インマヌエル沼津キリスト教会

Immanuel Numazu Christ Church
沼津市今沢34番地

ヤコブの祈りの必死さに学ぶ(2019.3.21 最終祈り会)

2019-03-22 06:42:00 | 祈り会メッセージ
2019年3月21日最終祈り会メッセージ
『ヤコブの祈りの必死さに学ぶ』
【創世記32:22~30】

はじめに
 きょうの祈り会は、私たちがこの教会で行う最後の祈り会です。4月以降も、この会堂は伝道所として使われるということですから、これから先も祈り会が行われるかもしれませんが、インマヌエル沼津キリスト教会としての祈り会は、きょうのこの集会が最後のものになります。
 前半は、詩篇42篇を共に味わい、①この魂の飢え渇きは旧約の時代のものである、②新約の時代の私たちは聖霊が与えられているので、これほどの飢え渇きは無い。それゆえ却って神様から離れることになってはいないだろうか、③私たちは詩篇42篇の詩人のように霊性と感情とをしっかり区別できているだろうか、ということについて改めて確認してみることをしました。
 後半は創世記32章のヤコブの祈りの場面を共に味わって、私たちはヤコブのような必死さで祈って来ただろうかということを、ご一緒に考えてみたいと思います。まず、このヤコブの祈りの場面について短くに学びましょう。そのためには、ヤコブがどのような人物であったかも、簡単に復習しておく必要がありますね。

兄エサウに変装して父イサクを欺いたヤコブ
 ヤコブはイサクの子、イサクはアブラハムの子です。ヤコブには双子の兄のエサウがいました。双子の場合、最初に生まれた方が長男で、長子の権利がありました。ヤコブは生まれて来る時、何とかエサウが先に生まれるのを阻止しようとエサウのかかとをつかんでいました。ヤコブが生まれて来た時の場面を読みます。

25:24 月日が満ちて出産の時になった。すると見よ、双子が胎内にいた。
25:25 最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それで、彼らはその子をエサウと名づけた。
25:26 その後で弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。それで、その子はヤコブと名づけられた。イサクは、彼らを生んだとき、六十歳であった。

 26節にあるようにヤコブはエサウのかかとをつかんで生まれて来ました。ヤコブは生まれた時から長子の権利に執着していたのですね。それで、彼が成長した時、ヤコブは長子の権利を兄のエサウから奪い取ることを画策しました。いま読んだ25節に、エサウは全身が毛衣のようであったとあります。つまりエサウは非常に毛深い男の子でした。このことを利用してヤコブは父のイサクが年老いて目が見えなくなった時に兄のエサウに成りすまして、父のイサクから祝福を得ました。次にその場面を見ましょう。27章を開いて下さい。
 この変装は母のリベカが企てたものでした。母はヤコブの方を愛していたからでした。27章の15節と16節をお読みします。

27:15 それからリベカは、家の中で自分の手もとにあった、上の息子エサウの衣を取って来て、それを下の息子ヤコブに着せ、
27:16 また、子やぎの毛皮を、彼の両腕と、首の滑らかなところに巻き付けた。

 母のリベカはエサウの衣をヤコブに着せて、さらに子ヤギの毛皮をヤコブの肌の滑らかな所に付けて変装をさせました。イサクは目が見えないので、それだけの変装でだまされてしまいました。続いて27節の23節と24節をお読みします。

27:23 ヤコブの手が、兄エサウの手のように毛深かったので、イサクには見分けがつかなかった。それでイサクは彼を祝福しようとして、
27:24 「本当におまえは、わが子エサウだね」と言った。するとヤコブは答えた。「そうです。」

 こうしてヤコブは兄のエサウに替わって父のイサクから祝福を得ました。しかし、そこにエサウが戻って来ました。29節と30節をお読みします。29節はイサクの祝福の祈りです。

27:29 諸国の民がおまえに仕え、もろもろの国民がおまえを伏し拝むように。おまえは兄弟たちの主となり、おまえの母の子がおまえを伏し拝むように。おまえを呪う者がのろわれ、おまえを祝福する者が祝福されるように。」
27:30 イサクがヤコブを祝福し終わり、ヤコブが父イサクの前から出て行くとすぐに、兄のエサウが猟から戻って来た。

 こうして、ヤコブが本来はエサウが得るはずの父の祝福を横取りしましたが、そのことが兄のエサウにすぐにバレてしまいましたから、ヤコブは遠い土地に逃れることになりました。エサウが弟のヤコブを殺そうと思うほど怒ったからでした。

救いを必死で祈ったヤコブ
 それからヤコブは遠い土地で20年間を過ごしましたが、この20年が経った頃、主はヤコブに生まれ故郷に戻るように命じました。31章の3節をお読みします。

31:3 【主】はヤコブに言われた。「あなたが生まれた、あなたの父たちの国に帰りなさい。わたしは、あなたとともにいる。」

 しかし、故郷に戻ることはヤコブにとって恐ろしいことでした。もし、まだ兄のエサウが怒っていたら、ヤコブは殺されてしまうかもしれないからでした。そこで、まずはエサウのところに使者を送りました。すると、戻って来た使者が言いました。32章の6節です、

32:6 使者は、ヤコブのもとに帰って来て言った。「兄上エサウ様のもとに行って参りました。あの方も、あなたを迎えにやって来られます。四百人があの方と一緒にいます。」

 これを聞いてヤコブは非常に恐れ、不安になりました。四百人に襲われたら、とうてい勝ち目はなくてヤコブは殺されてしまうでしょう。ヤコブは神に祈りました。少し飛ばして32章の11節、

32:11 どうか、私の兄エサウの手から私を救い出してください。兄が来て、私を、また子どもたちとともにその母親たちまでも打ちはしないかと、私は恐れています。

 そうして、きょうの聖書箇所の22節からを見て行きましょう。22節と23節をお読みします。

32:22 その夜、彼は起き上がり、二人の妻と二人の女奴隷、そして十一人の子どもたちを連れ出し、ヤボクの渡し場を渡った。
32:23 彼らを連れ出して川を渡らせ、また自分の所有するものも渡らせた。

 ヤコブは妻と子供たちを先に行かせました。兄のエサウに襲われることが、あまりに恐ろしくて先頭に立つことができませんでした。そして、ヤコブは必死で祈りました。これは祈りの格闘でした。ヤコブの祈りは神様と格闘するほどまでに壮絶なものでした。24節から26節までをお読みします。

32:24 ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
32:25 その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。
32:26 すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは言った。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」

 ヤコブは神の人に、自分を祝福するまで去らせないと言いました。ものすごい祝福へのこだわりですね。神の祝福が得られれば兄のエサウに殺されることはないでしょう。すると、神の人はヤコブに尋ねました。27節です。

32:27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」

 ヤコブは正直に「ヤコブです」と答えました。かつてヤコブはエサウに変装して父のイサクを欺き、祝福を横取りしました。しかし、神の人と格闘した時のヤコブは偽らずに正直に「ヤコブです」と言いました。このヤコブの正直な答を聞いた神の人は言いました。28節です。

32:28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」

 こうして、ヤコブは神様からの祝福を得ました。そして自らが先頭に立ってエサウの方に向かって行きました。33章の3節と4節をお読みします。

33:3 ヤコブは自ら彼らの先に立って進んだ。彼は兄に近づくまで、七回地にひれ伏した。
33:4 エサウは迎えに走って来て、彼を抱きしめ、首に抱きついて口づけし、二人は泣いた。

私たちは必死に祈ったか?
 さて、私たちはこのヤコブのように必死で祈ったことがあるでしょうか?私たちは、会堂問題に関しては、これぐらい必死に祈ったのではないでしょうか。そうして新会堂が与えられる一歩手前まで漕ぎ着けることができました。これは私たちにとって大きな財産となったと私は考えています。人間社会は複雑ですから、新会堂建設には至りませんでしたが、神様は私たちの必死の祈りに応えて下さり、新会堂への道を開いて下さったのだと私は思っています。
 しかしながら、その他の祈りはどうだったでしょうか?例えば、今のこの会堂にもっと多くの新しい方々が来ますようにという祈りはどうだったでしょうか。この祈りを私たちはしなかったわけではありませんが、新会堂を与えて下さいという祈りに比べれば、全然足りていなかったのではないでしょうか。もし、新しい来会者が与えられますようにという祈りを、新会堂の祈りと同じくらいの必死さでしていたら、そうして新しい来会者が与えられていたなら、もしかしたら違う展開になっていたかもしれません。そういう意味での反省が私の中にはあります。
 必死になって祈ることの大切さは、ルカの福音書のイエスさまも説いておられますね。最後に、このルカの福音書の場面をご一緒に読んで、最後の祈り会のメッセージを締めくくることにしたいと思います。

18:1 いつでも祈るべきで、失望してはいけないことを教えるために、イエスは弟子たちにたとえを話された。
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。
18:3 その町に一人のやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私を訴える人をさばいて、私を守ってください』と言っていた。
18:4 この裁判官はしばらく取り合わなかったが、後になって心の中で考えた。『私は神をも恐れず、人を人とも思わないが、
18:5 このやもめは、うるさくて仕方がないから、彼女のために裁判をしてやることにしよう。そうでないと、ひっきりなしにやって来て、 私は疲れ果ててしまう。』」
18:6 主は言われた。「不正な裁判官が言っていることを聞きなさい。
18:7 まして神は、昼も夜も神に叫び求めている、選ばれた者たちのためにさばきを行わないで、いつまでも放っておかれることがあるでしょうか。

 神様は愛情深く優しいお方ですから、必死で祈る私たちのことを「うるさくて仕方がない」などとは決して思わないでしょう。しかし、そう思われるくらいに必死で祈るべきことが、このイエスさまの例え話から伝わって来ます。

おわりに
 これから私たちが進む先には、様々なことがあると思います。しかし、神様に必死に祈るなら、どんなことも乗り越えていくことができるでしょう。私たちには、会堂の祈りが神様に応えられたという財産がありますから、この時の祈りと同じくらいに一生懸命に祈りながら、これからのそれぞれの道を神様に導かれながら、進んで行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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これからの祈りの課題(2019.3.13 最後の水曜祈り会)

2019-03-14 10:31:34 | 祈り会メッセージ
2019年3月13日祈り会メッセージ
『これからの祈りの課題』
【ヨハネ20:29~31】

29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」
30 イエスは弟子たちの前で、ほかにも多くのしるしを行われたが、それらはこの書には書かれていない。
31 これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。



はじめに
 きょうは、この教会で通常の形で行う水曜日の祈り会としては、最後の祈り会になります。この場で何を語るべきか私は悩みました。それで、まずはこの6年間に祈りの課題として挙げて来たことを簡単に振り返ってみました。すると、祈りが足りなかった点をむしろ示されましたから、その話から始めようと思います。

地域のために祈らなかった最初の一年
 祈らなかったことで最も悔やまれたことは、私が2013年に沼津教会に着任してからの最初の一年間は、小学生の登校下校時の交通安全について、一度も祈ることがなかったことでした。そんな中で2014年4月10日の朝、最寄のJR片浜駅に近い県道のT字路で片浜小学校5年生の嶌野瑛斗(しまのえいと)君が死亡した痛ましい交通事故が起きました。この事故のことを昼のローカルニュースで知った私は、午後に現場を訪れて祈りを捧げました。現場には多くの花が献花されていて、悲しみに包まれていました。この時、私はそれまでの一年間に、この教会で一度も小学生の交通安全について祈って来なかったことを激しく悔やみました。2013年に沼津に来る前に私は姫路教会の牧師をしていましたが、2012年の4月以降、姫路の祈り会ではずっと小学生の交通安全を祈りの課題に挙げて皆で祈っていました。それは、2012年4月23日に京都府の亀岡市で小学生の集団登校の列に車が突っ込んで3人が死亡するという事故があったからでした。この事故はもちろん全国ニュースになりましたが、関西のローカルニュースでは、その後もかなり長い期間、この事故の続報を報じていました。そういうこともあって姫路教会の祈り会では毎週ずっと小学生の交通安全を祈って来ました。それなのに私は沼津に来た途端、小学生の交通安全について祈ることを忘れてしまっていました。どうして、そんなにきれいに忘れてしまったのか、情けなくて申し訳なくて本当に激しく悔やみました。

新会堂建設のための熱い祈り
 しかし、ただの偶然か偶然ではないのか、今となっては分かりませんが、地域の小学生や人々のために祈り会で祈るようになってから、急速に会堂問題が動き始めました。新会堂が与えられますようにという祈りは、私が着任する前から既に熱く捧げられていました。沼津教会では2012年に5年後の2017年(教会創立50周年の年)に新会堂を献堂するという目標を掲げて、それに向けて全教会員が連日それぞれの自宅においても決まった時間に新会堂への祈りが積まれていました。しかし、新会堂が実現する見通しはまったくありませんでした。
 私が2013年4月に着任した時、2ヶ月後の6月は会堂強化月間になっているということを教えていただき、十和田から前任者の廣瀬邦男牧師をお招きして、会堂がテーマの説教をしていただくことになっているということでした。また5月には2人目のお孫さんが誕生して、ちょうど廣瀬善子師が何週間も沼津に滞在していましたから、やはりこの2013年の6月に善子師にも会堂がテーマの礼拝説教をしていただきました。つまり、牧師が私に交代したわずか2ヶ月後に前任の牧師の邦男師と善子師の両方に、会堂がテーマの説教をしていただいたわけで、それほど私たちは新会堂に向けて熱い思いを持って闘っていたということになります。それでも、新会堂への扉は一向に開かれる気配がありませんでした。それが2014年の4月以降、地域の小学生と人々のための祈りを開始してから、不思議なように新会堂建設への扉が開かれ始めました。それゆえ、地域のために祈る教会を志したことで、神様が扉を開いて下さったのだなと思いました。

足りなかった魂の救いのための祈り
 新会堂が与えられますように、という祈りは本当に皆さんと一緒に熱心に捧げたと思います。そして、それに神様が応えて下さったとも感じています(新会堂建設は取り止めになりましたが、着工できる直前の段階まで漕ぎ着けることができました)。しかし、今から思うとぜんぜん足りていなかった祈りがあったと反省させられています。それは、地域のもっと多くの方々がこの教会に集い、魂が救われますようにという祈りです。祈らなかったわけではありませんが、新会堂のための祈りに比べるとぜんぜん足りていなかったことは明らかです。
 祈りの人として有名なジョージ・ミュラーの伝記に、彼がイギリスで孤児院の働きを開始した頃の逸話が載っていますね。ミュラーはひたすら祈ることで与えられた建物・資金・物資で次々と孤児院を開設して、そこで多くの孤児たちを救うという大きな働きをしました。しかし、孤児院として使える家が最初に与えられて孤児の受け付けを開始した日は申込者が一人もいなかったそうです。なぜなのか、その理由を考えたミュラーたちは子供たちのために祈って来なかったことを示されて、その晩、夜を徹して子供たちのために祈ったところ、翌日には申込者があって、ほどなくして定員に達したということです。神様が祈りに応えて孤児院を与えて下さるなら、孤児も自動的に与えて下さるとミュラーたちは考えていたのだと思います。
 私自身も、もし神様が私たちに新会堂を与えて下さるなら、新しい来会者も神様が与えて下さるだろうと思っていたように思います。小さな教会の私たちが新会堂を建てることなど、ほとんど有り得ないことです。しかし、もし奇跡が起きて神様が新会堂を与えて下さるなら、当然新しい来会者も与えて下さるだろうと勝手に私は思い込んでいました。それゆえ新会堂のためのお祈りは熱心にしましたが、地域の方々が教会に来て救われますようにという祈りのほうは、しなかったわけではありませんが新会堂のための祈りに比べればぜんぜん足りていなかったと反省させられています。

多くの人々が教会を訪れた20世紀
 いま私は静岡教会の元牧師の松村導男先生が書かれた『恩寵の七十年』をまた読み返しています。この沼津教会も、宮崎兄弟姉妹のお宅の家庭集会に松村牧師が来られ、また日曜日にはその宮崎さんのお宅で静岡教会の説教の録音テープを聞いて礼拝を捧げていたことが始まりということです。その『恩寵の七十年』にも、松村牧師たちが、とにかくよく祈ったということが書かれています。そうして多くの魂が救われました。
 しかし、魂の救いに関する祈りは今でも多くの人々によって祈られているはずです(私自身の祈りは足りていませんが)。それなのに、松村牧師たちの時代に比べて現代では教会に人が来なくなったのはどうしてでしょうか。大きな要因として挙げられているのはオウム真理教の事件の影響ですね。多くの人々が宗教に対して警戒心を持つようになりました。また、それ以外にもいろいろな要因があるのだろうと思います。きょうは最後に、人々が教会に来なくなった要因として最近私が考えるようになったことについてお話して、メッセージを終えることにしたいと思います。
 少し前の礼拝メッセージで私は、2月22日の晩に放送されたテレビドラマの『約束のステージ』の紹介をしました。このドラマは2019年の現代の女性が1975年にタイムスリップするという物語です。このドラマの中では主人公たちが1970年代の歌謡曲をたくさん歌っていました。それで私自身も1970年代に引き戻された感覚になりました。そうして小学生時代の自分を思い返しました。あの頃、「21世紀」という言葉は、「明るいバラ色の未来」の代名詞のような使われ方をしていました。30年後の21世紀には科学がもっと発達していて、素晴らしい世の中になっていると小学生の私は夢想してウットリとしていました。私だけでなくほとんどの子供たち、そして大人たちの多くもそのように夢想していたと思います。未来になればなるほど科学がどんどん発達して行って、世の中はどんどん良くなっていく、そんな風に単純に信じられていた時代だったと思います。

未来を信じていない21世紀の現代人
 しかし、実際の21世紀は少しもバラ色ではありませんでした。そうして21世紀の現代人で「未来になればなるほど世の中がどんどん良くなっていく」と信じる人など、ほとんどいないでしょう。科学技術は私たちの生活を大きく変えて便利になりましたが、それで私たちが幸せになったかというと、ぜんぜんそんなことはありません。携帯電話があれば確かに便利ですから私も使いますが、電車に乗っている人がほとんど皆、携帯の画面をじっと見つめていたり忙しく指を動かしていたりする様子を見ると、これが幸せな社会だとは到底思えません。これから先、AIの進化によって生活はますます便利になることでしょう。しかし、それで私たちが今よりも幸せになれると思う人はほとんどいないでしょう。
 つまり、現代の我々は70年代の人々と比べて未来に対する希望をぜんぜん持つことができなくなっています。お金に関してもそうです。昔は定期預金にお金を預ければ利率が良かったですから、どんどんお金が増えました。今は定期預金に入れても入れなくても大して変わらないほどの利息しか付きません。お金を増やそうと思えばリスクを覚悟の上でハイリスクハイリターンの投資をする必要があるでしょう。
 預金がそういう状態ですから、年金に関してもほとんど期待ができなくなっています。将来受け取れるはずの見込み額は減り続けています。私は今年の秋に60歳になります。そうすれば一応年金の納付期間は終わります。それに当たって、年金機構は、さらに延長して65歳まで年金を納めれば、将来もっとたくさん年金を受け取ることができるとしています。しかし、今のGPIFによる積立金の運用の仕方を見ていると、それを信じることは私には到底できません。そんな風に21世紀の私たちは未来を単純には信じられなくなっています。
 イムマヌエル綜合伝道団が設立された終戦直後から何十年かの間、人々が続々と教会に来ていた時代は、人々が単純に科学を信じて未来を信じることができた時代であったことと無関係ではないのではないか、最近そんな風に私は考えるようになりました。明るい未来を信じることと明るい死後の世界を信じることは決して無関係ではないように思います。現代の人々は明るい未来を信じることができませんから、明るい死後の世界も信じることができなくて当然のような気がします。

