」を重点に置いているからだと考えます。教会が「個人の救い」に重点を置くのは当然ですが、「世界の救い」にも少しは目を向けるべきだと思います。

 聖書には「世界の救い」と「個人の救い」の両方のことが書かれています。旧約聖書は明らかに「世界の救い」の方に重点を置いて語っています。まずイスラエルの民が救われて、そうしてエルサレムに世界の国々から人々が集まって来て、終わりの日には新しい天と新しい地が創造されて(イザヤ書65~66章)、世界が救われます。

 新約聖書は、この旧約聖書が土台になっています。新約聖書では「聖書」ということばが50回以上使われています。新約聖書が言う「聖書」とは旧約聖書のことです。新約聖書は、この旧約聖書を土台にして書かれています。そうして新約聖書の最後に収められているヨハネの黙示録は、イザヤ書で預言されている新しい天と新しい地は、天から新しいエルサレムが地上に降って来ることで完成することを明らかにしています(黙示録21~22章)。つまり、新約聖書も究極的には「世界の救い」が語られている書です。でも、その過程においてはもちろん、一人一人の個人の救いがあります。使徒たちも個人伝道を多くしていました。そうして、多くの個人が救われることで、「世界の救い」へと向かって行きます。ですから、教会が「個人の救い」を重点に置くことは当然であって、そうすべきです。

 しかし、「個人の救い」にばかり目を向けていると、「世界の救い」が見えなくなってしまいます。新約聖書も究極的には「世界の救い」を語っているのですから、それが見えなくなるのは、とても残念です。そのために、いつまでも戦争がなくならないのだと思います。

 きょうはこれから駆け足でヨハネの福音書が旧約聖書を土台にしていて、「個人の救い」だけではなく「世界の救い」についても語っている書であることを、分かち合いたいと思います。1章から見たいところですが、時間が限られていますから、8章から見て行きます。

 まずヨハネ8章24節、

ヨハネ8:24 それで、あなたがたは自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。わたしが『わたしはある』であることを信じなければ、あなたがたは、自分の罪の中で死ぬことになるからです。」

 この『わたしはある』の所には星印(*)があって、下の注を見ると次のように書いてあります。

*「エゴー・エイミ」。出エジプト記3:14の「わたしは『わたしはある』という者である」という神の自己顕現の表現に由来。

 つまりイエス様は、自分と父とは一つの存在であると、この8章24節でおっしゃっています。そして、この「エゴー・エイミ」 ―― 英語で言えば「I am」 ―― を使って、イエス様は「わたしは~です」と何度もおっしゃっています。

「わたしはいのちのパンです」(6:48)、「わたしは世の光です」(8:12)、「わたしは門です」(10:9)、「わたしは良い牧者です」(10:11)、「わたしはよみがえりです。いのちです。」(11:25)、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(14:6)、「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です」(15:5)。

 これらの「わたしは~です」を通して、イエス様は繰り返し「エゴー・エイミ」と言って、ご自身が父と一つであることを示しています。すなわち、「わたしは門です」であれば、「わたしは『わたしはある』であり、且つ門です」とイエス様はおっしゃっており、「わたしはよみがえりです。いのちです」であれば、「わたしは『わたしはある』であり、且つよみがえりです。いのちです」とおっしゃっているのだと思います。このようにして、イエス様はご自身が「わたしはある」である、すなわち父と一つの存在であることを何度も示しています。次に8章44節、

【マナセ王・アモン王の時代】ヨハネ8:44 あなたがたは、悪魔である父から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと思っています。悪魔は初めから人殺しで、真理に立っていません。彼のうちには真理がないからです。悪魔は、偽りを言うとき、自分の本性から話します。なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だからです。

 ここでなぜ「悪魔」が出て来るかと言うと、8章のイエス様はマナセ王の悪魔の時代にいるからです。旧約の時代、イエス様は父と共に天にいて、天から聖霊を地上の預言者たちに遣わして父のことばを伝えていました。

 ヨハネ1章は【アブラハム・イサク・ヤコブの時代】、ヨハネ2章は【モーセの時代】、ヨハネ3章は【モーセ、ヨシュア、サムエル、ダビデの時代】、ヨハネ4章は【エリヤの時代】、ヨハネ6章は【エリシャ、ホセア】の時代、ヨハネ7章は【イザヤの時代】です。

 しかし、イザヤが預言していた【ウジヤ王からヒゼキヤ王までの時代】の「次」の【マナセ王とアモン王の時代】は預言者が不在です。マナセ王が預言者を殺してしまったからです。イザヤもマナセに殺されたという言い伝えがあります。ですから、マナセ王とアモン王の時代は悪魔の時代でした。続いて9章5節と6節、

【ヨシヤ王の時代】ヨハネ9:5 「わたしが世にいる間は、わたしが世の光です。」
9:6 イエスはこう言ってから、地面に唾をして、その唾で泥を作られた。そして、その泥を彼の目に塗って、
9:7 「行って、シロアム(訳すと、遣わされた者)の池で洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗った。すると、見えるようになり、帰って行った。

 ここでイエス様はヨシヤ王の時代に言及しています。悪魔のマナセ王の孫で、アモン王の子であるヨシヤ王は、とても善い王でした。そしてマナセ王とアモン王の時代に荒れてしまった神殿の修理をしたことが列王記と歴代誌(列王記第二22章、歴代誌第二34章)に書かれています。その神殿の修理中に律法の書が発見されました。ヨシヤ王たちは、そもそも「律法の書」があることすら知りませんでした。それで、ヨシヤ王は、この律法の書のことばを聞いた時に衣を引き裂きました。それほどのショックだったとうことですね。こうしてヨシヤ王の霊的な目が開かれました。この霊的な目の開眼が、ヨハネ9章5節の「わたしが世の光です」と盲人の開眼によって表されています。続いて10章1節では、ヨシヤ王の良い時代が過ぎて南王国は再び不信仰の時代になっていました。10章1節、

【エホヤキム王たちの時代】ヨハネ10:1 「まことに、まことに、あなたがたに言います。羊たちの囲いに、門から入らず、ほかのところを乗り越えて来る者は、盗人であり強盗です。」

 これはエレミヤの警告です。天のイエス様は地上のエレミヤに聖霊を遣わして、繰り返し、不信仰を改めるようにエルサレムのエホヤキム王や人々に警告しました。不信仰を改めないならバビロン軍などの外国軍を送って滅ぼすという警告です。しかし、エルサレムの人々が耳を傾けなかったために、遂に外国軍が城壁を乗り越えてエルサレムに侵入して略奪しました(列王記第二24章)。これが10章1節の「羊たちの囲いに、門から入らず、ほかのところを乗り越えて来る者は、盗人であり強盗です」で表されています。

 そして、エルサレムの人々はバビロンに捕囚として引かれて行きました。10章40節、

【バビロン捕囚の時代】ヨハネ10:40 そして、イエスは再びヨルダンの川向こう、ヨハネが初めにバプテスマを授けていた場所に行き、そこに滞在された。

 バビロンはヨルダン川の東側にあります。ここに預言者のエゼキエルが引かれて行きました。そしてダニエルもバビロンにいました。エゼキエルやダニエルなどの預言者たちの内には聖霊がいますから、それはイエス様が内にいるのと同じことです。イエス様もまたバビロンに引かれて行きました。そして、バビロン捕囚が始まってから、その後でエルサレムが滅亡しました。そしてバビロン捕囚から約70年後に人々はエルサレムの再建のために帰還を始めます。ヨハネ11章6節と7節、

【エルサレム滅亡・エルサレム帰還の時代】ヨハネ11:6 しかし、イエスはラザロが病んでいると聞いてからも、そのときいた場所に二日とどまられた。
11:7 それからイエスは、「もう一度ユダヤに行こう」と弟子たちに言われた。

 ここで病んでいるラザロとは、滅亡寸前のエルサレムのことです。そしてラザロが死んで、エルサレムは滅亡しました。そうして預言者たちの中のイエス様は廃墟のまま放置されていたエルサレムに戻って来ました。ヨハネ11章32節から35節、

【戦災で廃墟になったエルサレムを見て涙を流すイエス】ヨハネ11:32 マリアはイエスがおられるところに来た。そしてイエスを見ると、足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」
11:33 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になった。そして、霊に憤りを覚え、心を騒がせて、
11:34 「彼をどこに置きましたか」と言われた。彼らはイエスに「主よ、来てご覧ください」と言った。
11:35 イエスは涙を流された。

 イエス様はエレミヤを通して何度も、エルサレムの人々に不信仰を改めて主に立ち返るように繰り返し警告しました。その警告を無視したからエルサレムは滅ぼされました。それなのにマリアが「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と言って泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になって霊に憤りを覚えました。イエス様は、ちゃんとエレミヤの中にいて、人々に警告していました。それを彼らが分かっていないことに憤りを覚えました。そして、イエス様は涙を流されました。

 エルサレムが滅亡して廃墟になったことはイエス様と天の父にとって、涙を流すほど悲しいことでした。

 最初の話に戻ると、「個人の救い」だけに目を向けていると、こういう旧約聖書の大きな流れが新約聖書の中に埋め込まれていることが読み取れなくなります。そうして、旧約聖書の土台の上に新約聖書があることも忘れてしまいます。世界が平和に向かうためには、新約聖書は旧約聖書の「世界の救い」の土台の上にあることを、もっと意識する必要があるでしょう。

 とは言え、教会が「個人の救い」に重点を置くことは当然のことです。地域にいる方々のお一人お一人を教会は救いに導かなければなりません。私たちは教会の一員として「個人の救い」に重点を置いて伝道します。しかし、同時に「世界の救い」のことも心の片隅で意識していなければならないと思います。天の父とイエス様が、戦争によって都市が廃墟になることを、どんなに悲しんでおられるのか、このことが分からなければ、延々と戦争を繰り返すことになるでしょう。

 「個人の救い」に重点を置きつつも、「世界の救い」のことも忘れずに、イエス様と共に歩む私たちでありたいと思います。お祈りいたします。

ヨハネ11:35 イエスは涙を流された。
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いまだ遠い平和への道のり(2023.3.9 祈り会)

2023-03-13 05:17:37 | 祈り会メッセージ
2023年3月9日祈り会説教
『いまだ遠い平和への道のり』
【イザヤ2:1~4、マタイ5:9】

イザヤ2:1 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見たことば。
2 終わりの日に、の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。
3 多くの民族が来て言う。「さあ、の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムからのことばが出るからだ。
4 主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。

 「静岡のクラーク先生」や「もう一人のクラーク先生」とも呼ばれる、エドワード・ウォーレン・クラーク先生のことを私は絶賛していますから、私がこのクラーク先生のことを全面的に肯定していると思っている方もいらっしゃるかもしれません。でも、それは誤解で、私は必ずしも全肯定はしていません。それは当然で、どんな人にも、それはちょっとどうなの?という点はありますよね。きょうは、そういう点を見たいと思います。ただし、私がクラーク先生について、首をかしげる点があるのは21世紀の現代の視点で見ているということもあると思います。クラーク先生は19世紀の後半から20世紀の初めまでを生きた人ですから、当時としては、それが当たり前だったということもあるでしょう。

 きょう注目したいのは、クラーク先生の平和への意識です。まずは周辺的なことから話を始めます。

 クラーク先生は幅広い分野の学問に通じていましたが、専門は化学でした。クラーク先生がいかに化学に通じていたかを示す、こんなエピソードがあります。下記は、クラーク先生が静岡学問所に着任してから4ヶ月ほど経った時期に、アメリカの知人宛てに書いた手紙の一部です。

数週間前、黒っぽい液体が私の許に送られて来て、彼らの地方[静岡県中部の相良]のある土地の水がこの液体で覆われていて、その正体は何なのか知りたいとのことだった。少し分析しただけで、私はこれがかなりの割合で良質の石油からなることが分かった 。その一部にいわゆる「分別蒸留」のプロセスを施したところ、それぞれ特別の性質を持った四つ別々の物質を得ることができた。これらの液体を私は注意深く試験管に入れ、その地方に送り返したのだが、そこには神秘的に見える化学式を書いておいたので、きっと彼らにはエジプトのヒエログリフ[古代エジプトの象形文字]のように映ったことだろう。(今野喜和人・訳)

 クラーク先生は当時23歳で、その若さでこれだけのことができたのは、今の目で見るとすごい事だと思います。

 この手紙でクラーク先生は黒っぽい液体を分析したと書いています。実は静岡学問所はクラーク先生のために立派な実験室を作りました。そこで分析を行ったのでしょう。そして、『Katz Awa』には、クラーク先生が火薬を使った実験を行っていたことが書かれています(恐らく学生たちの前で実験して見せたのだと思います)。引用します。

この実験室私は下条[クラークの通訳]と(予備的な爆発物の)綿火薬、ニトログリセリン、ダイナマイト、水銀雷管、アームストロング砲の信管を作った。これらはすべて改良されて実戦で使用されたと聞く。もし、これらが実験室で我々が見たような威力を実戦でも発揮していたなら、ロシア人が残っているだろうか!