喜びを持って今を生きているクリスチャン
 しかし、実は私たちクリスチャンが明るい希望を持って今を生きていられるのは、単に死後への希望を持って生きているからだけではなく、今現在をイエス・キリストと共に生きることができているからです。今現在その恵みの中で日々を生きていますから、未来のことをどうこう考える必要はありません。すでに永遠のいのちが与えられていますから、未来に期待も絶望もする必要がなく、単に今をイエス・キリストと共に喜びをもって生きることができます。
 しかし、このことが分かるには、まずはイエスさまを信じていただくことが必要です。きょうの聖書箇所のヨハネ20章29節でイエスさまが「見ないで信じる人たちは幸いです」とおっしゃったように、まずイエスさまと出会う前に「イエスは神の子キリストである」と信じる必要があります。そうして信じれば聖霊を受けてイエスさまと霊的に出会うことができます。
 ヨハネ4章でサマリア人たちがイエスさまに出会うことができたのは、彼らがサマリアの女の「もしかすると、この方がキリストなのでしょうか」(ヨハネ4:29)ということばを信じたからです。彼らはまだイエスさまを見ない段階で女の言うことを信じたからイエスさまと出会うことができ、さらにイエスさまから直接話を聞くことできて、その結果、「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方が本当に世の救い主だと分かったのです。」(同4:42)とサマリアの女に言えるほどになりました。

おわりに ~これからの祈りの課題
 現代の人々に教会に来ていただき、イエスさまを信じていただくには、どうしたら良いでしょうか。未来のことを信じにくい現代の人々に対しては、未来にある最後の審判(天国か地獄かの裁き)のことを話すよりも、今イエスさまを信じさえすれば、今すぐからでも素晴らしい恵みの中に入れられることをお伝えするのが良いだろうと私自身は考えています。
 そのためにはどうしたら良いのか、このことをどのようにお伝えしたら良いのか、これから私はかつて新会堂のために熱く祈った時以上にこのことを熱く祈り求めて行きたいと考えています。沼津と静岡とでこれからの働きの場所は皆さんと異なりますが、福音の宣教のために、これからも共に働いて行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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冷静沈着さを生む自己の客観視(2019.2.20)

2019-02-21 09:27:50 | 祈り会メッセージ
2019年2月20日祈り会メッセージ
『冷静沈着さを生む自己の客観視』
【マルコ4:35~41】

4:35 さてその日、夕方になって、イエスは弟子たちに「向こう岸へ渡ろう」と言われた。
4:36 そこで弟子たちは群衆を後に残して、イエスを舟に乗せたままお連れした。ほかの舟も一緒に行った。
4:37 すると、激しい突風が起こって波が舟の中にまで入り、舟は水でいっぱいになった。
4:38 ところがイエスは、船尾で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と言った。
4:39 イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。
4:40 イエスは彼らに言われた。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」
4:41 彼らは非常に恐れて、互いに言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」

はじめに
 皆さんが良くご存知のおなじみの箇所を今、ご一緒に読みましたが、きょうのメッセージのタイトルとして「冷静沈着さを生む自己の客観視」という題を付けてみました。イエスさまは終始冷静でした。どうして、こんなに冷静でいられたのか、それは天の父に絶大な信頼を寄せていたからということもあったと思いますが、一番大きな理由は、イエスさまはこの地上で自分に与えられたミッションのことを良くご存知だったからではないかと思います。イエスさまは、これから先、エルサレムに行って苦しみに遭わなければならないことをご存知でしたから、ガリラヤの湖で死ぬはずがありません。一方の弟子たちは、イエスさまが何のために自分たちに声を掛けて下さったのか、自分たちがどこへ向かおうとしているのか、またイエスさまがどのようなお方なのか、まったく分かっていませんでした。
 なぜ今、このようなことを考えているかというと、いま私は先週観た上映中の映画『ファースト・マン』の原作を読み始めているからです。上・下2巻ある文庫本のまだ最初の1/5ほどしか読んでいませんが、感じるところがあったので、きょう話をさせていただくことにしました。3月の年会が終わる頃ぐらいまでには全部読み終えて、できれば3月の祈り会か礼拝の中でもう一度、取り上げることができたらと思っています。

生命の危機の中でも冷静だったニール・アームストロング
 この『ファースト・マン』の主人公は先週も少し話した通り、人類で初めて月面に降り立ったニール・アームストロングです。ニールはもともとは海軍の戦闘機のパイロットで、朝鮮戦争では墜落も経験していますが、脱出してパラシュートで降りて生還しています。ニールが戦闘機のパイロット候補として海軍に入隊したのは第二次世界大戦が終わってから朝鮮戦争が始まるまでの間の期間でした。この頃は戦闘機がプロペラ機からジェット機に入れ替わる時期でした。ニールは海軍のパイロットですから、航空母艦(空母)からの離陸と着艦もできなければなりませんでした。ジェット・エンジンはプロペラ・エンジンに比べて遥かに出力が大きいですから狭い空母への着艦は当初は大変に難しくて事故も多かったようです。新しい技術が開発された頃にはトラブルは避けられません。奇しくもニール・アームストロングは若い頃にジェット戦闘機の初期の時代を経験しました。宇宙飛行士としての経験も同様です。ちょうど朝鮮戦争の終りごろぐらいから宇宙ロケットの開発が本格化しましたから、ニールはロケット開発の初期の時代に宇宙飛行士として数々の危険な目に遭って死に掛けたこともありました。しかし、ニールはいつも冷静沈着に事態に対処して生還を果たしました。その冷静沈着さの故に人類で最初の月着陸を目指すアポロ11号の船長に指名されたということです。月に着陸船が着陸する際も、月の地表はでこぼこだらけで着陸に適した場所がなかなか見つからず、燃料切れになる寸前まで粘ってようやく着陸することができました。着陸船を操縦していたのはもう一人のオルドリン飛行士でしたが、燃料切れが迫っている中でも無事に着陸できたのは、冷静沈着なニール・アームストロングがいたからこそのことでしょう。
 きょうのメッセージでもう一つ絡めたい話は、この今沢の教会でここ何年かの間に私たちが経験した嵐のことです。この嵐の中で私たちはどうだったでしょうか。私自身はイエスさまの弟子たちのように、あわてふためいてしまっていたと感じています。しかし教会員の皆さんの多くが冷静でいて下さいましたから助けられました。嵐が静まった今、A教会という港に向かって私たちが船を進めて行くことができているのは、教会の皆さんがイエスさまのように冷静でいて下さったおかげだと思っています。皆が私のように動転していたら、私たちのこの船は転覆してしまっていたかもしれません。そんな風に思っていますから、皆さんにはとても感謝しています。

広い視点から自己を客観視できたニール
 さて、もう一度『ファースト・マン』に戻ります。ニール・アームストロングは1930年の8月生まれで、アポロ11号が月に向かったのが1969年の7月ですからニールが月に着陸したのは39歳になる直前の38歳の時でした。そうして2012年の8月の、82歳になったばかりの頃に亡くなります。ですから彼の後半生は皆が彼を英雄視する中での人生だったと思います。しかし、彼自身はとても謙虚な人物だったようです。そうして、自分の伝記を書くことを誰にも許しませんでした。そんな彼も70歳の手前でこの『ファースト・マン』を書いたジェイムズ・ハンセンに伝記を書くことを許可して、長時間のインタビューを受けたということです。そして、伝記には必ずアームストロング家の祖先の話も書くべきと主張したそうです。彼は伝記とはそういうものだと考えていたそうです。著者のハンセンは、この本の第一章の書き出しを次のような文章で始めています。引用します。

「第1章 アメリカの創世記
 ニール・アームストロングは、自分のものであれほかの誰のものであれ、人の一生が始まるのは生まれ落ちたときではないと思っていた。始まりは、はるかにさかのぼってその人の家系が発生した時点、人の記憶や歴史的文書、系図に残された記録をたどれるかぎり何百年という昔にある。親や祖父母、曾祖父母、そのまた先の祖先たちの一生、経験や挑戦や業績、愛情や情熱を語らずには――奥行きの深い一族の過去をおろそかにしては――どんな伝記もごまかしでしかないと。ニールは自分の伝記には祖先の話も含めるよう主張して譲らなかった。
 ニールはまた、彼自身の家族の歴史が、アメリカでは多くの家族がそうであるように、果敢に新天地を目指した移民の物語であることを深く理解していた。自分の家族史を『アメリカの創世記』と称したこともある。」(河出文庫『ファースト・マン』上巻p.37)

  ニールのこの考え方のために、この伝記の最初の方には、まだアメリカに移住する前のヨーロッパにおけるアームストロング一族の歴史のことが書かれています。そして、アメリカ移住後のアームストロング家の祖先のことにもかなりのページが割かれています。
 つまり、ニール・アームストロングは自身がそれまでの人生で行って来たことを、そういう広い視点から見ていたのですね。自分の一生を数十年という自分が生きて来た中でだけ見ていたのでなく、もっと遥かに長いヨーロッパにおけるアームストロング一族の歴史の中に自分の一生を置いて眺めていたということです。そういう視点を持つことができる人物であったからこそ、あらゆる状況において自分を客観視することができて、命にかかわる緊急事態の中でも極めて短時間の間に生き残るための手段を見出して対処できたのかもしれません。
 彼が月の地表に足を踏み下ろした時の第一声は、とても有名です。

「That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.(これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」

 こういうことを言えるのは、普段から自分の行動を広い視点から客観視していた人だったからではないでしょうか。そして、そういう人だったからこそ、危険の中にあっても冷静でいられました。

イエスさまのミッションと私たちのミッション
 パニックに陥りやすい人は、自分の置かれている位置を狭い範囲でしか見られない人たちでしょう。イエスさまの弟子たちはその種の人たちでした。もう一度聖書に戻ります。マルコ4章37節と38節を、私のほうでお読みします。

4:37 すると、激しい突風が起こって波が舟の中にまで入り、舟は水でいっぱいになった。
4:38 ところがイエスは、船尾で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と言った。

 私たちの教会のここ何年間かを思い返しても、私自身は本当にここに書かれている弟子たちのように動転していたなと思います。そんな中、教会の皆さんが冷静でいて下さったために助けられましたから、感謝に思っています。皆さんも心の中では冷静ではいられなかったと思いますが、それを表に出さずにいて下さいました。私自身もこれから先は、どんな事態の中にあっても冷静でいられるように、ここであったことを教訓にして歩んで行きたいと思います。
 最初のほうで話したように、イエスさまはご自身のミッションを自覚しておられました。マルコの福音書のイエスさまが、ご自分がやがて苦しみを受けらことを最初に予告したのは、8章の31節においてです。ご一緒に読みましょう。

8:31 それからイエスは、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。

 弟子たちに予告したのがこの8章であっても、湖で嵐に遭った4章の時点でもイエスさまは当然このことを知っていたはずです。単に弟子たちに告げていなかっただけです。この8章31節の直前の29節で、ペテロは「あなたは、キリストです」と言いました。ペテロたちがここまで成長したから、受難と復活を予告したのであって、4章ではまだまだ予告できるような段階ではなかったということだと思います。
 イエスさまは、ご自分に与えられていたミッションを良く自覚していました。それゆえガリラヤの湖で死ぬはずなどなく、嵐の中でも冷静沈着でいられました。
 私たちにもミッションが与えられています。細かい点はそれぞれが置かれた立場で異なりますが、大きな視点から見れば、皆に同じ使命が与えられていると思います。それは、一人一人がイエスさまの証人になるということでしょう。少しのことで動転しているようでは、冷静沈着であったイエスさまの証人になることはできませんね。いま私はそれを反省し、教会の皆さんに感謝したいと思います。

おわりに
 私たちがイエスさまの証人になるべきことは使徒の働き1章8節に書かれていますね。最後に使徒1章8節をご一緒に読んで、終わりたいと思います。

1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」

 お祈りいたしましょう。
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空白の2年間(2019.2.13 祈り会)

2019-02-14 08:33:01 | 祈り会メッセージ
2019年2月13日祈り会メッセージ
『空白の2年間』
【創世記40:23~41:1】

40:23 ところが、献酌官長はヨセフのことを思い出さないで、忘れてしまった。
41:1 それから二年後、ファラオは夢を見た。見ると、彼はナイル川のほとりに立っていた。

はじめに

 聖書を読むと、深い平安が得られます。この深い平安を、どうやったら多くの方々と分かち合うことができるだろうかということを、このところ私はずっと考えています。このことを考え続けていることで、いろいろと示されることもありますから、感謝に思っています。きょうは、最近示されたことのいくつかを話したいと思います。

霊的な高みに連れて行ってくれる聖書
 まず、きのう示されたばかりのことを二つ話します。
 きのう私は『ファースト・マン』という映画を観て来ました。この映画はアポロ11号の船長のニール・アームストロングが主人公です。ニールはご存知のように人類で最初に月面に降り立った人です。彼はそれまで誰も足を踏み入れたことのない別世界に降り立つ経験をしました。アポロ11号ではもう一人、オルドリン飛行士も月面に降り立ち、次いでアポロ12号から17号に至るまで、アポロ13号を除いては何人かが月面に降り立っています。彼らは、私たち凡人が決して行くことができない高い場所に行きました。月は今までに人類が到達した最も高い場所です。そこに到達するためには宇宙飛行士たちは過酷な訓練を受けました。月は、そのような厳しい訓練をくぐり抜けた者たちだけが到達できる高い地点です。
 そして聖書という書物は、私たちを霊的な高みに連れて行ってくれる書物です。月に行くためにはロケットに乗って出掛けて行く必要があります。しかし、聖書という書物は神様の側が私たちを霊的に高い場所に誘い、引き上げて下さいます。ロケットは必要ありません。ロケットに乗れる人の人数は限られていますが、霊的な高みに引き上げられる人に人数制限はありません。ですから、そのことを望む人は誰でも神様によって引き上げていただけると言っても良いでしょう。とは言え、聖書はそんなに読みやすい書物ではありませんから、それほど簡単なことではないこともまた、私たちは知っています。では、どうすれば良いのでしょうか。

聖書を理解するには聖書以外も必要
 そんなことを考えていたら、昨日の晩にまた新しい気付きが与えられました。今週から札幌で日本カーリング選手権が開催されていて、その中継をNHKのBS1で放送しています。きのうの晩は、女子の中部電力とチーム京都の試合を生中継で放送していました。中部電力は、世界選手権にも出場したことがある、日本ではトップレベルのチームです。去年、平昌オリンピックで銅メダルを獲得したLS北見(ロコ・ソラーレ)の中心選手の藤澤五月選手もかつては中部電力に所属していました。一方、対戦相手のチーム京都は日本のチームの中ではかなりランクの低いチームです。ただし日本選手権は西日本ブロックからも1チームが出場できることになっていて、それで西日本ブロックを勝ち抜いて出場権を得ました。カーリング人気を北国だけでなくて全国的に広めるためには必要なことですね。しかし、いかんせん、実力があまりに違い過ぎますから、チーム京都は中部電力に大敗しました。
 一方的な試合でしたから、勝負を楽しむという点では今一つでしたが、ランクが低いチームの試合を見ることで学べる点も多くありましたから興味深かったです。というのは普段のカーリング中継はオリンピックや世界選手権がほとんどですから、私たちは大抵の場合トップレベルのプレーばかりを見ています。するとカーリングの何が難しいのかが良く分かりません。一方、きのうのチーム京都の選手はミスショットを連発していました。たまにまぐれでナイスショットがありますが、ほとんどの場合、狙った位置にストーンが行くことがありませんでした。それで、トップレベルの選手の凄さが改めてよく分かったというわけです。
 チーム京都の選手の中には、去年の平昌オリンピックを見てカーリングに興味を持って始めた、競技歴が1年の選手もいました。その選手は、やはりなかなか思った位置にストーンが行きません。それでテレビで実況していたアナウンサーが解説者に聞いていました。彼女たちは、これからどのような練習を積んで行ったら良いのでしょうか?すると解説者が答えていました。「とにかくたくさん投げることですね。それから、氷上以外でも体を鍛えなければなりません」などと言っていました。中部電力やロコ・ソラーレ、あるいは北海道銀行などのチームの選手たちがいる高みに上がるためには、氷上での練習はもちろん、氷上以外での練習も必要だということです。
 聖書においても、まずは聖書を繰り返し読むことが必要です。しかし、聖書以外のことも聖書理解に役立つであろうことを改めて示されて感謝に思いました。聖書以外の何が役に立つか、それは人それぞれだろうと思います。私の場合は、映画鑑賞が役に立っているように思いますから、きょうの残りの時間は、そのことについて話したいと思います。

『ラ・ラ・ランド』の空白の5年間
 私は聖書を少し理解できるようになって以降、映画の理解もまた深まったと感じています。聖書においては、見逃しがちな小さな場面が大きな意味を持つことがよくありますね。映画も同じです。そのことに気付くことで私の映画への理解が深まりました。そして、映画の理解が深まると、聖書の理解もまた深まるという相乗効果があると感じています。ですから、いま私は、映画好きの人に聖書を読む楽しさを伝えられるようになりたいと思い始めています。
 そこで今日と次の聖日の礼拝メッセージでは、先週の金曜ロードショーで放送していた映画『ラ・ラ・ランド』を例にして話してみたいと思います。月面に降り立った『ファースト・マン』については、きのう観たばかりの映画ですから、もう少し思いを巡らしてから機会があれば、また話すことにしたいと思います。
 先週の金曜ロードショーでテレビ放送された『ラ・ラ・ランド』は日本ではちょうど2年前の今頃に劇場公開されていました。私は確か2回ほど映画館で観ました。そして3回目を先週の金曜ロードショーで観ました。その先週の3回目に、2年前に映画館で観た時には気付かなかったことに気付き、この『ラ・ラ・ランド』という映画への理解を一層深めることができました。
 きょうはこの映画の細部には立ち入らないつもりですが、簡単に話しておくと、この映画の最後のほうで「Five years later」という文字が現れます。つまり「5年後」です。そうして場面が5年後に切り替わり、ヒロインの5年後の家庭の様子が写って、観客は戸惑うことになります。この映画を観た観客の多くは、「何で、そうなるの?」と思い、困惑したことでしょう。私も「エ~!」と思いました。この空白の5年間にいったい何があったのでしょうか。以前、映画館でこの映画を2回観た時には気付かなかったのですが、今回、テレビでこの映画を観ていて、空白の5年間に関するヒントが気付きにくい形で示されているのを発見しました。そうして、この5年間への思いを巡らすことで、この映画がますます好きになりました。このことについては、次の礼拝で話します。

創世記40章と41章の間の空白の2年間
 さて、残りの時間で聖書の話をします。先ほど創世記40章23節と41章1節を読みました。もう一度、私のほうでお読みします。

40:23 ところが、献酌官長はヨセフのことを思い出さないで、忘れてしまった。
41:1 それから二年後、ファラオは夢を見た。見ると、彼はナイル川のほとりに立っていた。

 もうお気付きだと思いますが、今、映画『ラ・ラ・ランド』の空白の5年間を話題にしましたから、今度はこの創世記40章と41章の間にある空白の2年間について思いを巡らしたいと思います。40章と41章の間の2年間は、ヨセフにとってどんな2年間だったのでしょうか。40章の13節と14節でヨセフは献酌官長に言いました。

40:13 三日のうちに、ファラオはあなたを呼び出し、あなたを元の地位に戻すでしょう。あなたは、ファラオの献酌官であったときの、以前の定めにしたがって、ファラオの杯をその手に献げるでしょう。
40:14 あなたが幸せになったときには、どうか私を思い出してください。私のことをファラオに話して、この家から私が出られるように、私に恵みを施してください。

 ですから、ヨセフはしばらくの間は、自分がここから出られるのではないかと大いに期待を持って過ごしたことでしょう。しかし、1ヶ月経っても2ヶ月経っても状況は変わりませんでした。これはつらいですね。期待した分、よけいにつらかったことでしょう。自暴自棄になって神様を呪ってもおかしくない状況です。性格がねじれてしまったとしても責めることはできません。しかし、ヨセフはそうはなりませんでした。
 ヨセフがファラオの夢の解き明かしをした場面については、皆さんも良くご存知だと思いますから、そこは飛ばして、41章の37節から41節までを交代で読みましょう。

41:37 このことは、ファラオとすべての家臣たちの心にかなった。
41:38 そこで、ファラオは家臣たちに言った。「神の霊が宿っているこのような人が、ほかに見つかるだろうか。」
41:39 ファラオはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをおまえに知らされたからには、おまえのように、さとくて知恵のある者は、ほかにはいない。
41:40 おまえが私の家を治めるがよい。私の民はみな、おまえの命令に従うであろう。私がまさっているのは王位だけだ。」
41:41 ファラオはさらにヨセフに言った。「さあ、私はおまえにエジプト全土を支配させよう。」

 こうして、ヨセフはエジプトでファラオに次ぐ第二の地位に就くことになりました。宰相とも総理大臣とも呼ばれます。

練られた品性が希望を生み出した2年間
 しかし、ヨセフの夢の解き明かしがどんなにすごいことであったとしても、エジプトという大国の指導的な地位に就くなどということが有り得るでしょうか。高い地位に就いて人を動かし、国を動かすことができる能力と、夢を解き明かす能力とは違うはずです。ということは、ヨセフはこの空白の2年間で、総理大臣になれるだけのものを身に着けたということでしょう。
 最後に、ローマ人への手紙5章の1節から5節をご一緒に読んで、終わることにします。

5:1 こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
5:2 このキリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。
5:3 それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、
5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。
5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

 ヨセフはエジプトで苦難の中にありました。そして、この苦難がヨセフの忍耐を生み出しました。そして忍耐が品性を生み出して、この品性によってヨセフはエジプトの総理大臣の地位に就きました。また、品性が希望を生み出しましたから、ヨセフは獄中で絶望することなく希望を持って日々を生きることができたのでしょう。
 ヨセフは信仰によって、いつかここから出られるという希望を持っていたことでしょう。もしかしたら、父ヤコブにもまた会えるという希望をも持っていたかもしれません。

おわりに
 私たちもイエスさまを信じることで希望を持って生きることができます。
 信仰の高みに引き上げていただくためにロケットは必要ありませんから、人数制限はありません。私たちは誰でも今よりももっと神様に近づかせていただくことができます。私たちが天に召された後への希望だけでなく、この世の信仰生活においても、神様に近づく希望が与えられていることを感謝し、日々を歩んで行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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特別でない中にある温かさ(2019.1.30 祈り会)

2019-01-31 18:43:56 | 祈り会メッセージ
2019年1月30日祈り会メッセージ

(前半)
『特別でない中にある温かさ』
【Ⅱヨハネ1~4】

1 長老から、選ばれた婦人とその子どもたちへ。私はあなたがたを本当に愛しています。私だけでなく、真理を知っている人々はみな、愛しています。
2 真理は私たちのうちにとどまり、いつまでも私たちとともにあるからです。
3 父なる神と、その御父の子イエス・キリストから、恵みとあわれみと平安が、真理と愛のうちに、私たちとともにありますように。
4 御父から私たちが受けた命令のとおりに、真理のうちを歩んでいる人たちが、あなたの子どもたちの中にいるのを知って、私は大いに喜んでいます。

はじめに
 うまく伝えられるか分かりませんが、この一週間私は「特別でない中にある温かさ」ということを感じ、思い巡らしましたので、前半はそのことをお証ししたいと思います。いろいろな例を挙げるので話があちこち飛びますが、最後は収束させて行きますから、ご辛抱いただきたいと思います。

合併に備えた前年の一年間

 一週間前の私は、教会総会の資料のコメント欄に何を書くべきかで非常に焦っていました。沼津教会の総会資料では前任の広瀬先生の時代から教勢(各集会の出席者数の動向)のページと財勢(各献金の額の動向)のページにコメントを書き入れることになっていて、最後のページには前年に関する総合評価を書くようになっています。私も広瀬先生の時代からの資料を踏襲して前年の教勢と財勢に関するコメントを記入して来ました。それらは、だいたい、「この数字が上がったのは感謝であった」とか「この数字が下がったので今年はもっと励みましょう」とか、そんなことでした。
 さてしかし、去年の一年間はA教会との合併に備える一年間でしたから、外向けの伝道活動はネットでの伝道を除けば特にしませんでした。合同礼拝でA教会に出掛けて行ったり、また、A教会や教団本部の先生に来ていただいてメッセージを取り次いでいただいたりするという特別な機会はありましたが、それらはいわば内輪の事情によるもので、外向けに何かをするということはありませんでした。クリスマスにも合同チラシには加わりましたが、私たちの教会でチラシを作って配布するということはしませんでした。そういう一年間を過ごしましたし、この教会としての活動はあと2ヶ月しかないのですから、去年の一年間の教勢と財勢の増減に関して何か私から偉そうにコメントをしても仕方のないように思いました。じゃあ、何をコメント欄に書けば良いか、何も思い浮かびませんでしたから、一週間前の私は焦っていました。

特別でない中にある温かさ
 そんな時に、ふと私のコメントでなく「みことば」を書いたらどうかと示されました。そうして試しに、ヨハネの手紙第二の1節から4節までを記入してみたところ、うまく当てはまった気がしました。そうして1世紀の教会の温かみを感じると共に、最初に言った「特別でない中にある温かさ」みたいなものを感じました。この独特の感覚を皆さんと分かち合うには、もっと説明が必要だと思いますから、少し話が飛びますが、今度は映画の話をします。
 去年の11月から『パウロ 愛と赦しの物語』という映画が全国で順次公開されています。聖書のパウロが主人公です。柿田川公園の向かいにあるシネプラザ・サントムーンでは昨年の11月頃に上映されていました。静岡市の東宝会館では今まさに上映中です。私はこの映画を観ようか観まいか少し迷いましたが、ネットで予告編を見て、観に行かないことに決めました(申し訳ありません)。なぜなら予告編で観るパウロが私の中にあるパウロのイメージとあまりに異なるからです。映画を観ることで私の中にあるパウロのイメージが壊されると困りますから映画は観ないことにしました。では私の中のパウロとは一体どんなイメージなのかと言うと、それは極めて漠然としたボワ~ンとしたものです。しかし私はそこにパウロの温かさを感じています。映画を観て、もしそのボワ~ンとしたものがシャープになってしまったら大変です。
 私が分かち合いたい「特別でない中にある温かさ」とは、そういうものです。映画のパウロは特別なパウロであって、そこに温かさを感じるのは難しいだろうと思います。また、温かさだけでなくパウロの大きさも矮小化されてしまうだろうと危惧します。ただし、パウロのことを全く知らない人にとっては、良い入口になるかもしれません。ですから、私は映画を全面的に否定する者ではありません。

ボワ~ンとしていることの大切さ
 さらに映画の話を続けます。先々週、恩田陸の『蜜蜂と遠雷』という小説の話をしました。私はこの小説をとても気に入っています。この小説の主人公の若きピアニストたちは、ピアノを演奏することで聴衆に宇宙を感じさせるような凄い人たちです。これまでの音楽の概念を打ち破る壮大な時空間を感じさせる、そういう描写に溢れたこの小説を読むと私はうっとりしてしまいます。それほどすごいこの小説が、何と映画化されるということです。ネットで検索してみたら、既にキャストも発表されていて撮影が進められているようです。どんな映画になるか興味がないわけではありませんが、私はこの映画を恐らくは観に行かないだろうと思います(申し訳ありません)。小説が描く壮大な世界が限定化されて矮小化されてしまうのは嫌だからです。私の中では主人公たちの顔もボワ~ンとしていますが、特定の俳優の顔がそこに入るのは困ります。私は、このボワ~ンとしていることが、とても大事だと考えます。
 今度は逆のプロセスの話をしたいと思います。今の私の中のイエスさまはボワ~ンとしたとても大きな存在です。しかし、教会に通い始める前、そして通い始めてからもしばらくの間は、よく見るステレオタイプのイエス像(長髪で髭を生やしていて、裾の長い着物を着ていて、など)に私は縛られていました。そのようなイエス像に縛られている間は、私はイエスさまには一切親しみを感じていませんでした。それがいつからか、私の中のイエスさまと絵画などで見るステレオタイプのイエス像とが区別することができるようになり、私はイエスさまに親しみを感じるようになりました。絵画のイエス像というのは画家のイエス像であり、私のイエスさま像ではありません。その画家のイエス像に支配されている間は自分のイエスさまにはなっていませんでした。

普段の営みの中の温かさ
 今度は死んだ父の写真の話をします。死んだ父の写真はたくさんあります。しかし、写真というのは、だいたい特別な時に撮ります。私が父のことを思い出して温かさを感じるのは特別でない時の父です。そういう時には写真を撮っていませんが、私の心の中にはそういう時の父の姿が残っていますから、ときどき特別でない時の父を思い出しては父の温かさを懐かしんでいます。
 また話が飛びますが、『男はつらいよ』という映画が私はとても好きです。この映画の魅力は、やはり団子屋の「とらや(くるまや)」のお茶の間の特別でない日常的な風景にあるのではないかと思います。寅さんが恋をするマドンナたちも「とらや」のお茶の間に迎え入れられて、ほっとする時間を過ごします。とらやの人たちもマドンナに対して特別に接するのでなく、普段通りにごく自然に接します。
 そうして、教会の良さも、そういう普段の交わりの中にある温かさのようなものが大切なのだろうなと思いました。新しい方々に来ていただくためには、もちろん特別な集会を行うこともまた必要です。しかし、普段の教会生活での交わりの中にある温かさもまた、とても大切であろうと思いました。ですから特別な集会を催した時にも、できるだけ普段の温かさを感じていただけるようにすることもまた、大切なのだろうなと思いました。
 昨年の私たちの教会は、教勢も財勢も下がりましたが、「特別でない中の温かさ」というボワ~ンとしたものを感じる経験ができたことは、とても感謝なことではなかったかなと感じました。

(後半)
『神様がすべてを与えて下さる』
【マタイ6:25~34】

6:25 ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。
6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。
6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。
6:28 なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。
6:30 今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。
6:31 ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。
6:32 これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。
6:33 まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。
6:34 ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。

葬儀で感じたこと
 後半は、先週の火曜日に私が参加した葬儀で感じたことを、少し細かい事情も含めて、お証ししたいと思います。

(中略)

 信仰がなければ、自力でお金を何とかしなければならないと当然思うでしょう。ですから、相続の機会にできるだけ多く譲り受けたいと考えるのは当然でしょう。信仰があっても、できるだけ多く譲り受けたいと考えるとは思いますが、あまりガツガツしなくても神様が何とかして下さると私たちは信じます。
 誰でも、よほどお金があり余っている人でなければ、ほとんどの人は、もう少しお金があったら良いのになと思っていることでしょう。しかし、神様が与えて下さるという信仰を持っているなら、比較的淡白でいられるでしょう。一方、自力で何とかしなければならないと思っている人たちは、どうしても、もらえる時には、もらえるだけもらっておこうということになるのではないでしょうか。
 イエスさまはマタイ6章31節でおっしゃいました。

「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。」

そして33節でおっしゃいました。

「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」

 どうしたら、このようにおっしゃるイエスさまに多くの方々が心を寄せることができるようになるでしょうか。

自分自身のイエスのイメージを持つことの大切さ
 少し強引かもしれませんが、きょうの前半の話とつなげたいと思います。それは、多くの人がイエスさまをボワ~ンとした大きな存在として感じられるようになっていただくことが必要だろうと思います。イエスさまのイメージがシャープであればあるほど、自分とは関係ないと感じるのではないかと思うからです。
 前半で私はパウロの映画を観ないと言いました。ネットにある予告編の映像は非常にシャープにパウロの姿を描いています。その映像がシャープであればあるほど私の中のパウロと掛け離れます。私の中のパウロはもっとボワ~ンとしています。ボワ~ンとしているからこそ、私はパウロに心を寄せることができます。
 イエスさまも同じです。ステレオタイプのイエス像が私を縛っていた時には、私はイエスさまに心を寄せることはできませんでした。そんなイエスに自分の将来を委ねるわけにはいきません。ステレオタイプのイエスが「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」と言っても私は言うことを聞きません。しかし、ボワ~ンとした私の中のイエスさまが「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます」とおっしゃるなら、そのことばに従いたいと思います。
 私たちは自力で何とかしようとするのでなく、神様にすべてをお委ねする信仰生活を共に歩んで行きたいと思います。そのためには、人から与えられたイエス像ではなくて、自分の中でしっかりとイエスさまに出会う必要があります。そのようにしてイエスさまと交わることができるようになることも含めて、私たちは神様にすべてをお委ねして歩んで行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。

「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」
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1月17日起工式勧話

2019-01-18 09:00:25 | 祈り会メッセージ
2019年1月17日A家・B店起工式勧話

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)

 本日は良いお天気の下で、このようにA家およびB店の新しい建物を建設する起工式を執り行うことができますから、とても感謝に思います。
 Aさんからお話を伺ったところでは、今お住まいの建物を建てる時にも、前任の牧師の広瀬先生が起工式を執り行って下さったということです。ということは、今の建物もまたイエス・キリストが土台として据えられているということです。
 そうしてイエスさまが、ここまでずっと、A家・B店の皆さんを祝福して下さっていたことを思い、大変にうれしく思います。これから建てられる建物での働きも、イエスさまが豊かに祝福して下さることを、お祈りしたいと思います。
 先ほどお読みしたマタイの福音書にあるように、イエスさまは「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」とおっしゃいました。これはイエス・キリストが弟子たちに対して言った言葉ですが、時間を越えて現代の私たちにもまた向けられている言葉だと私たちは受け留めています。なぜならキリストは永遠の中にいて、時間には縛られていないお方だからです。
 私たちがクリスマスを盛大にお祝いするのもそのためです。クリスマスはイエス・キリストの誕生をお祝いするものですが、それは救い主キリストの誕生が、過去の人々へのプレゼントだっただけでなく、現代の私たちへのプレゼントでもあるからです。そうして、イエスさまは現代の私たちに「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と語り掛けて下さっています。
 イエスさまは現代の人々を使って、このように語り掛けます。例えば私のような教会の牧師を使って、イエス・キリストがこのように言っていることを、伝えさせます。そして、今回Aさんから新しい建物を建設するという話を伺った時に、この地でのB店の働きにもまた、イエスさまが関わっていると感じました。なぜなら、今の建物の起工式は広瀬牧師が執り行い、その土台にはイエス・キリストが据えられているからです。そうしてイエスさまはこのB店で働いている方々を通して、ここを訪れる方々の心と体をほぐして、疲れた人・重荷を負っている人を休ませる働きをしているのだと、感じました。
 おととし、恩田陸が書いた『蜜蜂と遠雷』という小説が直木賞と本屋大賞をダブル受賞して話題になりました。この小説は浜松の国際ピアノコンクールがモデルになっているということです。そして、この小説の主人公の一人が「A」という若いピアニストなんですね。こちらのAさんと同じ苗字ですね。このA少年はピアノコンクールに新しい風を吹き込み、従来の枠に囚われないスケールの大きな演奏で多くの人々の心を動かしました。
 このA少年は自分の師匠と、こんな約束をしていたということです。それは「狭いところに閉じ込められている音楽を、広いところに連れ出す」という約束でした。そうしてA少年は国際ピアノコンクールに新しい風を吹き込みました。
 この小説を読んだ後で私は、イエス・キリストが疲れた人々を休ませる働きも、もっと広い場所で行われているのだなと思いました。教会の中で牧師が聖書を語る働きを通してだけでなく、B店で働く方々をも通して、疲れた人々の心と体をほぐして休ませる働きをして下さっているのでしょう。
 なぜなら、今ある建物にはイエス・キリストが土台として据えられているからです。そしてまた、この土地に新たに建てられる建物での新しい働きもまた豊かに祝福しようとして下さっているのだと思います。
 これから始まる建物の建設が、どうか安全に行われますように。きょう1月17日は阪神淡路大震災があった日でもあります。災害にも備えることができますようにお祈りしています。 そして、この地での新しい働きが豊かに祝福されますようにも、お祈りしています。
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新年の聖句の証し(2019.1.9 祈り会)

2019-01-10 11:23:23 | 祈り会メッセージ
2019年1月9日祈り会メッセージ
『新年の聖句の証し』
【エゼキエル1:25~28】

1:25 彼らの頭上にある大空から声があった。彼らが止まったとき、その翼は垂れた。
1:26 彼らの頭上、大空のはるか上の方には、サファイアのように見える王座に似たものがあり、その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがあった。
1:27 私が見ると、その腰と見えるところから上の方は、その中と周りが琥珀のきらめきのように輝き、火のように見えた。腰と見えるところから下の方に、私は火のようなものを見た。その方の周りには輝きがあった。
1:28 その方の周りにある輝きは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、まさに【主】の栄光の姿のようであった。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。

はじめに
 1月6日の礼拝では聖餐式の恵みに与ることができて感謝でした。私が沼津に来てから新年を6回迎えましたが、この6年間で新年に聖餐式を行ったのは初めてでしたね。やはり新年早々に他から教職の先生に来ていただいて聖餐式を執り行っていただくという感じには、なかなかなりませんから、私が昨年の3月に教職に任じられて聖餐式を執行できるようになったことは感謝だと思いました。