 この『Katz Awa』は日露戦争中の1904年に書かれたもので、クラーク先生は30年前の若い時に自分が化学の実験室で行った火薬の実験を回想して、このように書いています。火薬は少量でもすごい威力の爆発力を見せたのでしょう。そして、クラーク先生は、この実験室で見せた威力を実戦の日露戦争でも発揮していたら、ロシア人は一人も生き残っていないだろう、と書いています。クラーク先生は日本軍の勝利を願い、このような書き方をしたのだと思いますが、日本の勝利を願いすぎる余り、つい筆が滑った感もあります。

 この文章が、クラーク先生が20代の頃の文章であれば、分からないでもありません。でも、これはクラーク先生が55歳の時の文章です。50代のクラーク先生の中にまだまだ好戦的な気持ちがたっぷりとあることに少々驚きます。クラーク先生は勝海舟が江戸城無血開城のために尽力したことを絶賛しています。ですから、全体的な基調としてはクラーク先生は平和を愛している人だということが分かります。しかし、同時に日本軍がいくつかの戦いでロシア軍を打ち負かすほどの戦果を挙げていることを高く評価しています。そして、日本が日清戦争と日露戦争の頃にはかなり強力な軍事力を持つに至ったのは勝海舟がその基礎を築いたからだと書いています。クラーク先生は、勝海舟が江戸城無血開城のために尽力したことを高く評価していただけではなく、勝海舟が日本の軍隊、特に海軍の基礎を築いたことを高く評価しています。

 それは当時としては当然のことなのでしょう。アジアの多くの地域が西洋諸国によって植民地化されていった中で、日本は免れました。それは当時の日本が高い軍事力を持っていたからではなく、日本を狙っている西洋諸国がたくさんあって、互いににらみ合っていたからだという幸運もあったのだろうと思います。そういう危険な状況の中で、日本は外国に対抗できる軍事力を高めて行きました。そして、日清戦争と日露戦争の頃には日本の軍隊が外国と対等以上に戦える軍事力を持ったことをクラーク先生は、高く評価しています。

 きょう私が、この祈祷会で何を皆さんと分かち合いたいかというと、当時はそれが仕方のないことであったとしても、日本も世界もいつまで同じことを繰り返し続けるのだろうかということです。そして、こんな世界のことを神様はきっと悲しい目をして見ておられるだろうということです。

 クラーク先生が『Katz Awa』を書いた1904年の10年後の1914年に第一次世界大戦が始まって1918年まで続きました。そして、このような悲劇が起こらないようにと国際連盟が1920年に発足します。しかし、その甲斐なく約20年後には第二次世界大戦が起きます。そして第二次世界大戦後に今度は国際連合が発足しましたが、戦争は絶えることがなく、国連の安保理事会はロシアとウクライナの戦争を止めることができずにいます。

 日本も1945年に全面降伏して軍事力をすべて放棄して、日本国憲法にもそれを明記しましたが、自衛隊という名の軍隊の軍事力を強化し続けています。特にこの10年は法律面でも予算面でも軍事力強化が加速しています。

 今回私は『Katz Awa』を読んで、人間は懲りずに同じことを延々と繰り返すのだなと、思いました。きょうの祈祷会の最初にイザヤ書2章をご一緒に読みました。これは『Katz Awa』には引用されていませんが、共にこの聖句を今一度味わいたいと思いましたから、開くことにしました。お読みします。

イザヤ2:1 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見たことば。
2 終わりの日に、の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。
3 多くの民族が来て言う。「さあ、の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムからのことばが出るからだ。
4 主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。

 イザヤは終わりの日には平和が訪れて、「国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない」と預言しました。このイザヤの預言はまだ北王国が滅ぶ前の預言で、概ね紀元前750年前後のことでしょう。それから2700年が経った現代でも、未だにこの平和な光景が訪れる気配は全くありません。神様は、この状況をどのように見ておられるでしょうか。きっと悲しんでおられることだろうと思います。

 イエス様は、

マタイ5:9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。

 とおっしゃいました。私たちはイエス様を信じた者は神の子どもとされると教わっていますね。でも私たちはそのように「神の子ども」と呼ばれるにふさわしい平和をつくる働きがほとんどできていません。イエス様は棕櫚の聖日にエルサレムに入京する直前に、やがて滅びるエルサレムを見て泣きました(ルカ19:41)。

 なかなか平和をつくることができない人々を見て、イエス様は今も涙を流しておられるのではないかと思います。早く平和な日々が訪れますように祈りたいと思います。お祈りします。

イザヤ2:4 主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。

マタイ5:9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。
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貧困に苦しむ人々を支援した勝海舟とクラーク(2023.3.2 祈り会)

2023-03-07 04:19:42 | 祈り会メッセージ
2023年3月2日祈り会説教
『貧困に苦しむ人々を支援した勝海舟とクラーク』
【マタイ25:41~46】

マタイ25:41 それから、王は左にいる者たちにも言います。『のろわれた者ども。わたしから離れ、悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ。
42 おまえたちはわたしが空腹であったときに食べ物をくれず、渇いていたときに飲ませず、
43 わたしが旅人であったときに宿を貸さず、裸のときに服を着せず、病気のときや牢にいたときに訪ねてくれなかった。』
44 すると、彼らも答えます。『主よ。いつ私たちは、あなたが空腹であったり、渇いていたり、旅人であったり、裸でいたり、病気をしていたり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』
45 すると、王は彼らに答えます。『まことに、おまえたちに言う。おまえたちがこの最も小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしなかったのだ。』
46 こうして、この者たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」

 E.W.クラークが書いた『Katz Awa(勝安房)』の私訳を最近終えたので、3月の祈り会では部分的に引用しながら、クラークの信仰と勝海舟の信仰を紹介したいと思います。

 今ご一緒に読んだマタイ25章は、クラークが『Katz Awa』の中で引用している箇所です。この前の段落の、有名な40節「これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです」もクラークは引用していますが、その後の41節以降は忘れられがちとして、45節も引用しています。

 この『Katz Awa』の存在は一部では知られていましたが、一般にはほとんど知られていません。この本はもっともっと知られるべきだと思います。特に日本のクリスチャンには、もっと知ってほしいと思います。この『Katz Awa』という本の良さは、一言では言い表せないので、今日を含めて3回に亘って紹介できたらと思います。そうして、この説教の準備を通して、私自身も『Katz Awa』が日本の伝道にも役に立つことを確認したいと願っています。もし日本の伝道の役に立つとしたら、クラークは静岡学問所の教師だった人ですから、静岡の伝道には、もっと役に立つことと思います。

 きょうはクラークが、この『Katz Awa』を神様から強い促しを受けて書いたこと、そして、そんなクラークに、勝海舟についての取っておきの情報を提供した者がいたことなどを紹介したいと思います。

 その前に、『Katz Awa』全体の簡単な説明をしておきます。『Katz Awa』は全部で95ページの小さな本で、1章から4章まであります。1章は序文で、2章は勝海舟の若い時期について、3章は勝海舟が日本の海軍の基礎を築いたこと、また幕末に江戸城の無血開城に尽力した時のことなどが記されています。そして、最後の第4章には、勝海舟が静岡から東京に移って以降のこと、特に家庭生活と、晩年に彼がキリスト教の信仰を受け入れたことなどが書かれています。

 この『Katz Awa』は全体を通して興味深い箇所があちこちにありますが、最後の方は特に印象に残る箇所がいくつもありました。最終盤で勝海舟は亡くなり、葬儀に関することが書いてあります。勝海舟の葬儀は国葬で、明治天皇がこの葬儀のために多額の費用を送ったが、勝の遺言で葬儀は必要最低限の質素なものとして、残った費用は貧しい人々に与えられたのだそうです。クラークがそう書いているので、事実かどうか調べました。実は『Katz Awa』にはクラークの記憶が曖昧で、ところどころで不正確な記述があるからです。すると、勝海舟の葬儀に関して、当時の東京朝日新聞の記事を紹介しているネットのサイトがありました。記事には次のように書いてあります。

「その儀式は先生平生の遺言により総て質素を旨とし生花造花放鳥等の寄贈を謝絶するは勿論新聞紙への広告等も一切なさず、又会葬者の弁当及び車夫等への弁当料をも一切廃して其の費用を赤坂区内の貧民救助の一端となし其の手続きを赤坂区役所に一任したり。」
[明治32年(1899年)1月23日付東京朝日新聞]

 このように勝海舟は、貧しい人々のことを、とても気に掛けていました。クラークの『Katz Awa』によれば、勝は大晦日には変装して貧しい人々の家を訪ねて、お金が入った包みを黙って手渡していたそうです。その包みには正月用のお餅を買って、なお少し余るぐらいの金額のお金が入っていたそうです。

 クラークがどうしてこんなことまで知っていたかと言うと、彼はアメリカ人同士の独自の情報網を持っていました。当時、東京の勝海舟の屋敷の敷地内には、アメリカ人のホイットニーの一家が住んでいたそうです。ホイットニーは務めていた学校との契約が打ち切りになって困窮していたのを見かねた勝海舟が屋敷の敷地内に住居を与えたそうです。そして、勝が変装して貧しい人々にお金を配っていたことはホイットニーの娘のクララが少女時代にそれを目撃していて、クララがクラークに情報提供したものでした。

 クラークがこの『Katz Awa』を書いて出版したのは1904年です。当時は日露戦争が始まって多くの戦死者が出ていて、戦死者の未亡人と孤児たちが困窮しているという話を聞いてクラークは心を痛めて、本の売り上げをその未亡人と孤児たちの支援団体に寄付するために、この『Katz Awa』を書きました。その際に、クララ・ホイットニーにも情報提供の協力を求めたようです。クララは少女時代から勝海舟の身近にいて彼のことを良く知り、また大人になってからは海舟の三男と結婚しました。その後、勝の死後に子供たち、すなわち海舟の孫たちとアメリカに戻りました。孫にはアメリカで教育を受けさせたいという勝の希望もあったようです。そういうわけで、クララ・ホイットニーはアメリカ人でありながら、一般の日本人では知り得ない海舟の家庭での姿をよく知っていたんですね。

 クラークは『Katz Awa』の最終章の4章で、この本を書くことにした時の思いを、マタイ25章を引用しながら、次のように書いています。

ここで主人ははっきりと宣言している。「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです」(マタイ25:40)。一方、この聖句に続く次のことばは、忘れられがちだ。「おまえたちがこの最も小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしなかったのだ。」(マタイ25:45)この警告を無視すれば,泣き叫び,歯ぎしりすることになることを主は示されたのだ(マタイ25:30参照)。

 日露戦争で戦死した兵士の家族が苦しんでいるのを見て、何もしないとしたら、それは冒頭のマタイ25章41~46節のような者になってしまう、とクラークは強く思い、試みられていると感じます。それゆえ、クラークは勝海舟についての小さな伝記を書く承諾を勝の生前に得ていたので、今こそがその時であると奮い立ったのですね。主に強く促されたと言っても良いでしょう。そうして、かつて東京の勝海舟の屋敷の敷地内で暮らしていたことがあるクララ・ホイットニーにも協力を求めたということのようです。

 勝海舟が大晦日に変装して貧しい人々の家を訪ねて正月用のお餅を買うためのお金を配って歩いていたことをクララが情報提供したのも、日露戦争で困っている人々を助けるという目的に共鳴して、このようなエピソードが出て来たのだろうと想像します。別の目的であれば、また勝についての別のエピソードが出て来たのだろうと思います。

 クラークは、この本の冒頭で、勝海舟について、次のように書いています。

(勝安房は)、確かにクリスチャンではない。それにも関わらず、へりくだったナザレ人(イエス・キリストのこと)の本質的な人間性が彼の中にはある。私はこれまで世界を3周したが、このような人に出会ったことがない。
 勝安房の柔和と忍耐、言い表せないほどの自己犠牲、誤解されがちで不人気な道義への献身、危険な中での勇敢さ、苦難の中での沈黙、死を恐れず、それでいて慎重な統率、云々・・・

 このように、クラークは勝海舟の中にイエス様の姿を見ていました。このクラークが日露戦争で戦死した兵士の家族を助けるために書いた本の『Katz Awa』が、もっと多くの日本人に、とりわけ静岡の方々には広く知られるようになって欲しいと思います。お祈りします。

マタイ25:45 すると、王は彼らに答えます。『まことに、おまえたちに言う。おまえたちがこの最も小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしなかったのだ。』
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これはヤコブの歴史である(2023.2.9 祈り会)

2023-02-13 10:25:20 | 祈り会メッセージ
2023年2月9日祈り会説教
『これはヤコブの歴史である』
【創世記37:1~2、他】

 今年に入ってから祈り会では3回に亘ってヨセフに注目して来ました。しかし、この間にずっと気になっていたことがありました。きょうは、そのことを分かち合いたいと思います。

 まず、創世記37章1節と2節を、交代で読みましょう。

創世記37:1 さて、ヤコブは父の寄留の地、カナンの地に住んでいた。
2 これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、兄たちとともに羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らとともにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを彼らの父に告げた。

 2節に、「これはヤコブの歴史である」と書いてあります。創世記はこの37章以降、38章はユダについてですが、39章からはずっとヨセフのことが書かれています。それなのに、どうして「これはヤコブの歴史である」なんでしょうか?今まで私はこの記述のことをあまり気にしたことがありませんでしたが、今年ここを読んだ時から、すごく気になり始めました。ただ、他にもいろいろ考えるべきことがあったので、とりあえずこのことは保留しておきました。しかし先週、ヨセフの獄中での空白の2年間という重要な箇所を越えましたから、いよいよこの問題に取り組まなければなりません。

 そうして示されていることは、確かに「これはヤコブの歴史である」であって、他の何ものでもないな、ということです。そのことを、分かち合いたいと思います。

 先週の続きから見て行きます。先週は、41章の1節までを見ましたね。

創世記41:1 それから二年後、ファラオは夢を見た。見ると、彼はナイル川のほとりに立っていた。

 そうして、夢の解き明かしのことで献酌官長がヨセフのことを思い出したので、ファラオはヨセフを呼び出しました。ファラオは自分が見た夢のことをヨセフに話し、ヨセフがその解き明かしをしたことで、彼はファラオに次ぐNo.2の地位に就くことになりました。

 その夢の解き明かしとは、これから7年間は豊作の年が続くけれども、次の7年間は激しい飢饉が起きるというものでした。この飢饉によってカナンの地にいたヤコブの一家も食べる物に困るようになって、ヨセフの兄たちがエジプトまで食料の買い出しに来て、涙の再会を果たすことになりました。そして、ヨセフがまだ生きていてエジプトにいることを聞いたヤコブはヨセフに会いに行くことにします。その箇所をお読みします。45章の25節から28節です。「彼ら」というのは、ヨセフの兄たちのことです。

創世記45:25 彼らはエジプトから上って、カナンの地、彼らの父ヤコブのもとへ戻って来た。
26 彼らは父に告げた。「ヨセフはまだ生きています。しかも、エジプト全土を支配しているのは彼です。」父は茫然としていた。彼らのことばが信じられなかったからである。
27 彼らは、ヨセフが話したことを残らず彼に話して聞かせた。ヨセフが自分を乗せるために送ってくれた車を見ると、父ヤコブは元気づいた。
28 イスラエルは言った。「十分だ。息子のヨセフがまだ生きているとは。私は死ぬ前に彼に会いに行こう。」

 そうしてヤコブとヨセフは再会しました。46章の28節から30節、

創世記46:28 さて、ヤコブはユダを先にヨセフのところに遣わして、ゴシェンへの道を教えてもらった。そうして彼らは、ゴシェンの地にやって来た。
29 ヨセフは車を整え、父イスラエルを迎えにゴシェンへ上った。そして父に会うなり、父の首に抱きつき、首にすがって泣き続けた。
30 イスラエルはヨセフに言った。「もう今、私は死んでもよい。おまえがまだ生きていて、そのおまえの顔を見たのだから。」

 ここでヤコブは「もう今、私は死んでもよい」と言いましたが、それからさらに17年生きました。47章28節、

創世記47:28 ヤコブはエジプトの地で十七年生きた。ヤコブが生きた年月は百四十七年であった。

 そしてヤコブは49章の最後の33節で死にました。

創世記49:33 ヤコブは息子たちに命じ終えると、足を床の中に入れ、息絶えて、自分の民に加えられた。

 そしてヤコブが死んだ後もなお、ヤコブのことが書かれています。50章の1節から3節、

創世記50:1 ヨセフは父の顔の上に崩れ落ちて、父のそばで泣き、父に別れの口づけをした。
2 ヨセフは自分のしもべである医者たちに、父をミイラにするように命じたので、医者たちはイスラエルをミイラにした。
3 そのために四十日を要した。ミイラにするのには、これだけの日数が必要であった。エジプトは彼のために七十日間、泣き悲しんだ。