厳粛な気持ちになった時
 そのことは、とりわけ朝の礼拝の始まる前にパンとぶどう液の準備をしている時に感じました。お祈りをしてパンとぶどう液の準備をする時には非常に厳粛な気持ちになります。それは、どの季節であろうと変わりません。しかし今回初めて新しい年が始まってすぐの聖餐の準備をしていて、新年の聖餐の準備はまた格別に厳粛な気持ちになるなと感じました。
 そして、以前にも同じような厳粛な心持ちで似たようなことをしていた時のことを思い出しました。それは宗教的な儀式ではなくて、実験室で電子顕微鏡観察用の試料を週に何度も作っていた時のことです。
 実験では薄くした金属片をカミソリで切り出して観察していました。切り出す金属片の大きさは1mm×2mm程度です。大きさはぜんぜん違いますが、聖餐式用のパンを包丁で切る時に、金属片をカミソリで切っていた時のことを思い出しました。また、金属片を切り出す前には小さなシャーレに洗浄用のアルコール液を注いできれいに洗っていました。そのことを、ぶどう液を小さなカップに注いでいる時に思い出しました。どうして、聖餐式の準備の時に、実験室での作業のことを思い出したかというと、電子顕微鏡用の試料を作る作業も、心を整えて厳粛な気持ちで行う必要があるからです。
 ここで、その顕微鏡観察用の試料作りについて少し説明させていただきます。電子顕微鏡にも走査型電子顕微鏡のように試料の表面を観察するタイプと、透過型電子顕微鏡のように試料の内部を観察するタイプがあります。私が使っていたのは後者の透過型で、電子が試料の中を透過していくタイプです。ですから試料があまり厚いと電子が透過しません。そのために試料をペラペラに薄くする必要があります。薄くする方法はいろいろありますが、私が主に用いていたのは電解研磨です。硫酸や酢酸などの化学薬品に金属の試料を浸して電気を流すと金属が薬品の中に溶け出して薄くなるというものです。使う薬品は試料によって異なります。私が主に担当していたのはアルミニウムとニッケルでした。アメリカの研究所にいた時には銅の電解研磨もしていました。難しいのは電圧と薬品の温度のコントロールです。電圧と温度が高すぎると金属の試料はあっという間に溶けてしまって無くなってしまいます。かと言って電圧と温度を低くしてゆっくり研磨すれば良いというわけでもありません。金属の表面には酸化膜が付いていますから、電圧と温度が低すぎると酸化膜がきれいに取れてくれなくて、電子顕微鏡観察に適さないからです。
 ですから研究室に配属されたばかりの大学4年生の頃は、電解研磨がなかなか上手くできなくて苦労しました。また、電解研磨が上手くできても1mm×2mm程度の小さな切片に切り出して観察用のメッシュに置く作業を上手に行う必要があります。何しろペラペラに薄いですから、両手に持ったピンセットの手元が狂うとすぐにクシャクシャになってしまいます。これも4年生の時には苦労しました。手がちょっと震えただけで、試料はクシャクシャになってしまいます。大学院生になった頃には落ち着いてできるようになり、手の震えも止まるようになりました。もう一つ、試料作りで神経を使うのが試料のアルコール洗浄です。アルコールにゴミが混じっていると試料が部分的に見えなくなってしまいます。倍率で良く使っていたのは5万倍と10万倍でした。10万倍で観察すると小さなゴミでも巨大なゴミになります。そういうわけで、電子顕微鏡観察用の試料作りは、とても気を使う繊細な作業でした。
 ただし、まだ何の実験操作も加えていない試料の場合は電子顕微鏡の試料にする際に失敗してもまた何度でも作り直すことができます。金属や薬品が少し無駄になる程度です。しかし、私が携わっていた原子炉を使った中性子照射実験などの試料の電解研磨は失敗するわけに行きません。研磨する時の温度が高すぎて試料が全部溶け出してしまったとか、カミソリで切り出す時にクシャクシャにしてしまったとか、アルコール洗浄に失敗して試料がゴミだらけになってしまったからと言って、もう一回原子炉を動かしてもらって中性子照射をしてもらうというわけにはいきません。すべてが一回限りの実験です。
 そういう絶対に失敗できない試料作りには、本当に心を落ち着かせて厳粛な心持ちで臨む必要があります。そういう日々を過ごしていた時のことを図らずも聖餐式の準備をしている時に思い出しました。そして、電子顕微鏡の観察もまた厳粛な気持ちで臨む必要があります。電子顕微鏡の調整が上手くできていないと、原子レベルの細かい観察ができないからです。心が整っていないと細かい観察はできません。そのこともまた、今回思い出しました。

神聖な雰囲気が漂う入試会場
 それから今日はもう一つ、私が大学に勤めている時に経験していた厳粛な雰囲気の場について証したいと思います。それはセンター試験などの大学入試の試験会場です。大学の教員はだいたい毎年試験監督を務めます。その試験会場にはやはり独特の厳粛な雰囲気が漂います。特に入試の一日目の最初の科目では非常に張り詰めた雰囲気になります。試験も二日目になれば、だいぶ柔らかい雰囲気になりますが、一日目の最初の科目は非常に厳粛な雰囲気が漂います。特に試験問題と解答用紙を配り終えてから試験が始まるまでの数分間は神聖な雰囲気すら感じます。受験生の将来がこの試験で決まりますから、そこに神様の臨在が強く現れているのかもしれません。
 こういう神聖な雰囲気が味わえる試験監督の業務が私は嫌いではありませんでした。試験監督は大変だし、その間は仕事もできないので嫌いだという先生が多かったですが、私は神聖な雰囲気が味わえる試験監督が嫌いではなく、好きだったと言っても良いかもしれません。もしかしたら、そういう点も牧師に適していて、召し出されたのかもしれません。電子顕微鏡用の試料作りと電子顕微鏡観察、そして入学試験の会場で味わう厳粛な雰囲気に慣れ親しんでいたことが牧師に召し出されることの要因の一つになっていたかもしれません。そして私が中古の住宅を会堂にするのではなく、専用の会堂を建てることにこだわったのも、そういう要因があったのかもしれないなと思いました。

新年に与えられたエゼキエル書の聖句

 さて前置きが長くなりましたが、ここからようやく、みことばの話に入って行きます。と言っても、きょうはすべて私のお証です。6日の新年礼拝で、1月2日に防潮堤の上から虹を見た話をしました。虹を見ていた時、私はとても厳粛な雰囲気に包まれていました。聖餐式の準備、電子顕微鏡の試料作り、電子顕微鏡観察、入学試験の会場で厳粛な心持ちになっていた話を長々と前置きとして話したのは、1月2日に虹を見ていた時の私もまた、厳粛な心持ちであったことを証ししたかったからです。そうして私に個人的に与えられた新年の聖句が、エゼキエル1章の28節です。

1:28 その方の周りにある輝きは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、まさに【主】の栄光の姿のようであった。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。

 というわけで、きょうのこの時間はすべて私のお証になってしまいますが、それだと申し訳ありませんから、学びの要素も少しだけ入れるようにします。
 エゼキエルが、いつどこでこの光景を目にしたのか、それは1章の始めのほうに書いてあります。

1:1 第三十年の第四の月の五日、私がケバル川のほとりで捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々しい幻を見た。
1:2 それはエホヤキン王が捕囚となってから五年目の時であった。その月の五日に、
1:3 カルデア人の地のケバル川のほとりで、ブジの子、祭司エゼキエルに【主】のことばが確かに臨んだ。その場所で【主】の御手が彼の上にあった。

 この時、エゼキエルはバビロンに捕囚として引かれて来たエルサレムの民と共にいました。ただし、この時のエルサレムはまだ滅亡までには至っていませんでした。2節にエホヤキン王が捕囚となってから5年目とあることから、それが分かります。この前後の出来事を列王記第二の記事で確認しておきたいと思います。列王記第二24章8節を見て下さい(旧約聖書p.699)。

24:8 エホヤキンは十八歳で王となり、エルサレムで三か月間、王であった。

とありますから、エホヤキン王は三ヶ月間在位しただけで、バビロンに引かれて行きました。13節から15節に次のように記されています。

24:13 バビロンの王は、【主】の宮の財宝と王宮の財宝をことごとく運び出し、【主】の神殿の中にあるイスラエルの王ソロモンが作ったすべての金の用具を切り裂いた。【主】が告げられたとおりであった。
24:14 彼はエルサレムのすべて、すなわち、すべての高官、すべての有力者一万人、それに職人や鍛冶もみな、捕囚として捕らえ移した。貧しい民衆のほかは残されなかった。
24:15 彼はさらに、エホヤキンをバビロンへ引いて行き、王の母、王の妻たち、その宦官たち、この国のおもだった人々を、捕囚としてエルサレムからバビロンへ行かせた。

 そうして、その年のうちにエホヤキンに代わってゼデキヤが王になりました。そうして25章1節と2節を見ると、

25:1 ゼデキヤの治世の第九年、第十の月の十日に、バビロンの王ネブカドネツァルは、その全軍勢を率いてエルサレムを攻めに来て、これに対して陣を敷き、周囲に塁を築いた。
25:2 こうして都はゼデキヤ王の第十一年まで包囲されていた。

とありますから、エルサレムが滅亡したのはゼデキヤ王の11年です。8節から10節までをお読みします。

25:8 第五の月の七日、バビロンの王ネブカドネツァル王の第十九年のこと、バビロンの王の家来、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、
25:9 【主】の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。
25:10 親衛隊の長と一緒にいたカルデアの全軍勢は、エルサレムを取り巻く城壁を打ち壊した。

 この焼かれた主の宮がエズラ記の時代に再建され、打ち壊された城壁がネヘミヤ記の時代に再建されたのですね。
 さてエゼキエル1章28節に戻ります。

1:28 その方の周りにある輝きは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、まさに【主】の栄光の姿のようであった。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。

 この時、エルサレムはまだ滅亡していませんでした。この段階で主はエゼキエルを召し出して言いました。2章の3節と4節、

2:3 その方は私に言われた。「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの民に、わたしに反抗する国民に遣わす。彼らもその先祖たちも、今日までわたしに背いてきた。
2:4 彼らは厚かましく、頑なである。わたしはあなたを彼らに遣わす。あなたは彼らに『【神】である主はこう言われる』と言え。

 当時のエルサレムと現代の日本はもちろん全然違います。しかし人々が4節にあるように「厚かましく、頑なである」点においては、あまり変わらないようにも思います。
 それゆえ1月2日に虹を見て私は、これからも聖書のことばを宣べ伝えるように主から励ましを受けているように感じています。幹事の方が配って下さった「恵みの分かち合い」の紙には、このことを書こうと思います。
 今年も皆さんと、恵みの分かち合いができることを感謝に思います。
 お祈りいたしましょう。

1:28 その方の周りにある輝きは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、まさに【主】の栄光の姿のようであった。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。
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異邦人の救いの恵みに与ったルカ(2018.12.19 祈り会)

2018-12-20 14:34:31 | 祈り会メッセージ
2018年12月19日祈り会メッセージ
『異邦人の救いの恵みに与ったルカ』
【ルカ2:25~32】

2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。
2:26 そして、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。
2:27 シメオンが御霊に導かれて宮に入ると、律法の慣習を守るために、両親が幼子イエスを連れて入って来た。
2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
2:29 「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。
2:30 私の目があなたの御救いを見たからです。
2:31 あなたが万民の前に備えられた救いを。
2:32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。」

はじめに
 きょうはルカという人に注目します。先々週はマルコに注目し、先週はマタイに注目しました。マルコはパウロとバルナバの第一次伝道旅行に同行しましたが、早々に離脱するという挫折の経験を持っていました。しかし、後に聖霊の力を得て用いられる人物になり、マルコの福音書を書くという大きな働きをしました。
 マタイは取税人で、ユダヤ人たちから見れば罪人と一くくりにされるような嫌われ者でした。しかし、イエスさまに声を掛けられて付き従って行くことで、後にマタイの福音書を書くという大きな働きをしました。

異邦人だったルカ

 マルコは挫折体験を持ち、マルコは取税人であったという特徴がありますが、ルカは異邦人であったことが特徴として挙げられると思います。マルコもマタイもユダヤ人でしたが、ルカは異邦人でした。それゆえだと思いますが、ルカの福音書では「異邦人の救いが」強く意識されていることを感じます。今ご一緒に読んだシメオンの賛歌もそうですね。シメオンは神様をほめたたえて、神様の御救いを見たと言いました。それは万民の前に備えられた救い、すなわちユダヤ人だけではなくて異邦人をも含めた救いでした。
 ルカが異邦人であったことがどこから分かるかというと、コロサイ書から分かります。コロサイ4章の10節から14節までを交代で読みましょう(新約聖書p.406)。

4:10 私とともに囚人となっているアリスタルコと、バルナバのいとこであるマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もし彼があなたがたのところに行ったら迎え入れるように、という指示をあなたがたはすでに受けています。
4:11 ユストと呼ばれるイエスも、よろしくと言っています。割礼のある人では、この三人だけが神の国のために働く私の同労者です。彼らは私にとって慰めになりました。
4:12 あなたがたの仲間の一人、キリスト・イエスのしもべエパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼はいつも、あなたがたが神のみこころのすべてを確信し、成熟した者として堅く立つことができるように、あなたがたのために祈りに励んでいます。
4:13 私はエパフラスのために証言します。彼はあなたがたのため、またラオディキアとヒエラポリスにいる人々のため、たいへん苦労しています。
4:14 愛する医者のルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。

 10節と11節にアリスタルコとマルコ、そしてユストの三人がよろしくと言っているとありますが、この三人は割礼を受けたユダヤ人であったことが11節に書かれています。ですから、その後の12節と13節に出て来るエパフラスも、そして14節に出て来る医者のルカとデマスも異邦人でした。

異邦人の救いで閉じられた使徒の働き
 ルカは自分が異邦人であるにも関わらず救いの恵みに与ったことを、とても感謝に思っていて、その感謝の思いがルカの福音書と使徒の働きの二つの書に反映されているように感じます。それは使徒の働きの終わり方からも感じ取ることができます。使徒の働きの28章の28節から31節までを交代で読みましょう(新約聖書p.296)。

28:28 ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らが聞き従うことになります。」
28:30 パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、
28:31 少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。

 ルカはパウロがローマの異邦人たちに神の国を宣べ伝えたことを書いて、この使徒の働きを閉じています。ルカがなぜ、この続きを書かなかったのか、この後のパウロがどこで何をして、どのようにして死んだのかを何故書かなかったのか、いろいろなことが言われていますが、今回、私はルカについて思い巡らしていて、次のように思いました。それは、ルカはルカの福音書とそれに続く使徒の働きの一連の物語を、この場面で締めくくることを初めから決めていたのではないかということです。パウロが異邦人たちに神の国の福音を宣べ伝えたことをラストの場面にすると決めて、そこから遡って行って福音書と使徒の働きの全体の構成を考えたのではないかと思いました。それはルカが、自分がパウロと出会ったから救われて自分自身もイエス・キリストと出会うことができたということを強く意識していた故に、そこから遡り、もしパウロがダマスコ途上でイエス・キリストと出会わなかったら、自分も救われることがなかったという風に、順次遡って行った、そんな気がします。

過去に遡る形のルカの福音書の系図
 そう感じるのは、何となくそう思うというだけでなく、私自身も自分が救われた経緯を遡って考えることが良くあるからです。私は高津教会で救われましたが、その前に私を教会に導いてくれた韓国人に出会わなければ高津教会に導かれることはありませんでした。また、その韓国人に出会う前に高津のアパートに住むように導かれなければ、高津教会に行くことはありませんでした。また、東京で働くように導かれなければ、高津に住むことはありませんでした。また、東京では留学生センターで日本語教育を担当していましたが、その前に名古屋で働いていた時に、日本語教師をしていた人に出会わなければ、自分も日本語教師になろうとは決して思わなかったと思います。そのようなことがあって、自分が救いに導かれて今は牧師になったのだということを、私はしばしば過去に順次遡る形で振り返っています。私だけでなく、他の方々でもそのようにして過去へ遡って行くことはあると思います。
 そしてルカもまたそうであったのではないかという根拠は、もう一つあります。それはルカの福音書の系図が過去へと遡っているということです。ルカの福音書3章の23節を見ていただくと、ルカは23節で、

3:23 イエスは、働きを始められたとき、およそ三十歳で、ヨセフの子と考えられていた。ヨセフはエリの子で、さかのぼると、

と書いて過去へと遡って行きます。31節にダビデの名があり、34節にヤコブ、イサク、アブラハムの名があり、そうして38節で

3:38 エノシュ、セツ、アダム、そして神に至る。

と書いています。
 マタイの福音書の系図はアブラハムから始まっていますから、イスラエル人の救いのことが強く意識されていることが感じられます。しかしルカはアブラハムを突き抜けてさらに遡り、アダムそして神様に至ります。それは神様がイスラエル人だけでなく異邦人をも含むすべての人を救って下さることをルカが強く意識していたからではないか、今回の思い巡らしで私はそのように感じました。

イエスを信じようとしないユダヤ人
 そうするとルカ15章の「放蕩息子の帰郷」の物語も、異邦人の救いが語られているのではないかという気が、ますますして来ます。つまり弟息子は異邦人であり、アブラハムの時代に父の家を出たけれども使徒の時代に父の家に帰った、そういう壮大な物語ではないかという気がします。ですから兄息子とは、父の近くにいながら心は父から離れているユダヤ人のことです。
 そう考えたいと思うのは、この「放蕩息子の帰郷」の物語は使徒の働き28章の終わり方とも良く一致するからです。もう一度、使徒28章に戻っていただき、17節を見ていただくと、

28:17 三日後、パウロはユダヤ人のおもだった人たちを呼び集めた。

とありますから、この28章でパウロはユダヤ人たちを相手に話をしていました。そして23節、

28:23 そこで彼らは日を定めて、さらに大勢でパウロの宿にやって来た。パウロは、神の国のことを証しし、モーセの律法と預言者たちの書からイエスについて彼らを説得しようと、朝から晩まで説明を続けた。

 パウロはさらに大勢のユダヤ人たちに話をしました。しかし、24節に、

28:24 ある人たちは彼が語ることを受け入れたが、ほかの人たちは信じようとしなかった。

とあります。ですから、先ほども読んだ28節のようにパウロは言ったのですね。

28:28 ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らが聞き従うことになります。

ユダヤ人と異邦人の両方に宣べ伝えられた福音
 福音はユダヤ人と異邦人の両方に宣べ伝えられました。有名な使徒の働き1章8節には、こうあります。

1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。

 ルカは、弟子たちがユダヤと地の果ての異邦人の地でイエス・キリストの証人となるとイエスさまが話したと伝えています。また、ルカの福音書のおしまいの24章でもイエスさまが弟子たちの心を開いて聖書を悟らせるために、こう言ったことを伝えています。46節から48節までをお読みします。

24:46 「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
24:47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』エルサレムから開始して、
24:48 あなたがたは、これらのことの証人となります。」

 ここでもエルサレムから開始して、あらゆる国の人々にイエスさまの名によって罪の赦しを得させる悔い改めが宣べ伝えられるとしています。ルカは異邦人の救いだけを意識していたのではなく、必ずユダヤ人もセットにしています。きょう最初にご一緒に読んだ「シメオンの賛歌」も同様です。「シメオンの賛歌」だけを見ると異邦人の救いしか語られていないように見えますが、その前の「マリアの賛歌」と「ザカリヤの賛歌」ではユダヤ人の救いが語られています。
 それはルカが、先ずユダヤ人のパウロが救われ、それから異邦人の自分が救われたことを強く意識していたからではないか、そのように思います。ルカは使徒の働きの中で三回も、パウロがダマスコ途上でイエス・キリストに出会ったことを書いています。それは、このことをパウロがとても大切に思っていたということもあったと思いますが、パウロがイエス・キリストに出会わなければ自分もまた救われることはなかったとうことをルカも強く感じていたからではないかと思います。

おわりに
 そして私たち日本人も、パウロがイエスさまと出会わなければ、救われることはありませんでした。さらに遡るなら、パウロの前にイエスさまの地上生涯が無ければ、パウロがイエスさまによって救われることはありませんでした。パウロがイエスさまと出会う前にイエスさまは地上生涯を過ごし、十字架に付けられて死に、三日後によみがえって天に昇りました。そして、このことをイエスさまの弟子たちが宣べ伝えましたから、パウロは彼らを迫害して、イエスさまと出会うことができました。
 そのイエスさまの地上生涯は、ヨセフとマリアの子として生まれたことから始まりました。イエスさまがこの世に生まれて下さって弟子たちと出会い、弟子たちがイエス・キリストを宣べ伝えたからパウロが彼らを迫害して、パウロがイエスさまと出会い、そうしてルカはパウロと出会い、ルカの福音書を書き、私たちも福音書のイエスさまを信じてイエスさまと出会うことができるようになりました。
 クリスマスを目前にした今、改めてこのことに思いを巡らし、イエスさまがこの世に来て下さったことを感謝したいと思います。
 お祈りいたしましょう。

2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
2:29 「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。
2:30 私の目があなたの御救いを見たからです。
2:31 あなたが万民の前に備えられた救いを。
2:32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。」
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福音書の記者たちと交わる喜び(2018.12.12 祈り会)

2018-12-13 10:16:23 | 祈り会メッセージ
2018年12月12日祈り会メッセージ
『福音書の記者たちと交わる喜び』
【マタイ9:9~13、他】

9:9 イエスはそこから進んで行き、マタイという人が収税所に座っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われた。すると、彼は立ち上がってイエスに従った。
9:10 イエスが家の中で食事の席に着いておられたとき、見よ、取税人たちや罪人たちが大勢来て、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。
9:11 これを見たパリサイ人たちは弟子たちに、「なぜあなたがたの先生は、取税人たちや罪人たちと一緒に食事をするのですか」と言った。
9:12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。
9:13 『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」

はじめに
 先週の祈り会ではマルコという人に注目しました。マルコはパウロとバルナバの第一次伝道旅行に同行しましたが、最初の訪問地のキプロス島での伝道を終えたところで一行から離脱しました。それは、この時のマルコがまだ聖霊に満たされていなかったために、イエス・キリストの証人になるための聖霊の力を受けていなかったからではないかという話をしました。
 その後、マルコはパウロにも信頼されるようになり、主に用いられる人物へと成長しました。そして『マルコの福音書』を書くという大きな働きをしました。この時のマルコはもちろん聖霊に満たされていたでしょう。『マルコの福音書』では1章の早い段階でイエスさまが聖霊のバプテスマを授けるお方であることが明らかにされ、イエスさまご自身も天から聖霊を受けました。このようにマルコが福音書の始めの部分で聖霊についての記事を立て続けに書いているのは、マルコ自身が聖霊を受けることの大切さを身に染みて分かっていたからではないか、そんな話をしました。

喜んでイエスを家に招いたマタイ
 きょうは、マタイという人に注目したいと思います。そして、きょうも「聖霊」をキーワードにしてマタイについて思いを巡らしたいと思います。ただし、新約聖書の中でマタイという名前が出て来る箇所は、先ほどご一緒に読んだ場所ぐらいです。あとは十二弟子の名前が挙げられた時に出て来るぐらいです。先週のマルコの場合は使徒の働きの他にパウロの手紙とペテロの手紙にも名前が出て来ましたから、もう少し思い巡らしをするための材料がありました。それに比べるとマタイの場合はやや材料が少ないと感じます。ただし、先ほどご一緒に読んだ箇所はマルコの福音書とルカの福音書にも並行記事があり、そこでは取税人の名前がレビになっています。記事の類似性から、このレビという取税人はマタイのことであろうと考えられます。そこで、ルカの並行記事も参考にしながら、マタイという人について思いを巡らしたいと思います。
 ルカを見る前に、マタイの9章10節を見ておきます。

9:10 イエスが家の中で食事の席に着いておられたとき、見よ、取税人たちや罪人たちが大勢来て、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。

 10節でイエスさまは家の中で食事の席に着いておられたとありますが、ここには誰の家で食事をしていたのかということが書かれていません。それから、どのような食事であったかも書かれていません。それはマタイが自分の家のことなので遠慮して書かなかったのではないかと想像されます。『ルカの福音書』を見ると、それはレビの家であり、レビは盛大なもてなしをしたとルカは書いています。では次に、マタイの記事の並行記事を『ルカの福音書』のほうでご一緒に読みましょう。ルカ5章27節から32節までです。

5:27 その後、イエスは出て行き、収税所に座っているレビという取税人に目を留められた。そして「わたしについて来なさい」と言われた。
5:28 するとレビは、すべてを捨てて立ち上がり、イエスに従った。
5:29 それからレビは、自分の家でイエスのために盛大なもてなしをした。取税人たちやほかの人たちが大勢、ともに食卓に着いていた。
5:30 すると、パリサイ人たちや彼らのうちの律法学者たちが、イエスの弟子たちに向かって小声で文句を言った。「なぜあなたがたは、取税人たちや罪人たちと一緒に食べたり飲んだりするのですか。」
5:31 そこでイエスは彼らに答えられた。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人です。
5:32 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」

 29節を見ると、「レビは、自分の家でイエスのために盛大なもてなしをした」とあります。ここからは、レビ、恐らくはマタイが非常に喜んでいた様子を想像することができます。それは、同じルカの福音書のザアカイの記事からも想像できます。ルカは取税人のザアカイが喜んでイエスさまを迎えたと書いています。ですから、マタイもまた喜んでイエスさまを家に迎えて、その喜びのゆえにイエスさまを盛大にもてなしたのでしょう。

さらに喜びに溢れていた福音書執筆時のマタイ
 さて、きょう思いを巡らしたいのは、福音書を執筆していた時のマタイはどうであっただろうかということです。マタイが地上生涯のイエスさまに出会った時、マタイは喜びました。では、福音書を書いている時のマタイはどうであったでしょうか。私は、マタイは地上にいるイエスさまと会った時よりも、もっと大きな喜びに包まれながら福音書を書いていただろうと想像します。それは、マタイが聖霊に満たされていたからです。マタイは福音書を書き始める前には、この書の構成をどうするか、かなりの時間を掛けて構想を練ったはずです。その構想の段階から助け主である聖霊がマタイに様々な助言を与えていたことでしょう。何しろ、この福音書は、これから多くの人々を救いへと導くことに用いられる書となることを聖霊はご存知でしたから、マタイへの助言も密度の濃いものであったでしょう。マタイは自分の耳で地上のイエスさまの話を聞いた時のことを思い出しながら書いたと思いますが、話を聞いていた当時はまだマタイは聖霊を受けていませんでしたから、イエスさまのことばを十分には理解できていなかったはずです。しかし、使徒の時代になって聖霊に満たされたマタイには、よく理解できるようになっていました。
 ヨハネの福音書のイエスさまは次のようにおっしゃっていました。

「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:26)

 マタイは、この助け主である聖霊の助言があったからこそ、地上のイエスさまのことばを『マタイの福音書』の中で再現することができました。このように聖霊の助言を受けながら福音書を書き進めて行ったマタイは、彼がイエスさまと出会った時にイエスさまを家に招いて盛大にもてなした時以上に、大きな喜びを感じていたことと思います。それはマタイが霊によって燃やされていたからです。

福音書の記者たちと交わる喜び
 私たちが福音書を読む時も、信仰の成長の度合いによって喜びの大きさが異なります。まだイエスさまを信じていない時は、福音書を読んでもよく分からないことのほうが多いですから、喜びはほとんど感じられないでしょう。しかし、イエスさまを信じて聖霊を受けると、聖霊の助言を得ることができるようになりますから、福音書が段々と理解できるようになります。そうして、イエスさまをどんどん身近に感じるようになり、イエスさまが2000年前の人々に話していることばが、まるで現代の自分に語り掛けていることばであるように感じるようになります。これは聖霊を受けていない人には分からない大きな喜びです。
 福音書には、そういう不思議な力があります。それは福音書の記者たち自身が大きな喜びに包まれながら、福音書を書いていたからではないかと思います。物を書くことには苦しみも伴いますから、福音書の記者たちも苦しみながら書いていたかもしれません。しかし、もし苦しみしかなかったとしたら、読者はそこに喜びを感じることはできないでしょう。記者たちが苦しみを上回る喜びの中で書き進めているからこそ、私たち読者は福音書を読むことで喜びがに包まれるのだと思います。それは私たち読者が聖霊を通して福音書の記者たちとの親しい交わりの中に入れられるのだと言っても良いと思います。
 ヨハネの手紙第一の1章1節から4節までを交代で読みたいと思います。

1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。
1:2 このいのちが現れました。御父とともにあり、私たちに現れたこの永遠のいのちを、私たちは見たので証しして、あなたがたに伝えます。
1:3 私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。
1:4 これらのことを書き送るのは、私たちの喜びが満ちあふれるためです。

 この手紙は『ヨハネの福音書』の記者のヨハネが書いたものですが、マタイもまったく同じ気持ちだったであろうと思います。マタイもまた自身が経験した地上のイエスさまとの交わりを人々に伝えました。そして『マタイの福音書』を通じて多くの人々が御父また御子イエス・キリストとの交わりの中に招き入れられました。このことはマタイにとっても喜びが満ち溢れる素晴らしいことだったでしょう。このように、イエス・キリストの証人になろうとする者には、聖霊の力が与えられますから、より一層濃密に聖霊との交わりを感じることができて、その者は喜びに満ち溢れます。
 マタイが一人でイエスさまとの思い出にふけっていたとしても、それはそれで喜びを感じることができたでしょう。しかし、その自分の思い出を独り占めにしないで多くの人々に証言する時、さらに大きな喜びが聖霊によってもたらされます。

おわりに
 きょうはマタイについて、思いを巡らしました。マタイがイエスさまを家に招きいれて盛大にもてなした時、マタイは喜びに溢れていました。しかし、マタイが福音書を書いていた時は聖霊に満たされ、聖霊から助言を受けることで、さらに大きな喜びに溢れていたであろうことを思い巡らすことができましたから、感謝に思います。
 クリスマスのこの時期に、この喜びの輪に加わる人がおこされますことを、祈り願いたいと思います。
 お祈りいたしましょう。

1:3 私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。
1:4 これらのことを書き送るのは、私たちの喜びが満ちあふれるためです。
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聖霊の力を受けていなかったマルコ(2018.12.5 祈り会)

2018-12-06 09:09:42 | 祈り会メッセージ
2018年12月5日祈り会メッセージ
『聖霊の力を受けていなかったマルコ』
【使徒13:13】

13:13 パウロの一行は、パポスから船出してパンフィリアのペルゲに渡ったが、ヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰ってしまった。

はじめに
 この使徒13章13節に出て来るヨハネとは、皆さんご承知の通りマルコのことです。きょうはマルコという人について思いを巡らし、そうして今一度マルコの福音書のメッセージにも思いを巡らしてみたいと思います。
 今一度マルコの福音書のメッセージに思いを巡らしたいと言ったのは、先聖日のアドベント第一礼拝でマルコの福音書を開いたからです。今年の12月は聖日が5回あります。そのうち1回はシオン教会との合同礼拝ですから、私が説教を担当するのは4回です。その4回のメッセージのそれぞれで四つの福音書を1回ずつ開くことにしています。1回目の先聖日はマルコを開きました。
 マルコを開く先月には、旧約聖書の全体を眺めました。イスラエルの民がすぐに神様から離れてしまったのは結局のところ聖霊を受けていなかったからであったという観点から旧約聖書を眺めてみました。そうして、そのような観点で四つの福音書の中で一番最初に書かれたと考えられるマルコの福音書を読むなら、マルコがイエスさまの生誕物語を描かずに、この書の早い段階で「この方は聖霊によってバプテスマをお授けになります」というバプテスマのヨハネのことばを書き、そのすぐ後でイエスさまご自身がヨハネから水のバプテスマを受けて、水の中からあがると御霊が鳩のように降ったことを書いた意図が見えて来ます。それはマルコが早い段階で読者に聖霊のバプテスマを受けることの大切さを伝えたかったのではないかということです。
 この先聖日のメッセージを準備している時に私はマルコとは、どういう人であったかについても少し思いを巡らしていました。しかし、時間の関係でマルコという人については何も話しませんでした。そこで今日はマルコという人を取り上げたいと思います。

聖霊の力を受けていなかったマルコ
 さてマルコと言えば、やはり先ほどご一緒に読んだ使徒13章13節が有名です。もう一度お読みします。

13:13 パウロの一行は、パポスから船出してパンフィリアのペルゲに渡ったが、ヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰ってしまった。

 マルコはパウロの第一次伝道旅行が始まった早々に離脱してしまいました。このことはマルコ自身にとって挫折の体験として心の傷になっていたに違いないと思います。そして、この挫折体験がマルコの福音書を書かせたとすら言えるのではないかと私は感じています。なぜそう感じるのか、結論から先に話すと、伝道旅行から離脱した時のマルコはまだ十分に聖霊の力を受けていなかったのだろうと考えるからです。聖霊を受けてはいたかもしれませんが、まだ聖霊に満たされるほどではなかった。きよめ派の言い方をすれば、まだきよめられていなかった、或いは第二の転機を迎えていなかった、などと言えるのではないかと思います。それゆえイエスさまの証人になるための聖霊の力を十分に受けることができていなかった、そんなことになっていたのではないかと思います。

新約聖書中のマルコに関する箇所
 きょうは、このことを分かち合いたいと思いますが、そのために新約聖書の中でマルコに書かれている箇所を、まずは押さえておきたいと思います。使徒の働き12章の12節をご一緒に読みましょう。

12:12 それが分かったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家に行った。そこには多くの人々が集まって、祈っていた。

 ここにマルコが出て来ます。この12節の脚注の①に書き出されている引照をご一緒に見ておくことにしたいと思います。これらはマルコがどういう人物であったかを思い巡らす時の良い材料になると思います。

使徒12:25 エルサレムのための奉仕を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、戻って来た。

使徒13:5 サラミスに着くとユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ伝えた。彼らはヨハネも助手として連れていた。

使徒13:13 パウロの一行は、パポスから船出してパンフィリアのペルゲに渡ったが、ヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰ってしまった。

使徒15:37 バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを一緒に連れて行くつもりであった。
38 しかしパウロは、パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよいと考えた。
39 こうして激しい議論になり、その結果、互いに別行動をとることになった。バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行き、
40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。
41 そしてシリアおよびキリキアを通り、諸教会を力づけた。

コロサイ4:10 私とともに囚人となっているアリスタルコと、バルナバのいとこであるマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もし彼があなたがたのところに行ったら迎え入れるように、という指示をあなたがたは既に受けています。
(パウロとマルコの関係は回復していた)

Ⅱテモテ4:11 ルカだけが私とともにいます。マルコを伴って、一緒に来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。(パウロはマルコを非常に評価していた)

ピレモン24 私の同労者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカがよろしくと言っています。

Ⅰペテロ5:13 あなたがたとともに選ばれたバビロンの教会と、私の子マルコが、あなたがたによろしくと言っています。

 このようにパウロの手紙を見ると、パウロとマルコとの関係は後に回復したことが分かります。また、ペテロの手紙第一を見ると、「私の子マルコ」とありますから、ペテロがマルコのことをとてもかわいがっていたことが分かります。
 そうしてマルコはペテロからイエスさまのことをいろいろと聞いて、マルコの福音書を書いたと考えられます。

(前半終了)

異邦人の土地に行ったマルコ
 後半はまず、マルコがパウロと合流してから伝道旅行で離脱するまでについてを、ご一緒に見て、なぜマルコが離脱したのかを想像してみたいと思います。
 使徒12章12節を見ると、ペテロがマルコの母マリアの家へ行ったことが書かれています。その前の4節を見ると「ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ」とありますから、ペテロは牢に入れられていました。しかし、不思議なことが起きてペテロは牢から出ることができました。7節から10節に掛けて、御使いがペテロを牢の外に出してくれたことが書かれています。10節をお読みします。

12:10 彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。彼らは外に出て、一つの通りを進んで行った。すると、すぐに御使いは彼から離れた。

 こうして牢から出られたペテロはマルコの母マリアの家に行きました。ペテロが牢を出てまっすぐにマルコの母の家に行ったということは、ペテロは以前からこの家に出入りしていたということです。「そこには多くの人々が集まって祈っていた」とありますから、そこは祈りの場になっていたのですね。この頃は、ペンテコステの日に教会が誕生してから少なくとも15年は経っていました。それゆえマルコの家も長年祈りの場として使われていたと推測できます。マルコはそういう環境で育った若者でした。
 そして12章25節でマルコはバルナバとパウロと共にアンティオキアの教会に行きました。この時、バルナバとパウロは大飢饉で困っていたユダヤの兄弟たちに救援の物を送るためにエルサレムに来ていました。その用を済ませてアンティオキアに帰る時にバルナバのいとこのマルコを連れて行ったのですね。アンティオキアの教会は異邦人に伝道するための拠点となった教会でした。ですから、アンティオキア教会の信徒の多くは異邦人たちでした。

マルコは食事のことでホームシックになった?
 私はマルコがまずアンティオキアという異邦人の土地、つまり外国人の土地になじめなかったのではないかという気がしています。日本人でも外国に行けば、様々な文化の違いを感じて、慣れるのには時間が掛かります。ホームシックになることもしばしばです。食事が口に合わなければホームシックの症状は一層重くなるでしょう。食事はとても大事です。
 そこで問題になったと思われるのがパウロが異邦人と一緒に食事をすることを重視していたことです。そのことが分かる箇所が、ガラテヤ人への手紙2章にあります。11節から13節までをお読みします。