 創世記は50章までですから、ここまで読むと、創世記37章2節の、

創世記37:2 これはヤコブの歴史である。

という記述は、確かに「これはヤコブの歴史である」以外の何ものでもないな、ということに気付かされます。

 創世記というのは、アダムとエバの時代に入った罪がノアの洪水によっても一掃されなかったために、神様がアブラハムを召し出してもう一度、人が主の方をしっかりと向く信仰に立ち返らせて、そのアブラハムの信仰がイサクとヤコブに受け継がれて行く物語なのだなということに、改めて気付かされます。

 そして、次の出エジプト記1章を見ると、次のように書かれています。1節から5節をお読みします。

出エジプト記1:1 さて、ヤコブとともに、それぞれ自分の家族を連れてエジプトに来た、イスラエルの息子たちの名は次のとおりである。
2 ルベン、シメオン、レビ、ユダ。
3 イッサカル、ゼブルン、ベニヤミン。
4 ダンとナフタリ。ガドとアシェル。
5 ヤコブの腰から生まれ出た者の総数は七十名であった。ヨセフはすでにエジプトにいた。

 こうして見ると、出エジプト記以降の旧約聖書はすべてヤコブの子孫たちの物語であることに改めて気付かされます。ヤコブの12人の息子たちの子孫がイスラエルの12部族となり、ソロモン王の後に北の部族と南の部族とに分裂して、やがて滅びますが、神様はバビロンで捕囚になっていた南の部族をエルサレムに帰還させました。しかし、なお人々は罪の中に捕らわれていたために、イエス・キリストが遣わされて十字架によって罪から救い出して下さいました。

 今回示されていることは、ヨセフの物語でヨセフにばかり注目することは、小さい子供のサッカーのようなものだなということです。小さな子供にサッカーをやらせると、皆がボールの所に集まってしまうのだそうですね。そうではない上手な選手は全体を見ていて、スペースの空いている場所のことを攻撃側も守備側も常に気に掛けているのだと思います。

 テレビがまだブラウン管だった時代には、サッカー中継のテレビカメラもボールを持っている選手ばかりを追い掛けがちだったように思います。テレビの画面が小さいのでフィールド全体を写すと選手が小さくなり過ぎるから仕方がなかったのですね。でも大型で横長の薄型テレビが普及したことで、フィールド全体を写すようになって、選手たちがどのような陣形を組んでいるのかが分かるようになって、格段に面白くなったと思います。

 サッカーに限らず、球技では常に全体を見ている必要があるでしょう。或いはまた囲碁や将棋も同じですね。囲碁や将棋のプロ棋士は常に盤面の全体を見ています。私は囲碁や将棋は全体を見るのが苦手でぜんぜん強くなれなかったので、今ではもっぱら観戦しているだけです。ですから、せめて聖書だけは全体を見られるようになりたいと願っています。

 ヨセフのことが書かれている箇所ではもちろんヨセフに近づき、ヨセフの身になって読むことも大切なことです。イエス様の記事であれば、なおさらそうでしょう。イエス様にグッと近づいて聖書を読むことで、多くの恵みが与えられます。でも、それと同時に聖書全体の救いの物語のことも常に頭に入れながら読むことができる者でありたいと思います。創世記37章2節は、そのように聖書全体のことも頭に入れながら読むことの大切さを教えていてくれますから、とても感謝に思います。お祈りいたしましょう。

創世記37:2 これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、兄たちとともに羊の群れを飼っていた。
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忘れられたヨセフの獄中の2年(2023.2.2 祈り会)

2023-02-06 08:37:57 | 祈り会メッセージ
2023年2月2日祈り会説教
『忘れられたヨセフの獄中の2年』
【創世記40:9~15、20~41:1】

創世記40:9 献酌官長はヨセフに自分の夢を話した。「夢の中で、私の前に一本のぶどうの木があった。
10 そのぶどうの木には三本のつるがあった。それは、芽を出すと、すぐ花が咲き、房が熟してぶどうの実になった。
11 私の手にはファラオの杯があったので、私はそのぶどうを摘んで、ファラオの杯の中に搾って入れ、その杯をファラオの手に献げた。」
12 ヨセフは彼に言った。「その解き明かしはこうです。三本のつるとは三日のことです。
13 三日のうちに、ファラオはあなたを呼び出し、あなたを元の地位に戻すでしょう。あなたは、ファラオの献酌官であったときの、以前の定めにしたがって、ファラオの杯をその手に献げるでしょう。
14 あなたが幸せになったときには、どうか私を思い出してください。私のことをファラオに話して、この家から私が出られるように、私に恵みを施してください。
15 実は私は、ヘブル人の国から、さらわれて来たのです。ここでも私は、投獄されるようなことは何もしていません。」

創世記40:20 三日目はファラオの誕生日であった。それで彼は、すべての家臣たちのために祝宴を催し、献酌官長と料理官長を家臣たちの中に呼び戻した。
21 そうして献酌官長をその献酌の役に戻したので、彼はその杯をファラオの手に献げた。
22 しかし、料理官長のほうは木につるした。ヨセフが彼らに解き明かしたとおりであった。
23 ところが、献酌官長はヨセフのことを思い出さないで、忘れてしまった。
41:1 それから二年後、ファラオは夢を見た。見ると、彼はナイル川のほとりに立っていた。

 先月から創世記のヨセフの記事を、ご一緒に見ています。前回は、主がヨセフと共におられたことを、ご一緒に分かち合いました。39章を振り返ってみたいと思います。39章1節、

創世記39:1 一方、ヨセフはエジプトへ連れて行かれた。ファラオの廷臣で侍従長のポティファルという一人のエジプト人が、ヨセフを連れ下ったイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。

 ヨセフはイシュマエル人の商人によってファラオの廷臣で侍従長に売られました。この1節には主が共におられたとは書いてありませんが、主が共におられたからこそ、ヨセフはファラオのすぐ近くにまで、来ることができました。それゆえ、後にファラオに次ぐNo.2の地位に就くことができました。そして創世記は、2節と3節に「主がヨセフとともにおられた」ことを、はっきりと書いています。

2 がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ。
3 彼の主人は、が彼とともにおられ、が彼のすることすべてを彼に成功させてくださるのを見た。

 それで4節と5節、

4 それでヨセフは主人の好意を得て、彼のそば近くで仕えることになった。主人は彼にその家を管理させ、自分の全財産を彼に委ねた。
5 主人が彼にその家と全財産を管理させたときから、はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を祝福された。それで、の祝福が、家や野にある全財産の上にあった。

 こうして、ヨセフは先ず財産管理を任されることで、エジプトのNo.2になるための経験を積み始めました。しかし、彼の主人の妻に冷たくしたことで彼女が逆上して、王の囚人が監禁されている監獄に入れられてしまいました。20節です。

20 ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄に置かれた。

 ヨセフは無実の罪で監獄に入れられました。しかし、21節から23節、

21 しかし、はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。
22 監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手に委ねた。ヨセフは、そこで行われるすべてのことを管理するようになった。
23 監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、が彼とともにおられ、彼が何をしても、がそれを成功させてくださったからである。

 ヨセフにとっては大変なことでしたが、王の囚人の監獄ということで、王のファラオから離れることはありませんでした。むしろファラオにますます近づくことができました。そうして、今度は財産だけでなくて、囚人という人の管理も任されるようになりました。こうして、主が共にいて下さったことでヨセフはエジプトのNo.2になるための準備が着々と整えられて行きました。

 そして、きょうの聖書箇所では、ヨセフが管理する監獄に献酌官長が投獄されました。そして、献酌官長の夢の解き明かしをして言いました。12節と13節、

12 ヨセフは彼に言った。「その解き明かしはこうです。三本のつるとは三日のことです。
13 三日のうちに、ファラオはあなたを呼び出し、あなたを元の地位に戻すでしょう。あなたは、ファラオの献酌官であったときの、以前の定めにしたがって、ファラオの杯をその手に献げるでしょう。

 そうして、ヨセフは付け加えました。14節、

14 あなたが幸せになったときには、どうか私を思い出してください。私のことをファラオに話して、この家から私が出られるように、私に恵みを施してください。

 そうして、献酌官長はヨセフが夢の解き明かしをした通りに再び王のファラオに仕えることができるようになりました。ところが23節、

23 ところが、献酌官長はヨセフのことを思い出さないで、忘れてしまった。

 ヨセフは忘れられてしまいました。そして二年が経ちました。41章1節、

創世記41:1 それから二年後、ファラオは夢を見た。見ると、彼はナイル川のほとりに立っていた。

 この忘れられていた2年間をヨセフがどう過ごしていたのか、聖書は書いていません。この空白の2年間に注目した説教を、私は高津教会に通うようになってから2年ぐらい経った頃に聞きました。受洗してから1年半後ぐらいの時です。そして、聖書を読む時は、こういう何も書かれていない所にも注目するものなのか、と新鮮な驚きを感じたことを良く覚えています。そうして、時折、この空白の2年間について思いを巡らすようになりました。

 ヨセフは献酌官長に14節のように言って頼んでいました。

14 あなたが幸せになったときには、どうか私を思い出してください。私のことをファラオに話して、この家から私が出られるように、私に恵みを施してください。

 ですから、献酌官長が再び王に仕えるようになったことで、自分も監獄から出られると期待したことでしょう。でも、期待外れになったことで、とてもガッカリして落ち込んだことと思います。この落ち込み方には、荒っぽく言えば2種類があると思います。傍目から見ても、ガックリ来ている様子がはっきりと見て取れるぐらいの激しい落ち込み方と、もう一つは、心の内はどんなにガックリ来ていても、その落ち込んだ様子を外には見せないで淡々と日々を過ごす、荒っぽく言えば、そういう2種類があると思います。

 もちろん、その中間がほとんどだと思いますから、この分類は荒っぽすぎると思います。でも、ヨセフはどちらよりだったのかを考えるのには適しているように思います。

 私はこれまで、ヨセフは前者の傍目から見ても分かるぐらいに激しく落ち込んでいたんだろうなと実は思っていました。それは、40章ばかりに注目していたからだと思います。しかし、今回は39章も見たことで、考えが変わりました。39章の21節と22節をもう一度、お読みします。

創世記39:21 しかし、はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。
22 監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手に委ねた。ヨセフは、そこで行われるすべてのことを管理するようになった。

 ヨセフは心の内は激しく落ち込んだことと思いますが、それをあまり表に見せることはせず、自分に与えられた仕事をしっかりと行っていたのではないか、今はそんな風に思います。だからこそ、41章でファラオに呼び出された時に、しっかりとファラオの夢の解き明かしが出来たのではないかと思います。傍目から見ても激しく落ち込んでいたとしたら、ファラオの夢の解き明かしもしっかりと出来なかったかもしれませんし、ましてNo.2の地位の仕事をしっかりとやってのけることなど、到底できなかっただろうと思います。

 ガックリきた時に、それを表に出さないようにすることは、なかなか難しいことだと思います。でも私たちには主が共にいて下さり、主が励まして下さいますから、できるだけ早く立ち直って、傍目に見て分かるぐらいに激しく落ち込む期間はできるだけ短く終わらせて、主を信頼して、主と共に歩むことができれば、幸いだなと思います。主を信頼していれば、主は必ず最善へと導いて下さいます。そのことを信じて、日々を主と共に歩み、与えられた仕事を行って行きたいと思います。お祈りしましょう。

創世記40:23 ところが、献酌官長はヨセフのことを思い出さないで、忘れてしまった。41:1 それから二年後、ファラオは夢を見た。見ると、彼はナイル川のほとりに立っていた。
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ヨセフと共にいた神様(2023.1.19 祈り会)

2023-01-23 09:46:04 | 祈り会メッセージ
2023年1月19日祈り会説教
『ヨセフと共にいた神様』
【創世記37:5~11】

創世記37:5 さて、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。
6 ヨセフは彼らに言った。「私が見たこの夢について聞いてください。
7 見ると、私たちは畑で束を作っていました。すると突然、私の束が起き上がり、まっすぐに立ちました。そしてなんと、兄さんたちの束が周りに来て、私の束を伏し拝んだのです。」
8 兄たちは彼に言った。「おまえが私たちを治める王になるというのか。私たちを支配するというのか。」彼らは、夢や彼のことばのことで、ますます彼を憎むようになった。
9 再びヨセフは別の夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また夢を見ました。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいました」と言った。
10 ヨセフが父や兄たちに話すと、父は彼を叱って言った。「いったい何なのだ、おまえの見た夢は。私や、おまえの母さん、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むというのか。」
11 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心にとどめていた。

 きょうのタイトルは『ヨセフと共にいた神様』です。ヨセフは父のヤコブから、とても愛されていました。しかし、そのことで、兄たちからねたまれていました。さらに、先程ご一緒に読んだように、ヨセフが見た夢のことで兄たちは彼を憎むようになりました。そのことで、ヨセフはエジプトへ向かっている商人に売られてしまいました。

 そうして、ヨセフは苦難の中を通ることになりますが、ヨセフには、いつも神であるが共にいました。そうして、彼はエジプトでファラオに次ぐNo.2の地位に就くまでになります。それは、ヨセフと共にいたが、彼をNo.2にふさわしい者に育てて下さったからです。きょうは、がヨセフと共にいたことを、ご一緒に見て行きます。

 まず、先程ご一緒に読んだ、ヨセフが見た夢の話をした場面です。どんな夢を見たかと言うと、7節、

7 「見ると、私たちは畑で束を作っていました。すると突然、私の束が起き上がり、まっすぐに立ちました。そしてなんと、兄さんたちの束が周りに来て、私の束を伏し拝んだのです。」

 そして、もう一つは9節にあります。

9 「また夢を見ました。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいました。」

 この二つの夢の出来事は、未来において確かに起きたことです。ヨセフがエジプトのNo.2になっていた時期、飢饉があってヤコブの一家は食べる物に困るようになりました。一方、エジプトではヨセフのファラオへの進言で豊作の7年に食糧を十分に備蓄していました。それで、兄たちはエジプトへ出掛けて行って、ヨセフに伏し拝んで、食糧を分けてもらえるように頼みました。

人間には未来のことは分かりませんが、はすべてのことをご存知です。ですから、ヨセフに夢を見させたのはでした。つまり、はヨセフがまだカナンで兄たちと一緒に暮らしていた時から、共にいて下さいました。

 そして、ヨセフが兄たちに捕らえられて、穴の中に投げ込まれた時にも、は共にいました。そこに、エジプトに向かうミディアン人の商人たちが通り掛りました。ヨセフが穴に投げ込まれたタイミングで商人が通り掛かるということだけで、すごい偶然ですね。しかも、商人はエジプトへ向かっていました。商人がエジプトでなく、もっと別の所に向かっていたら、将来、ヨセフと兄たちが再び会うことはなかったでしょう。これもまた、すごい偶然です。ですから、これは単なる偶然ではなく、もちろんが関わっていたことでしょう。はヨセフと共にいましたから、によって、この偶然の御業が為されました。

 そして、さらに偶然は続きます。37章36節です。

36 あのミディアン人たちは、エジプトでファラオの廷臣、侍従長ポティファルにヨセフを売った。

 ミディアン人の商人は、ヨセフをファラオの廷臣に売りました。もしヨセフがファラオとは直接の関係がない人物に売られていたら、将来ヨセフが、ファラオが見た夢の解き明かしをすることは無かったでしょう。ですから、ヨセフがファラオの廷臣に売られたことは、ものすごい偶然です。ここには、当然が関わっていました。

 そして、創世記の39章は、がヨセフと共にいたことを、はっきりと書いています。1節から4節までを、お読みします。ここに「一方、」と書かれていますが、手前の38章には、ヨセフの兄のユダのことが書かれているからです。39章の1節から4節、

創世記39:1 一方、ヨセフはエジプトへ連れて行かれた。ファラオの廷臣で侍従長のポティファルという一人のエジプト人が、ヨセフを連れ下ったイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。
2 がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ。
3 彼の主人は、が彼とともにおられ、が彼のすることすべてを彼に成功させてくださるのを見た。
4 それでヨセフは主人の好意を得て、彼のそば近くで仕えることになった。主人は彼にその家を管理させ、自分の全財産を彼に委ねた。

 2節に、「がヨセフとともにおられた」と創世記ははっきりと書いています。そうして、4節にあるようにヨセフは主人の好意を得て、主人のそば近くで仕えるようになり、家の全財産を管理するようになりました。ヨセフはここで主人の家の財産管理の経験を積むことができたので、将来、エジプトのNo.2としてエジプトの全土を支配するようになりました。

 しかし、それはまだ先のことです。その前に、はさらにヨセフに試練を与えました。39章の20節から23節です。

20 ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄に置かれた。
21 しかし、はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。
22 監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手に委ねた。ヨセフは、そこで行われるすべてのことを管理するようになった。
23 監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、が彼とともにおられ、彼が何をしても、がそれを成功させてくださったからである。

 ここにも、がヨセフと共におられたと書かれていますね。そうして、22節には、監獄の長が、すべての囚人をヨセフの手に委ね、そこで行われるすべてのことを管理するようになったと書かれています。主人の家で主人に仕えていた時は、家の財産の管理が中心でしたが、今度は囚人がヨセフに委ねられました。囚人たちは、心に傷を負った者や、もしかしたら無実の罪で監獄に入れられた者もいるかもしれません。或いはまた、一癖も二癖もある者もまた、いることでしょう。それらの囚人たちの上に立つことで、ヨセフはますます将来のNo.2になるための実力を養って行きました。この監獄にはどれくらいの数の囚人がいたかは分かりませんが、ファラオの周辺には大勢の人がいたことでしょうから、囚人の数も多かったのではないでしょうか。そのトップに立ったヨセフは、政治家としての実力も身に着けて行ったことでしょう。

 こうして、は、ヨセフがエジプトのNo.2の地位に就けるように、着々と準備を整えて行きました。このように、は初めからヨセフと共にいて、ヨセフを養い育てて、用いました。

 さてしかし、このことはヨセフに限ったことではないと思います。は私たちとも、共にいて下さいます。ヨセフが特別だったのは、預けられたタラントの額が大きかったということだけで、私たちにもタラントは預けられています。マタイの福音書でタラントを預けられた者たちは最高で5タラントでしたが、ヨセフはもっと、10タラント、或いは20タラントが預けられたと言えるのではないかなと思います。

 一方の私たちは、そんな莫大なタラントは預かっていませんが、神様は少なくとも1タラントは預けて下さっています。1タラントと言っても6千デナリですから、約6千万円です。これほどのタラントを神様は私たちの一人一人に預けて下さっていますから、私たちは地面を掘ってそれを埋めて隠すようなことはしないで、用いられる者たちとされたいと思います。主がヨセフを用いたように、私たちもまた、用いられる者とされたいと思います。一言、お祈りいたします。

2 がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ。
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イエスとヤコブとヨセフ(2023.1.5 祈り会)

2023-01-09 09:37:33 | 祈り会メッセージ
2022年1月5日祈り会説教
『イエスとヤコブとヨセフ』
【前半 マタイ:8:23~27】

マタイ8:23 それからイエスが舟に乗られると、弟子たちも従った。
24 すると見よ。湖は大荒れとなり、舟は大波をかぶった。ところがイエスは眠っておられた。
25 弟子たちは近寄ってイエスを起こして、「主よ、助けてください。私たちは死んでしまいます」と言った。
26 イエスは言われた。「どうして怖がるのか、信仰の薄い者たち。」それから起き上がり、風と湖を叱りつけられた。すると、すっかり凪になった。
27 人々は驚いて言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどういう方なのだろうか。」

 祈り会では昨年の8月からは藤本満先生の『祈る人びと』を参考にしながらアブラハム、ハガル、イサク、ヤコブの信仰を見て来ました。12月のアドベントの期間中はイザヤ書を開いたので、今月からまた創世記に戻って、きょうからはヤコブの息子のヨセフの箇所を開きたいと思います。その前に、きょうの前半では福音書のイエス様の記事を開くことにしました。この、イエス様と弟子たちが舟に乗った時に嵐に遭った記事は、マタイ・マルコ・ルカの3つの福音書に書かれていますが、きょうはマタイです。8章23節と24節、

23 それからイエスが舟に乗られると、弟子たちも従った。
24 すると見よ。湖は大荒れとなり、舟は大波をかぶった。ところがイエスは眠っておられた。

 この湖の嵐の記事を開いたのは、聖書を読む時には全体を意識しながら読むことを心掛けたい、その譬えとしてちょうど良いと思ったからです。きょうの後半では創世記のヨセフの記事を開きますが、私たちはヨセフの記事ではヨセフだけに注目し、ヤコブの記事ではヤコブだけに注目しがちです。説教の時間は限られていて短い時間内に全体を取り上げることはできないので仕方のない面もありますが、アブラハムの時はアブラハムだけ、イサクの時はイサクだけに注目するという風に断片的にしか見ていないなら、聖書をバラバラに理解することになって、それでは心の平安がなかなか得られないだろうと思います。

 聖書を断片的に分解して読むのは、言わば、嵐の湖で波風に翻弄される小さな舟の中の弟子たちのようなものです。小さな舟の大きさは波の長さ(波の一つの山から次の山までの長さ)より短いか同程度しかありませんから、波の影響をもろに受けてしまいます。しかし、豪華客船や石油のタンカーのように300メートル以上あるような大型の船であるなら、揺れはずっと少ないことでしょう(横幅は100メートルもないでしょうから、多少は揺れるでしょうが)。この揺れが少ない船がイエス様です。

 イエス様は黙示録22章13節にあるように、アルファでありオメガであるお方です。つまり、最初であり、最後である、初めであり、終わりであるお方です。天地創造の初めからいて、終わりの時、そして新天新地の創造の時までおられるお方です。聖書を断片的にしか読まないと、このアルファでありオメガであるお方の全貌がなかなか見えて来ませんが、短い箇所でも常に前後のつながりを意識しながら読むことで、全体像が段々と見えて来ます。聖書通読が推奨されるのは、この全体像が分かるようになるためです。

 神様が天地を創造した時にはすべてが「非常に良かった」のですが、アダムとエバが食べてはならない木の実を食べてから罪が入り、人々の多くが神様に背を向けて歩むようになりました。そこで神様はノアを立ててノアの家族と一つがいの動物たち以外は皆、洪水で流してしまって、もう一度やり直させることにしましたが、バベルの塔の建設によって、またしても人々は神様から離れてしまいました。それでアブラハムを立てて改めてやり直させることにしました。モーセを立てて、モーセを通して律法を与えて、人々が神様と共に歩むことができるようにするためのガイドラインが与えられましたが、またしても人々は神様から離れて行きました。

 それゆえ遂に最後の手段として一人子のイエス様をこの世に遣わして、十字架に付けました。そうして、神様に背を向けた私たちの罪が赦されて、今は新天新地の創造へと向かっています。大きな船であるイエス様はいつも私たちと共にいて下さり、私たちは新天新地へと導かれています。この大きな船の中にいるなら、日常生活の嵐に多少は翻弄されることがあっても、ペテロたちのようにあわてふためくことなく、日々を過ごすことができます。

 ですから、祈祷会や礼拝の説教で開く箇所は時間の関係で短くならざるを得ませんが、常に前後のつながりを意識して、豪華客船のように大きな船であるイエス様と共に日々を歩んで行きたいと思います。

【後半 創世記37:1~4】

創世記37:1 さて、ヤコブは父の寄留の地、カナンの地に住んでいた。
2 これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、兄たちとともに羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らとともにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを彼らの父に告げた。
3 イスラエルは、息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。ヨセフが年寄り子だったからである。それで彼はヨセフに、あや織りの長服を作ってやっていた。
4 ヨセフの兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、穏やかに話すことができなかった。

 昨年、ヤコブまでを見て、今年からはヨセフを見ると最初に話しましたが、きょうの段階ではまだヨセフよりもヤコブに注目します。ヨセフだけを断片的に見るのでなくて、ヨセフの前のヤコブも見ることで、全体とのつながりを意識できるようにしたいと思います。

 3節に、「イスラエルは、息子たちのだれよりもヨセフを愛していた」とあります。イスラエルとは、ヤコブのことです。そして、このことで兄たちはヨセフを憎むようになりました。4節です。

4 ヨセフの兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、穏やかに話すことができなかった。

 このヤコブのヨセフへの偏愛(偏った愛)は、罪と言って良いでしょう。兄たちを非常に不愉快にして、家庭の不和を招きました。この箇所を見ると、人間とはつくづく罪から離れられない者たちであることを、強く感じます。ヤコブは神の祝福を強く欲した人でした。ですから、神様に背を向けている者たちが多い旧約聖書の人物の中では、良い信仰を持っていたほうの人物であったと思います。そうして、神様からも祝福されていました。そんなヤコブでも、こういう偏愛という過ちを犯していました。

 ヤコブがヨセフを愛していたのは、ヤコブが年を取ってからヨセフが生まれたからであると3節は書いています。しかし、それだけではないでしょう。ヨセフはラケルの子でした。ヤコブの伯父のラバンはヤコブにレアとラケルの姉妹を妻として与えました。このレアとラケルの姉妹のうち、ヤコブが愛していたのは、妹のラケルのほうでした。それゆえ、レアが生んだ子たちや女奴隷たちが生んだ子たち以上に、ラケルが生んだ子であるヨセフを愛していたのでしょう。

 また、この37章では、ラケルは既に死んでいました。そのことが、余計にヨセフへの偏愛を招いたのではないかと想像します。ラケルが死んだことは35章に書かれています。35章の16節から20節、

創世記35:16 彼らはベテルから旅立った。エフラテに着くまでまだかなりの道のりがあるところで、ラケルは出産したが、難産であった。
17 彼女が大変な難産で苦しんでいたとき、助産婦は彼女に、「恐れることはありません。今度も男のお子さんです」と告げた。
18 彼女が死に臨み、たましいが離れ去ろうとしたとき、その子の名をベン・オニと呼んだ。しかし、その子の父はベニヤミンと名づけた。
19 こうしてラケルは死んだ。彼女はエフラテ、すなわちベツレヘムへの道で葬られた。
20 ヤコブは彼女の墓の上に石の柱を立てた。それはラケルの墓の石の柱として今日に至っている。

 ラケルが死んだ時のヤコブの悲しみがいかばかりであったか、ここには書かれていません。どうしてなんでしょうか?創世記は、アブラハムの妻のサラが亡くなった時のアブラハムの悲しみを23章に書いています。23章の1節と2節、

創世記23:1 サラの生涯、サラが生きた年数は百二十七年であった。
2 サラはカナンの地のキルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは来て、サラのために悼み悲しみ、泣いた。

 このあと、アブラハムはサラを墓にするための場所を買い求めて、サラを葬ります。この場面からは、アブラハムがサラをいかに深く愛し、彼女の死を悲しんでいたかが、よく伝わって来ます。そして、ヤコブのラケルへの愛もまた。とても深いものでした。ヤコブがもっと若かった時、ヤコブは姉のレアよりも妹のラケルを愛していたことを創世記の記者は何度も何度も書いています。それほど愛していたラケルを失ったヤコブの悲しみは、創世記の記者も書き表せないぐらいの悲しみだったのかなと思います。ラケルは病気で段々と弱って行ったのではなく、難産による死ですから、わずかの期間で亡くなりました。まさに湖の大嵐に遭ったような激しい動揺を伴う深い悲しみであったことでしょう。きっと書き表せないぐらいの悲しみだったのでしょう。

 そして、ヤコブはヨセフを偏愛したことで、このヨセフをも失います。兄たちがヨセフをエジプトへ向かう商人に奴隷として売ったからでしたが、彼らは父のヤコブにはヨセフが獣に襲われて死んだように細工をしました。その箇所をお読みします。37章の31節から35節です。

創世記37:31 彼らはヨセフの長服を取り、雄やぎを屠って、長服をその血に浸した。
32 そして、そのあや織りの長服を父のところに送り届けて、言った。「これを見つけました。あなたの子の長服かどうか、お調べください。」
33 父はそれを調べて言った。「わが子の長服だ。悪い獣が食い殺したのだ。ヨセフは確かに、かみ裂かれたのだ。」
34 ヤコブは自分の衣を引き裂き、粗布を腰にまとい、何日も、その子のために嘆き悲しんだ。
35 彼の息子、娘たちがみな来て父を慰めたが、彼は慰められるのを拒んで言った。「私は嘆き悲しみながら、わが子のところに、よみに下って行きたい。」こうして父はヨセフのために泣いた。

 ヤコブの人生は、このように湖の嵐に翻弄される小舟の中で泣き叫ぶ弟子たちのような出来事の連続でした。それでも、ヤコブは年老いるまで生涯を全うしました。それは、主がいつも共にいて下さったからでしょう。それは、小舟の中で弟子たちと共にいたイエス様のようです。

 でも、イエス様は最初に話したように、アルファでありオメガであるお方です。最初であり、最後であるお方、初めであり、終わりであるお方ですから、豪華客船や石油のタンカーよりも、もっと安定しているお方です。聖書を読む時、個々の場面だけに注目すると、イエス様は小舟に一緒に乗っているお方だと思いがちかもしれませんが、イエス様はもっと大きな存在であることを覚えたいと思います。

 このことを覚えながら、来週以降、ヨセフについて、さらに見て行きたいと思います。お祈りします。

マタイ8:23 それからイエスが舟に乗られると、弟子たちも従った。
24 すると見よ。湖は大荒れとなり、舟は大波をかぶった。ところがイエスは眠っておられた。
25 弟子たちは近寄ってイエスを起こして、「主よ、助けてください。私たちは死んでしまいます」と言った。
26 イエスは言われた。「どうして怖がるのか、信仰の薄い者たち。」それから起き上がり、風と湖を叱りつけられた。すると、すっかり凪になった。
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やがて王座に就いて、王国を治める子(2022.12.22 祈り会)

2022-12-23 08:38:43 | 祈り会メッセージ
2022年12月22日祈り会メッセージ
『やがて王座に就いて、王国を治める子』
【イザヤ9:6~7】