ガラテヤ2:11 ところが、ケファがアンティオキアに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。
12 ケファは、ある人たちがヤコブのところから来る前は、異邦人と一緒に食事をしていたのに、その人たちが来ると、割礼派の人々を恐れて異邦人から身を引き、離れて行ったからです。
13 そして、ほかのユダヤ人たちも彼と一緒に本心を偽った行動をとり、バルナバまで、その偽りの行動に引き込まれてしまいました。

 ここでパウロはケファ、つまりペテロが異邦人と一緒に食事を取らなくなったことを批判しています。異邦人と一緒に食事をすると言った場合、何を食べるでしょうか。ユダヤ人の料理を一緒に食べた場合もあったかもしれませんが、異邦人の料理の場合も少なくなかったでしょう。すると当然、ユダヤ人には汚れた物とされる食材も含まれていたことでしょう。パウロはそれらも食したと思いますがマルコには抵抗があったことでしょう。そうして慣れない土地で体調を崩したかもしれません。

キプロス島での伝道旅行を終えて離脱したマルコ
 そしてマルコが第一次伝道旅行から離脱したのはキプロス島での伝道旅行を終えた時でした。第一次伝道旅行はまずキプロス島での伝道から始まりました。13章4節の二人とはバルナバとパウロのことです。4節、

13:4 二人は聖霊によって送り出され、セレウキアに下り、そこからキプロスに向けて船出し、

とありますから、まずキプロス島に向かいました。そうしてキプロス島での伝道旅行を終えた時にマルコは離脱しました。そこで何があったのでしょうか。私はキプロス島でマルコのホームシックが少し癒される時があったのではないかと推測します。なぜならキプロス島はバルナバの故郷だからです。バルナバとマルコはいとこ同士でしたから、キプロス島にはマルコの親族がいました。そこでマルコはユダヤ人の食事を堪能できたのではないか、そのように思います。
 しかし、キプロス島を離れる時が来ました。そして、その時には伝道旅行のリーダーがバルナバからパウロに変わっていました。13章の2節には「バルナバとサウロ」とバルナバのほうが先に書かれています。7節でも「バルナバとサウロ」になっています。しかし9節でサウロがパウロになると13節では「パウロの一行」となっています。先ほど読んだガラテヤ人への手紙にあったようにパウロは異邦人との食事を重視していました。そのパウロがバルナバに変わってリーダーになりました。しかもパウロはマルコをかわいがってくれていたペテロを批判するような人物でした。マルコが、これ以上パウロには付いて行きたくないと思ったとしても、少しもおかしくないでしょう。そうしてマルコは伝道旅行を離脱してエルサレムに戻ることにしました。

聖霊の力の大切さが身にしみたマルコ
 今話した、マルコは食事のことでホームシックになったのではないかというのは、もちろん単なる推測です。本当のところは分かりません。しかし、最初にも話したように、この伝道旅行からの離脱がマルコにとっては挫折体験となり、心の傷を抱えることになったことは確かだろうと思います。そして、この時のマルコはまだ聖霊に満たされる経験をしたことが無かったであろうこともほぼ確かだろうと思います。使徒の働きにはパウロとバルナバに関しては「聖霊に満たされ」という表現が使われていますが、マルコに関しては聖霊ということばは使われていません。
 しかし、後にマルコはパウロとの関係を回復して用いられる人物になりました。そしてマルコの福音書を執筆するという大きな働きをしました。それはマルコが聖霊に満たされ、聖霊によってイエス・キリストの証人になる力が与えられたからです。ですから、聖霊によって力が与えられなければイエス・キリストを宣べ伝える働きは出来ないのだということをマルコほど身にしみて知っていた人物はいないのではないか、そんな風にも思います。
 マルコの福音書が早い段階で、イエスさまが聖霊のバプテスマを授けるお方だということを明らかにしているのも、そんな背景があったからではないか、今回、私は思いを巡らす中で、そんな風に感じました。
 マルコの福音書1章の7節から10節までを交代で読みましょう。

1:7 ヨハネはこう宣べ伝えた。「私よりも力のある方が私の後に来られます。私には、かがんでその方の履き物のひもを解く資格もありません。
1:8 私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、この方は聖霊によってバプテスマをお授けになります。」
1:9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレからやって来て、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けられた。
1:10 イエスは、水の中から上がるとすぐに、天が裂けて御霊が鳩のようにご自分に降って来るのをご覧になった。

 このようにマルコは福音書の非常に早い段階でイエスさまが聖霊のバプテスマを授けるお方であることを明らかにし、イエスさまご自身も地上での宣教を始めた時には天から聖霊を受けたことを書いています。マルコはこれらをペテロから聞いたのだと思いますが、マルコ自身も聖霊のバプテスマを受けることの大切さが身にしみていたので、早い段階でこのことを書いたのではないでしょうか。

古い皮袋のままだったマルコ
 続いて、2章の21節と22節を交代で読みましょう。

2:21 だれも、真新しい布切れで古い衣に継ぎを当てたりはしません。そんなことをすれば、継ぎ切れが衣を、新しいものが古いものを引き裂き、破れはもっとひどくなります。
2:22 まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになります。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるものです。」

 このイエスさまの言葉も、マルコはペテロから聞いたのだと思いますが、マルコはこのことばを自分のことのように聞いたのではないかと思います。
 マルコがバルナバとパウロと一緒にアンティオキアに行った時、彼は一応はクリスチャンでした。しかしそれは古い衣に新しい布切れを継ぎ当てしたようなクリスチャンでした。そんな継ぎ当てだらけのマルコはアンティオキアでの異邦人たちとの生活に馴染めず、伝道旅行でも挫折を味わいました。伝道旅行を行うには聖霊に満たされる必要がありましたが、新しいぶどう酒である聖霊はマルコがまだ古い皮袋のままであったためにマルコを裂き、マルコをだめにしてしまいました。マルコは当時の自分が古い皮袋であったことをしみじみと思い出しながら、この福音書を書いたのではないか、そんな気がします。
 最後にマルコの福音書に記されているイエスさまの弟子たちへの厳しいことばをご一緒に読んで終わりたいと思います。マルコ9章の19節です。

マルコ 9:19 イエスは彼らに言われた。「ああ、不信仰な時代だ。いつまで、わたしはあなたがたと一緒にいなければならないのか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。」

 私は以前から、このマルコ9章19節のイエスさまの厳しいことばのことが気になっていました。「いつまで、わたしはあなたがたと一緒にいなければならないのか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか」というのは、ちょっと厳し過ぎるように感じていました。イエスさまと言えば憐れみ深いお方だというイメージがありますが、そんなイエスさまにはふさわしくないことばのように感じていました。しかし、今回このイエスさまの厳しいことばもまた、マルコがかつての情けなかった自分を重ねながらペテロから話を聞いていたのだろうと考えると納得できます。
 聖霊に満たされていない者は良い働きができないことをマルコは身にしみて分かっていました。ですから、このようなイエスさまの厳しいことばも躊躇することなく福音書に収録することにした、そのように感じています。

おわりに
 きょうは、良い働きができていなかった頃のマルコに目を留めることから始めて、イエスさまが聖霊を私たちに授けて下さり、イエス・キリストの証人になるための聖霊の力を与えて下さることを共に分かち合うことができましたから、感謝でした。
 お祈りいたしましょう。

2:22 まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになります。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるものです。
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法を守ることで守られる信仰生活(2018.11.21 祈り会

2018-11-22 07:06:22 | 祈り会メッセージ
2018年11月21日祈り会資料
『法を守ることで守られる信仰生活』
【ルツ1:15~17、2:1~4、4:1~12、18~22】

 私たちは宗教法人法に沿って教会活動を行なっている。宗教法人法は素人的な目で見ると、煩雑で面倒なことが書いてある法律のようにも見えるが、実は私たちの信仰生活を守ってくれている。このことを、ルツ記を共に読むことで分かち合いたい。なぜならルツたちの信仰生活は律法によって守られていたからである。
 聖書通読の初心者時代には、多くの者が出エジプト記の後半から申命記に至る律法の記述の「~しなければならない」の連続に困惑し、読み通すことに困難を覚えたであろう。しかし、これらの律法はイスラエルの民の信仰生活を守ってくれるものであった。

☆交読 ルツ2:1~4
1 さて、ナオミには、夫エリメレクの一族に属する一人の有力な親戚がいた。その人の名はボアズであった。
2 モアブの女ルツはナオミに言った。「畑に行かせてください。そして、親切にしてくれる人のうしろで落ち穂を拾い集めさせてください。」ナオミは「娘よ、行っておいで」と言った。
3 ルツは出かけて行って、刈り入れをする人たちの後について畑で落ち穂を拾い集めた。それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑であった。
4 ちょうどそのとき、ボアズがベツレヘムからやって来て、刈る人たちに言った。「【主】があなたがたとともにおられますように。」彼らは、「【主】があなたを祝福されますように」と答えた。

 4節からはボアズが信心深い人物で彼らが模範的な信仰生活を送っていたことが伺える。またルツ1:15~17からは、ルツも信心深い女性であったことが伺える。

☆交読 ルツ1:15~17
15 ナオミは言った。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神々のところに帰って行きました。あなたも弟嫁の後について帰りなさい。」
16 ルツは言った。「お母様を捨て、別れて帰るように、仕向けないでください。お母様が行かれるところに私も行き、住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
17 あなたが死なれるところで私も死に、そこに葬られます。もし、死によってでも、私があなたから離れるようなことがあったら、【主】が幾重にも私を罰してくださるように。」

 2章の2~3節でルツは落ち穂拾いに出ることをナオミに申し出て出掛けて行った。この落ち穂拾いに関する規定が律法にはある。

☆レビ23:22 「あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、刈るときに畑の隅まで刈り尽くしてはならない。あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。貧しい人と寄留者(在留異国人)のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」

 ルツとナオミは律法に守られてベツレヘムでの生活を始めた。そして、ボアズはナオミの夫エリメレクの畑を買い戻し、ルツを妻に迎えた。これも律法に則って行なわれた。

☆レビ25:25 もしあなたの兄弟が落ちぶれて、その所有地を売ったときは、買い戻しの権利のある近親者が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。

☆交読 ルツ4:1~12
1 一方、ボアズは門のところへ上って行って、そこに座った。すると、ちょうど、ボアズが言ったあの買い戻しの権利のある親類が通りかかった。ボアズは彼に言った。「どうぞこちらに来て、ここにお座りください。」彼はそこに来て座った。
2 ボアズは町の長老十人を招いて、「ここにお座りください」と言ったので、彼らも座った。
3 ボアズは、その買い戻しの権利のある親類に言った。「モアブの野から帰って来たナオミは、私たちの身内のエリメレクの畑を売ることにしています。
4 私はそれをあなたの耳に入れ、ここに座っている人たちと私の民の長老たちの前で、それを買ってくださいと言おうと思ったのです。もし、あなたがそれを買い戻すつもりなら、それを買い戻してください。けれども、もし、それを買い戻さないのなら、私にそう言って知らせてください。あなたを差し置いてそれを買い戻す人はいません。私はあなたの次です。」彼は言った。「私が買い戻しましょう。」
5 ボアズは言った。「あなたがナオミの手からその畑を買い受けるときには、死んだ人の名を相続地に存続させるために、死んだ人の妻であったモアブの女ルツも引き受けなければなりません。」
6 するとその買い戻しの権利のある親類は言った。「私には、その土地を自分のために買い戻すことはできません。自分自身の相続地を損なうことになるといけませんから。私に代わって、あなたが買い戻してください。私は買い戻すことができません。」
7 昔イスラエルでは、買い戻しや権利の譲渡をする場合、すべての取り引きを有効にするために、一方が自分の履き物を脱いで、それを相手に渡す習慣があった。これがイスラエルにおける認証の方法であった。
8 それで、この買い戻しの権利のある親類はボアズに、「あなたがお買いなさい」と言って、自分の履き物を脱いだ。
9 ボアズは、長老たちとすべての民に言った。「あなたがたは、今日、私がナオミの手から、エリメレクのものすべて、キルヨンとマフロンのものすべてを買い取ったことの証人です。
10 また、死んだ人の名を相続地に存続させるために、私は、マフロンの妻であったモアブの女ルツも買って、私の妻としました。死んだ人の名を、その身内の者たちの間から、またその町の門から絶えさせないためです。今日、あなたがたはその証人です。」
11 門にいたすべての民と長老たちは言った。「私たちは証人です。どうか、【主】が、あなたの家に嫁ぐ人を、イスラエルの家を建てたラケルとレアの二人のようにされますように。また、あなたがエフラテで力ある働きをし、ベツレヘムで名を打ち立てますように。
12 どうか、【主】がこの娘を通してあなたに授ける子孫によって、タマルがユダに産んだペレツの家のように、あなたの家がなりますように。」
 2節のボアズが町の長老を招いたことや、7節の取引きを有効にするために自分の履き物を脱いだことなども律法に沿って行なわれたことである(脚注の引照)。こうして律法に守られてナオミとルツは困窮から救い出されて信仰生活を続けることができた。そして、ボアズの血筋からダビデが生まれてイスラエルの王となり、イエス・キリストへとつながって行った。ヨセフとマリアが住民登録でベツレヘムへ上って行き、そこでイエスが誕生したことも、この血筋による。さらに遡るとボアズはユダの息子ペレツの家系である。

☆交読 ルツ4:18~22
18 これはペレツの系図である。ペレツはヘツロンを生み、
19 ヘツロンはラムを生み、ラムはアミナダブを生み、
20 アミナダブはナフションを生み、ナフションはサルマを生み、
21 サルマはボアズを生み、ボアズはオベデを生み、
22 オベデはエッサイを生み、エッサイはダビデを生んだ。

(以上)
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国教化と同じ頃に始まった修道院(2018.11.7 祈り会)

2018-11-08 17:33:01 | 祈り会メッセージ
2018年11月7日祈り会メッセージ
『国教化と同じ頃に始まった修道院』
【マルコ1:35】

マルコ1:35 さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。

はじめに
 前回の祈り会のメッセージでは、伝道者の書の3章11節のみことばの、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」ということを、紀元4世紀の当時のキリスト教の状況をご一緒に見ながら分かち合いました。

国教化による教会の世俗化
 簡単に復習すると、紀元4世紀はキリスト教がローマ帝国の国教になった世紀でした。まず4世紀の始めの頃にコンスタンティヌス帝によって国教化への道筋が付けられました。そして4世紀の中頃には揺り戻しがあって異端や異教を持ち込んだ皇帝もいましたが、4世紀の終わりの頃にはテオドシウス帝によってキリスト教が国教化されました。
 コンスタンティヌス帝がローマ帝国の領地の全域を支配するまでは、キリスト教徒への迫害がありましたが、それ以降、キリスト教徒への迫害はなくなりました。これはとても幸いなことでしたが、国教化されたことでイエス・キリストを本気で信じていなくても誰でもキリスト教徒になれるようになりましたから、マイナス面も多くありました。どういうマイナス面があったか、いろいろ考えられますが、分かりやすい例として、16世紀のルターの時代を考えると良いと思います。キリスト教が国の宗教になるという、紀元4世紀に始まったこの体制は16世紀のルターの時代でも続いており、現代でも国民の大半がクリスチャンであるというキリスト教国は、まだいくつもあるでしょう。
 ルターの時代、教会は免償符を販売していました(高校の世界史の授業では「免罪符」と習いましたが、「免償符」を使います)。イエス・キリストの十字架によって既に罪は赦されています。国教で皆がクリスチャンですから、既に罪は赦されています。しかし、カトリックの教えでは、その罪が赦されていることの償いを善行などによって行わなければならないとのことです。その善行などによる償いを免償符をお金で買うことで代替できるというものです。キリスト教が国教化されて教会が世俗化されると、どのようなことが起きるかの良い例だと思います。

時にかなっていたニカイア・コンスタンティノポリス条約

 4世紀の当時も教会が世俗化して腐敗する方向に向かっていただろうと思います。しかし、時にかなって美しい神の御業が為され、コンスタンティヌス帝によって紀元325年にニカイア公会議が召集されてニカイア信条が採択されました。ローマ帝国の全土から300名以上の教会関係者がニカイアに集められたということです。このような大規模な会議は皇帝の力が無ければ、とうていできないでしょう。このニカイア信条によって当時広まっていた異端のアレイオス主義が否定され、断罪されました。アレイオス主義は御子イエスの神性を否定するものでした。そして、テオドシウス帝が381年に召集したコンスタンティノープル公会議では、私たちが使っている使徒信条に近い、ニカイア・コンスタンティノポリス信条が採択されました。
 信徒はこの、ニカイア・コンスタンティノポリス信条信仰告白によってキリスト教の信仰の根幹をいつも確認でき、異端にそれて行くことを防ぐことができます。このニカイア・コンスタンティノポリス信条があったことで、4世紀の終わり頃から始まったゲルマン民族の大移動にも、また7世紀のアラブ人のイスラム勢力の台頭にも飲み込まれることなく正統派のキリスト教会が存続できたと考えますから、神のなさることは正に時にかなって美しいという話を先週はしました。

時にかなっていた修道院の始まり
 きょうは、この話をもう少し続けたいと思います。先週話したようにゲルマン民族の大移動後にはローマ帝国の西側は消滅してしまい、ゲルマン民族による王国が立ち並ぶようになりました。そのような中でも教会が消滅しなかったのはニカイア・コンスタンティノポリス信条が大きな役割を果たしたからだと思うのですが、実はそれだけではなく、他にも重要な要因がありました。それはフスト・ゴンザレスの著書の『キリスト教史・上巻』(石田学訳、新教出版社)によれば、修道院と教皇制が機能したことだ、ということです。きょうは、この修道院と教皇制の二つのうち、修道院について話したいと思います。4世紀から修道院の歴史が始まったこともまた、時にかなった神の美しい御業だと感じます。
 ここで、最初にご一緒に読んだマルコ1:35を、もう一度ご一緒に読みたいと思います。

1:35 さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。

 この箇所は先月の静岡聖会の早天の時に当務の俣野先生が開いた箇所でもあります。泊り掛けの聖会の早天の時には良く開かれる箇所です。祈りはいつ、どこで行っても良いのですが、やはり騒々しい場所や忙しい時間帯は祈りに集中できませんから、あまりふさわしくないだろうと思います。イエスさまは一日の活動を始める前の時間帯のまだ暗いうちに起きて寂しい所に出掛けて行き、祈りました。
 このことが常時実践されるようになったのが、修道院です。コンスタンティヌス帝によってキリスト教が保護されて国教化に向かう中、教会は段々と世俗にまみれるようになって行きました。この頃、そのような世俗化された教会を嫌って寂しい荒野で質素な信仰生活を送るようになった者たちがたくさんいたということで、それが修道院の始まりとされています。当初は個人の救いを求めて砂漠に逃れて一人で暮らすことから始まったようですが、次第に集団生活を送る修道院ができて、場所も砂漠のように寂しい所ばかりでなく、都会にも作られるようになりました。
 このような修道院ができたことで、教会が世俗化していく一方で、祈り深い信仰生活を修道院で送った人々もたくさんいましたから、キリスト教会が存続して行くことができました。きょうは、この修道院の歴史の中で大きな役割を果たしたベネディクトゥスという修道士の働きについてフスト・ゴンザレスが『キリスト教史・上巻』の中で書いている箇所を少し長いですが、引用したいと思います。この本の記事を紹介するのは、ここには東方の修道院と西方の修道院の違い、そして当初の修道院と後の修道院の違いなどが記述してあって興味深く、良い学びになると思うからです。
 この箇所には、「ベネディクトゥスの修道院制度」という表題が付いています。