イザヤ9:6 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍のの熱心がこれを成し遂げる。

 アドベントに入ってから、木曜日の祈祷会ではイザヤ書を開いて来ました。アドベント第1週はイザヤ書6章を開き、第2週はイザヤ書7章14節を見ました。

イザヤ7:14 それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。

 そして、先週のアドベント第3週はイザヤ書9章6節から、生まれて来る男の子がどんな男の子であるかを、ヨハネの福音書を見ながら分かち合いました。9章6節、

イザヤ9:6 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

 その男の子は「不思議な助言者」、「力ある神」、「永遠の父」、「平和の君」です。これら四つを示すヨハネの福音書の箇所を先週は共に開いて、イエス様がどんなお方であるかを分かち合い、思いを巡らしました。この時、「主権はその肩にあり」、の「主権」については、次の週に見る事にすると話して、説明しませんでした。きょうは7節を見ながら、まずはこの「主権」から見て行きたいと思います。7節、

7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍のの熱心がこれを成し遂げる。

 「主権」ということばは少し分かりにくいことばですから、他の聖書訳を参考にしたいと思います。新共同訳では「権威」、口語約では「まつりごと」と訳しています。口語訳の「まつりごと」とは政治のことですから、こちらの方が分かりやすいですね。英語訳では、 government(NIV, NKJV, RSV, TLB等)、authority(NRSVUE等)、ruler(TEV)などと訳されています。governmentは政府、政治、authorityは権威、rulerは支配者・統治者のことですから、これらからイメージがつかめると思います。要するに「主権」とは7節にあるような「ダビデの王座に就いて、王国を治める」権威・権力のことであり、イエス様はその主権を持つ王であるということでしょう。

 こうして生まれた子は王であるがゆえに、東方の博士たちがその子を礼拝するためにユダヤを訪ねて来ました。今年のアドベントの礼拝ではもっぱらルカの福音書を開き、マタイの福音書の東方の博士たちの箇所を開く機会がありませんでしたから、今ここでご一緒に読んで、この箇所を味わいたいと思います。マタイ2章の1節から12節、

マタイ2:1 イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」
3 これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。
4 王は民の祭司長たち、律法学者たちをみな集め、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。
6 『ユダの地、ベツレヘムよ、あなたはユダを治める者たちの中で決して一番小さくはない。あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである。』」
7 そこでヘロデは博士たちをひそかに呼んで、彼らから、星が現れた時期について詳しく聞いた。
8 そして、「行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから」と言って、彼らをベツレヘムに送り出した。
9 博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。
10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
11 それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
12 彼らは夢で、ヘロデのところへ戻らないようにと警告されたので、別の道から自分の国に帰って行った。

 博士たちはユダヤ人ではなく、異邦人でした。それなのに、ユダヤ人の王を礼拝しに来ることは少し不思議な感じもします。しかし、ペテロやパウロたちの使徒の時代には地中海沿岸一帯の人々が主を礼拝するようになり、その後、アメリカ大陸、アジア大陸そして日本の私たちにも主イエス様の福音が伝わって主を礼拝するようになりました。そして、終わりの日にはすべての国々の人々が主のもとに上って来ると、イザヤは預言しています。

 イザヤ書2章2節から4節を、お読みします。

イザヤ2:2 終わりの日に、の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。
3 多くの民族が来て言う。「さあ、の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムからのことばが出るからだ。
4 主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。

 すべての国々が主の家に流れて来る終わりの日には、人々は槍を釜に打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学びませんから、永遠の平和が実現します。

 今年の9月に天に召されたイギリスのエリザベス女王の葬儀では、終わりの日に先立って、その一端を垣間見ることができました。場所はエルサレムではなくてロンドンでしたが、世界中の王族や大統領などが集い、日本からも天皇・皇后の両陛下が葬儀に参列しました。また、この葬儀はテレビやインターネットによって世界中に中継の映像が配信され、まさに世界の目がこのロンドンのウェストミンスター寺院に注がれました。

 この葬儀は英国国教会のキリスト教式の葬儀でしたから、正に礼拝でした。主をほめたたえる讃美歌が歌われ、全知全能の神に女王の霊を委ねる祈りが為されました。わずか一日限りのことでしたが、終わりの日の光景を垣間見ることができたことは、本当に感謝なことでした。なぜなら、この光景を見たことで、イザヤが預言した終わりの日の光景は本当に実現するのだと確信できたからです。

 ルカの福音書1章には、男の子を身ごもると御使いに告げられたマリアがエリサベツのもとに行った時、エリサベツがこのように言ったことが記されています。

ルカ1:45 「主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」

 終りの日にはすべての国々が主の家に流れて来ます。東方の博士たちが幼子のイエス様を礼拝したのは、その先駆けであり、それはイエス様がイザヤ書9章の6節と7節で預言された王の王だからです。この王の王であられるイエス様が私たちのために地上に遣わされ、神様のこと、神の王国のことを説き明かして下さり、神様に背いていた私たちの罪を赦すために十字架に付いて下さり、復活して天に帰られた後は聖霊によって私たちをきよめて下さいました。そうしてきよめの恵みに与った私たちはイエス様の弟子とされて「剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す」(イザヤ2:4)よう励まされており、そのことによって平和が実現します。このことに心一杯、感謝したいと思います。

 最後にもう一度、イザヤ書9章6節と7節を読んで、クリスマスの恵みに感謝しましょう。

イザヤ9:6 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍のの熱心がこれを成し遂げる。
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最善の時に成就したイザヤ7:14の預言(2022.12.8 祈り会)

2022-12-12 06:49:52 | 祈り会メッセージ
2022年12月8日祈り会メッセージ
『最善の時に成就したイザヤ7:14の預言』
【イザヤ7:1~14】

イザヤ7:1 ウジヤの子のヨタムの子、ユダの王アハズの時代、アラムの王レツィンと、イスラエルの王レマルヤの子ペカが、戦いのためにエルサレムに上って来たが、これを攻めきれなかった時のことである。
2 ダビデの家に「アラムがエフライムと組んだ」という知らせがもたらされた。王の心も民の心も、林の木々が風に揺らぐように揺らいだ。
3 そのとき、はイザヤに言われた。「あなたと、あなたの子シェアル・ヤシュブは、上の池の水道の端、布さらしの野への大路に出向いて行ってアハズに会い、
4 彼に言え。『気を確かに持ち、落ち着いていなさい。恐れてはならない。あなたは、これら二つの煙る木切れの燃えさし、アラムのレツィンとレマルヤの子の燃える怒りに、心を弱らせてはならない。
5 アラムは、エフライムすなわちレマルヤの子とともに、あなたに対して悪事を企てて、
6 「われわれはユダに上ってこれを脅かし、これに攻め入ってわがものとし、タベアルの子をその王にしよう」と言っているが、
7 である主はこう言われる。それは起こらない。それはあり得ない。
8 アラムのかしらはダマスコ、そのダマスコのかしらがレツィンだから。──エフライムは六十五年のうちに、打ちのめされて、一つの民ではなくなる──
9 エフライムのかしらはサマリア、そのサマリアのかしらがレマルヤの子だから。あなたがたは、信じなければ堅く立つことはできない。』」
10 はさらにアハズに告げられた。
11 「あなたの神、に、しるしを求めよ。よみの深みにでも、天の高みにでも。」
12 アハズは言った。「私は求めません。を試みません。」
13 イザヤは言った。「さあ、聞け、ダビデの家よ。あなたがたは人々を煩わすことで足りず、私の神までも煩わすのか。
14 それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。

 イザヤ書7章14節は新約聖書のマタイの福音書の1章でも引用されていることから、クリスマスの時期によく開かれる箇所だと思います。しかし、イザヤ7:14だけにしか目が注がれない場合がほとんどのような気がします。そこで今日は、7章の1節から14節までを見て、そこから見えて来ることを分かち合いたいと思います。

 分かち合いたいことを最初に述べておくと、預言と成就が「安定と不安定」という観点から好対照であるということです。処女懐胎が預言された時は何もかもが不安定な時期でした。そして、成就した時は逆にいろいろなことが安定した時期であり、最善の時に預言が成就したことが二つの時期を見比べることで分かるように思います。

 イザヤ7章の1節から見て行きましょう。

イザヤ7:1 ウジヤの子のヨタムの子、ユダの王アハズの時代、アラムの王レツィンと、イスラエルの王レマルヤの子ペカが、戦いのためにエルサレムに上って来たが、これを攻めきれなかった時のことである。

 時代はユダの王アハズの時代でした。アハズはウジヤの孫で、ヒゼキヤ王の父です。預言者イザヤはウジヤ王、ヨタム王、アハズ王、ヒゼキヤ王の4代の王の時代を生きた預言者ですが、この4人の王たちの中でアハズだけが主の目にかなわずに悪を行った王であることが列王記第二を読むと分かります。不信仰であったアハズ王の心は不安定でした。そして、南王国のユダを取り巻く状況も不安定であったことが、1節を読むと分かります。この時代、アラムの王とイスラエルの王がエルサレムを攻めるために上って来ましたが、攻めきれないでいました。そうして2節、

2 ダビデの家に「アラムがエフライムと組んだ」という知らせがもたらされた。王の心も民の心も、林の木々が風に揺らぐように揺らいだ。

 「王の心も民の心も、林の木々が風に揺らぐように揺らいだ」と書かれていることから、アハズ王の心の動揺がいかに大きかったかが分かります。しかし、アハズ王の時代だけが不安定であったわけではありません。南王国のユダはユダ族とベニヤミン族(とレビ族)だけの小さな国でしたから、常に攻められる危険がある不安定な中にありました。特に、アハズの息子のヒゼキヤの時代にはアッシリヤに攻め滅ぼらされる一歩手前のところまで行きました。しかし、ヒゼキヤが懸命に祈ったことで主がアッシリヤを撃退して下さいました。一方、ヒゼキヤの父のアハズ王は不信仰であったことが、このイザヤ書7章からも分かります。

3 そのとき、はイザヤに言われた。「あなたと、あなたの子シェアル・ヤシュブは、上の池の水道の端、布さらしの野への大路に出向いて行ってアハズに会い、
4 彼に言え。『気を確かに持ち、落ち着いていなさい。恐れてはならない。あなたは、これら二つの煙る木切れの燃えさし、アラムのレツィンとレマルヤの子の燃える怒りに、心を弱らせてはならない。

 主はイザヤを通して「心を弱らせてはならない」とアハズを励ましました。さらに5節から7節、

5 アラムは、エフライムすなわちレマルヤの子とともに、あなたに対して悪事を企てて、
6 「われわれはユダに上ってこれを脅かし、これに攻め入ってわがものとし、タベアルの子をその王にしよう」と言っているが、
7 である主はこう言われる。それは起こらない。それはあり得ない。

 アラムとエフライム(北王国イスラエル)がユダを征服することは有り得ないと主は仰せられました。そしてエフライムが滅ぼされると仰せられました。

8 アラムのかしらはダマスコ、そのダマスコのかしらがレツィンだから。──エフライムは六十五年のうちに、打ちのめされて、一つの民ではなくなる──
9 エフライムのかしらはサマリア、そのサマリアのかしらがレマルヤの子だから。あなたがたは、信じなければ堅く立つことはできない。』」

 もしアハズ王が信心深い主の目にかなう王であったなら、この主のことばに大いに励まされて感謝したことと思います。でも、アハズは主の方を向いてはおらず、主のことばに従いませんでした。

10 はさらにアハズに告げられた。
11 「あなたの神、に、しるしを求めよ。よみの深みにでも、天の高みにでも。」
12 アハズは言った。「私は求めません。を試みません。」

 主が「しるしを求めよ」と仰せられているのに、「私は求めません」と言って拒みました。「を試みません」は信仰的な態度のようにも聞こえますが、しるしを求めることと主を試みることは同じではないと思います。しるしを求めることは必ずしも悪いことではありません。士師記のギデオンも召し出される時にしるしを求めています(士師記6:17)。モーセも直接的にしるしを求めたわけではありませんが、主がしるしを見せて下さいましたから(出エジプト記4:1-8)、暗にしるしを求めたと言うこともできるでしょう。ですから、アハズはしるしを求めるべきでした。それゆえイザヤは言いました。

13 イザヤは言った。「さあ、聞け、ダビデの家よ。あなたがたは人々を煩わすことで足りず、私の神までも煩わすのか。
14 それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。

 アハズがしるしを求めなかったので、主は自らしるしを与えるとイザヤは預言しました。それが処女懐胎であり、御子イエス様が乙女マリアから生まれることの預言でした。

 こうして、ここまでアハズ王の時代のことを見渡すと、すべてが不安定であったことが見て取れます。ユダの王国自体が不安定なために、アハズ王と民の心も揺れていました。そして、アハズ王の信仰もまったく安定していませんでした。「私は求めません。を試みません」というアハズのことばは一見すると信仰的に見えます。しかし、アハズが礼拝したのは偶像でした。目に見える偶像ではなくて目に見えないを礼拝することが真の信仰ですが、アハズにはそのことが分かっていませんでした。

 一方で、処女懐胎の預言が成就した時代はローマ帝国によって平和が保たれている時代でした。ユダヤはローマ帝国の支配という苦難の中にはありましたが、戦乱がほとんどない平和が保たれていました。イエス様が生まれた時には住民登録が行われたとルカの福音書2章にありますが、このような住民登録は平和であるからこそできたことでしょう。ヨセフとマリアがナザレからベツレヘムに移動したように、多くの人々が移動したことでしょう。不穏な時代であったら、この大移動に乗じて帝国の転覆を企てる者たちが秘かに移動することもできたでしょうから、危険です。そういう心配が無いほど平和が保たれていたから、住民登録ができたとうことではないでしょうか。

 そして、イエス様がおよそ30歳の頃に宣教を開始した時も平和が保たれていましたから、イエス様はガリラヤからユダヤへ安全に旅をすることができましたし、イエス様が天に上げられてからも、弟子たちによって地中海沿岸の地域一帯にイエス様の教えを広めて行くことができました。ローマの平和が保たれていたからこそ、ヨーロッパ・アフリカ方面へも安全に旅をすることができて福音が宣べ伝えられました。

 こうして処女懐胎が預言された時と成就した時の二つの時代を比べると、安定という観点からはまったく対照的であることがよく分かります。すべてが不安定であった時代に預言されて、世が安定している時代にマリアが用いられて成就しました。「あなたのおことばどおり、この身になりますように」(ルカ1:38)と御使いに言ったマリアの信仰は不安定なアハズ王に比べると格段に安定していました。伝道者の書3章には、

伝道者3:1 すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。
11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。

とありますが、まさにその通りです。

 2022年の今の世界もまったく不安定ですが、神様が最善の時に素晴らしいことを為さいますから、私たちは恐れることなくマリアのように「あなたのおこばどおり、この身になりますように」と信仰告白をして、イエス様と共に歩んで行きたいと思います。

 お祈りいたしましょう。

14 それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。
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現代でも閉ざされている霊的な目(2022.12.1 祈り会)

2022-12-05 06:07:26 | 祈り会メッセージ
2022年12月1日祈り会メッセージ
『現代でも閉ざされている霊的な目』
【イザヤ6:8~13、マルコ4:10~13、8:31~35】

【前半】
イザヤ6:8 私は主が言われる声を聞いた。「だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか。」私は言った。「ここに私がおります。私を遣わしてください。」
9 すると主は言われた。「行って、この民に告げよ。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな』と。
10 この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を固く閉ざせ。彼らがその目で見ることも、耳で聞くことも、心で悟ることも、立ち返って癒やされることもないように。」
11 私が「主よ、いつまでですか」と言うと、主は言われた。「町々が荒れ果てて住む者がなく、家々にも人がいなくなり、土地も荒れ果てて荒れ地となる。
12 が人を遠くに移し、この地に見捨てられた場所が増えるまで。
13 そこには、なお十分の一が残るが、それさえも焼き払われる。しかし、切り倒されたテレビンや樫の木のように、それらの間に切り株が残る。この切り株こそ、聖なる裔(すえ)。」

 アドベントに入って礼拝説教では福音書を開いています。木曜の祈祷会ではイザヤ書を開きます。イザヤ書7章や9章ではイエス様の降誕のことが預言されていますから、それらの箇所を開きたいと思います。その前に今日は重要な6章を見ておきたいと思います。

 このイザヤ書6章で主は人々の心を鈍らせ、耳を遠くし、目を閉ざすと仰せられました。それはイエス様がこの世に遣わされるまでの筈でしたが、21世紀の現代においても今なお多くの人々の霊的な目が閉ざされていて、悲惨な戦争が繰り返されています。なぜ、人々の目が未だ閉ざされているのか、その理由を探りたいと思います。

 では、イザヤ書6章を見て行きましょう。イザヤ書6章はイザヤが神様に召し出された召命の章です。神様はイザヤを召し出すに当たって、まずイザヤをきよめました。セラフィムは神様の御使いです。御使いは言いました。7節、

7 「見よ。これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り除かれ、あなたの罪も赦された。」

 そしてイザヤをきよめた後で、主は言われました。「だれを、わたしは遣わそう。だれがわれわれのために行くだろうか」。その主の声を聞いてイザヤは言いました。「ここに私がおります。私を遣わしてください。」

 こうしてイザヤは召し出されましたが、主の命令は過酷なものでした。9節と10節、

9 「行って、この民に告げよ。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな』と。
10 この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を固く閉ざせ。彼らがその目で見ることも、耳で聞くことも、心で悟ることも、立ち返って癒やされることもないように。」

 預言者の役割とはほとんどの場合、主に背を向けて主の御声に耳を閉ざす人々に対して主の方を向いて御声を聞くように諫め、励ますことでしょう。しかし、ここで主はイザヤに民の耳を遠くし、その目を閉ざすように命じました。何と過酷な命令でしょうか。これを聞いたイザヤは思わず聞き返しました。「主よ、いつまでですか」。すると主は言われました。11節と12節、

11 「町々が荒れ果てて住む者がなく、家々にも人がいなくなり、土地も荒れ果てて荒れ地となる。
12 が人を遠くに移し、この地に見捨てられた場所が増えるまで。」

 つまり、南王国がバビロンによって完全に滅ぼされ、人々が捕囚として引かれて行ってしまうまでということです。これは、もはや、この南王国が滅亡することは避けられないことを意味します。そして、わずかな者だけが残されると主は言われました。13節、

13 「そこには、なお十分の一が残るが、それさえも焼き払われる。しかし、切り倒されたテレビンや樫の木のように、それらの間に切り株が残る。この切り株こそ、聖なる裔(すえ)。」

 そうして、そこに神の御子のイエス様が天から遣わされて、人々の耳と目を開いて下さいます。しかし、イエス様が遣わされて確かにペテロたちの耳と目は開かれましたが、依然として多くの人の耳と目は開かれないままで、それが現代に至るまで続いています。これは一体どういうことでしょうか。前半はここまでとして、後半にそのことを考えたいと思います。

【後半】
マルコ4:10 さて、イエスだけになったとき、イエスの周りにいた人たちが、十二人とともに、これらのたとえのことを尋ねた。
11 そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の奥義が与えられていますが、外の人たちには、すべてがたとえで語られるのです。
12 それはこうあるからです。『彼らは、見るには見るが知ることはなく、聞くには聞くが悟ることはない。彼らが立ち返って赦されることのないように。』」
13 そして、彼らにこう言われた。「このたとえが分からないのですか。そんなことで、どうしてすべてのたとえが理解できるでしょうか。

 前半のイザヤ書6章の主のことばからは、人々の耳と目が閉ざされるのは、イエス様が遣わされる時まであることが暗示されています。しかし、先ほども言ったように、ペテロたちなど弟子たちの耳と目は開かれましたが、多くの者の耳と目は閉ざされたままであり、それが現代に至っています。それがどうしてなのかは、福音書がヒントになるでしょう。

 イザヤ書6章の主のことばは、マタイ・マルコ・ルカの福音書の「種蒔きのたとえ」で引用されていますね。きょうはマルコを見ることにしたいと思います。マルコ4章でイエス様は「種蒔きのたとえ」を話されました。たとえ話は、普通は話を分かりやすくするために話す場合が多いと思います。しかし、イエス様の「種蒔きのたとえ」はとても分かりにくいものでした。そこで10節にあるように、イエス様の周りにいた人たちが、このたとえのことを尋ねました。するとイエス様は答えました。11節、

11 そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の奥義が与えられていますが、外の人たちには、すべてがたとえで語られるのです。

 そうしてイザヤ書6章を引用しました。

12 それはこうあるからです。『彼らは、見るには見るが知ることはなく、聞くには聞くが悟ることはない。彼らが立ち返って赦されることのないように。』」

 つまり、イザヤの時代からの主が人々の耳と目を閉ざしたことが依然として続いていました。

 一方で、弟子たちには神の国の奥義が与えられます。この後の14節以降でイエス様は「種蒔きのたとえ」について説明しています。14節、

14 「種蒔く人は、みことばを蒔くのです。」

 こうして、弟子たちには奥義が伝えられました。しかし、その他の人々には奥義が伝えられませんでした。マルコ4章の1節には、非常に多くの群衆がイエス様のみもとに集まっていたと書かれています。これらの人々と弟子たちの違いは何だったのでしょうか?
 それは、弟子たちがそれまでの自分を捨てて、イエス様に付き従った者たちであったということなのでしょう。ここでマルコ8章を開きましょう。まず8章の31節から33節までを読みます。

マルコ8:31 それからイエスは、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。
32 イエスはこのことをはっきりと話された。するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた。
33 しかし、イエスは振り向いて弟子たちを見ながら、ペテロを叱って言われた。「下がれ、サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」

 33節でイエス様はペテロに「下がれ、サタン」と言いましたが、この少し前の29節でペテロはイエス様に「あなたはキリストです」と言っています。つまり、ペテロはイエス様がどのようなお方か分かっていました。そんなペテロでも、サタンに妨害されると簡単に正しい方向から逸れてしまいます。4章の「種蒔きのたとえ」でも、道端に蒔いた種を鳥が食べてしまうたとえは、サタンが取り去ってしまうことだとイエス様は話されました。このように、サタンは常に人が神様の方向を正しく向くことを妨害します。このサタンの妨害から守られるためには、すべてを捨てて自分の十字架を負って、イエス様に従うほかないのでしょう。8章34節と35節、

34 「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
35 自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者は、それを救うのです。」

 きょうの関心の中心は、イエス様が遣わされたのに、どうして現代に至るまで多くの人の耳と目が閉ざされたままなのか、ということです。そして、福音書によれば、結局すべてを捨ててイエス様に従わなければ、耳と目は閉ざされたままであるということになります。何とも厳しいと言わざるを得ません。

 でも考えてみると、私たちには聖書の福音書が与えられていますから、いつでも聖書を通してイエス様とお会いできて、イエス様に従うことができます。ペテロたちは漁師などの職業を捨ててイエス様に付き従わなければなりませんでしたが、私たちはいつでも聖書を通してイエス様のすぐそばに行くことができます。そうして神の国の奥義を教えていただけますから、この恵みに心一杯感謝したいと思います。
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ヤコブです(2022.11.17 祈り会)

2022-11-21 08:52:18 | 祈り会メッセージ
2022年11月17日祈り会メッセージ
『ヤコブです』
【創世記32:22~28】

創世記32:22 その夜、彼は起き上がり、二人の妻と二人の女奴隷、そして十一人の子どもたちを連れ出し、ヤボクの渡し場を渡った。
23 彼らを連れ出して川を渡らせ、また自分の所有するものも渡らせた。
24 ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
25 その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。
26 すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは言った。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」
28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」

 きょう注目したいのは27節です。その27節の中でも、特に「ヤコブです」の一言に注目したいと思います。

 藤本満先生のこの箇所からの説教を聞いたのは、私が高津教会を初めて訪れてから2年ほど経った頃(2003年の夏頃?)、洗礼を受けてから1年半ほどの頃だったと思います。説教を聞いて、「ヤコブです」の一言には実に多くのことが詰まっていることが分かって驚くとともに感動したことをよく覚えています。

 まずは、この箇所に至った経緯を簡単に見ておきましょう。先週は、ヤコブが両親と過ごしていたベエル・シェバを離れて伯父のラバンが住むハランの地に向かった場面を見ました。ヤコブが兄のエサウのふりをして、父イサクからの祝福を横取りしたためにエサウが激怒してヤコブを殺そうと考えていることが分かったためです。そのことを母のリベカが知って、彼女の兄のラバンの所に行くようヤコブに話したのでした。

 きょうの箇所は、それから20年後のことです。ヤコブは神様から故郷に戻るようにということば(創世記31:3)を聞いてハランを出発しました。そうして、故郷のカナンに向かう途中で、兄のエサウが4百人を引き連れてヤコブを迎えに来るという知らせを受けました。ヤコブは兄が自分を殺しに来たのではないかと思い、恐ろしくて夜も眠れませんでした。そうして、その夜、神様と祈りの格闘をした場面が、きょうの箇所です。26節で神様はヤコブに言いました。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは言いました。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」ヤコブは貪欲に祝福を求めました。この貪欲さは、20年前に兄のエサウへの祝福を横取りした時のことを思い起こさせます。母リベカの指示とはいえ、ヤコブは兄のエサウのふりをすることを拒むこともできた筈ですが、ヤコブは母の指示通りに兄のふりをして「エサウです」と言いました。

 しかし、20年後のヤコブは違いました。27節、

27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」

 ヤコブは正直に自分がヤコブであると言いました。このことを神は義として、ヤコブに新しい名前を与えました。28節、

28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」

 神様が「あなたの名は何というのか」と聞いて下さり、「ヤコブです」と答えた時、ヤコブは重荷を下ろすことができたのではないかなと思います。自分を偽りながら生きて行くことは、とても疲れることです。ヤコブは伯父のラバンのもとに逃れてからも、心が休まる時がほとんど無かったのではないかという気がします。親戚とはいえ、伯父のラバンとは初対面であり、伯父に認められるために気を張って頑張り、時には自分を実力以上の者に見せられるように偽り、生きて行かなければならない場面もあったでしょう。そういうことが、ハランに着いてからのヤコブの記事からは読み取れます。

 そうやって気を張り、重荷を負って来たヤコブに神様は「あなたの名は何というのか」と聞き、「ヤコブです」と答えたヤコブはそれまでの重荷を下ろすことができたという気がします。

 先日の子供祝福礼拝で教会学校賛美歌の「このままの姿で」(CS57)を歌いました。

「♪ バラはバラのように、すみれはすみれのように。私もこのままの姿で付いて行きます。」


 私たちも、神様が造って下さったままの、このままの姿で日々を生きることが、最も望ましいことです。けれども、世の中を生きて行くためには、自分を実力以上の者に見せるように振る舞わなければならない場面も多々あります。そうして、それを続けて行く中ですっかり疲弊してしまいます。

 もう14年前のことになってしまいましたが、私はそれまで勤めていた大学を辞めて、神学校に入りました。勤務の最終日にお世話になった方々に挨拶回りをして、すべてが終わって大学を離れた時に、ものすごく大きな解放感を味わったことを今でもよく覚えています。大学にいた時は、常に自分を実力以上に見せようとしなければならないことに疲れていました。自分にそれほどの実力がないことは、ちゃんと見透かされているのですが、そこに留まっていては競争社会から振り落とされてしまうので、とにかく必死でした。その競争から抜けることができて本当に安堵しました。

 大学を離れて14年が経ちましたから内部事情はぜんぜん知りませんが、ネットの記事などを読んでいると、研究資金の獲得競争はますます激しさを増していて、疲弊している様子が感じられます。世界の中の日本の研究レベルが低下していることが報じられていますが、研究資金を獲得するための競争に追われて、肝心の研究が腰を据えてできていないのかもしれないという気がします。研究がいかに世の役に立つかを見せるのに苦労しているのではないでしょうか。ヤコブのように自分を偽っているとまでは言いませんが、毛皮を付けてエサウの振りをしているようなところが、あるかもしれません。外部資金の獲得競争ばかりをさせるのではなく、昔のように特に目的を定めないで自由に使える研究資金も提供する必要があるのだろうと思います。

 3年前に新型コロナウイルスの問題が出始めた時に、日本の研究者が迅速に研究を開始できなかったのも、研究目的を明記して獲得した研究資金ばかりで自由に使える資金が乏しかったために対応が遅れたと聞いたことがあります。自由に研究ができる資金が無いと、このような残念なことになってしまいます。研究者が研究者らしく、自由にのびのびと研究できる環境が必要なのだろうと思います。

 そうして、私たちもまた背伸びすることなく、自分らしくあることが大切なのだろうと思わされます。先月、沼津の単立教会の会堂移転感謝会に出席しました。それまで写真では見ていましたが、実際に自分の目で見ると本当に立派な会堂が与えられたことが分かって主の御名をほめたたえました。でも、前のビルから退去しなければならなくなった時には本当に資金が無くて途方に暮れるような状況だったことを伺いました。しかし、外部のあちこちからの献金が奇跡的に与えられて、新しい物件を取得できたとのことです。それは、教会が資金が無いというありのままの姿をさらして神様にすべてをお委ねした結果なのだろうと思います。

 自分は無力であっても、神様に不可能なことはありませんから、ありのままの姿を神様に見せるなら、神様が最善へと導いて下さることを、沼津の単立教会の奇跡は教えてくれていると思います。そして、きょうの創世記のヤコブも、神様にありのままの自分で「ヤコブです」と言うことが神様に評価されて、イスラエルという新しい名前が与えられました。

 私たちもまた、ありのままの自分でいることができるお互いでありたいと思います。お祈りいたしましょう。

創世記32:27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」
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人生のピンチの時に聴こえる神の声(2022.11.10 祈り会)

2022-11-14 06:29:47 | 祈り会メッセージ
2022年11月10日祈り会メッセージ
『人生のピンチの時に聴こえる神の声』
【創世記28:10~13】