ベネディクトゥスの修道院制度
 『キリスト教史・上巻』(石田学訳、新教出版社)p.254-258より
(ここから引用)
 教会が帝国と結びついて権力者の教会となった時に、多くの人は修道院生活を通してキリストに完全に従う道を見いだした。修道院運動は、エジプトはじめ東方帝国の各地で盛んであったが、西方にも修道院生活を行う者がいた。西方の修道院制度は、東方のそれとは三つの点で大きく異なっていた。第一に、西方の修道院は、より実践的であった。西方の修道士たちは、ただ自己否定のためだけに肉体を痛める苦行を行うのでなく、むしろ、肉体と精神を鍛え、この世における宣教の働きのために苦行を行った。(中略)第二に、西方の修道院制度は、東方と異なり、孤独主義を重んじなかった。西方修道院は最初から、共同体における秩序だった生活を築くことを求めた。第三に、西方の修道院は、東方の修道院のように教会の制度との緊張を強いられることがなかった。(中略)西方の修道院はだいたいにおいて、教皇や司教、その他の教会指導者にとっての右腕となってきたのである。
 西方修道院制度の生成期に中心的役割を果たし、いろいろな意味で創立者とさえ言える人物はベネディクトゥスである。彼は、ヌルシアというイタリアの小さな町で480年頃に生まれた。したがって、東ゴート族が支配している時代に成長したことになる。彼の家系は古いローマ貴族だったので、彼自身も正統派とアレイオス派の争いや正統派への迫害など身をもって体験していた。(中略)
 何と言ってもベネディクトゥスの最大の業績は、共同体のために作った『会則』である。この『会則』は短いものにすぎないが、以後何世紀にもわたって修道会規則の原型となった。この『会則』は、極端な禁欲主義を要求するのではなく、厳格ではあっても決して過酷ではない修練を通して修道院生活の良識的な秩序を築くことを目指していた。砂漠の修道士たちがパンと塩と水だけで生活していたのに対して、彼は、修道士たちが一日二回の食事をきちんと摂り、毎回の食事には二皿の料理と、時には新鮮な果物と野菜を添えるべきことを定めた。また修道士には毎日、適量のワインが与えられ、ベッドには上掛けと枕も備えられていた。ただしこれは、物が十分に供給されている場合のことであって、物資が不足する場合には、その時に受けることのできる物で満足しなければならなかった。(中略)
 『会則』は、全員が肉体労働に従事すべきことも定めている。病気や特殊な賜物を持っている場合を除いて、全員があらゆる仕事を順番に受け持たなければならない。たとえば、一週間ごとの料理当番は、この仕事が蔑(さげす)まれないようにするために、礼拝の儀式の中で当番の交代が行われる。病人や老人、幼い者については、作業の配分において特別な配慮がなされるが、裕福な家庭出身の修道士が特別扱いを受けることがあってはならない。(中略)ベネディクトゥスは清貧を通して新しい秩序の共同体を築くことを目指した。修道士は清貧を守ることによって、清貧を生きる共同体に全員が結びつけられるのであり、この共同体では、すべての者がすべての必要を互いに依存し合うのである。(中略)
 ベネディクトゥスは、祈りが修道生活の核となるべきだと考えた。そこで、日ごとの個人的な祈りの時間が割り当てられた。しかし祈りの大部分は、礼拝堂での共同の祈りとして守られた。修道士たちは、詩篇の詩人が「日に七たび、わたしはあなたを賛美します」(119:164)、「夜半に起きて、あなたの正しい裁きに感謝します」(119:62)と歌ったとおり、夜八回、昼七回、真夜中に一回、礼拝堂に集まった。
 一日の祈りの集いは夜明け前から始まり、その後、昼の間に七回行われた。この祈りは中世のほとんどの修道院で守られた。これらの祈りの大部分の時間は、詩篇の朗誦(ろうしょう)とその他の聖書箇所の朗読に用いられた。詩篇は全員に配られ、一週間の間に朗誦されるように配慮された。その他の聖書箇所は、それぞれの祈りの時間、週の曜日、教会暦などによって選ばれた。その結果、ほとんどの修道士が、詩篇およびその他の聖書箇所を暗記するようになった。また信徒の多くも同じような祈りの時を持つことを楽しみにしていたので、彼らもまた聖書に深くなじむようになった。毎日の八回の祈りは「時祷」と呼ばれ、やがて、これらの祈りをささげることは「聖務日課」と呼ばれるようになった。
 ベネディクトゥス自身は特に学問を奨励したわけではないが、やがて学問が修道士のおもな務めの一つとなった。何よりもまず、聖務日課を守るためには、書物が必要だった。そこで修道士は、聖書やその他の書物を写筆することに熟達し、これらの書物は以後何世代にもわたって保存された。修道士の住居は教育の中心となった。特におおぜいの子供が彼らの手にゆだねられて、やがて修道士となるための教育を受けた。また、病院や薬局の働きをする修道院や、疲れた旅人をもてなす宿泊施設となる修道院もあった。
 次第に修道院は、経済的にも大きな影響を与えるようになってきた。僻地に建てられることが多かった修道院から、修道士たちの労働による産物が生み出されたからである。こうして、ヨーロッパ全体にわたって、広大な農地が開拓されていった。しかも、ともすれば金持ちが自分の手で働くことを軽蔑する風潮のあった世間に対して、修道院は、肉体労働が知的・精神的な最高の成果を得るために有益であることを示したのであった。
(後略、引用ここまで)

 このような修道院の働きと教会の働きは別々のものですが、教会のリーダーである司教(司祭の上に立つ役職)は、金権的な人物ではなく修道士のような者がふさわしいとされるようになっていったということです。そうして、修道院ができたことで国教化されたキリスト教の教会が過度に世俗化することから守られていったことも、神の時にかなった美しい御業であると感じます。

おわりに
 私たちは中世の修道士や修道女のような生活はできませんが、今の時代にふさわしいキリスト者としての生活を通して、人々にイエス・キリストに従う生活を送る素晴らしい恵みを周囲の方々にお伝えできる者になりたいと思います。なかなかそのようにはいっていないことを個人的には申し訳なく思いますが、そのような者へと整えられるように祈り、日々の信仰生活を送りたいと思います。
 お祈りいたします。

マルコ1:35 さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。

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時にかなって美しい神の御業(2018.10.31)

2018-11-01 18:21:54 | 祈り会メッセージ
2018年10月31日祈り会メッセージ
『時にかなって美しい神の御業』
【伝道者3:11】

伝 3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。

はじめに
 きょう10月31日は宗教改革記念日です。501年前の1517年の10月31日にマルティン・ルターがヴィッテンベルクの教会の門に「95か条の提題」を貼り付け、このことをきっかけにして、やがてカトリックとプロテスタントが袂を分かつことになったとされています。

使徒信条を重んじたルター
 私はこれまでメッセージの中でルターに因んだ話をほとんどしたことがありませんでした。しかし、きょうはちょうど10月31日ですので、少しだけルターに関係のある話をしたいと思います。
 「少しだけ」と断ったのは、きょうはルターが重んじた使徒信条に少しだけ関係のある話をするからです。藤本満先生の著書の一つに『わたしの使徒信条』という本があります。これは高津教会の礼拝での使徒信条に関する説教をまとめた説教集ですが、この本の序文で藤本先生は次のように書いています。

――――――
 使徒信条は、現代では、ほとんどのプロテスタント教会の礼拝で告白されていることでしょう。これは、ドイツの宗教改革者マルティン・ルターにさかのぼることができます。彼は使徒信条を重んじ、『小教理問答』にも用いています。レーヴェニヒは、ルターが使徒信条を用いた理由として、この信条が持つ、教団教派を超えた公同性を挙げています。「宗教改革は、一つの分派としてではなく、一つの、真の公同の教会の更新として理解されることに最大の価値を置いたのである」(『わたしの使徒信条』p.4-5)
――――――

 これを読んで私は改めて、使徒信条の果たしている役割の大きさに感慨を覚えました。キリスト教の教会はもともとは一つでしたが、東方教会と西方教会とに分かれ、西方教会はカトリックとプロテスタントとに分かれ、プロテスタントはさらに無数の教派に枝分かれしています。しかし、バラバラというわけではなくて、例えば沼津の教会はクリスマスのチラシをカトリックもプロテスタントも一緒になって合同チラシを作り、新聞に折り込んで配布しています。もし使徒信条が無かったらキリスト教はもっとバラバラになっていて、私たちがクリスマスの合同チラシを作ることなど考えられなかったかもしれません。使徒信条は単に信徒一人一人の信仰告白のためにあるだけでなく、考え方が違うキリスト教会を一つに束ねるという大きな働きをしているのだということを改めて感じています。

ニカイア信条

 さて、きょう取り上げるのは、使徒信条ではなくて、使徒信条の上流の方にあるニカイア信条です。きょうの聖書箇所を伝道者の書3:11にしたのは、このニカイア信条ができた時代が、まことに時にかなっていたと感じるからです。本当に、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」なあと私は思いました。そのことを、きょうはご一緒に分かち合いたいと思います。
 ニカイア信条を採択したニカイア公会議は、紀元325年に開かれました。最近私は、使徒たちの時代の後の、2世紀以降のキリスト教の歴史を勉強し直したいと思って、キリスト教史の本を少し読み直しています。今日は後でニカイア公会議が開かれることになった経緯とその前後の歴史を簡単に分かち合いたいと思いますが、まずは325年に採択されたニカイア信条がどのようなものであったかを、ご一緒に見てみたいと思います。

――――――
我らは、見えるものと見えざるものすべての創造者にして、
すべての主権を持ち給う御父なる、唯一の神を信ず。

我らは、唯一の主イエス・キリストを信ず。
主は、御父より生れたまいし神の独り子にして、御父の本質より生れ、光からの光、
まことの神からのまことの神、造られずして生れ、御父と本質を同一にして、
天地万物は総べて彼によりて創造されたり。
主は、我ら人類の為、また我らの救いの為に下り、しかして肉体を受け人となり、
苦しみを受け、三日目に甦り、天に昇り、生ける者と死ぬる者とを審く為に来り給う。

また我らは聖霊を信ず。

主の存在したまわざりし時あり、生れざりし前には存在したまわず、
また存在し得ぬものより生れ、
神の子は、異なる本質或は異なる実体より成るもの、造られしもの、
変わり得るもの、変え得るもの、と宣べる者らを、
公同なる使徒的教会は、呪うべし。
(Wikipedia「ニカイア信条」より)
――――――

 このニカイア信条で強調されているのは、イエス・キリストがどのような存在であったかということで、「主は・・・造られずして生れ、御父と本質を同一にして」とあります。
 ここから分かることは、ニカイア信条は異端を排除するために作られて採択されたものだということです。その異端とはアレイオス(アリウス)主義のことです。
 アレイオスは、ロゴス(ことば、つまり御子)は存在しない時があったと考え、ロゴスは父と共に永遠なのではないと主張したそうです。アレイオスによれば、ロゴスは厳密には神ではなく、すべての被造物の第一の存在でした。彼は、すべてのものの創造に先だって、ロゴスが神によって創造されたと主張しました。なぜアレイオスがこのように主張したかというと、もしロゴスが神であるなら、父とロゴスの二人の神が存在することになり、それでは唯一の神ではなくなってしまうと考えたからだそうです。
 当時、このアレイオス主義はかなり広まっていたとのことです。ニカイア信条はこの異端を排除する目的で作られて採択されました。ただし、このニカイア信条を採択したニカイア公会議は、このアレイオス主義を排除するためだけに招集されたものではなく、これからのキリスト教について様々に話し合うための場として、300名以上の多くの教会関係者が集められたということです。
 このニカイア公会議325年を開催したのはコンスタンティヌスというローマ帝国の皇帝です。このコンスタンティヌス帝が325年にニカイア公会議を開いてニカイア信条を採択したことが、私はとても時にかなった美しい神の見業であると感じています。なぜそのように感じるかは、後半に話すことにします。

(賛美歌)

キリスト教の国教化
 前半は、ローマ皇帝のコンスタンティヌス帝が325年にニカイア公会議を開催して、ニカイア信条が採択されたことまでを話しました。コンスタンティヌス帝は313年にミラノ勅令を出したことでも良く知られています。このミラノ勅令にはキリスト教徒の迫害をやめて礼拝の自由を保証し、また教会・墓地・およびその他の財産を返還することが含まれていました。ただし、このミラノ勅令によって迫害が完全に終わったわけではないそうです。それは、この時にはまだコンスタンティヌスがローマ帝国領のすべてを掌握していたわけではないからです。この時、ローマ帝国には複数の皇帝がいて分割して統治されていました。しかし、やがてコンスタンティヌスはローマ帝国の全土を下図のように支配し、迫害は終了しました。


コンスタンティヌスの勢力拡大図(フスト・ゴンザレス『キリスト教史 上巻』石田学訳、新教出版社 p.128)

 コンスタンティヌスがローマ帝国の東側までを含めた全域を支配するようになったのは324年です。こうしてキリスト教に理解を示していたコンスタンティヌス帝がローマ帝国の全土を支配したことで迫害も終了しました。そしてコンスタンティヌスは翌325年にニカイア公会議を開催しました。300名以上もの教会関係者が集う大きな会議を開くことができたのは皇帝に大きな力があったからこそです。そうしてコンスタンティヌスの後、一時的にまた揺り戻しの時期もありましたが、テオドシウス帝の時の380年にキリスト教はローマ帝国の国教になりました。そして翌381年にコンスタンティノポリス公会議が開かれてニカイア・コンスタンティノポリス信条が採択されました。このニカイア・コンスタンティノポリス信条は、ニカイア信条に比べると今の使徒信条に、もっと近い形になっています。

――――――
 わたしたちは、唯一の神、全能の父、天地とすべて見えるものと見えないものの造り主を信じます。
 また、世々の先に父から生まれた独り子、主イエス・キリストを信じます。主は神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られず、生まれ、父と一体です。すべてのものは主によって造られました。主はわたしたち人類のため、またわたしたちを救うために天から降り、聖霊によっておとめマリヤから肉体を受け、人となり、ポンテオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、死んで葬られ、聖書にあるとおり三日目によみがえり、天に昇り、父の右に座しておられます。また、生きている人と死んだ人とを審くため、栄光のうちに再び来られます。その国は終わることがありません。
 また、主なる聖霊を信じます。聖霊は命の与え主、父と子から出られ、父と子とともに拝みあがめられ、預言者によって語られた主です。また、使徒たちからの唯一の聖なる公会を信じます。罪の赦しのための唯一の洗礼を信認し、死者のよみがえりと来世の命を待ち望みます アーメン (日本聖公会の訳文)
――――――

 この西暦300年代に起きたことを、もう一度整理しておきたいと思います。

 313年 ミラノ勅令。コンスタンティヌス帝によるキリスト教の保護。
 324年 コンスタンティヌス帝がローマ帝国全土を支配。
 325年 ニカイア公会議。ニカイア信条の採択。
 380年 テオドシウス帝によるキリスト教の国教化。
 381年 コンスタンティノポリス公会議。ニカイア・コンスタンティノポリス信条の採択

ゲルマン民族の大移動
 私は今まで、キリスト教がローマ帝国の国教になったことのマイナス面ばかりを見ていました。ローマ帝国でキリスト教が国教になって他の宗教が禁止されてからは、イエス・キリストを本気で信じていなくても誰でもクリスチャンになれるようになりました。というより誰でもクリスチャンにならなければならなくなりましたから、口では誰でも「イエスを信じています」と告白するでしょう。しかし、どれぐらい本気で信じているかは分かりません。また、お金持ちも貧しい者も皆がクリスチャンになりました。それまでのクリスチャンは弱い立場の者が多く、救いを得て復活の希望を持つことに大きな喜びがありましたから、それだけに強い信仰を持っていました。一方、お金持ちは今の生活に十分に満足している者が多く、そのような者は弱い信仰しかありませんでした。そういう裕福な人々が教会につながることで教会は次第に腐敗して行きました。キリスト教の国教化には、こういうマイナス面がたくさんありました。
 しかし今回、キリスト教の歴史を学び直す中でゲルマン民族大移動が始まった頃のタイミングでニカイア・コンスタンティノポリス信条が採択されたことを知り、神のなさることは本当に時にかなって美しいなあという思いがしました。それは、次の「ゲルマン民族の大移動後のヨーロッパ」の図を見ていただくと分かっていただけると思いますが、ゲルマン民族の大移動後には西ローマ帝国が消滅してしまっています。


ゲルマン民族大移動後のヨーロッパ『キリスト教史・上巻』p.248

 ゲルマン民族は元々はヨーロッパの北方にいた民族です。ということはキリスト教の教えが十分には広まっていなかった地域にいた民族ということです。キリスト教は地中海沿岸の地域で広がっていたからです。そのゲルマン民族が地中海沿岸に南下して来ましたから、そこは異教徒が住む地になってしまいました。しかし、キリスト教の教会はゲルマン人が支配するようになっても地中海沿岸の地域に残りましたから、異教徒のゲルマン人への伝道が粘り強く行われたということです。そうしてゲルマン人もキリスト教の信仰を持つようになりました。
 そんな時、もしキリスト教会にニカイア信条が無かったら、どうなっていたでしょうか。私は西側のキリスト教会が消滅してしまったとしても、おかしくないだろうと思います。現代の私たちの教会では毎週、使徒信条の告白をしています。そうしてキリスト教の信仰がどのような信仰であるかの確認をしています。この使徒信条が無ければ私たちの信仰は、ぶれてしまうかもしれません。そうして道をはずれてしまったら教会は弱体化して消滅してしまうかもしれません。私たちの教会が合併できるのは、同じ使徒信条を告白している教会だからです。
 ゲルマン民族が移動して来た時代の西ローマ帝国領のキリスト教会も、ニカイア信条・またはニカイア・コンスタンティノポリス信条があったからこそ、教会は弱体化せずに生き残ることができたのではないか、そんな気がします。

時にかなって美しい神の御業
 一方、東ローマ帝国領にはゲルマン民族の侵入はありませんでした。しかし7世紀以降、イスラム教の勢力が急速に拡大して東ローマ帝国のビサンティン帝国は圧迫を受けるようになります。このアラブ人のイスラム勢力は裏の図で示したように西ヨーロッパのスペインにまで拡大して来ていました。