 先週の木曜日は静岡聖会があった関係で、今月の祈祷会は今週と来週の2回だけです。2回ともヤコブに注目する予定です。

 きょうの箇所にはヤコブが母の故郷のハランの地に向かう途中での出来事が書かれています。それはヤコブが父イサクの祝福を受けたことで兄のエサウが激怒してヤコブを殺そうと考えていたからです。父のイサクの祝福は本来は兄のエサウが受けるはずでしたが、弟のヤコブが兄のふりをして横取りしてしまったために、エサウは非常に怒っていました。

 この事件に関しては、ここにいる皆さんはよくご存知のことと思いますが、まずは簡単に振り返っておきたいと思います。創世記27章を見て下さい。1節にはイサクが年を取って目がかすんでよく見えなくなった時のことであると書かれています。イサクはエサウを呼んで、獲物を取って料理を作り、食べさせてほしいと言いました。エサウを祝福するためです。

 そして5節以降に、イサクの妻のリベカがこのことをヤコブに教えて、彼に兄のふりをするように言いました。リベカはヤコブを愛していたからです。25章28節にそのことが書いてあります。25章28節、

創世記25:28 イサクはエサウを愛していた。猟の獲物を好んでいたからである。しかし、リベカはヤコブを愛していた。

 そうして、ヤコブは母のリベカの言う通りにして、エサウのふりをして父イサクの所に行きました。27章の18節と19節、

創世記27:18 ヤコブは父のところに行き、「お父さん」と言った。イサクは「おお。おまえはだれかね、わが子よ」と尋ねた。
19 ヤコブは父に、「長男のエサウです。私はお父さんが言われたとおりにしました。どうぞ、起きて座り、私の獲物を召し上がってください。そうして、自ら私を祝福してください」と答えた。

 ヤコブは父に「長男のエサウです」と偽りの言葉を言って父を欺きました。この後、ヤコブはもう一度偽りの言葉を言って父を欺きました。24節です。

24 「本当におまえは、わが子エサウだね」と言った。するとヤコブは答えた。「そうです。」

 こうして、ヤコブは父イサクから祝福を受けました。しかし、このことで兄のエサウが激怒して、ヤコブを殺そうと考えました。このことを聞いた母のリベカはヤコブに言いました。43節です。

43 さあ今、子よ、私の言うことをよく聞きなさい。すぐに立って、ハランへ、私の兄ラバンのところへ逃げなさい。

 それでヤコブは28章10節にあるようにベエル・シェバを出て、伯父のラバンがいるハランへ向かいました。そして11節、

創世記28:11 彼はある場所にたどり着き、そこで一夜を明かすことにした。ちょうど日が沈んだからである。彼はその場所で石を取って枕にし、その場所で横になった。

 ここでヤコブは石を枕にして眠りに就きました。ヤコブにとってはこれまでの彼の人生で一番のピンチの時でした。このような時には、神の声が聴こえやすくなっています。そうしてヤコブは夢の中で主の声を聴きました。12節と13節、

12 すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。
13 そして、見よ、がその上に立って、こう言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。

 ヤコブの祖父のアブラハムが最初に主の声を聴いたのは、ハランの地で父のテラが死んだ時でした。アブラハムは父のテラと共に故郷のウルの地を出て、カナンに向かっていましたが、その途中のハランに留まり、住んでいました。その時に、父のテラが亡くなりました。この時のアブラハムもピンチの時でした。このままハランにとどまるべきか、故郷のウルに引き返すべきか、それとも当初の予定通りにカナンを目指すべきか。選択を誤ると、大変なことになります。それまでは父のテラが行く先を決め、アブラハムは父の決定に従うだけで良かったと思いますが、今度はこの重い決定をアブラハム自身がしなければなりません。この時にアブラハムは主の声を聴きました。

 ヤコブの父のイサクも人生のピンチの時に神様の声を聴きました。カナンの地で飢きんがあったためにイサクはペリシテ人が住むゲラルのアビメレク王の所に住んでいましたが、彼が主に祝福されて豊かになったことでペリシテ人にねたまれて、井戸をふさがれてしまいました。そうしてアビメレク王からそこを出て行くように言われました。出て行けと言われた当初は、どこへ行けば良いのか途方に暮れたことでしょう。さらには、行った先で父アブラハムの時代の井戸を掘り返して水を得ましたが、ペリシテ人との間で水を巡って争いになりました。その次に掘った井戸でも争いが起き、ようやく次の井戸、レホボテの井戸で安息を得ました。26章の22節です。

創世記26:22 イサクはそこから移って、もう一つの井戸を掘った。その井戸については争いがなかったので、その名をレホボテと呼んだ。そして彼は言った。「今や、は私たちに広い所を与えて、この地で私たちが増えるようにしてくださった。」

 ピンチの中にあったイサクには主の導きの声が聴こるようになったのではないかと思います。そうして次に向かったベエル・シェバでイサクは主の声をはっきりと聴きました。26章24節です。

24 「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加える。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」

 恐らく神様はいつでも人に語り掛けているのだろうと思います。でも人生が順風満帆の時には神様の声にはなかなか気付きません。しかし、ピンチに陥ると神様の声が聴こえやすくなります。アブラハム、イサク、ヤコブは皆それぞれピンチの時に神様の声を聴くことができました。そして、私たちも神様の声を聴くことができましたから、教会に導かれました。教会を訪れた当初は、それが神様による導きであったことに気付いていませんでしたが、後になって、導かれて教会に辿り着いたと気付きます。このことに感謝したいと思います。

 今の悪い時代には多くの方々がピンチの中にいますから、その方々が主の導きに気付くことができるよう祈り、そのためのお手伝いができるよう用いられたいと思います。
 お祈りいたします。

創世記28:13 見よ、がその上に立って、こう言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。
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井戸を掘るイサク、心を掘る私たち(2022.10.20 祈り会)

2022-10-20 23:29:56 | 祈り会メッセージ
2022年10月20日祈り会メッセージ
『井戸を掘るイサク、心の奥深くへ掘る私たち』
【創世記26:18~19】

18 イサクは、彼の父アブラハムの時代に掘られて、アブラハムの死後にペリシテ人がふさいだ井戸を掘り返した。イサクは、それらに父がつけていた名と同じ名をつけた。
19 イサクのしもべたちがその谷間を掘っているとき、そこに湧き水の井戸を見つけた。

 きょうはイサクの3回目です。先週はイサクが主役になっている聖書の記事が少ないと話しました。それゆえアブラハムとヤコブに比べてイサクはやや地味な感じがしますが、イサクがいたからこそ、「信仰の父」と呼ばれるアブラハムの信仰が、イサクを介してヤコブに伝えられ、21世紀の私たちにも伝えられたという話をしました。

 きょう開く26章はイサクが主役の章です。イサクは他の章にもたくさん登場していますが、大体の場合イサクは脇役でアブラハムやサラ、ヤコブが主役です。しかし、26章はまぎれもなくイサクが主役の章です。

 まず26章の始めの方には、イサクたちが住んでいたカナンの地で飢きんがあり、カナンの南方のペリシテ人の地のゲラルに住むようになったことが記されています。ゲラルの王はアビメレクでした。イサクは妻のリベカのことを「あれは私の妹です」と、ゲラルの土地の人々に伝えていました。イサクの父のアブラハムも妻のサラのことを「これは私の妹です」(20:2)とアビメレクに伝えていましたから、アブラハムとイサクはよく似た親子なのかもしれません。

 さて12節から16節までをお読みします。

創世記26:12 イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。は彼を祝福された。
13 こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。
14 彼が羊の群れや牛の群れ、それに多くのしもべを持つようになったので、ペリシテ人は彼をねたんだ。
15 それでペリシテ人は、イサクの父アブラハムの時代に父のしもべたちが掘った井戸を、すべてふさいで土で満たした。
16 アビメレクはイサクに言った。「さあ、われわれのところから出て行ってほしい。われわれより、はるかに強くなったから。」

 12節には、主がイサクを祝福されたことが書かれています。それでイサクは非常に裕福になりました。しかし、このことでペリシテ人たちに、ねたまれるようになりました。神様に祝福されると、かえって苦難に陥ることは新約のクリスチャンでも「あるある」ですね。たとえばパウロも神様に大変に祝福された使徒でしたが、それゆえに多くの苦難をも味わいました。でも、このことでパウロの品性が練られていきました。パウロはローマ人への手紙に書いています。

ローマ5:2 キリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。
3 それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、
4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。

 同じように、イサクも苦難に陥ったことで彼の品性が練られていったのだと思います。17節から19節、

創世記26:17 イサクはそこを去り、ゲラルの谷間に天幕を張って、そこに住んだ。
18 イサクは、彼の父アブラハムの時代に掘られて、アブラハムの死後にペリシテ人がふさいだ井戸を掘り返した。イサクは、それらに父がつけていた名と同じ名をつけた。
19 イサクのしもべたちがその谷間を掘っているとき、そこに湧き水の井戸を見つけた。

 この18節と19節が、藤本先生の『祈る人びと』のイサクの回の冒頭に挙げられているみことばです。藤本先生はイサクが父アブラハムの時代に掘られた井戸を掘り返したことを、ご自身が2代目のクリスチャンであり、且つ牧師としても2代目であることと重ねています。そして、24節と25節を引用して次のように書いています。まず24節をお読みします。

24 はその夜、彼に現れて言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加える。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」

 主はイサクをアブラハムのゆえに祝福するとおっしゃいました。この箇所を引用して、藤本先生はクリスチャン・ホームの2代目も初代のゆえに祝福される、しかし、それは2代目が自動的・機械的に祝福されるのではないと書き、25節を引用しています。25節、

25 イサクはそこに祭壇を築き、の御名を呼び求めた。彼はそこに天幕を張り、イサクのしもべたちは、そこに井戸を掘った。

 イサクはそこに祭壇を築き、主の御名を呼び求めました。新改訳第3版では主に祈ったとあります。祝福は自動的・機械的には与えられず、主に祈ることによって与えられます。祈ることで主との個人的な関係が築かれて、祝福されるようになります。現代のクリスチャン・ホームの2代目も同じだと藤本先生は書いておられます。

 さて、主と出会い、祈り、主と個人的な関係を築くことが必要であるということと、「井戸を掘る」という作業には共通点があると今回この説教の準備をしている中で示されています。主の御声を聴くこととは、心の奥深い所から聴こえる声に耳を傾けることだからです。表面的な願望ではなくて、奥深い自分は何を欲しているのか、心の奥深い部分からの声を聴くことは、とても大切なことです。神様は私たちをご自身の似姿に造られました。それゆえ私たちは元々良い心、良心が与えられています。その良心の声に聴き従うことで御心に適う生活を送ることができます。しかし、罪によって良心が覆い隠されていますから、奥深い声は非常に聴きづらくなっています。

 この奥深い声に耳を傾けることと、井戸を掘ることとはとても良く似ているように思います。地下に存在する豊かな水脈は普段は土に覆われていて気付きません。しかし、井戸を掘って表面にある土を取り除いていくことで、その水脈に辿り着くことができます。心の井戸の場合には、豊かな水脈とは聖霊であり、心の奥に向かって掘り下げることで水脈に至るなら聖霊の声を聴くことができます。これが心の奥深い所にある声です。

 どういう声が聴こえるかは、人それぞれでしょう。この声はイエス様を信じて聖霊を受けていれば聴きやすくなりますが、聖霊を受けていなくても聴こえないわけではないと思います。それは私たちには先行的な恵みが与えられているからです。罪人である私たちは先行的な恵みが無ければ、誰もイエス様と出会うことができません。それゆえ神様の愛によって与えられている先行的な恵みによって、私たちは聖霊の声を聴くことができます。

 私自身は名古屋にいる時に『自己愛とエゴイズム』という本と出合って奥深い声に耳を傾けるようになって高津教会に導かれました。でも考えてみると、本屋さんの本棚にあった『自己愛とエゴイズム』という本に目が留まって手に取り、開いてみたことも奥深い声に聴き従ってのことだったかもしれません。神様はこのように、本人が気付かない間に人を導くお方です。

 今週私は火曜日・水曜日の2日間、静岡市の災害ボランティアに参加しました。先週はカーペットの張替え工事の立ち会いがあって参加できませんでしたが、先々週の2日間に続いて今週また参加することができて、合計4日間になりました。この災害ボランティアは4人から7,8人ぐらいのグループで活動しますから、4日間で25人ぐらいの方と一緒に活動しました。25人とも全部違う方々です。

 実は災害ボランティアに参加することは私にとっては1995年の阪神・淡路大震災の時からの懸案でした。1995年の1月は、私は大学の留学生センターへの採用が決まっていて春からの着任に備えていた時期で、無職でした。ですから神戸にボランティアの人々が続々と入っているという報道を見て、無職の自分こそ神戸に行くべきだと思いました。でも、神戸に行っても自分が何の役に立てるか自信がなくて結局行きませんでした。1995年はまだ教会に導かれる前であり、いま考えると災害ボランティアに行くべきと感じたのも奥深い声ではなかったかなという気がしています。災害ボランティアに参加することはイエス様の御心に適うことだと思うからです。マタイ25章でイエス様はおっしゃいました。

マタイ25:40 「すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』」

 今月参加した静岡市の災害ボランティアには県内各地から多くの人が参加しています。一緒に活動した約25人の中には浜松市から来たという方や伊豆の国市、富士市、藤枝市、焼津市の方々がいました。コロナの関係で県内に限っていますが、県内限定としていなければ、きっと全国各地から集まったことでしょう。これらの人々は奥深い声に突き動かされて集まって来た方々のような気がしています。

 次の聖日は教団創立記念礼拝では、先ほど引用したマタイ25章の「最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです」を中心聖句にして、総合伝道について考える予定です。今のこのひどい世の中での伝道では、心の井戸を掘って奥深い所の声を聴けるようになることもまた大切ではないかなと感じています。ボランティアの人々との交わりを通じて示された総合伝道のことなどもみことばと共に分かち合いたいと願っています。

 イサクがアブラハムの井戸を掘り返した記事から、奥深い所からの声を聴くことの大切さへとイエス様が導いて下さったことを心から感謝したいと思います。一言、お祈りいたします。

18 イサクは、彼の父アブラハムの時代に掘られて、アブラハムの死後にペリシテ人がふさいだ井戸を掘り返した。イサクは、それらに父がつけていた名と同じ名をつけた。
19 イサクのしもべたちがその谷間を掘っているとき、そこに湧き水の井戸を見つけた。
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アブラハムの信仰をヤコブにつないだイサク(2022.10.13 祈り会)

2022-10-17 10:42:09 | 祈り会メッセージ
2022年10月13日祈り会メッセージ
『アブラハムの信仰をヤコブにつないだイサク』
【創世記35:28~29】

創世記35:28 イサクの生涯は百八十年であった。
29 イサクは年老いて満ち足り、息絶えて死に、自分の民に加えられた。息子のエサウとヤコブが彼を葬った。

 今月はイサクに注目しています。先週も話しましたが、藤本満先生の『祈る人々』ではイサクは1回しか触れられていません。アブラハムの回は4回、ヤコブの回は3回あるのに対してイサクの回は1回だけです。それで私も当初は、この祈り会ではイサクの回は1回だけにするつもりでいました。そうしてイサクについての思い巡らしを始めたところ、これまで私はイサクについてはほとんど思い巡らしをしたことがなかったことに気付かされました。それゆえ、少し思いを巡らしただけではなかなかイサクについての理解が深まりませんでした。そういうわけで、今月の3回分はすべてイサクに当てて、イサクへの理解を深めたいと願っています。