アラブ人による支配圏の拡大『キリスト教史・上巻』p.267

 もしゲルマン民族が支配する地中海沿岸にキリスト教会が無かったら、もしかしたらイスラム勢力が飲み込んでしまった可能性もあります。すると東ローマのビサンティン帝国は両側をイスラム勢力に挟まれてしまうことになり、ここもまた飲み込まれる危険があったことになります。そうすると、キリスト教会は西も東も消滅してしまって現代まで受け継がれることはなかったということになってしまいます。もちろんそうならなかった可能性もありますが、かなり危険であったのではないかと思います。
 ですから、私は紀元313年のミラノ勅令によってキリスト教が保護され、ローマ帝国の国教になる方向に向かい、そしてコンスタンティヌス帝によってニカイア公会議が開かれてニカイア信条が採択されたことを、素晴らしい出来事であったと今の私は考えています。これまで私はキリスト教が国教化されたことのマイナス面しか見ていませんでしたが、ゲルマン民族の大移動と7世紀のイスラム勢力の台頭のことを併せ考えると、これは時にかなって美しい神様の御業ではないかなと思います。

おわりに
 以上、宗教改革記念日とはあまり関係なかったかもしれませんが、宗教改革を始めたルターが重んじていた使徒信条の上流のほうにあるニカイア信条ができた頃について共に学び、神様がキリスト教会がニカイア信条とニカイア・コンスタンティノポリス信条、そして使徒信条を与えて下さったことの恵みをきょうは分かち合うことができましたから、感謝に思います。
 私たちの教会が合併する方向に進んでいるのも、共に礼拝で使徒信条の告白をしている教会であるから、ということにも併せて感謝したいと思います。
 お祈りいたしましょう。

伝 3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
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読者はよく理解せよ(2018.10.17 祈り会)

2018-10-18 13:35:23 | 祈り会メッセージ
2018年10月17日祈り会メッセージ
『読者はよく理解せよ』
【マタイ24:15】

24:15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──

はじめに
 きょうは申命記はお休みにして、マタイ24:15を取り上げます。
 先日、聖書通読に励んでいる方から、このマタイ24:15にある「読者はよく理解せよ」とはどういうことですか?という質問を受けました。このマタイ24:15を私は説教で取り上げたことがなかったので、これまであまり深く考えたことがありませんでした。それで即答することができませんでしたから、「調べてから答えます」と言って、解答を保留しました。それで早速調べてみましたが、少し時間を掛けて自分でも考えてみたいと思いましたので、今回の祈り会のメッセージを準備するための時間を、この質問者への解答を考える時間に充てさせてもらうことにしました。
 このマタイ24:15の「読者はよく理解せよ」は、新改訳第3版では「読者はよく読み取るように」となっていました。何をよく読み取り、何をよく理解せよとマタイは書いているのでしょうか。単純に読むなら、それはやはり「ダニエル書をよく理解するように」ということだろうと思います。それで、あとでダニエル書をご一緒に見ることにしたいと思っていますが、まずはこのマタイ24章を見ておきたいと思います。

終わりの時に聖所に立つ『荒らす忌まわしいもの』
 24章の1節から見ます。イエスさまと弟子たちは、既にエルサレムまで来ていました。そして弟子たちはエルサレムの宮、すなわち神殿を指し示しました。するとイエスさまは言いました。「ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」それで弟子たちは3節で聞きました。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。」
 そうしてイエスさまは終わりの時の前に、何が起きるのかを弟子たちに話しました。4節から10節までは省略して、11節から16節までを交代で読みたいと思います。

24:11 また、偽預言者が大勢現れて、多くの人を惑わします。
24:12 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。
24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。
24:14 御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。
24:15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──
24:16 ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。

 このように、24章の始めの方から読むと、この15節は「終わりの時」に起きることが語られていることが分かります。そして、その終わりの時がダニエル書で預言されているということも分かります。15節にある「聖なる所」というのはエルサレムの神殿のことです。終わりの時には神殿に『荒らす忌まわしいもの』が立つとイエスさまはおっしゃいました。

キリスト教的な読み方とユダヤ教的な読み方
 それではダニエル書を見ることにしたいと思いますが、下の脚注を見ると(15節の②)、ダニエル9:27、11:31、12:11と引照が三つあります。この三つのうちの最初の9章27節をご一緒に見ることにします(旧約聖書p.1527)。26節を見てから27節を見ることにします。
 26節に、「六十二週の後、油注がれた者は断たれ、彼には何も残らない」とあります。この「油注がれた者」はキリスト教的にはイエスさまのことだと読み取れます。そして、このイエスさまが「断たれ、彼には何も残らない」とは、イエスさまが十字架で断たれることだと読み取れると思います。そして、「次に来る君主の民が、都と聖所を破壊する」というのは紀元70年にローマ軍がエルサレムを攻撃して神殿を破壊することの預言と読み取れと思います。イエスさまが先ほどのマタイ24章の2節で「ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません」と言っていたのも、この紀元70年のローマ軍によるエルサレムの攻撃のことですね。その時にダニエル9章27節にあるように、「忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる」ことになります。これがマタイの福音書24章15節でイエスさまがおっしゃったことだというわけです。
 しかし、これはキリスト教的な読み方であって、ユダヤ教的にはダニエル書9章26節の「油注がれた者」をイエスさまのこととは考えません。マタイが「読者はよく理解せよ」と書き加えたのは、このようにキリスト教的な読み方とユダヤ教的な読み方の違いがあることを指摘しているのではないかと私は考えました。
 それから注解書を調べると、この神殿が汚される事件はイエスさまが地上に使わされる前の紀元前167年に一度起きているということがいくつかの注解書に書かれています。このことは旧約聖書の外典の『マカベア書』とヨセフスの『ユダヤ古代誌』に書かれていて、セレウコス王朝のアンティオコス・エピファネスによってゼウス神の祭壇がエルサレムの神殿の上に立てられたそうです。この神殿の汚れがマカベア戦争の勝利によって取り払われて、きよめられたことを記念する祭りがヨハネの福音書の10章にも出て来る「宮きよめの祭り」です。
 そういうわけで、『荒らす忌まわしいもの』が神殿に立つことは、ゼウス神の祭壇によって神殿が汚されたことの預言という見方もできるわけです。そうして、このダニエルの預言は既に一度成就したという見方もできます。そういう見方もあることも含めて、マタイは24章15節で「読者はよく理解せよ」と書き添えているようです。
 読者の中にはユダヤ教的な聖書の読み方に慣れ親しんでいる者もいるかもしれません。しかし、マタイの福音書はイエス・キリストの福音を語っている書です。そのことをマタイは「読書はよく理解せよ」と添え書きすることで注意を促しているのではないか、そんな風に読み取れるように思います。
 私が先日受けた質問に関しては、以上のような考えるための材料を提供して、あとはその質問者の方自身にも思い巡らしてみていただきたいと思っています。

聖書のことばの思い巡らしを通した神との交わり
 さて、これから先は、今回私がこの「読者はよく理解せよ」について思ったことを分かち合うことにしたいと思います。
 マタイは、このマタイ24章15節のイエスさまのことばについて、読者によく理解して読んでほしいと願っているから「読者はよく理解せよ」と書いたと思うのですが、それなら、もう少し丁寧に解説してくれれば、もっとよく理解できるはずです。ここは、こういう風に読み取るべきだ、と具体的に書いてくれれば遥かに分かりやすくなります。なぜマタイは具体的に解説してくれなかったのでしょうか?
 このことを思い巡らしていて、ふと思ったのは、マタイはここに限って読者によく理解してほしいと思っているのでなく、すべての箇所でそうしてもらいたいのだろうということでした。マタイ24章15節ではダニエル書が引かれています。すると読者がよく理解するためにはダニエル書を調べる必要があります。そのようにして、常に旧約聖書と照らし合わせながらイエス・キリストを深く理解して欲しいというメッセージを発しているのかもしれないと思いました。
 他の福音書も同様ですが、マタイの福音書にはよく分からない箇所がいろいろとあります。そういう箇所を懇切丁寧に解説するのでなく、読者に旧約聖書も併せ読んでもらって思いを巡らしてもらう。そのことで神様と豊かに交わることができるようになります。そのような豊かな交わりを感じられるようになって欲しい、マタイは読者にそのようなことを期待しているのかもしれません。

不思議なマタイの系図
 マタイの福音書で私が特に不思議に思っているのは、冒頭の系図のことです。最後に、この系図ことを分かち合って終わることにします。マタイの福音書1章17節で、マタイは、「アブラハムからダビデまでが全部で十四代、ダビデからバビロン捕囚までが十四代、バビロン捕囚からキリストまでが十四代となる」と書いています。しかし、アブラハムからダビデまでは約1000年の期間があります。ダビデからバビロン捕囚までが約400年、バビロン捕囚からキリストまでは約600年です。この1000年、400年、600年がすべて同じ14代というのは、ちょっと不思議です。さらに不思議なのは5節に「サルマがラハブによってボアズを生み」、とマタイが書いていることです。ラハブはヨシュア記の始めのほうに登場する女性で、ボアズはルツ記に登場する男性です。すると、ヨシュア記とルツ記の間の士師記の時代はどこにどう納まるのでしょうか。マタイはなぜ、こうした系図を福音書の冒頭で示しているのでしょうか。本当に不思議です。
 今回、「読者はよく理解せよ」について思いを巡らす中で、マタイはこの福音書全体について読者が旧約聖書との関連について思いを巡らして、神様との豊かな交わりを読者には感じてほしいと願っていることを感じました。
 このような思い巡らしができたことを感謝して、皆さんと分かち合いたいと思いました。
 お祈りいたしましょう。

24:15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──
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罪を墓に葬り去る(2018.10.10 祈り会)

2018-10-11 14:10:48 | 祈り会メッセージ
2018年10月10日祈り会メッセージ
『罪を墓に葬り去る』
【申命記21:22~23】

21:22 ある人に死刑に当たる罪過があって処刑され、あなたが彼を木にかける場合、
21:23 その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木にかけられた者は神にのろわれた者だからである。あなたの神、【主】が相続地としてあなたに与えようとしておられる土地を汚してはならない。

はじめに
 前回は申命記8章3節の「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべての生きる」に注目しました。きょうは21章ですから、だいぶ飛ぶことになります。それは、この聖句がたまたま目に留まったからです。ですから、もしかしたらまた戻ることもあるかもしれません。いずれにしても、きょうは21章の22節と23節に目を留めます。

木にかけられた者は神に呪われた者
 特に23節の、「死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木にかけられた者は神にのろわれた者だからである。」に注目したいと思います。
 この掟は、ヨシュアの時代にしっかりと守られていたことがヨシュア記を読むとわかります。下の脚注の引照にも出ていますが、ヨシュア記8章29節には、次のように記されています(旧約聖書p.394)

ヨシュア8:29 ヨシュアはアイの王を夕方まで木にかけてさらし、日の入るころ人々に命じた。それで彼らはその死体を木から降ろし、町の門の入り口に投げ捨て、その上に大きな石塚を積み上げた。今日もそうである。

 また、ヨシュア10章26節と27節には次のように記されています。

10:26 その後、ヨシュアは王たちを討って殺し、五本の木にかけ、夕方まで木にかけておいた。
10:27 日の入るころになって、ヨシュアは命じて彼らを木から降ろし、彼らが隠れていた洞穴の中に投げ込んだ。その洞穴の口には大きな石が置かれ、今日に至っている。

 イスラエルの民にとって、木にかけられた者は神にのろわれた者でした。ですから、イエスさまが木の十字架にかけられて死んだ後で、使徒たちがイエスこそがイスラエルが待ち望んでいた救い主キリストであると説いてもユダヤ人たちは信じようとしませんでした。パウロが同胞のユダヤ人たちがイエスさまを信じようとしないことを嘆いていることは、ご承知の通りです。

その日のうちに墓に葬られたイエス
 そして、この申命記21章23節の掟は、イエスさまが十字架にかけられた後に、その日のうちに十字架から降ろされたことの根拠にもなりました。ヨハネの福音書の19章31節を、ご一緒に読みましょう。

19:31 その日は備え日であり、翌日の安息日は大いなる日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に死体が十字架の上に残らないようにするため、その脚を折って取り降ろしてほしいとピラトに願い出た。

 翌日の安息日は、過越の祭りの中での安息日で、一年の中でも最も大切な日でした。そんなに大事な日に罪人の死体を残して、相続地として与えられた土地を汚すわけにはいきませんでした。しかし、この十字架刑はユダヤを統治していたローマによる刑でしたから、ユダヤ人たちの判断で死体を降ろすことはできませんでした。ですからローマの総督のピラトに願い出ました。ピラトがそれを許したということは、ユダヤ人たちがよっぽど必死で頼んだからでしょうか。或いはユダヤ人たちが暴動を起こすことをピラトが恐れたからでしょうか。いずれにしてもピラトはイエスさまの遺体を十字架から降ろすことを許して、イエスさまはアリマタヤのヨセフたちによって墓に埋葬されました。
 今回私は、この申命記21章23節の掟とイエスさまの十字架との関係を思い巡らしていて、もしこの申命記の掟が無ければ十字架のイエスさまはどうなっていただろうかということに思いを馳せました。
 この申命記の掟が無ければ、イエスさまは死んだ後でも十字架にそのまま付けられていたでしょう。すると、たとえ復活しても、誰も復活とは考えないで、実はイエスは死んでいなかったということになるでしょう。死んだように見えたけれども、実は生きていたんだということになるでしょう。
 しかし、イエスさまは十字架から降ろされて墓に埋葬されました。すでにローマ兵たちによってイエスさまが死んだことが確認されていましたが、アリマタヤのヨセフやニコデモたちがイエスさまの遺体に亜麻布を巻きましたから、そのことによっても確かにイエスさまは死んだことをしっかりと確認することができました。もし死んだことがはっきりと確認できていなかったら、復活しても実は死んでいなかったということになってしまいますから、復活の希望も語れません。ですから、この申命記21章23節の掟は、イエスさまの十字架と復活のために備えられていたと思えるほどです。或いは単にそう思えるというのでなく、実際に神様のご計画の中で、イエスさまの十字架と復活のために備えられていた掟なのかもしれません。

聖会の恵みの分かち合い
 さて今日は最後に、この十字架のイエスさまのことと、今週の静岡聖会でいただいた恵みとを絡めて、分かち合うことにしたいと思います。聖会の講師の先生は基督兄弟団の西宮教会の牧師で、教団の理事長も務めておられる小平牧生先生でした。私は今回初めて小平先生の説教をお聞きしました。聖書はペテロの手紙第一が開かれて、三回の説教とも前半はまずみことばの解説が為されて、後半は聖会Ⅰと聖会Ⅱでは小平先生のご自身の体験のお証しが、宣教会では例話が語られました。
 聖会Ⅰと聖会Ⅱでの小平先生のお証しを聞き、そして、こちらに戻った後できょうの聖書箇所の思い巡らしをする中で、小平先生は過去の罪深い自分をしっかりと十字架に付け、その罪の息の根を止め、そして十字架から降ろして墓にしっかりと葬り去ったのだなと感じました。
 それに対して私のほうは、なかなか自分の罪を墓に葬り去ることができていないなと感じています。私の中には昔からプライドの罪が根強くあります。このプライドが葬り去るべき罪であることを知ったのはクリスチャンになってからですが、自分の中にはあまり好ましくないプライドがあることは教会に通う前の昔から知っていました。このプライドの罪を私は聖宣神学院に入学して、神学生として過ごすうちに葬り去ることができたと感じました。私は職場を辞め、自宅も売却し、持っていた家財の大半を処分して、ごく少ない持ち物だけ持って聖宣神学院の寮に入りました。このことだけでも、だいぶプライドが削ぎ落とされたと思いますが、寮に入ってからの学びと奉仕、また実習先の教会での経験を通して、自分の中に根強くあったプライドを葬り去ることができたと感じていました。しかし、神学院を卒業して姫路教会の主任牧師の任命を受けてからは、一旦は葬り去ったはずのプライドが再びよみがえって来ました。神学生の時には、基本的には上の先生の言うことを聞いて行動するのが良しとされていました。ですから先生の指示に従順に従うことで謙虚さも培われて、プライドもどんどん削ぎ落とされて行きました。しかし、自分が主任牧師になり、教会の運営を任されるようになると、上の先生の言うことを聞くのではなくて、自分で考えて行動しなければなりません。もちろん、お祈りしながら神様の導くを仰ぎながらの行動ではありますが、何かを決めなければならない局面が随所で出て来ます。特にインマヌエルの場合は監督制ですから、教会の責任は自分が負います。そういう中で、またしても私の中ではプライドがよみがえって来ました。それは今日のメッセージを例えに使うなら、十字架に付けたプライドが一旦は死んだように見えても実は死んでいなかったということです。そして、このプライドは十字架から降ろされることなく、いつまでも十字架に付けられたままで生き続けています。いつまでたってもしっかりと墓に葬り去ることができないのです。

自分の罪を墓に葬り去る
 それに対して、聖会の講師を務められた小平先生はご自身の罪をしっかりと墓に葬り去ることができたのだなと感じました。一日目の聖会Ⅰで小平先生は、牧師の息子としてのご自身の経験の証しをされました。この先生の証しは次の聖日でも分かち合いたいと願っていますが、きょうも短く分かち合いたいと思います。
 小平先生は基督兄弟団の西宮教会の牧師を務めておられますが、この教会は先生のご両親が開拓された教会だそうです。ですから子供の頃から、この教会で過ごしておられました。大学時代と神学生時代には、西宮を離れましたが、1986年に牧師の任命を受けてからは、再びこの西宮教会に戻って来たそうです。そうして牧会を始めてからの10年間は、とにかくご両親が建て上げた教会が縮小してしまうようなことだけはあってはならないと、懸命に働いて来たそうです。しかし、10年後に阪神淡路大震災によって様々なことが崩れ去って先が見えなくなり、燃え尽きたようになってしまったということです。
 そして、その時に訪ねた先の教会の看板にマタイ11:28のみことばの「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と記されているのを見て、先生はこのみことばが「私に語られている」と初めて思ったそうです。先生は、このみことばは人生において失敗した人や心の弱い人に語られていると思っていたそうです。自分はこういうみことばが当てはまらない生き方をする人間であると、何となく思っていたそうです。しかし、この時、先生は「神様、私は疲れました」と言ったそうです。そうして、この時から自分が癒されていくのがわかったということでした。
 先生は、かつてのご自分が、人生に疲れた人の気持ちをまったく理解できないままにイエス・キリストを宣べ伝えていたことを素直に告白されました。このお証しを聞き、先生はご自身の罪をしっかりと十字架に付けて、葬り去ったのだなと思いました。そして、私もそうありたいと思いました。なかなか難しいことですが、主に祈り、お委ねして、そういう者になりたいと思わされました。

おわりに
 イエスさまは私たちの罪を負い、十字架に掛かり、完全に死んで私たちの罪を墓に葬り去って下さいました。このことを覚え、きよめの道を歩んで行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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