 最初に読んだ創世記35章28節に記されているように、イサクの生涯は百八十年でした。今の日本人の平均寿命の2倍以上を生きたことになります。ちなみにイサクの祖父のテラの生涯は205年(創11:32)、父のアブラハムの生涯は175年(創25:7)、子のヤコブは147年(創47:28)、孫のヨセフは110年(創50:26)でした。ですから205年生きた祖父のテラよりは短かったですが、アブラハム、ヤコブ、ヨセフよりもイサクは長く生きました。そうして満ち足りて亡くなりました。

 ご承知のように、イサクが生まれた時の父アブラハムの年齢は100歳(創21:5)、母サラはおよそ90歳(創17:17)でした。その前に女奴隷ハガルによってイシュマエルが生まれていましたが、アブラハムとサラの夫婦にとっては初めての子で、主によってこの子が跡取りになると言われていましたし、二人が年を取ってからの子ですから、イサクは本当に大切に育てられたことでしょう。

 あまりに大切に育てられすぎると我がままな子に育つことも少なくないと思いますが、イサクはそういう我がままな子には育ちませんでした。素直な良い子に育ち、父が彼を屠ろうと薪を置いた祭壇の上に縛り付けられた時も、特に抵抗はしなかったようです。しかし、抵抗はしなかったものの、この恐怖体験がイサクの心の傷になったのではないかということは容易に想像できます。聖書にはこの恐怖体験がイサクの心にどのような影響を与えたのか一切書かれていませんから、私たちには分かりませんが、ぐれて親に反抗する子になってしまっても少しもおかしくなかっただろうと思います。でもイサクは真面目で実直な成年に育ったようです。

 イサクがリベカを妻に迎えた時、彼は40歳でした。現代人の平均的な結婚年齢から言うとやや遅い気がしますが、彼は180歳まで生きましたから、特に遅いことはなかったのかもしれません。また、イサクが37歳の頃に母のサラが亡くなっていますから、それで良かったのだろうと思います。母のサラは90歳の頃にイサクを生んで、127歳で亡くなったと記されていますから(創23:1)、サラが亡くなった時、イサクはおよそ37歳でした。そうしてイサクは40歳の時にリベカを妻に迎えました(創25:10)。イサクの母のサラは、女奴隷のハガルを2度も追い出した女性ですから、恐らく嫁のリベカとも良い関係を築くことは難しかったのではないかなと想像します。そういう意味で母サラの死後にリベカを妻に迎えたことは良いことだったかもしれません。

 さて、イサクとリベカとの間には、エサウとヤコブの双子の兄弟が生まれました。ヤコブは頭が良くて知恵を働かせて、自分で自分の人生を切り開いて行くタイプの若者でした。一方のエサウは体力勝負の体育会系のようなタイプのようで、知恵を働かせるのはあまり得意ではなく、悪く言えば愚直とも言えるかもしれません。そして、イサクが愛したのは、そんなエサウの方でした。それは、イサクもどちらかと言えば、エサウのような愚直とも言えるような面があったからではないかという気がします。エサウとイサクは似た面があります。でもヤコブとイサクは全然似ていないように思います。ですから、イサクはヤコブよりもエサウを愛したのではないかなと思います。

 しかし、神様が選んだのはヤコブの方でした。若い頃のヤコブは、知恵は働きましたが、神様への信仰はそれほどでもなかったように思います。それにも関わらず、神様はヤコブの方を選びました。どうしてなのか、それはまたヤコブの回で思いを巡らすことにしたいと思いますが、アブラハムの信仰を継承して行くには、ヤコブのような粘っこさを必要としたのかもしれません。エサウはどちらかと言えば淡泊です。長子の権利にも執着しませんでしたし、祝福を横取りしたヤコブへの恨みも20年後にはほとんど消えていました。一方、ヤコブの方は20年後にエサウと再会することが恐ろしくて恐ろしくて夜も眠れず、祈りの中で神様と格闘するほどでした。でもエサウの方は、そこまでヤコブのことを恨み続けるということはなかったようです。神様がヤコブの方を選んだのは、そのあたりが関係しているのかもしれません。

 ここまでをまとめると、イサクは既に年老いた両親から生まれ、跡取りとして大切に育てられて、我がままになることもなく真っ直ぐに育ち、父のアブラハムに屠られて殺される寸前まで行きながらグレることもなく、父が進めた結婚話に素直に従い、愚直なエサウを愛しました。そんなイサクも愚直とも言える面がありました。ヤコブがエサウへの祝福を横取りした時、イサクはエサウに祝福のやり直しをすることはありませんでした。イサクが愛していたのはエサウのほうでしたが、そこは曲げずに祝福はヤコブのものであるとしました。そんな真面目さと誠実さがイサクにはありました。

 イサクはアブラハムやヤコブに比べると、派手さに欠けて地味な感じがします。創世記の記述も、イサクが主役の場面はあまり多くはありません。来週開く予定のイサクが父アブラハムの井戸を掘り返した場面は、数少ないイサクが主役の場面だと思います。イサクが父アブラハムに屠られそうになった場面も主役はアブラハムでしたし、イサクがエサウではなくヤコブの方を祝福してしまった場面も、主役はヤコブでした。そういうわけで、イサクは地味な印象があります。でも、地味な印象のイサクも信仰の継承という観点からは欠かせない人物でした。イサクがいたからこそ、信仰の父と言われるアブラハムの信仰がイサクを介してヤコブに継承されて、それがヤコブの12人の息子たちに継承されました。そして、エジプトに移住して奴隷の身分になることで信仰の火はいったん消えかかったかに見えましたが、モーセの時代にエジプトを脱出して十戒が与えられて、いろいろな問題を抱えてはいましたが、ダビデに継承されました。そして、王国の南北分裂、北王国の滅亡、南王国の滅亡という試練はありましたが、イエス様の時代にまで引き継がれて行き、さらに使徒たちにも引き継がれ、21世紀の現代にも引き継がれて来ました。ですから、私たちもまたアブラハムの信仰の子孫です。パウロがガラテヤ人への手紙に書いた通りです。パウロは書きました。

ガラテヤ3:29 あなたがたがキリストのものであれば、アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。

 イサクは地味な人物のように見えますが、イサクがいたからこそ、アブラハムの信仰がヤコブに引き継がれ、21世紀の私たちにも引き継がれました。こういう、一見地味だけれども欠かせないという人物は私たちの周りにもたくさんいることを覚えます。このことを覚えて、神様に心一杯感謝しつつ、一言お祈りしたいと思います。

創世記35:28 イサクの生涯は百八十年であった。
29 イサクは年老いて満ち足り、息絶えて死に、自分の民に加えられた。息子のエサウとヤコブが彼を葬った。
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誠実にヤコブを祝福したイサク(2022.10.6 祈り会)

2022-10-09 17:43:08 | 祈り会メッセージ
2022年10月6日祈り会メッセージ
『誠実にヤコブを祝福したイサク』
【創世記27:26~30】

 きょうからイサクに注目したいと思います。まず創世記27章26節から30節までを交代で読みます。ここは、イサクが自分の息子を祝福する場面です。イサクはエサウだと思って祝福しましたが、ここにいたのは実は弟のヤコブの方でした。ヤコブは、自分はエサウだと嘘をついて父から祝福を受けました。

創世記27:26 父イサクはヤコブに、「近寄って私に口づけしてくれ、わが子よ」と言ったので、
27 ヤコブは近づいて、彼に口づけした。イサクはヤコブの衣の香りを嗅ぎ、彼を祝福して言った。「ああ、わが子の香り。が祝福された野の香りのようだ。
28 神がおまえに天の露と地の肥沃、豊かな穀物と新しいぶどう酒を与えてくださるように。
29 諸国の民がおまえに仕え、もろもろの国民がおまえを伏し拝むように。おまえは兄弟たちの主となり、おまえの母の子がおまえを伏し拝むように。おまえを呪う者がのろわれ、おまえを祝福する者が祝福されるように。」
30 イサクがヤコブを祝福し終わり、ヤコブが父イサクの前から出て行くとすぐに、兄のエサウが猟から戻って来た。

 きょう、この箇所を開くことにしたのは、イサクの信仰と誠実な人柄がよく現れていると感じたからです。実は藤本満先生の『祈る人びと』のイサクの回で取り上げている箇所は27章ではなくて26章の18節と19節です。お読みします。

創世記26:18 イサクは、彼の父アブラハムの時代に掘られて、アブラハムの死後にペリシテ人がふさいだ井戸を掘り返した。イサクは、それらに父がつけていた名と同じ名をつけた。
19 イサクのしもべたちがその谷間を掘っているとき、そこに湧き水の井戸を見つけた。

 この箇所は来週か再来週のどちらかの祈り会で開くことにしたいと思います。この箇所は簡単には扱えない箇所で、ここを祈り会で扱うまでには、さらに1週間か2週間思い巡らしを重ねる必要を感じているからです。

 創世記26章の18節と19節のイサクの場面がどうして簡単には扱えない箇所かというと、ここにはイサクが父アブラハムの時代の井戸を掘り返したことが記されていて、藤本先生は『祈る人びと』の中で、この場面を、ご自身がクリスチャン2世であることと、さらに牧師職においても2世であることとを重ねているからです。私自身は父がクリスチャンであったものの、私が生まれた頃には父はもう教会から離れていましたから、私は2世ではなく、1.5世にも満たない1.2世ぐらいだと思っています。父がクリスチャンであったことで受洗時の心理的なハードルが少し低くなる効果があったと思いますから1.0世ではありませんが、せいぜい1.2世ぐらいだと思います。その1.2世の私には2世の気持ちは想像しづらい世界です。まして牧師2世の気持ちとなるとほとんど全く想像できません。

 それゆえ藤本先生がご自身が牧師2世であることを重ねている創世記26章18節と19節は簡単には扱えないなと思いました。でもスキップする訳にもいかないと思いましたから、来週か再来週に開くことにしたいと思います。

 なぜスキップする訳には行かないかと言うと、イサクが父アブラハムの時代の井戸を掘り返したこの箇所は、今の牧師不足の問題とも関わって来ると感じているからです。今の時代には牧師のお子さんたちも神学校に入らなくなりました。これはやはり、これまでのやり方では立ち行かなくなっているという気がします。

 私は以前から、個人の救いを中心に据えた福音伝道は限界に達しているのではないか、これからは人類全体の救い、世界の救いを視野に入れた、もっと大きな観点からの福音伝道にシフトして行かなければならないのではないか、ということを何となくモヤモヤと感じていました。それが、今年に入って戦争の問題と温暖化の問題が深刻になって、急速にハッキリして来たように感じています。今のひどい世界が何とかもっと良くなる方向にイエス様に導いていただいて働くことが、イエス様の御心にもかなっているのではないか、すなわち世界の救いを視野に入れた福音伝道をするべきではないのと感じています。

 今の若い人々は幼少の頃からネットを通じて世界とつながっていますから、そのほうが働き甲斐を感じるのではないかとも思います。これから献身する若い人たちも、人々をそういう方向に導くことが求められているのではないかと感じています。このことは、とても重い問題ですから、礼拝説教とも絡ませつつ、もう少し時間を掛けて思いを巡らしたいと思います。

 さて今夜、創世記27章を開くことにしたのは、もっとイサクについての理解を深める必要を感じたからです。そうして理解を深めた上で創世記26章と向き合いたいと思ったからです。最初に話したように、創世記27章のイサクがヤコブを祝福した場面には、イサクの信仰と誠実な人柄がよく現れていると感じます。もう一度、28節と29節をお読みします。

28 「神がおまえに天の露と地の肥沃、豊かな穀物と新しいぶどう酒を与えてくださるように。
29 諸国の民がおまえに仕え、もろもろの国民がおまえを伏し拝むように。おまえは兄弟たちの主となり、おまえの母の子がおまえを伏し拝むように。おまえを呪う者がのろわれ、おまえを祝福する者が祝福されるように。」

 ここで、イサクがいかに心を込めてヤコブを祝福したかは、この後で兄のエサウが戻って来た時に分かります。先ほどの続きの31節から35節までをお読みします。

31 彼もまた、おいしい料理を作って、父のところに持って来た。そして父に言った。「お父さん。起きて、息子の獲物を召し上がってください。あなた自ら、私を祝福してくださるために。」
32 父イサクは彼に言った。「だれだね、おまえは。」彼は言った。「私はあなたの子、長男のエサウです。」
33 イサクは激しく身震いして言った。「では、いったい、あれはだれだったのか。獲物をしとめて、私のところに持って来たのは。おまえが来る前に、私はみな食べてしまい、彼を祝福してしまった。彼は必ず祝福されるだろう。」
34 エサウは父のことばを聞くと、声の限りに激しく泣き叫び、父に言った。「お父さん、私を祝福してください。私も。」
35 父は言った。「おまえの弟が来て、だましたのだ。そしておまえへの祝福を奪い取ってしまった。」

 このエサウへのイサクのことばを見ると、イサクが主と一つになって本当に心の底からヤコブを祝福していたことが伝わって来ます。もう一度エサウに同じ祝福を与えることなど決して出来ないほど、イサクは誠実にヤコブを祝福したということです。

 イサクもまた同様の祝福を父のアブラハムから受けていたでしょう。それがヤコブに引き継がれて、ヤコブもまた12人の息子たちとヨセフの二人の息子たちを祝福しました。それがイスラエル民族全体への祝福となり、途中いろいろあったもののダビデ王とソロモン王が立てられて、イスラエルの民族はさらに豊かに祝福されました。その後、またいろいろとあったもののイエス様へとつながって行き、イエス様の死後に使徒たちによって全世界に祝福が広がって行きました。そうして地の果てである日本の私たちにも福音がつたわって、祝福の恵みに与っています。

 つまり、イサクのヤコブ個人への祝福が、全人類の祝福へとつながって行きました。この祝福の継承が、いま現代においては急速に難しくなって来ていて、神学校に神学生が入学しない事態になっています。しかし私自身は、福音伝道の中心を個人の救いから世界の救い、人類の救いへとシフトさせて行くことで、きっと乗り越えて行くことができるだろうと思っています。もともと聖書の福音は地の果てに至る全人類の救いが視野に入っていました。もちろん世界の救いと言っても一人一人の個人の救いが集まって成り立つものですから、個人の救いをお伝えすることは大切なことです。しかし、それと同時に、世界の救いを視野に入れた福音伝道にシフトして行くなら、若い人々も、もっと魅力を感じてくれるのではないか、そのように感じています。

 アブラハムからイサク、イサクからヤコブへの信仰の継承、祝福の継承について、さらに思いを巡らしつつ、イサクについてもさらに理解を深めて行きたいと思います。お祈りいたします。
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